はてなキーワード: デイサービスとは
我が増田家には性格が悪い、というか少しひねくれた人間が多いような気がする。他の家族の内情を知らないので断言はもちろんできないが。
まずは私の父。60代。私は父と一緒に働いている。父は、私が昼休憩を終え自席に戻り、PCに向かって小さく「よし!」と言うと、必ず「よし!ってw」と嘲笑する。午後からも頑張ろうと気合を入れてるだけなんだけど。
そして私の娘。6歳。彼女は保育園の出来事をたまに私に報告してくれる。この間は「〇〇ちゃんって鬼滅1話しか見てないのにグッズいっぱい持ってるねんでw」と明らかにミーハーな友人を嘲笑していた。確かに私もそれは面白いと思う。だけどその面白さに6歳で気づくのは早くないか。
その他女子大生の妹が体育会系の彼氏のことを脳筋とバカにしまくってたり、私の祖父がデイサービスで1歳しか変わらないお爺さんを年寄りとバカにしてたり色々あるけどめんどくさいので割愛する。
何が言いたかったかと言うと、持って生まれた性格の悪さは仕方ないが、性格の悪い大人に囲まれてるせいで娘の性格が悪くなり結果的に娘が生きづらさを感じるなら申し訳ないなと思う。
生まれつきそういう生物がいると言うほかない。当然すべての人間がこうでは無い。
あと、
「金を借りたことは他人には言わないでくれ。俺は絶対に言わない。漏れたとしたらそれは君の口からということになる。」と釘をさしておく。
返す気も返す能力も自分の人生を前向きに切り開いていく気も無いのに "罪悪感"だけは持ってるからな。
罪悪感が増田の言う通り怒りに変わる。
根本的なことを言うと個人的な援助してはいけない。思いやりファンドみたいなので手助けした方が良い。
けどそんなの作成するのは労働収入で生活している者には現実的では無い。
(これからも手助けをするつもりなら長期的には考えた方がよいのかもだけど)
思いやりファンドを作るわけでもなく、これからも個人的な援助をするなら、相手は変わらないので自分が変わるしかない。
能力差があっても対等な同じ人間であることにかわりはないので、
どんな相手とも、上目線な保護者気取りにならない、不毛・不健全な関係にならない、成熟した人間とやらにならないといけない。
ただある増田いわく(anond:20210307192706)、支援職人(社会福祉士・看護・介護・児童デイサービス職員だと推測する)としての
お前がやってはいけなかったのは単身で猫を飼うことじゃなくて、スマホの緊急情報に必要な情報を登録していなかったことだ。
あるいは財布や身分証明書に緊急時用のメモを入れておかなかったことだよ。
俺は親と二人暮らしで、親は要支援2。この辺りは当然やっている。
デイサービスは週一度なので最悪6日間は間が開いてしまう。
だからいろいろな手配をしている。
SECOMの見守りサービスを使っているが、ここまではしなくても、たとえば、職場に、もし無断で休んで連絡が取れない場合は、然るべき所に連絡を取って欲しいと依頼するようなことはある程度できるのではないか。
と誤った結論を出して、安易に悲劇のヒーローを気取って自己陶酔している場合ではない。
やるべき事をちゃんとやろう。
冷静に原因を考えて、正しい知識を普及しよう。
それが何よりも供養になる。
なのに、増田がこんな間違った結論を広めてしまうと、助かる命も助からないかもしれない。そう言う事をもう一度かんがえてみよう。
離れて暮らす母親が糖尿病と癌を患いました。加え、痴呆や諸々の病気を併発しています。
その数年前から駅や階段等で転倒していたようで、同居する妹が心配していたのを覚えています。父と営む小売業でも、電話対応がおぼつかなかったり酷い接客をしたりと散々だったそうです。
コロナが広まっていた2020年のQ1あたりで、ついに精密検査の結果それらの症状が見つかったと連絡がありました。程なくして父親が介護をすることになり、妹は少し離れた場所で生活しつつも定期的に面倒を見に行くようになったようです。(このあたりは面倒くさい家庭の事情があります)
かくいう私自身は、何もしませんでした。母親と生活していた学生自体には殆ど毎日のように喧嘩をしており、一生この人と良好な関係を築くことはできないと思っていました。東京に近い場所からわざわざ遠ざかってまで今の場所に引っ越したのも、実家との距離を物理的に開けたかったからです。だからこそ、コロナ禍によって移動や人との接触を避ける世論には感謝したモノです。実家に帰ってあの母親と対面しないで済むのですから。
それが、妹からの連絡によって久々に帰ったのがつい最近です。父親が限界だと。確かに実家の仕事をしながら介護まで担当するのはしんどいでしょう。仕方なく掃除のために帰りました。
久々に出会った母親は病気の老婆そのもの。身体は小さくなって布団に横になるしかできなくなっています。糖尿病のせいで足が動かしづらく、トイレにも一人で行けません。癌の手術には血糖値等を下げる必要があるとのことで、それ専用の食事のために父親は毎日食材選びに苦心しているようでした。
1日目は掃除等をして日帰りです。それだけでもかなり満足して貰えたのでそこだけは良かったと思います。
問題は2週間くらいあけて2日目。再度訪問し、一部の介護をしつつ家の仕事もしました。そしてその日は実家に泊まる日でした。
母親は日中は「ごはん・トイレ・背中が痛いから起こして」が殆どです。自力で立ち上がることもままならないので、父親や自分がその介助をするわけです。それが夜間ずっととはおもいませんでした。
2階で寝ていると1時間毎に母親の声で目を覚まします。耳はなぜか健常者並なので単に大声を張り上げる癖がついているようですが、とにかく真夜中でも人をかなりの声量で呼ぶのです。トイレならまだしも、お腹が空いた程度でも平気で呼びますし枕の位置を変える場合もあります。彼女には昼夜の区別なく不快と思ったら人を呼ぶことだけが手段になっているのです。でかい赤ちゃんかそれより質が悪い。これで徘徊や痴呆が深刻化すればもっと悲惨な目に遭うでしょう。父親が限界というのもわかります。寝れないんですから。
介護がどうしてきついのか。どうして介護職になり手がいないのか。よくわかる事例だと思います。これでもまだ楽な部類とはいえ、自分はこの一晩だけでうんざりする気持ちでした。そして夜が明けて帰ろうとしているとき、あることから母親と言い争うことになってしまいました。母親の癇癪が元々酷いほうで、親戚一同からそっぽを向かれるくらいには独りよがりです。だからこそ自分とも対立していましたが、自分にもその性質は受け継がれています。ちょっとした母親の癇癪と混乱に対して、自分は暴言で返すことしかできませんでした。それをしていい立場にはなく、むしろ四六時中一緒にいる父親や妹の方がずっと言いたいことを、自分は何段階も飛び越えて母親に浴びせかけたのです。
逃げるように実家を後にしました。帰り際に妹と玄関先で立ち話をし、お互いに家に寄りつきたくない気持ちがあることは幸いでした。その際にも家の中からは母親の奇声が漏れ出でていました。妹と意見が一致したのは、早期に母親の癌を手術して即介護施設に預け入れることくらいです。今のデイサービスだけではとても足りません。
今後は家の仕事のために2回/週程度の割合で実家に帰ることにしました。介護をせず家の片付けや配達だけをするのは、せめてもの罪滅ぼし。
正直、母親がああなったのは自業自得と思っています。彼女自身の不摂生と彼女自身が今まで重ねてきた家族への酷い惨劇が、そのまま返ってきました。私から見て父方の祖父母への虐待や父や私への数多くの暴力・暴言。特に祖母への虐待は酷く、元々足が悪かった祖母は本当に悲惨だったと思います。
結局、今の母はその祖母と同じように足を悪くして半寝たきりとなっています。いえもっと酷いかもしれない。
だけど今なら少しわかります。彼女には恐怖心があったのでしょう。今の母親は何かにおびえています。歩くときですら常に後ろに反り返り、前に進むことに本能的な恐怖を持っているようです。思えば彼女は何かにいらだつと同時に恐怖を抱えていたのではないかと思っています。そのおびえを怒りで紛らわし、自身の葛藤を正当化するために暴力で表現していたのかもしません。
俗に言う毒親であるとは思います。でもその遺伝子と性質は自分が受け継いでいるのは事実。だから今最大の恐怖は、両親が亡くなることではなく自分の性質が子供に向かうことです。母親が自分や自分の家族にしてきたことを、自らが行わないという保証がありません。また、自分が介護を必要としたとき、助けてくれるのが配偶者しかいなかったら。病院や施設に入ることができずにいまの父親と同じようなことを配偶者に強いたとしたら。
帰り道でそんなことを考えていたせいで、家に帰り気づいたら配偶者の腕の中で泣き叫んでいました。恐怖と後悔しかありませんでした。自分が母親や父親を遠ざけたことも、自分がいつか似たような立場になってしまうんじゃないかということも。そしてこの恐怖が誰かに暴力として向かうんじゃないかと。
逃げた自分にはいつか天罰が下るのかもしれません。いえ、いまが地獄かもしれない
【追記】
懺悔のつもりで書きました。実際、殆ど実家との交流を絶っていたので何もしていない状態で、ついこの間ようやく重い腰を上げて介護をしただけです。
でもやはり母親との相性が最悪です。あちらはどう思っているかわかりませんが、もし次あって話したらビンタの一つはしそうで本当に怖い。現状は母親と会わないほうが誰にとっても得だと思います。
実家に帰ったことで今まで実感しなかった介護の厳しさが現実になって、正直驚きの割合も強いです。老老介護とはよく聞きますが、それは間違いなく20世紀最悪の発明品です。家庭内でしていいものではありません。資格と経験と給与をもらって初めて成り立つ仕事です。善意だけで行うには厳しすぎる。
罪悪感から逃げると後悔することもあるので見極めてください。特にブックマークのコメントは当てにしないでください。自分で決めるしかないです。
そのとおりですね。正直ブコメにはあまり期待していません。予想通りのコメントばかりですし。
とりあえず知り合いにケアマネジャーがいるので、そちらに相談しようと思います。
【追記2】
知り合いから聞くところによると
具体的な病名は別にして、認知症は大まかに3パターンあります。
物忘れがあるけど家事をヘルパーさんに頼んだり、デイサービスに通ったりしてなんとか自宅または施設で生活できる人。
物忘れが進行して寝たきりになる、長く療養病院に入院するが問題行動はない(気合いがあれば在宅も可能)人。
迷惑行為、人格変化、情緒不安定性が目立ち、精神科入院を擁する(最後は寝たきりになる)人。
精神科では最後のパターンをよくみています。家族が疲弊したり、老人ホーム等で面倒みれないといわれたり、場合によっては警察のお世話になったりして精神科につながります。
本当は使いたくない抗精神病薬を使って治療します。本人のQOLというより、社会安定のための治療の側面が強くなります。
自分の親が認知症になったら、上のどのパターンか(もちろん移行もあります)判断すると周りに援助を求め易いかもしれません。
あと、身内の例ですが高級老人ホームは医療介護能力に乏しく、入所しても問題行動があれば追い出されますので終の住処とは考えないほうがよいです。
その可愛さを維持しているのはまさに奇跡。
少しずつ足がおぼつかなくなってきて、僕が帰ってきても玄関に迎えに来てくれるまでの時間が少しずつ少しずつ長くなってきたね。
それでも君の可愛さは年を経るほどに増していくように思える。
僕が結婚できなかったのも、君っていう彼女がいたからかもしれない。
妹であり、彼女であるそんな君との日々はかけがえのないものですよ。
今日いつものように父をデイサービスに送り出して、君も玄関まで見送ったね。
部屋の掃除をしているとふっと視界の端に君の姿をとらえた。
君は不自然にへたり込んだね。まさにペタッと音がしたように伏せた。
体をこわばらせて、痙攣したと思ったら力がなくなり、体を支えられなくなってしまっていた。
正直覚悟はしていた。
君もいい年だしね。
でもあまりにも急だよ。
このお盆の期間を選んだのは、昨日の迎え火でうちの母親が帰ってきたからかな?
母を一人でまた送るのが忍びなかったのかな?
そう考えると君らしいと言えば君らしいかな。
死ぬ前っていうのは、僕にはまだわからないけどきっと苦しいんじゃないかな。
それでも僕の近くまで歩いてきたのは、最期のお別れに来てくれたのだろうか。
君の兄として、彼氏として恥じないようにこれからも生きていくよ。
また何十年後かに頭ナデナデ、お腹ワシャワシャしてやるからな。待っててな。
でもまだ涙がとまらないよ。
母の一周忌が来た。
幼稚園頃だったと思う、自我の強い友人たちが「私」を使いこなしているのを見て、
見よう見まねで母に一人称としての「私」を使ってみた。
『私ってだあれ?』
…誰?確かに誰なんだ?
それ以降、どうしても使わなければならない時以降、
一人称としての「私」は使わなくなった。
一人称としての私を使うと、「誰?」が脳内にこだまするからだ。
ちなみに、この文章はミロを飲みながら書いている。
母にミロを飲まされていたのを思い出す。
小2ぐらいの頃、私が脚気と診断されて母は泣いた。
父と祖父に何か言われていたのであろう。(※生まれたころから母方の祖父と暮らしていた)
それを含めなくても、正直、母の飯は色々足りていないものが多く、まずかった。
母方の祖母(母の母)が早くに亡くなり、中学生くらいから家庭のことはすべて「やらされていた」のが原因だと思っている。
恐らく、誰にも教わることなく今まで来ていたんだろう。
それに関して、祖父も父も、指摘はするが学ばせようとしなかったのだろうか。
怒鳴るしかしなかったのだろうか。
母については、他人の愚痴を言っているか、怒鳴られているかの記憶しかない。
しかも母は、自分の子供の友人の親について、子供の前で陰口をたたくタイプの人であった。
こうはなりたくないな、しか思っていなかった。
そんなこんなで、本当はさっさと家を出たかったのだが、
母が笑うようになった。
話は戻るが、
私が小学生の頃から、聖書を持っている系の黒服女性2人が定期的に玄関に現れていた。
私は、月1でもらえる2種類の冊子をよく読んでいた。
ある時から、本当に来なくなった。
黒服女性が来なくなってから、母は何もない空間を見て笑うようになった。
父は「何か見えているのか?」と不安そうに私たちに聞いてきた。
そう思うんなら直接聞けよ、と思っていた。
笑うようになってから、母はだんだんうまく座ることもできなくなってきた。
座れずにそのまま転んで頭を打つこともあった。
笑う、泣く、ツイッターのbotのように出てくる支離滅裂な言葉、
だからできるだけ家にいないようにしよう
友人がアーケードゲームを教えてくれた頃だった。
陸上部は、母が学生の頃、家庭の事情で入れなかった部活だった。
運動が得意なわけではなかった私が、短距離であれば瞬発力だけでどうにかなった(と思っている)。
ゲームも凄く得意ではなかったが、音楽ゲームは難易度によっては瞬発力でできるものが多かった。
気付けば音楽ゲーム経由でいろいろな音楽を漁るようになっていた。
そして、聴く音楽で自分のメンタル状態を把握・コントロールできるようになっていた。
これは、今の自分を作ってきたモノたちだと思っている。
そうやって私が我が家からの現実逃避をしていくに従い、母の状況は悪化していった。
いつの年かの年始、家から飛び出し、踏切沿いで母が見つかったことがあった。
デイサービスを始めてから、私のことをデイサービスのお姉さんだと思って
「どうしたのお姉さん?」と娘の話を始めたこともあった。
「うちのお姉さんは陸上部が忙しくて帰りが遅いんですよ」と、大学生の私に向かって話した。
目の前にいるのに。
その時、珍しく母は笑顔だった。
その後、ケアマネージャーの方のおかげで母は若年でも入れる施設に入り、
昨年ようやく亡くなった。
死因は若年性アルツハイマー型認知症、病歴20年。
病歴を見たとき、人生の半分以上を母に持っていかれた気分だった。
母の一周忌が来た。
今までいろいろな物事を諦めたような気がする。
結婚なんてできる気がしない。
母と同じような結末を迎える気がしてならない。
この先どうやって生きていくべきか分からない。
でもまだ生きていたいから生きている。
ただそれだけ。
言い方はよくないが、母が亡くなったことで
一人称としての私は、取り戻し始めている。
一緒に住んだら?おばあさんをひとりにしたらかわいそうだよ?
なんて言われたくらいにして(迷惑かけんなよ!ってプレッシャーにも感じた)
そもそも別居だし、そもそも幼少の頃からヒステリック毒祖母が憎くてたまらなかった
金切り声で切れ間なくしゃべるしゃべる 聞いてる方は脳血管が切れそうになる
最近は便隠しもするようになった
しかし通院日は顔面、首、腕にファンデーションを塗り眉毛を描き
「わたし~元気で~全部ひとりで自分のこともできますから~」なんて医者にアピールする
そして帰宅後は本性丸出しでゴミ箱にツバを吐きながら医者の悪口 外出したせいで物が盗まれている
おめえが近くに家を建てて住めば自分は家で死ねるんだからそうしろ!
(人前でフリこいてないといけないのが疲れるらしい
グループホームは空きあってもトラブル起こしてしまわないか心配
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
自分が壊れそう
いや、もう壊れてる
笑顔になれない 夜になると涙が出る つらい
介護の最果てまでいっちゃって現状のこのままだったら
50歳になってしまう
失礼しました
当方、介護士施設で働く職員。お爺ちゃんお婆ちゃんたちの面倒を見ております。
もともとはそんな体質ではなかったのですが、この仕事をし始めてから、そろそろ30X号室の○○さんから呼び出しされるな、あと数分でおむつ交換よね、そろそろ機械壊れるから準備しておかなきゃ、などと勘が強くなってきました。被介護者や施設からすれば助かるのでしょうが、私にはほとんどメリットの無い技術です。頼られるのが苦痛すぎて仕事を辞めたいです。あえて特技というなら、死期が近い人が分かってきましたが、それは医者が診ていればわかることだし、そんな物騒な事を赤の他人には言えません。
この能力が付くようになって一番困っているのは、人の思念が入り込んでくることです。愚痴や文句ならいいのですが、たまに悲しみや怒りといった比較的大きい感情がたまに飛んできます。なるべく深入りしないようにすれば大抵の人の思念は影響が低いのですが、中には祟り神かというレベルの人がいて、そんな人の担当になった日には、その人の体調もろとも自分の体に引き受けてしまいます。気持ちの辛さは解らなくはないのですが、せめて体調を崩すほどに思い込まないで欲しいのです。そういった事を説明するのも気が引けるし、説明が通じたとしても、そのぶんこちらに向かってくる重が増えてしまう。透明人間のジレンマです。老いてボケるのも人によっては必要ですね。
どうしてワシをこんな所に置き去りにした。そりゃそうですよ。私もそう思います。多少の差はあるものの、家族にとっても苦渋の決断で来ている事がだいたいです。人間、本気で悪気あってやる人は少数。あとの残りは言い訳や勘違いか本当に選ぶ選択肢がない理由です。選択手段は1つだけではない事がほとんどで、デイサービスで日中だけ来所するとか、夜のおむつ交換だけお願いするとか、家族が軽くなる方法はいくつもあるのです。しかし、本当に突き詰められた家族は、もう耳を貸す余力が無くなっています。なので、結局施設に丸投げ選択をしてしまう。立場上、その家族に説明する事もできる訳ではないですし。本当に必要な事や優先順序の他に、思い込みにとらわれている事まで気付く事ができれば、解決策は他にもあるはずなんですけどね。早く自分が家族と面談できる立場になるべきなんでしょうね。
ただ、もうこの仕事は自分の体質上合ってはいないのかな、自分の身を削る事が多すぎるので、辞めようかと思っています。ただでさえ他の人も疲れているのに、自分はさらに内部も痛めつけられるので。
何がどうという話ではなく、ただちょっと一息ついた愚痴です。辞める決意にいたる痕跡を後で振り返る時の目印でしょうか。目障りな駄文失礼いたしました。
もしそうなったら我が家は終わってしまう。祖父が要介護2でデイサービスに週3日通ってる。2月末まで2か所に分けていっていたんだけれど片方の施設からコロナの影響で2か所以上通っている人はうちの施設に来ないでくれと言われ、慌ててもう一方のほうのみの通所に切りかえた。祖父は行けなくなったほうの施設が大のお気に入りで、畑仕事や行事なんかも積極的に参加していたから来ないでくれと言われたことがショックだったらしく家での悪態暴言がひどくなった。母にぶん殴るぞと言いながらつかみかかり、簡単に振りほどかれて尻もちを着いた。日頃からそんなクソジジイに付き合わされている祖母もイライラが止まらず人の話をろくに聞かず怒ることばかりでただのクソババアと化してしまった。今は週3祖父がいない時間があるのでなんとかなっているけれど、それが無くなったらと思うとゾッとする。とにかく私たちには祖父のいない時間が必要なのだ。視界から、同じ空間から祖父という存在がいないことがとにかく大事で、とにもかくにも必要だ。
今は大学が休みの私の妹が食事の支度など手伝ってくれているが、先の見えない自粛にその妹もかなり疲弊している。遊びたい盛りの女の子にこの春どこにも行けず、ただ田舎の桜を眺めるばかりの日々はあまりに苦痛だろう。加えてボケ老人の空いてときた、よく家にいてくれているなと思う。申し訳ない。ちなみに母は祖父と祖母どちらとも折り合いが悪くことある事に死ねだの殺してやるだの口にする。ただえさえ飲酒量が多かったのにますますアルコールの量が増え、コロナの話ばかりするので一緒にいて気が滅入る。せめて祖父母のどちらかが早く死んでくれればと思う気持ちは、私にも無い訳では無いが。助けてくれ