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2012-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20120211230419

価値価格釣り合いがとれていない」とするとずれていませんが、価値価格アンバランスさを意識させずに誘導する部分が肝であるビジネスといったほうがいいでしょう。

チコン以外に関しては、コンテンツ自体が非合法と隣り合わせであったりその境界線を曖昧に見せているから批判されているわけですから、例示としては適切ではないでしょう。

コンテンツ妥当性には批判がそれほどいかず(ゲーム面白くないとかはあるでしょうが)、誘導部分に批判が集中することが特徴であるとすると、パチコンが一番類似しています

2012-02-06

財政に対する学習無力感

円高とデフレ

これがあるから若者給料は上がらず、国の借金は相対的に増え続け、景気は悪くなり続ける。

なのに、円高もデフレも何も有効な対策を打たないまま、財務省野田総理マリオネットのようにコントロールし、消費税増税実施しようとしている。借金の実高も、消費の冷え込みも承知の上で、それでも増税をするんだ。なぜ? 貯金財産もない若者には「死ね」と言われているようにしか聞こえない。

けれど、きっと財務省日銀のえらい人は、そんな素朴な疑問に対しても、僕の想像もつかないような専門用語で、哀れむように、蔑むように、理路整然と解説して「だからインフレターゲット政策は誤りなのですよ。私たちの啓蒙が足りませんでしたかねえ」というような顔をするのだろう。いや、彼らにそんな暇はない。どうせ説明を求めても「愚民に説明しても無駄だ」くらいの心持でいるのだろう。

そして、今の円高とデフレ放置している理由は、僕の理解を正直超えている。財政なんちゃら学的に見て、それが妥当からなのか?

それとも、インフレ暴走することで、査定が下がることを恐れているのか?

デフレ政策を維持し続けてきた大蔵日銀OBメンツを守りたいからなのか?

デフレによって、相対的に自分給与退職金天下り先で手に入る金を維持増加させたいのか?

デフレによって、天下り先が維持される原因が生じ、それこそが彼らにとっての利益なのか?

全くわからない。だが、物心ついたときからデフレ不況と、財務官僚に国民の声なんか届かないという無力感に、影に日向に僕はさいなまれ続けてきた。

そして、財務官僚は増税反対論を敷くマスメディア論客に、税務調査で脅しを掛けるという。

権力を使ってまで、若者雇用を間接的に殺してまで、増税がしたいのか。

この構造は、霞ヶ関奥の院、密儀の神殿で、長老の如き老人たちの手で行われており、所詮、僕のような若い庶民には、何の異議申し立てをしても無駄なのだろう。

そして、無理に騒ぐ人間には、権力を使って合法的に圧殺するのだろう。そして、彼らは若者の声を「愚民どもが扇動されているな」とあざ笑いながら、政治家を言いくるめ、マスメディアを脅して、増税を押し通し、不景気を招くのだろう。そして彼らは、天下り先で高い給与退職金を得て、仕事のない若者を横目に「努力が足りない」と呆れながら、安楽な余生を過ごすのだろう。

この20年、好景気とやらを殆ど見たことのないまま、どこかの頭のいい老人たちの手によって、僕らは翻弄されてきた。それに異議申し立てをする能力も手段もないまま。

ハシズムが勃興する理由の一つは、この学習無力感を癒す可能性が僅かでも感じられたからだろうと僕は思う。頭のいい大学のセンセイなんかは「それはナチスやファシスタ党の勃興と同じ理由だ、眼を覚ましなさい」とご丁寧に忠告してくれるのだろう。

でも、もう遅い。この国に刻み込まれた、学習無力感反動が、これから荒れ狂うだろう。暖かい場所で、オーソリティ給与を得てきた大学のセンセイの言葉は、実にむなしく響くよ。

2012-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20120205173934

日本企業の負けた原因は、スペック技術力ではないと思っています戦略の誤り、組織的な非効率を見なおさず、「商品力で負けないようにする」とだけ答えるのは滑稽です。

特定の企業けが業績悪化したなら「戦略の誤り、組織的な非効率」だろうけど、

日本企業が全体的に悪化してるなら円高地原発力不足が原因とみなすほうが妥当では?

経済失政や天災があろうと自分たちの力で何とかすべき」と建前でいうならともかく、本気で全部自分たちの組織のせいだと思うのは滑稽だよ

2012-02-03

琉球大学木村政昭名誉教授地震予測

木村政昭氏の地震予測一部の人が知って偉く驚いてるようだけど、なんか過剰評価にしか見えないので。

まともに素人向けに検証したサイトないの?

TwitLonger — When you talk too much for Twitter

ざっとネットで調べても、どうも木村政昭氏の地震の目理論というのがよくわからないんだけど。ちゃんと見るものを見ればわかると思うんですけど今はパス

精度を調べると、多少見たところ「少なくとも一般の利用者にとっては現時点でそんなには高精度じゃない」というのが私の結論。

せめて 科学的・論理的な姿勢で原発の廃止を求める原発懐疑派のブログ  ネット反原発派の極北・「@tokaiama 東海アマ管理人」氏の地震予知は真実かデマか? 並みにチェックしたかったんだけど(これでも本来不十分だけど少なくとも東海アマ予測がでたらめであることだけははっきり分かる)、そこまではできなかった。

ざっと見たところ、東海アマレベルよりは比較にならないほど当てになる可能性は否定できなかったが、上記ブログにあるような「木村先生阪神淡路大震災以降、ほとんどの地震予測成功されていて、」っていうのは「え、ホントかいな?」というのが私の見解

まず、見てみよう。

彼の公式サイトのうち、2011/3/11もっとも直前2011/02/18の日本列島地震予測図だ。

My Blog

2007年には一度予測していたはずの、三陸沖の予測が書かれていない。

日本付近の地震予測図(M≧6.5)

木村説に基づく私案 (2009年8月6日公表)にも、やっぱり三陸沖はない。

そして、2011/3/9、後から「前震」であったとわかった地震直後

My Blog

これの目があったと突然言っている。

2011/3/11が終わってのち、

My Blog

目があったと言っている。しかし、それまでの上記引用すべての図と違うように見えるのだが。

2011/3/9の前震の予兆と2011/3/11予兆を取り違えることはあってもおかしくはないかもしれない。また、この比較だけをもって、地震の目理論の中身をデータ比較して検討しなければ「地震の目」理論そのもの妥当性(多少なりとも役に立つかもしれない、という可能性も含めて)を否定することはまったくできない。が、現時点で「木村政昭氏は2011/3/11三陸地震を的確に予想していた」と言われると、まったく予測してなかったこと断言できる情報には欠けるが、的確な予想が出来ていたというのは無理ではなかろうか。実は予想してたんだけれども政治的理由等で隠していたとか言われたらちょっとまぁ私には手に負えないが。

で、本当はもっと過去予測と実績を予測履歴と比較すべきなのだが、ぱっとぐぐっても私には見つからなかったので、

みつかったうちの最も古い前述の「木村説に基づく私案 (2009年8月6日公表)」でみてみよう。

再掲)日本付近の地震予測図(M≧6.5)

このうち、台湾付近(2009±2)のは当たってれば来てるはずなので、とみてみると

NEIC: Earthquake Search Results

…なさそうに見えますが。M5.5以上検索。2009/8/1~本日。当たっていればLAT21付近にあるはずなんですけど(このシステムデータ漏れがあったらわかりませんが)。そんな地震があったというエビデンスがあったら教えてください…。他のは予測期間が終わってないんで判定できませんが。。。

千葉周辺はなんか最近の他の学者が言ってるのと似てないこともない気がしますので、これは当たるのかもしれません(既に311余波で起こってたりします?)

鹿児島南東沖はまだ予測範囲終わってませんが、気象庁 | 震度データベース検索とかで見る限り、鹿児島震度1以上で震源地とマグニチュードが一致するものは見当たりません。

で、2011/8/9版をみると

My Blog

随分変わってますね。

まぁ、3/11で大きく事情が変わったとかいうのが地震の目理論に当てはまるかわかりませんが(311でまったく過去データが使い物にならなくなってたとすると多分私が見た数ページからして地震の目理論はたぶん、当分の間精度ががくおちです)。

過去のは図から抜いてるだけで予測撤回してないって話だと過去のも全部並べて重ねないと予測意味がだいぶ減ってしまいそうですが)

外れが多かろうとも、一定の精度があるのであれば、まぁ備えることに無意味とは必ずしも言えないので、私が見た限り、「東海アマみたいに信じるのがバカ」レベルであるという判断はできませんでしたが、警戒情報として参考にするならともかく、現時点であまり祭り上げるのはどうだろうかと思うわけですが。

また、上記検証では理論の正しさは何も検証してないので、この理論の今後についてもなんら評価してませんので、将来この手法が精度を上げて実用化される可能性を否定するものではありません(とりたてて肯定もしませんけど)。

2012-01-30

イベントについて

忘れないうちに幹事についてまとめる。

あとでトゥギャッターにでもしよう

ちょうど0128hwoffが終わったタイミングだし。

本当に来ていただいた皆様には感謝

で今回は一応無事になんとか終わった印象。

少し私が顔とIDと経歴とを間違えてて不愉快にさせてしまった可能性は否めない案件はあって

それについては今後の課題。顔とIDを一致させる。

hwoffについて、57人参加で運営上の大きなトラブルがないのは奇跡に近くて

それに甘えてる幹事な私。

普通このくらいの規模ならば、連絡なしのドタキャンが発生することは否めないし

可能性としては織り込まなければならない。

その場合キャンセル料はどする?全額請求するのか、参加者につけ回すのか。

今回はドタキャン発生が皆無なのは本当にすばらしい、金銭的な収支も計算どおり。

実際はこれに対処する術をもっていない

現状1人でやってるってのは良くなくて、不測の事態が起きた時に対処が遅くなる。

本来ならばすでに1人でまわすことが無理あって

hwoffの参加者が行儀がいいだけの話。

なんで一人幹事ばかりなのかっていうと、話しあうとか意思疎通のコストが高いと思い込んでるから

対人関係をうまく構築できないといってもいい。

運良けりゃ回るけど、最悪なことが起きた場合 例えば私が当日42度の熱出てほんとに動けないとか

そんな時を想定すると1人で回すのは愚の骨頂。

マネジメントみたいな話になると思うんだけど、もう少し

自分でやったほうが早いとかいってないで、自分の分身をつくらなきゃまずいよね 的な。

これは高専部活時代にも先輩から諭された話。

中身だと0.5hが集合時間、開始から3時間で本会が終了。

結局1hくらいはLTやってた、このあたりのバランスは確認したい。

全部に興味ある人はいないだろうし、それを考えるとLTを挟むことの是非とか。

もともとの趣旨は顔見せて集まることの少ないエンジニア交流促進なわけで

そーすると無くてもいい事項か。

会費については5000円が妥当か。しゃぶ庵で3.5h専有して とか考えると

高いとは考えないが財布の状況を考えると軽食程度にして4kとかに抑えることも視野に。

今お越し頂いてる層が上は50くらい 下が19くらいなことを考えると微妙

大半は社会人なのを考えると5kにして、未成年B2M2まではキャッシュバックみたいな事を考えるか。

コストどーすっかね。

例えば立食で軽食で4h専有できて60人でみたいなスペースはあるんじゃないか

むしろ昼からみたいな、一つの解ではある。

しゃぶ庵のご飯は僕は好きだし美味しいと思うけど、それをメインにしてる人もいないのは事実

そーなると軽食のがいいのかしら。

これからの規模について

もし1人体制を改めるならより大きくする方向はありか無しか

それとも縮小させるか。

すでにある程度顔見知りになってしまってる人が多いので

このまま回数重ねて同じ人ばっかりになるとコミュニケーションの方向性が内向きになることはやむを得ない。

すでに常連みたいな人は30人を超えてる。

そーなると新しい人が入りやすい、コミュニケーション取りやすく促進をはかるならば規模は増大させるほうが望ましkうはある。

いまの規模の制約条件は、私個人が幹事である、私の知り合いに基本声かかる 宣伝の問題なんか。

規模大きくすると、特徴性が薄くなるのは仕方ない。

もし来場者の満足度を最大限高める方法って。。?つうか顔見知りばかりなら僕が主催しなくてもいいよね。

もし規模を拡大するならば、親和性の高そうなところに声をかけるのはありではある。

例えばtggdとかUNIXAndroidのとことかmbedのところとか

規模拡大させればいいこともあるし当然トラブルが増える可能性は非常に増大するよ。

定期的に開催することの意義はホントにあって

次いつやるかわからないよりは、来年もあるよね ってのが集客しやすいよね。来やすいだろうし。

スケジュール的には12/20前後にやること決定して

会場にお願いの連絡いれて12/21にATND立ててしばらくはtwitter広告みたいな感じか。

なので

もし来年も動くならば、それも一人でやらないなら少なくとも12/15くらいには動き始めようね 的な。

ということで乱文ですがざっと今回の0128hwoffの思うところでした。

2012-01-26

#オランダ最後の商館長クルチウスからみた日本#

あなた方は無知です。9年前に国王ウィレム2世は親身になって日本のことを心配し、親書を特別船で届けました。親書には世界の情勢が詳しく説明されていたはず。いずれこういう日がかならず来ることを懸命に日本に訴えてきました。それに対する貴国の返事はこんな手紙は二度とよこすな、というものでした。去年私が長崎にやってきた時も、特別船でペリーより依頼された親書と、私の詳しい説明を添えてお渡ししました。一体この1年・・・いや9年の間、あなたがたは何をしていたのですか?」

「今から蒸気軍船を購入しても、航海士はいるのですか?一隻につき訓練された水兵が100人近く必要ですよ。今蒸気船を買った所で港の飾りにしかなりません。戦うつもりならもう遅きに失しています!」

最初は腸が煮えくり返ったが、今は奴らが可哀想で仕方ない。自業自得だがこれから辛酸を舐めることになるだろう。三百年の付き合いだ、少しは何とかしてやらねばなるまい。本国に手配して蒸気軍船4~5隻をプレゼントしてやるか。今は商売抜きで尽くしてやるさ。この美しい長崎を、列強の砲火から救ってやりたいからな」


#佐久間象山の開国論#

オランダからの密使が来る前から島国の海防の困難さを悟り大船建造禁止令を撤廃し、オランダより軍艦を購入して海軍を育てる必要性を説いていた(海防八策)彼からみると、阿部正弘の改革はすでに手遅れで勝負にもならない。

その上で黒船の戦力を見抜き、負けても大きな被害にはならないという見込みを立てた。この前提をもとに、1年以内に江戸湾近くの住民を避難させた上で日本から戦闘を仕掛け、脅しには屈しない姿勢を見せつつ、あっさり負けて戦力差を思い知ることが開国のもっとも望ましい形である、とした。

これは長州薩摩外国艦隊戦争をして開国に目覚め、その後の日本リーダーシップを握ったことを考えても妥当な判断ではあるが、この時に彼の考えを理解する人はイなかった

→彼の献策は検討されることもなくお蔵入り。

 幕府内で活躍は出来なかったが

 勝海舟吉田松陰のほか、橋本左内河井継之助などを門弟として育てる



#尊皇攘夷水戸様の怒りが伝言ゲームで広がった形?#

水戸斉昭は全くの鎖国論者ではなく、貿易でとませることも技術の導入も必要だとは考えている。

他の藩よりはやく大船建築や、蘭学推奨をしていることから松平定信ほど頭が硬いわけではない。

しかし、西洋船が自由に日本に来ることは反対で、片道貿易などを考えていた。

もちろん、そんな身勝手で一方的な開国案が受け入れられるはずもないのだが斉昭にはそれがわからない。

自分の都合の良いところだけ取り入れたい」という姿勢中華思想と変わらないのだ。

そうして意見をはねつけられた不満と怒りを藤田東湖などの側近にぶちまけ

側近はその怒りを弘道館など学問所でぶちまける。

若者たちはそれを水戸学を慕ってくる全国の志士にぶちまける。

かくして彼の怒りは全国的に攘夷志士として広まっていく。

過激な発言はするがバランス感覚も持つ水戸斉昭の思想のニュアンス

伝言ゲームによっては失われ、過激な部分だけが広まっていく

実は水戸上層部保守派がしめており、水戸学が攘夷思想として暴走するのを抑えようとするのだが

これがかえって水戸藩内に深刻な対立分裂を引き起こすことになる。


#シーボルト手紙#

プチャーチン

クリミア戦争の影響で君の航海も何かと苦労が多いことだろうとお察しする

しかし戦に巻き込まれた力を奪われたりしてはならない

君はあくまで日本との平和外交に徹してもらいたい

相手国を武力で倒すより相手国の信頼を勝ち取るほうが遙かに難しく重要なことだ

君もロシア軍人なら高田屋嘉兵衛のことは知っているだろう

1812年、この時もロシアナポレオンフランス軍を迎え撃つ大戦争のさなかにあった

こういう時代の気分は必ず伝染する

モスクワと正反対の極東においても日本ロシアが小競り合いから開戦直前の緊張状態にあった

その時ロシア軍艦にたまたま捕らえられた船商人のカヘエは

捕虜のみでありながら両国の間に立ち戦争回避することを決意し

言葉もわからぬ相手とほとんど身振り手振りでこの難題をやり遂げたのだ

42年前のカヘエの奇跡を忘れてはならない このような優れた日本人もいるのd

そして君にはロシア高田屋嘉兵衛となってもらいたい

目的日本との平和なる国交樹立だ その一点を決して忘れないでもらいたい

ロシア政府戦争よりも日本を開国させることが重要であると考えればこそ

ちのに事務戦費を削っても我々に送金してくれているのです



#江戸時代学者に対する仕打ち#

三国通覧図説には「日本橋より唐おらんだまで境なしの水路なり」とあります

こんな正論を述べた人物に焚書・幽閉死で報いるとは

海国兵談の末尾にもこうあります「この書で述べた計画を今から幕府が五十年かけてやり遂げれば

日本の将来は何の心配もなくなる」と。

それを幕府は六十年間無視しこんにちを招いた。

鎖国けが問題だったわけではない。鎖国していてもやりようはあったのだ

六十年前のことならまだ諦めもつくが

天下の蘭学者高野長英を死なせたのはわずか4年前です

これまで幕府は逆コースを撮り続け最も大事な人物ばかりを迫害し殺し続けてしまいました

その人達のおかげでこの国が救われたというのに

二度とこの失敗を繰り返すわけにはイカぬいよいよ国際社会の荒海に乗り出したのだから

(といったそばから水戸斉昭www60年前だったら彼の主張は正しかったし

 彼はあくまで国防を主張してたのに、勝手攘夷の話に持って行くんじゃねーw)

2012-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20120123102340

田舎の女なんてまともに稼げる仕事無いんだから妥当だろ。

東京なら女のが参加費高いパーティとかあるよ。

男は医者限定(笑)とかのやつ。

2012-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20120117124027

結局自分で言っちゃってるね。「正社員より貢献してない」って。

???

俺がそんなことを書いてるっけ?

是非具体的に引用してね。(宿題1)

俺は自分自身についてなんて1行も書いた覚えがないけど。



良い待遇を得ようと思ったら、まず、貢献が根拠になるのに。

君さあ、自分が擁護しようとしてるコメントちゃんと読んで理解してる?

全文引用してあげるね。

むしろ、高コスト正社員仕事奪ってやった方が愉快だと思うんだけど。

無能正社員がどんどんお荷物になって、明らかに周りが扱いに困ってるの見ると楽しーぞー。

こいつって君が言うような「良い待遇を得るための建設的な活動」をしてるの?

違うよね。

無意味なことをやってるだけで、多分自己評価ほど「使える奴」ですらないタイプ

職場で従業員の間に変な緊張や敵対をばら撒くだけのよく居る手合いのバカ。




何故か正社員を敵視してくだらない競争を挑んでるけど

別に正社員非正規社員と対立関係にはないし、仕事の範囲も違うのにね。

非正規から見える部分で戦いを挑んだってただの独り相撲だよね。

と俺は言ってる。




このバカに比べれば、

非正規社員なので待遇程度の働きしかしません」

という元増田職場の非正規達の方がまだよっぽど妥当アクションだと思うよ。

とも言った。




元増田は敵視の対象が「自分達を正規雇用してくれなかった使用者」だから

敵視対象も間違ってないし、同じ境遇同士で職場で団結してるらしい。

こっちの方がマシだよね、と言っている。

わかったかあ?馬鹿君。




自分の残念すぎる読解力と誤読について感想文を書け。(宿題2)

http://anond.hatelabo.jp/20120117104419

いや、だからさあ、

元増田達は正規社員雇用を蹴られたんでしょ?

そう書いてあるじゃん

もう交渉はしたんだよ。

で、非正規雇用になったので、

非正規雇用に見合った質の仕事をしようね、

と団結してるらしい。




いいんじゃない

合理的で妥当な態度だと思う。

2012-01-13

謝らない

簡単に謝らないように。それは単なるその場しのぎです。謝ることがコストとして妥当場合、もしくは利益がある場合には謝る。

そうしないとあなたの謝罪の価値が出ないから。何かあるととりあえず謝りの言葉を口にする人。信用されないです。

でも、誰にも届かないところでは「ごめん」と言って下さい。誰にも届かないところで謝ってあげてください。



ライフハックが多すぎて、ブックマークしないと置いてけぼりのように感じる時代ライフハックは「誰かの経験則」であり「うまいやり方」かもしれないけれど、知らなくても大丈夫ものばかりだから。みんな、賢く生きようとしてるのだけれど、それは自分ブックマークのなかのライフハック記事の数とは違うから

そんなことを感じた日だった。

2012-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20120109182415

・まず事実として貴方はイケメンではありません。容姿改善をしてもイケメンレベルには到達出来ません。小奇麗レベルです。前回の顔面偏差値40の評価は確かに妥当だと思います

http://anond.hatelabo.jp/20120109125509

では見るからに不細工な女性がまともになっています

化粧する前は40ぐらいですが、した後なら55ぐらいは行くと思います

なぜ、私だけいくら容姿を整えてもだめなのでしょうか?

2.トーク、キャラにて相手の好意を上げる

私も女性からモテモテアスペの人に好感を抱きました

アスペであっても2はできないことはないと思うのですが…

どうやっても無理なのでしょうか?

http://anond.hatelabo.jp/20120109181219

いろいろ列挙してみましょう。

・まず事実として貴方はイケメンではありません。容姿改善をしてもイケメンレベルには到達出来ません。小奇麗レベルです。前回の顔面偏差値40の評価は確かに妥当だと思います

容姿で優れていないのであればトークやキャラにて相手がセックスするのに合意するまで相手の好意をあげなければいけません。

 少なくとも短期間のやり取りにおいて、それが実現出来るレベルには非常に程遠いと見られました。

作業所にいる女性は同じ自分環境にいるなかで一番まともな男性に近づいて行っているのでしょう。

 多分世間一般からしたらレベルが高いかどうかはわかりません。

・貴方の努力は素直に素晴らしいと思います


ただ現実問題として

 1.容姿レベルを上げる

 2.トーク、キャラにて相手の好意を上げる

 3.体と心の距離を縮めて、セックスに持ち込む流れをきっちりと理解し、その流れを作る。


 ゴール.恋人orセックス

極々短文にしましたが、今やっている事は1,のみです。

容姿改善無駄ではありません。やらないよりはやった方がいい。これは事実です。

が、1.をクリアしたとしても2.と3.は現在では(というかネットでは)向上させる事は不可能です。

また現在アスペの方に2.と3.を行えというのは非常に難易度が高い事だと私は思います

よって貴方がモテになるのはとても難しい事だという結論に達しました。

2012-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20120105114751

元増田社会人だろ。



暇なので計算してみる。

元増田社会人なりたて23歳、母親短大卒後3年腰掛して結婚→即妊娠とすると24歳で元増田出産、とすると今47歳。

今47歳の女性が18歳だったのが1983年。まだバブルじゃないんじゃね?

適当にぐぐったhttp://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Relation/2_Factor/3_work/1-2-C08.htmによると

1983年女性短大進学率が19.9%、大学12.2%。

って事は7割近くが高卒以下だったわけで(まあ専門卒とかも含まれてるだろうけど)「短大卒=中の上」も妥当かと。

実際は元増田母親もっと年上だと思うが。

23歳ではまだ本人&両親共に結婚を具体的に意識しなさそうだし、「彼氏を紹介すると両親共に彼氏の肩書きに失望する」とあるけど

同世代の彼氏ならまだ就職したばかりで肩書きも糞も無いわけで…(これは彼氏がかなり年上という可能性もあるけど)



あと元増田海外旅行行ってたのは小学生中学生の間だからとっくにバブル崩壊した後だろ。

でも安価アジア海外旅行が一般化した時代よりは前だと思うし、

バブル崩壊後の不況の中で小中学生を連れて1,2年置きに海外旅行出来た、ってのは金持ちだと思うよ。

2012-01-04

インターネット

原文:The Un-Internet by Dave Winer



この世界無限ループに陥っている。



こう書くのは初めてじゃない……

って、だからこそ無限ループなんだけれども。

毎回全部書き下ろす必要はないわけで、

もはや様式美になってきた感がある。



何回繰りかえしたかとかは置いておいて、

さあ、もう一回はじめようか。



問題は「コントロール」、これに尽きる。



どういうわけか、IT企業の重役はこれを欲しがるんだけれども、

最後コントロールを手にするのは、いつもユーザーだ。



1994年、この繰り返す世界年代記を書き始めたばかりの私はこう言った

「私たちよりもユーザーがまた一枚上手だった。

 この業界ではだいたい15年周期くらいでこういうことが起こる。

 私たちが足元を見失って、ユーザーが反乱して、新しいソフトウェアビジネス降臨する。」



そこではこうも言っている。

ユーザーは一度コントロールを手にしたら、二度と返してくれない」。



御存じの通り、いまそれがTwitterコミュニティで起こっている。

そして次はTumblrコミュニティで。



コントロールを欲しがるというのは、別にあいった企業の重役の倫理観のせいじゃない。

短期的にはそれが最善のやりかただからだ。

ありうる道は、ユーザー手綱をうまくかけられるか、競争に負けるかしかない。

IT業界法則が書き換えられない限りはそうであって、

法則はそうそう書き換えられない。



若いころの起業家としての私であれば、そのくらいのことはわかっていたんだろうと言われるかもしれないけれども、そうじゃなかった。

自分たちのソフトウェア海賊版を作られることが、怖かった。

簡単にコピーできるものをどうやって商売にしていいか、分からなかった。

から、詳しくない人にはコピーできないようにするためのコントロール方法を編み出した。

すると、私たちのソフトウェアコピーするためのソフトウェア市場ができあがった。

けっきょくの問題は、ユーザーは私たちの意図に反することをやろうとする人なのかどうか、ということだった。

ユーザーの皆さんは誇りのある人たちだった。

から私もするだろうことをした。

私たちの製品使うのをやめたユーザーたちから

200ドルはするそのディスクをハサミで真っ二つにしたものを入れた封筒が、次々に送られてきた。

手紙意図するところは明らかだった。

ある日、ユーザー全員がコピープロテクションを外したのだ。

そうやって欲しいものを手に入れた。

私はようやく、いつもこうなるんだということを思い知らされた。



訳注:原文初版ではここにミッキーマウス画像



今回は、Appleユーザーコントロールしようとする勢力の親分だ。

ユーザーを守るというAppleの説明は、ある程度までは正しい。

iPadソフトウェアダウンロードするとき、害が起こさないということはかなりの程度、信頼できる。

危険な奴らから私のコンピュータを守ってくれる。

そこまでで済むんだったら、私は何も言わない。

ももちろん、そこまででは済まない

済むはずがない。

相手には、どのソフトウェア自分プラットフォームで出まわってもいいかを決める権力がある。

そうなれば、言論も規制されるのは避けようがない。

その意味で、iPadプラットフォームディズニーランドのようなものじゃないだろうか。

ディズニーランドPixar映画にないようなものは、そこにもない。



悲しいのは、Appleが若い世代に対する悪い見本になってしまっていることだ。

若い世代というのは、Appleみたいに「ユーザーエクスペリエンス」をコントロールしたがってそうな、

TwitterTumblrといった、比較的小さな会社のことだ。

彼らは、自由市場の不確実さよりも自分たちの品質管理のセンスのほうが優れていると思っている。

から同じようなコントロールを掛ける。

Twitterでは、Twitterパートナーとして指定したところのコンテンツしか表示できない。

どうやったらパートナーになれるかは、誰にもわからない。

誰にも見えないようにされている。



Tumblrあるブラウザアドオンおすすめしないと言い出した。

これを問題にするのはきっと、それなりの数のユーザーが使いたがったからこそだろう。

この決定は開発者だけじゃなくてユーザーまでも巻き込むことになる。

ユーザー「教育」しなければならなくなる、というのが問題だと彼らは認めた

あれ? これって聞き覚えがあるような………

ということで、最後には逆の結果に落ち着くだろう。

そうならなきゃならない、

ということを、インターネットが教えてくれた。



私がインターネットに初めて触れたのは大学院生ときのこと。

1970年代、それはまだインターネットとは呼ばれていなかった。

その単純さと、コントロールされていないところが好きだった。

あれを載せてはいけない、これは載せてもいい、と命令する人はいなかった。

門番はいなかった。

インターネットが育った周りの環境、つまりメインフレーム世界では、壁はものすごく大きかった。

個人はコンピュータを持てない。

使いたければ企業はいるか、大学に行くかしかなかった。



それからループが回るたび、IT業界が持ってくるコントロールを解毒するというのが、インターネット役割だった。

IT業界は毎回、理由とそれなりの妥当性を提示した。

アクセスできる人を無闇に増やせば悪夢が起こる、と。

でも最後には、私たちは壁を乗り越える。

そうするとまた次の壁がやってくる。

成り上がったプラットフォームが数の力で支配しようとする。

そしてまた、おなじ過ちを犯す。



これはインターネットと反インターネットの勝負だ。

そして、おそらくいつも、インターネットが勝つ。

2012-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20120103111738

なるほど。母数が少ない、という指摘は正しいですね。このアンケートの資料性は低い、と考えることにします。

では下記の調査は妥当と考えても良いかな?



平成17年版 国民生活白書 女性結婚相手に対して経済力を重視している

http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h17/01_honpen/html/hm01020101.html

こちらは、回答者は全国の18歳以上35歳未満の独身男性3389人、同女性3085人。



図録▽生まれ変わるとしたら男がいいか女がいいか

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2475.html

統計数理研究所によって「日本人国民性調査」が1953年以来、5年ごとに戦後継続的に行われている

(同じ問を継続しているが問によっては必ずしも毎回聞いている訳ではない)。

長期的な日本人意識変化を見るためには貴重な調査である

この調査はすべて、全国の20歳以上(ただし2003年11次調査以降は20歳以上80歳未満)の男女個人を調査対象とした標本調査である

各回とも層化多段無作為抽出法で2,254~6,400名の標本を抽出し、個別面接聴取法で実施されている。

2008年調査は10月下旬から1カ月かけて行われた。

2011-12-25

[] 岩崎夏海さんの文章の読み方の教科書

常識にとらわれてはいけなかったのですね 

先に結論から

岩崎夏海さんの文章には決まった楽しみ方がある。

「彼の独特の美学」をみつけた上で、それが文章の枝葉末節にどう影響しているかを探る、というものだ。

間違っても頭から文章を順番に読んで行こうとか、彼の言ってることが現状を踏まえて妥当かどうか、とかそういうことを考えてはいけない。




http://blogos.com/article/27749/

実に岩崎さんらしい凄まじい文章である

つの文章の中に細かい主張が3つも4つも混じりあい

さらに他者への批判やアフィリエイトが挟まり

それらがいったりきたりするのでカオスぶりが半端無い。

読者としては「何が言いたいのかわからない」「マジキチ」と評したくなる。

まともに読んではとてもついていけなくなるだろう。




しかし、実は彼の記事はどれもテーマは極めてシンプルである。彼の文章は、己の美学を語るためだけにある。残りは装飾にすぎない。

彼は基本的に現実についてあまり知らないし知ろうとしない。彼の理論現実の制約も、比較対象も、実証もなにもない。美学とはそういうものなのだ

そういう「些細なこと」に気を取られずに本というものは、野球というものは、マネジメントというものは、読書というものは「かくあるべし」だけを考える。

から現実はこうだろ、とかそういうツッコミは野暮というものである確信犯なのだから

他者への批判とかは客寄せパンダ以上の何者でもなく、本人も力入れて書いてない。いちゃもんつけられれば前後関係がおかしくても気にしていないのだろう。

なぜそこまでいちいち煽って人を集めなければいけないかというと、まぁ個人的な美学というのは普通に書いてもだれも読まないたぐいの話で有るし、職業病というのもあるのだろう。




今回でいえば「作者と読者の関係はどういうもの理想であるべきか」という点について彼なりの美学が語るのがメインである

Q:「購入者は何に対して金払うのか? 」

A:「作者に出資するようなもの。そのお金で作者は命をかけた取材をし、読者に還元する」 こういう流れが理想である

作品ではなく、作者にカネを払う。曲やコンサートというよりはAKBそのものを応援するために金を払う。

そういう仕組みのほうがお互いにメリットのある関係を築けるはずだ、という。

どちらかというと作家というか、ジャーナリズムに近づいている気もするが、確かにこの流れがうまく回ればなーとは思う。理想論としてはありだと思うんだよね。




今回の記事で理解すべき部分はここだけである

他にも多少彼が最近かぶれているらしい「自然と一体化した人間」みたいな思想も含まれているが、そこは私にもよくわからないのでスルーする

そのうち分かるかもしれないしわからいかもしれない。

他の部分は、この彼の独自の美学というか理想を、無理やり現実に当てはめたらどうなるか、という話だ。

もちろん、たとえば著作権教育に関して、彼はほとんど知識が無いので、現状を踏まえて考えると言ってることはおかしいのだが、そこは重要でない。

特に他者の引用や他者への言及が始まったら、すかさず読み飛ばすことを強く推奨する。





私が岩崎さんを好きなのは、こういう「常識にとらわれない」ことと、文章に何らかの「核(彼自身)がある」点である

少なくともありきたりではない。彼の書く文章は彼にしか書けない唯一無二の文章であり、それが面白い

面白い、という軸で評価するなら主張の裏付けについて、個人的な体験の比重がとても大きく、非現実的な主張が多いことも欠点ではない。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081004/1223046127

世の中には、核(自信)があってどこか堂々としている人と、核(自信)がなくてどこか不安げな人の二通りがいる。どちらが良いとか、どちらが悪いというわけでもない。どちらにも一長一短があり、そのあるなしが人間そのもの価値を決めてしまうわけでもない。それでも、ぼくはできれば核はあった方が良いと考えている。それは、ぼく自身が核のない人間で、それでずいぶん苦労したという思いがあるからだ。今振り返ると、苦労した分いろいろ学べたこともあるから、核がないのは本当に悪いことばかりではないのだが、それでも、あるのとないのではやっぱりある方が良いと思ってしまう。ないものねだりかも知れないし、隣の芝生は青いからなのかも知れないが、自信を持って堂々としている人を見ると、いつだって羨ましいと思ってしまう。だからぼくは、そういう核がない子供を見ると、なんとかしてそれを植え付けることはできないものかと、傲慢かも知れないが考えてしまうのだ

から、みんなも枝葉末節常識にとらわれないで、素直に彼の独特な文章を楽しもうじゃありませんか。




私のもしドラ感想Ver1

http://anond.hatelabo.jp/20110610173821

ひねくれて読むとこうなる。でもこういう読み方をしてはいけません。 

本当は「女子高生もっと輝くべき」というテーマだけ読めばよかったんです。

2011-12-24

認知の微視的構造 リマインダー

リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。



第一章

1

認知主義、古典認知主義

意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデル意味する。

 この主義の限界を

2

 ・チューリング

 チューリングの形式化が持っている特徴

(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括

(2)そのメカニズムいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している

(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している

⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している

フォン・ノイマンコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーLISPプログラム言語)を開発。

 ⇒ 研究開発が可能に

A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出

 ⇒理論的に自覚化・明確化される

3

・物理記号システム

①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、

②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム

by 1976 ニューウェル & サイモン

・強い物理記号システムの仮説

SPSS strong-physical-symbol-system

「標準的な記号アトムフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」

①仮想機械

現実の物理機械上で実行されるプログラムのみによって存在し、

そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」

 高級プログラムによって定義されるエミュレータ

フォン・ノイマン型の操作

コネクショニズムとは異なった操作

・記号を割り当てる

・変数を束縛する

・記号列の複写、読みとり、修正

・基本的な統語論パターンマッチング操作

等々

③標準的な記号アトム

「テーブル」「ボール」「愛する」「軌道」「電子」のような語

④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段

そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる

 このような主張(標準的なLISPアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践

彼らの仕事の特徴(例:BACON

 ・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している

 ・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能

 ・選ばれた課題領域を扱う

BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則

BACONに対するいくつかのコメント

BACONが取り組んだデータフォーマット化下のは、人間の労苦

BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。

 ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない

BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの

 ⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう

 サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。

 しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。

 心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える

 BACONは、人類の一部のモデル

 知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている

 古典システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。

 古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々

意味論的に透明、意味論的な透明性

STS semanttically transparent system

システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステム意味論的に透明であるといえる」

 きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズム記述レベル2)における計算の対象が、概念レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述レベル1)と同型である場合である

レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え

レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法

レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)

古典アプローチコネクショニズムの重要な違い

(1)古典理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論意味論を組み合わせた記号システムを仮定している

(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。

 もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない

◎要するに、古典システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである


第二章

 古典認知主義に対する懸念

 ドレイファス:古典認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当

 サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論意味論との間にギャップが認められる

 この二つの種類の懸念について検討する。

あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」

 この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念リストをあげる。

 ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。

 ウィンストンの、フレームを使ったアプローチも不十分

 ・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)

 ・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?

 ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか

ドレイファスの二つの主張

(1)身体問題

「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」

 コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない

(2)コード

 人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。

 このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?

 

 AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。

「強いAI仮説」を、サールは批判する

強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる

Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。

サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。

具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋操作者が中国語を「理解すること」の比較

「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」

 以下、サールの誤りについて論じる

 

 サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」

 脳シュミレータ説:あるりプログラム中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる

↑(サールの再反論)

(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)

(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである

 ↑(アナロジー

 光合成光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない

 では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?

  :外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること


↑(コメント

中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効

 微視的機能主義

 機能主義は、心的状態の本質を、

 入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。

 (適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)

↑(批判)

中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。

 こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう

・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか

×大まかなレベルに位置づけ

  ⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ

ライカンの「小人機能主義」

○微視的機能主義

・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981

ゲシュタルト

 :機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ

ライカン「小人機能主義」

 :機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)

 微視的機能主義

  :システムの内的な機能的プロフィール(内的状態の変換)を、

   内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で

   記述しようとするもの

   ・処理ユニット間の形式的な諸関係を記述する

   ・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる


第三章

 認知科学における民間心理学の役割はあるのかないのか

「民間心理学

 :自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解

 民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる

チャーチランド & スティック

「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学

 民間心理学問題点

(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。

 民間心理学は、子供狂人外国人を前にすると、まごついてしま

(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる

(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである

 最近の分析哲学

  :頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか

Daredevil believes that Electra is dead.

Mary hopes that Fermat's last theorem is true.

 のthat以下を、心的状態の内容と言う。

 心的状態が考えられる傾向

  :われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、

  われわれにとってどのように見えているかによって決まる

 ↓(言い換え)

 我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、

 本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない

⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、

 知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆

・双生地球……☆に対して疑いを投げかける

双生地球で、「海に水がある」と発話される。

地球A:海にH2Oがある

地球B:海にXYZがある

 この違い以外は同質だとする。

 すると、

 地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる

(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)

 もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、

 自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、

 単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して

二つの選択肢

(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、

 世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説

(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は

  〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう

プティ と マクダウェル

「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。

 しかし、

〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」

 筆者

 :あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、

 そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない


 その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。

 仮想反論

 :「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」とするならば、

 心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)

(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)

 仮想反論の詳細

:仮定①:

 二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる

 (そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)

 仮定②:

 行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない

 結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない

「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。

 限定的内容といっても、それを妥当概念として了解できるかは明らかではない」

 なぜなら、

「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは

 まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。

 その具体的理由として、

 ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。

筆者

 :広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、

 民間心理学カテゴリーや分類が

 頭の中で起こっていることに関することに関する科学カテゴリーや分類に

 きちんと還元されるなどということは

 とてもあり得ないように思われる。

・民間心理学は、科学心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない

 世界を記述しない信念であり、なおかつ

 ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学記述の上には)存在しないことも可能

 民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?

 :

 他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、

 その人の身体の動きを予測し説明するための手段

民間心理学の主要な目的

 :

 世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること

(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴

①世界に対する感受性、すなわち感覚生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している

②世界をわれわれと共有している

③彼らは我々自身のもっと根本的な関心と必要の大部分を共有している

④彼らの思考の有用性は、

(我々自身の思考と同様に、)

 彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、

 彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている

 この特徴があるので、

「~したい」という欲求さえ同じであれば、

 神経生理学的な詳細は関係なく、地球人にも火星人にも有効。

・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている

・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、

 さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)

 筆者の見解

 :私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、

 行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである

 ……関連する行動を可能にするものとしての、

 根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、

 そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が

 対応している必要はない。

――

 筆者の意見は全体論である。(行動全体に網をかけるから。)

 ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか

<Fordor>

意識の全体論というのは、

命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」

 という考え方。

 これに、Fordorは懐疑的

命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)

われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題認知的連関)を共有しているとは思えない。

 なので、意味全体論はありえない。

 →信念の内容が、その認知的連関に依存するということを否定。

 信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。

 外延的意味論の一形態に賭ける

:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである

「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」

</Fordor>

筆者

 :Fordorの間違い

 全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。

 Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。

Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。

筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている

 全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)


 一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。


(1)民間心理学は、狂人や言葉の通じない相手には使えない

(2)民間心理学は、長い間停滞している不毛な学問である

(3)民間心理学は、神経科学ときちんとつながっていない

(3)に対して、

 民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである神経科学とつながることを目的とはしていない

(1)に対して、

 民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない

(2)に対して、

 民間心理学の目的は限られたものである

 なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。

整理。

 心的状態に関するわれわれの常識的理解と民間心理学は、違う。

 民間心理学には、きちんとした定義がある。

 これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」

 因果関係と、構成的関係の区別

構成的関係

 :

 研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ

因果的に関係

 :

 因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、

 それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる

ということはない。

チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)


・広域的内容の理論認知科学は心を解明しえない

・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている


科学(物質、プログラム

(構成的関係)

科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。

では、構成的関係とは何か。


構成的関係←→因果関係

構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること

因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない

(駒はなくてもチェスは打てる)

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2011-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20111219005606

元増田です

まあ増田にそんな女を書いた所で「ないわw」って確実に言われると思ってたよ。証明できないのだから仕方ない。

でもね、世の中は広いんだ。マジで実在するんだわ。話しててわかるくらいもう疑う隙がないほど箱入りオーラが漂ってるし、恋愛経験は皆無だし(これはお互いに)、「え?こんなの生きてるの?」くらいの風体・思想をもつ絶滅危惧種処女かどうかは知らんけど、処女と考えるのが妥当だろう。

確かに言うとおり女は女だし、「ちんこまんこがズッポシで自分価値が~」ってのは考えてるだろうね、彼女もバカじゃないから。

ただ10000000ベトナムドンをかけてくれた推測のような下衆の勘ぐりをする女だとは思えない。だって本当にそういう女の子じゃ…と言った所で「妄想乙、もっと中身を見ろ、考えが甘い死ね」ってのがオチなんだろうけど。

2011-12-12

添削しま

http://anond.hatelabo.jp/20111231173519




内容のわりに長い

情緒的な比ゆ表現や繰り返し表現が多すぎる

  ・説明を理解しようと読む人間にとって、話の流れがわからなくなる原因

  ・特にスカトロがどうとかの比喩は、書いてる人の攻撃的興奮と読んでいる人のその文への興味とがほぼ反比例する

  ・しかも何回も何回も、仮に品の良い面白い比喩でも読み手がウンザリするぐらいしつこい

論理がスルスルと流れていかず、同じとこを行ったり来たりなぞる段が多すぎる

  ・同じことを何度も何度も書いていて、これは作文の前にまとめを作ってないか

  ・書きながら考えていると無駄な熱ばかり上がって内容が疎かになりがち

文字量のスリム化余地が大きい

  ・必要な理路だけをA4の紙一枚に書き出してみよう

  ・簡潔で清潔な文にすれば内容を損ねず4分の1ぐらいに出来る

 



橋下批判について

 無駄な粉でズルズルになっているあなたの文から

 大変苦労をして中身といえる分だけを抜き出すと

 「橋下は少数意見を尊重しないので民主主義の敵であるということになる。

 批判論陣として間違ったことは言ってないし、珍説・奇説の類でも無いと思う。

  



 ただ残念ながら、そのあたりの判断はどうしてもファジィなものになるので

 「どこから民主主義の越えちゃいけないラインを踏み越えているのか」という明確な判定ラインが無い。 

 だから橋下は「反対意見人達の要求はムチャすぎ」「事態は切迫している」と訴えている。

 橋下に踏み潰されるグループは反対に、抗弁の合理性妥当性で訴えていくしかないのではないか

 



 あとこの書き込みにとっても品のいいトラバがついてるけど、

 過去の書き込みを再利用してるせいだから気にしないでね。

2011-12-10

試験工程

ソフトウェア開発の試験工程をどのようにとらえているか

試験工程が始まり、新規参画メンバーに、ドキュメント与えて試験やらせても得られるアウトプットは、所詮ドキュメント通りにできているかが確認できるレベル

リリース後にぼろぼろの品質の状態で、なんで試験でちゃんと見つけられないだと言われたとしても、設計通りのもの作成されているにすぎない。

設計がでたらめの状態であっても、品質を保ちたいのであれば、

試験メンバに要件等から携わっている人員を配置すべきか、

試験メンバーに対して要件/仕様の説明/プロジェクトの前提条件の暗黙知を共有させる準備期間が必要であるはずだが、

そんな意識はまわりにない

組織プロジェクトの共有意識のなさ、ソフトウェア全体に対してどうあるべきかを考える人が誰もいない状態に対して誰も疑問に感じない。

感じているかもしれないが、各論ばかり論じてお茶を濁している。

開発ツールによってプロジェクト生産性向上をもくろんでいるはずが、開発ツールの設計が全く生産的でない。

バグ票も、試験の前提条件/試験方法期待値も記載されず、ただ事象だけ書かれている。

それに対しても開発チームの回答も改修したレベルの記載で、原因/対応/横並びもなく、

開発チームの回答に対してプロジェクト全体として妥当であるかの判断も誰もしない

組織の人員配置/プロジェクトのあり方の不備をただ個人に押し付け

ただただばからしい

2011-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20111209185614

それを言うなら出産育児経済負担を親に負わせることがまず間違っているだろう。

子育て費用社会全体で負担して、どうしても足りない分を親が払う、くらいが妥当

なんで?好きで産んで育ててるんだから自分で払うの当然でしょ。経済負担を負いたくないなら産まなきゃいいだけ。

それに今だって出産費用出産一時金として40何万もでてるよ。子供手当だってでるし高校無償化だってあるし十分すぎるぐらい。

貧乏貧乏いってる親に限って家の電話使わず携帯長電話したり、パチンコいったりして子供手当て使い込んでる。


社会保障を維持するなら、そのための子育て費用も全体で負担すべき。

これも、子育て社会保障(って具体的に何?漠然としてよくわからない)の関係性が明らかになっていない以上、そんなこと言ったって賛同する人は少ないよ。

2011-12-05

ハックルという人物は、いつまでも理解出来ない存在で在り続けてほしい

http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20111205001/index_2.html

なんというかね。僕は,理解できないものであり続けるのってとても大事だなっていつも思うんですよ。

そして,そのためにはね。自分自身が理解しちゃダメなんです(笑)だって自分で分からないものは他人が分かりようがないでしょ。

めちゃくちゃなのが良いってことでは決してないんだけどね。でも,「理論」と「感性」の違いというか,「理論」と「感性」の関係ってどういうものが良いのだろうかというのは,昔からの僕の中のテーマ

たぶん,人間が理解できるかできないかギリギリのところで,かつ微妙に説明がつかないところにこそ,ヒット作品って生まれる

簡単に理解できるものなっちゃうと,ライバルが多くなりすぎちゃうし,先に行き過ぎちゃうと,今度は理解できる人がいない。

偶然や運も含めて「才能」と呼ばないといけないんだと思いますよ。才能ってかなり運で左右される部分もあるし。

もしドラだけでハックルさんを理解したつもりになってはいけない。

もしどらは、単に「理解しがたいキャラ」を演じてるハックルさんが、地を出しただけ

我々には想像もつかない存在であるハックルさんが、理解できる部分だけを抽出して示してくれたものなのだよ。



http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/11738

謙虚」だとか「偏見を持たない」という表現を選ぶのは、「かろうじてウソでなない範囲で、道徳的に正しく尊敬できる人間を目指しているように見える」という理由からであって、必ずしも「身も蓋もなくリアルに役に立つ」からではないのです

実際に役に立つ自己啓発ノウハウを、できるだけ妥当な評価をするとすれば、たぶん、そういう人たちを「卑怯な手段で成功した」と思いこみたい人から邪悪に見え、「自分成功者になりたい」と思いこみたい人から道徳的で崇高に見えるけど、実際は、そのどちらとも簡単には言えないような、簡単な言葉では表現不可能な技術ノウハウの体系のように思えます

ハックルさんの書いてることはそういうことなんだよ(棒






http://anond.hatelabo.jp/20111115162629

書いた人間だけれど

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111117/1321497082

捕捉されてた。はっきり言ってキモいありがとうございます

これは「ハックル」でエゴサーチしているっぽいところが笑いどころ。

ちなみに私はずっと増田で書いているが、書いたことがハックルさんに取り上げられたのは3回ある。常に他の誰かを攻撃する時だった。なんだかねー。




いや、違うか。彼は待ってたわけだ。

fujiponさんの記事を見て、直接文句をいうのではなくて、あえて誰かがその記事に茶々入れるのを待っていた。

そして、機が来たと思って一気にそれを放出したのだ。

その他の自分に対する言及のストックを見ても、こちらの可能性のほうが高い。

彼のPC内にある「こいつだはは絶対に許さないよ」リストとか見たらすごいことになってそうだ。





そんな訳で、彼は機が整うまで待てるタイプなのかもしれない。

いや、タイミングのウマさよりも、エネルギーを貯められるということのほうが重要かもしれない。

彼のわけわからんエネルギーをわけわからん形で貯めて、他の人の考えもつかないヘンテコリン物質を創りだすその性質は、ダークマター(未元物質)さんを彷彿とさせる。

間違いなく小説家よりはアウトサイダーアートとかに向いてると思います

エースの系譜は、ひたすら10年間自分の指導する生徒を使いつぶしながら、自分だけは可愛いマネジャーに手を出してリア充を満喫する監督の話だけれども

あの作品に投影された作者の心境を思うに、どんだけのどす黒い感情が彼の中にあるのか。彼を表現するのに小説という枠は狭すぎるぜ。

彼自身は小説には無限の可能性があるみたいなことを書いてたけど、

乙武さんは、「自由」という言葉を驚くほど軽い調子で口にするが、問題なのは、そもそも乙武さんの「自由」に対する考え方がとても貧弱なところだ。真の自由は「自由に発言させ、自由に考え」る中からは生まれない。発言を規制し、考え方の枠組みを押しつけるところから生まれるのである

多分彼が小説の枠の狭さとか自分執筆能力矮小さに気づいたら、小説をぶっ壊すくらいのことはしてくれると思う。

少なくとも日本小説の枠の狭さに耐え切れずに「小説の読み方の教科書」みたいな本を書いちゃったくらいであるわけだしね。




そんな彼の最新作はこれ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111130/1322621523

僕はページを開いたタブをそっと閉じた。ハックルさんの本気は人類には早すぎる。

小説は正直もういいんで、彼が次にどんな未元物質を生み出すのか今から楽しみでしょうがないです



・・・さて、こう書いた私は彼に何を投影しとるんかな?

2011-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20111204125055

彼女最初お前のことを「ちょっとイイな」と思ったんじゃないか

そのイイなは、お付き合いしてもいいな、結婚できたら素敵かも、知性水準も趣味も合いそうだし、という意味

そこでとりあえず探りとして(ここで探りとして学歴を聞くのはどう考えても無礼だが、彼女ルールではそれが妥当だったんだろう)

おまえに学歴を聞いてみた。しかし、高卒

「イイな」と思ってた相手がいきなり(彼女の基準では)論外の人物だった。

あてがはずれて、いわば軽く失恋させられたような感じになったんだろう。

そこで彼女の中に理不尽な怒りが湧いたのではないか

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