はてなキーワード: 抱き枕とは
巨大なサメがウヨウヨしてる池の上をグライダーで低空飛行していた。何度か食べられそうになった。
やがて汚れた肌色の壁の洞窟に入った。先導する親父曰くこの洞窟は生きている、話しかけると反応するからくれぐれも気を付けるように、とのことだった。
中は狭く窮屈だった。「天井を高くしてくれないか」と僕が言うと汚い肌色の壁はクネクネと動き出し、ズズズズズと3メートルほどの高さまで持ち上がった。本当に生きているようだ。
調子に乗って「人の形になれ!」と言ったら女豹のポーズの下半身だけが召喚されるみたいに出てきた。
外見はマネキンのようだが柔らかく温かい。さらに指を穴に突っ込むと湿っていたのでこれはいけるぞ、と確信した僕は冒険そっちのけで全身を作ってくれ!と言った。
しかし地面からニョキニョキ生えてきたのはバランスの歪んだ気色悪い身体だった。ビニールタイプのダッチワイフみたいだった。それでも一応触れるとぬくもりを感じるので抱き枕にはいいなと思った。
なんとか工夫を凝らして納得のいく一体を作り上げた僕は洞窟を撤収して池のほとりで行為に臨んだが、気持ちよさは無だった。
ふと横を見ると対岸に二人組の男がいた。双眼鏡でこちらを覗いている。
不気味なので場所を移動したがどこへ行ってもその二人組は無限についてくるので行為を諦めて街に戻った。
街では何か事件が起きたらしく騒然としていた。「お前が犯人か!」とそばにいた警官に詰め寄られた。僕は人形を見せながら無実を証明して免れた。
https://shonenjumpplus.com/episode/14079602755425726897
はてブにしろジャンプラにしろ、読者の感想では、リアリティが無いだの漫画だろ楽しめよだの、ちょっと揉めてたりして。
最初は自分も細かい設定の粗を突っ込みたくなったけど、読み返すと、この漫画への突っ込み欲求はそれ以上に、本質的な主人公の人物像の気持ち悪さに起因しているのだと思った。
長期間不死で虚無的になった人物が有限な生を持つ人間とのふれあいで変わる、というのは割と使いまわされたプロットだ。
この漫画が変わってるのはそこからで、彼女と長年共に過ごしてそして彼女が死んでも特に主人公は変わらない。(主人公が既に3000年生きてきたならともかく、350年のうち50年は短い期間ではないだろう)
数百年ぶりに温かい言葉をかけてもらっても、自分を描いた小説を読んでほしいと言われて喧嘩しても、主人公はゲームやろうぜとしか言わない。
死んだ時も涙も流さないし、彼女が一生をかけて書いた全50巻の原稿を書斎で見ても、片づけるの面倒だ、もっとゲームしろよとしか言わない。
彼が変わるのは、娯楽を探している時に街中で小説がベストセラー化しているのを見るのがきっかけだ。
それまで数百年にわたり他人や社会を拒んでいた主人公は、"売れている"・”売れているなら面白いだろう”という極めて当時代的な価値観を突如受け入れて、それを以て急激に変貌する。
字も数も読まず他者とろくに交流しなかった主人公が、ベストセラーになってるのを見ると急にそれまでの生きざまを翻してしまう。
彼女の思いよりも、過去300年の生涯で築かれた自分の人格よりも、世間で売れていることの方が主人公にとって重要な事実だったということだ。
彼女が死んだ後にうず高く積まれた原稿を見て、そのまま書斎で読みだし自分と彼女を顧みるなら、ツッコミはあったろうがここまでは多くはなかったのではと思ってしまう。
彼女の視点を仮定すると、自分の生涯を費やした作品でありあれだけ言葉を尽くして読んでほしいと願った作品なのに読んでもらえず、世間で売れてるからって理由で初めて読んでもらって嬉しいのかとも思ってしまう。
不死の人物と有限な人間のふれあいで変わるというありふれたプロットは、最初の数ページで読み手も暗黙のうちにある程度展開が予想できるし、一定の像を期待して読み進む。
読み手もこなれていて、このような設定にハイコンテクストな昨今では、世代を超える不死といえば世俗的な死生観・倫理観・社会観を越えたものを過去の経験から纏っているのだろうと読者は(勝手に)補完する。
しかし、多くの作品に比べるとこの作品の主人公の変貌のあり方はあまりに収まりが悪い。
そしてもう一つ、主人公の元々の人物造形は極めて幼児的だ。彼女が生涯をかけた創作には50年に渡り目もむけず、彼女が亡くなっても動じず、ゲーム・ボウリング・カラオケ…出てくる言葉は相変わらずこれらばかりだ。
不死ゆえの虚無性や刹那主義もあろうし、誰しも大人になっても怠惰に流れることはあるが、共感を普遍的に得られる人物像ではない。
後半生は変わるし、本来はそこにカタルシスがあるべきシナリオなのだが、上に書いたようにその変貌はあまり説得性が無い。
作品には細かいツッコミどころが多くあり、突っ込みやすさ故にそこを主に突っ込まれている。
しかし、この主人公の人物像の気持ち悪さや変貌の説得性の低さがツッコミを招く本質なのだろうと思った。
付)この作者の前の作品「ぼくははやくなっていく」、「お兄ちゃんと抱き枕」も読みましたが、これらは当作とは逆の”時間が止まる”モチーフですが上の様な点の無い面白い作品だという感想です。
文化的な分け方で性別をわければもっと細かくも大ざっぱにもわけられるのは当たり前だ。
でも生殖科学からみると、すくなくともホモサピエンスは産む性と産ませる性の2種の袋小路に進んだわけよ
(産むことに関与したくない立場の人もレイプされたりでこの「体は子を産めてしまう/子を産まれてしまう」生殖科学上の事実に直面することがままある
もちろん子供を産めることを期待されても体が答えない不妊も男女両方あるけどね)
ウクライナ人女性とロシア男性の間には合意がないから決して子供が生まれないというのならもっと世界は簡単で多様性があり自由だっただろうけれど
あるいは二次元キャラクター抱き枕にしかシコりてぃを感じない人たちはもうすでに人外という第三の性に手を出しつつあるのかもしれない
抱き枕に向かって腰を振り狂うおのれの下半身の虚しさたるや、まるでモヤシをおかずに飯を貪っているようなものである。夏でも人肌恋しくなるものかと絶望する。人類の希望の星、セクサロイドはいつ実現するんだろう。別に高性能な機能じゃなくていい。可愛らしい顔と、すべすべで柔らかい肌と、女性の平均身長より少し低めのぷりっとした身体があれば、あとはなんだっていい。膣がなくても構わない。そもそも僕には穴は必要ない。僕らのドッキングはその程度じゃ到底収まらない。それは頭のてっぺんから足のつま先まで、全身の肌と肌が隙間なく密着することで生まれる官能的なエントロピーの波により、僕らは神聖なる魂を解き放ってサイケデリックなランデブーへと旅立つのである。いつかそんな日が訪れることを心より願っている。
Twitterで映像畑の人による「映像系に使用する画像で72dpi以上は必要がなく、事前に整理するのが当然なんだけど350dpiのままで作業する人がいた。基本が抜けてるなぁ」といったツイートを偶然目にしてしまい、以下これに関してつらつらと書いていく。
結論から書くと、WEB画像の解像度設定は72dpiだろうが350dpiだろうがなんでもよく、縦と横のピクセル数だけ見ていればよい。
<DPIとは?>
「印刷用解像度設定」といったメタデータと考えてもらって構わない。
簡単に説明すると、DPIとは、その画像をどれだけのキレイさで印刷するかという品質設定の単位である。
dot per inchの略であり、1インチにどれだけドットを敷き詰めるかをこの数値で設定する。
72dpiは1インチあたりに72ドット、350dpiは1インチあたり350ドット。ドットの数が多いほど密度が上がるので鮮明に見える。
要はパソコンのディスプレイ解像度と同じ。同じピクセル数の画像を72dpiの設定で印刷しようとすると大きく荒く出て、350dpiの設定で印刷すると小さくキレイに出る。
FHDの動画を27インチFHDモニターに等倍で再生すると全画面で再生されるが、27インチ4Kモニターの場合、画質は良いが拡大しないと小さいウインドウ内で再生されるイメージとおおよその構造は一緒。
一般に印刷用の画像データは350dpiにするのが理想とされている。
そのデータを映像制作に使用する際に、解像度設定をそのままにしている人に対する嘆きが冒頭のツイートにつながったのだろう。
DPIとは「印刷用解像度設定」のことなので、デジタルで表示・使用する場合、この数値は関係がない。
重要なのはピクセル数だ。1920×1080pxの画像があったとする。
デジタル上でなにが変わるか。
なにも変わらないのである。
画像の見た目も、容量も変わらない。カンバスサイズも変わらない。
実際に解像度の数値を変更した画像をブラウザで読み込んでみたところ、表示されるものは全て一様であった。
なお、Photoshop上で解像度の数値を変更する際、設定によっては解像度の数値の増減に合わせて縦横のピクセル数も増えたり減ったり(拡大縮小)するので、それによって画像のサイズが変わりはする。
ただそれはピクセル数の増減によってサイズが増減するということなので、例えば350dpiを72dpiにしたから画像が小さくなった、とは言えない。
ちなみにディスプレイ上ではDPIではなくPPIと呼ぶ。なぜならばDotではなくPixelだから。どうでもいい話ではあるが。
72ppiじゃないよね。iPadは264ppi、iPhoneは460ppiのものもあるよね。
「モニターは、72ppi!」というのはあまりにいにしえの知識と言える。
さらに言うと、ppiは画面解像度と画面の物理的なサイズによって算出される。だってper inchだもん。
例えば4kモニターでも31インチなら142ppi。20インチなら220ppiだ。同じ数ピクセルが詰まってるなら画面が小さい方が細かいでしょ。
というか、逆に言えば80インチの場合4Kと言ったって55ppiである。フルHDは28ppiだ。
最終的にエンコードする画面解像度、つまりフルHDなのか4Kなのかなどによって必要な素材のピクセル数は決まってくる。
しかしそこにdpiだのppiだのといった数値はもはや関係がない。ピクセル数を削れという話なのだから。
したがって、繰り返しになるがピクセル数だけ見ていればよい。
映像制作中においても、素材画像の解像度設定が350だろうが72だろうが、画質になんの違いも出ない。
制作後も最終的にはエンコードをするので元素材画像の解像度設定はガチのマジで関係がない。
素材データの受け渡しを考えても画像容量も変わらないので本当に意味がない。
つまり、WEB画像の解像度設定は350dpiだろうが72dpiだろうがなんでもよく、縦と横のピクセル数だけ見ていればよい。
※画像の解像度設定の数値がバラバラだと先方にナメられるから、とかはガチで知らん。しょーもないと思う。
なんというか、基本を知らないなあと言っている側が昔の作法からアップデートできていないだけでしたっていうのを見て色々と考えてしまったものである。
(もしなにか「いや違う!」といった指摘があったらください。)
<※IllustratorやPhotoshopなどにおいては>
これらのソフトの場合、解像度設定の異なる同じ画像をドキュメント内に配置した場合、配置された画像の大きさ(縦横サイズ)に違いが出る。
なぜならばこれらは印刷を前提としたソフトであり、また、ドキュメント自体に印刷解像度の設定がなされているからである。
なんとなくWEB画像の場合は72にしないと気持ちが悪い、といった場合は否定しないが、それはあくまで個人のこだわりなのでそうしない人を基本が抜けてるとかう〜んとか言うのはやめた方がいいと思いました。
(イラレ上で画像を拡大縮小してるのに元画像の解像度を350dpiにするのにこだわるような意味のなさ。拡大縮小してる時点で解像度は変わってるし、印刷所でRIPのときに均されるんだからさ※後述)
<デジタルはわかった。結局印刷の場合ってどうすればいいの?>
A4/350dpiに必要なピクセル数が約W2890H4090pxなのでそれくらいで良いのでは。
ちなみになぜ350dpiが良いとされているかというと、これ以上解像度を増やしても人間の目にはあまり区別がつかないとされていたり、印刷機の性能の事情などによってそうなっている。
ポスターなどは150〜200dpi程度あれば十分とされる。デカいものは近くで見ないし多少荒くて良いのだ。
抱き枕やタペストリーなどもそれくらい。近くで見るものだけど、布自体の目が粗いのでデータの解像度を上げてもあまり意味がない。滲むし。
(布の種類にはよるが……)
ポスターも先述の通り解像度自体落とすので相対的にピクセル数は変わらずA1/150dpiの場合約W3500H4960pxなので上記より少し増える程度。
抱き枕カバーのようにすごく縦長とかでもない限りざっくり縦横5000pxあればもう十分なのではと思う。
というか、素人の場合は印刷の場合もピクセル数だけ見ていれば良いと思う。
実際に印刷されるデータは印刷所でRIP(リップ/リッピング)といって、印刷用データに変換されるんだけど、そのときに印刷解像度はあらかじめ印刷所で設定された数値に変換されることがほとんどだろう。
だって必要な印刷解像度って印刷機の線数の2倍って言うし。ほらまた知らない単語が出てきた。入稿先の印刷機の線数なんて把握せずに解像度設定してるでしょ。普通は175lpiなんだって。LPI。Line per inchね。その2倍。だから350なんだね。知らないでしょ。だからいいんだよ。良きようにやってくれるんだから。
A4なのかB5なのかとにかく出力サイズがわかっていて、それに十分なピクセル数が足りていれば良い。あと塗り足しね。
変に知識をつけて画像解像度350dpiにしました! 仕上がりサイズはA4です!っていって縦横350pxみたいな画像が配置してあるデータ送られてきてもガビガビに印刷されるだけだよ。大事なのはピクセル数。覚えてこ。