シチュエーションとしては「サイコメトラーEIJI」とか「先生の白い嘘」みたいなのはあるんだけど、女性側がせいぜい20代後半なんだよなー
ドラマ化した「きょうは会社休みます。」でやっと33歳
そういえば女性が年上の恋愛作品が複数入ってる短編集あったよなーと思ってググったらヤマシタトモコ「ミラーボール・フラッシング・マジック」だった
ただこれも「おばさん」までは行ってない
なかなかむずかしい
女子校生活長いけど、まったく人と違ったことやっても排除されなかったよ。
個々が自由で、好きなことをやっていたけどそれで暮らしにくくなることはない。
進学校じゃなかったからもしれないけど、女子校の自由さは共学経験者としては天国にしか思えない。
多分男子校と変わらない。
可愛い子はみんなに可愛がられる。かっこいい子はひたすらモテる。
色恋でいじめられることもない。
そのわりにみなさん彼氏持ちが多い。
無ければ借りればいいじゃない。
近所の店の前でたまにイベントをやっている。
だいたい聞いた事もない歌手が歌ってたりする。
いつもならあー今日もやってんなーくらいに思ってた。
でも昨日は久しぶりに晴れた日だった。
疲れてた。
でも窓を開けたら歌が聞こえてくる。
我慢できなかった。
店に電話した。
うるさくて窓を開けられないんですけど、と言ったら店側は動揺してた。
イベントは店がやってたんじゃなかった。
商店街がやっていたようだ。
お店の人はとても申し訳なさそうにしてくれた。
イベントは終わったのかやめたのかすぐ静かになった。
ごめんね。
これは普段から映画やアニメを積極的に見ていない層まで取り込んでいるからだそうだ。
確かにプロットも一捻りした謎要素があり、しかし決して難解ではない(見る前からある程度オチが予想できる)
加えて男女の恋愛も盛り込んでいるのだから女性も話に入り込みやすい。
で、だ。
この記録的大ヒットがもたらす今後のアニメの道筋はなんだろうか、と考えた。
主流はやはりTVだ。深夜アニメの数は膨大に膨れ上がっている。
TVアニメの続編、あるいは総集編といった形での映画化は結構ある。
ただそれはTVアニメという土台があり、見てくれる信者がいてこそ、採算が取れるからGOとなった。
かたや君の名は、はどうだろうか。
宣伝がうまかったにせよ、監督のことを知らなかった人も多いはず。
信者以外の人を大勢動員したことで、つまり単発アニメ映画で採算が取れる可能性が見えたのではないか?
崩壊寸前の現場は、君の名はの成功を見て、劇場で見るアニメの可能性を模索し始めているのではないかと想像した。
そもそも発声可能上映だとかペンライトがんがん振りながら見るとかある種の「異空間」を演出できるのが、今の映画館の強みだ。
3Dだって4Dだってアイマックスだって可能性はてんこ盛りんぐ。
ニコ動でコメント打ちながら見るのが新しかった時代は終わった。
これからは、誰かと同じ空間で同じ興奮を味わいながら楽しむ、「ライブ感」が重要になる。
君の名は、はそういったライブ感とは違うけど、皆が見てるから俺も私もという連鎖に入っている。
オタクはもう引きこもっているだけじゃ物足りなくなってしまったんだ。
そして制作側も、あわよくば一般層を引き込める劇場アニメに魅力を感じるかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20160926115144
東京だけだったのが横浜、名古屋、神戸、岐阜、仙台、札幌、松本すら居た
募金詐欺にひっかかってるやつを見ると
残念ながらフィリピンはまだ近代国家と呼べる文化水準には達してないし、
フィリピンをそのような地位に押しとどめてきたのも先進国の連中の甘えであり、
だったら支持した国民ともども皆殺しでいいだろ。反対した1割がジャンキーなんだから、ジャンキーのための国にでもすりゃあいい。
男子校では常に面白いネタに飢えているからおかしいやつほど話題に上がってネタになる
変ってる、変、異常というのはバカにされても人気も出る
特に3年間付き合えばウケ狙いでやってるのなんて見え見えになるからナチョラルに狂ってるやつの行動は
みんな喜々として見入って観察する
大手ということもあって家族も喜んでくれたし、上司も同僚もいい人だった。
でも4年ほど働いてみて、「残業はやめよう!」と部署でスローガンにあげながらも
残業している自分たちが大好きな集団なんだなと思うといられなくなった。
「今月80時間残業はこの人とこの人で、100時間超えはこの人です。気をつけましょう。」と上司から通達が来たが、
80時間を超えなかった人は自分だけで他の人は全員超えてて嬉しそうだった。
月末になると「俺今月80時間行かなそうだから今日は残業して80めざすわ」という同僚もいた。
本末転倒もいいところ。
残業時間のための残業なんて効率が悪いんだろうと思ってその会社は辞めたのが2年ほど前。
そんな辞めた会社が週休3日制導入ということだけど、
来年で30になる。
子どものころ海外に行って別れて、久しぶりに地元に帰ってきたKくんはモデルを目指すという話を噂で聞いていた。
どうにかしなければならないと思いつつも完全に対人恐怖症になっていた。
電車の中の女の子たちの笑い声ですら動悸がして、非常にストレスになる、今思えば完全に病気だった。
あえば当時10年ぶりの再会となるが、俺は旧友とは誰とも会わなかった、会いたいと思わなかった。
その時、成人式で親友だったやつと目があい、頑張って明るく挨拶したが無視されたのを思い出していた。
こんな俺をみてもコメントに困るだろうし、俺もK君の中の思い出を汚したくないし、何よりとても辛いので会うことができなかった。
会わなければいけないことは頭では分かっていたが何もできなかった。
都合が悪いふりをして会わなかった。
ドアには電話番号が書いてある紙がかけられていた。
考えて考えて、やっぱり電話を掛けるべきだと思ったが、とても何を話せばいいのか想像が付かない。
どう受け答えすればいいのか全くイメージができない。
何を言えばあの頃の思い出を汚さずにキラキラとさせたまま期待を裏切らずに電話を切れるのか考えた。
家の前のアスファルトの道路の上に、靴を履いてパジャマ姿で立っていた。
長い時間が経ったように思えた。
答えは出なかった。
それからしばらくはそのことがずっと心のしこりで残り続けていた。
俺はというと頑張って大学を卒業して何とか就職して働きだした。
もちろん忙しいときはそんな暇はないが。
何とかまともな社会人になってきたところでふとそのことを思い出した。
名前が特殊なだけあってネットで簡単に今の近況を調べることができた。
モデルを目指している人間がブログやツイッターを本名でやらないわけがないからだ。
10年前の俺にはできないことをしている。
今度ライブをやるらしいが、あいにく見に行くことができない距離だ。
特に大きな病気もせず活動を続けてきたんだなということがわかった。
残念ながらTVドラマに出まくるとか大ヒット歌手になるというところまでは行っていなかったが。
今の俺は何が違うのだろうか?
今でも俺は自分の武器を取られたらオロオロして自信を無くして取り乱す人間だろう。
少し仕事ができるようになったせいで偉そうな精神性と虚ろな自信を身に着けたから、
今連絡を取りたいとか応援したいとか思い出しただけだ。
要は、自分に必至じゃなくなったから他人の人生にちょっかいかけたくなったのではないか。
どうしてもその疑惑が晴れることはなかった。
俺が伝えたいことはこうだ。
「10年前Kくんに電話をかけなかったのは決して嫌いだとか関わり合いたくないからではなく、
今の汚物のような俺がモデルを目指す君のキラキラとした思い出を汚しかねないと判断したからだ」
「そして汚さないように交流を持つということも当時の俺の能力では不可能だったからだ」
「もし、嫌われたとかそう思っているのなら誤解だ、10年間何も言わずにすまなかった」
「今はバンドしたり歌手をしたりして幅広く活動してると思うけど、もし機会があればライブを見に行きたい、頑張って」
10年後である今の俺に、これを誤解なく、かつ円満に伝えられるだけの自信はなかった。
どうやら俺は10年前の俺と同じように、あの当時から10年後の未来の俺は同じように、
きっとまた連絡を取れずに終わるのだろうか。
俺が自分の心のしこりである重荷を解き放たれたいという欲求があるのか、
それとも未だに自信がなく怯えているのか、
あの当時自分の選んだ選択を一生責任を取って肯定するべきなのか、
難しいことを考えずに連絡を取り、何事もなく終わるのを期待するべきなのか、
Kくんにとって何が望ましいことなのか、古傷をえぐることにならないのか。
Kくんが増田なわけはないが、
万が一にも増田なら、
あの時俺が会わなかったのは、どんな顔で会えばいいのか分からなかったんだ。
電話を掛けなかったのは、どんな話をしたらいいのか分からなかったんだ。
そして今も連絡を取れないのは、もう自分が何を本当に従っているのかも、
すまん、Kくん。
立派になったら連絡を取ると誓ったが、
俺には一生無理かもしれない。
どうすればあの時と10年間を軽く謝って応援できるのかイメージが付かない。
俺は何も変わらなかった。
とても悲しい。
夢を叶えてください。
でも日本語を忘れかけていると書いていたのを見て、
もうこちらでのことは忘れて新しい生活になじむのを優先した方がいいのではないかと
いっしょに遊んだこととか、今でも全部覚えてる。
本当にありがとう。
また、いつか。
Wより