はてなキーワード: エマ・ワトソンとは
全文読んだよ、エマ・ワトソンのアレ。
とても素晴らしいと思ったのと同時に「なんでこれがモテや非モテに繋がるのか?」皆目見当がつかない、本文にないから。本文にまったくないんだよ。
パートナーの存在は自分の存在の根元的な自信を与えてくれることは確かだ。しかし必須ではない、私もあなたも生きてるだけで社会を回してる。
エマ・ワトソンは社会のジェンダーの価値観が個人の存在の根元的なところを脅かすのであれば、やめろ!と言ってる。正しい。強い男もいる、「「男勝りな女」」もいる、「「女々しい男」」もいる。私は問題はこれで切り分けたと思うがどうだ、もてないは個人で解決しろ(私も頑張る、セックスしたいしイチャイチャしたい)。
「女より収入が低いからもてない」と思ってる? それもエマ・ワトソンが言ってる。
女が収入多くても、男が収入多くても、なにも気にせずに人と人として付き合えればいい社会の方がいいんだ。
追記)Trackbackに反論。まず生きてるだけでいいなんて言えることが特権であることを知れ。それすらできないやつが巨万といるんだよ。すまんがそんなこと私はまったく言ってない。社会を回すだけで人としての尊厳を保つだけの価値はあると思ってる、ちなみに貧困の話しはしていない。「社会の歯車になって労働してるが対価が十分ではない人として尊厳がもてない」問題と、モテないは別だと思う(労働問題と恋愛は分けないと、金稼いでるけどモテないやつだっているでしょ)。
さらに追記)私は男女の給与格差はなくすべきだし男も女も育児休暇が取れるべきだと思うので社内会議でも時々言う、変わったらいいと思うから。例えば男が金を稼いで女は専業主婦という人生プランはくそだと思ってる(経済格差により女の方のリスクが高まるから)。エマ・ワトソンが解決策のない綺麗事を言うとTrackbackの人は言うが、私はそうは思わない。彼女はモテ非モテを語っておらず、性別の有無によって行動が何故か制限されることを問題にしている。それは解決できると思う。
エマ・ワトソンだって、まわりには、いろんな雑用をやるスタッフがいるはずなんだよ。
「キモくて金のないオッサン」云々より、金持ちやセレブのやつらが昔の貴族みたいになっていて、特権階級になっていることの方が問題だわ。
だから、これまでのウーマンリブ運動は「女の権利向上を!」と一辺倒に唱えるものだったわけでしょ。
でもそうした女性の権利“だけ”を訴えるという方法は、本当に奴隷差別を受けてきたウーマンリブ黎明期であれば正しかったけれども、ある程度女性の地位が向上してきた現在では効果の望める方法ではなくなったんだよ。
そうした時代的背景を踏まえた上で、エマ・ワトソンは新世代フェミニズムとして男性と共生していくゆるやかなウーマンリブを提案したというところにあの演説の意味があるわけ。
日本に持ち込まれたときに「結局女は男を救わない!差別差別!」とかそれに対して過剰に男を敵視する意見が飛び交うあたり、日本人の差別感というか平等意識が全く低次元なレベルにとどまっているということを示していると思うね。
エマ・ワトソンの演説の趣旨こそがまさにそれに対しての批判で、従来のフェミニズムは女性の権利ばかりを主張して男性の役割にとって代わろうとするものだったことをたしなめた上で一つの転機を唱えてるんだよな。
「男性も男性らしさの呪縛から逃れるべき」というのは「従来のフェミニズムが敵視してきたのはいわゆる“男性らしさ”だった」ことへの一つのアンサーであってそれ自体が趣旨というわけではない。
むしろ実際にエマ・ワトソンが付き合っている男性がいかにもな弱者男性だった方が自分の発言に矛盾した行動をとってると言える。
おかしな話だよな
エマ・ワトソンが演説をした当初は、どちらかというと従来までのウーマンリブ活動を批判的な目で見る「新世代フェミニズム」という位置づけだったのに、
読解力のない日本人弱者男性の手にかかると男を貶め蔑むものみたいな扱いにされてしまってんだもん。
演説の趣旨を正しく解釈すれば、男vs女の構図で戦う時代は終わったので双方で歩み寄りましょうって内容なのに、被害妄想に凝り固まったバカが読むと全部女が悪いになるのか。
始めに言っておくと、私はエマ・ワトソンは男性側にかなり融和的な方向性取ってるな、と思ってて別にエマワトソンになんら含むところはありません。
ただ、それでもエマ・ワトソンが述べている理屈にも論理的に穴はあると思ってるし全てに賛同できるわけでもありません。
それはフェミニズムでもメンズリブでもなんでもそうだと思いますけど。
「個人的なことは政治的なこと」っていうフェミニズムで重要な役割を果たしてきた言葉があります。
従来、個人的(プライベートパーソナル※指摘あったので修正)なことってのは公的(パブリック)な部分とは完全に分けられていて基本的に関係のないことです。
という前提で議論がされていました(1920年代以降の第一波フェミニズムのあたり)
例えば選挙権に関して言うと公的なことなのできちんと女性の権利を向上させよう。
といった具合に。
ところが第二波の辺りからこの点に関して疑義が呈されるようになってきました。
「実は個人的なことって政治的な事にものすごい影響与えてない?」
とか
「政治的にはこうだから、個人的なこともこうなっちゃうんじゃないの?」
っていうロジックが出てくるようになったんですね。
これは具体例で言うと
「女性ばかりが家事の分担をするのは、女性は家事をするべきという公的な目線が原因じゃないの?」
とか
「仕事を任されないので時間がある女性ばかりが家事をしてしまっている。公平であるなら男女の仕事の時間も同じになってその結果家事労働も平等化されるはずだ。」
とかね。
当然その観点で見た性愛や家族に関する議論もおこなわれました。
その中に
「男性が若い女性ばかりを性的な目線で見るから、女性がそういう行動をとるようになる」
今でもそういった議論の影響は強くて男性はそうした観点から有形無形の批判をあびてます。
例えば、不景気なので個人個人が銀行にお金を預けないでタンス預金していたら
市場にお金が回らなくなって結果的に全体で不利益を被る人が増えた。
つまり
「個々人で見ると小さなことなんだけど、それをマクロな視点で見ると社会に非常に大きな影響を与えてしまっている」
って言う話に繋がるわけです。
この理屈で行くと
という一見して社会的な構造とはあまり関連性のないように見えることが議論の上で非常に大きな論点になってくるわけです。
「女性が意識的・無意識的に強い男性を好むほど、男性も女性からの承認を得ようと強くなろうとする。その結果普遍的な女性一人一人の選択が家父長主義的な社会構造を維持することに大きな影響を与えてしまう」
という話に当然なってしまうんですね。
もちろん男性側の選択もそういった家父長主義を助長してしまう側面は大いにあって
若い女性を好むと、相対的に知恵も経験も薄い女性が選ばれがちになってしまって無意識的に家父長主義になってしまう、という側面があります(というか、フェミニズムなんだから当然こっちが主題だけど)
こういった人達が集合すればするほど社会に家父長主義的な風潮が増加しちゃいますよってことなんですね。
強い女性に指摘される「弱い男性を無意識的に排除してしまうと結果的に家父長主義が蔓延しちゃうだろうが!」
ってのが
「フェミニストは個人的なことは政治的なことを無視している」→「フェミニストは弱者男性を無視している」
というお話に繋がるわけです。
で、それを踏まえた上で「エマ・ワトソン演説」を見ると実は従来のフェミニズムに比べて大きく弱者男性に歩み寄った姿勢だと言えます。
つまりようやくフェミニズムが弱者の男性に目を向け始めた第一歩であると捉えられるわけです。
※もちろん以前からこういったことを言っている人は山ほどいるし、少し大げさな言い方ですけどね。でも影響力の強い人がこういったというのは本当に重要なことですよ。
なぜエマ・ワトソンが一部の女性から強烈に叩かれるのか、というのもこれで構図がわかると思います。
なので、その歩み寄ったエマに対していきなり「弱い男性と付き合えよ」ってのは話を進めすぎだし性急に過ぎると思いますね。
議論もまとまりきってないし、女性から男性への個人的・政治的な介入をどうすべきなのかについてはもっと違う方法があるかもしれません(強者女性がそのまま弱者男性を養うのが政治的にただしいこととするにはまだ理屈が弱すぎます)
ただし、エマ本人ではなく「女性一人ひとりの選択が社会に大きな影響を与える」っていうのに無自覚だった女性はこの点について大きな矛盾を指摘されているのも事実です。
もしあなたが「家事労働は男女平等に大きな影響を与えるので男性も考えるべき」と思っているのであれば
「女性が強い男性を好む事に無自覚である」という部分にも大きな注意を払わねばなりません。
エマ・ワトソン演説というのはフェミニズムにおいて、そういう意味で非常に重大な、一つのポイント・オブ・ノーリターンであったわけです。
男女が平等になるには男性に全てを任せるだけでは駄目で、女性自身もそういった社会に対するコミットメントが求められます。
「女性が無自覚に、強い男性ばかりを好きになり結婚してしまう」
というのは
の対比であり、厳しいことを言うなら
「強者男性に媚を売る女性は動物の本能のままに生きている獣のような女性」
と言うことに過ぎないわけです。
もちろん実際には全ての女性がそういった振る舞いをしているわけではありません。
というか一般的には色んな立場の男性に対して優しく接している人も多いですし、好みの男性じゃないからといって職場でゴミのようにあしらうなんてことしてる女性はまずいません。
若い女性が部下にいるからといってすべての男性がその女性を明らかにえこひいきしているわけではないようにです。
※環境で行動は左右されがちですし、男女どちらにも例外はいるものですが。
ここでは女性をメインにした話をしましたが、男性も改めて「個人的なことは政治的なこと」とはなんなのか考えてみるといいですね。
エマ・ワトソンの演説絡みの話題で頻繁に出てくるんだけど、一体誰がそんなことを言ったのかさっぱり分からん
いや実際そういうこと言ってる人がいるのかもしれないけど、なんかキモくて金のないおっさんっていう集団が主張してるって事になってない?
そういうの主語が大きいって言うんじゃないの?
正直、俺もキモくて金のないおっさんにカテゴライズされる人間だと思うけど、女を俺にあてがえ! みたいな事思ったことすらないぞ
エマ・ワトソンの発言に噛み付いている人だって、全員が男性の役割や女性の役割に頑な人って訳じゃないでしょ。そういう人の所にわざわざ行って邪魔している人は(特に日本では)少ないと思う。
「性的な役割から自由になれ!(私はイケメンの金持ちと付き合うけどな…)」は、別に性的な役割を社会的に押し付けようとしていないが、普通に可愛い異性と付き合いたいけど付き合えてない人の気持ちを逆撫でしていると。
私はあんたみたいな男はタイプじゃないけど、それはそれとして自信持って生きてね!というエマ・ワトソンのありがたいエールということが分かりました
エマ・ワトソンにも馬鹿って言ってくれる人が身近にいればこんな馬鹿なこと言わずに済んだのにね
馬鹿は口を開かない方がいいわ本当に