はてなキーワード: 兄弟とは
妹が優秀なんだったら遺伝子的に増田もやればそれなりにはできるだろ…と思ったけど、うちも俺以外の兄弟は勉強とか全然できないんだった…。遺伝子のまぐれでたまたま妹だけ能力高かったんだとすると気の毒だな。
両親はなんとかワクチン接種2回完了して2週間たったけど、兄弟家族やその子供とかはまだまで。
受けていないとか年齢的に受けられないとかもあったりしてさ。
参加する人たちや主催者は自分が住んでないところだからどうなったっていいんだろうけど。
フジロック参加者は全員絶対コロナ出さない覚悟で死ぬ気で対策して参加して。
っていうかこれで感染広がったらどうするの?誰か助けて。
昭和だけど、小学生でジャンプの本誌を買ってるメンツはほぼいなかったよ。週刊誌を買えるお小遣いの子が少なかったのと、そもそも学校は持ち込み禁止が厳しかった。
ただ、年上の兄弟が買ってるのを借りて読んでるってのはあったな。
なのでやっぱりアニメがメインだった(キン肉マンとかそのへん)
中学生ぐらいになると、買ってるのも増えてくるが、学校はやはり持ち込み禁止が厳しかったので、回し読みとかは塾なんかの習い事が多かったな。
遅ればせながら「竜とそばかすの姫」を見てきた。ネタバレが嫌だったので、事前に紹介記事も読まなかったし、どんなストーリーかもろくろく知らなかった。
鑑賞後にいくつかの感想ブログを読んだのだが、「映像や演出はすばらしいが脚本がダメ」という評価が多かった。自分も同感である。
おそらく最大の要因は、ネットの世界とリアルの世界との分断が激しすぎて、どちらの世界のキャラクターにも全く感情移入ができないことだろう。ネットでは暴れん坊の竜とネット自警団との戦いが続く一方、リアルでは陰キャ女子高生を中心としたラブコメもどきが進行する。
両方の世界の繋がりが緩いせいか、それぞれの世界に登場するキャラクターの行動原理が読めない。「コイツはなぜこんなことを?」という疑問が解けないまま、ストーリーは進行しつづける。
そして、多くの評者が指摘するように、物語の終盤にかけて脚本の破綻は顕著になる。児童虐待を受けている兄弟を父親から救うために、大人たちに見守られながらなぜか一人で関東へ向かう主人公。なぜか主人公に気圧されて、呻きだす兄弟の父親。兄弟たちが一体どうなったのかも観客には知らされないまま、さっぱりとした顔つきで故郷に戻ってくる主人公。竜とくっつくのかと思いきや、イケメンの幼馴染といい感じになる主人公…なんでやねん!!!
というわけで、本作に不満は多々あるのだが、同情すべき部分もないわけではない。一部で指摘される細田守の「制度」に対する理解の欠如という点だ。要するに、細田の作品世界のなかでは、福祉制度が無能かつ無責任に描かれてしまうということである。しかし、これは現代日本の映画事情を考えると、おそらくやむを得ないところだ。
そもそも、物語と制度とはあまり相性が良くない。物語は多くの場合、主人公の決断や行動でストーリーが展開していくし、視聴者や読者もそれを期待する。名探偵コナンの犯人が警視庁のローラー作戦で逮捕されてしまうと、興ざめもいいところである。見ている側としては、コナン君の活躍で事件が解決するのを見たいのだ。
そういう物語と制度との相性の悪さを補うための一つの方法が、制度の中の人を主人公にする、もしくは制度の中の協力者を登場させるというものだ。
だが、現代日本のアニメ映画において、児童福祉施設の職員を主人公するという選択肢は果たしてありうるだろうか。「おおかみこどもの雨と雪」はやや例外としても、ヒット作を目指すのであれば、主人公はどうしても高校生以下でなくてはならない。その縛りが脚本に大きな制約を生んでいる。
仮に児童福祉施設の協力者を登場させたとすれば、ストーリーの説得力自体は増すものの、ラストあたりの展開は協力者に解決をぶん投げる形になり、主人公の出る幕はほぼなくなってしまう。それでは、エンターテイメントとしてのカタルシスに欠ける。
つまり、児童虐待のような現実社会と地続きの問題を登場させるから、脚本のいびつさが目立つのだ。子どもの貧困を描いた新海誠の「天気の子」にも同様の問題が指摘できる。
現実社会には現実社会の解決策がある。それを一足飛びに高校生に解決させようとするから、脚本に無理が生じる。主人公たちを活躍させるためには、制度を無能に描き、リアリティを欠いた解決策をひねり出すよりほかない。
だから、細田守にせよ、新海誠にせよ、作品の主人公には大人しく世界を救済させておけと言いたい(それが嫌なら、主人公は高校生以下でなくてはならないという縛りと戦え)。
隕石が降ってくるとか、人工衛星が降ってくるとか、そういう超緊急事態を前にすれば制度は実に無力だ。だからこそ、主人公やその仲間たちの超人的な活躍が光るのだ。そして、世界を救うだけなら、より長期的には必要になる制度的(かつ地道な)解決策についても考えなくていい。
というわけで、高校生以下を主人公に据える限りにおいて、セカイ系の物語にはそれなりに有用性があるのが理解できたことが「竜とそばかすの姫」を見た最大の収穫だったと思う。
状況が増田と似てるかわからんけど、俺も親戚の結婚式で受付が友達(誰でも納得する直近の大親友とか兄弟とかじゃなくて、小さい頃の近所の友達)っていうの見たことあるぞ。相手がどう思ってるかはわからんが、結婚式に呼ばれる友達って大事な人だけだろうだから、大変だと思うけど楽しんできてな。
三代目社長よりも三代目社長の兄弟姉妹で会社継いではいない、ってひとのほうがイージーモード感ある人生送ってる人が自分の周りには多いけどなあ
「特別扱い」の一般社員として社長ほどの苦労をせずにそれなりの稼ぎがあるって立場の人が……。そういうのに比べたら社長やってる人は普通に大変そうにしか見えん。
受験前1年間の塾代
地方出身でここまで出してもらえるのが恵まれていたという話もあるかもしれないがこれでスタートライン
卒業し5、6年して未だに遊んでいる同級生の実家の太さが気になり出す
結婚するから親にマンションもらうだのニートしてても一生暮らすには困らなさそうなのが複数人
うちが貧乏すぎるのか周りが恵まれてるのか分からなくなってくる
現状の稼ぎに差がないだけに経済的な自由度が違うのにいい年なのにモヤモヤしてしまう
身の程を知れば問題ないとわかっていながらも、
引っかかってしまうのをやめたい
口に出してひがんだり羨ましがりはしないけれど、この幼稚な思考はどこからくるのか
YouTubeでよくあるやん?
犬の散歩途中で白くてふあふあの子猫を拾いました!って動画があった
誰かが段ボールに入れて捨てたみたいで他の兄弟はカラスに襲われて死んでいた(映像はない)
動物病院に連れて行ったらラグドールの子猫かもしれないと言われたらしいんだが
人気のあるラグドールの子猫を捨てるなんてことある〜?他の兄弟が襲われるくらい時間経ってるのにどうして拾われた猫だけ綺麗だったんだろうとかなんとなく不審なところがあって
私20代後半・夫30代前半で、1歳になる娘がいる。
時期をずらして時短勤務をしており、お互いのキャリアに対する影響が少ないよう努力はしている。が、やはり産むのは私なうえに割とお産が重いタイプだったので、負担が平等とは思えなかった。
私は自分が一人娘でそれに対する不満もなく、もう出産もしたくないのでこの3人家族として完結していいと思ってる。が、夫は自身が2人兄弟なのもあって、どうしてももう1人欲しいようだ。
2人とも日系大手勤めで、まぁそれこそ私がずっと時短とかになっても子育てする分のお金はある。が、私は子どもには中学から私立に行って欲しい。ならばいくら二本柱とはいえ2人産むには心許ない。
今はそれを伝えてなんとか持ちこたえているが、きっと夫はそのうち、自分や私の年齢から更に焦り始めるだろう。その時なんていえば夫婦の関係にこれ以上亀裂が入らないのかをずっと考えてる。