はてなキーワード: 判子絵とは
ちらちらツイッターを眺めているとリプライ欄にはありとあらゆる人々が集まる。
その中にももちろん40代~50代とかのおっさんたちもいるのだがリプライの内容は総じてひどい。
興味が湧いてどういうことを呟いているのか覗くと数多のRTの中に見慣れた画風のイラストが出てきた。
タグには#AIアートと書かれておりツイートは日常のことやこういうイラストを生成してみました♪的なのが多い。そのツイートを見るとさらに年がいったおっさんたちが律儀に挨拶をしている。
不思議なのはどのおっさんのツイートを見ても必ず一個はAIアートを見かけることだ。
明らかに指の形がおかしいのもあれば体型が歪なのもある。それに付属しているセリフもおじさん好みの80年代のお色気漫画のようなクサさ。(私のデカ尻でおしおきヨ!みたいなさ、、、)
RTしているのはデイトレーダーで人の揚げ足を取るのが趣味な者やその場暮らしで特定の政党の没落を願う者、難病を抱えていたりあるアイドルの追っかけをしている者もいた。
AIアートは技術がなくとも一定水準のクォリティなら環境があれば簡単に生成できるようになった。Pixivや静画に拙いイラストやツギハギのアイドルのコラージュを上げて糊口を凌いでいる人でもまるで初めて火を見た原始人のごとくそれに飛び付いた。
我々目が肥えた人からすればただの判子絵ではあるが彼らにしてみれば立派な作品であり新しい拠り所であるのだ。
いくらヘイトスピーチを重ねたり女性に届かぬラブコールを送っている人達でも何かしらAIアートを嗜んでいるのは面白かった。今後も注視していきたい。
まあセリフは考え直した方いいけど...
イラストレーターになったやつは高校で同じクラスだったけど、そんなに話したことなく、友達の友達ぐらいの距離感だった。
自分も絵を描くので、それなりにイラストレーターとかのアーティスト業に憧れたりもした。
ちょっと前に高校の友達に会って、例の人がイラストレーターになったことを聞いた。
その人は普通の会社に就職してしばらくは兼業してたけど、有名になって軌道に乗ったので専業イラストレーターになったらしい。
と思った。
でもそう思いつつ、別に自分はイラストレーターになりたい訳でもない。
今の仕事に不服は無いし、怠惰でコミュ障な自分はイラストレーターという自営業の道では破綻する未来しか見えないし、何より人に依頼されて絵を描くということがめちゃくちゃ苦手だからだ。
そう思っているんだけど、嫉妬するのが辞められない。
むかつくポイントとして、その人の絵がものすごく上手いというわけではないところがある。
何となくエモい雰囲気で顔がおんなじで髪型だけちょっと違う女の子の絵ばっかり。
絵の知識だけ頭でっかちになった自分には下手に見える点が多々ある。
そんな絵なのに、結構有名らしいのが1番むかつく。
MV描いたり、私が好きなVTuberの落書きを描いてそのVTuberに反応してもらってたり、画集出してサイン会したり、むかつくなー。
インボス制度とか生成AIとかでめちゃくちゃになって廃業して欲しい。
せめてもっと人気無くなって細々と続ける感じになって欲しい。
もちろんこれが100%の難癖で、向こうからしたら言われのない嫉妬で、自分が大人気ないのは十分分かってる。
兼業でイラストレーターできるのはすごい、そこから専業にできるくらい有名になれるのもすごい。
判子絵とか言ったけど、それも同じクオリティのものを常に出せるってことだからすごい。
すごいし、努力の証だっていうのはちゃんと分かってるから、匿名でこうやって悪口くらい言わせてくれ。
ホントごめん、ごめんだけどここでぐらい好きに言わせて。
ホモなんだけど顔が判子絵なのは許せるけど筋肉が判子でタチウケ両方全く同じ筋肉のつき方だと萎える
筋肉のセパレートは静脈とかと同じで一卵性双生児で同じような鍛え方しても兄と弟で兄は6つ割れ弟は8つ割れレベルで変わるんや
これから先、AIによって判子絵がもっと増えるだろうが、それに限らず特定のアーティストが信頼を勝ち取りすぎて全て同じデザインに画一化してしまう現象も起きている
ヘルマン・ティルケが設計・改修したサーキットは高い安全性と意匠を持ちつつも、どのサーキットも特徴が共通化してしまっているため、「ティルケ・サーキット」と揶揄されている
特にF1はティルケ・サーキットが増えているが、これは他のサーキットが面白くなかったり安全じゃないという理由で信頼されず、採用されないのでこうなってしまっている
水戸岡鋭治がデザインした鉄道車両は特徴的なデザインで乗客に好評だが、その一方で同じようなデザインということで「水戸岡地獄」と揶揄される
特にJR九州はメンテナンスで困ると嘆いているにも関わらず採用しているのはそうした事情しかないとしか思えない
近年鉄道では撮り鉄対策なのか、シンプルなデザインの車両を採用する傾向もある
隈研吾の建物は高輪ゲートウェイや東京のオリンピックスタジアムでも知られるが、あまりのゴリ押しっぷりに嫌気を差す人間も居る
だが建築業界では変なデザインにすると改修が難しいということもあり、そうした理由でゴリゴリに押さないと無理という事情もあるだろう
この他にも世界各地で多くみられるだろう
この質問に対して「△△△<教えてあげないよ!ジャン♪」のポリンキーしか使われないのも立派な現象と言えるな
(かつての2ちゃんでは「知ってるがお前の態度が気に入らない」などがあっただろうに)
お絵描きAIで楽しく遊びたいのにまだもやもやしているので、何がそんなに嫌なんだろうなって色々考えてた
自分の生活が自分の意図してないところにビッグデータとして売られるのもなんとなく嫌でそれに少し似ているような気もしている
クッキーは同意取るのに画像は騙し討ちみたいに蒐集されていいのか。まあ合法だからいいんだろうけど
・結局自分の絵が使われているかどうかわからないのでもやもやする
使われていると思ったほうがいいのだろうとは思う。何の価値もないへったくそなゴミだがネットに上げてしまったことはある
あと絵はともかくクラウドとかにバックアップ取ってる公開してない画像ってどうなのかな。個人の購入履歴とかをビッグデータとして扱うのと同様に……とか思わないでもないのだけれど
・絵としての価値は一切評価せず、ただ十把一絡げのサンプルデータとしてもらっていくね感。なんならそれを全世界に配られてる感とそれを当然とするインターネット世論
これはもうお気持ちでしかないんだけど、というか最初から全部お気持ちでしかなくてこれが特にお気持ち度が高いんだけど
お前の作品には価値がないがデータ提出を拒むことは全体の利益に反するので許さんみたいな風潮
「君の絵はすごいのでぜひ学習させたい」なんてのはなくて「個性のない判子絵師は消えろ」みたいなのばっかりじゃん
合法なのはともかくどうせ価値ないんだからサンプルとしてもいらないだろうよ。なんでちょっとやだなって言っただけでぶっ叩かれなきゃいけないの
ネットに上げた画像はすべて勝手にAIの学習データにされると思ったほうがいい、というのは心づもりとしてまあわかるしそれがどうやら合法らしいというのも散々見た
けど「どんなプライベートな領域であろうとアップロードしてしまえばあまねくすべての画像が学習データにされる」のかっていうとあんまり現実的でないと思っていて、
それはそんなに頑張ってあらゆる場所から取ってこなくても画像なんてそこらじゅうに溢れているので、効率的な収集手段でその上澄みだけ浚えばいいはずだから
むしろ投球シーンやバッティングシーンだけ切り取ってみるとちゃんと「野球してる作画」は出来てる。去年やっていた同ジャンルのタイトルと比較しても動きは良い。
ただ男性視聴者がきらら系アニメに求める「かわいい女の子達のキャッキャウフフな日常」とはかけ離れた、妙にガッチリした体格の良さとのっぺりして可愛くない顔のキャラデザが全てをぶち壊してるいるってだけで
まず真っ先に優先すべき可愛さを差し置いて野球シーンに力を入れられても視聴者的には困惑しかない。よっぽど変な動きさえしなければ許されるのに(その点、可愛い日常とビーチバレーシーンの作画を両立させていた「はるかなレシーブ」はすごい)
そしてストーリー。「昔は強かった名門校だが先輩が起こした不祥事のせいで廃部寸前の野球部にすごいピッチャーがやってきて、そいつを中心に癖のある部員が集まり努力と根性で現役野球部員に勝利していくサクセスストーリー」というありがちなテンプレートを女子高生に置き換えているだけ。王道といえば聞こえは良いが要は「女子高生がやればなんでも商品になる」を野球漫画でやっているだけで全く魅力を感じない。
視聴者が求めていたのは「ゆる野球」くらいのノリでMAJORやキャプテンが見たいわけじゃないんだよなぁ
あと声優。メインを若手女性声優で固めているんだけど無個性なキンキン声で判子絵も合わさり誰が誰か区別がつかない。22/7は棒でも許容範囲だったのに、職業声優がやっているこっちの方がきついと感じてしまった。
違う、そうじゃない。
「絵柄」は作者に依存するけど「同じ作品内」でも顔立ちの描き分けができていないものが稀によくある。
ついでに言えば非ヲタに限らずオタクでも「この作品、ハンコ絵じゃん」と思ってる作品群があるんじゃないの?「ハンコ絵なんてない」という主張だったっけ?
アニメキャラが「記号化」していることは敢えて言うまでもないだろうけど、ようするにアニメキャラは「へのへのもへじ」と同じなわけ(特にオタク向け)。
「なんで、みんな顔がへのへのもへじなの?」という問いかけに対して「いや、同じへのへのもへじじゃないよ。筆跡をよく見なさい?まぁ素人には同じに見えるんだろうが」と返しても意味が違うって分かるよね?
現実の人間の顔立ちを見分ける時とは適用される判定基準がまるで違うわけ。
オタクはへのへのもへじの違いが分かるけど、人間の顔を見分けるのは苦手。
一般の方は人間の顔を見分けることができるけど、へのへのもへじの違いはよくわからない。
>>非ヲタは多分漫画の顔は皆一緒、程度の認識しか持っていない
一般の方には仮に人間の顔を見分けるための「顔立ち判定ドライバー」のようなものがあるとしよう。
じゃあ一般の方には顔立ち判定ドライバーがあるのだからアニメキャラが同一ルールで処理可能なものならオタク同様に見分けられないとおかしい。
つまり「非ヲタには分かるまい」みたいな主張は、顔立ち判定ドライバーでは判別不可能に繋がり、ルールが異なることを示唆する。
そして「オタクは現実の人間の顔を見分ける能力が低い」という仮説はキャラクターごとに服装、髪型、髪の色、目の色を変えるようなオタクコンテンツの特徴から導き出せる。
また、こうした「濃い味付け」がなされている時点で、「逆に顔立ち判定ドライバーの精度が一般の方よりオタクの方が優れている」という可能性を否定する。
悪いけど当初の主張に関しては逆に確信を深めたよ。
よく考えたら「オタクがアニメキャラの顔を見分けることができる」というのを否定する意味がない。
反論するなら「オタクでも現実の人間の顔を見分けられる」という形じゃないとおかしいわけだし。
オタクは顔立ち判定ドライバーがうまく働いていない。でもアニメキャラは見分けることができる。「絵柄」とか「線の引き方」があるから。
「好きなものに詳しくなるのは当たり前」と思われるかもしれないが、その主従関係は実は明確ではない。
「興味を持ったから詳しくなる」のか?
「詳しく「なれる」から興味を持つ」のか?
オタクは脳の器質的に現実の人間の違いはわからないがアニメキャラの違いが分かるから、アニメキャラのほうが大切である。
そうした違いが(「傍若無人さ」と表現したが)オタクが現実の人間に対しては言わば「一般の方がアニメキャラに対してするような」振る舞いを生む。
その可能性を指摘している。
>>オタクは大体においてその環境に投げ込まれるというより、自発的にオタクになっている
わたし(や世間?)のオタク観に不満があるらしいのはわかったが「自発的にオタクになっている」というと「そうだったっけ?」感は否めない。
「自発的にオタクになっている」というのが本当だとして、そうした「欲求(と目的(目的意識?))」がどこから来るのか?という話をしていた。
>>「オタクだから(ではないから)+直ちに+判子絵を好む(好まない)」
そういう「法則」的な話をしていないと分かってくださいよ。
そういうノリで話をするなら「オタクの定義なんて実際のところは明確でないのだから誰もオタクなんて名乗るべきじゃないしオタクなんて言葉は使うべきじゃない」という話に繋がっていくよ。
>>2016/06/21
>>全否定が無理、ということならこちらの言い分も同じく全否定は無理。
そりゃソースがあったほうが時と場合にもよるけど信憑性が高まるのは確かだろうね(知らんが)。
>>暴言を吐いてはならないというルール設定はなかったので、わざと盛り込んでみた。楽しいだろう?
>>そして「私個人の客観的判断」によれば観測範囲内の判子絵を支持した層は少なかったと記憶している。
それが本当なら是非ハンコ絵を撲滅してもらいたいものだね。応援してるよ。
じゃあ、逆に私にはあなたの脳内が分からない、ということまで理解してもらいたい。
で、今回の返信でだいたいわかった。
冗談はさておき、欠けているのは「オタク度」とでも言うべき概念かな。
ようするに「オタクか」「オタクじゃないか」の二択で考えている。
それは自分自身を反例として挙げ絶対的法則ではないと主張する論法あたりからも見て取れる。
オタク度という概念を立ち上げる前に「オタクか否かを判断する決定的な要因はない」というのは流石に分かるね?
その上でオタク度が高ければオタクと見做される可能性が高いというのが実際だろうね。
嗜好対象ごとにオタク度というものがあって主観的また客観的にオタクと見做されるか否かの可能性が上下する。
「このような条件であればオタク度が高い」「このような条件であればオタク度が低い」という判断が無数にあって、それにより「この人はオタクだ」「この人はオタクじゃない」と場面ごとに判断される。
「この作品はかなりオタク度が高い」「この作品は比較的オタク度が低い」というのが作品ごとにある。
そしてオタク度の高いとされる作品ほどハンコ絵の傾向があるんじゃないの?
例えばオタク自認しているアカウントが好む作品のようなものを取得することができれば作品とオタク度の関係はある程度導き出せるのではないかな?
(これには客観的にオタクと見做されるパターンが含まれていないから不完全ではあるけど)
興味があったら試してみるといいよ。
本題とは外れるけどオタクの語彙力消滅については「オタクは好きなものを語るときに語彙力が消滅する」というテンプレートをふまえた冗談だよ。
宇崎ちゃんポスターに対しての批判の中に、実在巨乳への批判を避けたいが為か「乳袋」に絞って問題視する声は度々見られたが、
この点にとても違和感があったので少し考えてみた。
「乳袋」的な誇張表現は90年代には確立、いや発祥を遡ると恐らく70年代頃にはあったと思うが、その体系的な解説は識者に任せるとして、
そもそも「乳袋」という言葉自体がネットミーム化したのは比較的最近のことであり、朧げな記憶だが恐らく2010年前後。
ニコニコ大百科の記事が10年6月に作成されていることから、大きくはズレていないだろう。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B9%B3%E8%A2%8B
その記事内にも言及があるが、元々は巨乳イラストが現実に即していないという批判的な文脈から生まれており、
裏を返せば「乳袋」という言葉が出て来るまでは、オタク達は無意識無批判的にその表現を受け入れていたこととなる。
そう言うと批判側の「オタク達は(乳袋がエロではないと)麻痺している」との言説に一定の説得力があるように思えるが、自分としては実情が異なる印象だ。
乳袋の表現は、言ってしまえば、実在の巨乳に対する無理解から生まれるイラストの巧拙や、デフォルメ表現としての流行や表現の確立としての側面が強く、
類似例として、巨大すぎるリボンや、カラフル過ぎる髪の色も、(判子絵的な)キャラを区別する為に生まれた創作者側の都合によるものと考えられる。
つまり「乳袋」はオタク的には直接的なフェチ表現ではなく、イラスト表現の変遷で発生したものであり、副次的に受け入れてきたものだろうということ。
その証拠としてあげられるのが、pixivのタグ検索。「#乳袋」のタグがついたイラストは現時点で2578作品。フェチ的表現としてオタクに人気な気がする「#黒タイツ」の44025件に比べると寂しい数字だ。
タグがついていないだけで乳袋とされるイラストは膨大にあるから、フェチ表現ではなく、表現技法として根付いているように見える。
「根付いているのでは麻痺と一緒では?」と思った方もいるかもしれないが、ここで主張したいのは「乳袋」は巨乳を表現する技法の一種でしかないこと。エロに対して直情的だから蔓延した表現というのは誤認である。
批判するのであれば、「乳袋」ではなく、漫画アニメイラスト業界に蔓延する過度な巨乳女性を安易に描く風潮そのものでなければ、抜本的には解決しない。
(その風潮が生まれたのは、男性の性欲からという点は否定しない。男はだいたい女体が好きであり、それを空想として描くときに現実離れするのは不自然なことではない。安易であるが)
しかし巨乳女性イラストへの批判は直接的な表現規制になり得るし、実在巨乳女性へ飛び火する危険性や、国民的作品へのバッシングにも繋がる。それを分かってるから批判側もそこまでは言及せず分かりやすい記号である「乳袋」にターゲットを定めた心理があるのだろう。
だがそれはオタク文化への直接的な加害であり、オタクからすると「カラフルな髪の毛は現実に即していない!」と同レベルの文化侵略であるように感じられるし、また単なるオタクヘイトと区別がつかないのである。
余談的となるが、宇崎ちゃんの巨乳設定は、漫画を読む限り読者を扇情させる為の魅力というより、ウザい後輩キャラ的な属性をその大きなおっぱいが文字通りクッションとなって印象を和らげる為に機能としてあるようにも見える。漫画としてはエロよりずっとラブコメの色が強い。
あと、2巻3巻の表紙は確かに「乳袋」だが、1巻の表紙や漫画内ではいわゆる乳テントで描かれてる部分も多いので、「乳袋」は宇崎ちゃんにとって重要な構成要素ではないこともわかる。
(漫画の印象に関しては読む人によって意見が別れるだろう。ただ巨乳設定=扇情と限らないのはアニメ漫画を嗜む者には理解して貰えると思う)
作品表現とポスターとしての問題を直結する必要はないが、特にエロの権化でもない宇崎ちゃんが「乳袋」の絵だからといって性的搾取のシンボルとして掲げられるのは不憫としか言いようがない。
そんな感じで、一介のオタクとしては、「巨乳ではなく乳袋批判だ」という詭弁的な批判ではなく、男性の欲望と直結してしまってる創作界隈の巨乳文化をターゲットにして貰いたい。
その声が大きければ、自主規制による創作界隈のアップデートは十分起きうるだろう。巨乳がいなくなれば当然「乳袋」もなくなる。無論個人的には望まないが。
「既存フィクション作品のみをつかってひと目をひこうとして、表情やセリフ、また既知の設定背景といった細部が、使用目的に合致しているかの検証を怠り、その結果、本来の目的と無関係または反するようになっているものは炎上する」だよ。
献血は「なぜか」注射が怖いんだろうとセリフで愚弄しアヘ顔ドヤ顔で通行人を見下している。
のうりんはスタンプラリーに誘うのに「なぜか」顔をあからめ胸をもちあげ恥じらっている。
みちかは案内しながら「なぜか」恥じらっている。現実にいたら案内内容を疑うレベルの恍惚表情。
自衛隊員のくせに足が無防備すぎ。それでいったいなにを守る気なのか。
なんどもいうけどエロだの萌え絵だのはひと目をひくために倍率かけたテコ、誇張でしかない。
フィクションという枠のなかでは完成された手段。むしろ今の漫画界が無誇張では何もかけない判子絵師のための楽園といえる。
そこから内臓だけひきずりだすようにして現実に放り込まれる誇張済みキャラ達。
こういうのってネットで萌え絵だけ見てどこがわるいんだろうと思うよりずっと駅という背景では無残なものなんだよ。
それなのに毎度誇張されているということしか指摘しない弁護士おばちゃんも本当に大丈夫なのかとは思う。
胴にタオルまいた女性の背後がうつってる温泉写真なんかはたしかにあまりに誇張がなく自然でスルーしてるんだろうということがこの列挙からようやく読み取れる程度。