はてなキーワード: Wugとは
企画を立ち上げたヤマカンが完全にいなくなって、監督もキャラデザも変わった新章に対して日々不安が募っている。
ヤマカンが問題のある人物だってのは痛いほどわかってる。ずっとアニメ見てんだから、そりゃそうさ。
「総監督」や「監修」としてクレジットされるのならともかく、全く名前が出なくなったのに何のコメントも出さないって、どういうこと?
黙ってた方がいいってことか。「お察しください」ってか。
まあ黙っておけば、印象最悪のヤマカンが何かやらかしたんだってみんな思うしね。
でもさ、ヤマカンが何か問題を起こしたなら、それこそきちんと彼が不適任であったということを運営がコメントで出してくれよ。
かつての京アニのように。
だんまりよりも、むしろそっちの方が運営はWUGを大事にしてるんだって納得できた。
「WUGちゃんが頑張り続けるのは変わらないから、当然みんな応援してくれるよね。」という考えが透けて見える。
人質を取られている気分。
今まではマイナスな点に対しては全部ヤマカンのせいにしておけばよかった。
ヤマカンも責任をとると発言していたし、少なくともそれくらい本気でやってたと思う。
じゃあ今は誰が責任を取るんだ?誰がプロデュースをしてるんだ?
新キャストの発表会に登壇したのは新章を任された板垣伸監督とMONACA、そして司会の安野希世乃さんだけだった。
運営は出てこないんだ。脚本には「Green Leaves」がクレジットされてるのにね。
そしてまた「監督」を顔にするんだ。
WUGを振り回していたのは本当にヤマカンだけかな?後ろに隠れているのは誰だ?
もし仮に新章がうまくいかなかったら、今度は板垣監督のせいにして、次もまた監督をすげかえてスピンオフか何かで「Run Girls, Run!」を作ろうとかそういう魂胆でしょう。
ずる賢いよね。
ポジティブにとらえれば、不安要素をとっぱらって、商業的に失敗しないようなやり方にして、なるべくWUGが長く続くようにした、と考えることもできるけど。
「ヤマカンがいないだけ遥かにマシだし、WUGちゃんが活動を続けられるのならそれで十分だ」という人が大多数なのかもしれないけど、自分は何かファンが舐められているような気がして、ちょっと嫌だな。
全部説明せなならんのかとちょっとガックリ来てる。「待ってた」じゃねーよ。
違うって。区別する必要あるんだよ。あくまでも主体はエイベックスってことは認識しておかないと話が進まない。
前も書いたように、プリリズのアニメで最初から製作委員会に入ってるし、主題歌以外の楽曲もエイベックスから発売してる。エイベックスサイドから見れば、出資比率の違いはあっても、WUGもプリリズも、自分でお金を出して自分で売るIPだという点は全く同じ。
というのは、一体何を見て言ってるのかと言わざるを得ない。
プリリズが始まった時に主題歌と主演を担当していたのはLISPだった。
もちろん、LISPも81とエイベックスのプロジェクトである。そこだけ見ればWUGもi☆Risと同類であるが、決定的な違いがあった。
LISPは「有り物を集めて作ったユニット」で、まあ傍から見てても本気で売るためには色々問題点があったのは見て取れた。
いやもしかしたらLISPは素晴らしいユニットだったと信じている人も世界にはいるかもしれないが、オーロラドリームの放送開始2ヶ月でユニット活動停止発表とか、普通だったら「正気かよ!」と全力ツッコミ入るレベル。
なのに当時の玄人筋の間の空気感は「まあそりゃそうだよな」の方が多数だったと記憶している。
こっから先は単なる憶測だが、当然、エイベックスの中の人としては
「やはりアイドル声優ユニットを本気でやるには、ミュージックレインのように大規模公募型オーディションを開催してユニット活動を前提に新人を集めるしかない」
そういうわけでまだオーロラドリーム放送中の2012年2月からアニソン・ヴォーカルオーディションが始まります。
といってもアニメ2期ディアマイフューチャーには絶対に間に合わない。
エイベックス的には座組から抜けるわけにも行かないので、まあ実写パートとか韓国資本参入とかいろいろありました(遠い目)。
2012年7月にひっそりとi☆Risが結成されるわけですが、まあ大昔の代アニ全盛期みたいな荒っぽい時代だったら、ゴリ押しで素人のままアニメに出していったんでしょうけど、そんなのが通る時代でもないのでみなさん81の養成所での演技訓練が本業です。
…というわけにも行かないので、いろいろなラジオ局とかレコード会社とかの暇なプロデューサーがよくやるメソッド
「養成所を卒業したばかりの新人や養成所在籍中の子を適当に見繕ってアイドル声優ユニットというていで活動させる」
も発動。
演技力も歌唱力もまだまだ発展途上な子ばかりだし、プロモーション予算もそんなにあるわけじゃないから、ゲリラ的な活動しかできないのもよくあることです。
それらのユニットは9割方、何かのまぐれ当たりを期待する低予算低労力の数打ちゃ当たるプロジェクトだけど、今回は違う。
初期投資が大きいので、いずれ訓練が終わったら、エイベックスが金出してるアニメを使ってガッツリ売り出す気満々であるわけです。
2013年4月にアニメ3期レインボーライブ開始。ここでようやくまず一人だけ、芹沢優が出演。本当は全員出したかったのかもしれないが、時期尚早との判断だったんでしょう。
そういうわけでTRFとコラボったり、赤尾…じゃなくて三重野瞳が山ほど歌詞を書いてるうちに1年終了。
この間、6人全員が一応声優デビューして場数も踏んで、そしてたぶん音楽面のレッスンも順調だったんでしょう。
念のために3ヶ月の準備期間を用意して茜屋日海夏にみんなを馴らしてから(いや逆か)、満を持して2014年7月から主演i☆Ris、主題歌i☆Risなアニメが始まったわけです。
アニメを作るのに必要な時間の長さを考えれば、ほぼ全作業がプリパラと同時並行で進んでいると言っても過言ではない。
要するに元増田が「WUGの成功を見てi☆Risも同じ売り方にした」的な物言いは確かに間違いなのだが、無関係というのも間違い。
実際には単に「同時期に、同じレコード会社がお金を出し、両方とも同じような売り方をしている」でしかない。
あえて違いを指摘するとすれば、WUGの方が中の人とキャラのシンクロ度が高くて演じやすい分、デビューまでの期間を短縮できた程度の差である。
【S*】
【A+】
【A*】
【A-】プリティーリズムシリーズ(女性) ラブライブ!シリーズ(2010-2012)
【B+】けいおん!(劇中歌) SHOW BY ROCK!!
【B*】アイマスミリオンライブ プリリズシリーズ(男性) 中川かのん(神のみぞ知るセカイ)
【B-】アイカツ!シリーズ プリパラ ラブライブ!シリーズ(サンシャイン含,2013-)
【C+】シンフォギアシリーズ マクロスF アイドルマスターシリーズ(ミリオン除) WUG
【C-】
※涼宮ハルヒシリーズ、神のみシリーズなどのようにキャラソン展開を幅広くしていたが主として音楽系で推してない作品性のものは枠外とするが、神のみ中川かのんの商品展開は一つの二次元アイドルコンテンツとして評価
プリキュアは10年以上続いているシリーズだけども、ずっと同じ作品が続いているというわけではないので、毎年最終回を迎える時期には妙な寂しさを覚える。
深夜アニメでは1クール2クールが主流だが、プリキュアは4クールで50話近く続くのだからその分寂しいのだろう。
という単純な話ではない。
長く続いたものが終わるのは寂しい。それは当たり前。でもそれ以外にも(個人的な)理由がある。
年間を通して続くシリーズの特徴なのだが、プリキュアを含め女児向け(キッズ)アニメの多くは時間の進み方が現実とリンクしている。現実と同じように季節が流れる。
当たり前といえば当たり前だが、深夜アニメではこういうのはなかなかない。2期3期とシリーズは続いても現実と時間がリンクしているものはほぼないと言って良いだろう(WUGは完全ではないけどリンクしていた気がする)。
キャラクターの誕生日がわかっていれば、放映中にそのキャラが誕生日を迎えたときには実際にそのキャラが歳をとるわけである。
現在放映中のGo!プリンセスプリキュアでいえば、主人公の春野はるかがノーブル学園に入学してからの1年間を我々は同時に追い続けてきたわけである。
そうすると、プリンセスプリキュアの作品内での時間の流れは現実から引き離される。大げさにいえば、作品内の時間は最終回の時点で止まる。
プリキュアオールスターズという映画を見てみよう。この映画には歴代のプリキュアシリーズのキャラクターが総登場するが、彼女たちは歳をとっていない。
キュアブラックもキュアホワイトもプリンセスプリキュアにとっては大先輩だが、年齢で見たら同じくらいである。
ここで鏡をのぞいて自分の顔を見てみよう。
なんだろうなぁ、放映中は同じ時間を過ごしていたはずなのになぁ……。
アイカツも何やら新シリーズになりそうで寂しい気持ちになりそうだ。
3年半も追い続けてきたわけで、1期と2期の間で作品内では1年間経っちゃうけど、概ね同じ時間を過ごしてきたんだよね。
星宮いちごが中1から高2になるまでの成長を見続けてきたので、もし新シリーズで世界観一新されたら喪失感がすごそうである。
最初にWUG見た時は妙に悪趣味な演出があるなぁなんて思ったものだけれど、見続けていくととんでもなく真っ直ぐな作品であることがわかって、今ではすっかり好きな作品になっている。
で、その「悪趣味な演出」ってのは、ほとんど序盤だけの話で、不思議なことに話が進んでいくごとにどんどんそういうのが減っていって、続・劇場版にまで来るともはや神々しいまでの輝きを放つ作品になっている。
監督のいう「ハイパーリンク」によるものなのだろうか、WUGという魅力的な人間たちに引っ張られてそういう作品になっていったということか。
ある意味ではWUGに最も救われているのは監督なのかもしれない。あるいは辛矢凡氏か。フラクタルあたりから抱え込んでしまったものがどんどん和らいできているような。
まあそんなことを考えながら、序盤に自分の感じた「悪趣味な演出」についてあれこれ考えていた。
WUGの劇場版第一作だったり、TVシリーズ第2話だったりは、言ってみれば「下品」な演出がところどころにある。
ラブホだとか、処女だとか、パンチラだとか、いかがわしい営業だとか。
でもまあ、完全にWUGファンとなった今になってあれこれ考えてみれば、そういう演出もいろいろ意図があったように感じられるようになるものである。
これはいったいどういう目的でやったんだ、と長いこと疑問に思っていたんだが、最近になって自分なりに納得する答えに辿りつくことができた。
これは「小さな少女の第一歩目の決心」とその裏にある「未熟な少女の愚かな危うさ」を表現したのではないか。
WUGが七人そろって初めてステージに立つまでを描いたのが「七人のアイドル」で、つまりはスタートラインに立つまでの話である。
そんな映画のクライマックスにおいて「初ステージ」が気合の入ったダンス作画で描かれる一方で、なぜかパンチラまでもがきっちり描かれており、見た人の多くは困惑したことだろう。
でも、それでいいのかもしれない。
「彼女らの初ステージ!素晴らしい!ここから物語が始まっていくんだね!」というシンプルな感動を狙っても良かったのだろうが、この時の監督はそういったシンプルな描き方をしなかった。
その裏にある危うい面を描きたかった。これは第2話の営業にも繋がっていくことで、少女が覚悟を持って前へ進むことをただ美しいものとして描かなかった。
「思い切って飛び込んでみること」や「あきらめずに続けること」は必ずしも良い結果につながるものではないのだと。
初ステージのパンチラライブは、最終的にはWUGというアイドルユニットの伝説的な第一歩目ということになるのだが、その一方でどうしようもないところまで堕ちていってしまうきっかけにもなりえた。
その一つの可能性として現れたのがゴロツキプロデューサーの須藤だったりするわけだ。
彼女たちがそこでもし間違った決心をし続けていったら、最終的にどうなっていただろう。
だからこそ、そこで一歩踏み出すということは称賛されるべきものでもあるし、危険なことでもある。
島田真夢がI-1clubでしてしまったひとつの決心も、そういった2つの側面を持っている。
それを証明したのは、迷いながらも道を歩み続けた彼女たち自身である。
なんかラブライブについてこんなに熱く語れるなんてちょっと嬉しいなぁ~
あ、まず先に謝るのがラブライブ以外のコンテンツで声優さんたちが頑張ってないみたいに受け取られたならごめんねってこと。
アイマスだけでなくWUGでもアイカツでも、担当する声優さんたちは相当頑張っていると思うよ。俺ら一般市民なんかとは比べ物にならないくらいにね。
だけどライブライブの担当声優さんたちが違うのは、業界としては珍しくいろいろな分野から人材が集められたってことなんだって思うんだ。
んで、そこにいた人たちが他のメンバーに負ける部分をよしとしなかったってこと。
俺も内情知ってるわけじゃないから想像でしかないけど、歌がうまいけどダンスが下手な人と、ダンスが下手だけと歌がうまい人がいたとしたら、普通は勝手に自分の得意なところと苦手なところでいい加減に諦めつけて「まあ自分が苦手な分野はここまででいいかな」って感じになるじゃん?
でも少なくとも3rdくらいまでのμ'sのライブではそういう「苦手だから」ってのを言い訳にしないで、上手い人に少しでも近づこうっていう気持ちだけでそれぞれが頑張ってきたっていうのが伝わるんだよね。
だから結果的にライブでのパフォーマンスでやっぱり上手い人と下手な人の差ができちゃったとしてもどっか許せるというか、そこから愛が深まるというか。
そういう感覚自体がおそらく声優が表舞台に立つっていうイベント方式においては初めてのことだったんじゃないかと思う。
アイマスを悪く言うつもりは全くないのだけど、声優畑出身者だけでユニットを組んでしまうとどうしても「ダンスは下手でもしょうがない」みたいな得意不得意の分野が同じ人だけになってしまうのでそのあたりが「声優イベント」という枠組みから抜けることができない内輪受け的なクオリティになってしまうのは仕方がないことだと思う。
そんじゃμ'sと同じコンセプトであらかじめ違うジャンルから集めたユニットならどうかって話になるんだけど、それは既にμ'sである程度「努力をしても追いつけない壁がある」みたいな認識を世間的に持ってもらえているという甘えがある分、本当に「ダンスがうまいけど演技が下手」「演技ができるけど歌が下手」みたいな人が本気でユニット全体のレベルを高めようという意識につながっていかないんじゃないかなって気がするわけ。
頑張ってないとは言わないけどね、先にμ'sの成功があると「このくらいの下手さは許容されるはず」みたいな気持ちは絶対に出てくるわけよ。
長くなったけど、ラブライブとμ'sが商業的に成功したのはお仕着せのマニュアルじゃなくて、それまでなかった方法をあえてとった戦略と、それをあえて受け入れて最大のベストを尽くしたキャストさんの精神力にあると思うわけ。
ラブライブの声優を担当した9人全員は、本当に運命的に集まったとしか言いようがないくらいに相乗効果のある人達だったと思っているよ。
一部知っている(キュア →アニメ
一部知っている(リズ →パラ転生
知ってる(パラ →アニメ、筐体
知らない(ラ! →ソシャゲ
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ヲタク:アイドルブームが二次元にも影響を与え「かわいい女の子が歌って踊る」という媚に媚びたコンテンツが誕生する。
草分けはアイドルマスターであり、今年で10周年を迎え、近年ではソーシャルゲームとの連携で一大コンテンツとなった。
それと対になる存在と言われているのがラブライブである。若者を中心に急激なブームとなり流行語候補にまで上がる。
三すくみになると思われたWugは見え見えのエイベックスの後ろ盾や、東北、アニメは映画の続きなどの要素が新規を避けそこまで人気が出なかった。が、スクショは任期である。
このように二次元アイドルブームは熱を上げ、その火は女児アニメにも燃え移るが....
その黎明期にプリリズ(3期も続いた)はアイカツに殺された。
プリキュアはちょっと離れた存在。大友に媚びたりクオリティを急に下げたりと調整されていた。
サンリオ群(ジュエルペット)等のキチガイアニメもそっとされていた。
その狂気とアイドルブームを引っ提げて現れたのが、対アイカツコンテンツ--プリパラである。
一方アイカツは初期主人公の変更などで弱りつつも、新規の歌手の募集、「初音ミク」とのコラボなどを行った。
ラ!の展開が気になる。(追記。解散やらいろいろありましたが、新しくサンシャインとしてやるそうです。)
以外なほどはてブしてもらったてレスポンスもあったのでその返信書いておきます亀ですが。
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というかオタク向けアイドルコンテンツの隆盛と、女児向けアイドルコンテンツの隆盛はまったくの別物で、
後者はそれこそひみつのアッコちゃんにまで遡る大御所ジャンルなのでは。
アイドルの定義を私は知らないのですがオタク向けアイドルコンテンツと女児向けアイドルコンテンツは別物であるとは実は思いました。
ひみつのアッコちゃんは源流のような気がします。アイドルとしてしっかり明記されたのはクリィミーマミ、えり子」あたりでしょうか。
アイドルコンテンツは女児も潜在的におっちゃんも楽しんでいることが多いと勝手に仮定させてもらいました。
草分けって
あと、アイカツが初音ミクコラボとか言ってるけど、プリパラはハッカドールとコラボだぞ?
そして女児向け筐体ならオレカバトルの女児向け版のオトカドールも外せない
楽しもうぜ女児ゲー!
オシャレ魔女に関しては書いておくべきだったのですが私がプレイしていた時は『オシャレ対決』がメインだったのであえて省きました。
正直悩みました。ぴちぴちピッチは知名度で省いたのですが、個人的に大好きだったので深く訂正させていただきます。
アイマスは『二次アイドルコンテンツ』として息が長いコンテンツとだけ言いたいです。
プリパラのハッカドールコラボはタカラトミーはあんまり押し出してなかったと思います。宝富だからか。
一方初音ミクコラボはカードを配布したり結構見かけました。個人感ですが。
最後の一言『楽しもうぜ女児ゲー』にやさしさを感じます。貴重な意見ありがとうございました。
ラブライブ!は秋葉原を舞台にした作品で、現在の秋葉原の活気のうち何パーセントかはラブライブ!がもたらしたものだと思う。
じゃあ、ラブライブサンシャインは沼津に活気をもたらすことができるのだろうか。
ここに、制作陣の思惑が多く隠されている。
実のところ、ラブライブが秋葉原を盛り上げたのではない。元々活気のある街である秋葉原を舞台に据えることで、ラブライブは自身の人気を高めていったのだ。オタクの街である秋葉原で、作中作外問わず様々なイベントを展開し、現実ではメイドカフェでサイン入り名刺をファンに配り、アニメでは神田明神の階段を駆け上った。
この、「舞台と共存する」という姿勢がラブライブサンシャインに活かされているのだ。
作品の舞台となることで街を盛り上げる、というのは一筋縄ではいかない。有名な成功例としてらきすたの鷲宮神社やガルパンの大洗町があるが、一方でかんなぎ神社のように現実から擦り寄って失敗した例やラグ輪のように聖地ビジネスありきの企画がさして盛り上がらなかった例もある。
成功失敗を分けるファクターはなんだろうか。作品の質、もちろんそれもある。しかしそれだけではない。
アクセスの良さ、これが重要になる。失敗作はすべて、行きづらいのだ。どこから。もちろん、日本で最も人口の多い東京から。東京以外の場所から近くてもそれは単なる「ご当地」にしかならない。(なお、この成功例がWUG仙台である)
この意味でラブライブの秋葉原は群を抜いていた。東京のど真ん中なのだ。なんという好立地。
サンシャインにはもちろん、ラブライブに無いものが求められる。つまり秋葉原の対極。しかし一方で、完全なド田舎を舞台に据えてしまっては商業展開に差し障る。そこで沼津。
都市圏ではないが東京から数時間。名古屋や大阪といった他の大都市にも近く、関東以外からのアクセスも比較的容易。
富士山と海に囲まれ、単なる作品の舞台探訪として以外にも訪れる価値のある街。
そう、富士である。かつては不死の山として讃えられた霊峰富士を背に、江戸より続く日本の大動脈たる東海道に位置する街。
沼津はスピリチュアルなパワースポットとして一部ドムの間では有名なのだ。
日本の主要パワースポットをすべて繋ぐと、その中心が沼津になるということをご存知だろうか。
ラブライブサンシャインはただの田舎を舞台に据えたのではない。交通の便、純粋な観光、そしてその地に流れる龍脈。沼津は正しく日本の聖地そのものなんだよ!
自分はアイドルマスターシンデレラガールズ、通称デレマスにアニメから入ったクチだ。
元となったソシャゲも多少はやってみたりした。
まぁソシャゲはどうでもいい、今回はこのアニメについて何となくイライラしたので愚痴を書きたい。
簡単に言うと、なんでこのアニメ皆大絶賛してるの?というだけの話だ。
高橋統子監督の手腕が遺憾なく発揮されており、これからのアニメの展開を楽しみにさせてくれる素晴らしいものだったと思う。
正直それ以降は 普通 だ。
本当にアレを見て、皆話を見て今期最高に面白い!と言っているのか?
一話完結にしては確かにしっかりまとまっている。
しかし、正直2015冬アニメなら圧倒的にユリ熊嵐やローリング☆ガールズ、デス・パレード、そしてワルブレの方が面白かったと思う。
キャラは確かに魅力的で生き生きとしていた。
でも、それにはワクワクしない。何故ならそのキャラを知っているからだ。
詳しい話は特にするつもりもない。
ライブシーンも動きが凄いのは凄いが特に目新しい何かがあるわけでもない。
そんなモヤモヤを抱えて後期が始まった。
我慢の限界だ。
確かに色んなキャラが出てきて、なるほど今後これでユニットで〜とは思った。
そこで、あの最後だ。
どうなるか大体わかる。
ロコドル、WUG、アイカツ、プリパラ、ラブライブ!そしてアニマス
まぁマクロスとかそういうのも入れたらキリがないが、どのアニメもストーリーがある。
初めから終わりまでの道のりがあった。
それを楽しみにアニメを見ている、勿論アイドルアニメでなくても同じだ。
劇場版でもっときれいな作画とまとまった話でやってくれた方がいい。
少し話がズレるが前期の主題歌であったStar!!、あのCDを聴いてみた方はいるだろうか。
本当にユーザーを舐めたような音がなっていたと思う。
素晴らしい曲であるが、音が悪すぎる。
アレだけ言われているラブライブ!の方が何倍もマシだ。
しかし、売れるのだ。
音に拘らなくても売れるのはまぁいつものことだが、
でも売れるのだ。
アニメもそうだ。
特殊なことはしなくていい、面白くなりそうなことはしなくていい。
ただ、キャラをたてておけば騒いでくれるのだ。
それが気に喰わない。
歴史に名が残るアニメではない。「伝説の始まりだ…」じゃねえよ。
ただそれだけ。
でも、しぶりんは可愛い。
らんこちゃんもかわいい。
http://ch.nicovideo.jp/gouzou/blomaga/ar610323?cc_referrer=nicotop_blomaga
アイマスって結局ギャルゲーだっていうのがデカいのでは。アイドル活動とか言っても、結局は【主人公=Pとくっつくまで~くっついてから】って話が本筋で。コレ思いつくと、アニメのアイマス(ゼノグラシアじゃないほう)が面白くなかったのってギャルゲー原作アニメで見る、【原作のエピソードをいろいろつまみ食いしたものの、一本道のストーリーとしてはフラフラしてて散漫】ってタイプのアニメ化だったからなんじゃないかと。「終わり」の描き方も、主人公とくっついてすらいないから終われません、ってことなんだろね。劇場版は主人公いなくなるからこれが最終回ってことなのかな、と思ったけど最後にあっさり帰ってきたし。新キャラ出す以外になにがしたいのか結局よく分からなかったな、あの映画。
つまり、アイマスのアイドル活動って学園ギャルゲーの部活シーンくらいの重要度なんだね。主人公とヒロインがくっつくまでの埋草で、ギャルゲー>>アイドル活動。目指せトップアイドル?といっても当て馬になってるかもよく分からんジュピター以外のダレと競争してたんだか。765内で競争する?のかといえば、団結大好き仲良し集団だし。ダンスの作画は結構よかったけど、話の盛り上がりとリンクしてないからへーって思っただけだった。
ラブライブはどうだろう?あの世界のトップ(スクール)アイドルって全国大会の勝者で、全国大会を目指す部活動のストーリーということでいいんじゃないかな。
WUGは・・・とりあえずデビューしたいって気持ちが強かったような。あと幸せについてか。難しいね。
アイマスギャルゲー説で思いついたけど、ゼノグラシアはキミキスのアニメっぽいんだ。一本道の話として面白くなるように原作主人公を分割して散漫になるのを防いでる。なんかロボにもなってるけど。
JKJCが水着でおっさんに接待という筋書きは非常にエロいのだが、映像から受ける印象はあまり下品ではない。
ヤマカン氏の作風はそうなんだよ。エロを描いたからといって、萌え豚を相手にしているとは限らないのだ。
(逆にはがないやニャル子のようなポルノ自体が目的のアニメは、何を描こうが下品だし、萌え豚以外に響くことは無い)
ヤマカン氏のようなインテリが、WUGのような外向きのリアリティや品性を持ったアニメが、
一話二話のような序盤で露骨なポルノを出してきた場合、マキャベリズムの線を考えるのが普通だと思う。