これまでで1番興奮したセックス
大学生の時にバイトしてたコンビニで、シフトがペアになった3つ上のフリーター女子とヤッタこと
スタッフルームでお客が居ない時間帯にしゃべってたら互いのH経験の話になって、なんか変な空気に・・・
で、キスだけと思ってたのが歯止めが効かなくなって立ちバックでセックスまでいってしまった
興奮した
元増田です。
Le Monde のあの記事を読むには、フランスにおける男女関係のあり方という背景を知らないと、正しく読めないなぁ、ということが、いろいろ調べてわかりました。
こちらでは、「不器用な告白」と「セクハラ」の境目の曖昧さが熱心に議論されていますが、フランスにおける境目はそんなところで問題になっていません。
一応「ウザがらせる自由」と訳した liberté d'importuner ですが、辞書を引いたぐらいじゃニュアンスが全然わかりません。
あるツイートに「 draguer とか séduire はokだけど、importuner は駄目」というのがありました。最初の二つは「ナンパする」とか「口説く」という意味です。
みなさんイメージされるように、フランスの男女の距離感は、日本のそれよりもずっと近いものです。ナンパすることは、男女どちらにとっても、ずっと容易なことです。
レイラ・スリマニの記事でも、自身が男を誘ったりしていたことがはっきり書かれています。
日本ならば、ナンパ自体不快であるという人がいるでしょうが、フランスでは、気に入れば付き合い、気に入らなければ振る、というそれだけのことです。
それはウザいかもしれませんが、そこを問題にしていません。だからウザがられる/ウザがらせるは、importuner ではありません。
ではdraguer, séduire と importuner の境目はどうなっているのか。ナンパがimportunerとみなされて不当に告発されることはないのか。
なぜなら、前者でも十分近い距離感なだけに、 importuner に転んでしまうと、明白な性的侵害行為に踏み込むからです。importuner とは以下のようなものです。
要するに、importuner はここで議論されているような不器用な告白とかそんなものではありません。「ただイケ」でも許されない行為が importuner です。
ですから、liberté d'importuner とは、信じられないかもしれませんが、上記のような「性的侵害をする自由」です。
あの記事は、そんな自由を男に認めてやれ、というものなのです。
このとんでもない主張に賛同している人たちには、かなり特殊な性生活を公にしている方々が含まれていて、とてもフランス人女性を代表するものではありません。
彼女たちの主張を噛み砕いていえば、こうです。
「ちょっと触られたり、下ネタ言われたりしても、どうってことないじゃない。男の性欲はしょうがないんだから、軽くあしらうか、一緒に楽しめばいいじゃない。
それが女の性的自由よ。気に食わない相手なら、一発叩いてやればいいのよ。」
通りで急に抱きつかれた女性が男を引き剥がすと、逆上した男がナイフで突き刺した、というもの。
これでも、ノーという自由があるのか、と。
先に、#BalanceTonPorc は攻撃的すぎる、と書きましたが、ツイッターではなく、このキャンペーンサイトの匿名投稿欄を見ると、そのほとんどがレイプ、残りが未成年に対する性的行為です。
微妙なセクハラ行為をでっちあげているのではありません。怒るべき人が怒っているだけでした。
結論としては、日本における性的関係の問題をこの記事をもとに語るのは、止めたほうがいいんじゃないか、ということです。
実は、はじめあの記事を好意的に読もうとしていました。告白ハラスメントとか、おかしいと思っていますし。
ただ、後半に出てくる「痴漢にあっても、大したことないものと思ってもいい」とか「レイプされても、心は自由」とかが、
Le Monde に掲載されている記事とは信じられなくて、自分のフランス語読解能力がおかしくなったのかと思い、いろいろ調べだしたのです。
結果、あの記事は、穏当な言い方をするならば、私達とは別の世界に生きている人々によって書かれたものでした。何かの参考になるものではありません。
彼女たちは、不器用な口説き(彼女たちだけは importuner を不器用さの結果ということにしたいのです)と本物の性的侵害の区別はつく、と言っています。
でも、その実、巻き込まれてしまう危険を真剣に考えていません。大した事のないものと思っているからです。それが明白になったのが、昨日のテレビ討論会でした。
討論者は、署名者の一人、元ポルノ女優で現在司会者として活躍している Brigitte Lahaie と女性の権利省の大臣 Caroline de Haas の二人。
「あなたは女性の性は弱いものだと思っているけど、そんなことないわ。女性の性的魅力はパワーがあるの。母親は娘にそのパワーの使い方を教えてあげるべきなの」
「でも、その性的魅力のせいで、レイプされ苦しんでいる娘たちがいるのです。その人たちについてどう考えているのですか」
男は大体脚を広げて人の膝に平気で押し付けて来る。真ん中に付いている物があるとは言え
https://twitter.com/joujinakata123/status/952121429339729921
後ろから数えた方が早い席。通路席ではなかったので左右に座席がありました。
会場後すぐに席に着いたのですが、1個空けて左に1人
雰囲気からして1人だと思ったのですが、もしかしたら誰か来るのかも?とか色々思ってたのですが、結局のところ左隣は荷物置き場のまま
はじめてのことでびっくりしました。
色々な理由があったのかもしれません。
友達が急遽来れなくなったとか。
ただ、その方の荷物の置き方は、なんとなく”荷物を置くためにチケットを取った”ようにも感じました。
完売して、来れなかった人もいるのに、実際は荷物が席を埋めてました。
お金を払っていらっしゃるので使い方は自由なのかもしれません。わたしの知らないところでそのような暗黙の了解みたいなことがあるのかもしれません。
ただ、やっぱ1人1席、満席ではなくともより多くの人が参加できてほしかった。
ステージを見ているのはとても楽しかったけれど、すごくそれが気がかりでした。
語彙力はないけれど、気にすることじゃないのかもしれないけれど
ありがとうございます、頑張って働いて金貯めます。
何年も前からうなぎ絶滅の危機って言われてたのに、お前らがやったことと言えばブコメで日本人を馬鹿にすることだけじゃん。他になんかやりましたか?後世から見たらお前らも立派な野蛮人だから。
高校を卒業して、進路担当の先生に勧められるまま地元の工場に就職して働き始めてからもう6年になる。
23歳になった。
世の中に楽な仕事はそんなには無いのは知っているが、零細企業の工場で働くというのは、まぁ、それなりにキツい。
体力勝負だし若い社員が少ないせいで、年配の上司にこき使われる様にして毎日働いている。
若いんだから、という理由でキツい仕事はこちらに回ってくる事も多い。
そんなこんなで仕事を終え、家に帰って両親や弟と夕食を食べる。
大学生の弟が今度彼女とデートしてくると両親に話していて、青春してんなぁと俺は嬉しくなった反面、こう思う。
んー、なんか俺このままで大丈夫なのかなぁ、って。
インターネットでここ最近、所謂「キモカネ」という単語を見かける様になった。
キモいせいで性的な魅力も無ければ、経済力もなく、もう若くない人の事。
三重苦だ。
しかしこういった概念に人を当てはめて、抽象化して判断するのは良くない事かもしれないし、こういう事は個人の問題、という意見もある。
だけれど俺は自分自身に対して将来自分がそういった所謂「キモくてカネの無いオッサン」という存在になってしまうのではないかという危惧感を抱いている。
これは肉体労働系の仕事だから仕方がない事で、そしてコレは全く個人の意見でその上ちょっと極論的でもあるから一般論としては見ないでもらいたいのだけれど、男というのは視野の狭い生き物だ。
話題に上がるのは大体風俗とギャンブルの話ばかりこれに辟易している毎日なのだがこれに加えて、肉体労働系の仕事ではまず自分の見た目に対して物凄く無頓着になる。
まずヒゲを剃らなくなる。ヒゲを剃るために早起きしなくてはいけないぐらいなら伸ばして週一で剃るぐらいが丁度良い。
そして次に顔を洗わなくなる。
うちの工場は粉塵が舞うので人によってはマスクを着用して作業するが、そうすると顔を晒す事が飯を食う時と昼の休憩中ぐらいしかないので、誰も見ないなら良いだろうと、俺のような自堕落な人間は考えてしまうのだ。
そうすると、キモくてカネのないオッサンの「キモい」という条件が完成する。
不潔にしてる奴はキモいのだ。
そして次の問題はカネだ。
カネを自らの欲しいものと交換して得られる幸福感というのは、得てして他人から自分への愛によって得られる幸福感の代替と成りうるので、これを欠かしてはいけない。
うちの会社は金払いが悪い。
俺達は金に飢えたマネー・ドッグスなので金払いさえ良けりゃどれだけこき使われようとも納得出来るのだが、うちの会社の社長というのは安く労働力をこき使おうとしやがる上変な所で見栄っ張りなのだ。
社長が「ウチの会社一部上場したぞう」とドヤ顔で言ってきた時は、これで俺たちの給料も上がる!とまだ若い同期や先輩達と喜んだものだったが、社長がしたのはまず自分のダサイ型落ちのスポーツカーを真っ白の高級ベンツと取っ替えた事だけである。
もし日本が法に縛られていない無法地帯の荒涼たる大地であったならば「白は血が映えるから良い色だよね!!」と叫んで、マチェテを振りかざす気の触れた俺と対峙する事になったであろうから。
それはともかくとして、こういうことがあるのを踏まえた上、6年間も働いているのに未だ昇給しない事も考えると「全く金のない」という事にはならないだろうが、「同年代の中年男性と比べて」金のないオッサン、という事にこのままではなりそうである。
やがて訪れるその瞬間まで人々は悲しみを味わい喜びを噛みしめるのだ。
その様子はまるで狂乱の渦に巻き込まれていくパレードの様で、誰ひとりとしてその宴の列を抜け出す事は出来ないししてはならないのだ。
だがなっていたいのは、自らをキモくて金のない中年だと自称して悲しみに暮れるおっさんではない。
俺はモテなくてもいいし、特別金持ちでなくても良いから(ポップコーンとドリンクを買って映画館で映画が見れて、楽しみにしていた新作ゲームを躊躇なしに買えるぐらいには金が欲しいけれども)ユーモラスなおっさんでありたいのだ。
支離滅裂な怪文書の様になってしまったけれども、自己肯定感さえ持っていればキモカネおっさんから抜け出せると信じていたい。