はてなキーワード: 不気味の谷とは
最近ではテレビ番組で歌うまな人の歌い方を見て、鏡を見て練習するようになった。
歌が上手い人は口が大きい人が多いように思えて、小さい口をできるだけ大きく開くようにしてみた。
それでわかったのだけど、「ま」の発音をするときの顔があまりにも不細工なのだ。
もちろん「あ」も同じ口なのだが、とくに「ま」のときは閉じた口から開いてくために余計に不細工に見える。
今はコロナで人前で歌う機会もなくなったが、今までこんな不細工な顔で意気揚々と歌っていたのかと思うと急に歌への熱意がなくなってしまった。
多分、開き方の問題だと思うのだけど、気持ちよさそうに歌うにはどんな口の開き方をしたらいいんだろう。
歯の出し方とか唇の形とか、気にすれば気にするほど不気味の谷に転がり落ちていく気分。
ミノフスキー粒子は初期より存在する設定です。名前自体は『機動戦士ガンダム』第3話で初めて登場しました
ガデム 「シャア、変だと思わんか?ここは敵の前線基地に近いとはいえちょうど裏側にあたる。ミノフスキー粒子の濃度が強すぎると思うがな」
https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pastel/3829/words03_Gundam.html
気がつかないでやっちゃった事に誰も突っ込まなかったら、ミノフスキー粒子みたいな後付け理論みたいなのも生まれてないんじゃないか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4714519547976625282/comment/uchya_x
[B! togetter] 『鬼滅の刃 』の「村の中心に線路が通る違和感」に「フィクションだし」「制作上の都合だから」「リアルだから生まれた不気味の谷」など - Togetter
ブクマカはミノフスキー粒子をホワイトベースを空に浮かせるための屁理屈であるミノフスキー・クラフトという別の文芸設定と混同している虞があります。これはホワイトベースを大気圏内でも飛ばしたいという富野由悠季の映像的欲望が先行してしまい、それを裏付けるために作られた設定です。名称自体は映画『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』が初出です。
不気味の谷だっけ、を超えられないんだと思う。
美しさは生存戦略の一要素でしかない。美しさが「魅力の山(不気味の谷のもじり)」を越えるとかえって人は離れていく。彼氏彼女もできなくなる。
MATTとかそんな感じだろう。美しさの定義に関する知識に照らし合わせれば美しい顔面なはずなのだが、同じ言い寄られるならあんなのより藤原竜也とか山崎賢人の方が断然いいと思う女が多いだろう。
異性は魅力の山に近い顔面に対して直観的に魅力を見出す。人は定義上の理想的な美しさに惹かれるのではない。だってそれは定義に照らしてはじめて判断できるようなことであって人付き合いにおいて多くの人はそこまで頭を働かせないから、そういう多くの人間にとって定義上の美しさは認識上には存在しないのと同じだから。その目のでかさに発する不気味さを定義上な美でカバーできない。認識上には不気味さしか存在しないのだから。
いわゆる顔面偏差値は高すぎると現実的にはマイナス要因になるということだ。もてたいなら不細工と同じように経済力など他の要素でカバーしていく必要すらある。
マンガ好き、ゲーム好き、アニメ好き、二次創作も好き。コスプレが怖い。
自分でも理由はよくわからないんだけど、昔からペッパーくんとかキグルミも怖かった。人のかたちに似た、人ではないものが、人みたいな動きをしているのが怖いんだと思う。
一番怖いのは、コナンとかがやってる、体はそのままで頭だけキャラクターの頭被ったやつ。テレビで見ただけでめちゃくちゃ怖かったので絶対直接会いたくない。バッファローベルちゃんも怖い。
次に怖いのが、いわゆるコスプレ。2.5とかコスプレイヤーのしている、ウィッグ被って衣装来て、キャラクターに寄せたメイクしているやつ。どんな奇抜な衣装でも、後ろ姿とか遠くにいる写真は平気だった。でも顔が見えると怖い。クオリティが高いとか低いとかはあまり関係ないみたい。メイクは薄い方が怖くない。
人の感じが少なくなるほど怖さは薄れるみたいで、ポケモンのキグルミとかは割と平気だった。
ヒロアカ風に言うなら「糖衣錠だいぶ辛口じゃないの!?」って言い方になってるけどごめんねこれが一番やさしい表現。
だって考えてみてよヒロアカってそもそも陰キャにも陽キャにもなれない現代妖怪の谷間に堕ちた悲しみたちへの蜘蛛の糸でしょ?
まともな陰キャだったらこんなガバガバな上に半端にキャッピキャッピをしたがる漫画は読まないし、まともな陽キャだったらこんなジメジメとして説明がウザイ漫画は嫌うじゃん。
どっちつかず何者にもなれずヒーローは嫌い普通は嫌いの何でも嫌々の居場所なしが大好きな作品じゃん。
本当のマニアに転がっていけるだけの感受性もなければ、気にせず現実を生きられるほどの図太さもない繊細と大胆の不気味の谷で蠢く者達のヴァイヴルなんでしょ?
それならそれで幸せに生きればいいけど、さも「ボクの感性が別に人からズレてるとは思わないけど、でもちょっと人よりセンスみたいのが鋭いかな?」って態度でコンテンツを語るのはよしたほうがいいよ。
ファミレス、コンビニ、ほとんどの冷凍食品(冷凍野菜などの食材除く)を「まずい」と感じる人間だけど、
まず
>たとえば0〜100の数値で美味しさを評価するとして
>「不味い」っていうのは、まあ30以下とかじゃん。
(略)
>そういうイメージだよな。
この時点で「あまりにも感覚が違う」としか言いようがなくて絶句してる。(念のため言っておくけど、優劣はつけていないぞ。)
美味しいってそういう階段状に一直線ではない、一つしかない感覚ではまったくない。
「うまさを偽装して美味いと感じさせる作りになっていると知覚するので不快である、
しかもその偽装したうまさも単調で自分の好みに合うほどの幅がなく、
さらにその偽装の具合にディストピア飯感を感じる惨めさもあいまって嫌気がさす」に近い。
美味しいの尺度に話を戻そう。
無理やり「数値で美味しさを評価する」に合わせると、レーダーチャートがもっとも適切ではないか。
そしてその輪郭が真円に近いほど美味しいと感じるような感覚だろうか。
そしてレーダーチャートの項目は料理によって違い、同じ項目でも料理によって適切な数字・幅が違い、
同じ要素でも項目が複数あるような感じ。
(たとえばワイン、渋みが適切だと美味しいと感じるはずだ。しかし、違うワインになれば違う渋みの量が適切になる。
そして渋みが最初に来るか後から来るか、徐々に盛り上がるかすとんと切れるか、残り方、など、でどのように他の要素と干渉するかが変わり、感じ方は変わる。)
さらにいえば人間はというより動物は美味しいはずのもの、美味しいと感じているものでも心が「美味しくない」と受け入れないこともある。
慣れていない味・組み合わせは美味しいと感じる要素をすべて満たしていても美味しいとは感じない。
生物としての本能だ。性別だと雄・男のほうが、また成人のほうが子どもよりも警戒心が強く、味覚が保守的だ。
(だから人間でも食の新規のブームはほとんど常に若い女から広まる。男から始まる場合、警戒心を上回る強い刺激が特徴のものになる。激辛とか。そしてマイノリティであり続ける。)
子どものころ、ダイアナ妃も好物だったというキュウリの生クリームスープを食べてそれを実感したことがある。
生クリームもキュウリも好物だったが、自分は冷製スープに慣れておらず、キュウリと生クリームの組み合わせも初めてだった。
美味で有名な高級フレンチレストランだったのもあり、そのスープは実に美味かった。
それはわかった。が、自分はどうしても舌が伝えてくる「これは美味い」を受け入れられなかった。美味いと感じつつ不味いと感じたわけだ。
たとえば、野生のニホンザルが普段食べているそのへんの木とか草だ。品種改良されている野菜ですら生では美味いとは感じないのに、そのへんの草が美味いわけがない。埼玉県民にはなれない。
数字で測るのなら、ほぼどれも0.これを食べなければ明日飢え死にするのでなければ口にするのはごめんだ~1.飢饉のときには食べられることを思い出すかもしれない、優先順位は下のほうだが~2.千年ぐらい品種改良をした後ちゃんと調理すれば食べる気が起きる、の間にある。まれに3.これは普段から食べたいかも…のものもある。
が、この不味さは不快な不味さではなかった。
渋み苦味が強すぎる、うま味がない、など美味いからは確かに程遠いのだが、ごまかしや偽装がない部分は旨くもありすらする。しかもそのまずさ95%の中にほんのり甘みを感じたりする。
ぜんざいにほんのり入れる塩が甘さを引き立たせるように、まずさ要素が主体の中に漂うあえかな滋養はよりクローズアップされるのかもしれないとなんとか思ったが自分はサルじゃなくてよかった。
味覚は0~100の一つの尺度だけで測れるような単純なものではない。
ほとんどすべてのファミレスやコンビニの食べ物を不味いと感じる理由は、不気味の谷に似ているとも思う。
味付けの組み合わせは非常に上手い。塩分やうまみ、調味料のバランスを真円に近づけて出せるのは大手企業ならではのさすがの部分だ。
が、実際に口にしてみると「まがいもの」と感じる不気味の谷に落ちている。
素材の質があまりよくないのを無理やり何か、普段自分が口にしないもので補って人間に見えるように皮をかぶせましたというような感覚に陥る。
それを一言で不味いと言っている。