はてなキーワード: オリンピックとは
ここを探せ。
新種目の3x3(3on3)、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィン、空手も含めてすべて、全競技・全試合を未編集でいつでも見られる(ライブでも)。
前大会(リオデジャネイロ大会)から、NHKはIOCから買った映像をすべて配信している。次回以降も続くだろう。NHK: 2018年・2020年・2022年・2024年のオリンピック放送権の合意について
お前だってオリンピックで感染爆発しても責任とったりしないだろ
呼吸に異常を感じたら入院したいだろ
税金やその他の負担はみんなで請け負ってるんだから、賛成派だけが恩恵を受けるべき(反対派は利用するべきでない)なんてことはない
あなた方の意見が通ってオリンピックやってなかったら彼らの舞台も快挙もなかったんだよ!
それなのにしれっと「おめでとう!」とか言われると腹が立つし、釈然としない。
言いたいことは分かるけど、はたから見ればダブルスタンダードそのものだよ、ご都合主義。
かっこ悪い。
小山田圭吾や小林賢太郎は駄目ですぎやまこういちと海老蔵はいいのかみたいなのってよく分からない
ドラクエの曲はドラクエの曲であってすぎやまこういち個人の曲とはあまり思わないし
沢山使われていたゲーム音楽の一つにすぎない
歌詞がある曲ならまた別だけどそうじゃない
やった事は伝統ある演目の一つらしいからやっぱり彼の思想の反映はないのでは?
あのさ、
リアルタイムで観戦することが出来ないから録画して深夜見るって言うなんかセルフ時差を生み出してないかしら?
なんかいっぱい同時に色々なところでオリンピックチャンネルをやってるので、
なんだか見ているのか見ていないのか分からないときもあったりして
そのためにテレビ大きなものを新調したって人もうオリンピック行事じゃない。
張り切って買ったのに1年延長でやった
大画面テレビが火を噴くぜ!って
物理的に火を噴くんじゃなくて、
にしてもさー
暑いのよ。
事務所のクーラーが故障で冷房のスイッチをオンにしたら滝のように水が落ちてくるの。
もう荒行が出来ちゃうってレヴェルじゃねーぞ!って言う言い方もあるし、
クーラー空調で冷やすってレヴェルじゃねーぞ!って意見もあるわね。
空調の修理の人はもう来る頃なのかも知れないで、
じゃないと
もう室内の温度が体温を上回る
このパソコンの上のスチールデスクが熱々もうもんじゃ焼きやけんじゃね?ってレヴェルで
もうここもんじゃ焼き屋さんってレヴェルかよ!って
もんじゃ焼き売って小銭が稼げそうなレヴェルでもあるし、
味はこれもんじゃ焼きって言って売ってるレヴェルじゃねーぞ!とも言えるかも知れないわね。
まあとにかく暑いわ。
冷やしタオルを頭に乗っけて気化熱でなんとか風にさらされると一瞬涼しいけど、
サハラ砂漠では実はビジネススーツでいた方が涼しいっていうトリビアじゃないぐらい、
宅配便の人が着たらこのままでは出られないような透けている感じの。
そこまでラフではないけど、
余計にサハラ砂漠ではスーツでいた方がいいって格好じゃないから暑いわー。
気化熱って偉大ねって思うけど
明らかに頭が熱くなってきているので、
頭冷やしていた方がいいかもしれないし、
早く空調直しに来てくれる人来ないかなー。
今日は待ち遠しい日だわ。
うふふ。
昼前に空調の人が駆けつけてくれたら嬉しいんだけど、
今日はもう早々に部屋が暑くならないことを願うばかりよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
面白いもんだな。そんなに夢中になれて羨ましい。
おれはスポーツ全般に興味が持てないからオリンピックもほとんど見たことがない。選手の努力も日本の勝利もどうでもいい。
そりゃ中止になったら気の毒だなとは思うけど、コロナ禍で飲食店を畳むことになったおっさんに対する同情と同じ程度。
「努力」にあまり興味がないからかな。アイドルは好きなんだけど、辛いことしてるよりは幸せそうにしててくれる方が嬉しいし。ドキュメンタリーで苦労してるとこ見たりしたら、それはそれでグッと来ることもあるけど、でもやっぱり若くてかわいいからだな。
オリンピックがはじまって、楽しんでいる人が日に日に増えていく。
逆にオリンピックに批判的な層は、楽しむ人が増えていく流れに対抗しようとオリンピック批判の口調をどんどん強めている。
そんな中、両者の中間となる立場として、「今目の前で行われている五輪を楽しむことと、五輪の経緯を批判することは別軸だから、両立してよい」という話が語られ、穏健中間な人たちの支持を得ている。
だが、オリンピックの楽しさと運営への批判を分割する理性を持つのは、現実には不可能だ。
私たち人間は、感情や評価を各論点について分離できるほど理性的ではない。
オリンピックを楽しみながら、開催前と同様の批判意識や不満を持ち続けることはできない。私たちは絶対にほだされる。
そのことはちゃんとわかっておいた方がいい。
もしあなた個人はほだされなくても、人間の大多数はそうできていない。
オリンピックに怒りや不満を持っていた人も、大会観戦を楽しんでいれば、次第に、なんとなくまあそこまで怒らなくてもよかったかな、となってしまう。
不満を完全に忘れることはないし、誰かに聞かれれば「開催のゴタゴタひどかったね」とは言うだろうけど、別に追求しなくてもいいんじゃないという態度になってしまうだろう。
確かに、オリンピック運営や政府に怒りがあるからと言って大会の楽しさを拒絶するのは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの典型である。愚かで頑なな考え方だ。
だが、袈裟を好きになると憎んでいた坊主も許してしまうのもまた、人間心理だ。
それ踏まえれば、ミクロ的には愚かで頑な考えこそが、マクロ的にはベターだということになる。
理想的に実行できるなら最高の選択肢だが、中途半端にしか実行できない現実では最悪の選択肢になる、という逆転が起きるのだ。
そして、理屈ではかなり愚かな選択だが、現実では一番マシな行動になる。
ちょっと図解してみよう。
まず、最大目的を、五輪運営の問題点をちゃんと改善するために今後も批判意識を持ち続けること、と設定する。(批判したくてたまらないわけではなく、問題が曖昧に流されるのがよくないため)
五輪を楽しむか否か、運営を批判するか大目に見るか、2×2で四つの立場がある。
このうち「D:五輪は楽しまないが、運営は大目に見る。」は立場は議論に関わってこないので、除外する。
残り3つを評価しよう。
Aが一番望ましい。Bが最悪。Cはギリ及第点。
「大会を楽しむことと、運営を批判することは別の問題だし両立するから、大会自体は楽しもう」という意見は、Aの最高の選択肢を取ろう、というもっともらしい主張だ。
だが、実際の私たちはそこまで理性的に物事を分割できず、大会を楽しんでいれば次第に批判意識が薄れてしまう。
最高のAルートを目指そうとすれば最悪のBルートになってしまうのが現実、というわけだ。
だからこそ、一見愚かではあっても、Cルートを選ぶために大会観戦の楽しさを拒絶する方がまだマシなのだ。
これはかなりシンプルにした話なので、他の考え方もできるとは思う。
だが、大会を楽しみながらも圧力のある批判意識を持ち続けるのはまず無理だ、というのはわかった上で考えてくれ。
この文章では、愚かな頑なさを保つことのほうが結果的にはマシになることもある、という話をした。
だが一般論としては、頑固な態度は、妥協しないし譲らないという考え方になり、議論や交渉のことに繋がる。
楽しさと問題批判を分割するのが人間に無理なように、自分の頑なさをコントロールするのも無理だろということについては……まあ……なんかうまいことやろう。
・100m
・1500m
・10000m
リレーは全部要らない
・投擲総合
全部の総合点でいい
早く移動したいなら走れよ
射的系
全部廃止、要らない
・自由形100m
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・ダイビング10m
打撃とグラップリングだけでいい
体操はキングオブスポーツなので今くらい細分化されていても良い
・クライミング複合