はてなキーワード: セーラームーンとは
こんな感じやろ。
「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」から始まる古典的なシリーズ。
「変身」に限らずさまざまな魔法を使えることが多い。
ヒロインは「大人に変身する」ことが多く、特にアイドル要素が強い。
追記。
「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!」「美少女仮面ポワトリン」「有言実行三姉妹シュシュトリアン」などの実写特撮ドラマシリーズ。
戦闘要素もあり、特にポワトリンはセーラームーンに影響を与えたと言われる。
シリーズとしては、同じ東映の「スケバン刑事」のヒットを受けて制作されたものである。
「魔法少女」と「変身ヒロイン」の2つの流れが合流し、魔法少女にがっつり「戦闘」を絡ませた作風を確立。
フォロワーに「ウェディングピーチ」「りりかSOS」「カードキャプターさくら」など。少女漫画原作が多い。
ほのぼのコメディの「赤ずきんチャチャ」までアニメ版では変身して戦う羽目に。
「男性オタク向け魔法少女パロディ」の始祖的な作品で、いわば「リリカルなのは」の大先輩。
さらにパロディ要素が強い「邪道魔法少女」として「ナースウィッチ小麦ちゃん」「大魔法峠」「ぷにぷにぽえみぃ」などがある。
シリーズとしてはそこそこ続いたが他への影響は薄い。
「暗黒魔法少女」的な作品としてまどマギの直接的な先祖と言える。
セーラームーンよりも肉弾的な戦闘が特徴。現在まで続く長期シリーズに。
ラノベ作家・西尾維新が描く、魔法少女の設定を下敷きにした「暗黒魔法少女」的なバトルもの。
ラノベ全体でも、「撲殺天使ドクロちゃん」「おと×まほ」など、2000年代にシリアス/コメディ問わず魔法少女パロディが増加している。
エロゲ作品のスピンオフ。魔法をビーム砲のように撃ち合う描写が特徴。
オタクのあいだで人気を得て、続編が多く作られ、二次創作人気でも一時代を築いた。
戦うってのは「変身する理由」の部分で、とても分かりやすいからセーラームーンあたりから輸入してきたものだと思うけど
もっと本質的な「なぜ変身できるのか」のところで大きな力を得るための代償を求めたのが元増田で上げてるタイトル
いわゆる魔法少女ものは「変身した!すごーい!」だけで少女の夢を叶える話だった(細かく分類すると違いもある)けど
そこにちょっとブラックなエッセンスを足したのがまどマギ。逆に代償(捧げもの)を求めるために大きな力を与えたのがゆゆゆ
まどマギに近いのって魔女だとバレたらカエルになる呪いも背負って魔女見習いになって、実際に魔女ガエルになってるものもいるっていうあたり「おじゃ魔女どれみ」なんじゃなかろうか
クライアントとうまくいかないことを、フリーランスの先輩に話した時に言われた言葉だ。
なんでうまく行かないって、私は結果の出るものを作ろうとしてるのに、クライアントは「なんかかっこいいものを作って、うちの印象を良くしたい」なんて抽象的でメリットも合理性も薄い意見で、私の意見を潰そうとしてるからだ。
「増田ちゃんはこだわりや気持ちが強いから、受け手が引いちゃうんだよ」
だって、合理的に考えれば私の意見の方が、みんなが幸せになれるじゃん。
お金をかけて時間をかけて、成果が出ないとわかりきったものを作ろうとしてるんだから、そりゃ言葉を尽くして必死に止めるでしょうよ。
落とし穴に向かって歩く人を必死に止めたら「こだわりや気持ちが強いね(笑)」って。どんな世界だよ。
だって正しいもの。正しいと思うことを主張するのは当たり前でしょう。
もちろんそれを上回る意見や、私の意見の穴を突くような話があれば、喜んですぐに改める。「ああ盲点だった」「気づかなかった」と素直に悔しい思いをしたことが今まで何度かあったけど、あれはむしろ快感だと思っている。手を広げて待ってすらいる。
というのに、誰もそうしてくれない。主張もしないし、私の話を理解しようともしない。的外れで非論理的で非建設的な話しかしない。無意識に話を逸らしてばかり。正直、いい歳した大人が無様で仕方ないと思う。
その間私は資料も証拠も出して自分の意見の有用性を伝えているのに、大してまともに言い返しもせず、やっと口を開いたかと思えば「人の意見を聞かないよね」って。どんな必殺技だよ。それで主張を通せるなら私もそうするわ。
自分で言うけど、多分私は頭の回転が速いんだと思う。頭がいいかは別。でも言葉とか、考えとかが、一瞬で降ってくる。
「よくわかんないけどこっちの道がいいと思う」と思って選んだら、結果的にその道が正しかったということがよくある。
でもその選択はただの勘ではない。ちゃんと道の向こうまで見て、問題の数と位置と大きさを考えて、見比べて、決めた道。
あまりに一瞬で無意識に考えているから、自分の出した結論に論理が追いつけていない、ということが多々あって驚く。
多分、あのクライアントには見えてないんだと思う。
何本の道があるのか、どの道にどんな問題があって、どれが1番メリットが大きいのか。そもそも道を開拓する方法はないのか。
私の目にはこんなに明らかなのに。
「こっちの道の方がメリットが多いよ」
「その道は実はこんな問題があるよ」
そういう言葉を、待っているだけなのに。
「ずっとこっちの道を選んできたから」
「そんなにそっちがいいんだね」
まさにうっせーわ、だ。
深い落とし穴に落ちようとしている人が目の前にいたら、多くの人は手を差し伸べるでしょう。
それはそんな大層な正義感なんてものじゃないでしょう。当然でしょう。
なのに何でこの世界では、私のコレに正義感(笑)なんて名前をつけられなきゃいけないんだ。
あー、それを当然と思わない人間が世の中大多数だからか。書いてて気づいた。
私としては温泉むすめの騒動を見て心が苦しかった。過去にアニメの中の女性を見て女性蔑視だと思うことは全くなかった。それ故に近年の騒動にショックを受ける。
私も女だ。生まれてから今までずっと女である。私と全く同じはずである女性が萌え絵を嫌うのが不思議でたまらなかった。
萌え絵には女性を軽視する意図は含まれていないはずである。萌え絵は一種のデフォルメであり、ホモサピエンスのメスを作画する際の表現技法の一つに過ぎない。個人的な見解だが、よく言われる「目がでかい」から昨今の「胸が大きい」も「足が太い」も女性の魅力を記号化して伝えようとしているだけであって、そこには差別や侮辱の意図どころかリスペクトまで含まれているのではないかと考える。
温泉むすめには「可愛らしいキャラクターとその地域の温泉で癒やされてほしい」という意図がある。いわば温泉むすめ達の目的はランウェイを歩くモデルと同じであり、「あのモデルさんが素敵だからあの服買おう」と「あのキャラが可愛いから今度旅館行こう」は同じである。
…少々強引だろうか。私の好む作品はどちらかといえば男性向けの類であり、あまり女性でオタクを名乗る人とは話ができない。例えばウマ娘はやっているがツイステは全く分からなかったりする。
私が男性的思考なのは理解しているが、だからといって女=萌え絵が嫌いにはならないだろう。
日本は風土的にアニメや漫画に幼少から触れる機会が非常に多い。女の子が見るとすればプリキュア、アイカツ、プリティー……時代を遡ればセーラームーン、CCさくら、アイマイまいん……その他少女漫画や原作作品は多い。恐らく、萌え絵を叩く人はこういった作品に触れてこなかった人ではないだろうか。萌え絵には男性オタクがグフフと言うだけしか価値がないと思っているのではないか。広義なら女児向け作品だって萌え絵である。
一概に何が悪くて何が良いかは分からないし、昨今の動きでオタクにも非がある部分はあるだろう。
ただのキモオタである私だって歴史の中で女性が低く見られてきた事実があることは知っている、その流れを撤廃したいとも思っている。しかしそれと萌え絵叩きは違うのではないか?ツイッターで見かけるフェミニストを名乗る方の言い分を見るに、ただ日本の萌えオタクを滅したいだけで現実に起きている問題に対してはあまり目を向けていないように感じる。
結論としては女だって萌え絵が好きな人もいて、ツイフェミが何言ってるかよく分からないよーっていうことです。
温泉むすめ、数年前に旅行先で見かけてこんなコンテンツがあるのかと調べてみたら地元にも、本当に自宅からほど近いところにも居て嬉しくなりました。