はてなキーワード: 見えざる手とは
「あんな酷い仕打ち受けたんだから、神様がそのぶんの罰をあいつらに与えないのは、自分に果報を授けてくれないのはおかしい」
こういう風な、道徳心や信仰心に根ざした見えざる手による調整への期待を心の深いところで持ってたんだけど、それがまずかった。
無職期間長引いたり、生きててとにかく辛かったりしたのはこの「神の眼差しへの期待」が原因だったと今振り返って思う。
上司から親を中傷されたり、先輩から事故の濡衣着せられたり、フロアのみんなの前で直立不動で人格攻撃食らって絶叫謝罪を強いられたり……そういう酷い経験も「こうなったら仕方がない」と受け入れて自分で行動しないと浮き上がってこれないのがこの世の仕組みだとわかった。残酷だけどね。
俺に酷いことしてきた人たちは悪行の報いを受けずに、仕事も順調、家族円満、生き生きと日々暮らし続けているとしても「そういうもんだから仕方ない。神なんていないから、寓話的な展開など発生するかもしれないし、しないかもしれない」と割り切って行動するしかない。
あほじゃね?
補償をしない+財政均衡主義こそ橋下徹たちが訴えてた新自由主義でしょうが。
結局市場の見えざる手は常に万能じゃないんだよ。政府が対処しないとならない場面はある。
これからはどこが政府がやるべきでどこが民間(=大企業)に委ねたほうが良いかを考えていくべきもの。
今は民間大企業に委ねる側が強くなりすぎたから揺り戻しがあるだろう。
無論現状を見て手のひらクルーは良いが、いささかすぎるとは思う。ましてや自分が手のひらクルーしたにも関わらず他人に元凶押し付けるとか最悪の人間だと思うわ。
まあ、アイツラは風見鶏にすぎないし、アイツラが新自由主義になったのも市政の意見が政府が何もしないのが理想的だという誤った考えに陥ってただけかもしれんがな。
歩合給の仕事をしてる。
この仕事を始めてから稼ぎはずっと毎月40万円前後で推移しているが、神の見えざる手が働いてこうなってると思っている。
毎月俺が掲げている目標月収は50万円以上だ。
なのにもかかわらず一度も達成できていない。40万円までいったところで毎月アクシデントに見舞われる。
インフル、台風で自宅が浸水、もらい事故、インフル、謎の高熱、熱中症…マジで毎月下旬にこういうアクシデントに見舞われて月末まで全休を余儀なくされてきた。
今月はここまで凄まじい売上をあげている。今月こそはどう考えても月収50万円いくと確信していた。まだ2月半分過ぎたとこなのにもう月収35万円は確定している。
と、思った矢先に今日のコロナウイルス速報。俺の地元県で同年代男性の感染が確認された。
基本形
○○ってうんこするの?
しないよ派 ─┬─ 肛門ないよ派
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├─ 肛門あるよ派
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│ └─ 肛門から出るウンコは○○のウンコではないよ派(過激派)
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├─ 肛門ではない穴があるよ派
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│ ├─ そこから出るものはウンコとは呼ばない派(穏健的ファンタジー派?)
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├─ ○○はビューティーを紡いだり、奏でたりするよ(ビューティー派=美派、語呂悪、絶滅?)
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└─ ○○はファイナルビューティー醸し出すよ(美派中道左派)
するよ派 ─┬─ 人並みにするよ派
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├─ 他の人より大量にするよ派
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├─ ファンタジーと呼ばれるものをする派(急進的ファンタジー派) → 急速展開中、危険思想集団?
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├─ ○神がその見えざる手により何処へと運び去るんだよ派(穏健的しないよ派?)
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└─ ウンコをした10^-36秒後に虚数時間の量子宇宙に転移するから「実質的には」しないこととおんなじ派
出典:http://mem2ch.web.fc2.com/archive/maruheso/codic/suruyo.html
じじいどもは懐かしがっとけ
ポスト自由主義は、自己と他者の自由を尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう。性的な分野での自由を主張する近代自由主義(モダン・リベラリズム)とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人の自由で独立した選択を実質的に保障し、極度の恋愛的、性的は貧富差における個人の社会的自由を侵害する偏見や差別などを防ぐためには、政府による制限や介入をなくしたりするのではなく、政府や地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。
「公正」とは、ジョン・ロールズによれば「立場入れ替え可能性の確保」を意味する。これは人々に「社会のどこに生まれても自分は耐えられるか」という反実仮想を迫るものであり、機会平等と最小不幸を主張する。ロールズの格差原理では、格差ないし不平等の存在は、それをもたらす関係につく機会が平等に開かれており、かつ、それによって社会で最も不遇な人々の厚生が図られない限り、その存在は公正ではないものとされている。
よって、ポスト自由主義は積極的自由に基づく自己決定を推奨し、国家による性の再配分または地域社会による相互扶助を肯定する。すなわち、市場原理主義では経済的、容姿的、コミュニケーション的強者が利益を最大化する一連の行為のために、少子化問題や構造的貧困や介護問題などさまざまな弊害・社会問題が生じ、それは近代自由主義の「意図に反して」人々の社会的自由をかえって阻害しているとし、近代自由主義を修正する思想である。
階級間の融和不可能な対立や中央集権的な統制を是認しない一方で、近代自由主義者のように自由競争が市場における「神の見えざる手」のように最大多数の最大幸福を自動的に実現するとは信じず、政府によって、各人の社会的自己実現をさまたげ、市場や社会における相互の欲求の最適化や調整のメカニズムを阻害する過度の集中や不公正などの要因を除去することが、まさしく「自由」の観点から言っても必要だと考える。
なかでも○○は「自由放任の論拠とされてきた形而上学は、これを一掃しようではないか。持てる者に永久の権利を授ける契約など一つもない。利己心がつねに社会全体の利益になるように働くというのは本当ではない。各自別々に自分の目的を促進するために行動している個々人は、たいてい自分自身の目的すら達成しえない状態にある」と述べ、アダム・スミスに由来する「見えざる手」に信頼する自由放任論からの脱却を求めるとともに、具体的には不完全婚姻均衡からの脱却のための人口政策が、政府によって実現されることを求めた。