はてなキーワード: 利益とは
>嫌いな相手に損させても自分の得にはならないなんて普通の人間は幼稚園で理解することなんだがな
元の話は、会社に利益をもたらしている人間を、自分が損をしてでも潰したいという動機で処罰していて、客観的に見ると「嫌いな相手に損をさせても自分の得にはならない」って教訓だろ。
どこの業界でもいいけど、うまいこと、だいたい市場を支配している巨大企業と、うっかりすると巨大企業の利益を単年度で半分とかに吹っ飛ばせるくらいのライバル、が無難だよな。
そんな状況狙ってもなかなか作れないけど。
宝塚:内部告発が多発。(ステークホルダーのレイヤーが多層になっていて、それぞれにストレスがかかっていたためか、すぐに様々な情報が集まる)
ジャニーズ:構造が運営、ファンの主に2層になっていて、それぞれの利益のために黙秘。情報が集まりにくい。
ある意味 、エンターテイメントのトップ2の違いがこんなにあることに驚いているし、展開も目を見張ることになっている。
この隙に飛び出す団体があるのか、結局落ち着くのか、展開を見守りたい。
現世利益を謳ってどうやって布施を得ようとするのか気になった。「金を払ったらあの世で救われる」的な方便で巻き上げるイメージがあるが現世利益だとこの方便は使えないからな
地元の衆院選はこれまで立民か強くて、ずっと勝ち続けてきた。だから世話になった人もたくさんいるだろうし、それなりに仕事もしてきたんだと思う。
しかし区割りが変更になり、次は自民内でもそれなりの役をもらってるベテラン現職と争うことになった。
どちらが地元に予算をもたらすかといえばもちろん自民側だろうということで、そちらに流れる雰囲気ができてきている。
自民許すまじ、の空気感がわりと強めの土地であり、今もそういう声は聞くが、足元の利益には敵わない。
自民にNOを突きつけろ、が仮に正義であっても、遠くの正義より身近なメリットを優先するのは至極当たり前の考えだと思う。
自分は嫌だけど、それはそうだよなと。
トロッコ問題きゃっきゃじゃなくてこれ読みなさいよ、キミら本好きって設定でしょうよ。ベストセラーになったぞ
★AIちゃんによる要約★
実力も運のうち 能力主義は正義か?(The Tyranny of Merit)は、マイケル・サンデル教授が著したノンフィクションの本です。この本では、アメリカをはじめとする先進国で広まっている能力主義(meritocracy)という考え方が、どのようにして社会の分断や不平等を招き、共通善(common good)を損なっているかを分析しています。
能力主義とは、個人の才能や努力に応じて報酬や地位を与えるべきだという考え方です。能力主義は、公平で正義に基づいた社会を実現するための理想として、多くの人々に支持されています。しかし、サンデル教授は、能力主義が実際には、以下のような問題を引き起こしていると指摘しています。
- 能力主義は、成功者が自分の成功を自分の実力だけのおかげだと思い込み、失敗者が自分の失敗を自分の無能さだけのせいだと自己責任するようになる。これによって、成功者は傲慢になり、失敗者は屈辱に耐えることになる。
- 能力主義は、教育を公平な競争の場として捉え、高等教育を受けることを社会的な昇進の手段として見る。これによって、教育の本来の目的である知的な探求や道徳的な育成が失われ、教育の質が低下する。
- 能力主義は、高等教育を受けたエリート層が政治や経済の主導権を握り、自分たちの利益や価値観を押し付ける。これによって、高等教育を受けられなかった多くの人々が政治的に無視されたり、経済的に犠牲にされたりする。
サンデル教授は、能力主義の問題を具体的に示すために、2019年に発覚したアメリカの不正入試事件(college admission scandal)を取り上げています。この事件では、ハリウッドの有名女優や富裕層の親たちが、大学入試の試験を不正に受けたり、スポーツの推薦枠を買収したりして、子供たちを名門大学に入学させていました。この事件は、能力主義がもたらすエリートの傲慢さや不正行為、教育の不公平さや劣化、社会の不信感や不満を象徴するものだと、サンデル教授は述べています。
サンデル教授は、能力主義に代わる新しい社会のあり方を提案しています。それは、共通善の観点から、人々の才能や努力だけでなく、運や環境にも目を向けることです。サンデル教授は、人々が自分の成功や失敗に対して謙虚で寛容になり、教育が知的な喜びや道徳的な目的を取り戻し、政治が多様な声や利害を反映するようになることを期待しています。
長文読むのがなんらかの理由で困難な人なら、Amazonのオーディオブックのサブスクに『実力も運のうち 能力主義は正義か?(原題:The Tyranny of Merit)』があって
確か無料だったような気がするのでそれを聴こう
共通善というものを扱う性質上、キリスト教というか神学から入るが、興味がなければそこは斜め読みしても問題ない
でも、共通善は、『おかげさまで』、『いただきます』、『生かされている』、『八百万の神/付喪神』の宗教価値観を持つ日本人にとって馴染みやすいものだと思うぞ
現代において、近代と比べて権利を取り戻した各種クラスタに比べて、上記3種は「権利を保障してもなんら見返りがなく、むしろ収奪することでさらに(収奪を行ったものの)権益を拡大できる」性質があり、最低限保障されるべき権利すら収奪されてなお味方がいない(むしろ味方することすら批判される)
本日は国際寛容デー、日本においては幼稚園記念日、いいいろ塗装の日、源流の日となっております。
寛容さって大事なように思えますが、無駄に寛容でありすぎるのはなかなか無責任ではあるかなと思います。
とはいえ責任を取らない立場であるならば好き勝手言っても仕方ないよなぁとも思います。
要は誰がそこを受け持っているのかを理解して行動するのがいいですよね。
自分の寛容さで呼び込んだ失敗なら自分が走り回って責任取るしか無いんですよね。
まぁ一番ややこしいのは他人の寛容さで始まったこれまた他人の失敗の責任に自分達も巻き込まれそうになった時ですよね。
しらばっくれられるならしらばっくれましょう。
取らなくていい責任なら取らなくていいんです。
寛容さを間違えた人はこれを取ろうとしちゃうんです、何より綺麗事を言いながらちゃんと利益を得ている人がいるという前提が霞んでいくのです。
利益をもたらす誰かのためにやる事だから仕事です、その前提が崩れるならなんでもないので引きゃいいのです。
ということで本日は【行動能力の確認よいか】でいきたいと思います。