はてなキーワード: ドーパミンとは
同性愛および同性愛のセックスに関する、生々しい描写が含まれます。
苦手な方はこの場でブラウザバックしてください。
BLの世界では「攻め」「受け」ですが、ゲイの世界では「タチ」「ウケ」です。そして、アナルセックスで「挿入するほう」「されるほう」でもあります。
なお、アナルセックスをしない嗜好のゲイを「バニラ」と呼びます。ほぼ「ペッティング」ですね。
わたしは20代前半から40歳になるまで双極性障害を罹患していました。今は寛解しています。
わたしにとってセックスは、生きる不安や苦痛から目を逸らすための手段でした。出会い系の掲示板やマッチングアプリを使って、数えきれないほどセックスしました。
求められている実感がほしかったとかではないです。ストレスとセックスが密接に結びついてしまった。性的倒錯の一種なのでしょうか。
ちなみに、「疲れているとヤりたくなる」という男性はそれなりにいるんじゃないでしょうか。それに近く、わたしは精神疾患が原因で常に不安定で、常にセックスを欲していました。
パートナーは何回かできたのですが、わたしがあまりに荒れていたこともあり、どの人ともセックスはすることなく、一瞬で別れました。
「好きだから、愛しているから、セックスする」を一度も経験できなかった。
38歳のときに公認心理師によるカウンセリングを2年間受けたのですが、それが効果てきめんで、わたしの症状は劇的に治りました。
感情が安定していくにつれてゆきずりのセックスの頻度は減り、寛解したころには性欲はほとんどなくなってしまった。
そんなとき、今のパートナーに告白されました(もともと知り合いだった)。
彼には、「自分は性欲が薄い」ことを事前に伝えたうえで、「それは大丈夫。ただ、たまにはイチャイチャしたい」という返答をもらって、交際をスタート。
はじめはわたしも頑張って月に数回はアナルセックスをしていたのですが、彼に対する愛情が深まっていくのと反比例して、性欲が完全に枯渇してしまいました。
ここで具体的な話をしますが、アナルセックスをするためには「準備」が必要です。その準備が、個人的にはしんどい。行為のあとにぐったりと疲労してしまう(これは以前からそうだった)。
また、性欲が薄くなってわかったのですが、もともと出口であるところを入り口にするには、それなりの気持ちの昂りが必要なのです。気持ちが乗らないと、どんなに指でほぐそうとしてもほぐれない。
一度、どんなに頑張っても入れられないことがあって、それを最後にパートナーとアナルセックスはしていません。
しかし、彼の要望であった「たまにはイチャイチャしたい」は絶対に守りたくて、「前提」に書いた「バニラ」をするようになりました。
彼は乳首が性感帯なので、乳首を攻めるだけで射精できてしまう。
わたしの一方的な行為になってしまうので、「作業」にならないよう念入りに時間をかけて、気持ちを込めて、しています。
どうやったらもっとうまく気持ちよくできるか、男女の風俗系の記事とかも参考に試行錯誤してる。
彼は果てると本当にうれしそうで、それはわたしもとてもうれしい。前に彼がこれを「セックス」と呼んでくれたことがあって、たしかに「バニラセックス」なるジャンルはあるけど、「ああ、この人はこれをセックスだと思ってくれているのだなあ」と、すごくうれしかった。
とはいえ、彼がおふざけでわたしに抱きついて腰を振ってきたりすることもわりと多くて、本心では挿入のあるセックスをしたいのだなと。
酔ったときなどに、「またいつか入れたい」と漏らすこともあったりして、そのたびに申し訳ない気持ちになります。
彼と過ごしていると、リラックスして心から安らぐことができ、一緒にいるだけで満たされます。たぶん、オキシトシン的な恋愛なのでしょう。
自分の人生にこんな幸せがあるなんて、思いもしなかった。思春期のころからずっと死にたいと思っていたけど、今は生まれて初めて、まだ死にたくない、頑張ってもっと生きていたいと思っている。
彼を心の底から愛している。愛しているからこそ、セックスができないのです。
わたしにとってセックスはドーパミンの出る行為で、ドーパミンの出る行為はわたしにとってはもう快感ではないのです。今でも、日常でドーパミンがなるべく出ないように、感情の振り幅を小さくして、心に波を立たせないように慎重に生きてる。双極性障害が再発したら、わたしの人生はまた壊れてしまう。
彼の望んでいることはできる限り叶えたいと思っているけれど、どうしても、セックスだけが、できない。
彼には、外でセックスをしてきてもよいと普段からわりと真面目に伝えています。けれどやはり、彼がセックスをするなら、わたしとしたいのだそうです。
たぶんわたしの中に、「バニラはセックスではない」という固定観念があるのだろうなと。彼はバニラでも十分うれしいと言ってくれているのだけれど、このままだと、これから一生、彼にセックスをさせてあげられないという後ろめたさがある。
男女夫婦のセックスレスの増田の記事を読むたびに、自分が大罪人であるような気持ちになります。「セックスできないなら離婚しろ」というコメントも散見され、落ち込むこともしばしば。
どうしたらまた、セックスしたいと思えるようになるのだろう。もしくは、どうしたらこの申し訳なさ、後ろめたさと折り合いをつけられるようになるのかな。
リモートワークの恩恵もあり無意識でポルノを見てしまう生活を変えたくて始めた。
数年前から何度か読んでいた「インターネットポルノ中毒 やめられない脳と中毒の科学」の影響もある。
何度も読んでいることからわかるとおり自分はインターネットポルノ中毒である。
(あなたがポルノ中毒でなくとも依存や脳に関するトピックに興味がある人は楽しく読めるはず)
このチャレンジの一番の目的はポルノ視聴をやめること。二番目が頻繁なオナニーをやめること。
始めてから1ヶ月でポルノの視聴は1回、オナニーは1回、セックスが2回だった。
以下感想。
初日はなんてことなかった。2日目から徐々にムラムラしてくる。
3〜4日目は気を抜くと常にエロいことを考えていた。頭の中は妄想でいっぱい。仕事が全然手に付かない。
ここで身体にも変化が出始める。股間と肛門の間の筋肉が射精時と同じようにビクンビクン動くようになる。これがけっこうキツイ。身体的な依存。
4日目以降は完全に狂っていて、なんとかオナニーする理由を探し始める。疲れてるとか、仕事で嫌なことがあったとか、集中力が落ちたとか。
ここをなんとかして乗り越える強靱な精神力が必要。身体も悲鳴を上げていて妄想で疑似射精しているのか連続してビクンビクン動いている。
7日目以降も同様の症状が続くが、ここまでくると我慢できている自分が少し誇らしくて徐々に楽しくなってくる。
10日ぐらい我慢すると達成感がありここまで来たらご褒美オナニーしてもいいかなと清々しい気持ちになってくる。
だがこれはただ単にオナニーするための形を変えた言い訳なので意志を強く持って我慢する。
12日目ぐらいで我慢できなくなったのでセックスした。一度射精してしまうと快感が蘇り我慢が難しくなる。
16日目でポルノを見ながらオナニーをした。達成感と後悔が半々ぐらい。だがここで断念する理由はないので翌日から再挑戦する。
継続するコツは罪悪感を持たずに「初回の挑戦は16日継続できた。次は20日継続しよう」と考えることだと思う。
翌日からの2周目の挑戦は初回よりも簡単だった。3〜4日目のキツさは無い。10日目ぐらいのメンタルで再開できる。
また2週間弱で1回セックスした。初回同様、翌日以降にオナニーしたくなったがこうなるのは理解していたので回避は容易。
そのまま継続していま1ヶ月目ぐらい。
ポルノを漁っていた時間が完全にフリーになったので新しい事に取り組めているし
集中力に関しては個人的に仕事の生産性を数値化しているんだけど明らかに向上している。
いまはポルノを見ていないがXでたまに流れてくるエロ動画を見てしまうと脳が怖いぐらい素早く反応してしまう。
もう涎が出るほど官能的でいますぐパンツを脱いでオナニーしたくなる。しばらくそのシーンを反芻してしまう。
自分はソフトドラッグの経験があるのでこういった中毒性、依存性のあるものを比較的理解しているつもりだが
ポルノの依存性の強さはソフトドラッグの比ではなかった。(この辺りの話は本にも詳しく書いてある)
脳内でスイッチが入ると女の子の口や舌、身体の柔らかさや肌が触れあう感覚がフラッシュバックして落ち着くまで時間がかかる。
オナニーが習慣になっていたときはなかったが、いまはこのフラッシュバックが習慣を元に戻してしまう一番の危険性になっている。
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書き忘れたこと。
自分の楽しみを手放してしまった寂しさみたいな気持ちがある。好きだったおもちゃが壊れたときのような寂しさ。
エッチな動画を見つけてオナニーする行為自体は純粋に好きだったんじゃないかな。
あのレベルのドーパミンが挿入中も続くと依存症になって人生ぶち壊れるから遺伝子がそうならないようにしてるんだと思う
逆にお挿し入れ~フィニッシュが最強でその前が平坦だと、性交しようという発想が起きなくて人類は滅びる
なので人間ちゃんは結局、遺伝子の設計したとおりに動かされてるだけ
ベロチューやお口でしてもらったり女性器や男性器をピンポイントでいじってもらうと極端に気持ち良いのは、それが昔の遺伝子が想定していたより上の刺激なため
昔は口内環境良く無いのでベロチューは多分不快感がすごいし、お口や前戯という概念も無かったと思う
https://anond.hatelabo.jp/20240524180210
を読んで、タイトルのようなことを考えたよ。
女性って、親や兄弟からさえうっすら軽んじられていたり、社会でも「この話は女には難しいよね(笑」「女がいるとしたい話ができない」「チェンジ」みたいな軽差別や排除にも残念ながら慣れがある。
しかも、不本意でも身体開けば求められるって感覚を持ってる人も少なく無いから、男だけの街で男性がのびのび過ごす空想をしてても気にならないと思うんだよね。
少なくとも「私たち看護保育介護あるいは性的資源なしにやっていけると思ってるの?!」とは言わない。
だけど男性はそうではなく、事実として「俺らが維持してるインフラなしに生活を維持できるわけがない、女はわかってない」というような声が上がってきていたんだけど、これって見放される不安からきてるんだろうなと思ったの。
存在意義を「社会に必要不可欠である」「社会に貢献している」あたりで掴んでいるってことなのかなって。
しかも、男性って、最初の期待が高めな代わりに、いいところに落ち着くまでは引き算されてしまうし、その過程で自分より上に残る人もたくさん見てきてるだろうし。
だから、別に好きでもない女の空想であろうと「お前いなくてもなんとかなるわ」って言われると傷つくんだろうな。
周りからの期待の高さ、それに至らない中での自己肯定を、セックスで回復しているような事も聞くから、「女だけの街」を聞いたときにアイデンティティ崩壊しかかる人がそれなりにいるんだろうなって。
別に女がどう言ったところで、必要不可欠な存在であるこことには変わりがないのに、インセンティブが賃金の量だけだったりして、ドーパミン的な報酬が薄すぎるせいだよね。