他の客が買うところを観察してれば流石に分かるでしょそれくらい
女だけど吉野家は食券制じゃないので分かりやすいしすごく入りやすいと思う。
といっても、ほかの男性客がいると落ち着かないので基本はテイクアウト、たまに朝定食を午前4時ごろに食べに行くくらい。
今さらようやく経緯を知る。
互助会云々って相互にブックマークをつけることで、はてなブックマークのほうの新着エントリには上位表示されるようになるから、それでか。
プレーンな新着ブログ記事を表示するほうはスパムに侵されるために表に出ないようにしてついに廃止されたってことなんだね?
ほとんど想像だけども、購読してる分ログ同士の抗争と言うか揉め事の経緯を見てると、そんな感じ。
新参なんで、ときどき燃え上がってる互助会活動ってのが何を指しているのか今まで全然分かってなかった。
ブログで書いたら療法に対して角が立ちそうなのでここで書く。めんどくさいね。
しかし、よく分かんないけど、はてなはこの先ご新規さんをどうやって獲得していくつもりなんだろう。
自分の記事書くだけでは新着に表示されない、というのは辛くなかろうか。
互助会の営業活動を促進するような方向に鍛冶を切るのかな、はてな。
めんどくさくてもスパム除去で通常の新着エントリを表に出しておいたほうが、ご新規さんのモチベーションも上がる気がしたが、また違う判断なんだろうな。
書き途中の増田が出てきたから投稿するわ。多分10の嫌いなこと、に便乗しようとした投稿で、7つしかないけど。
具体的にはテレビ番組で言うと「鶴瓶の家族に乾杯」、ラジオ番組の「昼のいこい」とかのノリが許せない。
「鶴瓶」では、特にゲストがそうなんだけれど、「今、家族に乾杯で来てます~」と連呼して一般の人が驚いて色々リアクション取るのが番組の主軸になっている。これがクソ。
NHKを有難がる人がいるのはいいんだけれど、NHK自らがそれを主軸に据えて番組作るなよ。自画自賛だし、人々がNHKの威光みたいなのにひれ伏してるように感じる。
昼のいこいもそうで、一般の人々の季節の変化の投稿を厳かに読み上げるだけ。一般の人々の投稿に、我々が厳かさを付与してますよ、みたいな構成が大嫌い。
同時に、大河ドラマが終わった後とかに、アナウンサーとかが出てきて「このあとどんな展開になるんですかねー、楽しみですね」とか振り返るのもかなり不快。自らの番組をブランド化をするような番組は公共放送には不要だし、コンテンツそのもので勝負してほしい。
まとめると、人々が想像する「NHKの権威(みたいなもの)」に腰掛けるような番組、NHKが自らをブランド化するような(価値を再生産するような)番組が嫌い。
一般になつかしい、と言われる高度経済成長前後のドラマが気に食わない。
連続テレビ小説「ひよっこ」とか見ててもそうなんだけれど、昭和の人はあんなふるまいしないじゃん。それに、昭和はあんなんじゃなかったじゃん。
もっとタバコ吸ってたしタンは吐いてたし、道端で立ち小便してたし。暴力も身近で、野犬がいたし、雑草も生えてたし。夏は汗だくだったし、もっと衣服は粗野だった。
一番気になるのは、今よりも男主導の社会だったのを上手くドラマの中で消化できていない作品が多いことだ。そんな時代で女性が活躍するにしても、その活躍の仕方があまりに現代的なのだ。
社会の問題を少しずつ改善して今に至るのに、その昭和の時代を今風の人間関係で描くのが気に食わないというか、時代の表現の限界を感じる。
もちろん、当時のままに社会を描いたドラマを放送しても人気でないだろうし文句言われるし、多分面白くならないはわかってる。
だが、そこにこそ昭和の舞台で現代ドラマを作る際の限界があるように思う。
少しは考えてほしい。足フェチと臭いフェチは異なるってことを。
現今の足フェチと臭いフェチとビデオは、それがあまりに未分化で悄然となる。
私はどっちかというと足フェチに守備範囲があるんだけれど、「蒸れたブーツを……」的な文脈のAVが多すぎる。
論文とか書いててもそーだが、論旨が二つあるんだったら論文を二つに分けるだろ。あるいは章を二つに分けるだろ。それとおんなじだろ! 絶対におかしい。許せん。
臭いフェチは、別に足だけでなくてもいい。腋とか髪とか、良いにおいしそうなところはたくさんあるんだから、それで作ればいい。
でも足は足しかねーだろ。足は手じゃないし腋じゃない。
それとSMっぽくなるのも同じ理由でおかしいと思う。俺は足フェチだっつーの! なにも女性に攻められたいわけじゃない。
例えば、狭い業界にいると、誰誰さんがどうなる、とか噂話が多く飛び交う。馬鹿くせーわ。
人事なんて、正式に決まってから周囲にアナウンスすればいいだろ。組織でも個人でも。
それがよー試験の前後から、誰誰が書類を送付したとか、誰が試験を受けに来ていたとか、誰が受かりそうだとか……馬鹿くせーわ。
そんな人がどうしたのか気になるの? まーわかる。良いポストだったり新しいところだったりしたら、気にはなる。嫉妬とか、羨ましいとか、あるいはあそこの先生のお弟子さんだ、とか、色々あるのはわかる。
だがなぁ、そういうのは心に留めておくのが大人なんじゃないかね。君はサルかね? と思う。
そういう噂が、現場の当事者たちの足を引っ張ったりパフォーマンスを悪くすることが連綿と繰り返されている。
仕事に就くということは、成果を出すために就くわけだ。周りの噂が、その成果をすり減らしている。そんな事例が多すぎる。
文章書いてて、「?」の後に一文字あけるとか、「……」のように三点リーダーを用いるとか、まー細かい謎の誰か決めたルールみたいなのがある。
私はこの細かいルール自体はそれなりに遵守するべきと思う。なぜなら、気にする人がそれなりにいるからだ。
問題は、こんな風な細かいルールばかりがルールだと思っているやつだ。
もっと文章を書く際には決まりごとがあるし、論文でも小説でも訴えたいことを訴えるための手段・テクニック・構成があるだろう。
そして何本も文章を書いて、ルールが馴染むか研鑽を積んでいかないと、文字を書くこと・文章を書くことが自分のモノにならない。
そういう訓練を全く積まずに、誰でもわかる細かなルールだけに固執するというか、そこしか理解できない人が、文章のルールとか語るなよ。
よく、体育や音楽や国語の初等教育を軽んずる人がいる。大人になれば、そりゃあ集団生活や集団での規律みたいなのは充分に備わっていて、小学校での集団運動みたいなのを軽視したくなるのはわかる。
だけれど、子供ってのは身近にいる人なら解るが何もしなければ何に対しても馴致しないのだ。基礎的な身体の動かし方や基礎的な音や基礎的な論理・読み書き。
体罰や強制や人間ピラミッドなんかの時代遅れのやりくちはもちろんあってはならないが、ある程度は集団に馴致させるシステムのメリットを見てもいいのではないか。
家庭教師にそれぞれが初等教育を一任させるシステムがいいとか言い出す人がたまにいるけど、そうじゃないでしょ。
新聞、明らかにメリットあるだろ。あえて煽り気味に書くけど、それが解らないのなら、あるいは、そのメリットがメリット足り得ないと言うなら、それまでだということ。
水原希子氏が『日本人じゃないから許してほしい』と言った言わないの論争で、
ここ↓にいる人たちのことね。
はてなブックマーク - 言ってないことを言ったことにする頭の残念な人達
で、ひろゆきが
> そもそも、「日本人」という単語すら動画の中では使ってないです。
とか書いてるけどアホかと。
自分は日本人だと言えない、言いたくないから使ってないんだろ。
日本在住だけど父がアメリカ人で母が韓国人のアメリカ生まれで、
自分自身は地球市民だと思っていて中国人とのつながりのエピソードは紹介できるけど
日本人とのつながりや、日本人あるいは日本居住者としての考え方については全く言及しない。
『日本人の仲間じゃないから許してほしい』という遠回しな表現じゃないか。
少なくとも人工知能学会の絵に女性差別を見出すよりずっと容易でしょ。
こういうときだけなぜ、はてサの疑り深さが発揮されないのか!地味にイラっとくる。
例えばアフリカの音楽としてヨーロッパで売り出し中の黒人アーティストが、
植民地支配を批判するアートを「いいね!」してネオナチ的な連中に炎上させられたとする。
そのアーティストが弁明で自分は白人とアメリカ黒人のハーフでアメリカ生まれで、
ヨーロッパの白人にいっぱい友達いるよって言った上に(アフリカとの繋がりを語ることもなく)、
植民地支配を批判するアートを「いいね!」してごめんなさいって謝罪したとしたら、
お前は白人にでもなったつもりかとアフリカ系の人たちから批判されるのは当然だろ。
直接『○○人じゃないから許してほしい』と言わなくても、
あえて○○人のことに言及しないなどの遠回しな表現で同じことを言うことは出来るんだよ。
アホなだけで本人には日本を貶めるとか政治的意図は無かったんじゃないかな。
地球市民設定で天安門批判に加担しちゃってごめんなさいするとかアホの子かいw
自由主義とか民主主義の側の人間であることをやめるような宣言させられるって金の力スゲーw
よくわからないけど、いいキチガイキャラと全然ダメなキチガイキャラってのはあるよね
腐女子から言わせてもらうとですねー、それは「腐女子である」という理由で色々と叩かれたり攻撃されたりしてきたからですよ
閉鎖的でないと「存在してはいけない」という圧力を受けてきた習性が抜けないんですよ
増田がぐいぐい引っ張っていこうとすると彼氏は逆に劣等感に押し潰されてしまうんじゃないかなあ?
「私は不快にならなかった」「Twitterルールに反しているとは思えない」とかいう自称反差別界隈。