はてなキーワード: 絶滅とは
皆様ご存知の通り、人が活動すればするほど新型コロナは感染拡大する。影響の多寡こそあれ、夜遊びでも会食でも出社でも登校登園でも。
よって感染拡大を防ぐには何かを自粛の名のもとに犠牲にせねばならない。極めて小さくなった「自由」という名のパイを奪い合っているのが現状だ。
そして感染拡大するにつれパイはますます小さくなる。このままではパイは無くなる。
この現状は絶滅危惧種のウナギに似ていると思う。日本人はウナギを食べるのを自粛しているか?むしろ、どうせ絶滅するならその前に食いたい、という人も多いのでは?
今日もそういう奴の享楽により「自由」という名のパイは食われている。
そして、自粛してもパイが他人に食われてなくなり、何ら報われる事なくこの愚民めがと十把一絡げに罵声を浴びせられるだけなら、いっそ愚民らしく食い尽す側に回った方がマシでは、という気持ちが湧いてきている。
追記:
オスとメスの男女比が1:1でない集団であっても、オスを産みやすい遺伝子・メスを産みやすい遺伝子があって、数が少ない側の性別のほうが生まれやすい遺伝子が広まることで結果的に1:1に戻るらしい。1:1になれば産みやすい遺伝子も釣り合うので偏らないらしい。遺伝子ってよくできてるね。
そもそも日本だって戦争で若い男ゴッソリと減って性比が偏ったのに、あっという間に元通りになったよね。1945年以降の毎年の性比の推移ってグラフないかな。あるかな。
遺伝的に多様性を確保するために、たとえ偏っていてもいずれは自然に1:1に収束するようにできている。
とはいえ、性比が1:1でも一生のうちに一度でも生殖できる個体と、一度も生殖しない個体。というのは太古の昔からいたはずじゃね?って思うけど。そもそも二次性徴を迎えるより若く死亡する率が高かったわけだし。
種全体としては多様さと持続可能性を確保するために、より多くの個体に生殖してもらったほうが有利だとは思うけど、「個人の自由」を解放したら、そりゃあ美男美女に生殖の需要は偏る。そうでない個体は生殖できなくなり、多様さは減る。種の存続よりも「現世代の個人的な好み」によって生殖の成否が決定される。
あー。あとはその、男女で心身の作りが違うし、婦人病という女性しかかからない病気もあるわけだ。
つまりは環境的に「男性が死にやすい要因が増えた」とか「女性が死にやすい要因が増えた」といったケースへの強度を増すためにも、やはり性比を1:1にしたほうが生存戦略として強いのか。かも知れない。
数が少ない側の性別だけ死にやすい環境になったとき、片方の性が極端に数が少なくなったり絶滅してしまったら、生殖機会の確保が困難になるから。1:1が最も生殖機会は高い(選り好みは別として)
遺伝子は、生存するために常に数と性質に余裕を持たせておくわけだから、その「余裕」のための犠牲として、死んだり、自殺してしまったり、生殖できなかったり、多様性ガチャでメチャクチャ不利な先天的な初期スキルを与えられてしまったりする。来世に期待。
例えば女だけが罹るウイルスとかで大半の女が死に絶えて、ごく少数の女だけが抗体を得て生き残ったけど、このままでは出生率が激減して人類が滅亡する!みたいな場合。
可能なのかどうかの問題じゃなくて、「法律とかで強制するか」という問題だね。まあ、地域や状況によってはするでしょうね。
地域によっては法律じゃなくて社会的な圧力でなんとかするかもしれないけど、まあ、妊娠出産しない選択肢というのが事実上認められない社会にはなるでしょう。
基本的人権なんて無視してやるよ。人類滅亡の危機という状況であれば、裁判所も忖度して「人類絶滅の危機が解消されるまでの時限的な措置で仕方ない」みたいな理屈をつけてそういう法律は合憲って判断するし、裁判所が忖度しないで違憲といったら憲法を変えるよ。人口の大半は男なんだから、数で押しきれるし。
と、DeepL翻訳を駆使して書いてみた。
その辺りはご愛嬌って事で。
なお、元増田は観に行ってません。
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これから書く文章はキングコング西野の絵本を劇場アニメ化した「えんとつ町のプペル」の感想である。
なお、私はこの映画を見てないし例え賄賂を貰っても観に行く事はないだろう。
つまり、これは私の想像に基づく感想文です。正確かもしれないし、正確でないかもしれない。
しかし、私は気にしない。これは語り継がれるべき物語だ。そして、それは全体として語られるに値する。では、始めましょう!
大前提として、キングコング西野がお笑い芸人を気取った炎上インフルエンサーであることに注目する必要がある。これは彼の作品に共通するテーマのようです。
これについては、「なぜ?これは、意志の弱い者のための松葉杖としての皮肉な現代の風潮に対する、ある種の皮肉なコメントなのだろうか?彼は本当にこのように気取っていたのだろうか?彼はそんなに面白かったのだろうか?(No.) 彼は刑期を終えて釈放されたヤンコ・ウルラの次の笑い中心のコメディアンになろうとしていたのだろうか? いやいや...
私はどこにいたんだろう?
どうやら「ペプル」なる少年を主軸としたジュブナイルファンタジーらしいのだが、私は原作を読んでないのでその様に類推した。が、もしかすると蒸気機関の様な何かが出て来るので、スチームパンク…もしくはそれに類する何かが出てくるのだろう。
重要なのは子供向けに作られたものだということだから、それはどうでもいいことだと思う。
私は子供向けの映画に文句を言う人ではありませんが(というか、誰がそうなのか!)、これは退屈しました。登場人物はすべて一次元的で、予測可能で、それらのどれもが歌うことができませんでした。
曰く「キングコング西野の影がチラついて鑑賞の妨げになる」と。
これは当然だと思います。
前述の通りキングコング西野は「炎上インフルエンサー」です。自身を執拗にアピールすることなぞ当たり前にやってのけます。それが彼の特技だからです。
「炎上インフルエンサー」は全員悪目立ちしないとお金が稼げない成年被後見人以下のクソ野郎なので、そこは笑って忖度してあげましょう。
しかし、この場合はキングコングが正解かもしれない。そう、この映画はひどい。でも、人が見に行かなければ世界が良くなるとは思えない。
最後に。
極端に聞こえるかもしれませんが この世の「炎上インフルエンサー」が 一人残らず絶滅することを心から願っています 数が多すぎるからね。
それは一般的に世界のために、これらの人々が死ぬべきであり、私は彼らが死ぬべきであると私たちの種族のために、特にそれがより良いと思います。
なぜですか?
もちろん、職業選択の自由はあるので一概には言えませんが、過激な言葉で注目を集める人が突然死しても何ら問題はないと断言します(YouTubeでも似たような行動をしています)。
彼らが絶滅してくれれば世の中が良くなると思う。彼らの才能で稼げなくなっても、いずれは消滅するだろうし、それはそれで良いことだと思います。
終わり。
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(おまけ。英語版)
What I am about to write is my impressions of "Pupel of Entotsumachi," an animated film based on King Kong Nishino's picture book.
I haven't seen this movie, and I wouldn't go see it even if I were bribed to do so.
In other words, this is an opinion piece based on my imagination. It may or may not be accurate.
But I don't care. This is a story that needs telling. And it deserves to be told in its entirety. So let's get started!
As a basic premise, it is necessary to note that King Kong Nishino is a flaming influencer pretending to be a comedian. This appears to be a common theme among his work.
I have no real questions about this except why? Is this some sort of ironic commentary on the modern tendency towards irony as a crutch for the weak-willed? Was he really this pretentious? Was he even that funny? (No.) Was he trying to be the next laugh centered comedian Yanko Urla released after his prison term? (No.)
Where was I?
Now, let's talk about the important part of the story.
It seems to be a juvenile fantasy about a boy named "Pepuru", but since I haven't read the original, I guessed it that way. I haven't read the original, so I'm guessing that's what it's about, but maybe it's steampunk or something similar, since there's something like a steam engine in it. I suppose it doesn't really matter, since the point is, this thing was made for children.
Now, I'm not one to grumble at a child's movie (I mean, who is?!) but this one just bored me. The characters were all one-dimensional, the predictable, and none of them COULD sing.
In fact, I knew the reputation of this movie beforehand.
I was told that "the shadow of King Kong Nishino flickers in the background and interferes with the viewing.
As I mentioned above, King Kong Nishino is a "flame influencer". It's no surprise that he appeals himself relentlessly. That's because it's his specialty.
All "flame influencers" are wards of the law or worse who need to stand out to make money, so let's just laugh at them and let them be disciplined.
In this case, however, King Kong might be in the right. Yes, this movie is terrible. But I'm not convinced the world would be a better place if people didn't go to see it.
Finally.
I know this may sound extreme, but I sincerely hope that every single "flaming influencer" in this world will die out. There are too many of them.
It is better for the world in general, that these people should die out, and I think it is better for our kind specifically, that they should die out.
Why?
Of course, there is freedom of choice, so it is difficult to say for sure, but I assure you that there is nothing wrong with the sudden death of those who attract attention with their radical words (or similar actions on YouTube).
I think the world would be a better place if they were to just go extinct. If they are unable to make money with their talents, they will eventually disappear, and that's good for all of us.