はてなキーワード: マイルドヤンキーとは
気が弱けりゃ殴られそれが嫌ならイキがるしか生き残るすべがない
どんな素質を持っていたとしても勉強をダサいとする価値観の環境の中で徐々に腐っていき
いつの間にかワケの分からん肉体労働や単純作業や半ヨゴレ業に就くしかコースがない
資格がないから若い間しか通用しない労働に従事して簡単に首を切られることを繰り返す
そこでの話題も常に内容は貧しい
ヤンキーが増えた地域からは勉強できるやつが逃げて余計物質的にも文化的にも貧しくなる
そこにまたヤンキーがヤケクソ気味に子供を作って不幸を再生産し不幸を濃縮させてしまうスパイラル
マイルドヤンキーの定義を見ていただくとわかるように、マイルドヤンキーとヤンキーは全く異なる人物です。一番の違いは、社会に対する「攻撃性」の有無かもしれません。
一般的なヤンキーが、社会に不満を募らせてそれらを攻撃する事に対し、マイルドヤンキーは自分たちの手で、自分の幸せをつかんでいます。誰かに不満をぶつけたり、社会にせいにすることはありません。
また、詳しくは後述しますがマイルドヤンキーは低収入であることが多いといわれますが、自分達の収入に見合った、身の丈にある幸せをつかんでいます。
ではなぜヤンキーという言葉が使われるのかと言うと、ファッションや好みがヤンキー仕様であることや、仲間内の絆の強さ、仲間意識の高さなどが、ヤンキーに通じるものがあるからでしょう。
マイルドヤンキーは自分たちの願望を叶えるために、他人を傷つけたり、他人に迷惑をかけるようなことはありません。地元をこよなく愛し、万が一地元に問題が起こった場合は、地域住民たちと一丸となって助け合い生活しています。
見た目や持ち物の趣味はちょっとチャラい面もあるかもしれませんが、ヤンキーとマイルドヤンキーは、言葉は似ていても、その中身は全く違っているのです。
私は常々不思議だった。何故ラブライバーはヤンキーのような外見の人が多いのかと。
確かにアイドルのライブには昔から「○○命」と刺繍を金糸で入れた特攻服に身を包んだ、近寄りがたい方々がいたがラブライバーはそのはるか上を行く。
全身に缶バッジをつけジョジョの奇妙な冒険第7部SBRに出てくるタスクACT4を思わせるような非人間的外観をした怪物がうようよいるのだ。
その溢れ出した自己顕示欲とIQの低さはもはやヤンキーと呼ぶ他無い。
何故だ。
ラブライブという物語それ自体がマイルドヤンキーの文脈に沿っていたのだ。
母校という地元(いばしょ)を守るため、チームメイトという仲間達(マブダチ)と、全国の頂点(テッペン)を目指す。
その根底に流れるものはROOKIESやスクール ウォーズ といったヤンキースポ根ものの血脈だ。
主人公達の大部分が全くの素人であるという部分も上記の作品と共通している。
そしてそれはラブライブサンシャインでいよいよその色を濃くしていく。
まず舞台が田舎である。これはマイルドヤンキーの生息地として適切だ。
そして主人公達は地元民の期待を背負っている。この結束感こそがマイルドヤンキー魂の生まれる土壌だ。
その結束感ゆえ彼女らは大会のルールを叩き壊し、自分たちの地元と自分たちが盛り上がるためのパフォーマンスに興じる。
そう、彼女らは自分たちが内輪で盛り上がりかつ自分たちの存在を知らしめんためにルールという檻を叩き割るのだ。
一作目のラブライブは、この現代社会の中で自分たちの存在を認めさせる方法としてラブライブで健全にのし上がるという方法を取った。
しかし二作目にしてついに、ラブライブのルールという枠組みに囚われず自分たちの信じる道、自分たちがこの一瞬を輝ければ周りの迷惑も今後のアイドル活動すらも投げ捨てる道を選んだのだ。
最終回にこの話を持ってきたということは、制作側は視聴者にこの姿をロックだと感動して欲しかったのであろうことがわかる。
そうでないのならもっと前にこの話をやり、ルールを破るのは流石に駄目だと反省させる物語の作り方をするはずである。
だが、これに感動できるのはヤンキーだけだ。
心をヤンキーにしなければルール無用の大会荒らしで涙など流せはしない。
それならば結論は1つだ。ラブライブは最初からヤンキーによるヤンキーのためのマイルドヤンキーアニメだったのだ。
そう考えれば、あらゆる疑問の答えが出る。
昨日駅前の横断歩道で信号待ちで前を過ぎる車を数えていると、黒のセルシオが走り去った。一瞬にして通り過ぎたのだが、スモークをはり、大きいホイールに履き替え、車高を落とした姿はあまりに「当然」過ぎて印象的だった。運転している男性は髪は短く、スモーク越しではあったがおそらく染めていて、小太りで、スマホを使いながら運転していたのがみえ、これも印象的だった。
それは「離れてない人」だった。車を持ち、改造する程度には金を使い、太れるくらいには食事は充実しており、休日の日中はとりあえず車に乗るのだろう。それにくらべて僕は「離れた人」だ。車は持っておらず、酒は飲まない、食事はほとんど一人だ。こうして休日は歩いて出かける。スマホを使いながら歩く度胸程度ももっていない。
「離れてない人」はすぐに怒るように思う。だが不思議と、そういう人たちは職場ではリーダー格になっているようにも思う。怒る相手を選んでいるからだろう。今、書いている僕は、特定の個人を思い浮かべているのだが、彼はいつも怒っている。自分にかかる迷惑には敏感で、自分がかける迷惑には鈍感だ。ぜったいそっちのほうが生きやすいのだと、僕にだってわかる。「迷惑をかけないように」と育てられた僕は、そんなことをなんとも思わない「離れていない人」たちに、いいように使われるだけなんだ。
彼らに対して「マイルドヤンキー」だなんて格下に感じる名前を付けても、現実はなにも変わらない。すくなくとも、僕の生きにくさはなにも変わらない。休日はイオンですごす、なんてバカにしてみても、僕は車がないのでイオンにも行けやしない。そういう、みんな、みんな、すっぱいぶどうにしても、しただけ、僕は生きにくくなっていく。
大きな音を立てて、走り去るセルシオを見やりながら、そんなことを考えていた。
後ろの車が煽ってきて危なかったので、制限速度をキッチリ守ったら信号待ちで窓開けてものすごく怒鳴られました。
このことを同居人に話したら、制限速度プラス10km/h以上で走らないあなたが悪いと言われました。
いやさ、「謎ポエム」とか「腕組み」とかラーメン屋自体が叩かれる?ことはあっても
うまく言えないけど
タバコプカプカしながら爆音でエグザイルを垂れ流し黒の軽ワゴンでパチンコ屋へ行く好きな漫画はワンピース
ネットに浸かった人たちの中で
「エグザイル最高!」とか言えば十中八九馬鹿にされると思うんだけど
「趣味はラーメン屋巡り」と言ってもそんなに馬鹿にされない、むしろ話が盛り上がることすらあるように見える
別に個人的にラーメン好きを叩きたいとかいうわけじゃないんだけど
なんでかなあと
※ブコメ読んで追記
確かにブコメで言われているとおり
東京のラーメン屋ってオタクっぽい風貌の人が多かった気がします
逆に地方のラーメン屋はDQN(マイルドヤンキー?)っぽい人が多いです
とにかく
僕のこの
田舎定義で盛り上がってるが、自分としてはどうしようもないマイルドヤンキーが巣食うところこそが田舎だと思ってる
この間、友人と地元のバーに行ったが
おれはそいつらが大っ嫌いだったが
別段邪険にしたりはしない
一緒に飲んでて出てくる話がだいたい昔話なんだ
昔の○○はできない奴だったとか
そんな話ばかりでうんざりする
一番イライラするのは中学校の頃のイケてないグループを馬鹿にすることなんだ
なんで昔の人間関係をそのまま引っぱってるんだと
だいぶ稼いでるやつもいるし
だけどそいつらの中じゃ、イケてないグループのアイツのまんまなんだな
まずまずの大学行ったやつらはやっぱりまともだわ
絶望的なのはこれが大都市と言われる都道府県の話ってことなんだ(中心地ではないけど)
つまりいくら便利で、発展してても、その恩恵が行き渡ってないぐらい
教育水準の低い連中がいるんだよな
無人駅があるとか人が少ないとじゃなく
未開の土人が住み着いているところが田舎なんだよ