はてなキーワード: 血液型とは
同姓同名の友達がいる。山田花子と山田華子くらいの違いはあるので、正しくは“ほぼ同姓同名”になるのだけれど。血液型も生まれ年も同じで(私たちは早生まれで、私たちが出会ったとある集団におけるその年の生まれは私と彼女だけだった)ちょっと運命めいたものを感じている。すべての人に運命の出会いというものが用意されているのだとしたら相手は彼女だろうな、と思うくらいに。
先日、ふたりで旅行をした際、彼女から「男じゃなくてごめん」と謝罪された。「私が男だったら、私たち、絶対に付き合っていたよね」と。それから前世はまちがいなく夫婦だったということや来世ではたとえ男同士に生まれていたとしても結婚しようというようなことを話した。私と彼女は慣れない日本酒をそこそこのペースで飲み終えたあとで、完全に酔っ払っていた。素面ならば彼女は同性愛に嫌悪感を示す性質だろう(と私は思っている)。それでも、否、だからこそ彼女の言葉はほんとうに嬉しかった。
いつか、彼女が結婚したら同姓同名ではなくなるのだと思うと寂しい気持ちになる。できるだけゆっくり彼氏を見つけてください。そうして、ゆっくり結婚してください。ただ、友達として忠告しておくと、長瀬くんは現実にいるけれどいないようなものなので諦めたほうがいいと思います。
ソーシャルフォビアについて考える。
話題になりがちなのはLGBTフォビアで、LGBTは政治活動をしてLGBTフォビアの撤廃を求めている。しかし次のとおり、なぜLGBTフォビアだけが取り上げられるのかについては疑問がある。
第1に、数こそ不明だが、特定の属性に対するフォビアには様々なものがある。アンドロフォビアやジャイノフォビアもあれば、ストレートフォビアや低学歴フォビア、低身長フォビアや、日本人フォビア、血液型によるフォビアなどというものもないとはいえない。逆に言えば、フォビアの対象になりうる要素は、多かれ少なかれ、誰でも持っている。
第2に、女性恐怖症を含むフォビアとは、治療が可能な恐怖症なのか、本人の資質として放置するべきものなのかが明らかでない。治療方法が存在していても、医師らが患者に対するフォビアを持っているために解決しにくいということも考えられる。
第3に、つまり、LGBT派自体が異性愛者フォビアではないかという疑問がある。LGBTの人がトランスフォビアやホモフォビアである場合もあるという。
第4に、LGBT差別撤廃活動が偽旗である場合も考えられる。政治家などがLGBT派を利用し、LGBTフォビア撤廃を主張するのは、実質的には、多数派の異性愛者に罪悪感を与えるとともに「差別撤廃に取り組む意識の高い人間」として自己正当化を図る目的に過ぎないかもしれない。そうした政治家は、もしフォビアの治療方法があっても、表に出そうとはしないだろう。
なお子供に対する性差別は深刻だ。現代では性別を知って中絶することができる。例えば一般的に女の胎児のほうが中絶されやすかったり、児童ポルノ被害に遭いやすいとすれば、それこそ深刻なジャイノフォビアだ。結局女は、LGBTや低学歴でなくとも差別を受けやすいということだ。
これは間違いないと思う。この夏地元に帰ってよく分かった。
高学歴なら一歩間違えれば差別になりかねない言葉は通常避ける。
低学歴はそうじゃない
「本気で信じてるわけじゃないって」 「雑談のネタとして使ってるだけだよ」
「血液の成分の違いが性格に反映されないと考えるほうが無理がある」
とか一見専門的っぽい言い回しを使ってまで話したがる人までいる
ちなみに科学者は皆否定しているのだがそれは耳に入らないようだ。
でもこういう姿をみて思ったのがこれこそが日本人なのだとという事。
日本人には「正当な理由があれば差別しても良い」という考えが根強く、「理由があっても差別は駄目だ」という考えは綺麗事として処理される傾向がある(そもそもその理由が無いんだけどね)
安易に差別を批判すれば【独善的で押し付けがましく個別の"理由"を考慮しない欧米的な傲慢な考え、主張】であると受け止められる。
今日の虚構のこれさ、http://kyoko-np.net/2016071201.html
タイトルの「「疑似科学信じやすい」9割はO型」が絶賛されてるんだけど、そんな実験結果が出たならこれまでことごとく否定されてきた血液型と性格の相関が示されたかもしれないってタイトルじゃん。
絶賛してる人は「血液型性格占いはエセ科学」っていうのを盲目的に信じ込んだまったく科学的じゃない人たちだよね。
それも込みでネタに乗っかってるって感じもしないし。
こいつらが大手を振ってエセ科学批判してるとか思うとげんなりするわ。
追記
ちょっとブコメもらったから追記しとくけど、別に虚構の記事内容について文句があるわけじゃないよ。
俺が気にしてるのはこっちhttp://b.hatena.ne.jp/entry/kyoko-np.net/2016071201.htmlのブクマカたちだよ。
idコールまではしないけど、人気ブコメが「タイトルが自己矛盾」とか「タイトルが秀逸」とか「出オチ」とかそんなんだし
タイトルだけでこういうふうに面白がるってことは、「血液型で区分すること自体」が疑似科学って認識ってことだよね?
いやいや、それは違うでしょって言いたいの。
血液型性格診断が疑似科学なのは「血液型で区分した結果、全然差異が無いのにさも差異が有るかのように言われるから」疑似科学なんだよ。
このタイトルみたいに「血液型で区分した結果、差が出ました」ってなったら疑似科学じゃなくなっちゃうかもしれないわけだよ。タイトルだけ見れば。
(urlで気づくし、記事内容も全く信頼に足るものじゃないのは当然としても)
だからタイトルが矛盾してるってことはないし、出オチってこともないし、むしろ滑ってるでしょと。
中身のオチは研究チームの人が血液型性格診断で考察してるとこだけど、タイトルの内容は単なる実験結果だよ。オチてないよ。
一人っ子はわかる。
テレビバラエティで芸能人見てて「あ、こいつ」って思って検索したら結構な確率で一人っ子。
それは我儘してるとかではなく、自分の目には浮き出て見えるんだよな。
何故なのだろう。この判別が出来ると気づいたのは成人する前だった。
特殊能力ではなく何かの特徴を見ているんだと思うけれど。よく、わからない。
単純に自分と似通ったところに気付いているだけかもしれない。80パーセントくらいで当てる自信がある。
残りの20パーセントは兄弟と年齢や環境が離れていた、とかに該当することが多い。一人っ子期間が長い子供時代を過ごしただろうということが分かるエピが出る。
そういうの気付く?
「長男っぽい~」とかじゃなくハッキリと、「あ、こいつそうだな」って分かるんだよ。
きっかけは友人との話のなかで「殺人は血族間のほうが多いんだよ」という話をされたから。
見ず知らずの人にいきなりブッ刺されて殺されるというのより、血族、ようするに親戚関係のいざこざで殺しに発展するほうが多い。
同じ血が流れているからわかってくれるだろうという期待が根底にあるらしい。
ちょっと離れた親戚とかハトコくらいの人でも、顔は違うけどやっぱり似通ってる。
うちはみんな背が低くてずんぐりした体格の人ばかりだ。血液型もだいたい一緒。
これが逆にひょろりと長身痩躯な親族が集まるところもあるだろうなと思う。
父方の親族はみんな同じ顔してる。笑ってしまうくらい同じ顔してる。
いつだったか友人と話していて、その人はおじいさんがアル中でお父さんはそれが原因でとてつもない苦労をしたらしい、という話を聞かされた。
だけど彼の家へ行ったら、おどろくほどの量の空の酒瓶が床を埋め尽くしていた。
彼は「僕はアル中じゃない」ときっぱり言っていた。(ほんとかよ)
親がアル中ですごく嫌だったと話す人が、タバコが片時も手放せなくてひっきりなしにタバコを吸っていて
あんたお父さんと一緒じゃんと思ったこともある。
一方ですごい一族もいる。全部の人がすごい立派、というか。
社会的地位が高い一族の話とかも聞いた事がある。医師ばっかりの家系とかね。
あ〜、こんなかんじ〜ってなる。
だから殺し合いに発展しちゃうような親族って、なんだかんだ言って気性荒い人が寄り集まってるんだと思う
くわばらくわばら
終わり。
人選って大切。
なにをしていても楽しい相手はほんとうに限られているのだと思う。
趣味の話なら、仕事の話なら、恋の話なら、旅行に行くなら、映画を観るなら、お酒を飲むなら、だれを誘うべきか。
その人選を間違えてしまった時点で、大好きだったアニメを見れなくなった理由は作者にあるのでは。
個人的には対象がどんなに好きなものであっても暴言なしの批判は好きです。考えさせられるし。
*
作者を女だと勘違いして、批判されて怒るのは女。男だったらこうはならないと言っている人がいたけれど
結局のところ、多くの人間にとって性別による性格判断は血液型占いと大差ないのかもしれない。
少なくとも性差について学んでいない私からすれば「男は理論、女は感情」も「A型は几帳面、B型は自己中」も
同じようにふわふわしている。当たっている気と同じくらい、外れている気もするのだ。