はてなキーワード: 塞翁が馬とは
体力ない、肌荒れひどい、注意欠陥多動障害の女だけどなんとか生きてるよ。
発達障害持ちということだけど、自閉圏の人は記憶力がよくて勉強得意なことが多いので学習障害か何かだろうか?
ぶっちゃけ、経済的に私大に行かせてもらえる家庭なら、二年頑張ればMARCHまでならなんとかなる。
早慶上智以外の文系私大なら全員が三科目全て得意な人の方が少なくて、社会か数学が得意+英語が足切りされない程度できれば受かる。
私は英語がめちゃくちゃ苦手で、英単語のe,o,cが見分けつかなくて目がチカチカするので英単語が全然覚えられないクチだったので、社会は山川の用語集を一冊完全に暗記+古文は必ず枕草子か源氏物語から出るので現代語訳でストーリーを覚えたら受かった。
正直、最初は国公立行かないととセンター5教科7科目やろうとしてパニクったけど、私大に絞ってからはすごく楽になった。
大学に入れば見た目で判断しない人が周りに増えるし、一科目でも必死に勉強したことが生きてくるから自信にもつながる。
人より覚えられる範囲が狭いとか、対人関係が不器用とか、大学でても人生が人よりハードモードなのは変わらないが、4年間は損得抜きに味方になってくれる友人を作れたという意味で私には大きな意味があった。
「就職」とアドバイスするトラバもあるし、長く続けられそうなちょうどいい仕事があれば良い選択肢だと思うのだけど、いかんせん高卒の求人倍率は三割とかで男性だと中小企業しか正社員の雇用がなかったりするので進路の先生にはよく相談した方がいいと思う。
あと、顔は整形しなくてもけっこう変わる。
十代の頃は頬や瞼がパンパンに腫れた自分の顔が嫌いだったけど、肌荒れが収まり顔全体の脂肪が落ちてきて相対的に鼻筋が通ってきた今ならそこそこ鏡を見れるようになった。歯を治療したので出っ歯も少し引っ込んだ気がするし。
29歳女。
何か才能があったわけでもないし、
容姿に至っては人並み以下だ(った)し、
仕事人間でもないし、
家庭的でもない。
どうやって満足できる人生を手にいれられたの?と聞かれたら、
ほんとつまらない答えだけれど
「色々な要素がちょっとずつ作用してちょっとずつ変わっていった」としかいえない。
その「色々な要素」は端からみれば悪いことだと思う。
要素1.いじめられてた
不細工と暗さとセンスの無さが理由だった(と思う)のでうふふであははな青春とは無縁だったが、
だからこそ別の魅力(武器)を見つけなきゃなと漠然と小学生のころから思ってた。
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頭いいと不細工でもイケるかなとは思ったけど特に必死に勉強せず。
とにかく頭よさそうな有名大なら何学部でもいいやと思って適当に受験して合格。
留学から帰ってきて、とりあえず一番頭良さそうな大学院にいこうかなと思ってたら願書の期限忘れてて不戦敗。
恩師の教授に推薦してもらったり大学院の教授と会わせてもらったりしてたのに我ながらアホすぎ。
合格間違いなしだと言われて浮かれてた親に縁切られそうになる。
4年の冬なので就活もできず、とりあえずボランティアと称してお金かからない方法で海外にしばらく逃げる。
要素3.就職失敗
新卒でもないし、二か国語の資格をもっているだけでは箸にも棒にもかからず。
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居易かったし時給も悪くなかったけど、やはり就職したかったので
今度は中堅どころで応募。
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「君はここじゃなくてもっといい大手に行くべき。絶対採用するとこあるから」
と力説される。
大手大好きな親からも
と説得されていたので結局3ヶ月待ってもらったのに失礼ながら採用を断る。
名刺作って待っててくれたのにごめんなさい。
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また派遣に戻る。
今度は語学いかしたいなぁと思って大手の緩そうな翻訳と通訳の派遣に切り替える。
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《現在》
総合職になったら全くユルくない&出張づくし&厳しくて時に泣きそうだが、
やりがいあって福利厚生悪くなくて年収600万以上もらってるので文句いえないかなと思う。
要素4.不細工
整形後も別にもてなかった。
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別にもてなかったが、徐々に自信がでてきて大学卒業時にはそこそこもてるようになった。
帰国してから仕事の合間みて整形をくりかえす(顔4ヶ所計10回)。
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《現在》
だいたいの初対面の人に「美人ですね」と言われる様になった。
綺麗になったからもてるようになったのではなく、
綺麗になって自信がでたからもてるようになったのだと思う。
要素5.出会いがなかった
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べったりされすぎてめんどくさくなり1カ月で別れる。
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付き合いたい人が見つからず高校時代の悪友とつるんでたらそのうちの一人となんとなく付き合うことに。
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付き合って一年後、結婚願望が全くないのに勢いで6000万の港区マンションを購入したついでに結婚。
(わたしの収入だけでは買えなかったので)
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結婚してみたらこの上なく相性が良いことに気付き、年月がたてばたつほどバカップル化。現在結婚三年目。
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毎日仕事やら接待やらで帰ってくるのが遅くてろくに家事できない。
仕事はそれなりに頑張ってるけど「のぼりつめてやろう!」とか思ってない。
そこそこでいい。さっさと帰って夫とイチャイチャしたい派。
振り返えれば振り返るほど、悪い要素が良い人生を作ったのだなと思う。
誰もいない狭い寂しい部屋に戻ってくる人生でもちっともおかしくなかったと思う。
結婚は30過ぎるまでしたくないとか恋人いないときから豪語していたくせに、
してみたら早く結婚して本当に良かったなと思ってる。
(寂しがり過ぎてメンタルが弱いため)
大学まで仲が悪かった両親とも仲良くなり、
わたしのことを凄く誇りに思ってくれている。
(ふたりとも私がきっとひどい人生を送るものだと半分諦めてた。
両親はずっと職に恵まれず貧乏だったので今の私の人生を羨ましいといってくれる。)
「ドロップアウトしたけど…」という話を書きたいんだろうけど、子供の頃に情報系に興味持った時点で(結果から見れば)完全に正道で負けようがないルートに入ったと言えると思う。
子供の頃に興味持ったのが文学だったり理論物理だったりしたとしたら、世界を放浪した結果プーになりましたとか社畜営業になりましたとかその程度だったんじゃないか。
つまり「興味を持った対象が情報系だったかどうか」だけが本質であとはどうでもいい話だと思う。最初から勝ちルートに乗ってるから多少ヤンチャしても結局勝てるという。
Steve Jobsのスタンフォード大でのスピーチの翻訳ありがとうございます。
ドロップアウトというほどでもないかもしれないけど、人生万事塞翁が馬、というお話。NHK でのインタビューで SJ 本人も言ってますが、10 年先なんて未来のことはわからないです。
江島健太郎さんみたいな自分語りの話になってしまうんですが、私もベーマガで育った世代で、高校の時は N88-BASIC という今は懐かしい言語を叩いていました。
そのままパソコンどっぷりな路線を走っていれば、いちプログラマとして今頃どこかの会社でデスマに参加していたのかもしれませんが、大学で海外旅行に目覚めた私は、リアルな世界のほうがおもしろい、これ、リアルドラクエじゃん!とパソコンのことは忘れ、バイトと旅行を繰り返す大学生になっていました。1 年くらいぶらぶらしたりもしました。
海外のいろんな国のいろんな人たちの生活を見ていると、日本で既定路線に乗ってあくせく働くのがなんだかおかしく思えてくるんですね。だって、米ドル換算のお金では日本人ははるかに金持ちでしょうが、そんなお金はなくてもみんな楽しそうに暮らしてる。何してるんだかわからない人たちがたくさんいて、だからって暮らせないわけじゃない。もちろん、通りすがりの旅人に過ぎない私には見えてないものはたくさんあっただろうし、逆に日本にいたって皆が皆、杓子定規な生活を送っているわけでもないっていうのは、後になってまた悟るわけですが。
とはいえ、これと言ってやりたいこともなかったし、大学の勉強ももうやめてもいいかなと思いつつ、一応理系の学生だった私はそのうち研究室を選ばなければいけない時期に差し掛かりました。当時は AI と称して人工知能とか流行ってたんですが、ここで昔の血が少し騒ぎ出し、ちょっとまじめにプログラミングをやってみるかと思い、情報工学系の研究室に応募したんです。面接では僕は燃えてます!みたいな受け答えをし、それなりに手応えはあったかなと思っていたんですが、蓋を開けてみたら、不合格でした。燃えてますといいつつ、勢いだけで中身の伴わない若造だったから落とされたかなと、振り返ってみれば思います。真面目に勉強したいという人は他にもいくらでもいたわけで。
二次の応募とかもあったんですが、似たような結果で、最終的には一番人気のない情報工学とはまったく関係ない研究室への配属が決まりました。ちょっとやさぐれましたね。ところがこの若気の至りかプチ挫折のようなものがなければ、私は Apple で働くことにならなかっただろうし、間違いなく今の会社でも働いてなかったと思います。
すっかやる気をなくした私は、その研究室でもメインストリームではなく、傍流のテーマをやることになりました。その傍流の研究をリードしていた院生が Mac を使っている人で、そこで私も研究室の隅にあった Mac を使うことになりました。Macintosh Classic でした。メインストリームは NEC のパソコンとか使っていたので、そっちに行っていたら、やはりデスマ参加者になっていたかもしれません。
そして研究に夢中になる代わりに Mac に夢中になりました。Mac 雑誌を読み漁ったり、片っ端からフリーウェアをインストールしたりとかしてました。自分の Mac も手に入れました。トラックパッド搭載の PowerBook で、以来、私はトラックパッド派です。ThinkPad のトラックポイント派の人とは永遠にわかりあえないでしょう。Apple が Magic Trackpad をリリースしたときは、俺の時代がきたと思いましたね。
Mac に夢中になる一方で、大学を出たら何をしたいというのもなかったんですが、就職活動はしてみて、大きくはないがそれなりにおもしろそうな仕事を取って来てる会社に、システムエンジニアとして内定をいただきました。ですが、詳細はまた別の長い話になってしまうので割愛しますが、結局内定は辞退してしまました。大学は出たもののいわゆるプータローになったのです。海外ぶらぶらしすぎると、良くも悪くも開き直ってしまうんですよね。
また海外に行ったりして、帰ってきたところで、たまたま声をかけられ、小さな事務所の立ち上げから手伝うことになりました。ここで偶然か必然か、社長は Mac の好きな人で、事務所で使うパソコンは全部 Mac を使うことになります。私はそのセットアップやメンテナンスをやることになりました。メインの仕事は海外とのやりとりで、必要に迫られてそこでなんとか英語の読み書きも覚えました。
それからまたいろいろあって、その事務所をやめ、再びプータローになったのですが、Mac 好きは大学の時からずっと継続していました。Mac 系情報サイトを巡回するのが日課だったのですが、失業保険も切れそうだというある日、MACお宝鑑定団で Apple Japan の求人の話を見かけました。受かるとは思っていなかったのですが、失業中だしダメ元で応募してみることにしてみました。
面接はもちろんスーツで行ったのですが、Apple の面接を担当された方々は全員 T シャツ、しかも Apple T シャツを着て現れたのが、かなり印象に残っています。別に毎日 Apple T シャツを来てるわけではなく、この日はたまたまみんな Apple T シャツになってしまった、と後から聞きましたが。面接自体はそんなにうまく受け答えができなかったと思いました。でも、なぜか採用通知が来ました。
振り返ってみれば、真面目に大学で勉強してたら一般企業に行ってただろうし、第一希望の研究室に全然行けなくて、一番人気のない研究室のさらにマイナーなテーマをやることになったおかげで Mac と出会えたし、内定を辞退してプータローしたり、小さな事務所で Mac の面倒は何でも見なければいけなかったお陰で、その後の Apple での仕事につながる知識や経験を手に入れることができたし、そうしたことが折り重なって Apple で働くことができたのだと思います。
私みたいな人間を雇ってくれた Apple、そしてその Apple を作ってくれた SJ には本当に感謝しています。Good bye, Steve.
でも、その人にキャンセルされたために時間が空いて受付できた新たなお客さんが結構気に入ってくれたようで、
時間を延長してくれた。
落ち込んでいた気分だったのが、立ち直れた。また指名してくれるかもしれない。
その人にキャンセルされてなかったらそのお客さんには当たっていなかった。
お客さんからしてもどんな嬢に当たるかばくち打ちの気分だと思うが、
嬢だって客以上にロシアンルーレット的な賭けごとをしている心境なのだ。
昼間の仕事では不確実性の高い失敗はなく、
失敗があったとしたらある程度の必然性のあるもので、
従って解決策も明確化できるから、風俗の仕事の方が精神的なプレッシャーはずっと大きい。
対面した時に嫌な顔をされたら?
プレイが終わった後も、お店にあまりよくない評価を告げられたら?
おっさん(30歳以上)
→ 35歳。正解だ。アメちゃんをあげよう。
低身長(170cm未満)
→ 180以上
不細工(下の中~下の上)
→ まあ、中の下くらいかなあ。でも、もてなくはない。
ネットでは嘘ばかりつく
部屋が汚い、生活がだらしない
→ 物は多いが、すぐに人をあげられる程度には片付けてはいる。時間にはルーズだな。
習い事をやらない、やっても続かない
→ 習い事はやらないな。国家資格以外の資格とか自己満足だし。
理屈っぽい
→ うるせえ。正解だよ。言わせんな。
実績も無いのにプライドだけは高い
→ 仕事の実績は結構ある。プライドが高いと言うより自意識過剰気味だな。
友達がいない
→ 単なる飲み友達は少ない。クリエイター系の仲間は多い。
うまくいかないことは親のせい、社会のせい、時代のせい
→ 進路に反対したことなど、親に文句言いたいことは正直あるが、人生万事塞翁が馬。
同年代の男女の前ではオドオドビクビクする
→ 可愛い子の前だとキョドります。気乗りしない合コンほどモテる。
→ 20代までは女子高生とか好きだったけど、相応にストライクゾーンが上がって来た。
どこへ行っても孤立する
→ 変な奴とは言われる。コミュニケーション取りたい時は自分から絡む。
→ たまに話の長い奴の腰をおることはあるけど、無いなー。
男には笑いものにされ、女にはキモがられる喋り方
→ 喋り方には自信ない。声でかいけど、滑舌悪い。
→ 浮気でもされないと嫉妬はしない。ネットで暴言吐くのは好き。
→ 今の頭のまま戻りたいとは思うが、うらやましくはないなー。
→ 設問乙。おかげで自己分析になりました。
ところが、ひょんなことからヤクザになってしまった。厳密に言うと巻き込まれて抜け出せなくなった。どういう経緯だったかはもう忘れたけど。
自分としては望んでなったわけではないのだけど、簡単に辞めれるものではないし、腹括ってこのまま生きていくしかないかなという覚悟と、両親が自分に与えてくれた普通の人生に対する未練の入り混じった、不安定な感情を抱えていたのを覚えている。
ある時、親分、兄貴分、同期(?)、自分の4人で他の組との会合に行く。
最初はオネーチャンが出てきてゆるーい雰囲気だったが、暫くするといつの間にか女の子ははけて、強面の面子ばかりが並んだ堅い雰囲気になる。他の組の会合で出てくるのが経済関連の話ばかりで、大学で経済学を専攻した自分には問題なかったが、それでも少々退屈で眠くなる時もあった(絶対に眠れないけど)。自分でこれなのだから、これは暴力一筋で生きてきたバカがこの世界をのし上がっていくのは厳しいな。などと思っていた。
その後、他の組の子分が何かポカして、それにその組の親分が激昂して拳銃を頭に突きつける。その上、ロシアンルーレットまでさせる。弾が1発しか入っていないのもあり、彼は無事生還。顔面蒼白かつ放心状態の子分を見て、その親分と兄貴分がガハハと笑い、兄貴分が「(これで勘弁してやるんだから)ウチのオヤジは優しーんだよ。」と言った時は、その怒りの沸点の低さと暴力の身近さにインテリヤクザだ何だといっても本質は暴力なんだなーと強く思わされた。
そんな事もあり、これからこんな世界でずっと生きていかなくちゃいけないのか・・・と少々憂鬱な気分になるも、会合自体は無事にお開きとなり一同車に向かう。自分はウチの組の拳銃2丁を持って帰ろうとしたが、手ぶらで2丁は無理なので1丁を同期に渡す。自分の1丁はスーツの胸ポケに入れる。
で、車に向かう途中タイミングの悪いことに警察官の巡回。しかも最悪な事に同期が職質を受ける。
俺まで捕まるのはまずいなと自分は素知らぬ顔で車に向かうが残念ながら呼び止められる。警官とああだこうだとやってる内に完全に拳銃がばれそうになったので、拳銃を放り投げてその隙にダッシュで逃亡。
意外にもその場を撒くことは出来たのだが、そこら中に警察がウロウロしてる・・・完全に包囲網張られてます。
とりあえず自宅マンションに戻りエレベーターを閉めようとしたときに、誰かが割り込んで来た。ウゼーなこっちは急いでんだよ誰だこのオッサンと思って顔を見たらなんと古参の兄貴分。ここじゃマズいからと別のマンションの鍵を貰うが荷物を取りにとりあえず上の階に上がる。
自分の階の1つ下で止まる。マンションで上の階に行く事なんてないのに変だなと思ってたら、開いたドアの向こう側にいた男が突然拳銃をこちらに向ける。「え?口封じ?抗争?」と頭の中が混乱したのもつかの間、「1、2、3、4・・・12」と淡々と発砲数を数えながらガンガン自分の腹に撃ちこんでくる。不思議と痛みは感じなかったが、何かもう駄目だなという感覚が全身を覆い、立っていられなくなる。
よく死ぬ直前の震える描写があるが自分はそういった感覚はなく、上半身を中心に鈍くて痺れる様な熱さを感じた。単純な熱さとは違う何とも形容し難い感じだが、そして自分の内側からなにか熱いものが上というか天に向かって昇っていくような感覚を感じる。ああ、これが昇天ってやつか、確かに内側から昇っていく感じだななどと妙に冷静に考えていた。死の恐怖は全くなく、おれはこれからどうなるのだろう、あの世はどうなっているのだろう、向こうで母に逢えるかななどという好奇心の入り混じった穏やかな気分だった。
最後に思ったのは残される父親の事で、妻に先立たれ、子供が先立つだけでも十分不幸なのに、こんな死に方じゃ申し訳なさ過ぎるという悔恨だった。「お父さん、ごめんなさい」と父に伝えて欲しいと兄貴分へ言伝を残して最期の時を迎える。
・・・そして、目が覚めたらベッドの上だった。
腹の痛みはない、五体不自由な所もない、ここは自宅、そして俺は堅気の人間。
平穏な日常っていいなー。上記の出来事が夢で本当に良かった。
目覚めた時のあの安堵感。夢の割には良く出来たストーリー。そして死の直前のあの感覚があまりにも秀逸で感動したので書いてみました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
頭悪いって、早慶入れる頭があって、頭悪言って言われたら、日本人の大半は90%ぐらい?95%ぐらい?はド阿呆って事になるな。そういう事が言いたいのかい?
よくわからないけど、入ってみたいだけ、あこがれてるだけなんじゃないの?
ちゃんとその会社に入って、仕事をして、貢献している自分の姿が想像できる?入ればなんとかなるって思ってない?
あー、いや、それはどうでもいいけど チャラく仕事してる奴なんていっぱいいるし。
たださぁ、自分に合わない職場で働いて高いお金もらっても、つかれるだけだよ人生に。
ルパン三世は言いました、自由になれよ。みたいな?。
頭悪くたってさー、人を感動させることはできるし、人を助けることはできるし、そこそこ幸せに生きていく事だってできるんだぜー?
賢者は歴史に学び 愚者は経験に学ぶ だ。 これと 百聞は一見にしかずとをかけあわせれば、どういうことかわかるだろー?とFラン超バカの俺が言ってみる。
万事塞翁が馬が如しって言うし、いいじゃんよー。早慶ならそうそう悪くない給料のところには入れんだろ。じゃ、なんかさー、やりたい事見つけなよ。
タロットカードの0番が何かしってるかー ってところで、元気だせー 優劣じゃないぜ優劣じゃ。笑ったもん、笑わせたもん勝ちなんですわー
そういう風にしか見えないのがかわいそうね。人生万事塞翁が馬だよ。うまくいってるつもりがうまくいかなくなる。うまくいかないと思ってたことがうまくいったりする。努力をしろということを言いたいんじゃない、遠くを見なくていい考えなくていい、ただ地道に毎日を生きていけばいいだけだから安心すればいいということを言いたいだけ。先を見ても怖いだけだから。そして一度乗り越えれば、何とかやっていけるようになるから。
男性はこういう思いを乗り越えてない分とても弱く見えるよ。
今の仕事(バイト)のみの1本だから精神的に苦しいわけで、オサーンがバイト先に居ても「会社が倒産、だったら思い切って興味のあった整体やトリマーにでもなろうかと資格の勉強中」
なんてケースなら周囲は奇異な目では見ないし、オサーン本人も心に余裕がある(夢目指して勉強中だし、バイト=自分の一生の仕事はコレなんだ、みじめだなって状況でなくなるので)
・・・つうかNOVAもウィークリーマンションも経営破綻したし、金融・製造・サービス、どの業界に居たって安泰じゃない時代、誰が何歳でリセットされて放り出されるか読めませんよ。
『生き残る生物とは、強さでも賢さでもなく変われる者であるーーーダーウィン』
の通り、コネでも縁故採用でもイチからでも、強くなくても賢くなくても気を入れ替えて変わりゃいいんです。
この会社に居た人たちは・・・今はどこで何してんだ?なんて企業いっぱいあるし。「諦めなくて良かった~!」があるから人生やめられない。
・・・と言いつつ、負債16兆で倒れたGMにはビビったけど。国有化っつったって年齢関係なく放り出される。
4世代で勤めてた家族とか居たらしいけど、何歳だろうと絶望したり苦悩したりせずにスパっと切って変われる奴だけ生き残る。
それに変わって勤め始めても、民間ならそこだって数年後はどうなるかわからない。
正社員だ肩書きだ、も、定年になれば全員引退です。明日以降の未来は白紙、あの時期があったからこそ今に活きて変わることができた。
起業して一代でのし上った人なんて地獄みたいな過去あるし。究極的には死ぬか・生きて前に進むかの2択しかない。『万事塞翁が馬』せっかくなら開き直りで楽しんでやる、これしかないかと。
いくら能力があってもうまく行く仕事ばかりできるとは限らない。
仕事がうまく行かなかったら死ぬしかない? もちろんそんなことはないよ。
趣味だって音楽だって楽しめばいいし、好きなことはそれはそれでやればいい。
その代わり、数時間集中して取り組めば、悶々と1日中悩んでいるよりは良い結果が出ると思う。
どうしても嫌なことがあったらふらっと旅に出て、ひょっこり戻ってきて教授の驚く顔でも拝んでみるくらいの余裕を持って望むのが吉。
ちょっとくらい研究のことから頭を外しても別に取って食われたりはしないよ。
この先一生辛い研究が続くわけじゃない。
指折り数えて研究生活が終わるのを待とう。
#念のため、中間報告と提出前1週間はそれなりに頑張る素振りを見せるように。
うまく行かないのはうまく行くことが続いたからその反動でうまく行かないのではなく、うまく行かない原因があるのです。
凄くいいことがあるのは、うまく行く原因があるのです。
まぁ原因といってもただの運のこともありますが。
死ぬまでうまく行き続けることもあれば、死ぬまでうまく行かない人生もありうる。死ぬまで何事もない人生というのももちろんある。
「塞翁が馬」等という言葉がありますが、あれは、「いいことがあったから次は悪いことが起きるよ」ではなく、「今いいことがあったからといっていつまでもそうだとは限らないからあまり浮かれたりするな」という教訓であるわけで(逆は適当に読み替えて下さい)。