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はてなキーワード: 角川春樹とは

2019-08-15

私、20代最後の年に極寒の東欧の山奥で、1人で3カ月ひたすら内観してたのね。

人間の一生、自分人生ってなんなんだろうって。

答えは単純で、人間は楽しむ為にこの世に物質として誕生したんだなってことだった。

しばらくして、角川春樹も同じことを言っているのを発見して彼の作品を観てみたんだよ。

そしたら

2019-07-23

テレビ朝日の『かみひとえ』とかい番組

昨日この番組見てたら

角川春樹の娘夫婦(夫は婿養子)が出てて

なんか色々事業してて年収の高い角川春樹の娘が

年収の低い婿を冷遇してるVTR

(妻・子供は高級ベッドで婿がマットレスに寝袋、リビングに夫の座るスペースがない、妻が高級車で夫が軽自動車ブラックカードを渡してるが明細を逐一チェック、娘は完全に妻側で婿を見下してる感じ等)

が流れてスタジオ的に本人登場で

婿さん気弱すぎ〜みたいな感じで終わってて

こんな完全なモラハラ案件おもしろネタ的な感じでサラッと流すテレビ局角川春樹の娘もさすがに時代錯誤すぎるとビックリしたんですけど

特に炎上することもなく

世間的にはそんなもんなのねと思った今日この頃

2018-02-28

anond:20180228102342

角川春樹の娘が高級認可外経営してるけど(自分の子供を入れたい保育園がないから作ったらしい。お受験対応

客は自営や専業が多いと書いてたよ

自営は認可入りにくい(稼いでいたら尚更)し、専業は勿論入れない(でも金持ちセレブ奥様は24時間自分育児なんてしないんだろう)から

それでもフルで使って精々月15万程度だそうで、

もっと高くなるとしたら、普通会社員なんか使わ(え)ないのでは?

タワマンのローンも抱えてるのに

2018-02-18

msdbkmさんの好きな映画を考えようのコーナー(ラジオネーム:髪を結う美男子

もし良かったら、お好きな映画を教えてください。

もし良かったら、お好きな映画を教えてください。 - id:msdbkm - milkpup - はてなハイク


msdbkmさんが好きな映画といえば。

そう! シンゴジラです。

ですが、最近若い子にはゴジラといってもなんのことかわからない人も多いそうです。

なので、シンゴジラ理解するためにも庵野秀明から十人挟んで宮崎駿パーティーに呼ぼうと思います

庵野秀明から堀井雄二

庵野秀明ドラゴンクエストミュージカルりゅうおうを演じていたので、堀井さんとは友達

堀井雄二から中村光一

ドラゴンクエストを作った仲間なので、当然二人は仲良し。

中村光一から麻雀の白と発。

中村光一は「チュン」ソフト社長であるため、大三元構成する役牌とは深い関係がある。

麻雀の白と発から白石稔

特急券だー」

白石稔からレーション双葉杏

レーション双葉杏なんてよくわからないが、間違いなく白石稔さんは知っているに決まっている。

レーション双葉杏から痴漢で感じる女。

どちらも実在しない。実在しない嘘協会で知り合った。

痴漢で感じる女から痴漢

される側とする側、被害者加害者関係

痴漢から角川春樹

角川春樹さんはコカイン密輸した際に拘留されその際に知り合ったものと思われる。

REX!

角川春樹から貞本義行

貞本義行は長年角川の雑誌で連載していたので、きっと仲がいいに違いない。

貞本義行から宮崎駿

ナディア未来少年コナンはなんか雰囲気が似てるのでリスペクトしている。

どちらもアニメ業界で働いているのできっと仲良し。

以上!

庵野秀明から十人挟んで宮崎駿パーティーに呼ぼうでした。

ちょっと待って!

最後の一人が貞本義行ならそもそも挟む必要なんてない!

終了ー。

次回はこれを募集します。

小島アジコパーティー京アニを呼ぼう。

小島アジコ? 誰それ? ラーメン大好き小泉さん関係ある?

と思ってる若いはてな村民、多いんだろうなあ。

小島アジコさんは超絶面白漫画家です!

なので彼のパーティー京アニを呼んであげましょう。

なお、ルビーNGワードのため入れちゃダメです。

オタリーマンなどの絵日記サイトまれ漫画家は入れても入れなくても結構です。

以下、例です、綾波レイです。

(本当に例を書くと長くなるので以下略

2014-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20140325201212

ああ……。

これ、1983年で、【宇宙人前世】の転換点になってるけど、この「人類救済を目的とするサークル」って、アニメに影響受けた某新興宗教学生信者がいかにもやりそうな気がする。

とりあえずポジショントークとしてマ○カリのせいにしておきます

しかし、このムーブメントオウム成立に影響を与えたかと思うとそら恐ろしいものがあるなあ。

オウムアニメ作ったりオタク層取り込んだのは先祖返りだったのか。

まあ、そもそもがオカルト嗜好だった角川春樹幻魔大戦やったのが切っ掛けで、そっちに返してもいいんだけどね。

2013-09-04

マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子

これまでの記事。

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル


脇道から入りましょう。

資生堂松田聖子デビュー以来サポートしてきた企業でしたが、『Rock'n Rouge』の時に聖子はカネボウのCMに出演し、カネボウの業績が大きく伸びるきっかけになっています(『Rocn'n Rouge』の歌詞唐突に"pure, pure lips"と入っているのは口紅のCMに用いられたからです)。このことについて、当時、資生堂からは聖子を裏切り者扱いする声もありましたが、聖子をイメージキャラクターとして徹底して囲い込まなかった、資生堂戦術ミスでしょう。カネボウは一時期、資生堂に追いつき追い越せで急成長するのですが、元々は紡績会社であり、旧部門を整理しきれず、経営資源を集約化できない決断力の無さを「ペンタゴン戦略」と言い繕っていましたが、そのことが結局、命取りになりました。好調だった化粧品部門は今は花王の子会社です。

先年、アメリカではコダック社会社更生法適用を申請しました。写真フィルム業界は事実上日本2社、アメリカドイツがそれぞれ1社の寡占市場で、高収益を見込める市場だったのですが、ご存じのとおり、デジタル技術の普及によって市場が壊滅しています。その変化に対応しきれなかった、ということでしょう。

生物学では適者生存と言いますが、パラダイムの変化が起きる時に、真っ先に滅びるのは最適合していた強者です。似たようなことは生物史においてだけではなく、経済歴史文化においても起こっています

日本映画大国です。アニメーション映画も含めて年間400本以上制作されていますが、制作本数が割合多い方の国であるドイツの制作本数を日本人口に比例させて置き換えれば300本程度なのですから、相対的にも日本映画産業好調な国だと言えます。この映画産業が壊滅的に縮小したのが70年代であって、言うまでもなく、これはテレビの影響です。どこの国でも映画産業模索時代を迎えていたのですが、世界市場を持つアメリカ映画しか生き延びることは出来ないのではないか、そういう見方もありました。そのアメリカ映画でも従来の大手映画会社による支配が大きく崩れ、独立系の新進の若い映画人たちが大量に参入し、映画産業を立て直してゆくのも70年代のことです。ルーカススピルバーグらもそういう人たちでした。

日本映画製作会社大手五社のうち、日活はロマンポルノに特化し、大映はテレビドラマ向けの撮影所だけが存続しました。東映松竹東宝映画製作会社としては規模が大幅に縮小して、「洋画の興行」と不動産事業で何とか生き延びていたような時代です。日本映画はそのまま衰退していたとしてもおかしくはありませんでした。こう言う状況を受けて、70年代末期には独立系の志のある映画人、新興の映画製作会社市場に参入しています。代表的な企業としてはキティフィルムで、80年代には『うる星やつら』や『銀河英雄伝説』の制作で知られる、アニメーション制作スタジオとして有名になりましたが、元は映画製作会社で、『限りなく透明に近いブルー』を映画化しています

もうひとつ、大きな足跡を残したのが角川書店角川春樹事務所)です。薬師丸ひろ子はこの両企業の黎明期の作品に関わっています。そういう意味では日本映画復興を象徴する女優でした。


角川春樹事務所映画製作に乗り出しのは、本を売るためであって、メディアミックスの先駆けでした。メディアミックス戦略映画産業にとって荒天の慈雨となったのには理由があります。角川のように、映画出版、両方に関係していれば、グロスで元が取れればいいわけです。極端な話、映画の興行は赤字でも、本の売上で補えるなら、映画を作る意味はあります映画単体の採算ラインでは撮れなかった映画も撮れるようになりますし、制作費の規模自体が拡大するわけです。角川春樹映画人ではなかったからこそ、新しいビジネスフォーマットを提示することが出来たのです。

角川映画嚆矢は『犬神家の一族』ですが、『人間の証明』『野生の証明』と大作を毎年制作しました。この頃は、映画になりやす原作を選んでいましたが、本を売ることも目的ひとつなので、原作になる本は長ければ長いほどいいわけです(それだけ売れますから)。80年代アニメーション映画化した『幻魔大戦』は作品の長さで選んだきらいがあります

角川映画テレビCMをどんどん流し、サウンドバイトなコピー流行語になりました。『人間の証明』で言えば「母さん、僕のあの麦わら帽子、どうしたんでしょうね」です。続く『野生の証明』のキャッチフレーズが「お父さん怖いよ。何かが来るよ」でした。「母さん」の次は「お父さん」なのでしょうか。これは劇中、薬師丸ひろ子が演じる少女セリフのままです。


薬師丸ひろ子は『野生の証明』の一般オーディションを経て、デビューしています。当時14歳中学2年生です。どういうつもりでオーディションに応募したのかは分からないのですが、当時東京在住の女子学生にとって、あまり深い意味はなく、応募したのかも知れません。と言うのは、『野生の証明』で名を売ってからも、高校に進学するまで、薬師丸の芸能活動は抑えたものだったからです。当人も親も、深く考える間もないまま、日本中の喧騒に巻き込まれていった、その中で「普通であることを一生懸命守ろうとした、そういう感じです。

アイドル映画に出ることは多いのですが、薬師丸の場合は映画に出た後にアイドルになっています。その映画アイドル映画ではなく、日本映画界が渾身の力を込めた大作『野生の証明』で、監督スタッフキャリアがある人たちで、共演は高倉健という、新人デビュー作品としてはこれ以上はないほど、グレードの高い環境でした。おそらく薬師丸は今もってデビュー作ほどの環境に恵まれた現場は他には知らないでしょう。

彼女は日本映画界の最後王道を通って女優になった人です。アイドルとしてデビューしたわけではありませんが、彼女は日本中に知られ、彼女の台詞日本人なら誰でも知っているまでになりましたから、そうなってみれば彼女は角川映画資産です。彼女と言う資産をどう展開するか、それがその後の角川映画課題になりました。

薬師丸は学年で言えば松田聖子よりは3学年下になります。けれどもデビュー自体は2年早い。80年代と言う時代が聖子によって、聖子と共に輪郭をくっきりと明瞭にしたのだとしたら、薬師丸はその前に、登場した人です。70年代の色彩を持っている、だからこそ選ばれた、ということになります

70年代は学園闘争の時代が終わり、ノンポリティカル雰囲気が前面に出てきた時代ではありますが、成長がすべてを癒すのだとしたら、その果実がまだ蔓延なく行き渡っていない時代です。国民意識の総中流化が完成する一歩手前、むしろその完成が近かったからこそわずかな差違が表層に反映された時代でもあります。その時代に逢って薬師丸は本当の中産階級が持っていた無意識象徴する存在でした。

無意識は持てる者の特権です。異端は常に、自分が他と違うことを意識させられます無意識はいられないのです。薬師丸には70年代若い世代、それも東京山の手若い世代無意識が濃縮された形で詰め込まれています。薬師丸は男女の同級生の中で自然にリーダーシップをとる女子の役を多く演じているのですが、そのような存在無意識存在できたのは70年代東京だけだったでしょう。80年代には女子の商品化が進み、いずれの女子も商品としての自分無意識でいられることは出来なくなるのですが、70年代はまだマルキシズムの残り香のようなものがあって、ある意味都市部では若い女性の意識がニュートラルであることを許された最後時代かも知れません。

から薬師丸にはどこか、連合赤軍日本赤軍の流れみたいなものを感じます。彼女が政治見解として左翼的マインドを持っているということではなくて、ノンポリティカルであるがゆえに、マルキシズムの持っていた理想のようなものの流れを維持して、そこから生じた文化的な派生の中に身を置いている、そういう印象があります

それが以前言った、薬師丸にはジュヴナイル的な匂いがある、というものの正体です。

薬師丸は『野生の証明』以後、言ってみれば角川が彼女の鮮度を維持するために『戦国自衛隊』でカメオ出演させた他は、初主演で本格的に芸能活動を開始したのが、1980年公開の『翔んだカップルからです。高校2年生になっていました。この『翔んだカップル』は相米慎二の初監督作品でもあり、制作は角川ではなくキティフィルムです。やがて90年代にかけてそれぞれのジャンルで主流を担っていく人たち、そういう人たちが80年代最初期のこの時期に、ジュヴィナイル路線で台頭してきた、エポックメイキング意味がこの今ではほとんど知られていないこの作品にはあります。翌年、相米監督と薬師丸は『セーラー服と機関銃』で再び組むのですが、特に演技指導が厳しいことで知られる相米慎二洗礼を受けて、それだけに日本映画の最も濃厚な部分を最初から薬師丸は味わったことになります

今、『あまちゃん』で共演している尾美としのり主人公天野アキの父親役)とは『翔んだカップル』以来の付き合いで、尾美としのりもまた80年代日本映画界のジュヴナイルルネサンスの中心にいた俳優です。尾美としのり大林宣彦監督作品にほぼ漏れなく出演していて、大林監督は「彼は私の作品の署名のようなもの」と述べていますが、薬師丸が続いて出演した『ねらわれた学園』の監督大林宣彦です。

大林監督70年代後半、ホリプロに起用されてアイドル映画を撮っていますが、80年代以後は角川映画の印象が強い人です。『時をかける少女』は原田知世主演のアイドル映画でありながら、同時に自身の代表作品である尾道三部作の中核をなしているように、相当に監督側に委ねた撮影になっています(だからこそ今なお『時をかける少女』はアイドル映画の枠を超えて傑作として継承されているのですが)。

ねらわれた学園』は角川映画プログラムクチャとして初めて手掛けた薬師丸主演映画です。原作は当時の10年前の世相を背景にしていますが、それだけにジュヴナイル雰囲気特に強い作品です。この映画は、大林監督の名を売ると同時に、主題歌松任谷由実の『守ってあげたい』もヒットしました。松任谷由実の第二次黄金時代きっかけになった作品です。ただし楽曲の完成度自体は、第二次黄金時代に入る前、むしろ低迷期の方が出来がいいのですが。

この、『守ってあげたい』という楽曲も、ジェンダーフリーという意味において非常にジュヴナイル的です。ここでは女子は守られる側ではなくて、守ってあげたいという主体的な立場に立っています。こうして考えてみると80年代少女商品化の進行は、供給者としての少女立場を強めるのと同時に、主体的な消費者としてジェンダーとしての女性立場を弱めたのではないかという疑いが濃厚になってきます

私は薬師丸を理系的と言いましたが、薬師丸の映画キャラクターの10年後、20年後想像してキャリアのある姿は思い浮かべられるけれども、専業主婦ではおさまりがつかない、そういう印象があります。しかし松田聖子の場合、当人の生き方別にして、パブリックイメージとして結婚して主婦になって物語にエンドマークがつく、そういう側面を強化した面もあるのではないでしょうか。


一般にはアイドルとしての薬師丸のキャリアは続く『セーラー服と機関銃から始まります。ここから彼女は主題歌担当することになったからです。

角川映画は主に大作路線を手掛けていましたが、大作では数が作れません。これ以後、薬師丸らを主演に据えて、小品を季節ごとに提供してゆく、そういう手堅く儲ける路線に転化しました。薬師丸にとっては主演映画連続でしたが、初期の現場環境の完成度の高さに比較すればむしろ規模が縮小した感じもなくはなかったと思われます

歌手としての薬師丸の特徴は、中音域を含めてファルセットで歌い通すということで、本来のファルセット意味合いとは異なる用い方をしています。単に高音域をカバーするというのではなく、美空ひばりが「七色の声」と言われるように、歌唱に表情をつけて楽曲としての魅力を強める意味合いがあります。全編をファルセットで歌ったアイドルとしては天地真理がいますが、非常に嘘っぽい。そういう印象があります。薬師丸の場合は幸か不幸かファルセットも地声に近い印象があって、嘘っぽさはないのですが、表情に乏しい分だけ分かりやすい上手さもありません。

上手い下手で言えば、今聴くと異常に上手いなと感じますし、当時も上手いとは思ってはいたのですが、歌唱世界観が合いすぎて、印象に残らない、個人的にはそういう感じがあります

鉛筆で例えるなら原田知世は2Hで薬師丸は2B、松任谷由実がそう評したことは以前に述べましたが、薬師丸はわりあい線が太い、それが持ち味であるのに、薬師丸は歌唱では輪郭をぼやかしていますリアリティが無い。歌の題材も10代の少女不安げな感じをテーマにしているのですから、それが世界観に沿っているというならばそうなのですが、輪郭が細いのではなくて薄い、引っかかるところがないのです。ファルセットは本来、「引っ掛かり」として用いられるものですから、それで押し通すのは、強弱の表情が歌唱から無くなってのっぺりとなってしまうことを意味しています。非日常常態化すれば日常です。

彼女の楽曲では『Woman~"Wの悲劇"より』が比較的その弊害を免れているのは、歌詞が生々しい情事を歌っているからです。実態が生々しい情事であるからこそ、そこで用いられた詩的な表現が美しく浮かび上がりますし、薬師丸の加工的な歌唱現実の中のファンタジーにとどめられていて、現実と言う力を持っています。『探偵物語』や『メインテーマ』では、あら、きれいね、で終わってしまう、その傾向があります

器楽として美しいだけに、表現として弱いのです。

角川映画主演作品で主題歌を薬師丸が歌う、と言うのがアイドル薬師丸の代表的なフォーマットであるとすれば、実はそれに相当するのはシングルでは4曲しかありません。『セーラー服と機関銃』『探偵物語』『メインテーマ』『Woman~"Wの悲劇"より』だけです。『Wの悲劇』を最後にして、彼女は角川映画角川春樹事務所を離れ、それ以後も、主演映画主題歌を歌うというフォーマットは続きましたが、そこから先はもう、アイドルとしては取り上げなくてもいいでしょう。

続く

http://anond.hatelabo.jp/20130904155640

2013-04-17

村上春樹の新刊について語るとき中小書店員の語ること

595 :無名草子さん:2013/04/12(金) 11:36:29.77

村上春樹、どうですか?

売れてます

596 :無名草子さん:2013/04/12(金) 14:37:09.87

まあこんなもんだろって感じ

597 :無名草子さん:2013/04/12(金) 15:11:39.11

配本5冊じゃどうしようもない・・・

598 :無名草子さん:2013/04/12(金) 15:34:01.09

村上 配本0 終わった

600 :無名草子さん:2013/04/12(金) 17:08:12.79

村上 配本1・・・取次営業に怒りの電話をしたが返事が来ない・・・

45万部ほんとうに刷ったのか?

601 :無名草子さん:2013/04/12(金) 17:31:53.38

どうせ 大手アマゾンにながしてるんだろう。

街の本屋なんか、取次相手してないから。

602 :無名草子さん:2013/04/12(金) 17:36:52.36

たった45万部なの?

603 :無名草子さん:2013/04/12(金) 17:48:51.49

大手書店の一部じゃ余りまくるんだけどな

それでも足りないところはいっぱい出て重版を重ねて大手書店へどんどん送りこみ

商機が終わった頃に、余った本が街の本屋へ回る

619 :無名草子さん:2013/04/12(金) 22:05:18.50

>>603

それで返品率云々言われるんだからたまったものではないw

605 :無名草子さん:2013/04/12(金) 17:55:47.09

1Q84の3のときは配本2冊だった・・・

今回はなんと倍の4冊もきた!

606 :無名草子さん:2013/04/12(金) 19:06:33.30

( ;∀;) イイハナシダナー

607 :無名草子さん:2013/04/12(金) 19:24:04.72

せめて 責任販売制にしてほしいな それか 買い切りでもいいが

ハリポタはその点 良かったかと。

614 :無名草子さん:2013/04/12(金) 21:37:03.97

村上春樹新刊3桁きたって足りないんだからどうにもならんわ

次の入荷はいつになるやら…

615 :無名草子さん:2013/04/12(金) 21:44:46.53

なんであらかじめもっとたくさん刷っておかないんだ

初版部数が多いより、何回も刷ったほうが出版社的にはおいしいのか?

616 :無名草子さん:2013/04/12(金) 21:47:50.36

品薄商法だろ

いつものこと

617無名草子さん:2013/04/12(金) 21:49:07.00

一冊1785円もする文芸書を一度に大量に刷る勇気文藝春秋にはなかったんだろ

618 :無名草子さん:2013/04/12(金) 21:55:08.94

今回ので言うなら

なんかニュースでやってるから買ってみよう派が多いから品薄商法意味ないよな

その層は後からじゃもうどうでも良くなって買わないぞ

てか覚えてすらいまい

何回角川春樹の新刊出たってニュースでやってたんだけど

って聞かれたか

621 :無名草子さん:2013/04/12(金) 22:34:59.76

なぜ責任販売制にしないのか。

622 :無名草子さん:2013/04/12(金) 22:36:43.69

責任販売制なのに初回配本足りません

とか抜かした出版社があったなあ

626 :無名草子さん:2013/04/13(土) 06:04:21.07

次回の村上春樹は、大手書店には1冊も並びません

街の小さな本屋さんに沢山配本しますのでそちらで購入してください。


みたいな漢な出版社が現れないものか・・・

645 :無名草子さん:2013/04/14(日) 06:24:06.90

0冊とか4冊しか入ってこない書店もあるのにね…


http://sp.mainichi.jp/m/news.html?cid=20130412k0000e040156000c&inb=mo&fm=knrn

東京神田三省堂書店神保町本店は1500冊を取り寄せ、14日までの3日間、屋号を「村上春樹堂」に変更し、営業する。

正面玄関には新作200冊を平積みした高さ約2メートルの「ハルキタワー」がお目見え。初日は通常より3時間早い午前7時に開店すると、行列を作ったファンが次々と買い求めた。

647 :無名草子さん:2013/04/14(日) 10:47:07.29

1500冊!!!

649 :無名草子さん:2013/04/14(日) 10:54:58.82

これじゃあ小さい書店は潰れるのは仕方ないなあ。せっかくの売れる商品を回してくれないんだもの

650 :無名草子さん:2013/04/14(日) 11:21:11.79

しかったら、文春の他の本も売れよ・・・って言いたいんだろうな、大手は。

653 :無名草子さん:2013/04/14(日) 16:15:41.25

あるとことはいいよな うちも本部もうちょい頑張って欲しいわ営業もだけど

あいつらこういうときに働かないでいつ働くんだよ

654 :無名草子さん:2013/04/14(日) 17:13:52.09

配本2冊じゃタワー作れませんorz

取次さんせめて6冊下さい。

655 :無名草子さん:2013/04/14(日) 17:29:07.83

フランス文庫のタワーならうちでも できる。 配本0冊はきついわ

店頭客中、得意サンで 7冊いるのに。。。 

656 :無名草子さん:2013/04/14(日) 17:30:25.75

コーナー作って新刊切れて既刊だけの春樹コーナーの空しさ

657 :無名草子さん:2013/04/14(日) 17:35:28.31

大型店以外で2ケタ入荷してる書店なんてあるのか?w

ここ見てると涙しかでてこねーよ

658 :無名草子さん:2013/04/14(日) 19:12:40.24

ウチまで回って来る=実は売れてない

だと思ってるので、ああホントに売れてるんだな~って感想

660 :無名草子さん:2013/04/14(日) 20:14:49.25

>>658

わかるw

ダメもとで頼んだ本が満数来ると「やっちまった」って思うもんな

661 :無名草子さん:2013/04/14(日) 23:30:19.42

新潮しろ、今回の文春にしろ、何故買い切りに踏み切らなかったのだろうか。

掛け率が76でもかまわない。

1Q84で自店がどのぐらい売れるのか、まともな店員・店長ならば見当がつくはず。

出版まで時間はあるのだし、希望を集めることはできるはず。

コストがかかり過ぎるのだろうか。

大手けが書店ではない。絶対必要数にも満たない配本では、中小書店は商売にならない。

出版危機がこれほど叫ばれる中、なぜ業界全体で利益を分け合う選択肢を避けるのか。

ましてや新潮・文春ともに業界の最大手リーダー的な存在だろう。

自分たちだけが良ければいいのだろうか。見てて寂しくなる。

いまさらながら、静山社いかに立派だったか

掛け率76は、買い切りなのにおかしいと当時憤ったが、

とにかく皆に行き渡る事を考えたのは、いまさらながら尊敬に値する。

1500冊のタワー?ご立派ですねぇ。

662 :無名草子さん:2013/04/14(日) 23:43:20.69

新潮しろ、今回の文春にしろ、何故買い切りに踏み切らなかったのだろうか。

書店側の理屈で考えたら何故でも、そりゃあ出版社の側からすれば買い切り=掛け率を下げたくないだろw

出版社もここぞとばかりに儲けたいだろうし、仕方がないと言えば仕方がない

663 :無名草子さん:2013/04/14(日) 23:46:21.85

てか毎度アホみたいな分配してんのは取次じゃねーのん

664 :無名草子さん:2013/04/14(日) 23:59:05.45

弱小が無くなれば大手利益が独占できる

665 :無名草子さん:2013/04/15(月) 00:23:34.25

初版45万が少なすぎなんだよ

666無名草子さん:2013/04/15(月) 00:24:51.71

>>662

別に掛け率を下げなくてもいい。

満数配本してくれるなら、今回限り掛け率上げてくれてもかまわないって

中小書店の多くは考えるのでは。

商品がなければ、売ることすらままならないわけで。

>>663

取次はめんどくさい事したくないから、ほっときゃ「アホみたいな分配」するだろう。

からこそ、物がまだ言える大手が自発的に買い切りに取り組んでほしかった。

>>664

そうだろうけど・・・中小書店がどんどん消えていけば、

長期的には書籍をめぐる産業全体が衰退していくし、それは寂しい。

667 :無名草子さん:2013/04/15(月) 00:25:45.41

うちみたいな弱小でもKAGEROUは大量に来たのになぁ

責任販売でもいいかもっとガッツリ欲しい

明らかに配本が偏りすぎだし、そもそも初版も少ない

via 書店統合スレッド 本屋のホンネ 第66刷

2010-08-15

CASSHERN~なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?

 なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?

 単に、紀里谷和明監督への嫉妬か、妬み・嫉み・恨みなのか。

 しかし、例えば僕などは日記をみてもらえれば判るようにキリキリ監督尋常ではないレベルの妬み・嫉み・恨みを抱いているが、それとこれとは別で、「CASSHERN」という映画じたいは素晴らしく面白い!と手放しで絶賛してるし、一発目でいきなりこんな凄い映画を作れてしまう紀里谷監督リアルに天才なのでこれからも凄い映画を作り続けてほしいです!と応援してしまうのである。

 つまり嫉妬の要素というのは、この際、さほど重要ではない。

  CASSHERNは、人間感情の、何かこうクリティカルな部分を直撃する映画なのだ。それゆえに、そのクリティカル・ヒットを受容できる人はハマるし、受容できない人は切れるのだろう。(受容はできるけど、もうこの手の話は飽きた、という人もいるだろう。しかしそのような人は、呆れ果てることはあっても、切れたりはしない)

 CASSHERNクリティカルさというのは、そう、ブライセリフに集約されている。

「つまり、憎しみとは、人間也!」

 さらに、キャシャーンキャシャーンで、「人間が生きていることじたいが、人を傷つけることになる」という意味モノローグを語っている。

人間の性は、悪だ(人間性悪説

人間は、生きていることそれじたいが罪悪だ(原罪論)

 これはキリスト教的な「罪」の論理であり、無神論が主流の日本では受け入れられる余地の少ないテーマといえる。性善説ベースとなっている日本でいきなり「お前の存在じたいが罪だ」といわれれば、切れる人が多いのも当然だろう。しかもこれ、漫画映画である。「敦煌」とか「砂の器」じゃないのである。アニメだよ、キャシャーンだよ。なんで漫画映画で、そんな説教されんといかんねん!という人もたくさんいるはずだ。

 しかも、紀里谷は、これらの作品のテーマを、役者にセリフとして語らせてしまうのである。これがまた、この類のテーマを受容したくない人にとっては、許しがたい行為なのである。セリフで語りさえしなければ、スルーできたはずだからだ。人間は、自分の見たいものしか認識しない。従って、通常、映画を観ていても自我を脅かすようなテーマが提出されても、その部分を認識せずにフィルターをかけて消してしまうことができる。しかし、「言葉」で投げつけられてしまうと、そうはいかない。紀里谷は確信犯的にこの映画を観た全ての人間

「憎しみとは、人間也!」

 というテーマを強制的に植えつけることによって、この映画テーマを曲解される可能性をふさいでいるわけだ。

 このテーマを容認できない人にとっては、監督独善、ということになるのだろう。

 

 さて、この映画は、キリスト教的な救世主の受難を描いている。

 伊勢谷友介が演じる東鉄也は、一度死ぬが、LCLのようでもあり命のワインのようでもある赤いプールに肉体を沈められることにより、再び復活する。この赤いプールの中で行われる復活劇は、あたかもパプテスマのヨハネによる洗礼儀式のようでもある。この復活により、鉄也は自らを救世主キャシャーンと名乗ることになる。もちろん、上月博士三橋達也演じる老医師、鉄也の母みどりの幻影などが、復活した鉄也に「君の復活には、何か意味があるはずだ」「この街を守れるのか」「人々の争いを止めるのです」と、鉄也を救世主の道へと導こうとアシストするわけである。

 しかし、鉄也は救世主キャシャーンとなっても、奇跡を起こすことはできず、人々はみな挫折して死ぬ。そして鉄也自身も傷つき、血まみれとなっていく。鋼鉄の扉の隙間からバラシンに刀で心臓あたりを抉られるシーンは、あたかも十字架にかけられたイエスのごとくだ。

 しかもキャシャーン抽象的に人類の業を贖罪するという存在ではない。鉄也自身が生前、殺人という罪悪を犯しているのだ。「反戦映画」ともうけとられがちなこ映画は、実は、戦争だけに反対している映画ではない。「人間存在そのものが罪だ」というテーマをもっとも端的に表現できる場こそが戦争という極限状態なので、戦場における戦闘の結果としての殺人という光景が何度も繰り返されるのだ。

 最後に鉄也は戦場で犯した自らの罪業を認識して、懺悔する。

 が、この映画の恐ろしいというか念入りなところは、懺悔したはずの鉄也がさらにダメ押しともいうべき父殺しという罪を背負うことである。母親を寝取り、父を殺すというのは、いうまでもなくエディプス・コンプレックスなのだが、鉄也は最終的に父殺しを達成することによって、人類の原罪をことごとく背負って自殺することになる。

 では、鉄也の懺悔無駄だったのか? そう、無駄だったのだ。この映画テーマは「憎しみとは、人間也!」なのだから。従って、鉄也は、キリストの如く原罪を背負って血に塗れ、死んでいくしかないのだ。キリストと違う点は、人類の原罪を肩代わりしたのではなく、自ら原罪を犯して死んでいくという点だけだろう。もちろん鉄也は単なる殺人犯というわけではなく、「戦争」や「愛する人を殺した殺人犯への復讐」といったどうしようもない事情がある。決して、悪意で殺人を犯したわけではない。人間存在そのものが悪なのだから、生きる限り、どうにもならない、どうしようもないのだ…したがって、救世主になるべくして復活させられた鉄也の地獄巡りは、ドアーズ「The End」の如く、母を寝取り、父を殺して完結する。「地獄の黙示録」を参照するまでもなく、フロイトの絶対的な影響下にある現代のキリストは、エディプス・コンプレックスの持ち主でなければならない。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスこそが、人類の原罪意識の大本にあるのだから。

 さらに、鉄也の父親・東博士が下層階級の出身であったことも最後に明らかになる。東博士は下層階級出身でありながら、政府側について少数民族を抑圧する側にまわり、最終的には鉄也の最大の敵となる。このあたりも、なにやらイエスキリスト物語を髣髴とさせる。

 だから、キリスト教圏では、この映画日本からやってきた現代の救世主譚として評価されるかもしれない。

 過去に、日本アニメ映画では似たようなテーマが何度も描かれている。いうまでもなく「イデオン」と「エヴァ」がそれだが、エヴァでは、主人公のシンジ救世主となるべく人類の原罪を背負う……という流れの物語だったはずが、最後にシンジ人類の原罪を背負わずに話が途切れてしまった。「エヴァ」は、「人間の性は、悪だ」という自らのテーマに向き合うことができなかったのである。キャシャーンは、エヴァと非常に似た構造映画であるが、主人公の手を父親の血に染めさせることによって、エヴァが途中で放棄したテーマを完結させた作品であるといえる。

 もう一つ、近作で似たような映画がある。それは「マトリックス」だ。この作品は3部作だが、それぞれ救世主ネオ誕生・生・そして死を描いている。ネオもまたキリストの如く、一度死んで復活する。だが、最後には人類の原罪を背負って死ぬ道を選ぶのだ。終盤、ネオは目を焼かれて失明し、エディプス王の如く盲目となる。機械触手に支えられて死んでゆくシーンは、やはり十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる。

 ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画ひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。

 80年代以後、邦画から泥臭さが消えていくとともに、邦画の魅力は失われていった。特に、角川春樹逮捕ホイチョイ・プロダクション的なテレビ局誘導の企画映画のブーム化以後は、有能な監督には集客力が無く、大作はどれも質を伴わない、という状況が長らく続いていた。例えば、世界レベルで評価されている黒澤清三池崇史が、「デビルマン」を監督させてもらえないのである。宇多田ヒカルの夫であるということ以外、ほとんど映画界では実績が無く、世間にもあまり知られていなかったPV監督が従来の邦画システムとはまったく無関係なところで突然作り出した「CASSHERN」は、そういう硬直した邦画とりまく閉塞構造をいきなり破壊した作品といえるのだ。

 無論、システムの面だけではなく、愚直なまでに真剣かつ本気というそ姿勢もまた、古くて新しいスタイルではないかと思われる。むしろこちら(熱さ)のほうが重要で、80年代から長らく続いていたシラケ世代は2001年あたりを境に終息しつつあり、70年代を最後に滅んでいたはずの愚直な熱さが求められる時代が復活しているのだ。アントニオ猪木が「馬鹿になれ」というフレーズカリスマ化したのも単にジャイアント馬場がいなくなったからというだけではない(主にプロレスと関係ない人たちに猪木が評価されているのだから。むしろ保守的プロレスファンは旧来のプロレスシステム破壊する存在である猪木を嫌っている。このあたり、CASSHERNの評価とも重なってみえる)。「馬鹿になれ」という熱くて愚かで泥臭い姿勢こそが、閉塞しつつあった日本の気分にマッチしていたのではないか。

 従来なら「大人げのない幼稚な愚直さ」と嘲笑のネタにされるような熱いキャラクターカリスマ化していく作品としては、「最強伝説黒沢」というコミックもある。この漫画の主人公の黒沢は、中学生と本気で決闘するようなどうしようもない中年なのだが、その必死さ、熱さが、周囲の人間(主に、シラケきった若者世代)の心をわしづかみにしていく、というストーリーのようだ。

 すでに我々には、冷笑や嘲笑で生きていけるほどの余裕が無いのだろう。すべてから距離を置き、自我を脅かすものすべてを嘲笑して生きていくライフスタイルは、「勝ち組」「負け組」が明確化されてしまった現代日本ではもう限界なのだ。そうなれば、道は二つ。「感動など、無い」「自分には何の値打ちもない」という悲惨な現状に気づいて、馬鹿になり、泥にまみれて足掻く道。もう一つは、「自分がこうなったのは、すべて、外部に責任がある」と犯人探しの旅に出る道だ。

 僕がCASSHERNを支持するのは、紀里谷監督製作姿勢そのものが、前者の道を示しているからだ。紀里谷の才能を持ってすれば、もっとソツなく、映像美とアクションに徹した娯楽映画を作ることだって可能だったはずだ。だが、あえてこんな熱くて泥臭くて人に嫌がられる映画を作ってしまった。というより、作らざるを得なかったのだろう。その過剰ともいえる熱さが、CASSHERN賛否両論喧々諤々と騒がれる原動力となっていることは疑いない。こんな熱い邦画は、しばらく見なかった。いったい、いつ以来なのだろうか。

 そしてこの映画テーマもまた、後者の道…「犯人探しの旅に出る道」を遮断するべくして設定されている。そして紀里谷は、それでも「犯人探しの旅に出る道」への抜け道を探そうとする人間に、抜け道すら与えない。テーマをそのままセリフとして喋らせることによって。つまり紀里谷にとっては、作品の映画としての完成度よりも、テーマを訴えることのほうが重要だったわけで、紀里谷はここでも熱い。

 このCASSHERNがどうしようもなく発散させている愚直さ、熱さこそが、実は人々に求めらていたのではないか、と思われるのだ。この映画は、冷笑させることを観た人間に許さない出鱈目な熱さを持っている。いやまあ突っ込みどころはあまりにも満載なんですが…あちこち破綻しまくってるし。だが、それだけでは絶対に済まされない映画なのだ。だからこそ、嘲笑で片付けられる人間よりもマジ切れする人間のほうが圧倒的に多いわけなのだ。僕は紀里谷監督に、もっともっと熱い映画を作り倒してもらいたい。僕自身は、熱さは持っていても、作品を作る社会的能力が皆無なので……。

(04/5/1 本田

2010-01-19

なんとなく悪い人だと思っちゃってる人

マスコミに踊らされてるのかも知れないが、俺が小市民的に暮らしてて、なんとなく「悪い人だったんだろうな」と思ってる人を挙げてみるので、「実はそうじゃない!悪い人に見せかけられたのは虚像や作為だ!」というような人がいたら、指摘してくれ。情報弱者から脱したい。

江副浩正リクルート絡みで悪いことした)

安部英薬害エイズ絡みで悪いことした)

宮内亮治ライブドア絡みで悪いことした)

小嶋進(ヒューザー)(耐震偽装絡みで悪いことした)

藤田東吾(イーホームズ)(耐震偽装絡みで悪いことした)

折口雅博グッドウィル絡みで悪いことした)

角川春樹麻薬絡みで悪いことした)

堤義明(株絡みで悪いことした)

村上世彰(株絡みで悪いことした)

三浦和義ロス疑惑絡みで悪いことした)

田中角栄ロッキード絡みで悪いことした)

金丸信佐川急便絡みで悪いことしてた)

鈴木宗男ムネオハウス絡みで悪いことした)

鳩山由紀夫日本より韓国中国利権誘導してる)

小沢一郎日本より韓国中国利権誘導してる)

池田大作(人心を惑わしてる。政教分離的な意味で悪いことしてる)

大川隆法(人心を惑わしてる。政教分離的な意味で悪いことしてる)

島袋光年性的な意味で悪いことした)

東国原英夫性的な意味で悪いことした)

板尾創路性的な意味で悪いことした)

山本圭一(極楽とんぼ)(性的な意味で悪いことした)

田代まさし性的な意味で悪いことした)

植草一秀性的な意味で悪いことした)

ブッシュ(元)大統領石油絡みで悪いことしてる)

O・J・シンプソン殺人してたけど人種問題絡みで無罪になった)



対して、(本人は悪い人扱いされてると思ってるっぽいけど)特に悪いやつじゃないんだろうなと思っちゃってる人を挙げるので、こっちは逆に、「いやそいつは悪いやつだよ」という指摘があればあげてくれ

堀江貴文ライブドアの件は悪いことだと知らなかった)

小泉純一郎(景気をよくしようとしてた)

フセイン(元)大統領アメリカにいいように利用されただけ)

要は、露出自己主張が多いやつに関しては、悪いやつじゃないと思っちゃうのかなあ。

2009-07-07

http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1021.html

無趣味のすすめ

http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1021.html

話の本筋じゃないんだけど、

村上龍村上春樹と間違われることがあるらしいが、

が気になってしまった。

これ本当なの?

村上春樹が世に出た頃、

「いくらペンネームでもそれはちょっとまずいんじゃないの」

とか言われたことがあるっていう話を聞いたことがある。

当時、村上龍角川春樹を知らない人はいない感じだったため。

 
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