はてなキーワード: アヌスとは
下着売り場が目立つ場所にあることの是非論で見たし、それ以前にも似たような話題でしょっちゅう見るんですけど。
「生殖活動だの、生理だの、泌尿器やトイレだの、下着だの、授乳だの、そういうのは性的なものでない、エロいものではない。エロいと感じる方が知識・理解不足だったり妙な歪みがあるだけだ」
みたいな意見あるじゃないですか。
あれを言ったり賛同したりする人って本気なんですかね。
まあ本気なんでしょうが。
じゃああの人らにとって、文句なく性的でエロくて欲情するのが相応しいものってなんなの?
性器?
でもろくでなし子とか、或いはあんな過激なパフォーマンスせずとも「性器もただの体の一部でしかない」とか言う人いるし性器もダメなんじゃないの。
互いの身も心も人間性も理解し、尊重し、愛しあい、合意を取った上で発生するセクシーな雰囲気、その帰結としての欲情やエロティシズムこそが正しく、そこにのみ真の性の喜びがある、みたいな話なんでしょうか? まあこれは冗談ですけど。
なんかもう、お互い顔も見えないローブを着て性器だけ接触させて正常位をし、できるだけ快楽を得ず射精したら即離れるセックス以外は異常、みたいな話になってきそうだなってああいうの見ると思うんですよ。
どっちかと言うと、全てが正しい欲情かな。
アヌスに興奮しようがおっぱいに興奮しようがチンコに興奮しようが唇に興奮しようがホクロに興奮しようが虫さされに興奮しようがウンコに興奮しようが、それでいいんですよ。
人は何を好きになってもいいんですよ。
結局、「~にエロを感じるのは認識や知識に歪みがあるから」みたいな意見は、「受け手が嫌がったらセクハラ」みたいな感覚で「受け手にとって不本意な部分や状況に対する欲情は正しくない」ってのを知的っぽく言おうとしてるんだと感じるんですけど、人が人に向ける好意悪意劣情愛憎にまで、正常異常の判断を下すことはすべきでないと思います。
欲情については、むしろ「する側が欲情したらそれは妥当な欲情」でいい。
意図せぬ部分について欲情されること自体が不快な人は結構いるし、私も知人にオナペットにされてたと知った時はオワーッとなったけど(知人がわざわざ私にそれを教えて楽しんでたわけではないので知人に罪はない)、そりゃあもう仕方ないよ。
嫌われるのが不本意だからって、他人が自分に抱く嫌悪や憎悪に「正しい嫌悪・間違った嫌悪」と裁きをくだすのはおかしいでしょう。
いや個人レベルでは「あいつに嫌われるのはまあわかる、筋が通ってる。逆にあの野郎が嫌ってくるのは不条理だ、誤解だ、おかしい!」とか思って当たり前ですけど、そういうんじゃなく、社会的に、一般論として「こういう嫌い方はよくてこういうのはダメ」なんて主張するのは変だ。
「博士の異常な愛情」なんて言葉は、映画タイトルという一種のポエムだから魅力的なのであって、真面目に人間の行動と心の善し悪しを議論する時に使うもんじゃあねえと思いますし、それが愛情じゃなく欲情でも一緒です。
論点がズレててよくわからないと言われたので補足しておきます。
メインは前半で、「生殖や性器が性的なものでない」という見方に納得できないということです。
じゃあそういう人らにとって文句なく性的なものの定義ってなんなのよ、と疑問を投げています。
後半は、「生殖や性器が性的なものでない」と考える人は「受け手にとって不本意な部分や状況に対する欲情は正しくない」という気持ちを秘めてそうだと推測した上で、正しい欲情も間違った欲情もないのだと反論しています。
なので後半は、「受け手にとって不本意な部分や状況に対する欲情は正しくない」という気持ちが背景にないタイプの「性器≠性的」説には関係ない話ですね。
私は、ある人の性的な興奮を喚起させるものである、ということがその人個人にとっての正しい「性的なもの」の定義だと考えています。
世の中には色々な人がいるので、ほぼ全てのものが誰かにとっては性的なものになりえます。逆に、あらゆるものが性的でない、そそらないものにもなりえます。
で、個人の感覚の集積、つまり多数決によって、社会通念としても性的だとみなされるものが曖昧に決まるのでしょう。
ある人にとって赤く見えることが「赤いもの」の定義であり、人間の多くが赤いと感じることで社会的にもそれは赤いとされる、みたいな感じです。
なので、本文では異常な愛情や欲情などないと言ったけど、マイナーな欲情の仕方は、社会通念や常識からはなんとなく異常として扱われてしまうことは残念ながらありえるとは思います。
社会通念のあやふやさが表れたどうも尻座りの悪い部分ですが、仕方ない。
私が納得できないのは、
「生殖活動だの、生理だの、泌尿器やトイレだの、下着だの、授乳だの、そういうのは性的なものでない、エロいものではない。エロいと感じる方が知識・理解不足だったり妙な歪みがあるだけだ」
という意見の口ぶりが、エロいと感じる個人の感覚・性的好みを愚かで間違ったものだと断じているように見えることです。推測ですが。
後半はそのものズバリですし、前半も「(誰にとっても)性的なものでない(べきだ)」というニュアンスを感じます。
間違った好みなどない、というのが私のスタンスですから、反対します。
それとも、ああいう意見を言う人たちは社会通念に焦点を当てているのでしょうか。そのつもりで解釈してみます。
「生殖活動だの(略)、そういうのは性的なものでない、エロいものではない(と考える人が多いから、社会的には性的なものではないと扱われている)。エロいと感じる方が(少数派の感性を持っていて、世の中に対する)知識・理解不足だったり妙な歪みがあるだけだ」……みたいな。
多数決で負けた感覚がおかしいとされちゃうことを私はあんま歓迎しないんですが、現実社会としてはそうせざるをえないですからね。
でもこれだと、本当に列挙されてる物事が社会から性的と扱われてないかはあやふやなものになってくる気がします。
多数決と繰り返してますが実際に決をとるわけでもないですし、それに少数派と言っても三割票くらい取れてれば一応認められたりしそうですし。
生殖活動や生理や下着に興奮するのがそんなに少ないかどうかは非常に微妙なところですね。それを少しははっきりさせるためにこの手の論争が役立つかもですが、まあ所詮ネットというコップの中の嵐。
……やっぱり社会的な話ではないのかもしれない。
推測ばっかしててあれなんですが、更に推測で話をします。
元々の本文では欲情されることが不快だから性的さを否定してるのではないか、と書きましたが、一方で実用的な理由で性的さを否定する人もいそうです。
生殖や生理や下着が社会通念として性的だと認められると、隅に隠せと言われて、大変息苦しい思いをすることが予想されるので、それをさけるため性的さを否定する、みたいな。
でも私は、個人が何を性的と感じるかを裁くべきではないと思ってますし、ということは自由にされた個人の欲情の集積である社会通念としての性的認定をコントロールするのも難しいだろうと考えます。
とはいえ世の中の息苦しさが増えるのは私も好ましくないですから、「性的に感じる人が多いかもしれんけど、便利だから堂々と下着も売り買いするし産婦人科にも入るし学校でうんこもするしゴムも買うし夢精もするんだよ!」と開き直り、その方向で社会に働きかければいいのではないでしょうか。
性的に感じる人が本当に多かったら、そういう姿に欲情されたり、ましてオカズに使われたりするかもしれませんが、それは犯罪行為に至らないのであれば甘受したほうがいいと思います。
性的なものを隅に隠せという主張は、「私の好みとしてついつい性的に感じてしまうのに、性的に感じることはよくないとされてるから、目につく場所におかれるとこっちも目につく場所でよくない欲情をしてしまって困る、隠せ」という理由があったりもします。(単に周囲の雰囲気に合ってないから隠せ、なんかグロいから隠せ、などもありますがそれは置いておく)
性的に感じることを無理に禁じようとし、欲情を悪徳とするから、性的とされかねないタイプの欲情をそそるものを排除してくれという声が上がるのであり、逆に「堂々とディスプレイするよ、でも性的に見てもそっちも堂々としてていいよ」とすれば許しあいになってくれるんじゃないでしょうか。その思想を広めるのに多少時間がかかるとは思いますけれど。
もし、性的に感じる人が一定数いるある物を、堂々と見せても咎められない社会であってほしい、けれど性的に見られたり欲情されたりするのは嫌……という全てを望むんだとしたら、それはやはり片っ端から精神的去勢をし、欲情能力を物凄く限定するしかないような気がしますし、私はそれには反対です。
これ男女逆転させると
「クラスの女子のアイコラエロ画像(しかもスカトロSM)を作って、それにエロ小説も添えて男友達の間で回してオカズにする」
くらいの最悪行動だからな。
「これからの被虐の予感に、増田は秘所をてらてらと濡れすぼめさせた。クラス男子Aが浣腸器をアヌスに挿入すると、増田は『ウウッ』という声を上げる。それは、明らかに苦痛と悦楽との混ざったものだった」
みたいなゴミエロ小説と、ニャンZ倶楽部あたりのSMスカトロ投稿写真に自分の顔がコラージュされたものがクラスの男子の間で回されてたら。
普通に犯罪だし、された方は一生忘れられないトラウマになるよね?
レイプとまでは行かないかもしれないけど、陰茎を見せつける露出狂とか満員電車で精液をスカートに付着させる汁野郎とか、それくらいの迷惑度かつ犯罪度。
「謝りたい」じゃねぇよ。お前が相手に許されることはもう絶対今後ないと断言できるし、相手に顔を見せるだけで嫌がらせだわ。
男がこれやったら普通に警察に通報&退学処分とかだからな。反省しろ。
セックスはアヌスとかいろいろとツブシが利くよ、とネットで見かけたのだけれど
アナルセックスにはおもちゃが必須と聞いて、エネマートでアナルバイブ買ってきて入れてみたわけですよ
そしたらこれの形状が驚くほどアヌス一択になっているじゃありませんか
わたくし、こんなに空気の読めない性行為があるとはついぞ想像だにしておりませんでした
きゅうりやなすびといった素材でポテンシャルを解放するお遊びの一種かと思っていたらとんでもありません
とんだ出ずっぱりのじゃじゃ馬でした
誰か助けてください
誰か
なぜですか
なぜ誰も、
このようなアヌスのよこしまな余韻を警告してくれなかったのですか
その悪しき香りが鼻孔を刺激するたびに
哀しくも忌々しい記憶が都度呼び覚まされる
使うんじゃなかった
使うんじゃなかった
みなさん、
アヌスは使ってはなりません
こんなよこしまな穴は他にありません
おとなしく愛撫と指だけで遊ぶのです
悪いことは言いません
繰り返します
アヌスは、
絶対に
使ってはなりません
The History of Japanese 'Anal'.
Anus is the most popular organ. It is very beautiful, smelly, and delicious.
Most Japanese like anuses very much, so anus is often affectionately called Anal.
However, Anal is an adjective, not a noun. What do you think about it?
In Japanese, a hole is called Ana. It's like Anal.
Anal as a more friendly name spreads to whole Japan.
アヌスは最もポピュラーな器官です。それはとても美しく、臭く、おいしい。
多くの日本人はアヌスがとても好きです。そして、アヌスは親しみを込めてしばしばアナルと呼ばれます。
しかし、アナルは形容詞であり名詞ではありません。あなたはこれについてどう思いますか?
日本語では穴のことを『アナ』といいます。それはアナルに近い。
よりフレンドリーな名称として、アナルが日本中に広まりました。
Each Japanese has an indivisual analism.
Some people like destroying Anal, or some people like gazing Anal.
Sometimes Anal is used alternative vagina during sex.
Although only a few people love stools, they are called scatologists who are distinguished from analists.
However, there is also an analism that analogy and scatology are inseparable.
ある人はアナルを破壊することが好きであり、またある人はじっくり観察することを好みます。
時には、セックス中、アナルは膣の代替として使われることもあります。
ごく少数の人々は糞便を好みますが、彼らは糞便愛好者(スカトロ)と呼ばれ、アナリストとは区別されます。
しかし、アナルとスカトロは切り離せないというアナル観も存在します。
How to enjoy 'Anal'
We can enjoy Anal variously. Gazing, dilatation, and sex...
In all these cases, the most important thing is loving Anal .
If you don't love Anal, you feel so bad toying Anal.
アナルの楽しみ方
私たちはアナルを様々に楽しむことができます。じっくり見ることや拡張、セックスなど。
もし、あなたがアナルを愛していない場合、アナルをいじることは不快でしかないでしょう。
Because the hole is there.
そこに穴があるからです。
I defined the Anal in this text as an uncountable. (本文中のAnalは不可算名詞と定義しました。)