はてなキーワード: 自責の念とは
こんな場所があるのね。
せっかくだからつらつら書かせてもらおう。
お互い結婚は早い方がいいと考えている。
極限までシンプルにするとこんな感じなんだけど、色んな要素が関わって悩んでいる。
といっても、受かるかどうかはまあ分からないし、受かっても配属になる土地は全く分からない。
受かっても落ちても今の職場やめるらしいから、来年以降の見通しは半透明な感じ。
私は働きたい、と思っている。それはそうだろう。
専門教育を受けさせてもらったぶん、社会に還元したいと思っている。
これは彼氏にもずっと前から伝えていて、彼としてもその感情は認めてくれていた。
だけど、問題は「どこで働くか」が明確でないということだ。
もしお互いに試験に合格したとして、遠隔地に配属になってしまったら一緒に暮らせない。
三年も遠距離してると、もうこれ以上無理、って気分になる。
彼は激務だ。週休一日で平日は夜日付回るまで帰れないみたいなのが一年中デフォ。
帰ってきた彼への「おかえり」は今みたいに電話じゃなくて、顔を見て言いたい。
たまにうつ症状が出て薬出してもらう状況にまでなるのも心配だ。
私自身もストレスがすぐ自律神経の変調に出るタイプなので、似たもの同士でメンタルが弱いのだろう。
一人と一人で頑張れるのも、来年には二人で頑張れるんだから、とお互いに言い聞かせてるからだ。
でも一緒にいるためには、どう考えても今年、私が希望の仕事につくのを諦める方がいい。
この事実は受け止めている。
でも、教育を受けさせてもらったのに、それを還元できないのが辛い。
私の志望は専門職だけれど、ほとんど正規の職員の採用なんて無いような分野だ。
けど、彼は二年働いて、かなりの額を溜めた。結婚資金にすると言ってくれている。
苦労させたくない、と言う。
彼は過保護だ。
私を専業主婦にしたい理由は色々あるけれど、「心配」が一番大きいようだ。
セックス一回するだけで頻繁に38度台まで熱が出る。筋力がとても弱い。季節ごとに風邪ばかり引く。
何もしないよりマシかと思って軽い運動を毎日続けているけれど、どれほど効果があるのかも分からない。
お互い子供が欲しいとは思っているけれど、私は体質と遺伝を考慮したときにリスクを感じずにはいられない。
出来れば、まだ体力があるであろう若いうちに出産できたらいい。
そのことを考えると、やっぱり就職してすぐ休職なんていうのも不誠実な気がして余計に悩む。
加えて言えば、私の両親は共働きだ。母はどちらかというとキャリアを重視するタイプ。
母は私に就職して欲しいと思っていて、私が彼との悩みを打ち明けようとすると不機嫌になる。
私同様体はさほど強くないのに、仕事をこなし、管理職にもついている母のことは、尊敬しているからこそ、辛い。
でも、いつか結婚するために、そうやって得た仕事を途中手放すのだろうか? 想像すると、私には苦痛だ。
一番困るのは、「じゃあお前はどうしたいんだ」と言われること。
これに関わる活動は、実は就職しなくてもある程度可能だ。
プロフェッショナルとして、給金をもらう形でしようと思うから辛いのであって、他の道はある。
だから、専業主婦になることは、必ずしも夢を諦めることにはならない。
けれども、彼はそれを「自分の為に我慢させようとしている」と取る。
あるいは母は、「きちんとした職についていない」と取る。
私は、そう思わせること自体が苦しい。
実際、両親には学費を出してもらったのに職につかなかった、という自責の念にかられるだろうとも思う。
今指導していただいている先生方も、私を「社会的に役に立つ」人間にしようとしてくれているのに、と思うと、辛い。
きっと、誰かが何らかの形で心的ストレスを抱えることになる。
それだけはどんな道を選んだって間違いはない。
例えば、どこが勤務地なのかギリギリまで分からない、なんていう制度がなくなったらいいのに。
例えば、子供を産んで、ある程度の歳になってからでも、仕事を始めるのが簡単だったらいいのに。
例えば、私が彼に心配されないくらい、強かったらいいのに。
みんなこういう悩みを処理しながら一所懸命生きてるんだろうな、と思う。
決して緊急の問題ではなく、絶望するほど深刻な問題でもない。
私は体が弱いけれど大病を患っているわけではなく、彼の貯金も仕事につくまで二人で数カ月暮らすには十分だ。
もっと厳しい状況にある友人の話を聞くと、こんなことで悩んでいる事自体が申し訳ないような気分にもなる。
彼女が学校で受けた仕打ちというのはセカンドレイプに当たるのだろうか?
助けられるかって言われたら微妙。
だって本当に冤罪かもしれないし、自分が決定的な瞬間を見てない限り
面倒に巻き込まれたくないから見て見ぬフリをすると思う。
だって自分関係ないし。
そういう思考は倫理的には許されないのは分かっているけど
厄介事を避けたいのは誰でも一緒だと思う。
水掛け論になりがちなところに首を突っ込むのは一番面倒。
二人とも自分の知らない他人である以上、信頼に足る要素が無いから直接見ていない限り
どっちかの味方をその場で判断することが出来ない。
公平な目として実験的に行われてる監視カメラを全国的に導入するのが良いのかね。
なんかヒステリックな女性の被害トークは何度か目にした事があったけど
(その時は痴漢が悪いのは分かってるけど被害女性に同情的になれなかった)
この話は淡々と起きている事・彼女の恐怖心・自責の念が読み取れて妙に生々しく感じる。
本当に可哀想だ。
http://anond.hatelabo.jp/20100630232355
お前は何も悪くない。
真面目そうな性格だから気にするなというのは無理かもしれないが、お前が感じている負い目や責任や自責の念は全部社会から押し付けれれたもので、本来お前が感じる必要のないものだ。
そもそも資本主義のルールは「欲しい物は(出来るだけ)武力以外の方法で誰かからか奪う」いうものだが、このルールは金がない奴や勉強が出来ないない奴等には圧倒的に不利だ。だから貧富の格差が拡大すれば、不利なルールで負け続ける事を強いられた奴等がルールを無視し始める。
ところが日本では教育が行き届きすぎているせいで、皆死ぬまでルールに従い続けている・・・。
だが俺達は人間だ、社会の奴隷じゃない。自分を不幸にしかしないルールに従い続ける謂れな無い義務はない。
俺は怠け者で、バカで、思慮が浅く頻繁に人の気持ちを傷つけるし、金もない。
だが人が決めたルールに従って申し訳ない気持ちに成るつもりも、不幸にもなってやらん。
自分が生きていくために人を殺したり、盗を働く必要が有っても、胸を張ってやってやる。
人生浮沈は付きものだから、ヤケになるつもりはないが、自分の生命と、尊厳を守ることは生き物としての当然の権利だ。ネズミが猫に噛み付く事を禁ず法を作るものはいるだろうが、そんな生物の摂理に反した法に誰も従い続けることは出来ない。
目障りと言われたからって俺達が俺達より強いものの為に従順に死んでやる必要はないんだ。
それからスキルや学歴は大体殆どの人間が似たり寄ったりだからあまり気にする必要はない:一見大卒や資格持ちはスキルを持ってそうに思えるが、多くは実はスキルを持っていない。全部ハッタリだ。TOEIC 950前後や基本・応用情報技術者程度の知識量では今時何も出来ない。それに環境が変わると今までの努力が水の泡に成ることはよくある。本当のスキルは身につけるのに10年以上必要だ(一部例外的な人たちはいるが、一万人にひとり以下)。
欝状態が酷い時は:
1)太陽に当たれ。太陽に当たらないとさらに鬱々として来る。タイとか沖縄とか。夜行き倒れてもなかなか死なない所に行ければ良い。
2)今お前の調子が悪いのは、ホルモンその他に寄るものが大きい。時間が経てば治る。悪く考えるな。人間は群れを作る生き物だから、群れの中の順位争が激化し過ぎたりしないように、ストレスを溜め込んだり、負けが込んだ奴はより臆病に、より馬鹿に、より従順に、より肉体的に弱くなるように出来てるんだ(具体的にはテストステロンの減少等)。ストレスレベルを落として運動してれば治る。
3)病院選びは気をつけろ。欝の症状は(2)の様に純粋に脳の化学的状態によって発生するものだから、薬を飲めば大抵直る。だが馬鹿な医者に合わない薬を処方されると廃人に成から気をつけろ。
4)恥を忍んで信頼できる人に病院選びを頼れ。恥ずかしかったり嫌なのはわかるが、失敗すると厄介だ。
http://anond.hatelabo.jp/20100509080915
増田に同感。
親といえども手に負えないと思ったら縁を切ってしまえばいいと思う。
僕も実は親とは縁を切った。
50歳にして住宅ローンを組んで家を買ったはいいが、父親の自営業が行き詰まりを見せローンの返済に困るようになった。その頃僕はひとり上京していて欝と闘いながらどうにかこうにか生きていた。傷病手当金でどうにかしのぐ日々が続いていたが、一人部屋が欲しいと駄々をこねていたという自責の念から少々のお金だがローン返済に充てるよう仕送りをしていた。
一方、父親と仲の悪い母親はパチンコで借金を作っていた。携帯に母親からの着信があった場合、それはすべてがお金を貸して欲しいというお願いだった。初めは「これが最後だ!」と言いながらも渋々送金をしていたが、送金の条件としていたパチンコをやめることは全然していない様子だった。弟にもお金をせびっていたらしく、ついに僕は電話口でブチギレた。何と言ったかは覚えていないが、金輪際お前とは関わらんとかそんなことを大声で怒鳴っていたと思う。
そうして母親との縁を切ってから、僕はよく父親と連絡するようになった。単身赴任の多かった父親とは子供の頃から疎遠な関係で正直好きな父親では無かったのだが、いろいろと話を聞くに、パチンコ依存症で浪費していた母親に対していろいろと悩んでいたようで、ああ僕は誤解していたんだなあと同情するまでになった。
そして僕にも婚約者と呼べる人との出会いを経て、結婚しようかという時、当然結婚式費用などの話にもなるのだが、そこで父親は「なんで(お金が無いのに)結婚式なんかあげるんだ。式をあげるなら彼女の方からお金を出してもらえ」とまくし立てた。実はできちゃった結婚で、十分な資金を蓄えていなかった自分が悪い。だが、式の費用は両家で折半し、僕の父親にはその負担分は毎月返済するからと話したのだ。それでも父親は文句を言い続けて、ついに僕も切れてしまった。「もうお前とは縁切りだ!」と。
ごたごたを経て、今は可愛い娘を授かるに至った。孫を親に見せられないというのは意外にも悲しいことだと感じる。特に、嫁さんのほうのご両親が孫を可愛がる様子を見ると、僕がそれを親にしてあげられないのはなんと親不孝なのかと悩むこともある。だが、僕も親も金銭的に問題があり、一方がもう一方に頼れない状況でこうなってしまった。母親と縁を切ったのはいいけど、父親と縁を切ったのはちょっと酷だったかも知れない。
これからどうしようか、まあたまに思い出したときに考えている。
かわいそうなひとだなぁ
とくに、忙しそうな人にさらに突っ込むとよい。
そういう人はすでにヘビーロードにあえいでいて正常な判断能力が
低下しているから仕事を断らないことが多い。
彼らは仕事でミスを発生させている場合もしばしばで、それに対する自責の念からも
往々にしてミスの原因は過負荷だったりするけどね。
でもそんなことこっちが知ったこっちゃない。
一度転んだやつは二度三度転ばされるんだよ。
そうやって相手に無茶振りしておけば仕事はこっちに有利にすすめられる。
リソース配分等を冷静に眺めながら「大変そうだから手伝うよ」みたいな
かわいそうに、きみはまったく逆の立場におかれているみたいだね。
こんどからはまず相手を過負荷に陥らせることを念頭において行動したほうがいいよ。
http://anond.hatelabo.jp/20100302142045
いつも、大変だよね。
お疲れ様。
当の本人がかたくなにそれを拒否してるんだけど。
こういうケースって結構あると思うんだけど、ここに外部から人を入れて必要性を理解してもらうってできないのかな?
そりゃ本人は、他人と会うのなんて面倒くさいし、やめてくれって思うだろうけどさ。
もしも事故があって、お母様が亡くなって、後に残るのは元増田だからね。
その後の自責の念をかんがえたら、出来る限りの手を尽くしておきたいと思うのは当然のことだろう。
この問題は何とか解決したいね。
一人で介護をする重さは、肉体的な辛さだけじゃないんだよね。
一人の命に一人で責任を持つという精神的な辛さが乗っかってくる。
元増田の文章を読んで、考えた。
俺、左目の視力がほとんどないんですよ。生まれつきの白内障とかで。
そうなると、両眼視差を利用した立体映像は楽しめない訳ですよ。一生ね。
うわーん。
で、普段は片目でみるのに慣れてるのでなんとも思わないですが、ふと思い出すんですよ。
小学1年ぐらいのときに眼科にいって医者に言われたんですよ。手術でよくなる可能性もあるけどやってみるかいと。
そしたら母親が間髪いれずにいったんですよ、「いいでしょ、見えなくても」と。で俺は「うん」と。
なんかそれをはっきり覚えていて、うわーそんなこというか、と。でも多分お金の問題だろうなと、
すぐさま察知して瞬間的にあきらめてましたね、俺は。
それを思い出すと、やっぱ母親を責めたくなる気持ちがわきあがるんですよ。いやーな気分が。
でも俺も30歳の完全なおっさんなわけで、母親との関係も悪くなく、蒸し返すつもりは全くない。
でもあのとき母親の気持ちはどんなだったんだろうという興味はある。断腸の思いだったんだろうか。
それともあまりたいした問題とは思ってなかったんだろうか。もしかしたら覚えてないかもなー。
で、なんか自分の子供が心臓病とかの難病で寄付とかを募るニュースがあったりするじゃないですか。
あれ、相当しんどいだろうなと。どうすればいいのかと。諦めれば「自責の念 + 親戚の冷たい目」、
そうじゃなければ、すべてを犠牲にしなければならない。あげく死ぬ死ぬ詐欺とかいわれて。
子供作るのって、本当怖いと思う。
厳密に言うと、元彼女だ。遠距離恋愛だったから、彼女未満だったかも知れない。
当時、わたしは肉体的に悲鳴を上げている状態で、昼夜逆転の様な生活を送る彼女とのメッセやスカイプに付き合うことに耐え切れず、一方的に突き放してしまった。
その翌日、彼女は硫化水素であっけなく自殺した。誰にも迷惑がかからないような場所を選んで、最後に会った人にさえ平然とした姿を見せて。
携帯電話はもちろん、メッセンジャー、スカイプ、わたしとのありとあらゆる連絡手段を断ち切って、(恐らく彼女なりに)最も鮮やかに命を絶ったので、死を知らないままを一週間を過ごした。
一週間後、彼女とわたし、共通の友人から連絡をもらった。
「知っていると思うが、あいつが死んだ」
言うには、その友人と彼女はしばらく絶縁状態にあったらしく、気まぐれに仲直りを思い立ち電話したところ、彼女のお母さんが電話口に出て事実を知ったという。
聞くところによると、既に解約してあった携帯を特別に元通りの状態にして対応していたらしい。
その話を聞いて、最初の一週間は、本当に何事もなかったかのように過ごした。
一週間後、後日弔問で彼女の実家へ向かった。はじめて赴く地だったので、不謹慎と言われようが、半分観光気分だったことは間違いない。
到着し、お線香を上げ、ご両親との会話をしている間は、はっきり言えば何も感じていなかったと思う。
けれど、晩酌に付き合って欲しいということで、ワインやらウイスキーやらを傾けているうちに、涙があふれて止まらなくなった。
罪悪感、怒り、自責の念、悲しみ、恨み、諦観、上げれば切りがないほどの感情があふれ出るとは、自分でも思っていなかった。
彼女の死と、自分が誰かの為に本当に泣けるような人間だということ、その二つが、心の堰を破ったのだと、今なら分かる。
それからは、もうダメだった。彼女がいないことのあまりの虚無感に内側から『何か』が穴をこじ開けるような感覚に襲われ、一週間で眠れたのが数時間、という有様だった。
しかも起きている間は延々と彼女のことを思考するばかり。まさに拷問じみていて、生き汚い自分が、はじめて『死ねば楽になる』という考え方を理解した。
勝手に神様を信じたがるし、自分が殺したという罪の意識は膨らむばかり。死別に関する記事を片っ端から調べたり、彼女がネット上で活動していた残滓をなくならぬうちにかき集めたり、
そんなことしかできなかった。
でも、一ヶ月が経って、こんな記事を増田に垂れ流すぐらいには回復してしまった。早々にギブアップして医者に薬を処方してもらったというのも大きいが、
根本的には、気付いたことが二つあったから。
一つは、友達なんていない、孤独だ、と思っていた自分にも、支えてくれる仲間はいくらでもいて、みんな優しいということ。
一つは、彼女が好きだった自分は、幸せにならなくてはならない、ということだ。
ここまで書いて、こんな陳腐なまとめ方というのもいかにも三流だが、これは本当のことについて喋ったことだ。うそつきの自分が、一つのうそもつかないほど、大切なことだ。
わたしは、彼女を絶対に許さない。けれど、今でも愛している。これは、本当のことだ。
24歳女。
進学高校入学後すぐ理由不明の神経症発病。
人生最大の苦しみから、3年時に高校を中退したことでとりあえず逃げ出せた。
通信制高校で単位取得し卒業。しかしかなりのショックとその後続く自責の念。
一度目の引きこもり。
病気の症状はだいぶ軽くなった。人生うまくいくと確信していた。
自分に自信いっぱいだった。
楽しい日々。蘇った私。
しかしそれは長く続かなかった。
気がつけば高校時代の同級生は皆大学卒業し有名企業に就職・・・私は猛烈に焦る。
資格の本、専門学校の本、大学の本、留学の本など読みあさった。
あーでもないこーでもない。私はどうすればいいんだ!
焦り→超前向き、自責→超後ろ向き、この二つの巨大なパワーが交互に私を混乱させた。
「よーし頑張ればできないことない。今までの分取り返すぞ!」「もう死んだほうがいいんだ。どうにでもなれ。」
行き詰った。
そんな中私は何を思ったか半分ヤケで突然今年の3月一人東京に出た。
私は履歴書で1つ目の高校を卒業したと書いていた。ずっとそうしていた。
母親が倒れたと嘘をつき入社を取りやめた。
その反動で再び引きこもって3ヶ月。
東京で一人。
昼夜逆転だらだら生活。
再び「焦り」と「死」。
わたしはどうなるのだろう。
原因は母だ。
いつからかパチンカーとなっていた母は、私が高校入学しバイトをはじめた頃から
私の財布から金を抜いたり、財布ごと盗んで数週間後に何食わぬ顔で「○○の裏にあった」などと
返してくることが常となった。(最初は信じていたが、ある日不信のあまり
母のかばんを覗きみたところ、私の財布と通帳が入っていたことがあった。
母が私にそれを「見つけた」と言って寄越してきたのは10日後のことである)
私は何度もそれを咎めたが「私が寝ている間に"借りるね"といったら承諾した」という
理不尽な言い訳と逆ギレでうやむやにされ、またかんしゃく持ちの父の暴発を恐れて
父に相談できなかった私は結局「学費や生活を保障してもらっている分、必要な経費」と割り切ることにした。
その後、私が大学に進学したと同時に、母が街金に対して450万もの借金を作っていたことが明らかになった。
父は母への不信と暴力的な取り立てへの対応、そして自責の念に苛まれて精神が不安定になり
母も罪悪感とパート勤め、そして波の激しくなった父への対応に神経をすり減らすようになった。
その時点で学費も1年滞納していたことが分かり(学費の半分は私が自分で出していたが、お金自体は母に預けていた)
今後も支払い能力に不安があるということで私は大学3年にして退学の危機に陥った。
私がバイトを増やすことと、今は亡き祖父の協力によりなんとか金は工面できたが、
この頃から母は私にこっそりと金の無心をするようになった。
なんのことはなく、今までの「必要経費の捻出」を母自ら口に出すようになっただけのことだった。
元々家計を省みずに自分の希望を果たすために進学してしまったことへの
罪悪感があったことで、私は特に何も言わずこれに応じていた。
もう借金はないのだし、最初のうちの苦しい間だけ、と思っていたのだが、それがいけなかったのかもしれない。
無心は私が就職してからも途切れることはなかった。
そればかりか、香典やその他もろもろの送金さえ着服するようになっていった。
何度もいいかげんにしろと叫びたい衝動に駆られたものだが
相手は青森、私は鹿児島。眼の届かない場所にいるだけに、母の精神状態が
どのように変動するのか、父の躁鬱にどれほどの影響があるのかが恐ろしく
結局自分が黙って金を払い続けるのが正しいように思えてしまう。
それとは別に父宛への仕送りがあり、母の小口せびりの総額をあわせると
ほぼ私の月収の3/5に相当する。限界は近い。
投稿直後追記:自分を動かす何かを感じたのでこのエントリを書いたのですが、自分でも何を伝えたいのか、どう言葉にすればいいのか、よく分からずに書いたのでgdgdな話になってしまってますがそこは深く考えてないで欲しいです。
http://anond.hatelabo.jp/20090619132014の元増田です。
ただ少し自分の意図と異なるところがあるので補足させて欲しいです。
中には障害に対して無理解な人もいるかもしれない。私も、匿名氏さんに「こんな風に生きにくいんだ」って詳しく聞かせてもらっても、理解しようとするつもりだけど、分からないかもしれない。でも、障害を負った人を社会から排除しようって人ばかりじゃないですよ。
それは分かっています。
幸いにも、自分の周りの人は(父親以外は)とても理解のある人たちばかりで、大変応援していただきました。思い出すと涙が出てくるぐらいです。
話が長くなってしまうのでかなり省略しますが、自分は小学生の頃、不登校になりました。
しかし学校(教育委員会?)側は被いじめ経験のある先生や不登校の生徒を担当したことのある先生をほかの学校から転属させてきたりと、それはもう大変申し訳ないほどの事をしてくださいました。
たぶんあの対応がなければ今の自分はもっと駄目になっていたと思います。
不登校になったり、普通に登校できたり、そういったことを繰り返してやがて小学校を卒業しました。
しかし自分は中学校に行くことはありませんでした。正確には一年の6月までは行きました。
しかしそこからは行けませんでした。
今はそれなりにぼんやりと暮らしていますが、いつも鬱になると「どうしてあんなに周りの人たちに応援してもらったのに自分はできないのか」と自責の念に問われてしまいます。
たぶん幼少期に父親から受けた暴力(父は不登校だった自分を理解しようとせず、厳しく自分に当たっていた)が心に残っているのでしょうか。
それが影響しているのか、タイトル通り「排除される」のではなく「排除されたい」と願っています。
もちろん、本当に排除されたいわけではありませんが、自分は社会から排除されるべき存在だと思ってます。
元増田で「好きな事には没頭できる」と書きましたが、文字通り、本当に好きな事には相当没頭できます。
しかし、少しでも興味のないことには没頭できません。
たとえば、約束を守る、締め切りを厳守するといったことです。
自分は小学生の頃、宿題忘れの常習犯でした。というか意図的に忘れてました。
なぜかというと、「興味がない」からです。
自宅だと勉強する気になれないので、わざと宿題をしませんでした。
この性格は今でも続いています。
だから、締め切りを厳守しなければならない仕事など、到底できるわけありません。
つまり、くそ真面目に働いている健常者の皆さんの支援なしには生きていけないのです。
「支援してもらえるならいいじゃないか」とお思いかもしれませんが、自分にとっては苦痛です。
なぜなら、"自分は何もしていないのに生かせてもらっている"のだから。
だから、自分は「排除される」のではなく「排除されたい」存在なのです。
自分にとっては生かせてもらうのがつらいのです。
好きになったひとが20歳年下でした。
「諦める」なんて考えもしなかったなあ。
過剰なほどに惹かれていたので。
けれども、いつしか酷いことばで傷付けてしまった。
そのひとが大切にしていたものを
たくさん壊してしまった。
自分はどうすればよかったのか。
なぜきちんと謝れなかったんだろう。そんなことを考えつづけて
いまでも自責の念が絶えません。
そして、やっぱり諦められない。
連絡を取ることもなければ、会うこともないのだけれど。
距離と時間を隔てることにしました。
嫌がると思って日記も読まないようにしているのですが、
ほんとうは、そのひとが書いたものを読みたい。
連絡を取りたいと思っています。
会いたくてたまらない。
距離と時間が解決してくれるのかな。
ずっとこのままという気がしてならないのですが。。。
「普通」ってなんでしょうね。
よくわかりません。答えが出ない。
「普通」じゃなくてもいいや、と
最近は考えています。
いい加減、自分とこの同人がどの位売れてて、その上でどの位需要があるのかぐらい把握しておいてほしい
そういう、需要考えずに少部数しか刷らない辺りが如何にも女性向け同人感覚だね
もういい加減、読みたいと思ってる奴を苛々させたいだけならさっさとガンダム00とかの女性向けの同人界隈に移籍したら?
格安で同人誌販売してるから、元手の取れない同人誌の販売はうまみがないってのは理解できる
なら何故DL販売をしない。
すくなくともアレならよけいな印刷費を取られることもなく販売できるはずだが?
読者の煩い追及を避けるためにもDL販売すべきだと思うが、それらしきことはまったく検討してないみたいだし
金がないから大量に刷れないってのもおかしな話だよねぇ
すくなくともあの人一般社会人の筈だから、ニート同人作家よりは金があるはず
大量に刷れば刷るほど一冊当たりの単価は下がる筈なんだから、もっと大量に刷るべきなんだよ
在庫の管理が大変というのも正直おかしな話で、印刷所から委託書店に直接送ればいいだけの話
その大量の在庫が自分の所に戻るなんてのも有り得ない。刊行されて1週間たたずに売り切れるんだから、在庫なんて余るはずがない
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
何というか御免なさいとしか言いようがない
(今までにも散々再販の希望はとどいてたはずで、まさか自分のエントリの所為でDL販売を決めたというわけではないのだろうけど)
非常に申し訳ない。
このエントリを読まれた所為だとすると、もう余りの申し訳なさにたこ氏の顔をまともに見れそうにありません。
またいつものように、散々叫きたてても「あちらにはあちらの事情がある」というヤツで、こんなエントリは一顧だにされないと思いつい暴言ばかりを吐いてしまいました。
ここにお詫び申しあげます。
先日WCから個人情報と引替に「384403」届きました。こうなると不思議なもので、「もう死ね」とか思ってた黒い感情は霧散してしまい、自分の書いたエントリを見なおしてみるに何という酷いことを書いてしまったのだろうと自責の念に駆られるばかりであります。
前の日記「裁判員制度を問い直す議員連盟の主張が判らない(http://anond.hatelabo.jp/20090501004438)」では、はてブ1個と言う寂しい状態ですが、構わず続きます。
『「裁判員制度」凍結、見直しにむけた「12の論点」』はこちら。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/21929301bf51872669470a5abd17bbeb
③「無罪」の判断をしても強制的に「量刑評議」に参加を強いられる
主権者である国民は、日本国憲法第19条によって「思想・良心の自由」が保障されています。多数決で決められた有罪判断の後に、「無罪」の意見を述べた裁判員が、被告人の量刑に関する評議に加わるように裁判所から強制されるいわれはありません。(現在の裁判員法はこの場合の裁判員辞任を認めていない)よって、評決において「無罪」の意見を述べた裁判員は、量刑に関する評議への関与を強制されないこととするべきです。
「無罪・有罪」の評議の後に量刑の評議になる、と言うのは確定情報じゃないですよね。もちろん、殆どの場合そうなると思いますけど。前の日記でも例に出した精神鑑定が議論になるケースで、裁判官はともかく、裁判員はそんなに割り切って判断できないのでは? 無罪はありえないけど死刑は反対とか、無期なら賛成だけど死刑にする位なら無罪とか、そういう人は居ると思う(その考え方が妥当かどうかはともかく)。
それに、大前提として「評議が2択だけで無効票を投じてはいけない」と言う決まりは無いのでは? 少なくとも今現在見える範囲でそんな事は何処にもそんな事は書いてない。増田はただの一般人なので、無効票は禁止されているのにそれが知らされていない、と言う事なら、それはそれで大いに問題だと思う。けど、ありもしないルールを前提に制度批判するのはおかしいですよね。
現状のままに裁判員制度が実施されれば、多数決で有罪が決まり、死刑判決が下される場合が想定されます。無罪と判断して死刑判決に反対した裁判員も、「有罪・死刑判決」に加担したことに、多大なる苦しみと自責の念を抱え続けるおそれがあります。ましてや、判決後に冤罪の疑いが強まり、救援運動が起きた時などの苦悩は想像がつきません。
4月26日放送の『NHK日曜討論』では、但木敬一元検事総長が「模擬裁判でまずかったのは、時間の関係で全部を多数決の評決で進んだこと。せめて、死刑判決だけは全員一致するまでていねいに評議を尽くしてやる必要がある」と発言しました。そうであれば、「死刑判決の全員一致制」を評決ルールの中にきちんと位置づけておくべきではないでしょうか。
死刑だけ特例にする人には「死刑は取り返しが付かない」と言う感情がある様ですが、無期懲役なら取り返しが付くって物でもないでしょう。裁判員が感じる負担云々と言う話に対しては、死刑以外の判決なら感じないとでも言うのか、と言いたい。
取り返しが付かないというなら、無罪はどうなのでしょう。日本の刑法では一度無罪判決が確定したら、例え後から確実な証拠が出て来たとしても2度と同じ罪で裁判に掛ける事は出来ない筈。
冤罪があってはならないのと同じ様に、真犯人が罰を逃れる事はあってはならない訳で、実は有罪だった事が後で判った時の裁判員の負担は多大なものでしょう。特に、裁判員制度では「裁判官がどう判断していようと裁判員が多数派であれば、幾らでも刑を軽く出来る(無罪にも出来る)」訳ですから、プロの判断を押し切って素人判断で無罪にしてしまった、となれば、その後悔や被害者への自責の念は相当なものだと思います。
では、死刑と同様に「無罪判決も全員一致制」にすべきですか? 増田はそうは思いません。全員一致性など無用です。特定の判決だけを条件変えるのは余りにバランスが悪いでしょう。
穿った見方も付け加えておきます。『①思想・信条による「辞退」や面接時の「陳述拒否」が認められない』の中で『裁判員候補面接時に「死刑も含む法定刑を選択出来るか」と問われた国民が、「『憲法19条の思想・良心の自由』に照らして、私はこの質問にお答えできません」と応答した時に「正当な理由なく陳述を拒んだ」として制裁を受ける危険があるのも問題』であり、陳述拒否が認められるべきだ、と主張していますね。これを組み合わせると、「何があろうと死刑反対」の人がその主義主張を隠して裁判官・検察を欺けさえすれば、全員一致制に反対票が入って死刑判決は出ない、と言う事になりますね。死刑を済し崩しに廃止する為に裁判員制度批判を利用している、と言うのは穿ち過ぎた見方かも知れませんが、この2つがセットになれば事実としてそう言う事が可能になります。
実は『「裁判員制度」凍結、見直しにむけた「12の論点」』の中で、増田が最も胡散臭いと思うのはこの2つがセットで出てきた所です。少なくとも『①思想・信条による「辞退」や面接時の「陳述拒否」が認められない』と『④死刑判決を全員一致ではなく「多数決」で行うこと』の両方が同時に修正される事は絶対にあるべきではない、と増田は思います。死刑に賛成するしないの問題ではなく、「裁判員制度」の(納得できない)問題修正のせいで、「死刑」の問題が済し崩しになる事は不適切だと思うからです。
日本国憲法第32条には、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」とあり、被告人の権利を幾重にも規定している日本国憲法の趣旨に鑑みれば、「裁判員裁判」しか選択できない制度は憲法に反します。よって、被告人に、裁判員裁判を受けるか否かの「選択権」を保障するべきです。
そもそも被告に限らず、誰にも「裁判制度の選択権」なんて無いです。
第一、選択権を行使する事に意義があると言う考えは、裁判員付き裁判かそうでないかで被告に有利不利の差異がある、と言う発想ですよね? そんな差異はそもそも有ってはいけないのであって、差異がある事を前提に選択できる様にしろ、と言うのは制度策定の発想として、根底が間違っていると思います。
⑥取調べの可視化が実現していないこと
警察官、検察官が作成した調書の任意性・信用性をめぐる深刻な争いが起こることを防止し、裁判員が適切な事実認定を行えるようにするためには、取調べの可視化(全過程の録音・録画)の実現が不可欠です。現在、警察庁、検察庁において、取調べの「一部」について録音・録画の「試行」が行われてはいるものの、取調べの可視化の「実現」には至っていません。また、国連などから長年にわたって人権上の問題を指摘されている「代用監獄」も存置されています。
⑦公平な裁判のための条件は整っているか
被告人のための十分な弁護活動を保証するためには、公判前整理手続で、検察官の手持ち証拠リストが開示される必要があります。また、「公判前整理手続きを担当する裁判官」と「裁判員裁判の裁判官」が同一人物では、法廷に臨む裁判員と裁判官の情報落差は決定的なものとなり、裁判官のイメージ通りに評議・評決が誘導されるおそれがあります。また、被告人が捜査段階の自白を強要されたものと訴えた場合には、検察官面前調書(2号調書)の採用は禁じることが必要です。
この2つは裁判員制度の問題じゃありません。裁判員の居ない裁判制度ならこの2つは関係ないんですか? 違いますよね。
唯一『「公判前整理手続きを担当する裁判官」と「裁判員裁判の裁判官」が同一人物では、法廷に臨む裁判員と裁判官の情報落差は決定的なものとなり、裁判官のイメージ通りに評議・評決が誘導されるおそれがあります』の部分は妥当な意見だと思います。
放火・殺人等の「重大事件」を裁判員制度の対象とすることを改めるべきです。裁判員となった国民に、短期間で「死刑」か「無期」かの究極の選択を迫るべきでない。よって、裁判員制度の対象事件から、少なくとも「死刑」に当たる罪に係る事件を除外し、軽微な犯罪から審理するべきです。
軽犯罪で裁判員なんて集めてたら年間何人裁判員が必要になるんですか? 凡そ現実性のない主張だと思います。
あと4つ残ってますが、いい加減長いので、一先ずこの辺で終わります。
反応あってもなくても、12個全部書きますよ~。
ほんとは保坂議員のBLOGや、この件で対立して「この問題については、私は一切譲るつもりはありません(http://ameblo.jp/gusya-h/entry-10252659453.html)」とか書いてる早川忠孝議員のBLOGにもトラバしたいんですが、増田ははてな内しかトラバ出来ないんですよね?
http://anond.hatelabo.jp/20090415074829
これの続きようなモノ。
大学を「学校に行けない病気」で退学した私は学校で学んだことを生かせる仕事を探していた。ただ、学んだ分野が環境化学というあまりメジャーじゃなく仕事も少なそうな分野だったので探すのにかなり苦労した。
それでも農薬を作っている会社の研究所に潜り込む事に成功した。
仕事は元々興味ある分野だったし、残業も殆ど無いような負荷も少ないもので学校で学んだ知識と新しく学んだ事でのびのびと仕事することができた。幸いなことに評価も良く順風満帆な日々を過ごすことができた。
しかし、半年ほどして異変が訪れる。
「学校に行けない病気」が再発したのだ。いや、増悪したとも言うべきだろうか。
当時、通勤は電車とバスを利用していたのだが、バスから降りられなくなったのだ。
降りるべき停留所が近づくと段々呼吸は速くなる。動悸もして息苦しく頭が真っ白になる。それは停留所に近づけば近づくほど強くなり、停留所を超えると段々収まり今度は自責の念が私を責め立てる。
「死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ…(以下延々繰り返される)」
と云う言葉で頭の中が支配される。
始めのうちは先の停留所から引き返して遅刻、ということで処理はできていたのだけど、それも数が増えると話は少しややこしくなった。程なく上長から注意を受けた。怖いタイプの人ではなかったので大したことは言われなかったとは思うけど、それが自責の念を増長させた。
注意後は引き返すことすらできなくなり、途中の停留所で降りて、音のしない場所を必死になって探して勤務開始ぎりぎりくらいに休む旨の電話を携帯からした。なぜか解らないけど「音のしない場所」というのを必死になって探していたのを覚えている。
そんなのが一週間くらい続いて、また上長から注意を受けた。今度は上長の上長もやってきて注意を受けた。
いわゆる厳重注意に当たるものだと思う。同時に何か精神的に何か問題は無いか、とも聞かれ初めて精神科を受けることになる。
薬を飲むようになってからは少し落ち着き二ヶ月くらいは普通に出社できた。
このまま何事もなければ今頃私はその研究所で正社員として活躍していたかもしれない。
だけど現実はそんな風にはさせてくれなかった。
年が明けてすぐ再び「病気」は再発した。また一週間くらい行けなくなった。
二度目はなかった。
程なく無理矢理呼び出され、所長と上長の上長と上長の3人と面談となりその場で「今日付で自己都合で辞めてくれ」と言われた。
当たり前と言えば当たり前。でも当時の私には裏切られた思いでいっぱいだった。あんなに評価してくれて良くしてくれたのにあっさり辞めさせられるんだ…って。
「病気」とは別の形で頭が真っ白になりつつその場で辞表を書かされた。
その後、ふと思い立って辞めた大学に復学したけれどこんな状態じゃ学業もできるわけもなく、元々辞めた理由の「学校に行けない病」も再発し半年で再び辞めた。
入学金諸々200万をドブに捨てた。
大学復帰の道も閉ざされた私は仕事を探しては何とかどこかの会社に潜り込み
朝起きる→朝食食べる→着替えて外出る→電車乗る→漠然とした恐怖・不安→目的地駅で降りられない→どこかで降りて休みの連絡を入れる→休み多くなる→呼び出しの電話→クビ
と言うプロセスを面白いように繰り返していた。
そこに休養という文字はなかった。なぜなら家族が「病気」に対しての理解がなかったから。
父曰く「サボってるだけじゃないのか?」
とナチュラルに言うのだから休養なんてできるわけがなかった。
この辺で「社会は、会社は誰も私を救ってくれない。絶望した!」みたいなことを思うようになっていた。
派遣で潜り込んだ会社で宇都宮の世界の誰もが知っているメーカーの研究所に派遣された。
派遣先に上長が私をえらく気に入ってくれたらしく「5年以上の長いスパンで働いて欲しい」とまで言われ、場合によっては正社員雇用も…みたいなことまで言われた。
仕事は化学とはあまり関係のない分析評価の仕事だったけど、仮に在籍していた5流大学を新卒してでも入れなさそうなメーカーで正社員も夢じゃない…みたいな話だったので殆ど二つ返事でその仕事を受けた。
宇都宮はさすがに通勤できないので転居して一人暮らしをすることになった。
初めての一人暮らしは不安だったけど、恐怖の対象であった父や口うるさい母もいないのでむしろ好都合だったし、住環境も周辺環境も恵まれていたし、仕事場まで車で10分。車がないと不便な場所ではあったけど日用雑貨からPCパーツまで車で20分も走らない場所で揃えられたので今思っても最高の環境だった。
そんな中で最近(2009年現在)世に出た製品のさらに次の製品に向けての技術の研究という最先端中の最先端の仕事ができた。職場環境も居室が機械だらけで動作音がうるさい以外はまさに最高。言うことがなかった。
そんな最高の環境の中で多少の休みはあったけれど半年くらい仕事をすることができた。
しかし、そんな最高の環境の中でも異変は起きた。
トリガーはなんてことのない物だった。簡単に言うと部署間での私の取り合い。
私がいた居室は3つの部署が共有していた。
一つは私がいたところ、もう一つは私たちの一つ前、最近世に出た製品の技術関係を手がけていた部署。もう一つは良くわかんないけど別の事していた。
その最近世に出た製品の技術関係を手がけていた部署の係長が「ちょっと最近忙しいから一月くらい手伝ってくれないか?」と言ってきたのだ。今所属している部署の係長もOKしているみたいなことを言われたが、正直行きたくなかった。
と言うのもその係長が生理的に受け付けられないタイプでその部署もあまりいい空気ではなかったからだ。それでも「一ヶ月くらいなら」と、言うことで異動することに了承した。
そこで話が終わればもうちょっとそこでの仕事が長続きしたかもしれない。
いざ異動してみるとその係長から「ここに来たからにはもうずっとここにいてもらうからね♪」みたいなことをナチュラルに言われた。
話が違う!
抗議した、猛烈に抗議した。その抗議は部長を引っ張り出す騒ぎになったが、その決定を覆すにはさらに上の役員を引っ張り出さないといけないらしく、覆すのは事実上不可能だった。
元いた部署で一番お世話になった主任は「あの人はそういう人なんだよ。」と自嘲的に言っていた。結局決定は覆らず、「なんか語弊があったけどこういう事だから頑張ってね♪」みたいな係長二人のサイン入り書面を差し出された私はその日早退した。
そして一週間休んだ。
「ちょっと精神科行こうか」
当時、すでに近所のメンタルクリニックで投薬治療を受けていたけど、それは会社には隠していたので通っている病院とは別の精神科になんとか行くことになった。
そこで「鬱状態」と診断された。
翌日、派遣元の支店長から「支店にちょっと来いやと」いう連絡を受け、宇都宮駅前の支店事務所に向かった。そこで支店長から言われたのは「派遣先から撤退する。お前会社辞めろ」と言う事実上の解雇通知だった。
は?
なんで?
確かに「病気」の事は隠していたけど、事情が事情だし…というかなんで休養とかそういうのもすっ飛ばして辞めろとかになる訳?
抗議した。そんなのおかしい、何で辞めなきゃいけないんだ?
猛烈な言い合いは4時間を超えた。
で、痺れを切らしたのか支店長はこう言った。
「精神障害者は使えないんだよ!!!」
あぁ…。
何かが崩れ落ちた気がした。
支店長がどういう意味でそういったのかは知らない。でも、その言葉はあまりにも無情で残酷で…世間の正論過ぎた。
程なく辞める旨を伝え、それから数日で宇都宮から実家へと帰還となった。
それから仕事を探しては数日でいけなくなってクビになると言うのを何年も繰り返した。
一番行くところまで逝ったところだと、静岡の某宇都宮で居たメーカーの同業他社で、そこはお世辞にもいい職場環境ではなく仕事をした時は2週間くらいで会社に行けなくなった。
で、また数日会社に行けなくなって派遣元から「これ以上休んだらクビにします」と言う最後通告の電話を受けた直後殆ど自動的にアルコールで抗うつ剤その他100錠近くを一気に飲み込んだ。
結果は…今ここに私が居るわけで未遂に終わった。
友人と家族は…多分許してくれたと思う。そう思いたい。
46万円。
退職金という名目だったけど、書面を見ると事実上の手切れ金だった。
「46万円やるからさっさとここから消え失せろ」
コンプライアンス事業部のえらい人が放った言葉は穏やかだったけど実質そんなものだった。
労基とかそんなの以前に服薬の影響で記憶も曖昧な状態でろくな判断能力もあるわけが無く46万円押しつけられて派遣元会社をクビになり、再び実家へと戻ってきた。
その後も会社は行ってはクビになるを何回も何回も繰り返していた。
「休養しろ」とか言われると思うけど、当時金銭的な問題で月に10万以上金を稼がなくてはならない状況で何が何でも仕事をしなければならなく、その上家族も多少の理解は得られたとはいえ病気に関してはまだ「怠けだ、甘えだ」と思っている節があるらしく家にいても正直休まらなかった。
そんな感じでこじれにこじれて今に至り、前述の「会社に行けない 」のエントリーに繋がるわけです。
ちなみにこの会社もクビになりました。
熱意はWebエントリーで落とされても社長に直訴の手紙を出すほどにあった。
技術も気がつけば新入りではずば抜けてあったらしく、赴任先事務所でも即戦力になるほどだった。
でも、会社に行けない、と言う社会人として当たり前のことができなくてクビになった。
結局何やっても、どんな事しても「会社に行けない病」をどうにかしない限り私は社会生活を送ることができないらしい。そもそも社会が私を受け入れてくれないようなのだ。
最近になって金銭的な面が法的にどうになるようになり、少し休養する時間ができるようになった。精神科に通院投薬治療は続いているし、障害者手帳も取得することができた(ただしあまり役に立ってない)
ただ、家庭経済面で休養、はできないらしく、父母からは「最低アルバイトはしろ」と言われてしまった。そんなわけで今アルバイトを探している。なるべく負荷の少ないコンビニとかそんな仕事をいくつか面接入れている。
三十路過ぎて大学中退、しかも職歴むちゃくちゃな私をどこが雇ってくれるだろうか?
しかもフリーターという身分。結婚以前に恋愛もできやしない。そして何より、この先這い上がるチャンスという物が事実上ゼロだという現実に直視しなければならない。
この状況で社会という物に希望を見いだすことができるだろうか?
正直今の私には無理だ…。
学生のころからつい最近まで、僕は生きるというのは基本的につらいことだと思っていた。ところが、そのつらさの大部分が簡単に消えてしまったのでこんなこともあるんだという意味で伝えてみたい。長いので興味があったら読んでください。
中学生のころから、いつも体のだるさを感じていた。お腹も弱く、何かあると下痢してばかり。当然元気なんかあるわけなく、高校生のころもあんまり前向きな人間ではなかった。でも頑張ればなんとかなると思える若さもあり、インスタントコーヒーに砂糖をぶちまけて勉強をしたら大学には合格した。大学では典型的な怠惰な学生で、起きるのはデフォルトで午後、授業には半分も出ていないと思う。無気力で今にして思うと鬱状態だった。
何とか卒業してIT系に就職したが、そこでの仕事の仕方も追いたてられてやっているような感じで、いつも綱渡りをしているような気分で全く余裕はなかった。それでも20代のうちはなんとかなったし、結構業績もあげたので30前半も20代の貯金でなんとかやっていけていた。けれど30半ばになって全く新しい仕事をやらなくてはならなくなり、そこでクラッシュして休職した。復職してからは自分の頭や体の調子を冷静に見るようになって、ヘビースモーカーだったのを禁煙したり、ランニングを始めたり、食べ物に気をつけたりしたところ、少しずつだけど調子は上向きになっていったけど、根本的に何かおかしいと思っていた。以下ここまでで出ていた症状。
(追記)
仕事は、失敗するのが怖くて異常にワークロードをかけてやる。だからうまくいくときはいいけど、失敗すると目も当てられない。うまくいってもうまくいかなくても疲弊してしまう。うまくいった仕事は、人の手助けとか責任がなくて気軽にやったものがほとんど。
こういう状態だから、とても悩んでいろんなメンヘルの本や啓発系の本を読んだけど解決にはならなかった(違う意味で色んな示唆は受けたけど、特に瞑想とか)。ある時アメリカ人の書いた本を読んだところこんなことが書いてあった。
炭水化物を減らす
炭水化物は"全粒"がキーワードです。白いパンや白いご飯、白いパスタなどの精製された炭水化物は血糖値を急激に変化させ、気分をコロコロ変えてしまいます。
「脳にいいことだけをやりなさい」マーシー・シャイモフ、三笠書房
アメリカの啓発系の本は説教くさくなくプラクティカルなので好き(追記:個人的にこの本全体を評価するわけではありません。最後のほうにはカルトっぽい記述もありましたし。要は部分的にでも役立てばなんでもいいということです。)なんだけど、早速玄米やライ麦パンを試してみたところ、頭がすっきりした感じがした。のでさらに調べてみたところ「低血糖症」のキーワードにたどりついた。特にこの本には驚いた。
「低血糖症と精神疾患治療の手引き」マリヤ・クリニック院長 柏崎良子、イーグレープ
この本によると、低血糖症患者(反応性低血糖症の場合))は食後の血糖値が急激に上昇するために、インスリンが出過ぎてしまい3-4時間後に血糖値が異常に低くなってしまうとのこと。血糖値が低くなりすぎたりすると、血糖値を上げるためにアドレナリンやノルアドレナリンが分泌され、
分泌されたアドレナリンやノルアドレナリンが情動を司る脳の分野(大脳辺縁系)を刺激し、感情的興奮(怒り、憎しみ、敵意、焦燥感、恐怖感、落ち込み、悪夢、不眠、自殺観念)を引き起こすため、脳全体の機能のバランスが悪くなり、感情をコントロールできずに「キレる」症状を起こす原因の一つともなります。
攻撃的行動、うつ的衝動、性格の異常化、感情の抑制ができない、判断の統合ができない、引きこもり、自律神経失調症、完璧主義になる、健康の認識基準が低い、自責の念が強い、過度に目的志向型になる、幻聴幻覚の症状、不眠と悪夢、「キレて」止まらない症状、ストレスへの対応、感情表現の欠如
また、コルチゾールも分泌されるが、血糖値を上げるためだけに使われてしまい、アレルギーや炎症が出るとのこと。これも症状ぴったり。
極め付けはこの文章。
青少年期から低血糖症の患者は、低血糖の異常状態に慣れていて、それを通常の状態であると誤認していることもあります。低血糖症がもたらす他の症状のために来院し、検査の結果、低血糖症であることがわかり、治療して後、体質も性格も変わり、自分の健康状態、正常な状態を知って驚くことも多くあります。
これだけ言われたら試すしかないと思い、これで駄目だったら田舎にでも引っ込んで低位安定の人生を送ろうと決心して食生活を試行錯誤の末こんな風に変えてみた。
朝食:ライ麦パン、生野菜、卵、カフェイン抜きコーヒー、果物少し、ジュースなし
間食1:コンビニのミックスナッツを150kcalくらい
昼食:肉か魚でご飯は2口くらい、玄米が選べたら茶碗半分くらい
間食2:ゆで卵
間食3:プロテインとナッツの残り
間食4:寝る前にナッツとプロテイン
(追記:最適な食べ方は人によって違います。低GIで少量頻食にするのがポイントですが、ミネラルバランスを気にして、内臓疾患がないか検査は必要でしょう。)
ポイントは、お腹半分でまでしか食べないことと、空腹のタイミングを作らないことと、ソースも含め砂糖とブドウ糖果糖液を徹底的に避けること。食べるものは基本的にマクロビオティクスに肉と卵を足したものだと思えばいい。最初はSoyJoyも食べていた(症状が重くなければ十分効果があると思う)。酒は翌日に残っていたのが残らなくなったのであんまりセーブしていない(追記:飲む種類は蒸留酒と赤ワインがメインになりました。ビールを飲むととたんにおかしくなるので)。むしろ野菜と肉と魚で飲むと眠くならないし飲むのが楽しくなってきた(甘いつまみは厳禁だけど)。ちなみに、頭が働かない時にブドウ糖や甘いものを、と宣伝されているけど、あれは砂糖業界の陰謀だとしか思えない。その一瞬はいいけど、すぐに悪循環に入ってむしろ悪化する。たんぱく質だって脂肪だって時間はかかるけどブドウ糖に分解される(追記:厳密に言うと糖新生ですね)ので最終的な効果は一緒で、いきなり吸収されないぶん血糖値を上げず安全だったりする。だから泰葉みたいに砂糖を食べてはいけなくて、ふらふらする前にたんぱく質か低GI食品を食べるのが正解。
効果は笑っちゃうくらいすぐ(2-3日で)出た。まず仕事の集中力が圧倒的に戻ってきて、いい資料は作れるし、ミーティングで効果的な発言はできるし、客に嫌味を言われてもこたえない(冷静に指摘としてとらえる)ようになった。寝る前に食べるせいだろうけど、朝は気持ちよく目覚めるし、いらいらすることがないから性格も丸くなった。なによりうれしいのは、以前だったら調子のいい時に思いついたアイデア(プライベート、仕事を問わず)が、昼食をとるとリセットされて全然進展しなかったのが、継続して発展させられること。結構ややこしい問題に関する説明資料を1ヵ月かけてつくって客のお偉方に説明したりなんてことが簡単ではないにしても充実してできるようになって、もしもう少し若い時に同じことができたら、高給取りのコンサルになれたのになと思ったりした。今や仕事の企画を考えるのが楽しくて仕方がない。
ランニングも調子よく、以前だったらハーフマラソンに出るたびに怪我をしていたのが、今回はフルマラソンを走っても3日後には練習が再開できるくらい。胃腸については、お腹を壊すことはほぼなくなり、肉を大量に食べても難なく消化できるようになった。
おまけに、インスリンダイエットとプロテインダイエットを同時にやっているようなものだからいい感じにやせてきた。(追記:もともとやせていましたが、体型は良くありませんでした)
一応病院にも行って、保険適用外の5時間糖負荷検査というのを受けた。検査の最中から慣れ親しんだ嫌な身体的心理的症状が出て、結果は見事に反応性低血糖症(200以上に上がった血糖値が4時間後に50近くまで落ちた)だった。念のためこれも保険適用外のサプリ(結構高い)も買ったけど、なくても食事だけで十分効果があるのはわかっているのでいつでもやめられる。低血糖症を治療することでうつ病だけでなく、統合失調症も良くなるらしいとのこと。統合失調症になったことはないのでよくわからないけど。ただ、不定愁訴系はかなり治るような気がするし、いらいらしてキレやすい犯罪者やDQNは、自分もそうだったから治療可能だと思う。
何をやったらいいかわからなくて無為に時間を過ごして、無力感と自責感にさいなまれながらだらだら遅くまでいた以前とは大違い。一日集中できるということがいかに素晴らしいか痛感する。マネージャーだったころに人系のぐだぐだでとても疲れたことがあったけど、そういう仕事も懐深くできるような気がする(あくまで気がするだけだけど)。
プライベートでもランニングがこれまで以上に楽しくなったほか、もともと好きだった音楽や映画も心の底から楽しめる感覚が本当に久しぶりに戻ってきた。今はドアーズを聞きなおして曲の良さにほれぼれしているところ。味覚も鋭くなって、豆や野菜の自然なおいしさがよくわかる。自然のおいしさを理解して生かしている料理を食べると嬉しい。二度とチェーンの居酒屋なんか行けないけど。妻や友人と過ごす時間も増え、こんな簡単に幸せになっていいんだろうかと思う。経済的な不安はまだまだあるけど、幸せっていうのは結局自分の状態のことなんだなと実感した。
ともかく空腹感や満腹感で良くも悪くも気分や体調が変わってしまう人は試したほうがいいかも。症状が治まった目で見るとそういう人がとても多いように見える。アメリカでは保険適用で、4,000万人くらい潜在患者がいるとのこと。日本で普通の治療になったら、長期のうつ病や進行した結果としての糖尿病やメタボが過去のものになるかもしれないと思う。
(凄い久々の追記)
基本的に同じ食生活を続けていい調子ですが、最近もしかしてセリアック病なんじゃないかと考えだしました。セリアック病による自己免疫不全でお腹の具合が悪く、小腸から栄養が吸収できないということなのかもしれません。糖尿病の併発も多いようで、結局は低血糖症で言われているのと同じ現象が発生し、治療法もほぼ同じとのことです。将来的にここらへんが統一的に説明がつくようになるのかもしれません。
(またまた追記)
セリアック病のテストではネガティブでした。ただセリアック病を疑うのと前後して、ハーフマラソン後に誤って飲んだオレンジジュース(炭水化物30g)で体が発狂(痙攣と胃腸障害)したので炭水化物不耐性なのだろうなと思います。炭水化物不耐性→現象としての低血糖症という感じです。
才能のある人を見ると嫉妬する。
に出てくるような・一定の評価を得ているような「才能のある一般人」である。
自分も、ピアノはある程度弾けるし、歌もうまいと言われている。が、弾いてみたのレベルには到底達していないし、晒せるほど歌もうまくない。
それに、自分は上の人間のレベルに達しようとすると「趣味」が「苦痛」になってしまう。「修行」と同じような感じだ。
いや、苦痛に耐えられなかったから器用貧乏な自分がいるのだろう。
多分「弾いてみた」の人はそう言う苦痛を感じなかったか、感じていても克服したのだろう。からくり熱中少年物語に関しては苦痛を微塵も感じさせない。
それが、羨ましい。
チヤホヤされるとかじゃなくて、そう言った才能そのものが羨ましい。
そして、努力をしてこなかった自分をすごく後悔して、自責の念に駆られる。精神が落ち込んでる場合にはPCやテレビを放り投げたり、死にたくなる。
あと、そう言った才能があれば、人生がもっと楽しくなるだろうし、没個性化された事務の仕事なんてやってないんだろうなぁ・・・と思う。
こうやって増田に書き込みをし、一定量のトラバを貰う記事も書けているようだ。それに関してははてなーに感謝している。
だが、アルファブロガーになれるかと言ったらほど遠いし、文章内容でもかなわないし、そもそもなろうという勇気が無い。
どうしたものか。
何度も何度も同じ間違いを繰り返して、申し訳なくて申し訳なくて、「死んでお詫びしたい」と何度も思った。逆に「死んでお詫びしたい」という思いが、自分をさらに責める原因になって、また間違いを繰り返した。で、昨日、すごい優しいボスに初めて怒鳴られた。「そういう精神的な理由なら、端的に言って君には適性がない。この仕事をやめた方がいい。」
その時、初めて分かった。「あぁ、この人には、失敗すると死んでお詫びしても許してもらえないけど、成功せずともせめて失敗しないようにそこそこの成果さえ出せれば許してもらえるのか。」と分かった。失敗すると死んでも許してもらえないことが、そこそこの成果を出すだけで許してもらえるなんて、この世間は、何と優しいのだろう、と思った。
そうか、話は簡単だったのだ。自責の念や反省して落ち込んでいる姿を大げさに見せることは、全く求められていなかったのだ。そんなことをしなくても、単に成功すればいいだけだったのだ。
子供のころから、目上の人に叱られたとき、落ち込んで見せたり自分を責めているように見せたりすると、相手が自分をなだめてくれるのが体に染み付いてしまい、いつしか「死んでお詫びしたいと思っていれば、失敗しても許してもらえる」と思うようになっていた自分に気づいた。ありがとう、ボス。直接関係ないけど、ようやく目が覚めました。
追記:
2009年01月24日citron_908citron_908増田でも目が覚めたからって仕事が出来るようにはならんわけでしょ。どうすんの?向いてないとして仕事やめるの? / とはいえ人生に向いてないから人間辞めるのはまた別の選択だしな…
今、仕事が出来てない理由の大半は、その「死んでお詫びしたい」という気持ちが自分を邪魔していることにあったので、これで、少しは仕事の出来が改善されると思う。それでもだめなら、またそのときに考えればいいでしょ。今考えても仕方がない。今、やるべきことをやる方が大事。
自殺って昔はすごいマイナスイメージだったけど(今でもプラスのイメージはない)
何年も前に少しだけ仲良かった人に、「自殺っていいと思う。だって自分でその日を決められるから」と言われ、
とても驚いた記憶がある。それからは、自殺は自分の都合のいい日を選べて、それまでに準備もできるから、いいのかなーなんて思うようになった。
人に迷惑かけるような自殺方法は良くないと思うけど。
どんな死に方したって、どんな形であれ最低限親族は葬式をあげるんだろうから、
自殺でもいいじゃんなーと思う。ただ、周りはショックだよね。事故よりも。
私の友達や仲の良い人が自殺したら私は絶対自責の念にとらわれ続けると思う。
でも、自分だったら自殺前夜、大好きな友達と会うとか、電話するとか、すると思う。
聴きたいことはただひとつ。
自分のことを好きでいてくれたかどうか。
うそでもなんでもいい。好きだとか大事だとか、そう言われてから死にたい。
某大学院の修士2年で,この1ヶ月で修論を書き上げるだけの,単位も揃った修了見込みの状態です
なのに,まだ目立った実績も上げられていません
諦めてもう1年やる事になるのか,中退して別の道を探すのか,そういう想像しか出来ない状態です
企業の内定はもらっているのに,当然取り消しになるでしょうし,
奨学金を2年間もらっていたので,ドロップアウトしても借金だけが残ります
修論の内容としては,ほとんど実績の無い状態ですが,
それをこなすだけで精一杯の毎日でした
その頃,任されていた仕事が重すぎて,精神的におかしくなっており,
出来そうにもない事をよく考えず,できると言い放ってしまい,
いざやろうとするとどうすればいいか分からない事に気付き,
1ヶ月間,放心状態が続き,自殺も考えましたが,なんとか踏み止まりました
年明けからどうにか手を付けようと,頑張ろうとしているのですが,
もう手遅れなんじゃないかと,諦めそうになるばかりです
与えられた課題をこなさなかったりしないと,
滅多にないと聞きますが,
卒業できないものですよね
どんなにクオリティの低い修論でも,どんなに馬鹿にされてもいいので
卒業だけはしたいです
この間、飲み屋で隣に座ったオヤジに言われました。その後は延々と説教ですよ。
働かなくても、結婚したら三食昼寝付き。は?いったい、いつの話ですか?
このおじさんはいったいどこで時が止まってしまったのだろう。頭がバブルの時のままです。
産めよ増やせよ言われて、今後は女性の労働力も必要だと言われ。デブは醜い。時代は貧乳だスレンダー美人だ言いながら、出生児の平均体重が下がってる。女性の過度なダイエットが原因だ!とかニュースで言ってるし。
どうしろと言うのです?
男はただ黙って働いてるだけで、世間的にはその役割を果たしていると評価をされる。
女は結婚したら苗字が変わるし、妊娠したら体型が変わる。出産したら、それこそ赤ちゃん中心で生活そのものがかわります。
独身で働いていれば、そろそろ結婚しろと言われる。「なんで結婚しないの?」と聞かれる。結婚したらしたで、早く孫の顔が見たいと言われる。少子化対策に貢献しろとニュースでも言ってる。でも産んだ後の責任は親だ。しかも教育面では大部分が母親だ。
乳飲み子を放っておいて母親が飲みに行けば、子供を放っておいて…と言われるが、父親が飲みに行けば、それは「必要な男の付き合い」だ。
母乳が出ないから?粉ミルクがあるじゃん。世話できない理由を探すのだけは上手だよね。
そして最後の訴えは母性ですよ。なんでも母性によって解決です。父性は乳飲み子の面倒を見るときには働きません。立派な広い背中だけ見せときゃ、オールオッケーです。
朝ドラでもそう。なんで吉田栄作がボクシングはじめたのか理解できない。それでなんで親子がわかりあえたのか、サッパリです。
専業主婦でいれば働かないことで肩身が狭く、働いていれば「子供に寂しい思いをさせてる」と思って自責の念。ご近所付き合いも親戚付き合いもしっかりやらなければならず、気の休まる暇はない。
そして休日はパチンコ、たばこもやめられない借金ングの旦那が言いました。「女はラクでいい」と。
泣けばなんでも許して貰えると思ってるって。
許して欲しくて泣いてるんじゃないんです。愛し合って結婚したと思ってて、それなのに気持ちが通じなくて絶望してるんです。甘やかして欲しいんじゃない。理解が欲しい。
ただ「頑張ってるね」って認めて貰いたかった。
私の父は自衛官で定年退職したのだが、数年前に黄綬褒章?だか、なんだかを貰った。
公務員は安定しているからと選んだ仕事だ。人手不足の時代に「是非、うちに来てくれ!」と言われて就職し、遅刻や欠勤に気をつけ、言われた仕事をただソツなくこなしていれば、後は勉強などしなくても順調に出世できた。
一日中ソファに寝そべって、テレビを見ながら「最近のテレビは下らない」と文句をたれ、朝のニュースの、みのさんの煽り文句に「本当に日本の政治家は使えない」と文句を言う。定年退職後の父の寝食の世話をしているのは母だ。
母には定年退職はない。専業主婦をして労働報酬を得ずに暮らしてこれたのは、父のおかげ。母が年金をもらえるのは父のおかげ。だから現在、父がどれだけ暇をもてあましていても、家事をする必要はない。
私は子供一人抱えて、慰謝料も養育費も貰わずに、これからの世の中を女手一つで渡って行かなきゃいけない。地方の中小企業なんて、吹けば飛ぶようだ。この五年間で、いくつもの取引先が潰れた。売掛が飛んだ。
うちの会社もいつ潰れてもおかしくないと言われ、それに備えて勉強した。
娘が一人いる状態だったので、両親に協力してもらいながらFP3級の資格を取った。
今は2級の勉強をしながら、コネも経験もない人間が、どううまくやっていけるのかを悩んでいる。
同世代の友人が服や化粧品ヤアクセを買って女盛りを楽しんでいる様を眺めながら、やっと500万貯めた。
その父が言いました。「女はラクでいい」と。
両親の協力には感謝してる。もう独身で生きていく覚悟も出来た。
なのに父は未だに私が結婚するべきだと言う。それが父の世代ではフツーだからだ。
今のギリギリ二十代のうちに見合いでもしておけと。誰か紹介してもらうか、と。
そして母のように、贅沢はできなくとも安定した暮らしをしろと。
その方が子供の為だと。
うんざりだ。
母のことは好きですし、尊敬してますが同じ生き方をしようとは思いません。
さまざまなプレッシャーの中で子供を育て上げた後に、今度は旦那の面倒をみなきゃならないなんてゴメンです。向上心のない人は尊敬できません。尊敬できない人の面倒はみたくありません。育ててもらった恩は孫を産んだ時点で返したつもりでした。
出戻ってしまって、またお世話になっている状態ですが申し訳ありません。少ないですが家賃入れてます。今後もっと増やしたいと思ってます。
子供も明るく健やかに育ってます。今は片親だからと言って差別されることもありません。
将来、介護が必要になった時はプロにお願いして下さい。薄情な娘でごめんなさい。私は善意だけで自分を犠牲には出来ません。
そうは言っても一緒に暮らしているのだから、そんな事は言ってられませんね。
すいません。分かっているのですが、まだ覚悟がありません。
なるべく元気でいて下さい。そして痩せて下さい。どう母と協力しあっても女二人で90kgをお風呂に入れたり寝返りさせたりなんて毎日出来ません。
それにしても資格はとったものの、やっぱり転職するには厳しい。だけどバツイチ子持ちで出世の見込みがない。
地方の中小企業では女性は、相変わらず男性の補佐だ。当たり前だけれどバイトも禁止。
経費削減の為に残業もしちゃいけない。夏はクーラーがんがんにするクセに、冬になると暖房費節約と言って暖房を消される。そりゃあんたらはスーツ着てれば寒くないよ?
でも女性社員は制服なんだよ。膝丈スカートなんだよ。冷え性になっても風邪引いても労災なんかおりねぇってのに、何が「日頃の自己管理がなってない」だよ。「動かないから太るんだ」とか言って、デスクワークの人間が勤務中にどう動きまわれっつーんだ。
そんな上司が言いました。「女はラクでいい」と。
女は会社クビになったら、体を売れば金をもらえるからだって。今の時代、美人で若くなきゃ稼げねぇっつの。
ちょっと漫画のキャラが非処女だっただけで大騒ぎになる昨今、SEXで金を稼いでた女なんて汚物扱いに違いない。
努力すれば結果が得られる人間が努力もせずに何を言ってるんだろう。
こっちは女だっていうだけで、自動的に出世コースに乗せてもらえず、給料は上がらないまま仕事量だけは右肩上がりで増えているのっていうのに。
こんなことを言った所で男の人には男の人なりの苦労なり、努力なりがあるのでしょう。
別れた旦那は優しい人だった。いいところも沢山あった。父も男尊女卑傾向があるものの、それでも教科書通りの『昭和のお父さん』を立派に勤め上げてくれた。上司も仕事の上では尊敬してる。なんだかんだいっても私が会社にいられるのは上司が営業して仕事も持ってきてくれるからだ。女の敵は男じゃない。
男の人から見れば女はラクかもしれない。
でも自分らしく生きようと思ったら、ラクなんかしてられません。
そして私は苦労を自慢したいんじゃありません。ラクをしたいんじゃありません。頑張りたいんです。
ただ「頑張ってるね」って言ってもらえれば、有頂天になってまた頑張れるんです。
私はその言葉が欲しい。