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はてなキーワード: 太平楽とは

2008-06-08

この太平楽なのに旧システムが変わると思っている人間妄想力がすごい

2008-01-03

7割方の確率で21世紀は絶望的なまでの階級社会になる

既得権益の保守傾向は思いのほか強い。今日のように国際情勢が安定し強い外圧や揺さぶりが存在しない時代では、国内はますます安定化し、折からの巨大既得権グループの形成のため、既得権益中心の階級社会が形成されるだろう。江戸時代太平楽の時代が再来したわけだ。日本明治以降、少し頑張りすぎたから、これは当然のことかもしれない。この上にまだ頑張るというのは、国のバイオリズムとしてはありえないだろう。やはり日本には太平楽の時代が来たのだ。ただし、既得権益を中心とした階級社会であるが。日本は終わったという人がいるが終わったのは低学歴や低収入といった弱者人生であって高学歴高収入人生はあまりにも安泰である。この時代に学歴を手に入れられなかった者は不幸というしかない。超安定時代における既得権益側へのパスポートを手に入れそこなったのだから。

2007-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20071218040329

そんなことは知っているが

それが日本文化なのだから

仕方ないんじゃないの。

外部からは何とでも批評できるが

実際そのシステムに入って自分がそれを

変えられるかなと思ったら無理な

わけでしょ。

変えられるなら変えてると思うよ。

日本の歴史伝統がそれを

許さないから問題なんじゃないの。

この太平楽の世の中で

どこからその限界をぶち破る

エネルギーが出てくるのか

分からん。

規則にそって合理的にする必要は

あるのかも知れんが

実現できないだろ。この眠くなるほどやる気のない今の時代に。

簡単なことだ。

2007-06-03

ここのところ派手な人死にが続いたからってわけでもないだろうけど、「死ぬ」ことに関連した考えに発想が飛ぶことがいつにも増して多い。

といっても、自分が「死ぬ」ことについてはあまり考えないし、考えられない。

別段死にたいなんて思いはしないし、死ぬのはやっぱり怖いのだけれど、その怖さは多分「死ぬ」ときには何がしかの痛みを感じるだろうな…ってことが怖いということに行き着く。

それより何より恐れるのは、他の人が「死ぬ」ことだ。

少し前になるけれど、ヴォネガットが亡くなったというニュースを知ったときはとても怖かった。

自分は日本に居て、太平楽に『スローターハウス5』なんかを読んでるうちにその作者が死んでいた。その作者が死んでいるかもしれない、なんて頭の隅にさえ浮かばなかった。

この距離がとても恐ろしい。

谷川俊太郎だってやなせたかしだってもう年だ。失礼な言い方だけど、明日の朝刊で死亡記事を見たって何の不思議もない。

いやいや、そういった著名人に限らず、またそこまでの年齢でないような他の人たちだって、今世に出てる人たちはほとんど自分よりも先に死んじゃうだろう。

勿論、明日明後日何が起こるかは誰にも分からないし、自分が死なないという保証だってない。

それは理解してるんだけど、自分が生きているのに他の人たちは死に続けていっている、これがとても嫌だ。

自分は未来永劫に向かって際限なく孤独にさせられていってるのではないか、なんてことも考えてしまう。

これから先、齢をとっていけばまた変わるんだろうか、幸いにして周りの人を余り亡くしていないことが関係しているのか、親の死に目に会う年頃になれば変わるのか。

なんだかグダグダだな…

 
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