はてなキーワード: 三段論法とは
オープンソースだと、無償の名の下に自分に都合の良いものを世の中に広げて、別の稼ぎの足がかりにしたりする。
つまり例えば自社製品向けの潜在的市場を作ってたりするんだよ。
Android なんかが良い例だ。あれも無償でオープンソースのOS(一部無償プロプラ含む)をバラまいて、自社のアプリストアやOSの仕様を通じて、アプリストア税を取ったりOSのログから効果的な広告を出せるようにしてより高額な広告を売ってる。他社がアプリストアを出しても勝てないだろ?その理由は Android が先に OS ごと無償でデファクトになってしまってるからだ。
ああいう会社はいわゆる三段論法的な考えで、「無償行為AでBという環境を作る」「Bの環境で自社製品Cを売れば儲かる」と考えられるから無償行為Aをすることができる。
逆に日本の企業は、ほとんどが「製品Aを売ったら儲かる」というビジネス以外できない企業が多すぎないか?と思ってる。そういう訳なのでオレは Abema がやってることはやる価値があると思うぞ。
・100文字程度の文章をかけるだけで「生み出す側」として参加できる
・純粋な「消費する側」で居続ける方法が「いいね・RT・ROM以外一切しない」以外存在せず些細なリプライでも「参加者」になる
・鍵垢やいいね爆も結局は紐付けられて表舞台に引きずり出される
・平等に誰もが参加者として裁かれると同時にちょっとした内容でもいいねで評価を得られる
これはかなりいい状態だと思うね。
はてなを見てるだけでも分かるんだけど「貴方なにかを纏めたりする偉い人」「私、ただそれを見て文句つけるだけの弱い人」「弱い人に噛みつかれていちいち偉い人が反応するのは恥ずかしい」の三段論法で無敵モード入ってる奴らって本当凄い速度で頭が壊れてくんだよね。
しかもそれってかなり楽だから油断するといつの間にかソレに陥っちゃう。
でもTwitterは全員が参加者だから何気なくそういうアクションを起こしただけでも、半日ぐらい目を離してる間に棘で磔にされて凄い勢いで燃えてたりする。
これも悪い面だけではなく、140文字の中で現状を面白おかしく纏められればただそれだけの事でも数万いいね貰って今日のヒーローとしてランクイン出来る。
何も持たない者にでもチャンスが有る代わりに、何も持たないことを言い訳にして安全圏から攻撃だけを出来るわけでもない。
そんなSNSなんだよね。
実際にはその状態に気づけないで訴えられてから顔を赤くしたり青くしたりして忙しい人達がいるけど、アレはその人達がTwitterとはどういう場所なのか理解できてなかっただけだよ。
変な人達がよく話題になるだけでTwitterという環境はSNSの理想形にかなり近づいてきてるよ。
承認欲求の怪物になって壊れてしまっている人や、大量のファンネルで言論統制しているウチに何かを勘違いしてしまった人もいる。
論理構造が保持するのは前提となる命題の確らしさを基にした説明力であって、説得力を増やしたり減らしたりするものではない。
例えば三段論法は(論理学的な意味で)トートロジーなので、その帰結の確らしさ、健全性(説明力)は、前提となる各命題の確らしさ、健全性をそのまま保持する。
トートロジーな推論規則に基づいて演繹した帰結は、前提となる命題の確らしさをそのまま受け継ぐ。
トートロジーな議論が確らしさを増やしたり減らしたりすることはない。前提が真なら、トートロジーな推論規則によって得られる帰結も真である。
しかし前提が真の命題からなるトートロジーな推論が、説得力をも持つかはまた別の話だ。
つまり、最も厳密な論理構造はトートロジーだが、トートロジーな議論そのものは説明力を増やさない。トートロジーな議論は前提となる命題の確らしさ、説明力を保持する。
一方、説得力は言葉遣いによって増やしたり減らしたりすることができる。
論理構造に問題がない(または、問題としないと決めた)のならば、ある議論をより良くするためには、言葉尻を修正して説得力を増やすなどの改善を考えるべきである。
5chの連投スクリプトが送ってくるグロ画像は、まあグロい。グロくなかったらグロ画像じゃなくなるからだ。人間がバーンしたり、ズギャーンしたり、バコーンしたりしてる画像がたくさんある。体感ではボコッが一番多い。
少し前になんJだかなんGだかで以前猛威を振るっていたのが、エロ画像スレを建てると見せかけてグロ画像を貼るというスクリプトだ。まあ、エロ画像とグロ画像は一文字違いだから大して変わらないかもしれない。
基本的に「巨」と「乳」をNGワードに入れるか性欲を捨てるかすれば簡単に回避できる荒らしだから、この害悪度の道を歩んだID腹筋スレみたいなのはあまり相手にされなかった。しかし俺は相手にした。「乳」をNGワードに入れることも性欲を捨てることもできなかったからだ。開いた。グロ画像だった。閉じた。開いた。グロ画像だった。閉じた。開いた。ID腹筋スレだった。一周回って安心感みたいなものを覚えながら、冷たい床に両手をついた。そんな風にして、流れ的に俺はグロ画像を踏みまくった。そして、「>>1 グロ」というレスを残した。
しかし、最初の数回の時点で、俺はスクリプトの異変に気付いた。スレタイ時点ではいつもと変わらず、「【悲報】おっぱいかけ算九九 乳の段」みたいなザ・電子ゴミって感じの益体もない文字列だった。しかしザ・電子ゴミって感じの益体もない文字列をタップした俺の目に入ってきたものは、グロ画像でもID腹筋スレでも、エロ画像でもなかった。
マグロだった。
紅とは言えないが赤とはいえるくらいの、少し薄い色をしたマグロの寿司が、スーパーか何かのトレイに入って、グロ画像の代わりに俺を見ていた。
目を擦ったしリロードもしたが、マグロはマグロのまま、低めの解像度で俺のスマホのディスプレイを占有していた。俺は仕方なく「>>1 マグロ」とレスして、その場を去った。
そのあとも、マグロは定期的に現れた。
スクリプトが何かの間違いを犯した、としか考えられなかった。俺が落ち込んでいる時も舞い上がっている時も、マグロは等しくそこに現れて、めちゃくちゃ美味そうというほどでもないが普通に食べられそうな外見で、俺に何かの感情を抱かせようとしてくる。その感情が何か知りたくても、俺は知ることができなくて、そのまま次のグロ画像ないしID腹筋スレへと旅立つしかなかった。
いつしか、俺はマグロを求めるようになっていた。やったエロ画像だと考えながら、あるいはどうせグロ画像だと考えながら開いたスレの>>1に存在するマグロを見た時の、あのどうしようもない感情に名前を付けたかった。十連ガチャを引いているような感覚もあった。いつしか、俺にとって「マグロは当たり」という考えが刷り込まれるようになった。スレタイがエロ画像である以上、当たりはエロ画像ということになり、そうなると三段論法でマグロはエロ画像ということになる。マグロはエロ画像だった。
あれから数か月、俺の観測範囲内では、偽装エロ画像スレを見ることもなくなってしまった。今のスクリプトは夏目漱石か何かから生成した支離滅裂な文章を連投したり、マグロ抜きのもっと厳選したグロ画像を連投したり、そういうことをするのに留まってしまった。けれども俺が夢の中とか、街角とか、ふと目に入ったネット広告とかで、ふと赤々としたマグロを発見した時に、何度でも去来する感情だけは、決して途絶えることもなく、延々と人格の中で残響している。
ああ、マグロ。