2009-12-07

彼女自殺して一ヶ月が経った

厳密に言うと、元彼女だ。遠距離恋愛だったから、彼女未満だったかも知れない。

当時、わたしは肉体的に悲鳴を上げている状態で、昼夜逆転の様な生活を送る彼女とのメッセスカイプに付き合うことに耐え切れず、一方的に突き放してしまった。

その翌日、彼女硫化水素であっけなく自殺した。誰にも迷惑がかからないような場所を選んで、最後に会った人にさえ平然とした姿を見せて。

携帯電話はもちろん、メッセンジャースカイプ、わたしとのありとあらゆる連絡手段を断ち切って、(恐らく彼女なりに)最も鮮やかに命を絶ったので、死を知らないままを一週間を過ごした。

一週間後、彼女とわたし、共通の友人から連絡をもらった。

「知っていると思うが、あいつが死んだ」

言うには、その友人と彼女はしばらく絶縁状態にあったらしく、気まぐれに仲直りを思い立ち電話したところ、彼女のお母さんが電話口に出て事実を知ったという。

聞くところによると、既に解約してあった携帯を特別に元通りの状態にして対応していたらしい。

その話を聞いて、最初の一週間は、本当に何事もなかったかのように過ごした。

一週間後、後日弔問で彼女実家へ向かった。はじめて赴く地だったので、不謹慎と言われようが、半分観光気分だったことは間違いない。

到着し、お線香を上げ、ご両親との会話をしている間は、はっきり言えば何も感じていなかったと思う。

けれど、晩酌に付き合って欲しいということで、ワインやらウイスキーやらを傾けているうちに、涙があふれて止まらなくなった。

罪悪感、怒り、自責の念、悲しみ、恨み、諦観、上げれば切りがないほどの感情があふれ出るとは、自分でも思っていなかった。

彼女の死と、自分が誰かの為に本当に泣けるような人間だということ、その二つが、心の堰を破ったのだと、今なら分かる。

それからは、もうダメだった。彼女がいないことのあまりの虚無感に内側から『何か』が穴をこじ開けるような感覚に襲われ、一週間で眠れたのが数時間、という有様だった。

しかも起きている間は延々と彼女のことを思考するばかり。まさに拷問じみていて、生き汚い自分が、はじめて『死ねば楽になる』という考え方を理解した。

勝手神様を信じたがるし、自分が殺したという罪の意識は膨らむばかり。死別に関する記事を片っ端から調べたり、彼女ネット上で活動していた残滓をなくならぬうちにかき集めたり、

そんなことしかできなかった。

でも、一ヶ月が経って、こんな記事を増田に垂れ流すぐらいには回復してしまった。早々にギブアップして医者に薬を処方してもらったというのも大きいが、

根本的には、気付いたことが二つあったから。

一つは、友達なんていない、孤独だ、と思っていた自分にも、支えてくれる仲間はいくらでもいて、みんな優しいということ。

一つは、彼女が好きだった自分は、幸せにならなくてはならない、ということだ。

ここまで書いて、こんな陳腐なまとめ方というのもいかにも三流だが、これは本当のことについて喋ったことだ。うそつき自分が、一つのうそもつかないほど、大切なことだ。

わたしは、彼女を絶対に許さない。けれど、今でも愛している。これは、本当のことだ。

  • 分かったから「孤高の人」でも読んでろ。「闇金ウシジマくん」でも「ヒメノア~ル」でもいいけど。 …なんで最近は成年誌に鬱漫画枠が出来上がるようになったんだろうな。

  • …で、彼女の事は? 単に、観光気分プラス悲劇の主人公になってみたい気分だっただけでしょう。

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