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はてなキーワード: サティとは

2015-07-27

はてなけが特別ミニマリストを叩いてるという事実ごまかすのはよくない

ミニマリズム関係なく「ミニマリスト」が胡散臭い理由 - 泡沫サティスファクション

ここで書かれているミニマリストに対する指摘はただしいと思う。

ミニマリストからとか関係ねえ。うさんくさいやつがうさんくさいことしてたら胡散臭いって言われるのは当たり前だろ「おまえら胡散臭いのは、意思を持たずにネクロマンサーに使役されるゾンビみたいな動きしてるからだ。批判にたいして向き合う気概もなしに仲良し集団やってるのはよくいってもカルト教団のようで気持ち悪いしお前らのレベルまで行くと同じ人間とも思えない。ゾンビしか見えない」これは私も同意する。でもこれちょっとごまかしが入ってるよね。

ミニマリストうさんくさいのははてなに限った話ではない。そして、はてな外でもポロポロ批判記事をみかけるからその胡散臭さが叩かれるのは共通である。それでも、やはりはてなでは極端に叩かれ過ぎである。やはりそこにははてな独特の事情があるのが妥当であるはてなは、普通感覚でいえばやはり異常な場所なのだ。これにたいして「はてな修羅の国だ」といいつつ、どういうところが修羅の国なのかというと「いいことを書けば褒められ、悪いことを書けば批判される」としか説明がない。これはあまりフェアではないような気がする。「いいことを書けば褒められ、悪いことを書けば批判される」だけではてなをサバイブできるのはある程度頭のいい人だけであって、話題になっている自称ミニマリストさんたちのように頭の悪い人間にはそれだけでは不十分ではないだろうか。

炎上理由の7割は自称ミニマリストさんたちがバカから、それは間違いない。あの人達バカからどこいってもいずれ炎上するだろう。だけど残り3割ははてなが変だからだ。その3割をごまかしてはいけない。


魔女狩りではないがしばき隊は確実に存在する

はてなブックマークという仕組みの異常なまでの脆弱性(ハックしやすさ)とそれゆえに培われてきたはてなブックマークに対する過剰なまでのモラルの高さは、初心者には理解し難い。3ブクマで新着カテゴリとしてトップページに載ることができてしまうこのシステムは、新陳代謝を促しやすいという意味で優れてきたが、ちょっとした不正工作、および慣れ合いによる組織票にたいしてすら脆弱であるはてな運営は、そうした不正にたいして自ら積極的に介入することを避け続けてきた。多少アルゴリズムが変化して組織票に対しては対策が取られたようだが根本的に新着のハードルを上げるつもりはないようだ。その結果、はてなブックマークに関しては、各ユーザモラルに委ねられるところが多い。実際まだ破綻してないので高いモラルが維持されているといってよいと思うが、一方で高いモラルが行き過ぎて暴走する人間がいる。つまらない記事を書いた上で慣れ合いや工作によってはてなブックマークに載る行為はてなブックマークを汚す行為とされ「しばき隊」が黙認される傾向がある。

 

魔女狩りではないが初心者狩りは間違いなくある

賛同」以上に「批判」(モヒカン族)が結束しやすシステム問題はないのか。はてなブックマークヘビーユーザーは10年プレイヤーゴロゴロいる。そういう人間は目が肥えすぎている。10年間はてな存在したあらゆる自意識の血を飲み干したシロクマや、炎上後で焼き殺された人間の肉を食い漁って生き延びてきたヨークシャー・テリアなど妖怪化しているものも少なくない。そんなわけでブロガーに求めるハードルは、他のブログサービスよりかなり高い。特に、目立つつもりがなく書いても、たまたま影響力のある人間によって拡散されてホッテントリした記事などに対する評価激辛である。そういう人間はいきなり脳天かち割られて即死する危険がある。また「はてなモヒカン」という言葉があるように、欠点や落ち度に対しては容赦なく群がってヒャッハーしていく人が多い。 初心者狩りはよくないと思うぞ。

魔女狩りではないがはてな文化押し付けは避けては通れない

これに関しては郷に入っては郷に従えって言うべきなのかどうなのかわからんが。とりま、「つまらない記事を書いて目立とうとする奴は殺されても文句は言えない」「良くない記事ブクマをつけるやつは馴れ合い集団として排除する」などなど、理解しておかないと痛い目にあう暗黙のルールがたくさんある。はてな独自暗黙のルールに嫌気がさす人は、はてな村社会であるかのように感じる傾向にある。


結論 はてな修羅の国。生き残りたければ「はてな村奇譚」買って読もう

他にもいろいろ気をつける点があるので、今後も修羅の国はてなサバイバルしていきたいと思うのであればガイドブックはてな村奇譚」をよむといいよ!




id:c_shiika 増田実は奇譚読んでないだろ。本当に読んでいたら結論は奇譚読もうじゃなくて、人力検索相談しようになるはずだ。

ならない。あれの最後発祥たる人力検索のことも思い出してあげてください、であったはずだが。あなた実はこの文章読んでないだろ。本当に読んでいたらこんなブコメはしないはずだ。ネタ感覚面白いと思って書いてるんだろうが、私はお前のコメントすごく不愉快からな。俺煽り耐性低いからな。俺今すごく顔真っ赤っ赤だからな。ミニマリストもたいがいだが、お前みたいな身内のノリで不快コメントするやつだって同様にむかつくからな。ちょっとコメント自重しろ。feitaちゃんを見習え。feitaかわいいよfeita

2015-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20150527211008

さすがに女子高生コンクリ殺人みたいな事を日常的にやってるような国家と比べてマシってのは言い過ぎだ。

強姦されると家の恥だからと父親や兄弟から嬲り殺しにされたり、夫が先に死ぬ火葬の火で焼き殺されたり、バスに乗っていたら乗客の男共に集団強姦されて殺されたり、レズ治療するとかい名目強姦されたり、結婚したら早々に持参金目当ての夫に殺されたり、持参金が払えないから胎児のうちに堕胎されたり、国策子供一人しか作れないからと産まれてすぐになかった事にされて捨てられたり、その挙句農村部ゴミみたいな男の嫁に飼われて一生奴隷として生きる羽目になったり、都市部で好きな男との婚約を控え生き生きと仕事していたら突然田舎から出て来たカス男共に誘拐されて無理矢理見知らぬ田吾作の嫁にされたりってのは少なくとも現代日本ではまずあり得ないし、そんなことが起きれば犯罪としてきちんと裁かれるんだから


(※「名誉の殺人」「サティ」「持参金殺人」「キルギス誘拐婚」あたりググってくれれば全部ネタじゃなくマジだってことはお分かり頂けると思います

2015-04-06

ヴィパッサナー瞑想とはなにか

瞑想とは何か・・・上座部仏教徒にとって、瞑想とはなにかというテキスト的な役割を果たすのは清浄道論です。しかしながら、より実践的な瞑想方法を学ぶためには他の仏典が参照されることもあります。今回は清浄道論でない仏典を参考にしつつ、より具体的に、瞑想とはどんなことをすればいいのかを見てみましょう。

さて、ヴィパッサナー瞑想の詳しい紹介に入る前に・・・そもそも、ヴィパッサナー瞑想はなぜ行われるのでしょうか。それに関して、例えば古代仏典であるMaha-satipatthana Sutta(大念住経)にお釈迦様の言葉があります

以下はブログ多摩丘陵林住記様による和訳版より抜粋

比丘たちよ、ここに一つの道がある。その道とは、人々を清め、悲しみと悲泣を乗り越え、肉体と精神の痛みを滅し、聖なる道を得、涅槃を観るための唯一の道である。それは「四つの念住」である

・この四つとは何か ? 比丘たちよ、比丘は、努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて、「身」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)身であると絶え間なく知覚して住むことである

努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて、「受(感覚)」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)受であると絶え間なく知覚して住むことである

努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて、「心」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)心であると絶え間なく知覚して住むことである

努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて、「法(ダンマ)」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)法であると絶え間なく知覚して住むことである

すなわち、ヴィパッサナー瞑想をすることによって、知恵(insight あるいは understanding)が強まり、「自身」という存在をより正しく知ることができるのです。そして、その道を極めることによって、最終的には悟りすら得られる瞑想です。

それでは、ヴィパッサナー瞑想とはどんな瞑想なのでしょうか。ヴィパッサナー瞑想・・・といったときに、もっとも有名なのが呼吸を対象とする瞑想です。この呼吸瞑想はどこで紹介されているのかというと、やはり古代仏典である、ānāpāna-sati(アーナパーナサティ)に記されています。このānāpāna-satiは、日本では安那般那念という名前で知られています

wikipedia - 安那般那念

Anapanasati Sutta(Thanissaro Bhikkhuによる英訳版)

さて、安那般那念の該当部分を見てみましょう。ここにはこう書いてあります。(以下はwikipediaから抜粋

Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り(pajānāti)、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知る。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知る。「私は全身の感覚を把握しながら(paisaṃvedī)息を吸おう」と訓練する(sikkhati)。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練する。「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練する。

これは呼吸瞑想を紹介する部分です。

しかし、瞑想について具体的に紹介しているのはānāpāna-satiだけではありません。Maha-satipatthana Sutta(大念住経)にも瞑想方法が紹介されています。ここには呼吸瞑想以外の瞑想方法が紹介されています。それを引用してみましょう。以下は英訳版Maha-satipatthana Suttaから引用と、私による(英文の)和訳です。

"And how does a monk remain focused on the body in & of itself?

では、比丘たちよ、比丘はどのようにして、体そのもの気づきを保ち続けるのでしょうか?

"There is the case where a monk — having gone to the wilderness, to the shade of a tree, or to an empty building — sits down folding his legs crosswise, holding his body erect and setting mindfulness to the fore [lit: the front of the chest]. Always mindful, he breathes in; mindful he breathes out.

ここにある比丘がいます — 彼は森へ行き、木の陰へ行き、あるいは空家に行き — 腰を下ろして足を組みます。背をまっすぐに伸ばし、そして気づきを(胸の)前部へと向けます。そして、常に気づきをもって、彼は入息します。気づきをもって、出息します。

"Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.' Just as a skilled turner or his apprentice, when making a long turn, discerns, 'I am making a long turn,' or when making a short turn discerns, 'I am making a short turn'; in the same way the monk, when breathing in long, discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long' ... He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知ります。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知ります。「私は全身の感覚を把握しながら息を吸おう」と訓練します。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練します。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練します。「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練します。あたかも熟練したろくろ工、あるいはその弟子が、ろくろの紐を長く引っぱれば、「私は紐を長く引っぱる」と知り、紐を短く引っぱれば、「私は紐を短く引っぱる」と知るように。これと同じように、比丘が長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知ります・・・「私は全身の感覚を把握しながら息を吸おう」と訓練します。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練します。

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or externally on the body in & of itself, or both internally & externally on the body in & of itself. Or he remains focused on the phenomenon of origination with regard to the body, on the phenomenon of passing away with regard to the body, or on the phenomenon of origination & passing away with regard to the body. Or his mindfulness that 'There is a body' is maintained to the extent of knowledge & remembrance. And he remains independent, unsustained by (not clinging to) anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

このように、比丘は内部から、体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、外部から体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、内部・外部両方から、体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、比丘は体に関する現象の発生に気づきを保ちます。体に関する現象の消滅に気づきを保ちます。あるいは、体に関する現象の発生と消滅に気づきを保ちます。あるいは、比丘の「体が存在する」という気づきは知識と想起(注1)の範囲で保たれます。そして比丘独立を保ち、世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのもの気づきを保つ方法です。

"Furthermore, when walking, the monk discerns, 'I am walking.' When standing, he discerns, 'I am standing.' When sitting, he discerns, 'I am sitting.' When lying down, he discerns, 'I am lying down.' Or however his body is disposed, that is how he discerns it.

さらに加えて、比丘が歩いているとき、この比丘は「私は歩いている」とはっきりと知ります。立っているとき、この比丘は「私は立っている」とはっきり知ります。座っているときには、「私は座っている」とはっきりと知ります。横たわっているときには、「私は横たわっている」とはっきりと知ります。あるいは、体がどのような状態になるのであれ、はっきりとその状態を知ります

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or focused externally... unsustained by anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

これが比丘が体そのものを内部から、あるいは外部から、あるいはその両方から気づきを保つ方法です。そして・・・世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのもの気づきを保つ方法です。

"Furthermore, when going forward & returning, he makes himself fully alert; when looking toward & looking away... when bending & extending his limbs... when carrying his outer cloak, his upper robe & his bowl... when eating, drinking, chewing, & savoring... when urinating & defecating... when walking, standing, sitting, falling asleep, waking up, talking, & remaining silent, he makes himself fully alert.

さらに加えて、比丘が前に進むとき・戻ってくるとき、この比丘自身に完全に注意を払います。何かに目を向けるとき・目をそむけるときも同様に・・・手足を伸ばすとき・曲げるときも同様に・・・自分外套コートなど)を運ぶとき自分の上着・お椀を運ぶときも同様に・・・食べるとき、飲むときに、噛むとき・味わうときも同様に・・・排尿するとき・排便するときも同様に・・・歩くとき、立つとき、座るとき、眠りに落ちる時、起きるとき、話すとき沈黙するとき比丘自身に完全な注意を払います

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or focused externally... unsustained by anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

これが比丘が体そのものに対して気づきを保つ方法です。あるいは体そのものを外部から・・・世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのものに対して気づきを保つ方法です。

基本的には上記がヴィパッサナー瞑想だと考えればよいでしょう。このヴィパッサナー瞑想近代指導者たちに、さまざまに解釈されています

注1 ここで、「想起」という言葉は「思い出す」という意味です。

http://surleconomiejp.blogspot.jp/2015/04/blog-post_5.html

2015-03-10

ランダウランク分け

ランク0

アイザック・ニュートン

 

ランク0.5

アルベルト・アインシュタイン

 

ランク1

ニールス・ボーア

ヴェルナー・ハイゼンベルク

ポール・ディラック

エルヴィン・シュレーディンガー

エンリコフェルミ

サティエンドラ・ボース

ユージン・ウィグナー

 

ランク2

ランダウ

 

ランダウ物理学者ランク分けしたって話は有名だとおもう。

自分ニュートンアインシュタインそんなもんだろうなって思う。

 

ただランク1に関してはウィグナーがそこにいるのおかしくね?っていつも思ってる。

ウィグナーが入るくらいならランダウが入るのが妥当だと考える。(謙遜もあるだろうが)

 

物理学に明るい人どうでしょうか?

2014-10-20

瞑想の種類について

仏教の考え方が流行ってる(?)ようだ。

とくにスマナサーラ氏とか、そういうあたりだ。

僕も仏教の考え方は好きだ。一番いいのは信仰を求めないことだ。

仏教場合、「信じる者は救われる」ではない。「実践する者は救われる」だ。

ここでいう「実践」とは「瞑想」を指すことが多い。

でも、実は瞑想はいくつか種類がある。

種類はいくつかあるが、基本的にはアーナパーナサティ経に則った瞑想が多い。

また、瞑想にもサマタ瞑想ヴィパッサナー瞑想の2種類がある。

アーナパーナサティ経にはこう書いてある。

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り(pajānāti)、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知る。

短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知る。

「私は全身の感覚を把握しながら(paisaṃvedī)息を吸おう」と訓練する(sikkhati)。

「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練する。

「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練する。

これが呼吸による気づきであり、熱心に行い、このように自身を訓練することは大きな果報となり、大きな利益となる。

これが原典(の日本語訳である

この瞑想は様々に解釈されている。

第一に、ラベリングをしながら瞑想をするというものだ。ラベリングとは、実況中継とか説明されることが多い。

これはマハシ・サヤドー(1904-1982)さんが考案したもので、マハシ系と呼ばれることが多い。

考案と言っても、新しく作ったのではなく、知識の深かった彼が旧来の解釈とは違う解釈をしたというような感じだ。

具体的な方法日本テーラワーダ仏教教会ホームページなどで見れる。

呼吸をするとき

「吸っています、吐いています

と実況中継(ラベリング)をするという特徴がある。

呼吸瞑想の他にも歩く瞑想や座瞑想が同協会のホームページで紹介されている。

他には、ゴエンカ系とパオ系がある。こちらはラベリングは行わない。

こちらに関してはやり方はあまり知らない。

どうやら詳しく知るには合宿に参加する必要があるらしい。

が、パオ系はニミッタという光を重要視するようだ。

また、呼吸瞑想ヴィパッサナー瞑想かどうかにも意見が分かれているようで

サマタ瞑想とする場合もあるらしい。

また、マハシ系は呼吸ではなく、おなかの膨らみ・縮みを見る場合がある。

2014-10-14

イオンってどんなところなんだろう

ジャスコってどんなところなんだろう、とずっと思っていた。今はイオンだけど。

さいこからCMは頻繁にやっていて目にするのに、近所にジャスコは無かった。

大人になって、出張栃木に行った。支社の人の車に乗せてもらってるとき、初めてジャスコを見た。「あ!ジャスコだ!」と大声を上げた私を何がそんなに珍しいのかと他の人は訝しがった。

通り過ぎただけで中には入れなかった。

いまだにイオンには行ったことがない。憧れだけがそのままだ。近所にまいばすけっとが出来たから、イオン製品はよく見るし、ダイエーイトーヨーカドーに近いということはわかってる。でも時々ニュースでみるような、大きなイオンに行ってみたい。

私の中では、横浜みなとみらいの、クイーンズイーストが一番イメージとしては近いものなんだけど、どうなんだろう。

2011-03-08

ジャスコサティといった店名もあっけなく「イオン」になったが、

簡単に名前を変えたりしてブランド価値は低下しないか

2010-08-12

http://d.hatena.ne.jp/inuimon/20100809

どうでもいいが

ジャスコがどの程度の規模でどの程度の頻度で設置されるものなのか知らないが

イオングループは、最近まで鹿児島に店がなかった

2000年代になってイオングループ壽屋やらサティを買って、2007年に初めて鹿児島ジャスコが出来た

50km圏内にジャスコがないのは当然である

ほんとどうでもいいが

2010-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20100728152604

なんだかよくわからんけど

サティデパートと呼ぶ訳ない。

デパートと書いてある建物に対してそういう言い方したらおしまいじゃね

2010-03-24

なんでエロ漫画はいっぱいあるのにエロアニメはないんだよおかしいだろうが

おかしいだろうが…っ!

チラリズムとか全年齢でどこまで微妙表現できるとか興味ねーんですよ。

完全未成年お断りの高クオリティエロアニメはなんでできないの?

SF心理学文学性だ子供のためのアニメだ…そんなのかなぐり捨てて…

1秒24コマフルアニメーションでぬるぬる動く、エロアニメが見たいんだよ!


思ったことがあるはずだ。予算時間をかけて作ったアニメ映画を見て。

このクオリティエロアニメを作って欲しいって。

ジブリガイナ京アニみたいな、一般人が知ってるレベルのところに

エロアニメ作って欲しいって、思ったことがあるはずだ!そうだろ?


僕はアニメのことは良く知らない。

でも、アニメには未知の可能性がある。

エロ漫画でもAVでも完全にサティスファクションできない、旺盛な性欲を

どうにかしちゃってくれてしまう至高のズリネタの可能性がある。

ねえ、神様、僕は一生童貞でかまやしないから。

仮想現実ができる前に、古臭い二次元エロに、現実と空想の間に、リアルよりもリアリティのある、エロを見せてよ。

2010-01-19

フリーターロッカールームロッカーの夢を見るのか

学生時代、何の考えもなく、コンビニバイトをしていた。

僕の先輩に、細野さん(22)という歌手デビューを目指し、

駅前や路上で歌うロックフリーターがいた。ロックを知らない僕から見ても、彼はロックだった。

いらっしゃいませーとか、ありがとうございましたーという挨拶ですらYAZAWAみたいだった。

いらっしゃませェィェァァッみたいな感じだった。ィェァって小声で言ってた絶対言ってた。

彼は今まで引きこもり体質の僕の周りにいないタイプの人だったので、妙に惹かれるものがあり(恐らくカリスマ性ではない)

僕は彼と積極的に同じシフトに入った。

彼とのアルバイトは刺激的だった。

彼は金髪で、コンビニ制服の上から懐中時計(洋画で爺さんの形見にもらいそうなアンティークなヤツ)をぶらさげ接客していた。

時折スライドする蓋を開き、目を細め見つめるので、本当に大切なものかと思ったが、レジガンガンあててたので恐らく違う。まじうるさい。

指にはシルバーアクセを付けていた。絶対三ノ宮路上黒人から買ったヤツだと勝手に思った。

そんな個性的な彼なので客やバイト仲間との衝突も多々あったようだが、やはり人を惹きつける魅力があるのだろう。ぼくもその一人であるように。

ある日、一人でレジをしていると鈴木さりな風のおねーさんが照れくさそうにノートの切れ端を渡してきた。

「これあの金髪の人にわたしといてーww私のメルアドwwwマジうけっしょ?」

愛想笑いをして受け取ると

「は?お前笑うなよキメェ」

みたいな事を言われて僕は歯軋りをした。すごく悔しかった。悔しかったから、勝手に二十歳そこらでヤンキー結婚して、

お金無いのに子供を産んでクレジットカードとか考えも無しに使って、

多重債務者になって闇金に手をだし泥沼にハマり最終的にソープとかに売られて不幸になるんだし許す、とその場は自分を宥めた。

後日

「これ、細野さんとメールしたいって女の子がこないだ……」

と、僕の汗と嫉妬でしわくちゃになった紙を差し出す。

「あー悪い、俺そーいうんじゃないんだわ」

ファックなことに、この人ロックだった。

「でもかわいらしい感じの人でしたよ。じゃあこれ、どうすんですか?」

「捨てといてー」

「じゃあ捨てときますねー、やっぱ細野さんレベルになるとしょっちゅうある事なんですかね」

といいゴミ箱にその紙を捨て売り場に出た。

フリをして事務室の小窓から覗き見る。僕は器の小ささには自信があった。

細野さんはそれを気にかける様子もなくブラックコーヒーを飲んでいた。

僕は彼のロックに感服した。

それから間もなくして、この、知れば知るほど面白い人を質問攻めにしてみようと企てた。

バイト終了後、事務室に細野さんが入ってきて先に休んでいた僕におつかれーっと一礼してくれた。

彼は、ブラック無糖を飲みながら僕のイチゴ・オレを睨み、

「林くんてそんなん飲んでるんだ。俺ブラックしか飲まねーわ」とニヒルに片方の口角を歪める。

さすがの刺身とか食べるときワサビの量ハンパない僕も、この昨日2時間しか寝てねーwみたいな中学生自慢にたじろぐ。

「すんませんまだ味覚がガキで、やっぱ細野さんは小さい時からブラックなんですか?」

何とか立て直す。我ながらうまい、このまま幼少期の細野さんの話にもっていき、それから今のHOSONOまで質問攻めにしようという流れ。

きっと自分語りが好きなので、一回話し出したら止まらなく――

「俺、小学生時代はヒザまで髪伸ばしてたわー教師まじうぜ」

僕の妄想をさえぎってさりげなくとんでもないことを言った。

「まじですか……ヒザって……紫式部じゃないですか……」

というと彼は満足げな笑みを浮かべて言う。

「そんな感じ?」

紫式部が気に入った様だった。

続いて

「その懐中時計かっこいいですね、なんかアンティークっぽくて高そうだし……」

「あー、1900円だったよ?」

「あー」

「ど、どこで買ったんですか?」

サティ

「へ、へえー、指輪は?(黒人……)」

サティ

「あー、服は?」

イオン

「あー……近いっすもんね」

「まぁ」

「シブイっすよ」

「そんなんじゃネーけどw」

ロックだった。


その後僕は、細野さんがデビューしたらファン第一号にしてもらう約束

二人でディズニーランドに行く約束を交わしたが翌月バイトやめたので叶うことはなかった。

2009-06-14

サティアシスって、ニンフォマニアの男版な。

なんか増田に書き始めたら、とまんなくなっている。

http://mikle.jp/love/dispthrep.cgi?th=62384&disp=1

いや、このミクルやばいよ。本気で悩んでいる女性とか投稿しているのがわかる。なんともいえない、生き方の陰影がでているから、あおりとか、ねかまじゃないな、これ。S性のある男も、M性のある女もたくさんいるんじゃんと安心。

はてなみたいな閉鎖的なところで議論してても、いいこちゃんぶりっこで、人権みんなでみとめましょう、男女同権マンセーでオワタで終わり。はてなを捨てて街へでようぜ。彼女の一人もつくって、セクロスにあせながせよ。エロゲーでよろこんでんじゃなくて、リアルでへんたいプレイを喜んでくれるやつをみつけようぜ。

http://anond.hatelabo.jp/20090613102754

2009-06-13

サティアシス

同じような方がいるのか、それともあまりに自分が異常なのか知りたくて書きます。

40すぎて毎日エッチしないと仕事が手に付きません。30分も仕事をすると、エッチなことが浮かんできます。私の性癖につきあってくれる女性がいるので、こっそり仕事中でも、「あなたがほしい」とか「犯したい」とか「もうぬれているだろ」とか携帯メッセとばしてます。場合によってはいろいろな画像も交換したりしてます。仕事が終わると、すぐに彼女のところで飛んでいきます。でも、エッチしたい衝動はつのるばかり。

彼女に会うと、たぶん計測したら1時間1万回くらいピストン運動しちゃってます。けだもの状態で、1時間、2時間と過ごします。至福の時です。

趣味も、ネクタイで相手を縛ることから始まって、赤い紐で亀甲縛り、そしてパドルでおしりたたきとすすんでます。

でも、次の朝には飢えた自分がいます。また仕事をしていても、すぐにどうやって彼女いじめたらいいか妄想してしまいます。

もうオナニーを覚えたサル状態で、このままでは「失楽園」か、「あべさだ」の世界までいっちゃいそうです。

いったいどうしたらよいのでしょう。


http://anond.hatelabo.jp/20090613094632

確かに、逆もある。つーか、彼女と私の性癖は一致しているので、その意味では幸せかな。彼女にも、私にも、いろいろ歴史があって、思い出があって、縛ったり、たたいたり、つねったりするのも、どこかでその歴史が作動している気がする。


http://anond.hatelabo.jp/20090613130333

私の体験じゃソースにならないですかね。

いま、ここで、たびたび加筆している裏で彼女とはどこで『ああ、いけないわ、だめ、どうしましょ』な露出セクロスをしようかメールやりとりしていました。まだ、私も彼女も、その手の雑誌から謝礼をもらったことはないです。普段見かけられたら私も彼女もごくごく普通の大人に見えると思います。ここで書くことも性癖を満たすこと以外には、「百害あって一利なし」、どころか「一万のリスクあり」です。それでも、性癖は止められません。

そして、私が知りたいのは40面してこんなことをしている私は単なる変態社会から抹殺されるべきなのか、みんな平気な顔しているけど、性癖性癖で隠しているけどヘンタイなんだよ、ということなのかということです。

2009-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20090315222352

岡田岡田で結構危うい気がするけどね。西松建設サイト見ると分かるけど、西松建設ってかなりの数のジャスコイオン建設手がけてるもん。

http://www.nishimatsu.co.jp/cnstrct/ken/com/list.htm

名前ジャスコイオンサティ(元マイカルグループで今はイオン子会社)と名の付くものだけでもこれだけ西松建設仕事が割り振られてる。これを多いと見るか少ないと見るかは微妙なラインじゃなかろうか。

企業間の取引だからどこがどこに仕事依頼しようが原則自由だけど、その際に何らかの「配慮」が無かったのかと一度でも疑われたら逃げ切れるかどうか未知数。本件とは別のゼネコンならともかく、渦中の西松建設って所が特に。

仮に何らかの爆弾が炸裂したら、小沢のような金権政治スペシャリストでもなく麻生のような図太さも持ち合わせていない岡田ではもたないだろうな。とはいえ鳩山由紀夫菅直人資質的に論外だし、党首経験者で唯一現実志向前原では社会党の残党が言う事を聞かないのは目に見えてる。

2008-08-30

インド系のIT企業(笑)は日本じゃ成功しないね

タタとかインフォシスとかウィプロとかサティヤムとか、インド系のSIerの進出著しい。少なくともグローバルで見れば、彼らは「勝ち組」なんだろう。

でも、グローバルなんとかとやらがその実アメリカン、それもモルスタWASPとかゴールド萬系ジューイッシュとかがたった2年のMBAカリキュラムで学んできた範囲の狭い理論に基づいているのは今さら俺が言うまでもない。

そして、そこで必ず出てくるつまらんフレームワークにハメ込むのが得意なのが、ほかならぬインド系の連中だ。インド系ということで、周辺のバングラとかスリランカとかも(もしあるんだったら)含めてしまっていい。

そういう型通りのビジネスを愚直にやる姿勢、それは過去日本製造業も歩んできた道だ。高度経済成長期のようななーんもない時代だったら、そのやり方も成功の余地があった。

でも、このモノ余り、カネ余り、均質化の時代で企業各社はどうやって他と違うことをやろうかとアタマを抱えてるときに、型通りのことをやるしか能のないインド系はまったく使えない。簡単に言えば、気が利かない連中だ。

そういうインド系は、少なくとも今の日本には要らない。日本企業が求めているのは、自身が問題を抱えているときに根源の理由を見つけそれの解決に現場と汗水垂らして頑張ってくれるヤツだ。インド系は、そういうシゴトは今だ残るカーストの下層の役割なんだろう。

もちろん、現場で汗水流し頑張ることは、日本人労働者でも今や下層の役割にあるとされる。でも、彼らの利点は、問題解決というゴールに実に忠実であることだ。仕様カバーされたことしかやらない、仕様外のことが出た途端に費用を上乗せすると言っても対応しないインド系は要らない。

冒頭で挙げたインド企業群が、IBMとかNECとか日立とかがやっているようにコンサル業務を拡大させると言われている。まったくもって馬鹿馬鹿しい。機械ガンガン音を立てる現場じゃなく空調の効いた快適なビルの一室で鉛筆ナメナメしながらフレームワークをイジってるかと思うとアタマにくる。そういう連中、あるいはそういうキャリアパスを描きながら日本に大挙押し寄せようとしているインド系は回れ右でクニに帰れと言いたい。

2007-08-30

anond:20070830065528

サティの胎児シリーズなんかは?

何か甲殻類云々とかいうタイトルのやつ。

2007-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20070529162332

サティの曲かなんか?

しっかしなぁ、中居正広じゃないんだから…。せめて階名で書いてくれよ。

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