はてなキーワード: ゴミ捨て場とは
最上階の1階下に住んでる
・全体として:景色うんぬん抜いて普通に便利なのでタワマンに憧れがある人は今すぐ住んだ方がいい
・24時間ゴミ捨て可能(各フロアにゴミ捨て場がある)のクソ便利
・近所の施設に傘無しで行けるの超便利
・コンシェルジュとかいうあんまり役に立たん高級感を出すためだけのただの事務作業員
・エレベーターは確かにめんどいが階数によって分かれてるかつそれぞれ数あるから待ち時間は予想より短い
・住んでるガキでいい子そうな奴がいない ぼんやりしたハングリー精神のなさそうなボンボンorイキリクソガキ
・職業不明の人物と真面目そうなエリートサラリーマンぽいのが混ざってる あとはごく普通の人たち(俺)
・夜景は慣れるがたまーに遅く帰ってきた時とかやっぱおおっとはなる
見かけたらお近くの駅係員まで〜…てアナウンス流れてるけど、不審物の基準?が分からず、なんかもう全部不審物に見えてしまうというか、報告して手間を取らせるの申し訳ない気持ちと、いやでも本当に何か爆発物だったりした場合を考えると言うべきなんだよな…と思いつつ、見かけても伝えたことない…
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今まで見かけたことあるのは、立派な望遠レンズ付きの一眼レフカメラが誰もいない座席にそのまま置いてあったのとか、ドアの前に大きいビニール袋置いてさっきまで立ってた人なんか違うとこ移動してたり、小さいキャリーケースが置いてあって周りに誰もいないとか
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駅じゃないけど共用のゴミ捨て場にキャリーバッグが置いてあって、サスペンスドラマの見過ぎで死体か…?とか思ってしまいバクバクしてしまったが、よく見たらなんか粗大ゴミの紙貼ってあったとか
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とにかく今回のは何事もなく良かった
例えば、私はプログラムを主とした仕事をしているのだけど、毎日休憩時間には弁当を購入し食べ終わるとゴミ箱に捨てている。
オフィス内のゴミを回収するのが清掃としての仕事なのだから、その仕事を私がする必要はないわけだね。
むしろそこでゴミを回収してしまうという時点で、清掃のおばちゃんの存在意義を奪うことになる。
掃除は清掃が来る前にやっておけというんだよ。
それが親切だ、と言っている上司を見て何を言ってるんだこいつは?ってなるんだよ。
例えばなんだけど、清掃のおばちゃんが一人で持っていくには大変なら手伝うのは別におかしくない。
しかし、一人で回収出来て、しかもそれがおばちゃんの仕事なのに回収される前に捨てに行けというのはおかしい話。
親切といえば聞こえが良いけど、清掃の仕事を奪うのは親切ではなく真逆の余計なお世話なんだよ。
仮にゴミ箱のゴミを回収する前に捨て続け、オフィスの掃除を社員がやりつづけた場合に、清掃要らなくね?ってなったらおばちゃんは失業するんだ。
この上司は、清掃のおばちゃんを楽にするのは『親切』と勘違いしていて、おばちゃんの雇用寿命を削っていることに気づかないんだよね。
現に、社長が自分らで出来るなら不要論をつぶやき始めている有様。
親切と自己満足を振りかざして、仕事を奪うというやり方はホント意味がわからない。
私の仕事は清掃のおばちゃんには出来ないけど、清掃の仕事は清掃のプロのおばちゃんに任せる事が出来る。
そうやって仕事っていうのは分かれているのに、勝手な自己満足の親切心で清掃の存在を薄くするなんてのは最低な行為だと思うのよね。
まぁ最低っていうのは言い過ぎなんだけど、少なくともその仕事をするために雇用された人の仕事を奪う行為は誤っていると思う。
そういう所、理解してほしいんだよな。
出しに行くと決まって一つのゴミ袋だけ中身の種類がめちゃくちゃなのだ。一目ですぐわかるめちゃくちゃさで、嫌でも目に入ってしまうくらいに。
近くに違うコーポのゴミ捨て場もあるので近所の人が間違えて出しているとかでなければ、うちの方の誰かだろう。長や大家の立場ではないので、それに対して責め立てたい気持ちも義理もないが、ごみ収集の人は気の毒だなと思う。
分別の紙を見ていないか、大体の感覚で分けているのかもしれない。あるいは他の市区町村・都道府県の分け方でやってしまっているのだろう。こっちではプラと可燃は分けるのか、あっちでは違うのか、旅行先で軽く戸惑ったことは多々ある。同じ圏内でも家庭や公共施設で違うこともよく見かける。
とはいえそのご家庭に話を戻すが、とある日は1000円自販機で出てくるような箱だけを箱のまま捨てていたこともあって、何か考えあってのことでもなさそうに見えるなと思った。
大学で電通の元偉い人から広告論の講義を受けたことがある。面白かった。様々なこだわりを持って、マーケターとクリエイティブが組んで製作しているというのがわかった。別に、そういう広告は今後もなくならないとも思う。
ただ、大抵の一般人にとってテレビCMとは観たい番組の邪魔をする「理屈はわかるけどない方が嬉しいゴミ」であったし、雑誌の広告は「なんだかよくわからない胡散臭いもの」で、WEB広告は「うっかり踏むと別に使いもしないサイトに飛ばされる邪魔なリンク」だった。つまり、全部ゴミだ。そりゃ中には綺麗なゴミもあるかもしれない。ゴミ捨て場に転がってるビー玉みたいな。でも、ゴミはゴミだ。ゴミを拾ってパッチワークを作ったり、廃材アートを作る人がいても、ゴミなのは変わらない。
そういう意味で、そもそも『クリエイティブ』であろうとする古い広告業界と、『営業』であろうとするWEB広告業界は別物なんだろう。いや、WEB広告の世界にも面白い広告はある。思わず見てしまうようなものとか。Adblockをわざわざ止めて探したりする。でも彼らは根本的には『営業マン』であり、『営業マン』が数字に命を賭けるのは当然だ。正直、そっちの方が潔いし、顧客に対しても親切だとも思う。
そもそもアートがやりたい、見たいのなら立場や相手はアーティストであるべきなのではないだろうか? 日本は看板だらけで街並みが汚いという言葉がある。つまりこれも広告だし、「広告が沢山ある」ことを賛美する話なんて聞いたこともない。廃材アート的な文脈でなら、ともかく。
……自分はこんなに広告を憎んでいたのだろうか? 実のところ、確かにWebマーケ業界については就活の際に覗いて、「これを仕事にするのは大変だな」と思った記憶はあるのだが。ただまぁ、それは数字を追いかけることが苦手だったからでもある気がする。
つまるところ。アートをやるならやるで、やはり数字は大切という話なのではないか。
PR企業で電通にコンペで勝っている会社もある。ベクトルという、アイデア重視で非常に『バズらせる』のが上手い会社だ。アーティスティックだし、興味深く、面白い。大金を積んで豪快なPRをするだけではない魅力がある。
手ぇって言うたらさ。
いやふと思い出してんけどさ。昔バイトの帰り道に手ぇが生えとってさ。生えとってんて。
昔俺が住んでたアパートの裏にゴミ捨て場あってさ、そこの横になんか笹の地面から生えてる版みたいな草がわさってなっててんさ。前からなんかよぉ見たら手ぇみたいでキモい草やな〜ておもてたんやけど、バイトから帰る途中、その草のあいさからほんまの手ぇが生えとったん。
にょきっつうかこう、すって。まっすぐにさ。
それがさ柳みたいなきれえな女の人の手ぇとかならぎょってなるやん。いやぎょっとはなったよ、道端に手ぇ生えてんねから、そらウギョッとはなった。
でも、よく見たらその手ぇ、もうどう見てもおっさんの手ぇなんさ。指毛生えとるしわしわの…なんやの、道路工事とかしてそうな。ドカタっぽいおっちゃんの手ぇやってんな。
そいだらもう、どこぞの酔っぱらいがひっくり返って手ぇだけ出してんかなって思うやん。ぼくもバイト帰りでまぁまぁ酔っとったし…いや居酒屋のバイトやったから、常連の客とかによう酒奢ってもらっててん。毎日飲み会みたいなもんやったなあの頃…まぁそれはどうでもええねんけど。
んでさ、大丈夫ですか〜?救急車呼びますか〜?言うて。とりあえず引っ張り上げたろおもて、手ぇ掴んだんね。向こうもぎゅって握り返してくれたからああまぁ死んではおらんなって安心したのは覚えとるわ。
ふつうにあったかーい手やったんやけどさ。それが力いっぱい引っ張ってもぜんぜん動かんのよ。
そもそもさ、どんな草ワサワサなっとる言うてもたかが草やん。おっさんが転がり込んどったら、体とか足とか頭とか見えてこなおかしいやん。せやのに、その手ぇさ、そのまんま草の茂った根っこの方までぐって伸びとって、一番きしょかったんがさ、肘がないのよ。ちょうど、一緒に生えとった草とおんなじ、茎からそのまま葉っぱが生えとるみたいに。関節のない腕からおっさんの手が伸びとって。
ぞばばーーーーて鳥肌立ったわ、あれ。絶対やばいモンや!ってなって。手が冷たいニセモンやったらまだしもさ、ぬくたいおっちゃんの手やし、今も俺の手ぇぎゅーって握り返してんで?
慌てて振り払ってさ、慌てすぎて尻もちついたわ。俺すぐ尻もちついてまうんよね。足腰よわいんかな…。
んで尻もちついた俺の目のまえでさ、その手、なんか探すみたいにゆら〜てして、それからこっちにむかって小指出してきたん。
こう。そう、こうやって。
これは後から気づいたんやけどさ、これってあれやんな。ゆびきりげんまん。
なに約束させる気やったんやろね。
え?指切り?いやするわけないやんもう、もう普通にやばい怖かったから無言で俺ダッシュで逃げたわ俺は。いやもうねまじで怖い時は無言なんやって。歯ぁガッチガチに食いしばってダッシュよダッシュ。