はてなキーワード: ソーシャルとは
最高ではありませんか?
すれ違う人が顔見知りでもある程度距離があれば挨拶も会釈だけですんで、余計な発声をする必要がない。マスクで人相もよく分からないし、なんなら挨拶しなくても問題ない感じ。
狭い道で女性とすれ違う時は他意がないこと表すために、以前からかなり距離をとっていたんだけど、そのような行動も奇異に見られなくなった。狭い場所でのすれ違いを避けるために待ってあげると、感謝されることもある。
牛丼屋やラーメン屋でも隣に座る人がいないので気を使う必要がない。近所のラーメン屋はカウンターとテーブル席に手作りの衝立が追加されて、DIY一蘭のような雰囲気になってた。
住みやすい世の中になったので、ずっと続いて欲しい。
どっかで経済活動はしなきゃいけないと思うんだけど「ソーシャルディスタンスを守る」くらいすら守れなかったら自粛やめた瞬間にまた広がるから解除する判断も保守的にならざるを得ないんよね。
それとも6フィート地下に眠るか、みたいな啓蒙風刺画があったよ。
薬が出来そうだけどワクチンできるまでだけでもソーシャルディスタンス守って欲しいよね。
「わたし言っちゃったわ、あまりにも近くに並ぶからさあ」って同僚が言ってた。お店行った時の話ね
すげえなと思った
自分は基本的に、自分以外の他人は急に刃物で刺してくるかもしれない運転の精神で生きてるから
怖くて見ず知らずの他人にそんなこと言えねえわ
一
(5月に入っても殺気立っているおまいらにざれ歌を献上して、苛立ちが高まっている気持ちをかき混ぜてみるよ)
二
(迫ってくるJKを押しとどめてしまう、悩ましい今日この頃だなあ)
三
(熱といっても貴方への思いをつのらせての熱なので、PCR検査を受けても陰性と判定されることでしょう)
四
(ここ岩手は安全ですが、私の恋は難航しています。感染のおそれは小さいのに、どうして会えないのですか)
五
(毎日夕方発表される感染者の増加数と同じくらい、貴方の心が気がかりです)
六
(オフィスラブのスリルが味わえないテレワークなんてつまらん)
七
けふもまた募る思ひを告げられず誘はむ店の皆閉じたれば
(今日も告白出来なかった…まあ誘える店みんな閉まってるしな)
八
武蔵野を見晴らす棲み処あとにして今は浅間のいたゞきをあふぐ
(都心のタワマン上層階に住んでるんだけど、今は疎開先の軽井沢で暮らしているよ)
九
十
引き籠り人のかほ見ずはや十とせ世の人我をかゞみとなすや
(在宅勤務だとかソーシャルディスタンスとかそんなチャチなもんじゃ断じてねえ)
十一
ぼつち席なじみて閑けき身の上もいまこの時に備へしぞかし
十二
(流行なんて新聞が取り上げる頃には下火になってるものなのに、この流行がまだ収束しないのはなんで?)
十四
(…)
十五
(そのまんま)
十六
(そのまんま)
十七
流行に緩むきざしのあるとてもなほ注意な怠りそとぞ
(「感染拡大の勢いに低下の傾向が見られますが、まだまだ注意が必要です」ってテレビで言ってたよ)
十八
(青い鳥が結局そこにいたという自宅で、これからのことを考えています)
十九
(実感)
味方プレイヤーに大声で指図するときに出るウイルスは、マスクなんて簡単に貫通するよ
もう本当に無理。
約2ヶ月近く処女。もう処女膜戻ったわ絶対。次セックスするとき絶対血出るわ。痛いわ。セカンドバージン卒業だわ。赤飯炊いてもらわないと!!!!!
まず、彼氏に会えてない。
彼氏は在宅ワーク中だけど、2人とも車持ってなくて、電車に乗らないと行き来できない距離にお互い住んでるので会いづらい。
自粛期間暇だし久しぶりにマッチングアプリでも入れるかって思って入れたけど、会えないから意味ない。
自分は2日ほどやり取りして、会って、適当に飲んで、ホテル行ってという一連の流れが楽だし後腐れないからマッチングアプリ経由のセックスが好きだったのに、外出歩けないから意味ないじゃん!!自分マジで馬鹿だわ。
別の都市へ研修に行っていたセフレも1か月前から会社に命じられて地元に帰ってきた。なのに会えない。自粛期間だから。
セックスはソーシャルディスタンスどころの騒ぎではない。ゴムくらいしかお互いを隔てるものがないので。濃厚接触も濃厚接触。
今まで入れるのが怖くて買えなかったけど、バイブ買おうか迷ってきた。それかクリトリス吸引するタイプのバイブ?みたいなやつ。
でもオナニーしてもいつも以上に賢者タイムがめちゃくちゃ虚しいんだよな!!!!!!
ここでいう終末思想は「安全な場所から人が死んでいくのをエンタメとして楽しむ」くらいの意味だ。
その他諸々、何処か遠くの国名も聞いた事のないような地で起こる、テロや紛争や事件。
それらを僕たちは常にエンタメとして楽しんできた。コーヒーを飲みながらワールドトレードセンターが崩れ落ちるのを見たり、東北の町が濁流にのまれて消えていくのをベッドに寝転がりながら眺めたりしていた。
この世界では、老いも若きも悪人も善人も関係なく無慈悲に命を奪われてしまうのを学んで、ほんの少しの畏怖を世界に対して覚え、自らの安全と幸運を確認してきた。
これまでは。
そう2020年、ついに終末が僕らの街にもやって来たのだ。新型コロナウイルスの名とともに。
シャッターの並ぶ繁華街、乗客のいないバスが道を行きかい、誰一人いない広場をデジタルサイネージが青く染める。
たまにすれ違う人は皆マスクを付けていて、顔色は窺い知れない。その眼は一様に虚だ。
だが、どこか変だ、と君も思ったはずだ。これは違う、と。僕もそう感じている。もう気付いてしまった、いや最初から分かっていたのかも。これは僕たちが待ち望んだ終末ではない。
武漢が閉鎖された一月末から、イタリアの死者数が一万人を超えた三月末までは確かに僕もワクワクしていた。アジアの片隅で生まれたこの新型コロナウイルスが鉄壁に思われたヨーロッパを陥落し、医療保険の脆弱な合衆国で猛威を振るい、灰色の平和が未来永劫続くかのようなこの国にも混沌をもたらしてくれるのではと、そう真面目に考えていた。
もちろん僕にも君にも生活と仕事があり、巻き込まれれば僕自身無事では済まない。しかしそれ以上に、日常が破壊される快楽に身を委ねる喜びへの期待が大きかった。台風を待ちわびる子供のように、後先も考えずただ非日常へと連れ去ってくれる大きな力を望んだ。
でも終わってしまった。すべて解ってしまった。タネの明かされた手品のように、読み終えた探偵小説のように、ただ歴史だけがそこに残った。
こんなのは終末ではない。パラダイムシフトですらない。すべてが元に戻るだろう。やがて国境は開かれ、人々は移動を再開するだろう。しばらくはマスク着用が常識となって、誰もがソーシャルディスタンスとやらに勤しむだろう。変化に対応できない企業は消えていく。平時も同じことだ。
世界大恐慌以上の不況がやってくる?今のところ株価はそう言ってないようだ。無人店舗やデジタル化が推進される?僕たちはすでにそっちの船に乗ってるんだ。何を今更言ってるのか。
直接見ると角が立ち、トラブルのもとになりそうなので、それとなく横を向いて視界ギリギリに入れたら、ベビーカーを押したご婦人が見えた。
それぞれ事情があるだろうから、こんな時期でも子連れで買い物をせざるを得ない人もいるだろう。
でも、赤ちゃんは自分自身以上に慎重に守って欲しいものだ。大人よりもずっと低い位置にいるんだから、ずっと遠くからの飛沫が飛んでくるだろう。
仕方がないので、少しだけ前に進んだ。その分、前の人との距離が縮む。
すると、後ろのご婦人も前に進んできた。自分のソーシャルディスタンスが前後ともに警告レベルですよ。
なんとなく息を止めた。
息を止めているうちに自分の番になったので、一気にレジの端まで進んで距離を取り、「いったいどんな面をしていやがる!」とばかりに ご婦人を見た。
お婆さんだった。