はてなキーワード: 西原理恵子とは
https://twitter.com/katsuyatakasu/status/1364886936578498561
著作者である内縁の妻、西原理恵子氏の承諾を得たうえでの公開だとしても(まだ掲載紙は発刊されていないので、画像元はサイバラ氏からの提供なのは確かだ)、
商業誌の連載作品は著作者がすべての権利を保持しているのではなく、著作権のうち公表権(著作物で、まだ公表されていないものを公表するかしないか、するとすれば、いつ、どのような方法で公表するかを決めることができる権利)や公衆送信権(アップロードして読者にダウンロードさせる権利)は作者から出版社に金銭を対価として譲渡する契約を結んでいるものなので(でないと出版社は雑誌に掲載できん)、出版社の承諾を得ない公開は、一時期問題となったネタバレサイトと同じで著作権法違反の犯罪となる。
しかも今回はネタバレサイトのように一部のコマ画像&文章であらすじという形でなく、ページまるまるスキャンして公開してるからより悪質。
もし作者であるサイバラ氏が、高須氏がツイッターにスキャンデータを掲示すると認識した上で原稿を提供したのなら、これは出版社との信義を損ねる行為であるし、出版社が作品を一番に雑誌掲載することで得られた利益を害する行為であり損害賠償の対象となりうるし、また公表権を譲渡して原稿料を得る連載契約の違反となるので、そちら側でも損害賠償の対象となりうる。
もし高須氏が公表するとサイバラ氏に伝えずに、ただ「じっくり見せて」等と言って原稿を借りて勝手にスキャンしてアップしたなら、表現者の作品に対するリスペクト皆無で夫婦間の信頼を損ね、今後の関係にも支障を及ぼす行為だろう。まあその辺は個人間の問題なので、お好きにどうぞだが。
とはいえ、出版社と無関係の人物による権利侵害ならネタバレサイトのように訴えられて刑事・民事で追及されるだろうが、高須氏は現在連載中の作者の内縁の夫という立場なので、出版社はサイバラ氏との今後の関係に配慮して、内々に注意を促すという形で済ませると思われる。
ただ、他の作家や今回の高須氏のアップロードを知っている読者の手前、出版社は何らかの対応を行い見解を示したほうが良い。これを内々に済ませて対外的には何もしないとなると、小学館はツイッターでのネタバレ、発売前のスキャンデータ公開を黙認する権利者だと誤解を広げる虞がある。
これについてはお役所の生活保護に対する働けない理由審査が厳しくて一般人が内面化しちゃった、っていうのが答えだろうな
自治体には「よーしこれから子供と親を飼って増やすぞ」という気概をもってほしいが
そもそもそのへんの予算が自治体のお財布にまかされてるのも困った話だな
それで祖父母世代が定年すぎても働きすぎて若年層のポストがますます減る
(もともとコンピューターネットワークの発達で人気のホワイトカラーにそんなに人手がいらなくなってポストが激減してる。
たとえば「いらすとや」の登場で絵師500人は食えなくなり収入8万円となり、
グーぐル翻訳で翻訳者500人が職を失い、ということが全職種で発生している)部分もあるし
(自治体なんてそんな危機感を全くもってないふつうのアホおじさんが同世代からの同情票をあつめただけでなれるんだぜ)
『仕事のできる男とヤッとっけ』って。不倫でも何でもいいから、仕事ができる男と『ハメとけ』と。
そして、自分のどこを特化したらいいのか、寝て教えてもらえ。
寝て仕事をもらえ、じゃない。寝て教えてもらえ。
『わたしという商品はどこを特化すればいいでしょうか』って、聞き出せばいい。
エエ男は、寝た女に親切にしてくれるし、生涯アドバイスしてくれますから。
そうこうしているとね、寝た男が急につまらなくなるときがくるんですよ。
『アレッ?!』ってくらいに。それはもうあなたが全部吸収したって証しなので、
その時は寝た男の頭をがっつり踏んで、上に登ってください。♪
男の階段の~ぼる~、ってね
貧困層の女が一気にのし上がるには、このスピードラーニングをオススメします。
「寝て仕事をもらえ、じゃない。寝て教えてもらえ。」なんて言うてるけど、
ビジネス上の利益と引き換えに仕事関係者と寝てる時点でもう立派な枕営業ですよね?
仮に直接仕事をちょうだいと言わなくても、仕事のお勉強をさせてくださいと言われて身体を差し出されれば普通仕事をあげちゃうよね。
しかも所謂業界の闇である枕営業を若い貧困娘にオススメしてしまってる時点で事実上加担する側になってますね。
これを「慰安婦」と呼ぶと高須克弥が訴えに来るそうですから忖度して、西原理恵子は高須の夜のスピードラーニングマスター受講生とでも呼称すればいいんじゃないでしょうか。
はあちゅう(何だこの名前?)の童貞いじりは、発言者本人が平均的で無い人間であるというキャラ込みで、望ましくは無いが禁止される程のことでは無いと社会的に許容されていたんだと。西原理恵子の暴言に近い感じ。愛があるとか色々擁護する人もいるだろうが、根本的には一緒だったと思いますね。
まじめな人が「セクハラ発言も良くないけど、童貞をバカにするのも良くないから、どちらも社会的に禁止してしまおう」みたいな事を書いていたけど。こういうのって、禁止しだしたら際限なく進むし、あらゆるコンプレックスを揶揄する事がタブー化するのは、やっぱりそれはそれで望ましい方向性じゃないんじゃないかと。