はてなキーワード: 自己肯定感とは
はー結局、見た目が良いからこんなふうに扱ってもらえるんでしょ。
見た目が良くない陰キャには、縁のない世界なので憧れることすらおこがましいことだと思って生きてきた。
美系同士であれば、見た目が良くない陰キャには縁のない世界だという事実を突きつけられてイライラしたり、落ち込んだりする。
ハーレム、逆ハーレムなんかは、ありえない妄想乙って感じで見ててイライラする。
なんでだろ、って考えたときに
という考えが根底にあるのでは?と思った。
なので、ラブコメ好きなオタクは、自分は恋愛しても良いと思えるくらい自己肯定感が高いのか?と思ったんだけど、実際はどうなんだろう、
地方私文(1敗)
浪人(2敗)
コミュ障(3敗)
クソ雑魚国家資格は持ってるけどその資格を使う職には就きたくない(4敗)
競争が苦手(5敗)
そもそもやりたいことがない(6敗)
バイトリーダーじゃない(7敗)
3月はゼミの教授の言うことに従って資格関連の業界のES出してSPI受けて面接行ったけどさぁ、資格持ってても普通に意味ねえんだわ。やっぱ"人間力"よなぁ。5社受けて全部1次面接で落ちたわ。特に大企業ってわけでもないのにな。向いてないのはわかってんだから適性検査で弾いてくれや。
ゼミの教授にもキャリセンの職員にも〇〇さんはやればできる的な扱いされるけどさぁ、二十数年生きてきたら自分では分かる通り、やってこれやねんな。
そりゃこの地域では頭良い高校卒だし資格とかTOEICスコアとかまあそこそこ持ってるしGPAも高えのは確かだけど、そんなのマジでクソほども自慢にならんし、結局F欄やし、まずやればできる子は浪人なんかしねぇし3年の3月から就活始めたりもしねぇんよな。
分かってることは自己肯定感の低さとかやる気のなさとか自分の立場を踏まえてない冷笑的なスタンスとか自分自身の人生なのになぜか客観視してしまっていることとかで、それただの怠け癖のある社会不適合者なんよなーって。これが自己分析か?
自己肯定感の低さとかやる気のなさはまあ昔からなんで変えられないわな。
小中高と同じ部活やってたけどほぼほぼベンチだったんよな。まあ実際普通に下手だったんだろうけど、監督やらコーチやら同輩から決まって言われる「お前はやればできるのにな〜」というお言葉。
やってこれやねんな。
元々の能力値が低いんだよ。
まあ部活で言えば周りの自分と同じ状況の奴は必死になって監督にゴマすって試合に出ようとしてたけど。
それが「やる」ってことなんだろうかね〜とか、まず俗に言うエンジョイ勢だから試合出なくたって良いよなぁとか考えちゃってなんもせんかったな。
練習に監督が来たときだけ動きが1.5倍になる他の部員見てキモって思ってな。
そういうお前が一番キモいって話。それも分かってる(と言いながら多分分かっていないんだろう)。
「お前はもう少し媚びを売るようにしたら人生楽になると思うよ」っていつか友人に言われたな。
まあその通りだと思う。それすらも面倒くさいからやらんのやけど。
自己肯定感のなさは成功体験のなさ由縁とか言うけど、今のところ何したって成功って感じないしよく言われるたとえみたいに、朝起きれた偉い!とはならんのよな。
部活10年続けました!バイト3年間続けてます!←続けてるだけじゃん。惰性でしょ?
年間GPA4.0でした!←でもお前勉強してないしF欄じゃん?
資格一発合格しました!←特に本気になって取り組んだわけじゃないやん。クソ楽テスト受かって何になるの?
テストとかなら結果出て5秒間くらいは嬉しいけど、その後は自分にツッこまれて「ま、こんなもんだろうな」って気持ちになってしまうんよな。みんなそうかもしれないけれど。
こういうの見ると自虐風自慢というか、自己肯定感ないって言う割に自分のことを高評価しすぎてる奴に見えるかもしれないけど、そこんところはよくわからんのよな。
とまあ、話は逸れるわ就活には関係ないわ、クソみたいな駄文書いてる暇なんてねえんだし、とにかく考えたってどうにもならんのだから早く必死になれって話なんよな。
必死になれないのはクズだから。まず必死になるってなんなん?根性論じゃなくてやり方を教えてほしいんだよな。
まあでも、そんなすぐに人に頼ろうとするクズに就職先はありませーん。
どうしたらいいんだろう?わからん。誰か教えてくれ。
「言語化」増田みたいな自明な話を勿体ぶってアドバイスする人たちって、基本的に他人を甘く見過ぎだと思うんだよな。甘く見てるからこそ俺sugeeeeeができて自己肯定感上がるんだろうけど。
そんな今日日小学生でも知ってそうな話を他人が考えて実行してないわけないんだよね。そういう誰でもできるようなことは当然やって試行錯誤してそれでも残るものがあるから辛いって言ってるんだよ。
あのさー、親は見えてるけど見えてないとこもあるのよ
ここに全く書いてないけどたぶん増田には他にいいところがたくさんあるはず
親も子もたとえば走るのが人一倍早いとしても、親からみて自分は県大会一位ほどは早くないので子供も「そんなには早くない」とおもってそういうときになんとなく思いつけないし言えないのよ
親なんてもう走る機会なんてないからね
それだけの単純な話
ただ、体がおおきい上に手伝いをよくする子供だとか風呂の頻度とかは同居している親でしか見分けられないよさでもあるの
学校の自分をみてくれる人、会社の俺をみてくれる人、いっぱいつくっとくの
そうして鏡をいっぱいつくる、良さを反射しあっていきていく
それが社会ってもんなの
悪口で連帯感を高め合うというのと(敵の敵は味方的な)、自己肯定感の穴埋めと、かなぁ。
日常的に言う増田の友達は病み気質かもしれん。女性ならPMSとか。
だいたい悪口大会に居合わせると「増田が悪口言ってた」と触れ回られる事故が起きやすいし
自分がいない時に自分の悪口を言われたりしがちで、ろくなことがないので
関わらざるを得ない人であれば、なるべく話を逸らすようにした方が良さそう。
って、既に増田はそうしてそうだけど。
多分二十歳ぐらいから、怒りを表明することは意味がない、非効率だ、と考えて怒らないようにしてきた。
もちろん時には感情として怒りを感じることはあったし、その感情が外に出てしまったこともあったと思う。
それでも少なくとも「怒りを表明するよりも、問題点を淡々と指摘し、落とし所を見つけていくべきだ」というのを自分の行動規範の一つとしてきたと思う。
そうすると、副作用として、怒りを表明している人に対して軽蔑の念を覚えるようになる。
とはいえ、そういった人を表立ってバカにしたり、非難するようなことは、基本的にはしていないつもりだ。
それは怒りの表明とはまた違うが、それに準ずる行為であり、それもするべきでないと考えているから。
だけど自分は単に怒らなくてもやっていける程度には恵まれた立場にいるだけだということに最近ようやく気づき始めた。
男性として東京でソフトウェアエンジニアとして働いていると自分は明らかに多数派だし、そこそこ仕事はできる方なのでそれなりの自己肯定感と給料を得ながら生活できる。
全てではないが、あらゆるものを持っていると思う。
怒ることなく穏やかに振舞い続けていると、「増田さんって本当に落ち着いてますね」「人格ができていますよね」ということをたまに言われる。 (たまにね)
「そんなことないですよ、結構しょうもないことにイライラしたりもしてますよ」と謙遜して返したりするが、自分の信条を肯定されているようでとてもいい気分になる。
だけどそれは、単に「怒る必要がない」からできているだけのことである。
自分の場合は怒るまでもなく周囲の不快さをある程度取り除けるので、怒る必要性はかなり低いし、怒らない方が多分圧倒的に効率よく物事を進められると信じられる。
そこに最適化された結果の振る舞いに過ぎない。
だけどこのような生き方は、「怒りを表明する人」に対して直接的に非難したり攻撃はしていなくとも、間接的にはそういった人々の評価を下げているのかもしれない。
彼ら彼女らは人間としての程度が低かったり損得勘定ができないから怒っているのではない。
確かに、損得勘定がもう少しできれば怒らずに済む、という仮定は成り立つかもしれないが、社会の歪みのせいで日頃から感じているストレスだったり、そういった状況に対する無力感が蓄積していたら、「問題点を淡々と指摘」できるほどには自制心が働かないこともあるだろうし、それどころか怒った方がむしろ効率が良くて、そこに最適化されている可能性だって考えられる。
もちろん、怒らないと問題を解決できない状態よりは、怒らなくても解決できる状態の方が望ましいとは思う。
だけど現実はそんなに綺麗じゃない。