はてなキーワード: バイオリズムとは
クッソうるさいタイプの目覚ましを導入してみて2週間。
毎日音が変わって慣れてしまわないぞ!ということだったのに、目覚ましを消した痕跡がないままアラームの数時間後に自然に気持ちよく目覚めることが頻発している。
時計は頑張って鳴り続けてたけど諦めて停まったパターンっぽい。
音漏れしてるかわからないけど、隣人に迷惑かけてしまいそうだから、別の方法考えた方がいいな……。
目覚ましで起きると、仮に起きられても頭痛が頻発して体調も悪いし、目覚まし使って起きること自体があんまり体に合ってないのかもしれない。
カーテンも明けて東向きの窓から燦々と朝日が射し込んでくるようにもしてるけど、これもまったく効果ないしなあ……。
睡眠時間が8時間でもまだ足りないのだろうか。でも今以上に早く寝るのはあまり現実的じゃないし、そもそも寝ようとしてもきっと寝付けないと思う。
目覚ましなしとか、小さい音でも決まった時間に起きられる人がホントにうらやましい。
25年ほど生きてきたけど、毎日決まった時間に起きる生活ってのがまだ一度もできてなくて、体内時計がハナから24時間で回ってないんじゃないかって感じがする。
休職してた時に、一度寝なきゃって思う気持ちを捨てて、眠くなったら寝る、眠くなるまで無理に寝ないようにしてみたら、
出かけたり運動したり勉強したりと22時間精力的に活動して、14時間睡眠する36時間周期のリズムが自然と出てきて、人生史上最高レベルに体調がよかったけど、
沢山の反応ありがとう!
習慣化するのがいいというのはわかるけど習慣化するまでが難しい
三日坊主最大の敵は、できもしないタスクを無理やりやろうとすること。
いうなれば、朝の忙しい時間帯に20分の読書をしようとしてもムリだということだ。
よほどの環境変化や精神構造に影響があった場合以外はなかなか受け入れられるものではないんだよ。
だから、まずは自分も気づかないような小さなタスクから始めることが大切だ。
例えば、ダイエットのためにウォーキングを始めたいとしても、いきなり1時間も早起きできなければいくら時間を切り詰めたって1時間も作ることはできない。
それならば、まずは5分早起きをしよう。
そして、その5分でラジオ体操をやるんだ。それならできそうなきがするだろ?
その習慣を1週間も続けられれば、今度はラジオ体操では物足りなくなる。
そうしたらもう10分早起きして、今度はジャージに着替えて1番近くにある公園でラジオ体操をする。
それに物足りなくなったら、今度はまた10分早起きして公園の帰り道に遠回りして10分のウォーキングをするんだ。
そうすれば1ヶ月もしないうちに早起きとウォーキングができるようになる。3ヶ月もあれば余裕だ。
少しでも辛いと感じたら、例えばその日は家の中でのラジオ体操で我慢するなど、絶対に無理をしないことだ。
なぜなら、少しでも無理をしてしまうと、翌朝の目覚めに支障が出る。
いざ目覚めようとした時に、身体が辛いことを思い出して拒否反応を起こしてしまう。
ちょっとしたダイエットだったら週三回もウォーキングをすれば十分だ。休息大事。
その代わり、深呼吸しなら「朝の空気サイコー!」とか「空気うめー!」とか、帰ってからのシャワーを「きもちー!」とかってポジティブな記憶を意図的に作りるようにするんだ。
そうすればアドレナリンが自然と分泌されて、適度な中毒症状を作ってくれる。
ほとんどみんなトイレにスマホを持って行って、ニュースサイトとか漫画とか読んでりゲームをしてるだろ?
それっていうのは、トイレの中でできることが限られているからなんだ。
例えばテレビが遠い。人と会話できない。声も出せない。
それならば、例えばトレイの中にスマホを持ち込むことを自分のなかで禁止してみてはどうだろう。
そうすると次にできることは読書や新聞を読むこと。あとは瞑想くらいかな。
これを応用すると、例えば家にいる間はなんでも出来てしまうけど、会社や学校にいる間はできることが限られてしまう。
それならば、いつもより家を10分早くでるようにするんだ。
そうすればいつもより不自由な会社や学校という時間に10分長くいることになる。喫茶店でも良い。
家の中なら好きなことをしてしまうけど、会社や学校、喫茶店ならできることは限られる。
その時間に読書や、漢字の書き取りなんかをするようにするんだ。
・30分早く出勤して漢字の書き取り(毎日漢字ってサイトが便利だよ)と増田の下書き
・ランチタイム中はニュースサイト巡回と増田のネタを考えてevernoteにメール
・車の運転中にカラオケの練習
・子供を寝かしつけて布団に入ってから5分間の瞑想と増田のネタを考える。
性格マネジメントをしたいときは英語勉強の時間を少し減らすようにしているよ。
これでもソシャゲーは2種類くらいいつも回すくらいの余裕はあるよ!
サトカ最高だよサトカ
習慣化させる上で、もっとも大切なことの一つが身に付けたい習慣を象徴するシンボルを常に生活導線上に配置するということだ。
ダイエットリングってしってるかい?いきなり年齢踏み絵でごめんよ!
なんと、指輪をつけるだけでダイエットができるっていうすぐれものアイテムが昔売られていたんだ!
当然眉唾だよ!だけど唯一期待できる効果は、つねに自分がダイエットしていることを意識し続けられることなんだ。
僕はiPhoneを使っているけど、2枚目のホーム画面にゲームと英語アプリを一緒に置いているよ。
ゲームしたいと思った時に、一緒に英語アプリの存在を思いださせるようにしているんだ。
そうすると、トイレに入っている時とか、ゲームついでに英語アプリを起動させてしまったりするようになる。
他にも、トイレには目につくところに英語の本が置いてあって、chromeのスタートタブには毎日漢字のサイトが含まれているよ。
会社に来ていくスーツの隣にはいつもトレーニングウェアが吊るされていて、枕元には曼荼羅があるよ!
朝起きて、顔を洗って歯を磨いてご飯を食べて着替えて出勤するというタスクは、すべて目が覚めてからの条件反射で行われている。
だったら同じように、身に付けたいタスクも条件反射で行われるようにすればいい。
そのために必要なのは、生活動線上にシンボリックな何かを配置していくことなんだ。
http://www.bunkei-programmer.net/entry/2015/10/24/222929
そりゃ、こういう接し方もいいよ。
でも今一度考えてほしい。
同じ会社で同じ仕事してんだから相手のこともうちょっと知る努力をしろよ。
定型的なやり方は楽だよ。すっごい楽。
でもこれ続けてるとコミニュケーションが作業になっちゃうんだよね。
サーバの事になると必死にチューニングしたり新しい方法探したりするだろ。
それと一緒で人付き合いもチューニングしてけばいいんだよ。
人間は機械じゃないし、喜怒哀楽やバイオリズムで浮き沈みを持ってるんだから
嫌いな人間とも付き合っていこうぜ。
めんどくさいかもしれないけどさ。
集団で話題や空気を支配する人物を「ムードメーカー」という。物事がうまくゆくには「ムード」がとても大切なのは分かるよね。
それを自分という人間にも当てはめる。それが「自分のムードメーカー」だ!
さて「未確認で進行形」で一躍脚光浴びた女性声優は?は?そう、「ぱるにゃす」。クイズ王なら常識だよね。
それを意識にも当てはめて意識にもパルスというものがあると気付く。脳幹網様体って知ってますか?
まあ意識の神経基板の研究についてgdgd言っても仕方ない。脳波なら誰でも知ってるよね?バイオリズムって言うよね。
さて物事がうまくゆくには自分のペースをつかむことが大切。マイペースは協調性の欠如とノロマのイメージがある。
協調的でサクサクなマイペースだってあっていいじゃな~い?おかしくな~い?
さてペースメーカーって言葉はペースの新規作成のイメージがある。でも自分の中に既にあるペースだってあるよね。
そういう場合は「ペースをつかむ」って言う。仕事のペースをつかむとは、自分のペースをつかむってことだ。
さて「それにしてもこの男ノリノリである」と言ってたナレーター誰だっけ?踊ろう踊ろう終わらないDance beat。
ノリがあるとスイスイ進みやすい。α波やθ波が関係してるらしい。
どんな仕事も小さな技能の組み合わせで出来ている。個↑々↓の技能を磨き上げ、組み合わせを磨き上げるのだ。
今はくっさい原石だけど磨き上げるとキラキラになる。熟練工は皆、珠玉の技能の数々を持ち合わせている。どんな美味しい料理も、結局は技能だろう?
「技術や知識なんかじゃねえ、心なんだよ」みたいな名セリフあったな。思い出せない。
でも、それは技能が偏ってたりチグハグだったりするだけで。結局は、技能だろう?そうは、思わないかい?脳神経外科医。
さてコーヒーを飲むとテンションがあがる。人に褒められると木に登りたくなる。それは単に「テンション」とか「ムード」って解釈される。
でも、結局、技能だと思わないかい?外科医だって結局技能。高度に発達した技能は魔法と区別がつかないだけで。
ブラックジャックをブラックボックスに閉じ込めるのは、もうやめちまえ。
その謎をとくカギが「ペース」。意識のパルス。自分の中にそれはある。そのペースをつかめるか、作れるか。
さて面白いことに技能は磨くほど「ノリ」やすくなる。モデルさんは見られるほど美しくなる。技能は乗るほど磨かれる。磨かれると乗りやすくなる(二度目)。
セントジュエルを探すんじゃない。磨くんだ。自分のなかに煮っ転がってるものをまず磨く。
逆に言うとね、磨けないならテンションで乗り切るしかないんだよ。武士道と云ふはテンションと見つけたり。昨日の農民は明日の剣豪。
それを考え方でなんとかなると思うから、鬱は甘えという言葉が出てきて
それを薬で何とかと思うから、変な薬害というかおかしなことになる。
それを書いても、うつで苦しんでいる人にはあまり役に立たない。
むしろ、日当たりの良い部屋に引っ越せとか。できることを箇条書きにしないと意味が無い。
実際、日当たりの良い部屋に引っ越すことは、バイオリズムを作って生活にリズムが出来るという意味で、自律神経の失調を直して(それが原因の1つである場合には)改善効果をもたらす。
ほかには 1日30分 散歩に出るとか。人と話すときは まず そうだね。という言うようにするとか。 どうしても 人と話せなければ メイドリフレでも辻占いでも、キャバクラでもいいから人と話せとか。(このへんは効果があるのか知らない)
『できることを箇条書きにしないと意味が無い。』
鬱ってこうなんです、 で どうしたら良いかは 『うつの人が考えてください』 って 『鬱のやつに考えさせるな。』
仰るとおり考えたら マイナスになるから 鬱なんだよ。 その鬱のやつに 考えることをさせるな! 考えなくてもできることをさせろ。
抱き枕と書けば「虹娘が描かれたカバー」を連想されるかもしれんが、そんなのではない。フツーに家具・生活雑貨のお店で売ってる、ボディーピロー、あるいは細長いクッションのことだ。だからカバーは無地というか、買ったまんま、特に絵柄はない。全部で4つ持ってて、今は2つだけがレギュラー入りしてる。3つ同時に添い寝するのは、寝苦しいので難しい。というか、抱き枕を抱いて寝るようになってから、寝返りに不都合が出ているのだろう、肩や手首に違和感を覚えることが時折ある。それでも、ほぼ毎日、抱いて寝る。
別に誇れるほどの愛・執着があるわけじゃない。無くても寝れないわけじゃなく、なくなれば残念に思いつつも、不都合なく生きていける。失ったとき、落差で大きな喪失感を覚えるものが愛であるなら、そこまで強い感情はないだろうな。でも、実際に生きている人間の誰かに、失うことが怖い、考えたくも無いってくらいに強い感情を抱いたことなんて、今のところは、全く無い。生きている人間にしろ、文学上の人間にしろ、二次キャラにしろ、自分はどれだけも執着できないでいる。自他全てに等しく関心が薄くて、強い感情を抱けないでいる。だから、枕を抱いて寝る。
抱き枕にキスした回数は、1万回を超える。「水にありがとう1万回」を自分なりに分析すれば、プラセボや思考の反復強化ってことに尽きると思う。だから、1万回キスしてみたことがある。何かが凄く変わったとは思わないが、でも、感情の発露としてキスという選択肢は強化されたように思う。時折、抱きしめたくて、キスしたくて、堪らないバイオリズムがある。そゆ夜は、ドキドキしたまま抱いて寝る。
人間が人間を愛するってのは、凄く冷淡に分析すれば、「自身の同族として知覚される感覚対象を愛する」ってことだ。人間は少なくとも幼少時に学習した同族に、非性的な愛情を抱けるものらしい。性的な愛情はどゆメカニズムで生じるのか、自分はよく分っていない。ただ、細かいことを抜きにすれば、「人間っぽく見えるものを愛する」のだ。人間っぽさってなんだ。五感を通して知覚される、ある種の性質なんだろう。そして、性質の一部は触れ合いだと思う。そう、誰かと、何かと、触れ合いたくて堪らない時があるのだ。そゆ夜は、枕を抱いて寝ずにはいられない。
一晩を6時間とすれば、1年で2,000時間超を抱いて寝た計算になる。こんなに長い時間、触れ合っていた記憶は、他にない。赤子・幼少期の記憶は、全然ない。だから、抱き枕は、自分にとって存分に触れ合えた初めての対象なのだ。だから、社会基準でどう見えようとも……いや、ま、家族会議とか失職はマジ勘弁だけど、そゆ実損さえ避けられれば、「神の目」みたいな倫理意識は気にならない。そゆのに従って自分を律して、何か実益を得られる見込みがあれば、別だけど、今は何も見えてない。なら、泡沫の幸せであれ、求めずにはいられない。
……
…
時に、オオタチってさ、実に抱き枕ポケモンだよな。販売されてたら即買いしてるとこだよ。抱きしめたら「オオタチ♪ オオタチ♪」って鳴く機能搭載なら直義。3万ポッキリなら迷わず買います。
大学1年のときからつきあっていた4つ上の元彼が忘れられない。運命の人というのか、呼吸するタイミングが一緒というか、とにかく波長の合う人だった。友達の延長線上にいるような人で、死ぬほど愛している!!というような熱い感情はなかったけれど、でもこういう愛の形があるんだなあと初めて思った人だった。家族愛というか、そんなかんじの愛。お互いそう思っていた、と言うと自惚れだとか言われるかもしれないけど、そういことを疑う余地がないくらい何もかも合う人だった。なんだろう、バイオリズムというか、生きてるリズムが合うというか、魂が合うというか、まあそれは大げさだけど、でも恋人というよりはソウルメイトというのが本当にふさわしい、自分にとっては空気みたいな人だった。別に改まってそこに居てもらう必要はないんだけど、でもいないと生きて行けない人。
でもあることがきっかけで私は留学する道を選ぶことになった。このままずっと一緒だよね、とか別れたくない、とかそんな将来のことを話し合うこともなく、じゃあ行ってくると言って出てきた。大学を卒業したらいずれ日本に帰って、いずれ彼と結婚するんだろうと漠然と思っていた。その間、適当だけどでも定期的にメールで連絡は取っていたし、日本に帰るたびに彼には会っていた。お互いに死ぬほど好きな相手ではなく、でもずっと一緒に寄り添って生きて行けると思っていた人。相手に彼女ができたとか、自分に彼氏ができたとか、そういう話が出ても卒業したら日本に戻って結婚するんだって信じきっていた。今思うと自分たち二人の関係はちょっと理解し難い関係だったかも。お互いの存在があって、初めて成り立つというか、うまく説明できないけど、でも彼がいて初めて他に遊び相手として彼氏がいる、みたいな。ビッチって言われればそれまでなんだけど、まあ自分も若かったし、遊び相手みたいのは別にいてもいなくてもよかったし、彼が彼女の話をしたりしても束縛間とかそういうのは全くなかった。自分が物理的に離れてしまった罪悪感みたいのも今思えば少しあったのかもしれないけど、今遊び歩いていたとしても、いずれお互いに戻る場所はひとつしかないって信じてた。
3年前の秋、仕事先で出会った”遊び相手”にプロポーズされた。その年の冬、妊娠が発覚。忘れもしないクリスマスイブだった。結婚することに抵抗はなかった。お互い仕事もあったし、出産後も生活していけるだけの収入もあった。それでもいちばん最初に頭に浮かんだのは彼だった。最後の最後まで言えなかった。妊娠がわかってから彼へのメールはできなくなった。裏切ってしまったという罪悪感。私の両親はできちゃった結婚という結果に最初は当然戸惑っていたけれど、私の妊娠初期がかなり不安定でだったので旦那さんとなる人が私の両親をこちらへ招待、滞在中にこんなにいい人はいない、という結論に達し、不安材料は全くないはずだった。私はそれなりに幸せだったし、旦那さんのことも愛していた。夏に女の子が生まれ、とっても愛おしい存在になった。その彼に全てを話すことができたのは、娘が生まれてから3ヶ月後だった。
私が連絡をしなくなった間も彼からは相変わらず適当だけど、それでも定期的に連絡は来ていた。それでも私が結婚したこと、娘が生まれたことを話すと連絡はなくなった。当然だった。
今でも思い出す。夢に見たりする。その度に胸が痛くなる。彼から何事もなかったように突然メールが来たのをきっかけに前ほど頻繁ではないけど今も連絡は取っている。今の旦那と離婚してまで彼とヨリを戻したいとは思わない。過去の思い出が美化されてるのもわかってる。それでも未だに考える。どうしてこうなったんだろう。彼を失ったら後悔するであろうことは自分が一番よくわかっていたはずなのに。そして彼もそう思っていたに違いないのに。
生理不順にも色々と原因があるので一概にピルを処方されるわけではない。だいたいホルモン剤が処方されるけれども、その場合に応じて飲み方も、処方内容も変わってくるから、避妊に使えるものとは限らないのだ。
避妊用のピルが生理不順の改善に効く場合というのもあるだろうが、きかない場合ももちろんある。
一概に、ピル飲んだら避妊率が上がるし生理不順もなおるよ!という言説はちょっといただけないかなとおもったりすることがあるんだよなぁ。よく知らないで書いているんだろうとおもうが。
わたしは生理不順とPMSと無排卵月経で通院した経験があるだけだけれども
後わたしはまったく副作用がなかったので副作用に関しては飲んでみないとわからない、ということはあると思う。ただ結構やっぱり毎日痛いところもないのに薬飲むというのはめんどくさいものがあるので、のんでるのがあたりまえ!といってる男性にはちょっとなぁ…とか思ってしまう。いや、まぁその方が避妊率上がるのはそうなんだけどっていうね。そういうこというならちゃんと射精管理してゴムしてても外で出してよっていうね。二回戦いくんだったらちゃんとお互いシャワーを浴びて綺麗にしてから開始ねとかね。
1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。 - Attribute=51
「ちょっと」を毎日。
- 現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。
- 毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく人生ってやつは。まったく。
- 毎日努力している人にはどんな天才も絶対に及ばない。断言していいです。
- 大事なのは毎日(毎日じゃなくてもいいんだけど、常日頃)続けること。
- とにかく結果を焦らない。落ち着けって。
- 今日の努力が実を結ぶのは、だいたい1年後。のんびり行くしかないですよ。
- ちょっとだけやる。「ちょっと」が超大事。
- ダイエットしようと思って、いきなり5キロ走るから辛くなる。初日は着替えて玄関出るところで終了。
- だけど、やろうと思ったらその日のうちにやる。絶対やる。1歩踏み出すだけでいい。
- 今日行動を起こさないと、ゴールにつくのが1日遅れるよ。
- あんまり遅れると、そのうち門が閉まるよ。
バイオリズムに逆らわない。
最初にここまで読んだとき、よくあるポジティブ・シンキングのメソッドの一つだと思った。それで長すぎるので読むのやめたのが、何時の間にやら4桁に達するブクマがつくお化けエントリになっていたのであった。
実録・自己責任教の信者たち - HINAGIKU 『らめぇ』は元エントリも、それに異を唱えるd:id:fromdusktildawnもひとしく自己責任教であることには違いがないと喝破している。
なるほど、どちらも「成功するためには何をすればいいか」ということを問題としている。そして、guri_2の「地道な努力」とfromdusktildawnの「効率的な、正しい努力」のどちらが正しいのかはかなり哲学的な問題であって、一意の答えがありそうではない(というか、fromdusktildawnの言う努力も本人が考える以上に地道なものである。「最小の努力」などと言っておきながら、「意識を研ぎ澄まして」、「目を皿にして」チャンスを捕らえろ、などという。結局たゆまず努力するしかないのだ)。
さて、guri_2のエントリに戻って、先の引用の部分以降を読んでいくと、いきなり
気持ちよく過ごせないのは周りじゃなくて自分が原因です。
とあって、驚く。「イメージと現実をごっちゃにしない」はずではなかったのか。日照りが続くのは自分たちが神様に生贄を捧げていないことが原因、って原始人かよ!
その後の「何かのせいにしない」も、全ては自分のせい=自己責任ということになるだろう。
それにしても「とりあえず100万円は貯めておく。余裕が出る」と言っておきながら、y_arimのコメントに応答して、
ただ、月並みですが電気ガス水道をたびたび止められ、狭い部屋で共同生活しながらも夢を追いかけている友人を見ていると、デッドラインはいくらもで下げられるのでは、と思ったりします。
というのは何なのか(実は見当がついているのであるが、ここでは言わない)。そのほか、アドヴァイス間の矛盾が多々ある。
さて、それでもコメント欄やブクマには「勇気がでました」という反応が見られる。それ自体は良いことである。こうした自己責任教がどうして人をポジティブな気持ちにさせるのか。
アル・ゴアの『不都合な真実』を見た人は「不都合な真実」を見せ付けられたにも関わらず、絶望は感じなかったのではないか。それはゴアのエンカレッジメントの上手さがある。深刻な環境破壊の現実にも関わらず、ゴアはフランス人権宣言、リンカーンの奴隷解放、ロシアの農奴解放、ガンジーの非暴力主義による植民地解放運動などを引き合いに出し、「人間はこれまで不可能と思われてきたこともやってきたじゃないか」という。こうした楽観主義が観客を勇気付けるのだ。つまり、人間には環境問題に取り組む「責任」もあるが問題を克服する「能力」もちゃんと備わっている、「能力」があるからこそ、それに応じた「責任」を負うのだ、ということを指摘する。
同じような現象がguri_2のエントリにも見られる。つまり、エントリに勇気付けられた人は(エントリを見るまでは勇気がなかった人であり)、そこに自分の底力、潜在能力があることを発見したのである。「自分はまだまだ頑張れる」のだと。自分に自分の人生をコントロールする能力あるからこそ「人のせい」にはしないのだ。
逆に考えてみよう。自分のおかれている立場が自分以外の「何かのせい」だとすると、それをコントロールする能力はないし、そのことに本人が責任を負う必要は無い。誘拐犯に拉致され監禁された人間が、脱出できない自分が悪い、とか「もっと注意して歩いていれば」などと考える必要がないのと同じことである。
ところが、最近では(イラク邦人拉致事件で明らかになったように)上記のようなケースにすら、自己責任を適用しようとするのである(性犯罪被害者への「夜道を歩いていたのが悪い」というような、セカンドレイプはそのはるか以前からあったが)。
ここにguri_2の問題点がある。「何かのせいにしない」、「自分が原因です」は無前提に使用できる言葉ではないのだ。
何か重大な不幸がその人を襲ったとき、「自分が原因だ」、「自分が悪い」と考えること、それは普通ネガティブ・シンキングというのではないか。「自分の家族が不幸せなのは自分が原因だ」、「自分のチームが成果を出せないのは自分が足を引っ張っているから」、「子供が難病にかかったのは自分が墓参りを怠ったから」……。こういった思考法が容易にうつ病や自傷行為・自殺、カルト宗教への入信といったさらなる不幸をもたらすことは想像に難くない。もっとも、guri_2は「そんなときもあるさ」(これは明らかに失敗を何か運やツキのようなもののせいにしているのだが)とか「できないことが多くてもくじけない。続けていれば必ずできるようになる」、「だってオレも↑これの9割方できてないもん」という安全弁を用意してはいる。
しかし、無制限な自己責任論が過剰に自己処罰的な傾向を生み出すということにはもう少し敏感であるべきではなかったか。テレビドキュメンタリーに登場する若年ホームレスやネットカフェ難民が一様に抑うつ状態にあって「自分が悪かったからこうなった」と発言するのをguri_2はどう見ているのだろうか?
何番煎じだろ。分裂の人には先いかれたな。
参考-http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080109/1199875970
意外とコレでも活力湧くかも? かも?
まあ元の人のエントリには実感籠もってるさ加減で劣るか。
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ブクマ返してみる。
>feather_angel
勢いでやった。肯定的じゃないエントリを何とか早くあげようと思ってたから投稿した時点で分裂さんのはタイトル付近を一瞬読んだだけで。正直スマン。あっちのほうが100倍為になると思う。
>guri_2
あ、どうも。怒られなくてほっとしました。
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追記してみる。
>http://d.hatena.ne.jp/wi-wi-wi/20080112/1200149427
反応が知りたいのでよかったらブックマークコメントか貴ブログにレスして頂きたい。
>http://d.hatena.ne.jp/wi-wi-wi/20080113/1200223378
ん。何か褒められすぎな感じだな。でもレスありがと。
既得権益の保守傾向は思いのほか強い。今日のように国際情勢が安定し強い外圧や揺さぶりが存在しない時代では、国内はますます安定化し、折からの巨大既得権益グループの形成のため、既得権益中心の階級社会が形成されるだろう。江戸時代の太平楽の時代が再来したわけだ。日本は明治以降、少し頑張りすぎたから、これは当然のことかもしれない。この上にまだ頑張るというのは、国のバイオリズムとしてはありえないだろう。やはり日本には太平楽の時代が来たのだ。ただし、既得権益を中心とした階級社会であるが。日本は終わったという人がいるが終わったのは低学歴や低収入といった弱者の人生であって高学歴や高収入の人生はあまりにも安泰である。この時代に学歴を手に入れられなかった者は不幸というしかない。超安定時代における既得権益側へのパスポートを手に入れそこなったのだから。
阿呆だね。
すべては官僚が額を集めて計画し
官僚が民間に号令をかけ
この国の事項は官僚がすべて決定しており
と思ってるのが無知蒙昧。
民衆が血を流してお上に立て付いた
そもそも最近は景気が悪いというが
今まで無理してきたんだから
成長が落ちるのは当然のバイオリズム。
社会というものがそんなに毎度毎度
成長するわけがないので
上がるときもあれば落ちるときもある。
あったから高度成長の様な爆発が出来たわけで
それがなくなった今、爆発させようとしても
無理がある。いい加減に悟ればどうかと。
結局民間や個人が何を考えようと
なっているのは、官僚が考えたことがこの国では
唯一正しく、それ以外に取る道が存在しないからなんですよ。
公憤で粉飾しているだけとしか見られない。
身をもって知らず、さらにエリート選抜のための
試練(過酷な受験競争、官僚登用試験)も実体験したことがなく、
知っているのは教科書とマスコミが仕立て上げる抽象的なキレイゴトの
語るのが笑止千万。