はてなキーワード: 私小説とは
そうすると、
「自分の見たものや感じたことを詩的な表現で書けばええんやで」
との回答がありました。
ネットでは自分のお気持ちを書き連ねることをポエムと揶揄されますが、その表現をさらにふんわりとさせれば詩という作品になるのかもしれません。
それを早速書いてみたところ、すぐにお気持ちを乗せたものが完成して、とても面白くなってきました。
しかし、KKOの感情などほとんどがネガティブなものですし、KKOの感情などいくつか絞ってみればすぐに枯れてしまいます。
はて、こまった。書くことがない。
そこでBingくんにまた聞いてみたら、
「別に自分の心情じゃなくてもええで、非現実でも、空想でも、幻想でも、想像でもええよ」
という回答が返ってきました。
なるほど。じゃあ、どこかにいる宇宙人の心情を書いてもいいの?
とBingくんに聞いてみると、
「ええで、宇宙人の心情を書くことで、人間との違いが浮き彫りになり、人間について新しい発見があるかもしれんな」
との回答。Bingくんすごい。
つまり、宇宙人が延々に愚痴ってる詩を書いてもいいということです。
それってめちゃくちゃSFじゃん。
でも、詩ならそんなところをすっ飛ばして、宇宙人の一人にフォーカスして、その人の目から見た風景だけ描写するってこともできるわけです。
小説であれば宇宙人の私小説という形で作品にできるのでしょうが、それでも小説の体裁を整えるためにかなりの設定と文章が必要になります。
SFがいいなら、ホラーだってファンタジーだってできます。海底に潜んでいる旧神の描写をしたっていいし、ドラゴンの炎にこれから焼かれようとしている男の恐怖をつづってもいいし、ふたなり天使がおちんちんをシコシコするところを表現してもいい。
ポエムという言葉のイメージに囚われていたために、お気持ちを表現する手段としてしか見ていなかった自分がバカでした。
楽しくなってきましたね😊
小難しいと言われがちだが、例えば吉本隆明のような韜晦的悪文ではなく、解読しようと思えばしっかり解読できる文章だった。
思わせぶりなハッタリに満ちてはいるがハッタリはハッタリと識別できる。ふつうの日本語としては癖が強いが、記号としてはノイズが少ない。
そしてちゃんと読んだらめちゃくちゃ幼稚なことしか考えてないな、なあんだというものだった。
そのあたりはハヤオに似てるかな。思わせぶりの巧さ、芯の薄っぺらさ。
意外かもしれないのは彼は作られたアイドルだということ。筆一本でのし上がったのではなくインナーサークル内で政治的に上手に泳ぎ続けた作家。
大江作品はセカイ系が多い。「治療塔」はエンタメとしてなかなかの出来だが、エバンゲリオンよろしく世界人類にとってのキーパーソンは尽く主人公の血縁である。
晩年の身辺雑記みたいな私小説みたいなウダウダがそのまま小説だというスタイルには妙な味わいがあった。一つの発明ではある。それもセカイ系の変奏だ。進歩的知識人は特別な存在で、その日常の些事や生理は世界とシンクロしているのである。おまえらとは違うんです。
まあ一言でいってよくある昭和の徒花のひとつよ。時代を超えて残ったりしない。これから忘れられていくという意味じゃない。作品はもう忘れられてる。いまリアルタイムで大江作品読んで心震わせてる若者なんか日本中に一人もいない。彼の「思想」なんてものはもともとない。作品以外の社会的発言は全て左翼的スローガンの拝借でしかない。
一部の社会学者
どうも「文章表現」に力を入れたいというか
自身の著作を「文学」の領域で扱って欲しい欲求があるのでは、と勘繰ってしまう
実際、社会学者の本の中には「今の日本社会はなんちゃらかんちゃらで嘆かわしいことだ……ああ!」みたいなエッセイを羅列して、はいこれが社会学でござい的なもんがごろごろある
そして読者(正確にはその社会学者の信者)も、〇〇先生の新作、胸に沁みました!みたいな極めて情緒的な感想を述べるのである
社会学者及びその擁護者はしきりに社会学は必要な学問なんですよ!と言うが
歴史学者が「明智光秀は本当は世を憂いた優しい男だったんです……泣ける!」なんて言ってたらバカでしかないが、社会学は罷り通るのである
私小説風に気取ってるのが鼻につく
藤本タツキ氏の影響で「私小説風で映画を意識した作風」を描く漫画家志望者が増えたんだけど、
他人のアドバイスを受け入れられないタイプの志望者がなぜか藤本タツキ氏と作品に過剰に自己投影してて、
正直キツい。
読者の視点を意識する能力が全然育ってないのに、自分を投影した主人公が突然叫んで何ページも自分語りする作品を描いてくるんだよ。
「自己投影した人物の異常に細かい自分語り以外は既視感ある表現のツギハギで、漫画として成立してない漫画」自体は志望者の描いちゃうものとして割とよくあるんだけど、
問題はこういう点をオブラートに包んで指摘すると突然キレて「藤本タツキは天才ですよ、アンチですか?」みたいなことを言ってくるんだわ。
いや、藤本タツキ氏の作品とあなたの漫画とは全然違うし、そもそもあなたは藤本タツキじゃないし、お前は一体何を言ってるんだ?状態。
アドバイスされているのは藤本タツキ氏の漫画じゃなくて、あなたの描いてる漫画なんだけど…
どう見ても他の人気作品とそっくりの漫画を描いてきた志望者に「あなたは○○先生じゃないでしょ?」と言って「○○アンチか!」と逆ギレされることはまずない(と思う)けど、
めちゃくちゃ独りよがりな漫画を描いてきた志望者に「読者の視点を意識してね」と言って実は相手が藤本タツキ氏に強い影響を受けていた場合、逆ギレして印籠のように藤本タツキ氏の名前を出してくることがある。
全員そうとは限らないけどヤバいやつは本当にヤバい。なんでこうなるんだ?
藤本タツキ氏の漫画、読者の視点をすごく意識してると思うんだけど…むしろ良い例として出したいくらいだぞ。
そういうのを何人か相手しててうんざりしたあと、藤本タツキ氏に強く影響された志望者は、
「私小説風で映画を意識した作風」=「藤本タツキ風」=「主観的で感情をぶちまけ読者に媚びないのがタツキ風」(?)=「読者の視点は気にしなくていい」(??)=「俺の作品を批判する奴は藤本タツキアンチ」(???)
と考えているんじゃないかと思った。
藤本タツキ氏の漫画は面白いし好きだけど、藤本タツキ氏に影響されて描いた志望者の藤本タツキ風漫画は主観的すぎて意味不明なことが多くてキツい。
ファイアパンチもチェンソーマンもルックバックもさよなら絵里も、読者の視点を無視した作品じゃなかったはずなのに、なんでそうなるの?
(ファイアパンチは若干怪しいが)
志望者がプロになるためのハードルである「過剰に自己投影した人物を描かない」「読者の視点を意識する」「第三者のアドバイスを受けて軌道修正する」を越えられない人は昔から居たけど、
その自己正当化のための武器として藤本タツキ氏を持ち出す人が増えた印象。
なぜかそういう人物ほど過剰に藤本タツキ氏に自己投影してるけど、
あああの私小説風のクソつまんないやつ書いてる人ですか