はてなキーワード: 計画通りとは
ちわーす。入社してもう18年になるんで、新卒で入った18年前から12年前くらいの話になりますが、ブラック企業づとめの若者に、時間に余裕がなくてあっぷあっぷになっている人がたくさんいるのを見て、世間的には「大変だよね」って同情してあげないといかん風潮になってるのにすごい違和感があります。
社畜には無駄な時間とか、無駄な考え方が多いんじゃないかなと、自分の経験から言っても傍から見ていても感じます。それを非難するんじゃなくて、こう言う風にしたらもっと楽だよ、という話をしたいと思います。
細切れ労働に慣らそうと思えば誰でもできるんじゃないかと思います。
毎日はてブに通って、あれどうかな、これどうかなと一通り見まわるなんて、バカバカしい話です。時間がもったいないです。
業務はルーチン化しておくことです。この時間にはこれをする、この曜日にはこれをする、と決めておけば考える時間をかける必要がありません。一番考えるのはその内容ですが、俺は30日単位でメニューを決めていました。業務も手戻りが出ないようにして。
考えないで済むようにするのと同じ意味ですが、これは一日ごとの計画を事前にたてておく、朝10分くらいかけて、計画表を作るのも大事です。こんなことを言うと、「計画通りにはいかない!」なんてヒステリーおこす人がいますが、元の計画がないと、計画からどれくらいずれたのか把握も出来ず、常態への復帰も出来なくなるわけです。
それでいて計画はあくまで計画、アクシデントがあれば柔軟に対応すれば精神的にも楽です。計画があるからと言ってそれに縛られていては精神的な余裕が失われます。
友達はいらないと割り切ることです。業務中の友達は、余計なことに時間を割かせる負の存在でしかありません。別に縁を切る必要はありませんが、出来ないことは出来ないと言ってそれで仲が壊れるようならそれまでです。
これが案外ばかにならないと思います。同僚と仕事そっちのけで一時間も二時間も無駄話をしている人がいます。こういう生産性のない時間に費やしていたら、時間をひねりだせないのは当たり前です。
俺はぼっちだったんで、同僚のサークルには入れないわけですよ。必然的に、俺の会話相手はほとんど俺でした。
俺も労働基準法改正後の日本に生まれ育ったんで、俺と同程度の仕事をしてやれば十分だと思ってます。あれもこれも面倒みたり、残業する必要なんて全然ありません。うちの会社は今は上場してますし、労働者がしてやることは、そういうことじゃないんじゃないかと思います。
部下に仕事をさせるにしても、ただ働かせるんじゃなくて、自分で考えさせたり、目標を自分で設定させたりする手助けをしてやればいいと思います。
50メートルを走ってタイムをとるのと、柔軟するのだけは毎日やってました(雨の日は例外)。
仕事をしてる間は静かですから(笑)。仕事をさせるにしても面倒なタスクを与えてやれば、数日がかりになるわけですよ。で、その間は集中してやっている。その間にこっちも別の業務が出来るわけで、面倒な単純作業をやらせるのはすごくいいんじゃないかと思いました。
まあ、ぶっちゃげ仕事の性格は千差万別で、どういう仕事によるかによっても業務の大変さは全然違うんですが、時間がないってきりきりしてるんなら、一回、自分の毎日を見直してみるのもいいんじゃないでしょうか。状況的には当時の俺くらいに結構きつい状況にある人はそういないんじゃないかと思いますんで(主観的にはそうきつくはなかったんですが)。特に、同僚とのおしゃべり、それ必要ですか?
http://anond.hatelabo.jp/20130613094716
こういう言いづらい事を言えて、意見が交わせる増田は良いものだな。ゴミも生んでるけど。
他のトラバでは、生まない選択肢を推してる人もいるし、私もそれでいいと思う。
しかし旦那が「それでもいいからどうしても子供が欲しい!」と言い張る可能性もある。
「俺はちゃんと理解して、協力する。障害を持っていても幸せな家庭はいっぱいあるじゃないか」と。
私のいとこの父親がそうだった。
そして逃げた。それも怪しい宗教に。
いとこは自閉症だ。重すぎもしないが軽くもない。
会話がテンプレでしか出来なくて、行動は計画通りに進まないとパニックになり、
人が話す言葉をそのまま素直に受け取る、よくある一般的な自閉症だ。
10年不妊治療を続け、ようやく授かった子供だ。生まれた時の喜びは測り知れなかったと思う。
そして、日々のいらだちをその子供にぶつけ、最終的に宗教にはまり、資産の大半をつぎ込み始めた。
元増田と違ってその点については非常に恵まれていたのに。
だからこそ、母親はあらゆる対策を講じることができたが、その一方で父親は、頼みの綱のお金をドブに捨て始めた。
健常者の子供がいる家庭ならば、「怪しい宗教でも、本人がそれで救われているならいいか」と生暖かい目で見る事が出来たが
本来なら自立できる年になっても、マトモに就職できない可能性も多いにある。(支援施設はあるだろうけど)
そうなるとただの穀潰しになっていく。
金がかかるのはこれから死ぬまでなのに、父親はすでに役立たずだ。
病気に対する理解もあまりなく、その子が常識的でない行動をすると怒鳴り散らす。
私達家族は、その子の母親(私の母の姉妹)に何度も離婚を勧めたが、
実質的な問題で踏み切れない。
この父親は「妻を愛し、息子も愛している」と言う。
その思いは間違いないのだろうが、圧倒的に理解が足りず、殺伐とした毎日だ。
元増田の旦那がこうなる、と限るわけではないが、逃げた事例もあるよということで。
あと、釣りだろとかいうブコメもあるが、そんなこたーどーでもいいんだよ。
931 ソーゾー君 [] 2013/02/10(日) 18:46:57 ID:wAi3Rflg Be:
だから俺は「起きたこと=事実をみて分析しろ」と何度も言っている。
当初の計画はそのまま暴進だったが自民党の支持率が深夜番組並にまで落ちたからこの様になっている。
今も深夜番組並の支持率しかねーんだがマスコミとスクラム君で支持率捏造し
不正選挙なんか簡単に出来るが世論とかけ離れた結果はネタバレするだろ?
だからマスコミとネットでスクラム組んで陰謀論者と反陰謀論者もスクラム組んで
もうコイツ等の手口は何回も語った・・いい加減に理解しろアホ・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341367879/l50
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
答えはカンタン。それはね。自分のことがまるでまるっきり見えてないからさ。
なんで自分のこと見えないかというと、つまらないことがすぐ気になってしまうカラ。
セクシーなミニスカートが絶対領域しちゃうともう上の空になっちゃう。いつだってそう。
バッキャロー do for you. そんなでうまくいくワッキャナイ do for you.
なんで自分のこと見えないと駄目かというと、知らない間に影の動きが陰謀しちゃうカラ。
考えて笑ってみるがいい。いつも知らないうちに手遅れ。知らないうちに大パニックのタイタニック。
わかってる人からすれば毎回チャンスをことごとく逃してるの。毎回というか毎瞬というか。
やらかし常習犯がまーたやらかしたってレベルじゃなくてマジで常にやらかしてる。
チープなスリルに身を任せてないで現実みれば新生活開花の音がする。
インターネッツ社会の生み出す魔性のリアリティに強く引きずりこまれる
→つまらないことだと分かっちゃいるのにやめられない
→知らず知らずのうちに他の可能性をことごとく見えなくして凝り固まった思考回路のできあがり
という実態を少し考えてみたい。最近SNSでモテる方法が話題になってた。方法って理論にしてしまうと陳腐になる恒例。
いいバッターが名コーチとは限らないのと同じ。自分で方法がわかってない人が教えた理論を真に受けると駄目。ひしひし感じた。
直接指導ならまだよい。一番は自分でもわかってて感覚的にも理論的にも伝達できる人に直接おそわる。
ひらひらミニのスカートがふわりするだけで目を奪われるような人間レベルの人に平常心で自分の方法の実態が洞察できるとでも?
修羅場って現実に強くのめり込んで現実と強く結合した方法論を体得することだけじゃなくそんな中でも強く客観視する目を養うことにも意味があるんだよ。わかる?
今朝目覚めたときにふと思い出して嫌な気分になったのでここに書く。
中学生の頃の話だ。
おれはクラスでは目立たない地味な生徒だった。
そもそもクラスで目立つのは、運動ができたり勉強が得意だったりイケメンだったり……まあそういう生徒なわけで、
そのどれでもないおれはクラスではすこし浮き気味の存在だった。
かといっていじめられていたわけでもなくて……。
地味なおれは同じように地味な子と友達になり、ひっそりと毎日を生きていた。
それでよかった。とくにクラスの人気者になりたい・目立ちたいという欲はなかった。
地味すぎて、二年生になっても三年生になっても、理科教師(担任ではない)に名前を覚えてもらえず、
たまたま「肌が白い」ことが共通していた別のクラスの男子(××)の名前で指されることが何度もあった。
そのたびに「いや~お前肌が白くて××と似てるんだよなぁ」と笑われたりして嫌な気分になった。
ちゃんと毎回授業に出ているのにね。
クラスでも「ちょ、こいつまだ名前覚えてもらってないのかよ(笑)」みたいな空気になって、とても恥ずかしかったことを覚えている。
さて、ここからが本題。
クラス替えの紙を見て、おれは愕然とした。
おれの在籍することになった3年3組のメンバーは、
見事に上で書いたような、いわゆる「運動ができる奴・勉強ができる奴」で固まっていたのだ。
おれと同じ地味な生徒はおれも合わせて4人だけだった。男子20人中4人……1/5。
そう、3年にもなれば、同学年の奴のことはだいたい把握しているものだ。おれだけでなく、
もうみんなそういう区別がつくようになっている。できる奴かできない奴か、どのグループに所属しているのかなど……。
それをさらにおれに思い知らせるように、
隣の3年2組の「運動ができる」男子がやってきて、3組のクラス表を見ておれにこう言ったのだ。
「いいなぁこのクラス。体育祭とか圧勝じゃん。すげー楽しそう。なぁお前、おれと替わってくんね?」と。
おれの顔は確実にひきつっていたと思う。いや、替われるなら替えてほしいくらいだ、と思ったのも確かだ。
そして、それよりなにより、やはり誰が見てもそういうふうに映るのか、と悲しくなった。
おれ以外の地味な生徒3人も憂鬱な表情を浮かべていた。
そんなわけで、
おれはこの中学最後の一年間、このクラスでやっていける自信はまったくなかった。
授業の合間の休み時間は、教室を離れて誰もいない所に行くか、机に突っ伏して寝るフリをするかの二択だった。
たまに、気まぐれにおれにちょっかいをかけてくる4/5の連中が嫌で仕方なかった。
向こうからしたら「かまってあげてる」程度の認識だったのかもしれないが。
そんなおれでもなんとか毎日ひっそりと学校生活を続けて……(体が弱いということもないので、毎日学校に通っていた)、
修学旅行は基本、班行動であり、その班構成によって修学旅行のすべてが決まるといっていいだろう。
おれはおれ以外の地味な3人と同じ班になることもなく(最初から諦めてたけど……そんなうまくいくわけがないって)、
気が合わない、ほとんど話したことのないヤンキー(でも運動ができてイケメン)とデブ(太ってるけどクラスの人気者)と同じ班になった。
修学旅行当日。
事前に立てた計画通り、この班でいくつかの寺社を巡った。
雨が降っていたな、そういや。
今ならもっと楽しめるのだろうが、当時のおれはお寺とかそういうものにまったく興味がなかったので、
なんで京都まできてこんなところ歩かなければいけないんだろ、と思っていた。
道中、同じ班のデブに声を掛けられた。
なんだろうと思ったら、そのデブは
「今夜さー、寝る時、お前とか××(おれ以外の地味な3人のうちのひとり)とかハブられると思うよ~」と
無邪気に言いやがった。
ちなみにおれのクラスの男子は2部屋に分かれて就寝するということで、2グループに分けられていたのだが、
おれの寝る部屋にはおれとその地味な3人のうちのひとり以外はヤンキーやデブの仲間しかいなかった。
おれは「ああ、そう。ふーん、別に……」とか、さして問題じゃないようにふるまった。
心の中で、そんなの言われなくてもとっくにわかってるよ……と呟いたりして。
そんなこともあって、旅館に着いても憂鬱だなぁ……とぼんやりと駅のホームで電車を待っているときのことだった。
そのホームではいくつかの班がクラス関係なく合流し電車を待っていたのだが……
おれがぱっと見一人にいるように見えたのだろう、1組の男子Yがやってきておれに声をかけた。
その1組のYは、学年で人気投票をとったら確実にベスト3に入るほどの超人気者だった。ま、スポーツもできるし超イケメンだから当然だけど。
おれとそのYは小学5、6年と中学1、2年で同じクラスが続いたので、何度か話したこともあり、
おれ自身、Yのことを「おれみたいな地味な奴とも話してくれる、いい奴。さすが人気者だなぁ」というふうに思っていた。
で、雨の中長時間歩いたこともあり、上のデブの発言もあり、おれはちょっと頭が痛くてぐったりしていて、
声をかけてきたYにも「いや、ちょっと頭痛くて……」みたいなことを話していたら、そいつがやってきたのだ。
そのKとおれは、同じ小学校に通っていたというだけで、一度も同じクラスになったことはない。
そのKはYと同じ部活に所属し、クラスのボス的存在だった。ちなみにKは5組、Yは1組ね。
KはYと親しいので、Yに「よお」とか挨拶してきた。
そこでようやくKはYの隣に立っている、暗い表情のおれに気づいた。
そしてKは言った。
「あ、おれこいつ嫌いなんだよね」
え?
耳を疑った。
頭の痛みのせいか、ぐらぁと体が揺れるのを感じた。おれは突然のKの発言に呆然とするしかなかった。
なんで?
おれなんかした?
Kと関わったことなんか一度も無いのに。
ていうか何その言い方。
まるで虫を見つけて「あ、おれこの虫嫌ーい」と言うような、軽い感じ。
いきなり向けられたKの敵意に、おれは吐きそうになった。
隣にいたYが「そういうこと言うなよ~」と笑って返していたが、それもショックだった。
ああ、その程度なのか……と。
怒ってくれとは言わないが、なんていうか、もうちょっと真面目に返してほしかった。
あとになって、このときのYのことを思い返して複雑な気持ちになった。
超人気者のY……もちろんおれもYのことを人気者として認めていたし、いい奴だと思っていた。
それでもあの場でのああいう対応に、おれの理想のYとのギャップを見た気がしたからだ。
幻滅したといっていい。
「あ、おれ、班の人のとこ行かなければ」と言いながらその場を去った。
その夜、ハブられておれと地味な3人のうちのひとり以外が
部屋で騒いでることなんかどうでもよくなった。
こうして書いてみても、いまだにあのときの嫌な気分は消えない。
Kに言われたときのことは今でも鮮明に思い出せるし、今朝みたいにふとしたときにフラッシュバックする。
おそらくKは言ったことを忘れているだろうけど。
こんな、いじめとも呼べない体験ですら10年以上経っても心に刺さるんだから、
今いじめられている人たちは卒業してからももっとツラいんだろうなと思った。
嫌なことは簡単には消えない。
どうすればKのことを払拭できるのか……まだわからない。
おれは今後もたまにKのことを思い出しては嫌な気分になるのか。
都合よく嫌な記憶を消してくれる人もいないし。
あーあ。
よくあること……でも、本人にとってはそうは思えないんだけどね。
K、見てるか?
お前のトゲは今もおれに刺さってるよ。
院に進学しないで学部生しかやらなかった俺がいうのもなんだけど、同情するところが全くない。
だってさ、実験ってさ、頑張ったから評価されるとか、そういうのじゃないもん。
期日までに、やるべきことはやらないとならないじゃん。
例えば製造業ならさ、受注した分は出荷しないとならんだろ。
「ふざけんな!二度とお前のところには頼まん!」ってなるだろ。
支払期限までに金は払わないとならんだろ。
それと同じ。
期日までに出さないと。
その前には、論文を投稿してアクセプトされないとだし、その前には実験データを収集しないと。
何十億の国家プロジェクトの一環だったりすると、霞が関の役人の首が数個飛ぶってことだってありえるわけじゃん。
そんなんで済まないことだってあるかもしれないじゃん。
実験が出来ないのはまだいいんだよ。
代わりに誰かに頼んだり、まあなんとでもやりようがある。
直前になってやっぱり出来ませんはありえない。
もともと体の具合が悪くて、実験出来ないなら、どうしても無理って段階になる前に言うべき。
「単位もらえないのが怖くて言い出せませんでした。テヘペロッ」
じゃねーよクソが。
お前が扱っているサンプルが、実は横田めぐみの遺骨だったりしたら、すっげーヤバいことになってんだぞ。って言ってやりたい。
本当に重要な検査や実験に限って、二重盲検でやらされたりするんだぜ。
「どうせたいした研究じゃないし」って舐めてかかるなよ。
頑張った、頑張ってない、華々しい発見があった、なかった、そんなのは二の次だ。
計画通りにことを運べ。
先手先手で軌道修正しろ。
話はそれからだ。