はてなキーワード: セルフプロデュースとは
案外自分は絵が上手い方だと思っていた事を認めなくちゃならない。
実績があるわけでもなく、ただ各種SNSでは絵を投稿すると必ずたくさんの人が反応してくれた。
イラストを書く度にデッサンが、パースがおかしいと頭を抱え、自分は下手だとよく猛省しながらも、
絵を人前に出せば、何かしら反応を貰える状態ではあった。
ある日、なんとなくそれまでとは別のpixivアカウントを作り、名前も変え、
閲覧数は30が限界で、ブックマークなどは勿論一つもつかなかった。
何故評価されないのか、見てもらえないのかという根本的なセルフプロデュースの話はこの場合さておき、
この事実にショックを受けた自分は、全くもって絵が下手だと自覚していなかったのだと痛感した。
謙遜しつつも、確実に驕っていたのである。
上手く描けない…下手だ…と、確かに思っていたし、上手く描けず悔しくて泣いたこともあった。
しかし心のどこかで「でも自分はある程度描ける」と驕っていた。絶対にだ。
驕ることで絵が描けていた面も確かにある。だから驕ることを恥ずかしいとは思いたくない。
(13.7.11追記) うわああああ気持ちわりーブクマいっぱいついてるううううー。
伊藤計劃の幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描く、というが読後に感じたのはバラード的なものを読んだというよりは、90年代に読んだいくつかのサイバーパンク小説に通徹していた一種の非情や無常をはらんだ物語たちのことであった。バラードのテクノロジー3部作や『ウォー・フィーバー』に近いものがあることも確かだがそれらと比較するのは野暮であろう。これは21世紀に生きる我々の問題を扱った「今」を生きる小説なのだから。
政情不安、内戦、グローバリズムの暗部、といった人類の憂鬱な現在と未来。そこで生きる人々の日常とともに、「未来ガジェット」をも魅力的に描き出す。現代日本SFにとって亡霊のような存在になってしまっている伊藤計劃が、代表作『虐殺器官』で実現したこのスタイルを、宮内悠介はこの『ヨハネスブルグの天使たち』で踏襲しています。
テロが頻発し、持つ者と持たざる者が極端に現れつつある現代社会の延長線上に待つものは何か?それを問うているのが本書である。(略)どのような宗教、民族、イデオロギーといった価値観は対立するものと表裏一体であることを、強く意識させられる。
「今を生きるための小説」「グローバリズムの暗部」「イデオロギーの対立」「民族紛争」「考えさせられた」…。
SF小説それ自体が社会を語るものであることは否定しないけど、
「とにかく作品を通じて社会を語らなければならない」という強迫観念が、同調意識として
ここ最近増しに増してるのはなんなんだよ。あー気持ち悪い気持ち悪い。
伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家・レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、
あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。
虐殺の文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。
しかしその死後気鋭の作家がポンポン表れるはずもなくて、ラノベ作家による駄作JA・Jコレの連発にガッカリしながらも
いかに救いようのないゴミを褒めちぎるかとか、イヤミスブームに乗っかったどうしようもない駄作でコミュニケーションを図ったりといったあたらしい遊びで時間を潰したり新時代を体現する新人作家を探していたのは読者も恐らく出版社も同じこと。
そこにようやく以後を書けそうな作家が現れた。それが「盤上の夜」で創元SF短編賞山田正紀賞を受賞した宮内悠介。
小説の腕それ自体は処女作がいきなり直木賞候補にノミネートされたことで折り紙つき。
そんな奴が地域紛争と911をテーマに連作短編集を出したもんだから既存の社会語りたいおじさんはもちろん、伊藤ウェーブに乗り遅れたぼくも社会を語りたいぼくがわたしが殺到して、結果こんなんになるよねーって感じ。
おまけにそのムーブメントを煽るような帯。”伊藤計劃が幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描いた”。
何が言いたいのかさっぱりわからないが社会語りたいマンにはこれが何かの免罪符に見えるんでしょうかね。
やるせない。そういう思いが読後、胸の中を占め尽くす。登場する高層建築物と言語、宗教の問題はバベルの塔を彷彿とさせて。間違いなく、9.11後、世界の在り様は変わってしまったのだろう。作中で言うところの分岐点だったのかもしれない。DX9はそのままLARsの運用問題を問うているように思える。DXに人格をコピーすることは果たしてその一つの解になり得るのか・・・考えさせられる良作だった
こういう輩は「意識させられました」「考えさせられました」をいくら繰り返したところでなんの意味もないことを社会科見学で学ばなかったんだろうか。
んなもん「あなたの恋人が突然死んでしまったら、どうしますか?」系クソ映画の感想にでも垂れ流しとけばいい。
お前は著者が丁寧に羅列してる参考文献の一冊にでも手を伸ばしたのか?
せめてタイトルで検索をかけるくらいのことはしてるんだろうな?
最後に賢そうなことを言おうとして一番アホっぽく見える、最大公約数な感想を引用して終わる。あーイラつく全員死ね。
まず舞台がねー、ヨハネスブルグ、ニューヨーク、ジャララバード(アフガニスタンの都市)、ハドラマウト(南アラビアの一地域)、それから西東京とバリエーションに飛んでいるがそのいずれもがアフリカやら中東あたりのなんかとっても危なそうな地域と絡んでいる(すげー知能の感じられない把握の仕方だが)まずこの舞台設定が珍しいよね。
これは凄い。『ヨハネスブルグの天使たち (Jコレクション) http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20130525/1369463211
追記。
補足で言いたいことはだいたいブクマで書いてもらってると思うんで、
ところで他人の感想をこき下ろした本人は”ヨハネスブルグの天使たち”を読んでるのかね?そしてなぜ自分の感想を書いて勝負しないの?作者である宮内先生にではなく、近親憎悪的に他の読者に当り散らすのはなぜ?つまり一番語りたがってるのは自分なのに、口に出すのが怖いの?やり返されるから?
青の零号 @BitingAngle https://twitter.com/BitingAngle/status/354620359674298368
A2.えっ…感想で勝負?wwwwしょwwwか、かか、かんそうで、しょ、しょうぶ?
感想ってあの?か、かんそうでww??しょうぶwwwwか、感想でしょwwww勝負www
ブハーッwwwwプッ…クハッ…ゲェェェェーッwwwww
褒めちぎり野郎が互いのレビューを舐め合うためのセルフプロデュース会場での相互オナニーの作法なんざ知るか。
小説はてめえの装身具でも承認欲を満たすためのツールでもねえんだよ。本から出てけ。
A3.俺が気持ち悪いと思っているのは作者でも作品でもなく読者だからです。
ブクマで「SF小説はそもそも社会を語るものだから~」とかいってるバカ共もそれくらい読み取ってください。
「お前は本当に気持ち悪い」という文章から「SFは昔からそうなんだ」とか「お前はどうなんだ」を導きだして「感想で勝負しろ!!!」とか抜かしちゃう人すごいなー。ボーグバトルじゃねえんだぞ。
あー気持ち悪い。
増田です。
匿名なら良いか、と思って酔った勢いでぶちまけて少し後悔してた。
けど小さいながらも反響があって嬉しい。
NoSQLとかnode.jsのくだりで突っ込まれたけど、あまり具体的に書くとバレるのが怖いからこういうサラッと書くだけにした。
本当は具体的なソフト名なんだけど、狭い業界で特定が怖いので語れません。
例えば"今の時代NoSQLっすよね~。ノードを足せばいくらでもスケールできるんですよ。RDBMSとかオワコンなんでこのシステムはNoSQLで作るのが良いと思います"と言うなら、RDBMSのメリット(トランザクションとか一貫性が保証されることとか)を知ってないとおかしいよね。実際RDBMSのほうがよっぽど使えるケースも多々あるわけで。
ヘビィに使えばどちらのケースでも解決が難しい問題が起こることも経験としてよく知ってます。
あんまり具体的に書くと議論が明後日にいくからこのへんで許してください。
本筋は最近のテンプレートになりつつあるエンジニア(勉強会でハッカソンでgithubでオープンソース活動でノマドな感じ。得意なことはプレゼンテーション。将来の夢はエバンジュリストです、みたいな)に物申したい、ということです。
外で勝手にやるのは別にどうでもいいんですが、こういう人がチームにいると言及しているような問題が起こる、ということですね。
セルフプロデュース活動は組織とまったく関係ない分野でしてほしいと思います。
チーム力と会社の金を使って個人では出すことが難しい成果を出して、意図してかせずか、それを自分の手柄として発表する。勿論無断で。みたいな。
比較的頭のいいオタクは統計データを、頭の悪いオタクは偏見を元に人間を判断する。
どちらにしろ個々の人間をじっくり観察することはしない。非効率、あるいは面倒と感じる。基本的に自分のことにしか興味が無いのが原因。
だから、すぐにレッテルを貼る。そこが狙い目。良いレッテルは、作れる。
オタクはIQの高低に問わずEQ(自己や他者の感情を知覚する能力)が低いので、
相手の表情やしぐさから性格を読み取れない分、外見からわかる「属性」で人の性格を判断している。
黒髪、すっぴんあるいは薄メイク、清楚な服装などは、目に見えるのでEQの低い人間にも判断材料にしやすいが、同時にいくらでも「作れる」部分。
性格が悪い女が性格を良くすることより、外見だけオタク受けのいいように作って「性格がいい子」と誤認されるほうが圧倒的に簡単。
本性は、できるだけ喋らないようにすればバレない。ここでもオタク相手の方が好都合。
非オタクの男は、聞き上手な男の方がモテることを知っており、女相手の時には聞き役をしようとする。
同時にその行動は、地雷女を引かないための情報収集の役割も担っている。
オタクはそうではない。ひたすら自分の話を聞いてほしがっている。自分を認めてほしがっている。それしか頭に無いと言っていい。
だから、聞き役を演じれば、気分良くひたすら自分の話、趣味の話をし続ける。
ニコニコしながら、聞いているふりをしていれば良い。
意見を述べる必要がない。だからボロが出にくい。性格の悪い女にとって、非常に騙しやすく好都合。
なにより、ほぼ全てのオタクが「黒髪」「処女」「清楚」「童顔」「色白」「インドア」などの同じ記号に惹かれるため、
マニュアル通りにしていればほぼ全てのオタクに対応でき、効率的で、簡単。
42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/09(水) 09:21:00.71 ID:vYvDeB870
必死すぎるとか言ってるけど
お前らの大好きなアイドル声優のことだぞ?
http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3402426.html
このレスは非常に的を射ていると思う。
現在、オタク男から金を吸い取るための装置としての女(アイドルや女性声優など)が居て、
その上には女をプロデュースしている狡賢い男が居る。換金システムのコア。わかりやすく言えば秋元康。
女が狡賢くなってセルフプロデュースの術を身に着ければ自力でオタク男から金を吸い取ることは可能。
非オタクの男が、オタク女から身体だけ頂くのも簡単。「萌え属性」を身に着けて良いレッテルを貼られ、聞き役になってやるだけ。
オタクは男女共に薄っぺらでチョロい。オタクはEQの高い人間の餌。
異論歓迎。
椎名林檎がデビューしたのは、今から10年以上前である。デビュー後たった3年のうちに、「無罪モラトリアム」「勝訴ストリップ」という2枚のアルバムを発表、空前のCDブームにも相まって大ヒットした。
それが、最新のアルバム「三文ゴシップ」の売り上げは20万枚強。CD不況の中、この数字は決して悪くはないが、全盛期と較べるとやはり人気は落ちていると言わざるをえないのではないか。
そもそも、彼女の人気は一体何に由来していたのだろうか。見通しをよくするために、(多分に主観的だけれど)以下で整理するとともに、最近の低迷の原因を探ってみたい。
「勝訴ストリップ」あたりまでの楽曲の歌詞には、主に次のような特徴があると思う。カッコ内の曲名はその代表例。
1 不安定な自我、死への接近(「同じ夜」「浴室」「アイデンティティ」など)
2 恋愛という二人きりの「閉じた」関係への指向性、濃密な情念(「ここでキスして。」「本能」「ギブス」など。この特徴は初期椎名林檎の大部分の歌詞に共通している)
歌詞世界以外にも、人気の理由として以下の特徴が挙げられる。
4 命を削るような、刹那的で独特な歌い方(「同じ夜」「罪と罰」などで顕著)
5 セルフプロデュース(あまりにも有名な看護婦のコスプレや虚言癖、破滅的なロックスター像の演出などによる、エキセントリックなアイドル「椎名林檎」像の構築)
アルバム「絶頂集」前後を境に、上記の特徴のうち、彼女は1と5、部分的には2と4を放棄していく。代わりに新しく加わった特徴は、歌詞の多様化(「茎」「りんごのうた」など多数)とロック以外への音楽性の拡張である(但し、初期の東京事変ではロック性が強いし、また「無罪モラトリアム」ではロック以外の楽曲も多い)。
人気絶頂期の主な支持層が少女から若い女性であった事を考えるに、オンナノコのカリスマとしての椎名林檎を成り立たせていた上記の要素を大部分放棄したことは、彼女の人気の低下につながったといえよう。
加えて、
・ロックからの乖離(アルバム「加爾基 精液 栗ノ花」「娯楽」など)
・東京事変における作曲の部分的放棄(メンバーが作った曲を歌うことが多くなった)
は、稀有なシンガーソングライターかつロックスターである‘椎名林檎’を支持してきたファンをも失望させた。これが、近年椎名林檎が失速している理由である。
…個人的には、今の林檎が一番好きですがww
「自分のブログで細々と書いている。それなりに良いことも言っているつもりなんだけど客がつかない。」なんてときに、それとおんなじ内容を匿名ダイアリーに転載してみて、どれくらいブクマが付くか試してみる、ってのはどうなんだろう。
最近、匿名ダイアリーによそのブログから転載してきて、しばらくブクマが伸びるんだけど、しばらくして「これ○○からの転載じゃん」なんてコメントが付いて、以降伸びが鈍る、あるいは元記事が消える、なんてパターンを何回か見たような気がする。
おそらくこれらは誰かが無許諾で勝手にやった転載なんだけど、あえて自分から転載してみる、なんて作戦、既に試した人がいるんじゃないだろうか。それがうまくいってブックマークが伸びたら、頃合いを見て「これ○○からの転載じゃん」って言う。そうすると、何人かはそのもとブログの方も見に行ってくれる。トラックバックで、もっと転載者を激しく糾弾するような別エントリを増田にあげた方が良いのかもしれない。とにかく、元の記事がブクマを多く得られるほどの話題を得られるんだったら、ホッテントリを見て回るユーザ層の一部は転載元のブログを見に行って、さらにその一部はRSSリーダーに登録してくれたりするかもしれない。
だいたい、新着エントリによく登場するブログってのは、一回何かのきっかけで特定のエントリが注目を浴びて、それから定期的に見てくれる御贔屓さんが付いてから安定的にはてブの話題によくのぼるようになるケースが多いと思うんだよね。その「きっかけ」をセルフプロデュースしてしまう方法。
もちろん、転載元と聞いて見に来てくれた人を引きつけるくらい、ほかの記事も充実していないと、御贔屓さんは付かないと思うけどね。
何度か読み直したけど、どうしても気持ち悪いので書かせて欲しい。
お前は飯が食えないことに怯えて自分の魂を捨てた抜け殻だろうが。
芸術家になれなくて、なりたくも無い教師になって、挙句に夢見るこどもを早く諦めさせたほうが良いと思い込んでる。
余計なことすんな。
お前は、ちょっとデッサンが上手くて、何がしかの絵が描けて、芸大に入ったところで終わっただけの人間だろ。
諦めて降りた奴が何を偉そうにこれからの奴を引き留めるんだよ。ふざけんな。
飢えて死ぬことを恐れて降りた奴が余計な心配するな。
そんなら、ピカソや岡本太郎みたらみんな降りなきゃなんなくなるだろうが。
逆だろ。目の前にどんな作品があろうが、才能有る奴がいようが、俺は俺の絵が描きたい、そう思い続けて描き続ける奴が芸術家だ。
世間にどう評価されようが書き続ける奴が芸術家だ。
その覚悟のない奴はお前と同じようにどこかで脱落していくから心配するな。
脱落するまでは参加するしかないだろ。それはお前に心配されるような筋合いのもんじゃない。
いっぱしの教師ヅラして、分かったようなこと言うな。余計なお世話だ。お前如きに才能を見切られてたまるかよ。
まったく胸糞悪いよ。
追記:ああ、感情的になっちまって恥ずかしい。すまん。が、正直な気持ちなのでそのままあげる。
評価なんて関係ないなんて言い切っちまったが、ここだけ訂正する。
セルフプロデュースしてプロモーションして資金稼いで作品に注ぎ込んでって奴はいる。
確かに才能のあるなしは、アーティスト崩れみたいな人の方が分かると思うんだ。
でも、芸大出にとって教職についてる人はわりと成功者の部類ですよ…と。少なくとも全く関係のない職についている人や、プーよりまし。トップ美大でもそうなんだから、下は推して知るべし。
ただ、伝統的な芸術家としての道はムリでも、イラストレーターとかクラシカル・クロスオーバーみたいな方向で頑張れば、セルフプロデュース能力と、戦略と、音科は哀しいことにお顔次第で成功しないこともないよ。千の風の秋川さんとか。あの人はテノール歌手としては特別上手いわけじゃないけど、選曲が上手かったね。そういう形の幸せもあるので、わざわざ思いとどまらせることもないんじゃないかな。
「あなたは、自分の価値を高めることで人を引きつけようとしている。 」
「増田だけじゃないよ、lost in translationしてるのは 」
でレスさせてもらった者です。
「あなたには価値がある」と言って貰わなくても済むようにセルフプロデュースした・・・
これと似たような舵の切り方を俺もやってます。
人生、何をするにも、どう価値を作るかが問題であって、どう価値が作れないかを共有しても、そこが気持ちよくなって怠ける口実が増えていって・・・・ 危険だ。
じゃあ、俺と同じような世界をみてる人は・・・・ 的な感じ。
誰かに感心を持とうとしても、「ああ、これは傷のなめ合いに発展するな・・ほか、この人たちと、一緒にがんばれるところは・・・」 ・・・・・ 「・・・まだ・・?」
「俺これができるようになったよ。」「俺これくらい価値を生めるようになったよ」 「へ〜 すご〜い・・・」 「・・・・・」
俺も価値を生むために他人に依存しなくてもいい、他人に傷をなめてもらわなくても済むように舵を切った。自分の価値は自分で打ち立てることにした。「価値は、否定を続けた中で生き残ったものの中に生まれるものだ」というのは間違ってないと思う。そうしているうちに、自分と同じ世界をみる人と出会えるんじゃないかとも。
これを7年以上も続けた増田はすごい。 でも7年で終わるのかってちょっと以外な気がした。 ・・・でも何となくわかるような気もする。
承認を求める「これ」はどうやったらクリアできるんだ? って、変な稼働条件を負ってるのがイヤになったり。
ここから下のページで延々と繰り広げられてる「ダメな俺を丸ごと受け入れてくれ症候群」をみると失笑せざるを得ない。
そして、今の俺を構築するために「それは価値が無いよ」と土に埋めたものを掘り出す術がない今、それらを抱えてる人たちに土を付けずに、rapportを構築する術を探してる。
難しいものだな。
でも増田もなんか面白い人だ。
だいぶ前にあるテレビ番組で取り上げられていた女性画家について思ったことを書いてみる。
以前民放でも取材されており、それを見たときは、「暗い絵だな。」「タイトルが思わせぶりだな。」という程度であった。たださらに前に、週刊誌で注目の美女とかいうテーマの各界で活躍している若い女性を取り上げている中に、女優然とした雰囲気でたたずむ女性がひときわ印象的で名前は知っていた。
一般に容姿が重要視される職業以外に就く女性が、通常レベルと思われているものよりやや上だと途端に「美人何々」と評されることがよくある。これは、褒め言葉というより、女性を貶めているように感じるのだが、それはひとまずおいておく。
この「美人画家」は、そこそこ売れているらしい。女性画家といえば、片岡珠子、小倉遊亀、マリー・ローランサンなどが浮かぶし、彫刻家ではカミーユ・クロディーユが浮かぶのだから、まあ絶対的な数は少ないが存在しないわけではない。特に絵画、彫刻について学んだことがあるわけでもないごくごく素人なので、今回取り上げられていた画家の作品についての良し悪しについて語る資格はない。
驚いたのは、彼女の衣装である。
どれもファッション誌から抜け出たようなのである。上背もある方らしく、着こなせるということもあるのだろうが、どれもが一枚の写真に収められることを考えていることが見て取れる。ああ、洋服とは身体で着るものなのだと思わせるにはあまりある。
番組全般で見られることを完全に前提とした洋服選びと言っても過言ではないだろう。生活感を感じさせない。当然、テレビカメラが入っているのだから、万人に見られるという意識はあるだろうから、当然と言えば当然だ。
最初にのトリエでの姿は、ヴォリュームのある濃いグレーのローゲージニットに黒のハイソックスに黒のミニスカート。髪はポニーテール?というのだろうか、トップでまとめている。
自分について語るときは、長い髪をおろし、巻いているのだろうか、タレントとして活動している某姉妹の姉のように、ゴージャスでアイメイクが強い。
教授の研究室を訪れる際は、髪はまとめているが、くっきりと濃いメイクに、黒いミニスカート。
この時、気になったのは、入室にあたり、随分とへりくだるのだなということ。何度も小さくお辞儀をするのはエレガントには見えない。緊張していたのだろうか。
またアトリエでは、チャコールグレーとベージュの中間のようなミニスカートに太めの網タイツ、シルバーのパーカ。
彼女が学生時代から感銘を受けているという絵を観にいくときは、訪問着。とても素敵でよく似合っているのだが、勿論、年齢もあるのだろうが迫力がある。お嬢さんという雰囲気でも若奥様という雰囲気でもなく、銀座のクラブ(行ったことないけど)のママのような貫禄がある。
またアトリエでは、ロイヤルブルーを薄くした色の膝上ワンピースに黒いタイツ。
髪は緩く巻いている。しかし、なんというか体格がでかい。決して太ってはいないが、肉感的にみえるのはテレビだからだろうか。
またアトリエに教授が来訪した際に身につけているのはドレス・・・・・?ワンピース・・・?ラベンダー色のノースリーブ。昼だか夜だかはわからないが、何故またネグリジェみたいな服なんだろうと思った。大変失礼ながら、それでは高級娼婦に見えてしまわないだろうか。しかも何故アトリエで・・・。緩く巻いた髪に、濃いメイク。お顔立ちがくっきりした方。
最後は、某大学院教授との対談。白いワンピースに黒いベルト。髪はストレート、昼間の外だからかメイクは若干薄め。この教授の話し方は、さすが対話慣れしており聞きやすいスピードと明確な言葉を用いており、なるほど頭の良い方なのだろうと伝わってきた。著作を何冊か読んだことがあるが、いつも『強者の理論』の方。教授は、昼間の外には、残念ながら不釣り合いな光沢のあるジャケット。夜に演奏会にでも出かけるのだろうか。もう少し軽めのニットなどにしておけば洗練さをアピールできたのに。
画家にはちょっとがっかりした。自分の言葉で語るには充分な年齢のはずなのに上っ面をなぞっているかのようで、響いてこない。使う言葉が、下品にもとられるものだから、どうなんだろう。
画家なのだから、センスが悪かったりすればファンをがっかりさせるのだろうし、存在をアートにしたいのだろうか、番組全体を通して、いつでも寸分の隙も見せてはいけないかのような印象を受けた。
一枚の絵があって、それが世に出るには様々な方法があるのだろう。
絵はそれを鑑賞する者に言葉以上の力で迫ってくることが出来る。
しかしそれを生み出す側にどのような苦悩があるのかは鑑賞者には関係のないことだ。
なので、生み出す側が自らの作品について語る姿を見ると、私は少々げんなりしてしまう。
言葉を介在しない表現方法を以て世に出ているのだから、必要ないのではないだろうかと思うのだ。
けれど、ファンならば私生活が垣間見られるような語り口に興味を持つだろうし、より人気がある人ならば番組も作られるだろう。大衆の欲望には限りがない。
おそろしいのは、話し方や身のこなし、仕草すべてがカメラを通して、見られてしまうことだ。
人間とは、こうも無防備に己をさらしてしまうのだ。
低い声と落ち着きがなさそうな口調。カメラを前にして平静を保つことは難しいだろうが、何か少し腺病質なのかなと思わせる。また暴力的な体験もあるらしく、平坦な生活ではなかったのかもしれない。
この番組を観て、彼女の個展に行ってみようとは皮肉なことに思わなくなった。書店の画集で良いかなと。
それより彼女が影響を受けたと公言していた作品群を今後は観ていきたい。
ひとりの人間が世に出るにはさまざまな方法があるのだろう。凡人ですら日々のあれこれに思い悩みまどうのだから才あって生きる人の苦悩たるやいかに。
http://anond.hatelabo.jp/20070515000141を書いた者です。
その後も引き続きしょこたんをウォッチしておりまんた。
ウォッチしすぎてリアルにしょこたんをまいしてしまいそうな自分が怖い。
そして思ったのだが、しょこたんはあれだな。
弁が立つしセルフプロデュースがギザウマスなのだが、普通の芝居が下手だな。
オタクの性で、普通っぽいことをしようとすると反射的に緊張してしまうようだ。
役者には向いてないかもしれない。
歌も、上手いんだけど、アニソンオタの印象が強すぎて
先行き長くはないかもしれん……。
とはいえ、トークができるのと絵が描けるのは強みだ。
16歳のうちはバラエティで顔を売りつつ、オタクアイドルの道を邁進して、
17歳になった後は絵の仕事を息長く続けて行って欲しい。