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はてなキーワード: 藍染とは

2017-08-15

北朝鮮とかアメリカの威嚇コメント見る度に

"北朝鮮に対して「いかなる攻撃も打ち負かされ、いかなる核兵器使用効果的で圧倒的な報復攻撃に遭うだろう」と警告しました。"

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170815/k10011100011000.html

藍染の「あまり強い言葉を使うなよ 弱く見えるぞ」

ってセリフを思い出すんだけど、じゃあ何てコメントすれば強く見えるんだろうか。

2017-03-20

馬鹿ほど声が大きくしつこく極端で汚い表現を好む

ネットでは声を発すること自体はノーコストリスクも限りなく低いため馬鹿が目立つことになる

ちなみに私も馬鹿なため引用だって躊躇わないんだぜ

・・・まり強い言葉を遣うなよ。弱く見えるぞ。」 - BLEACH 第170話 藍染惣右介の台詞より

2016-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20160903074101

せっかく浮世絵というキーワードが出たので、少し浮世絵見地からコメントを残す。

事実浮世絵美人は一重瞼が圧倒的に多い。

その前に、この文章のなかでいう浮世絵とは、江戸明治期の大衆画、木版画ということで話を進める。

本当は浮世絵定義でそれこそ一冊の本が出来上がってしまいそうなので、たぶんみなが一番あたまに浮かぶ絵として、そういうことにする。

おそらく、浮世絵美人で一番名前が売れたのは、歌麿のものだと思う。

https://data.ukiyo-e.org/tnm/images/C0027082.jpg

他方で、役者絵などは、二重が多い。

https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc147410

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/kunimasa005_main.jpg

役者歌舞伎ということで自動的男性になるわけで、女性男性という違いが大きいので、これをもってどうとはいえないが、とりあえずそれを覚えておいていただき、次の話に移りたい。

(もう少し言えば、役者絵も理想化して描く場合と、写実的に描く場合と、個性デフォルメを強くして描く場合とがあり、話が違ってくる)

他方で、現代漫画である

男性キャラは、イケメンキャラ糸目である

四乃森蒼紫や流川楓を思い浮かべてほしい。

イケメンキャラというよりは、クール糸目熱血漢、優男=パッチリおめめでふと眉、という図式である

藍染惣右介などわかりやすく、当初の優男の時から、敵役に回りクール性格に変わると目が細くなった。

ここで、仮説を提案したい。

「二重、ぱっちり目は美人を示すアイコンではなく、快活な性格を示すアイコンである

と。

そして、現代においては、快活で明るい女性が求められている(=二重、ぱっちり目)が求められている。

個人的には、セクシー系にはぱっちり目は合わないと思う。

逆に、ぱっちり目でセクシー系も合わないように思う。

そりゃ、セクシー系の壇蜜だってキティちゃんグッズくらい買っててもおかしくないだろうし、ぱっちりおめめの橋本環奈だってアブノーマルハードコアセックスくらいしてかもしれんが、その容姿にふさわしいキャラというものを、われわれは求めている。

再び、浮世絵の話に戻ろう。

その仮説を検証しながら、浮世絵世界での美人の変遷について語ろう。

まず、元号明和時代浮世絵が単色や二色摺りから、多色摺りへ変化したとき絵師鈴木春信である

イニシャルはH.S、ドSでHは鈴木春信と覚えてほしい。

多色刷りという技術的な革新もさることながら、女性像も革新的だった。

一言でいえば、ロリである

江戸時代女性像というのは、それ以前の髪を下したスタイルから、結ったアップスタイルに変化した時代だ。

アップスタイル女性社会進出象徴であり、いなせで粋で大人女性萌えていた。

そんなところに、春信はロリである

服装や髪形だけみれば立派な大人、でも体型はドロリ

教科書的には、はかなげな女性を描いたことになってるらしいが、端的に言えば、ロリハードコア凌辱される絵である

女性糸目である

幼児ポルノは持ってるだけでお縄であるので、持っていないしURLを張り付けることも出来ないが、ハードコアロリ裏ビデオには、おめめパッチリの二重美少女よりも、糸目の薄幸少女がよく似合うと思いませんか!?

春信の絵は、物語性が強く、その絵の場面に至るまでの物語や、続きの物語想像させられる。

そこに、例のエロである

薄幸そうな少女に、極太のデカものがぶち込まれてる絵を一度みてしまうと、エロくない絵をみても

「このあとされちゃうんだろうなぁ」

と思ってしまう。

いくつか、お気に入りの春信の春画アドレスを貼っておく。

スタンダードデカちんにされちゃう

http://okunoin.up.seesaa.net/image/IMG20no.189.jpg

レズプレイであったり

https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc149258.jpg

春信の時代のものは、春画でも相当お高くて(一般に、春画のほうが安い。芸術自分を騙せば100万でも買えても、エロパロのために何十万もは出す人は少ないんだろう)、春信の浮世絵を買うなら春画おすすめだ。

続いて、鳥居清長。

ロリから反動からか、長身美人を描いた。

https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc226102.jpg

たぶん8頭身、下手したら9頭身くらいある。

女性を一人だけ描くことはせず、かならず複数女性が絵に並ぶ。

群像劇のような表現を狙ったんだと思う。

自分は、清長が描く美人がけっこう好きだ。

体型も、表情も、健康的な感じがする。

まだこの時代も一重で糸目だね。

続く

2014-05-21

TwitterRTで回ってくる創作論やら創作啓発やら

鬱陶しい。なんなのだあれは。

How toとか「○○をうまく書くコツ」みたいなものとかは、まだ、わかる。実益に適っているし、具体性がある。

だが「絵がうまいひとはいだってこういうものの考え方をしている」だとか「絵がうまくなるにはこういう精神必要だ」だとかそんな感じの創作論やら創作啓発やら価値観押し付けやら価値観押し付けやら価値観押し付けをわざわざ発言なさる人種、とそれをありがたがってリツイート拡散しまくってる人種は正直理解しづらい。わけがからない、気持ち悪い、と感じてしまう。

自戒を込めて」という言葉がこれまた滑稽だ。その言葉を語尾に付ければどんな精神論を振りかざしても他人を見下したような発言をしても綺麗ごとをのたまっても許されると思っているのだろう。

ブラック企業オタク共はやたらと批判するのに、インターネット絵師信奉文化はそのブラック企業精神偶像崇拝とでいっぱいだ。精神論自己啓発で絵がうまくなると信じている(でも自分は絵は描かないor未熟である、が「うまくなりたいという向上心のある絵師にはこれを求めたい」と思っている)し、絵のうまい人の言葉をありがたがればそこに自分が近づけると思っている人間ばかりだ。憧れは理解とは最も遠い感情だって藍染惣右介だって言ってたろ。

そもそも創作という言葉が気に入らない。厳密に言えば、創作、という言葉をありがたがる風潮がわけがからない。絵なんて誰でも描ける。描こうとする人間と描こうとしない人間がいるだけだ。大体、生き物たるもの生きて何かを発言しているだけでそれ即ち創作と言い換えてもいいくらいだろう。そんなに創作かいう大層な言葉を持ち出してありがたがってハードルを上げて、意識の低いものを見下してなにがしたいんだ。意識を高く持ったところで絵がうまく描けるようになるのか?Gペンの線の太さを思いのままにコントロールできるようになるのか?ペンタブきれいな曲線をえがけるようになるのか?他人の言葉リツイートして何らかの大きな船にのった気持ちになって満足する暇があるなら絵でも描いてろよ。以上、自戒を込めて。

2012-12-04

id:contrapunct藍染惣右介

長く星連打して無言という態度を貫き、見るユーザーに「なんだこのネトウヨ単細胞は」と見下しを促す。

そしていざ口を開けば「いつから私がバカウヨ単細胞だと思っていた?」と言わんばかりの催眠解除。

そして怒涛の長文でレタ田葉子(こいつ顔出ししてたのか)を論破。マウンティング完了。(後にネットDVの先駆けと呼ばれる)

デマ検証スキーのfut先生もタジタジ。

まあ、id由来の「contrapunct=ラテン語対位法の意。counterpointの元の語」というわけで、そういう言葉を知っている程度には知能があるのは名前から自明であるのだが。

ところで、件のブクマページは誰が誰に星をつけているか、というのがとてもおもしろいですね。

http://anond.hatelabo.jp/20121204111808

2009-02-18

吉本隆明: ひきこもれ!

あるテレビ番組で、スーパー店長だった人が一念発起して、ひきこもりがちな人にデート相手を派遣して外に引き出すボランティアを始めたというドキュメンタリーをやっていました。番組で、ボランティアの人とひきこもりの人が一緒に集まって話していて、話の内容自体はどうってことない雑談なんです。

ただ、その場の雰囲気が、どうも精神的に不健康というか、異常というか、なんとなく薄気味悪いものを感じた。こりゃ健康じゃないぜ、と思ったんですよ。

その元店長さん自身、引き出すことはいいことだと信じきっている様子で、怖い。ひきこもる人には様々な理由があるんだろうけれど、僕は外に出たくない人はひきこもらせてやったっていいじゃないかと思うし、本当におかしくなっちゃったら、それは専門の医者の領分でしょう。素人さんの価値観で引き出すのが正義だと、そんな簡単なことなんだろうか。

僕みたいな物書きは一日中ひきこもってますよ。精神状態はどうかって言われたら、自分でも何となくおかしいような気がする。でも、そのギリギリのところを歩く職業だと思って僕はやっているわけですからね。

役者さんとか女子アナウンサーとか、人目につくところに出る仕事の人がいる一方で、藍染め、友禅染め熟達した職人さんのように、目立たないところで一日中口もきかずに同じことを繰り返している人もいる。僕に言わせれば、そういう人が職業としては一番まっとうで、すごいと思う。立派な職業人、専門家というのはそういうものです。

人間を外に引き出したほうがいい、社交的なほうがいい、こういう考え方は、メディアの発達とともに力を持ってくるんでしょう。インターネット携帯電話と、コミュニケーション手段が発達していくのが最近の世の趨勢で、これに逆行することはできないんですが、コミュニケーション自体が自己目的化したらそれはちょっと病気です。

そういえば、これもテレビでやってたんですが、自殺願望の人ばかりインターネットを使って五千人くらい集めたグループがあるそうです。勧進元の若い男の子が出てきて話をしていたんだけど、やっぱりいいことをしてると思ってるわけです。自殺したがっている人どうしが相互に励ましあったりして何とすばらしいのかと、これまた何の疑いもなく信じ込んでいる。

僕はこれを「引き出し」症候群と呼んでるんだけど、ひきこもりの人にデート相手を紹介してまで外に引き出そうと思うこと、自殺願望の人を五千人集めようと思うことの異常さに気づいてほしい。客観的に見て、あんたのほうがちょっと病気じゃないかと言いたくなるんです。

何だかひとりぼっちでいることが軽視される風潮があるんじゃないか。友達がたくさんいないと駄目なような雰囲気があるんじゃないか。

これもテレビで観たんですが、「ランチメイト症候群っていうのがあるそうですね。学生さんOLが、弁当を一人で食うのが嫌だっていうんで、前の日の夜から電話約束するらしい。「明日わたしと一緒にお昼ごはんを食べてよ」なんて具合にね。

僕らの子供時代なんて、親から「食べるときは黙って食べろ」と言われたもんです。

僕は一人で新聞を読んだり雑誌を読んだりしながら弁当を食べるのが普通だと思ってたんだけど、いつの間にか「それは異常だ、友達のいない奴だと思われる」という価値観になってしまっている。誰も自分自身でものを考えることができなくなっちゃったんじゃないか、こりゃあ大変なことだぜ、と思ったんですね。

ただ、よくよく考えてみれば、戦争中はリベラルなことを言うと「けしからん」と村八分にされたし、戦後市民運動なんて馬鹿なことをずっとやっていますから、日本という国は元来あんまり自分でものを考えない国柄なのかもしれません。環境ホルモン危険だとか、原子力発電所反対だとか大声でやってるでしょ。連中は数を頼みにして感覚だけを根拠にいろいろ言う。僕は市民運動が嫌いです。彼らは自分で作りだした恐怖感に酔って、気分でものを言っているだけだからです。

選挙のときもそうだけど、みんな民主主義勘違いして、数が多ければそれが真実だと思いこんでいるから、自分の頭で考えることもせずに、員数集めばかりしている。

他人の目を気にして弁当仲間を集めるOLも、ひきこもりを外に出そうとする人たちも、根っこは一緒なんですね。誰かが「カラスは白い」っていえば、感染症のように「白い」「白い」って言い出す。雰囲気がすべてで、それしかない。開かれているようで、実は思考が閉鎖しているんです。

未来のある人には冷静な自己反省というか、自己相対化というか、内省する時間を持ってほしい。ひきこもるくらいでちょうどいいんです。

何が強いって、最後はひとりが一番強いんですよ。僕はいつもひとりで考え、ひとりでものを書いてきました。まあ、僕も戦争中は軍国少年だったから、お前だって同じじゃないかと言われるとちょっと恥ずかしいんですけどね。

2008-11-23

少年ジャンプの「悪」の表現

雑誌としての傾向がぼんやりと見える。

相手が自分と同じ姿形をして、コミュニケーションを取れる存在であるにも関わらず、その相手の命を奪う事に何の躊躇も無いという点で一致しているように感じる。中にはそれが先天的レベルで定着しているようなのも。

  • ブリーチ
    • 悪役としては、元死神藍染惣右介一派と彼らに協力している虚(ホロウ)一派が挙げられる。前者人間をどのように認識しているかは知らないが、目的達成のために長い間周囲の同僚を欺き続けたり、数万人単位の人命を躊躇無く奪おうとしている点から推して知るべし。後者は元々の設定上、人間の魂は食料のようなものと思われる。どちらも人間自分と対等の存在だとは微塵も思っていなさそうだ。
  • 脳噛ネウロ
    • 悪役は「シックス」。自らを人類よりも進化した種であると嘯き、人類を淘汰(殲滅)せんと企む。彼にとって人類邪魔以外の何物でもなく、利用こそすれ「別に死んでも構わない」的な扱いしかしない。ネウロを懐柔するために捕らえた大勢(数十名以上)の人々を「つまらん」の一言で即座に爆殺した事もあった。自分の信奉者が苦悩と苦痛にゆがむ顔を見るのが何よりも大好き。トップがこんなんでよく組織を維持出来てんなあ。
  • PSYREN
    • 現在判明している悪役は「W.I.S.E(ワイズ)」と呼ばれる目的不明の集団。その上には「元老院」というのもあるらしい。彼らが登場するまでは、主人公達が戦う敵といえば、理性も無く本能的に人間を攻撃しようとする異形の怪物が多かった(後から人間の形や記憶を持ち合わせている者も登場する)。その後、彼らを作り出した存在として「W.I.S.E」が登場する。彼らは圧倒的なパワーで人類を、まるで有害鳥獣駆除感覚で攻撃してくる。その一派の一人が、まるで小学生キン肉マン超人を空想するような感覚人間を怪物へと改造している描写も見られた。
  • ハンター×ハンター
    • 悪役は「王」と呼ばれるキメラアント(食した生物遺伝子を子孫に繁栄させられる巨大な虫。人間を多数捕食した女王から生まれた)。少なくとも登場直後は、人類に対して家畜程度の認識しかしていなかった。最近は違うと自ら明言しているが、あくまでも人類を食料として管理する事を前提としたもの。
  • ワンピース
    • 天竜人(てんりゅうびと)と呼ばれる超法規的特権階級雑誌では煽り文で「悪」と明記されていたのでいずれは主人公達と衝突するのは間違いないだろう。彼らの前ではどんな存在であろうと人権など無に帰し、彼らの如何なる暴虐も止められない。仮に彼らに暴力でも振るおうものなら、世界を統治する「世界政府」の「海軍」全戦力が殺到する事態となる。作品中では多数の奴隷を引き連れ、体格の良い者を這いつくばらせて馬の代わりにするという悪趣味全開な姿をさらしている。おまけに、下賤の者と同じ空気を吸いたくないという理由で頭から潜水服のようなヘルメットをすっぽりと被っている(脱がされても窒息するわけではない)。

我々現代の日本人でも、命を奪うのに躊躇しない生物はそれなりにある。ゴキブリ、蚊といった害虫全般、家畜など。植物に至っては生物である事すら意識していない場合も多いと思う。しかし、もしそれらが全て人間の姿をしていて、我々と同じように言葉を交わし、知性や感情を持ってたら、それでも我々は躊躇なくそれらの命を奪えるだろうか?その時に我々の中に生まれるためらいを易々と踏み越え、踏みにじる事が出来るからこそ、彼らは「悪」である事が出来るのだと思う。逆に言えば、それほどまでに突き詰める必要に迫られるほどに、日本漫画の表現は深くなっているんだろう(その是非はさておき)。

追記

上記で挙げたタイプの「悪役」ってのは、説得とか良心に訴えるという手段が全く通用しない。だからこそ暴力を使う(戦う)事でしか止められないわけで、結局のところ「悪の表現の進化・多様化」とは「主人公達が暴力を使う事の正当性の進化・多様化」の裏返しなんだろうな。

2007-10-17

孔子縞于時藍染

http://anond.hatelabo.jp/20071017144742

江戸時代山東京伝黄表紙コメディ)が世間に孔子様のご期待通り礼が浸透した場合の社会が描いている。

江戸時代の戯作黄表紙:作品鑑賞其の弐 孔子縞于時藍染(こうしじまときにあいぞめ)

http://kibyou.hp.infoseek.co.jp/sakuhin/sakuhin2.htm

当世は、朱子学藍染めの格子縞が大流行。礼を好み、金銀を嫌う世の中になった。 乞食が礼を学び、金持ち商人が金を施そうとして断られる。傾城買いも大金を使うのを色男とされ、女郎は客に金を押しつけようとする。客の息子株は大金を背負い込んだため、朱子学が孝行を勧める通り、勘当を受けようとするが、親は朱子学の通り、子供を許す。 呉服えびすや貧乏神屋と屋号を変え、悪い商品をもっと高く売ってくれと客に言われる。そば屋は無料でそばを振る舞い、金をおいて逃げ出した客をそば屋はその客を追いかけ、握り拳でその頭を撫でる。通人は木綿を着、追い剥ぎならぬ追いはがれが出没、大豊作ゆえたくさん年貢を納め、天は米と小判を降らせる。小判に埋もれた人々は何とか助かる。

何時だって理想は現実ではないので気に病むことでもない。

2007-04-05

マイダスタダイ

My duster died

私のダスターが死んだ

ような気がする

マイダスター

私の仕事場の台布巾。

消毒と洗浄を繰り返しながら何年も一緒に働いてきた。

患者さんから頂いた藍染のハンドタオル

先日までは生きていた。

そうとうボロくなってきたのは分かっていたけどまだ命があった気がしてた。

2月の末に、仕事場の配置換えがあって、

その時私の部屋の掃除を手伝ってくれた人が、このダスターで壁を拭いて、

その後

「あ、雑巾、捨てときました。」

と言った。

私は顔を上げてその人の顔を見た。

その人と目が合った。

瞬間その人が叫ぶように言った。

「ごめんなさい!戻します!ごめん!ゴミ箱から拾ってきます!今!いま!」

捨てられたことにも驚いたが、そのひとの狼狽振りにもびっくりした。

どれほどの顔をしてみせてしまったのだろう私は、その人に。

その人は私にダスターを返してくれながら言った

「ごめん!本当にごめん。そんなに…大切なんだ。」

私ははずかしくなった。

でも本当に大切にしていたので、でも大切にしすぎていることがはずかしくて、

どう答えていいかわからず、

「すみません。患者さんから頂いたタオルで…思い入れがあって。」

と答えた。

それは事実ウソじゃないけど、それだから大切にしているわけでは全然なくて、

ただ私はこのダスターが好きで好きで、その大事なのに理由はなくて、ただ好きなだけだった。

ボロボロになればなるほど好きで

「…ああ…こんなに…。」

って思って愛しくて、匂いかいで、洗いざらしの布の乾いた匂いがして、、

いつまでも一緒に生きてこうねっていう気持ちがして、好きだった。

きちんと洗って消毒して乾かして、それを毎日繰り返していたから、

布が傷んでも、汚くは全然なくて、いつも清潔な匂いだけしてた。

家ではこんな風にダスターを慈しめない。

ボロくなると婆が捨てちゃうから。

でも仕事場のダスターは私のダスター

マイダスター

でも死んだ。

死んだと思う。

これ以上使い続けるのは適切ではないという気が先週からしてる。

でもまだ使ってる。

死体を使ってる気がする。

私は早く新しいダスターを見つけないといけない気がする。

今日は婆と一緒に仕事してすごく勉強になったことがあって

そのことも話したい聞いて欲しいのだけどこれだけ書いたら力尽きた。

ざんねん。

少しだけ書こう。

婆はね、経理の達人でね

達人っていうのはこういうことかって本当

すごいね

こう前向きだね

前へ前へって命のリズムを刻むように

なんかこう生命のリズムを知っていて

そのリズムにそって働くように動くのね

そして煩雑な事柄ひとつひとつを解決するたびに

その解決を自分の喜びにして燃料にしてまた前に進むの

勉強になった

すごく

またいつかもっとちゃんと書きたい

またいつか

「またいつか」って言葉はだめね

いつかって言うたび聞くたび少し思う

いつかは空に吸い込まれやすくて

いつかはたいてい帰ってこない

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