はてなキーワード: 気品とは
いつの間にか気になる存在に変わっていることに、ふと最近気づいた。
ヒットしたFacebook。
「『知り合いかも?』で表示されたのだけど、もしかして君のこと?」
部署でたまたま開かれた懇親会の席で、酔ったふりを装って友だちになってみた。
だが、アレはダメだ。
朝と寝る前に、短い時間だが、確実にネットに接続しているようだ。
友だちになって1週間もしないうちに、ネットに接続するパターンは概ねつかめてしまった。
FBで友だちになると、より深い情報にアクセスできるようになる。
FBでタグ付けされた写真をめくっていくと、人間関係の傾向や嗜好が次第にわかってくる。
きっと元彼と別れた時期と前後しているのだろう。
いまは、付き合っている相手が誰か。
そして社内の噂と照合して、おおむね見当はついている。
来月の平日に、二人は揃って休みを取って泊まりがけで出かけるはずだ。
その夜、二人は同じ部屋で相向き合っているのだろうか。
プレゼントに感極まって、二人で肌を重ね合うのだろうか。
だが、彼女にとって、私はあくまで仕事でのみ接点がある風景のようなものにすぎない。
プライベートな領域に、下心を悟られずに近づくにはどうすればよいか。
一時期考えてみたのだが、いまその一線を侵してしまうのは、あまりにも危ないと感じた。
理由はいくつもある。
どれをとってみても、行動することで導かれる予想は、痛手を被る結末しかありえない。
長い目で見れば、彼女は仕事での有能なパートナーとしてとらえるべきなのだ。
彼女のためでもあるはずであることは、わかっているはずなのに。
雑念を取り払うには、今取り組んでいる仕事の質を高めるべく
目の前の課題に没頭するほかないのだろう。
分かる気がするよ。
ただ論旨からすると、ここで増田自身が恋愛するしないはもうちょっと比重を減らすべきだった。
だから訳知り顔で「すわ人生相談!」と早とちりしてはマウントに寄ってくるバカが湧く。
http://anond.hatelabo.jp/20140227205716
http://anond.hatelabo.jp/20140227205716
http://anond.hatelabo.jp/20140227232426
元増田がたぶん言いたいのは、
多様な趣味の一ジャンルであってしかるべきなのに(かなりメジャーな嗜好であるのは認める)、
明らかに一段上、というか神にも等しい地位を与えられている。それが世間一般に是認されている。
そういうのってヘンじゃね? という話。
元増田は
「ラブソングを好んで聴かず、テクノばっかり聴いて興奮する人がいてもいいじゃないか。
それが成熟した社会ってもんだろ? ちなみに私は重篤テクノリスナーです」
て言ってるようなもんだと思う。
論旨に対する添え物サンプルとしての元増田の事例報告なのに、まわりの人間が「お前はわかってない」「テクノよりラブソングが素晴らしいのは人間の本能」「そのうち運命のラブソングに出会う。そうなったらおしまい」とかってラブソングをことあるごとに薦めるのって、論旨読み違えてるし、そもそも無神経じゃね?
……と、個人的に思ってるんだが、そういえばこういうコピペがあったな……
他のみんなは楽しく邦楽を聴いていたんだ。
話題にもついていけず寂しくね。
一応みんなが持ってきたCDが一巡したので
僕はそっとデリックメイのストリングスオブライフをカーオーディオに差し込んだんだ。
聴き馴染んだデリック、気品高いストリングスオブライフのメロディーが車内に響き渡った。僕は内心得意だった。
どうだ、僕はこんなにクールな音楽を聴いているんだ 君たちとは違うんだよってね・・・・
「なにこれ?歌はないの?」
僕は自分が尊敬されるものだと思っていたので、耳を疑った、でも
「歌まだ?歌。」
密かに好意を寄せている彼女からもブーイングを浴びてしまった。
運転席にいたリーダー格の奴が黙ってCDを取り出すと窓の外にCDを投げ捨てた・・・僕の愛聴盤が・・・
「なにをするんだよ!」 僕は声を震わせながら彼に言った。
「おまえ、存在感が無い上に聴いている音楽まで歌が無いのな、ホレ大切なCDなんだろ、拾ってこいよ・・・」
僕は見知らぬ街で車から引きずり降ろされた、車内では僕を見てみんな笑っている
屈辱に身を震わせていると、 車は僕を無視して走り去ってしまった。
僕は気が狂いそうだった
元増田が気が狂いそうになるのも分かる話だ。
一 婦人の気品を維持することいよ/\大切なりとすれば、敢て他を犯さずして自から自身を重んず可し。
滔々(とうとう)たる古今の濁水(じょくすい)社会には、芸妓もあれば妾奉公する者もあり、又は妾より成揚(なりあが)り芸妓より出世して立派に一家の夫人たる者もあり、都て是等は人間以外の醜物にして、固(もと)より淑女貴婦人の共に伍を為す可き者に非ず、賤(いや)しみても尚お余りある者なれども、其これを賤しむの意を外面に顕(あらわ)すは婦人の事に非ず。
我は清し、汝は濁る、我は高し、汝は卑しと言わぬ許りの顔色して、明らさまに之を辱しむるが如きは、唯空しく自身の品格を落すのみにして益なき振舞なれば、深く慎しむ可きことなり。
或は交際の都合に由りて余儀なく此輩と同席することもあらんには、礼儀を乱さず温顔以て之に接して侮(あなど)ることなきと同時に、窃(ひそか)に其無教育破廉恥を憐むこそ慈悲の道なれ。
要は唯其人の内部に立入ることを為さずして度外に捨置き、事情の許す限り之を近づけざるに在るのみ。
村田喜代子の「ゆうじょこう」を途中まで読んだけど、福沢諭吉が女を馬鹿にしてることを盛大にdisっててワロタw 1万円札にもなってんのにこんな糞男だったのか。
そういう”娯楽”に賛同しなかったというだけで
現実でそういう夫婦が多いからこそあの手のメディアの話が共感されるんじゃないの
それを夫だけが一方的な被害者だと受け取る増田の認識の方が歪んでると思う
妻は夫にどれだけ虐げられても一生奴隷のように付き従うのが当然とでも思ってんのかね
こういった人が夫に雑巾汁飲ますような大変上品な”娯楽”を楽しんでおられるのだろうし
格調高いマスメディアもこういう気品ある方々のご機嫌取り持つことに余念が無い。
で、純真な若年者までがこの”娯楽”を垣間見て育っちゃった結果
まんまと非婚化してるというわけだ。
たとえ、叶わぬ恋だとしても。
恋をした。
その人はすごく素敵な人で、とても気品があり、
好きなことに一生懸命だった。
夢を叶えるために、慣れない仕事を頑張っていた。
こういう人とお付き合いしたい。と素直に思った。
久しぶりに胸がときめいた。
付き合える可能性としては、ほぼゼロに等しく、
ただ、それを除いても、この人とお付き合いするには、
今の自分じゃいろいろと足りないって思えたことが刺激になった。
その人とは付き合えないとしても、
また同じようなことを感じた時のために、
毎日をもっとしっかりと生きていかないと、という気持ちにさせてもらった。
恋をするって、新たなきっかけになる時もあるんだな、と。
大人になって忘れていく何かに気づけた、素敵な出会いでした。
最近多くのメールでどういう上司がいたかということをよく聞かれる。思えば変人が多かったな(笑)。
一番印象に残っているのは、俺が25歳から30歳の頃のA部長だ。
最近はだいぶ社内の上下関係もカジュアルになって来ているが、当時は若手社員が部長と気安く話すなんてなかなか許されない雰囲気だった。
レポートや報告を上げるにしても、逆に何か部長から指示が降りてくるにしても、常に自分の直属の主任、課長、次長、そして部長と言う階層を通じて行われる、明確な序列があった。
「おい、タケシ!ちょっと来い」
と言ってオレを部長席に呼び出したり、向こうからオレの席にふらりとやってきたりして、オレをかわいがってくれた。
また若僧のオレにも
「オマエがオレなら、どうする?」
と忌憚ない意見を求めてくれた。
A部長は当時、今のオレと同じくらいの歳だったと思うが、体型はスリムで、どんなに暑くてもスーツをきれいに着こなし、精悍な顔つきだった。今で言えば、かなりのイケメンで(当時、まだイケメンなんて言葉はかったが)、社内の女性らの中でも評判だった。
今の時代なら、GQやLEONとかの雑誌に出ていても不思議ではない、チョイ悪なオヤジだった。
すごいのは、このルックス以上にキャラクターが深くて濃いんだ。
哲学、文学、芸術とワインをこよなく愛し、食事に行けば、シェリー酒から始まり、赤ワインをたしなみながら、高級そうな葉巻を片手に、平気な顔をしてサルトルの実存主義について語る。
ヨーロッパ的な気品があって、高貴と自由があいまった雰囲気をこよなく愛する人だった。
でもさ、何かと理由をつけてすぐヨーロッパに出張してしまうんだ(俺も同行させられることが多かった)。
と言って、自分は2週間くらいヨーロッパを周遊するんだから、困ったもんだよ(笑)。
もちろん、本人は「視察」だって言い張ってたけどな。
電子メールや携帯電話なんてない時代だったから、A部長がヨーロッパ周遊で不在の間、A部長に指示をあおぐのは大変だった。オレら若手は、A部長が泊まりそうなホテルに、片っ端から電話させられたもんだ(笑)。
A部長の緊急決裁が必要になり、どうしてもつかまらないA部長を探して部署メンバー総出で、居場所を突き止めるべくフランスのToulouse中のホテルに電話をしたこともあった(前々からToulouseでフォアグラと白ワインを飲むのがいいと言っていたので)。
しかし、結局、どのホテルに電話してもまったく見つからない。本当は権限規定違反なのだが、最後は次長が代理決裁して何とかした。
それから数日すると、真っ黒に日焼けしたA部長が会社に現れて、「地中海の島で彼女とエンジョイしていた」とのことだった。オレたちは日本であわてまくっていたのにさ(笑)。あの時はあきれてものが言えなかったな。
こんなA部長の破天荒ぶりを書くと、ただの遊び人、趣味人にしか見えないかもしれない。
しかし、仕事はすさまじくでき、社内だけでなく取引先や競合企業からも敬意を集めていた。
当時は、朝から晩まで働くようなモーレツ商社マンがもてはやされていた。しかし、ヨーロッパ人を自称するA部長は、そういう連中を「バリューレスな社蓄」と呼び軽蔑していた。
「今すぐ資料をしまえ」
と言って、ことあるごとにオレら若手を食事に誘い出した(その後、会社に帰って仕事しなきゃいけないから、ますますモーレツ社員をやらざるを得ないんだけどさ・・・)。
食事の席では、普通なら社内政治や昔の武勇伝を聞かせる上司が多い中、A部長の口から会社や仕事の話しが出ることはなかった。
文学論、芸術論、音楽論、人生観までをゆっくりと語ってくれた。ウィスキーの飲み方、酒の種類、ワインのテロワール、ホステスへの接し方、葉巻の吸い方など今の遊びの基礎はすべてA部長に教わった(笑)。
九州の田舎村からニセ慶應ボーイになってバブル期に調子に乗りまくっていたオレは、「こんな洗練された人がいるのか」と憧れだったものだよ。
おっと、A部長の仕事ぶりを書くつもりが、ついつい遊び話になってしまった。
だが、この記事を書いていたら、オレもBourgogneワインを飲みたくなって来た(笑)。
続く
君は都心ですら知名度がなく、もちろん偏差値は50を下回る弱小大学の就活生だ。外国語は話すことはおろか、読むことすら厳しい。おまけに草食系だ。
今のところ君のメリットは、
知名度があるのに馬鹿ばかりで、学部学科レベルでは偏差値50を下回る大学生(日大とか)よりは、期待と現実のギャップが浅く、向こうも「クズがくる」程度に思っているから、それ以上の好印象を与えやすい(もちろん、君が期待通りのクズである公算が大きいが、マーチ程度のアピールが出来ればまあOKだろう。それすらできないならばホワイトカラーは諦めて土方や性風俗産業に行けばいい。)
さて、当たり前だが、人事は学歴経歴による差別を行なう。ここで「差別を行なうなんてひどい」と思ったそこのあなたは生物として相応しくないので自殺することを薦める。曲がりなりにも君は受験という階級のふるいを勝ち上がり、世代の半分より優位なのだ。あなたは正しく差別されたのだから、差別をされても文句を言ってはいけない。
もっとも、現代はグローバル社会だ。産まれた国による環境の違いはない。だから、君は実質世界の同期を相手にRaceをしなくてはいけない。わかりやすく、お隣りの国と比較してみよう。
韓国は学歴社会だけど、経済が終わってるからどうしようもない。ここに関しては英語も話せる上位層との勝負だと思っていい。ろくに外国語の話せない君と、英語の話せる韓国人との勝負になるわけだ。
では中国はどうだろうか?蟻族なんていうことばもあったように、向こうも新卒の就職事情は寒い。ただし、彼らは君と違って肉食系ばかりだし、「まだ」君より安い給料で働いてくれる。君は月収20万ないとやってられないと言うかもしれないが、彼らは「まだ」10万でも喜んで働いてくれる。おまけに中国語は今の経済上ハングルなんかよりホットで、英語と中国語が話せるというのは、それはビジネスとして無敵と言える。それが月10万だ。
君はどれくらいの価値があるのだろうね。少し計算してみようか。
先に書いたように、英語と中国語が話せる中国人が月10万だ。君は彼らよりどの点が優れている?気品?学歴?紙資格?紙免許?
もうわかったと思うけど、君の市場価値は限りなくゼロに近い。日本のたとえで言ってみれば、蛇口ひねって出てくるのが君だ。ポンジュース出てくるのが有能安価な中国人だ。君が勝てないのはわかっただろう。
なに?親の定年も近くて、働いて自立しないとまずい?
君の事情は勘案されないし、両親がどうなろうと社会は興味ないよ?君の両親は社会に重大な影響を与えるポストにいるのかい?いないだろう?
現実を見よう。
君はクズだ。
君を拾ってメリットになることはない。むしろエネルギーの無駄だ。だから、拾わない。拾わないから捨てる必要もない。ホームレスが拾ってくれるかもしれない。
でもホームレスってやっぱり汚いし、そういう人が多いよね。君も同類なんだけどね。
とりあえず君が社会的に害だというのはわかっただろう。じゃあ他では益を齎すかもしれない。それを考えてみよう。
もし、君が優れた思考力、論理力、学力を持っているなら、そんな大学にはいないよね。
もし、君が潜在的に上手な子育てができるとして、その子育ては日本の国益に適うとしよう。でも君は草食系だから、彼女なんてできないし、子供もできない。衝動にかられて押し倒したら前科がついちゃうし、そんな経歴を持つ君が社会に復帰できるなんて思えないよね。
君が高学歴だったら、失敗で済まされたかもしれないけど、残念、君は身分が低いから周りも「やっぱりクズだな、死ねばいいのに」というごく当たり前の評価しかしない。
じゃあ君はどうすればいいのだろう。黙って自殺すればいいのか?総武線京王線の帰宅ラッシュに飛び込んで、数万人に影響を与えて社会貢献でもしようか?
そんなことはない。方法は簡単だ。
ただ、肉食系になればいいんだよ。
クズの君を拾わないと前に進めないぐらい、邪魔しちゃえばいいんだ。
一度拾われるだけで、助走をつけることが簡単になる。
一度拾われるだけで、肩の荷が軽くなり、身のこなしも軽やかになる。もちろんそこに安住するのではない。もっと高いところにだって手が届くかもしれない。
周りを間接的に殺せ。
お前は獣だ。いきものだ。
他人を喰らって屍を蹴散らし、常に頂点を目指せ。Raceに勝て。
それで負けたなら、お前の人生は他人が勝ち上がるための糧になる。
その糧にすらなれないのが、今の草食系のお前だ。
そんなお前が「生きたい」「仕事がほしい」「社会が悪い」「世代間格差だ」「涙が出る」「死んでやる」と喚く。
実に滑稽に見えないか?
無様だよな。
ということで、肉食系になろう。
これですべてがうまくいく。
どの話題とは言わないが、そうつっこみたくてしかたがない。
そうすると経済政策礼賛がくるんだろうけど。そういう奴に限って円高に対する民○党の態度を批判するんだよな。日銀の不作為による円高を「史上稀に見る白痴」による財政拡大が加速させているのだがね。というかね、前は円高をよいことだして韓○の○ォン安を馬鹿にしてたくせに、いまさら経済通を気取って「史上稀に見る白痴」の経済政策を礼賛するのはやめろといいたい。例えば http://res2ch.blog76.fc2.com/blog-entry-3896.html ね。他には円高=交易条件の改善と勘違いしてた記事もあったけど、ちょっと見つからなかった。自○党のときの円高は誇らしげにしてたくせに、○主党政権になった途端円高を非難し始める。円高=交易条件の改善と勘違いしてた記事が出回ってたとき、「円高はよくない。円安になるように金融緩和あるいは為替介入すべき」だといっただけで「円の気品を貶める気か」と売国奴として取り合わなかったくせに、○主党政権になった途端これだよ。○ねといいたい。
「お前って言わないでよ、いい加減。彼女でも何でもないんだから」
「はいはい、だけど、ほんと男と見分けつかねえよ、そんなんじゃ」
「うるさーい」
幼馴染の響子にカバンで頭をどつかれながら、高校への通学路の桜並木を歩く。春の日差しが温かい。俺達が今春から通う高校は、全国でも珍しいズボンとスカートを選択できる高校だ。俺は女子はやっぱりスカートだろと思ってるが。
響子は動きやすいからという理由でズボンを選んでいた。通学路には他にも何人かズボン姿の女子がいる。スカート姿の女子の中にズボンの女子がいるというのは、なんとなく違和感があるが、ショートカットで胸がアレな響子にはズボンは全くと言っていいほど違和感がない。
「待てよ、急いだらほら、お前ってば……」
慌てて走り出した響子は、お約束のように石も段差もバナナの皮も何もない道路で派手に転んだ。
「いったーい」
「大丈夫かよ」
飛んでいった響子のカバンを拾って、起き上がるために手を貸してやる。涙目になっている響子の顔が近づくと、さらさらの黒髪のショートカットからシャンプーの匂いが香った。どきんと心臓が跳ね上がった気がした。2、3秒あるいは2時間くらい響子が俺の目を見つめ、俺はその目に吸い込まれるように見つめ返した。
あれ? 響子って、こんなに……可愛かったっけ。
その瞬間、ただ単に違和感がなかっただけの響子のズボン姿が、魔法をかけたように変わっていった。
似合ってる……。
気品に溢れ、気高く、凛々しい美しさが漂っている。心臓がもう一度どきんと跳ね上がったような気がした。さっきよりも、強く。
自分が考えていたことが響子に伝わってしまいそうな気がして、あわてて響子を引き起こして、顔をそらした。
「ほら、もう遅刻するから行くぞ!」
「ありがと」
そういう響子の声を背中で聞きながら、意外とズボンも悪くないかもと俺はちょっとだけ思った。
深夜にjrアイドルについて悶々と考えていたら電波を受信したので真剣にjrアイドルの楽しみ方について考えてみた。
ここで主に対象とするのは
u-15な少女達を撮影したIV(イメージビデオ)
とする。
IVを楽しむべきポイントを初級編・中級編・上級編に分けて3つの観点から考察してみよう。
あくまで個人的な意見なのはご了承願いたい。
まずjrアイドルのIVを嗜む上で一番最初に行き着くのはおかずとしてのIVだろう。
だが敢えて言おう、この見方は下劣な行為だと。
いくら僕たちが
ちがうよ、僕は変態じゃないよ。仮にそうだとしても変態という名の紳士だよ。
と主張したところでそれは安直な行為に他ならず、そもそも大人としてどうなのだろうか。
水を弾く若くて真っ白な肌、華奢な体から伸びるカモシカのような四肢、まだ膨らんでまもない薄い胸から光輝く無毛の腋を通って肋骨の浮き出た横腹のラインに欲情するなんてなんと嘆かわしい事かと思う。
ここは女子高生の境界線を越えてしまった女性にこの子供特有の美しさを見出せなくなった者が最初にいきつく境地なのである。
これは芸術なんだ! 少女とは芸術でそこに美しさを求めて何が悪いんだ!
と自分に言い聞かせることでこの罪悪感を払拭しようとするも、次第にそれが無駄なことであると実感していくのもこの段階。
ひとり行為を終えたあとで猛烈な後悔と背徳感に襲われ疑心暗鬼に陥ること間違いなし。
ここに来てしまったと自覚のある人は今すぐ戻ったほうがいい。
肉体的な快楽に向かうことなく清純派jrアイドルの笑顔の裏に垣間見える裏の顔を想像して身悶える、というやり方。
何ウチの体見てニヤついてんの。マジキモいんだけど。
と蔑み心の奥で見下してる。
そんなドSjrアイドルたちの裏の顔を妄想し、想像を張り巡らせながら想いを馳せるのだ。
自分より遥かに年下の少女に醜い劣情を踏みにじられたい。パシリにされたい。右頬に折れそうなほど細い腕から繰り出されるストレートパンチを喰らいたい。
そしてあわよくば下僕になりたい...。
そういったどうしようもない欲望を妄想することで精神的な安寧を図る。
これぞまさしくドMの真骨頂。ドM的に考えた究極の妄想法なのではないだろうか。
ただし、素人にはおすすめできない。
しかし忘れてはいけないのはこれらはあくまで僕らの勝手な妄想に過ぎないということ。
本当はみんないい娘たちなんですよね。...僕以外には。
変な想像してごめんなさい。
そんな少女たちに興味が沸いたあなたには
の3人をオススメしたい。
あぁ、新実菜々子ちゃんの震え上がるような低い声で罵られたい...。
ずばりそれは元気の駆け回る少女を微笑ましく眺めること。
子供を見て微笑ましく思うのは当然のことじゃないですか。
自分の中に芽生えた父性を尊び、悠々と父親としての安らぎを満喫するのです。
すべてを達観し、ただ純粋な愛情を持って少女を愛でるようにIVを嗜む。
ここまで来ると出ている少女が10歳や8歳でも全然問題なく楽しむことができます。
むしろあどけなさを感じるくらいが丁度愛おしいと感じるはず。
まさにすべてを達観した賢者の境地だろう。
3つの観点から簡単にjrアイドルの楽しみ方を考察してみたのだけれど――皆さんはどの位に位置していただろうか。
因みに僕はまだまだ中級者のヒヨっこです。
↑の記事の趣旨には賛同するものの、内容的には大事なところが欠けているような気がしたので、自分なりに脱大学生ファッションの基本を考えてみました。以下、ファッションオタクでもなんでもないので、ブランドや専門用語のあやまりなどあるかもしれませんがご了承下さい。
ファッションについて考えるときにぼくがいつも念頭においているのはこの言葉です。要は、自分がそうである以上のものにはなれない、ということです。服装は想像以上にその人そのものをあらわしているもので、客観的にみておおかれすくなかれ「お似合い」ではない服を着ているひとってほとんどいないような気がします。
イタイかそうでないかを決めるのは、第一にその場のコードとずれてないかどうかということであり、第二に、本人の自意識の乱れが透けてみえやしないか、ということであると思います。正直、10代のファッションはたいていすごくイタイ。なぜかというと、いまの自分ではない自分になりたいという自意識の乱れがまたまだうまく解消されていない時期だから。そういった迷いが内面のいちばん外側であるファッションに透けてみえるから、こまかいファッションの知識だのセンスだの云々をぬきにして、どうしたってイタくなる。田舎から東京にでてきたとき、東京生まれ東京育ちのひとたちが、大した服を着ているわけでもないのに、妙にあかぬけてみえた記憶があります。それは、彼らはダサい恰好でもダサいなりにさらりと着こなしていて、田舎から出てきたぼくのような「成り上がり」特有の自意識の下品さをもっていなかったからであったと思います。
脱大学生ファッションの根本は、こうした青さのイタさからの脱却にあると思っています。20代もなかばにさしかかれば自意識の問題もほとんど解決が済んで自分を前よりはうまく受け入れられるようになっていることでしょう。一方でまだ成し遂げるべきことはたくさんあって、内側にはより現実的なエネルギーが満ちている。そういった時期の自分にあった、余裕と力強さを感じさせる服装をしていたい。これが、脱大学生の時期の自分のファッションを考えるにあたっていちばん基礎においていたコンセプトです。
夏にはカットソーなりシャツを一枚着て、暑さもやわらぎはじめたら薄手のジャケットを一枚はおる。秋が深まれば冬物のジャケットにとりかえて、寒くなったらその上にコートを着る。冬本番になったらさらにマフラーを巻く。春のきざしがみえたら、マフラーをはずし、日差しのなかにあたたかさも感じられるようになってきたら、コートを脱ぐ。以下、逆順で着るものを薄くしていき、また夏を迎える。男性のファッションなんて、いってしまえば、インナー+ジャケット+コートの組み合わせに尽きる。慣れてしまえば失敗のしようがない。お洒落がわからないの意味がわからない。それくらい、すごくシンプルなものではないでしょうか。この一年のサイクルをぐるぐるまわして、損耗したものを買い替えていきつつ、品目の数を増やしていったり、品物の質を上げていく。
人にもよるかもしれませんが、ぼくは、シャツやズボンなどの服本体には色などのポイントを極力入れないようにしています。色は黒、紺、茶、グレー、白のどれか。それだけでは寂しい印象になってしまうというのは当然のこと。それではどこに力を入れるのかというと、生地の良さと手入れの良さ。シンプルな服ほど生地の良さのちがいがきわだつ。生地にだけは手をぬかないようにしています。日焼けした服や襟がよれてしまった服は捨てる。そうなるともったいないので、普段からネットにいれてあらうなりクリーニングに出すなり、手入れには気をつかうようにしている。シャツには当然しっかりアイロンをきかせる。手入れのいきとどいたいい生地のシンプルな服装に勝るものはないのではという気がします。
下はたいていデニムをはきます。スーツを着なければならないような場所ならほとんどこれでいけるし、スーツを着なければならない場所ならスーツを着ればいい。高級感のあるトップスと合わせれば、気品も十分でる。ただ、これは、「成り上がり」特有の内面の気性のあらさとそれを表現しうる服装のちょっとした粗野な雰囲気を失わずにいたいという個人的な理由にもとずく選択だと思われるので、ひとの参考にはならないかもしれません。
男性ファッションの「色気」担当は小物にあると考えてます。小物の種類としては、個人的に大事だとおもう順番に、靴、鞄、時計、ベルト、眼鏡、財布、アクセサリーなど。服装本体をシンプルにしたぶん、ポイントには小物をうまくつかうよう心がけています。ポイントの種類は大きくわけて、異素材、色、柄の三つ。異素材の代表は皮と金属。仕立てのいいシンプルな服装に皮と金属はよく映えます。色は季節感をだすのに使います。
男の小物でいちばん重要なのは、やっぱり靴。女性に聞いてもいちばんよくみているのが靴ではないでしょうか。そして、靴で一番重要だと思われるのは、やはり、手入れがいきとどいているかどうか。ピカピカに光っていない靴は履くだけ品位を下げます。そんなわけで、靴は同時に二、三足買うようにしています。毎日家に帰れば、最低限タオルで(革靴はストッキングで)全体の汚れをおとして詰め物をして日替わりで違う靴を履くようにする。歩くのが早いせいもあって、以前はシューズなど半年で底に穴をあけてしまうこともあったのですが、最近は二、三足同時に買って履き回しするようにしたので、随分綺麗なまま長持ちしています。
靴選びのコツは個人の趣味なのでよくわかりませんが、シューズではドラゴンベアードやプーマのルドルフダスラー、オニツカタイガーあたりを愛用しています。さすがにこの年になってコンバースははかないようになりました。ドラゴンベアードは一万円代で買えるのにちょっとした高級感や遊び心もあって、友人にオススメを聞かれたときにはこれを推しています。ぼくは今履いているので四代目です。鞄は、ひとつ推せといわれればフェリージをあげます。5万円くらいです。今愛用しているのは紺地に明るい茶色の革の縁取りがついたもので、「どんな服装とも合うシンプルさ」と「それ単品でコーディネートの顔になれるようなキャラ立ち」の双方を求めた結果、その鞄になりました。鞄を買うときにはこの二つのコンセプトをはずさないようにしています。
ファッションの全体感をととのえるためにも、今の自分にしっくりくるようなコンセプトを自分の中で決めておくと、服選びの参照軸になります。たとえば、ぼく自身は、ここ数年来、「リラックス&ラグジュアル」をコンセプトにしています。これは、力の抜けた、余裕のあるたたずまいをもちつつ、それがだらしなさや気の抜けた感じに堕すことのないよう、そこはかとない品位をつねに保つように意識する、ということです。服えらびに際しては、フォーマルな服をみて「これだとかっちりしすぎててリラックス感がないなあ」とか、妙にファッションファッションしている服をみて「これじゃがんばりすぎ」とかいう風に選択肢を切るのに使います。リラックス―ラグジュアルのように、共通点をもちつつ相反する要素もあるような二つのキーワードをならべるというのが、簡単で、しかも使えるティップスかもしれません。ちなみに、大学時代のコンセプトは「インテリ歌舞伎者」でした。どんなものかは想像におまかせします。
男のひとで香水をつける人というのは意外に多くはないようです。が、ぼくは、香水は必ずつけるようにした方がいいと思います。それは、人生のなかでの自分のステージの変化をいちばん敏感に映し出してくれるのが香水だと思うからです。香水をつける意味は多々あります。身だしなみとして、自己暗示として、お洒落に気をつかっているという印象を与えるため、朝、1日の始まりの儀式として、女性に自分の印象を香りとともに記憶してもらうため…。こうした効能からも香水の使用は推奨できます。しかし、やはり、香水をつけることの最大の意味は、自分の人生のステージを確認すること、であるように思います。これは極私的な意見にすぎないかもしれませんが。
大学時代、社会人になってから、その後と、不思議と、つけていたいという香水は変わっていくものです。ぼくは、大学時代はニコスのフォーメンという乳酸系の甘い香りの香水を、社会人になってからはディオールのファーレンハイトという、夏の夜の雰囲気の情熱的な香水を、一年ほど前からは、ディオールのオーソバージュという、一切甘味のない、野蛮な気品を感じさせる香水をつかっています。人生の転機を迎えると、自然に、以前使っていた香水が自分から乖離していることに気づきます。その度に自分にフィットする新しい香水がみつかります。その新しい香水は、香りで与えられた先のコンセプトなようなもので、自分のファッション全体を統御してくれます。
香水売り場に行くのを躊躇する男性も多いと思いますが、実際に香りをたしかめずに香水を選ぶのはよくないと思います。香水選びに前知識は必要なく、とにかく売り場にいって、いろいろかいで、しっくりくれば買う、こなければ買わない。男性が一日に一回つけるのであれば小さな瓶でも一年はもつので、気に入ったものを、あまり浮気せず、気に入らなくなるまで使いつづけるのがよいように思います。
蛇足ですが、香りといえばボールドなどの柔軟剤の効力は意外に大きいように思います。以前つきあっていた女性が、やたら「服からいい香りがする」と繰り返すので、なぜなのかと思っていたのですが、家の洗面所わきにおいてあったボールドをみて「これだ!」と言ってました。なんでも、「男性がてっとりばやくモテるためにはボールドをつかえばいいのではないか。それぐらいいい香りがする」のだそうです。さすがP&G。あちこちのセミナーでボールドの日本での成功譚を吹きまくるのもうなずけます。
服屋に行って店員に話しかけられるのがすごくいやだという人はよくいます。とても勿体ないことだと思います。専門知識をもっているひととの直接の会話ほど役に立つものはありません。むかしむかしの就職活動で学んだことですが、いろいろ聞かれていやならば、逆にこちらから踏みこんでいろいろと質問をしてみればよいのです。専門家はやっぱりいろいろなことを勉強しているし、勉強した成果は話したい。質問をすれば、喜んでためになる情報を与えてくれます。ぼくは、いつも、店員さんとは仲良くなって、最後は名刺までいただくことがしばしです。
店員さんにはいろいろなことを聞きます。このインナーに合うジャケットはどのようなものがありますか?と聞いていろいろもってきてもらって試したり、家にこんな服があるんですけど、それと合いますかね、と聞いたり、今年の流行りを聞いたり、手入れの仕方を聞いたり。本当に彼らはいろいろなことを知ってます。「ベルトは真ん中の穴でとめたときにいちばん綺麗なシルエットになるようにデザインされているのでサイズには気をつけてくださいね」だとか「この服は後ろ側に絞りがはいっているので、前からはわかりませんが、後ろ姿が映えますよ」だとか。
信用できる店員を見分けるこつは、個人的な意見を具体的に挙げられるひとがどうか、であるように思います。たとえば、ある服を買おうかどうか迷っているときには「なにかこう、この服を買いたいと思わせるような、この服への愛着がわいちゃうような、ヒトコエを下さいよ」とか聞いたりします。そこで、たとえば「マニアックなはなしなんですが、このシャツはそでの部分を立体裁断しているので、さっくり一枚はおっただけでも横からみた姿がすごく綺麗だと思うんです」など言ってもらえると、信用できるな、という気になります。あとは、店員とはいえ、そのシーズンのラインすべてを気に入っているわけでもないので、「正直、今シーズンのラインでも好きじゃないものとかってあったりするんですよね」だとか質問をして、こうこうこういう理由でたしかにこの商品とかは個人的には気に入っていないんですよね、などと正直に答えてくれる店員も信用できます。あとは、「このブランドってどういう顧客をターゲットにしてるんですか?」であるとか「この二、三年で景気がよくなったりわるくなったりしましたけど、そのたびにお客さんのファッションへの嗜好で変化したなと思うところとかあったりしますか」など、経営面からの質問もぶつけてみると楽しいし、どれだけまじめに普段から仕事のことん考えている人なのかもわかったりします。女性の店員なら、恋人と服を選びにきたつもりで「これ着て○○に行くとかありですかねー」とか楽しく会話をしながら服を選びます。
これだけ質問したり試着をたくさんしたりすると、買わないわけにはいかなくなるのではないか、と心配される方もいらっしゃると思います。しかし、これがまったく逆で、仲良くなればなるほど別段試着をたくさんしても買わずに済むのです。なぜなら、営業の人間にとって、一個のものをただ売るよりも、一人の顧客と深いリレーションをつくることの方がずっと大事だからです。これだけ会話をして名刺まで交換すると、店員としても「顧客と関係が築けた」という満足感が得られます。だから「ほかもちょっとみてから予算もあわせて考えてみます」と言ったとき、喜んで「またのお越しをお待ちしていますね」と言ってもらえるのです。
実際、ぼくは新宿の伊勢丹メンズ館で買い物をすることが多いのですが、そのときは、上から下までめぼしいものをみてから、予算を考えて買いに戻ります。そのとき、さんざつきあってもらったのに買わずに帰ってしまうお店には、「さっきは恰好いいジャケットをみせてもらったのにすみません。やっぱり今日はシャツを買いに来たという初心にかえることにします。予算的にも今厳しいので(笑)また次のシーズンによろしくお願いします」などひとこえかけます。それで気持ちよく送ってくれない店員はいません。
最初に「外見は内面のいちばん外側」ということを書きましたが、その外見を客観的にみてくれるのは他人です。服装にみょうな自意識がみえかくれすると絶対にあか抜けたかんじにはなりませんが、そういう自意識の乱れほど、他人からみて気づきやすいものはありません。新しい服を買ったときは人前に来ていって、反応をみてみます。ほんとにしっくりいった恰好をしていたら、100%の確率で、二人以上のひとから独立にこちらがら促してもいないのに、「それ恰好いい!」とか「それかわいい!」とかいってもらえるはずです。経験則上、ファッションに限らず、二人以上の人から独立に同じことを言われたら、それは、自分に関する真である命題だと考えてほぼまちがいありません。ファッションとは直接の関係はありませんが、たとえばそれが自分の性格に関することであったりするならば、それを直す努力をしてみる意味はあると思います。
女性と服を買いにいくのは、自分のファッションのなかに新しい要素をとりいれるためのいちばんいい方法だと思います。たいてい、自分の趣味とはちょっとズレたものをオススメされますが、どうしてもいやだと思うのでないかぎり、そうしたひとのオススメに素直に乗ってみて損はしないと思います。最初はちょっとアレだなと思っていた服もしばらく着ていれば「お似合い」になってくるものです。それは、その相手との関係を通じて自分の中の何かが変わった証拠かもしれません。
香水の段のはなしにしても、このパラグラフの話にしてもそうなのですが、「外見は内面のいちばん外側」という理解に立つならば、ファッションとは、絶えず少しずつ変化していく自分の有り様を素直に受け入れ、それを素直にたたずまいの中に表出していく、ということ以外のなにものでもないように思えます。そして、青い時代を終えた20代こそ、余裕をもってファッションというものに向き合うのに最適な時期なのではないかと思うのです。
卒業旅行と称してはじめて台湾に行ったとき、色々と現地の土産屋を連れ回された。激安ツアーだったので仕方がない。必ずかわいい店員がいて訛り一つない日本語で特産品を勧めてくる。ぼくはまだ学生だったからお金がないと繰り返すのだが、その女店員はニタニタしながら「わたし日本語よく分かりません」などとミエミエのうそを繰り返し、結局は6000円もするカラスミを買わされた。その時まだ北京語なんて声調だって滅茶苦茶な「ニーハオ」と完璧だけど使う場所がない「ウォーアイニー」ぐらいしか知らなかったからだまされたのだ。喜んだのはそれをつまみに呑んだ父だけだった。
もうだまされたくない、それがぼくを中国語へ掻き立てる主たる動機だ。別に中国のかわいいお姉さんと結婚したり、一緒に住んだり、デートを楽しみたいとか、銀座四丁目交差点で熱いキスをしてみたいなんて考えは微塵もないのだ。
それで中国語教室に通いはじめたのだが、そこではじめて受け付けてくれた先生がぼくよりひとまわりも若いお姉さんだった。笑顔のかわいいアンパンマンのような気品があった。一通り現在の中国語能力についての簡単な口試をするといきなり、
「XXXXXXX(ぼくの名字の北京語読み)」
と呟きだした。自分の名字ぐらい中国語で言えたからすぐ分かったのだが、何が驚いたっていきなり"呼びつけ"だったのだ。全く、若い女性から毎回名字を呼びつけにされるスパルタ授業がスタートした。
「ニーチーグオチョングオマ?(あなたは中国へ行ったことがありますか)」
いきなり彼女はそんな質問を投げかけてくる。それぐらいもう先生は知っているはずだ。何を今さら・・・
「ウォープーチーグオチョングオ。(わたしは中国には行きません)」
そう答えるとはじめて会ったときの営業スマイルはなく、まるで浮気発覚後の旦那に哀れみをかけるような見下し視線で、
「行ったことがないときの否定は"メイチーグオ"でしょう?あなたは過去形まだダメですね!」
なんて言い放つのだ。それでも検定に合格したらいいものをあげるなんていうから頑張った。合格した。先生は近くにあるミスタードーナッツでいくつかドーナッツを買ってきてくれた。
「礼物(プレゼントですよ??)」
そのドーナッツの味をぼくは胸を躍らせながら食べた、いや違うっ!ぼくの目的はそんなもんじゃなかったはずだ!
因みに彼女は女性に対しての形容詞は「漂亮(きれい)」と「可??(かわいい)」しか教えない。クラスメートが「XXXXXは独身だから恋人にするといいよ」と言ったら真面目な顔して「もう遅いです!」と答えやがった!!
ところで、1週間90分の授業だけで中国語をマスターできるほど語学の世界は甘くはない。そこでチャイナパブをインターネットで検索して通い始めた。
破産した。
それなのにそこのママは毎日ぼくに電話をかけてくる。「全然来てくれないだから」いや一昨日行った、「XXXXXXが来るときは若い娘用意するから」驚くなかれ、ここには若い娘が一人しかいないのだ!
そう、その娘に送られて店の外に出たとき、コートやらジャンパーを着た夜の街特有の異国の女たちがいたのだ。
前置きが長かった。
その女たちというのがいわゆる場末の飲み屋街に必ずウロウロしている「マッサージいかがですか??」女たちだ。試しに"マッサージいかがですか"でググってみればいい。もちろんぼくはセックスライターでもなんでもないし、ぼくの目的というのはいつだって純粋なモノなんだから、彼女たちが何をしているかなんて説明なんかしない。大体分かっているのは基本的に彼女たちが日本語に不自由なことだ。こんな格好な語学練習相手はいない!
ここまできて、ぼくのことを中国人差別だとか女性差別だとかレイシストなんて後ろ指を指す偽善者たちが現れそうだが、何のことはない、彼女たちがまず日本人を蔑視していることは特筆に値する。普通中国で彼女たちはこんなことをしないはずだし、鼻の下のばした日本人オヤジの緩い財布を狙って日々活動しているに過ぎない、中国語の練習台にしたって何も悪いことはない。
ところで彼女たちを振り切る方法というのは一つ。「妻がいます」か「ガールフレンドがいます」で大体あきらめる。それでも追いかけてくると思うところが日本人が日本人たる所以だ。間違っても「不要(プーヤオ)」などと数少ない中国語語彙を使ってはいけない。
そうぼくは「不要(プーヤオ)」と言ったのだ。
「マッサージいかがですか??」
「不要(プーヤオ)」そう言って早足で通り過ぎようとすると後ろからダッシュして頭からタックルしてきたのだ。それからドドドドドっとぼくの前にでるなり上目遣いで、
「オニイチャン、チュウゴクゴウマイジャナイノー」
と抱きついてきた。それから隣で手さえ組んできて「サイゴマデデキマス」なんて意味の分からないことを言ってくるのだ。それにしても中国語を話さない。期待はずれの女だ。ジャンパーで丸々となっているから人なつっこい猫を思わせる。
「行くとどんなイイコトがあるんですか?」
「ハア?キマッテルジャナイデスカー、サイゴマデ、イチバンイイコトデショウ?」
そうか「サイゴマデ」というのはそんなにイイコトなのか!それにしてもこんな日本語を仕込んだのはどこの誰だ?
さすがにこんなアホなことを続けていると生来の鬱体質がさらに悪化するので、最近はiPodのリスニング練習だけで我慢して、夜は錦糸町のサウナに通うことにしている。
そのサウナの帰り、またいたのだ、「マッサージいかがですか??」女が。ぼくは懲りずに「不要(プーヤオ)」と不機嫌に吐き捨てたのに、ずっとついてくる。「アサマデイイデス」、朝まで捕まえてケツの毛までむしり取るつもりだな!ぼくは一貫して冷たくあしらい、渇いた喉を潤すために自動販売機に100円玉を2枚放り込んでいた。
左を向くとまだその女がついてきていた。さっきまでの笑顔は失せ、「ピア錦糸町」の灯りをバックにぼくを見つめていた。日常に疲れたように髪を乱しながら、暗くてよく見えないながらも目は潤んでいるように見えた。ああこれがアジアなのだ。ぼくは気づかぬうちに彼女たちに対して失礼を働いていたのかもしれない。彼女の視線の先には日本という資本主義、そしてかつての帝国主義の悪魔が見えているのかもしれないのだ。そう、次の一言に全ての恨みが凝縮されているはずだった。
僕は西方諸侯領の出身だ。だからここに連れてこられたとしても今更どうということはない。彼らに供されるということは、とても名誉なことだ。僕は彼らの一部となり、彼らが大いなること成すその僅かな手伝いになるのだから。食するに値すると認められたのだから。父も母も、泣きそうになりながらも僕の名誉を喜んで、笑顔で僕を送り出してくれた。母は今頃泣いているかもしれないけれど、僕は笑顔で送り出してくれたことに感謝している。誰だって、記憶に残る愛しい人には笑っていて欲しいものだ。僕はきちんと笑顔で別れを告げることができたんだろうか。急に色んなことが起こりすぎて、記憶がうまく残っていない。
顔を上げると、茶色いふわふわした頭が上下に揺れるのが目に見えた。その動きに合わせて小さな嗚咽が聞こえる。ここに入ってから半日ほどの間、彼は途切れることなく泣き続けている。僕はいささか憂鬱な気持ちになりながら、その丸まった少年の小さな背中を眺めた。彼は僕よりも少し幼い感じだった。幼い上に東の辺境から連れてこられたから、彼にはこの名誉が理解できていないのだ。
僕は気鬱を吹き飛ばすように彼らを讃える詩を小さく唱えた。
泣いている少年を見ていると、まるでこれから彼らの糧となることがまるで嘆くべき悲劇のように思えてしまう。僕は自らの気弱さを諌めた。名誉を疑うなんて、それはしてはならないことだ。けれど少年の嗚咽は収まるどころかどこまでも続くようだった。広くて綺麗な部屋に彼の泣き声が絶えず響く。
彼が一際大きく鼻を鳴らした時、窓際に座っていた最も年長に見える少年が荒々しい動作で立ち上がった。
「いい加減泣くのを止めろよ、鬱陶しい」
彼は鋭い眼で小さくなった少年を睨んだ。嗚咽が止まる。彼はそのまま僕にもそのきつい眼差しを向けると、茶色い髪の少年に向けるよりももっと棘のある口調で、馬鹿らしい、と吐き捨てた。
「くだらねえ詩を読むのをやめろ。西の人間は頭がおかしいんじゃないか。あいつらを有難がるなんて」
「くだらないだと」僕は思わず立ち上がって同じように声を荒げた。「名誉を理解しない東の蛮族ごときが彼らを貶して許されると思うのか。何故君がこの名誉に預かれたのか、僕にはそれこそ理解できないな」
「名誉だと?本気で言ってるのか?」彼は僕につかつかと近寄ると僕を見下ろして言った。
「西の人間は馬鹿ばっかりか。あいつらを有難がって、あいつらに食われるのを喜んで!」
「君にこの名誉が理解できないのは分った」僕は強いて冷静を装った。
「東の人間に理解できるわけがないんだ。あの汚い土地で犬のように暮らしている君たちにはね。四足には人間の言葉を話せても意味は理解できな、」
最もありふれた東の人間への侮辱を僕が口にした瞬間、彼の髪が逆立つのが分った。僕の言葉は容易く彼の逆鱗に触れたらしい。鍛えられた腕が、全く反応できていない僕の顔に振り下ろされる。衝撃に、僕は後ろに倒れた。間髪入れずに彼は僕の上に飛び乗る。咄嗟に顔を庇うように僕が腕を上げた瞬間、鞭のような鋭い声が室内に響いた。
「やめろ!」
それは命令し慣れた声だった。僕は手を止めた少年を下から恐る恐る眺め、やがて声の主に視線を移した。美しい少女だった。色の薄い金髪を顎の下で切り揃え、僕らと同じ服装だというのにまるで豪華な衣装を身にまとっているかのような気品がある。彼女は冴え冴えとした眼を僕ら二人に向けた。
「神々の家畜を傷つけることは許されない。手を控えよ」
その言葉で、彼女が西方諸侯領、それも北の出であることが分った。かの地方には貴族制度が残っているというから、きっと彼女はどこか名のある家の令嬢なのだろう。僕は呆然としている少年を押しやると、立ち上がって元の椅子よりも少し、彼女に近いところに腰を下ろした。彼は力なく床に腰を下ろして、先ほどまでの激昂が嘘のように項垂れている。
「……馬鹿馬鹿しい……泣いてるそこの坊やの方がよほど人間的だぜ」泣いているような、声だった。
「東の人間には理解できないだろうが、私は家畜であることを誇りに思っている。彼は言い過ぎたが、彼の誇りを損なうのはやめてくれ」
彼女の声に顔を上げると、彼は眉毛を下げたまま、悪かったな、とやけくそのように言った。僕は慌てて、僕も悪かった、と声を出した。
「すまない。言い過ぎだった」
「……まあ、理解し合えるわけがねえしな」彼は顔を上げて彼女と僕を交互に眺めた。
「しっかし、名誉か。これが名誉ね……俺はあのいとたかき方々に石を投げつけたおかげでその名誉の死を賜るわけか。ぞっとしねえ話だぜ」
「石?」僕は彼を思わず見やった。僕の目線の先で、彼が苦笑するように唇を歪める。
「そやって、言葉を喋る猿でも見るような顔をするのはやめてくれねえかな」
「いや、そんなつもりは……」慌てる僕に構わぬように、彼女が呆れたように口を開いた。
「東の人間が無謀だというのは聞いていたが、投石とはな。そなたらは我らのように、死を意味あるものにしようとは思わないのか」
「おもわねえな。少なくとも俺らの土地にはそう思うやつはいねえ。そう思うやつは西にいくからな。死を意味あるものにするといえば聞こえはいいが、実際は仲間の命で自分たちの生活を購ってるだけだろ。他人の命を代償にした恵みを受け入れて、自分の番が来ないことを祈るのか?……いや、あんたらには名誉なのか」
「例え名誉の死でも、死は死だ。怖くないわけではないがな。しかし私の死は無駄ではない」
「誤魔化しだろう」
「誤魔化しだろうと何だろうと、見返りはある。比べてそなたの死は?」
「まあ無駄だな。結局、あいつらに抵抗するたって甚振られてるだけなんだから。俺の死は無駄だし、何も購うことはねえ」彼はちょっと笑うと、僕と彼女を見た。
「けど死ってのは無駄なもんだろ」
「まあ、そうだね」僕は小さく同意して、言った。「扉が開くよ」
僕の視線の先で、重厚な扉が開こうとしている。先ほど彼がこじ開けようとして手も足も出なかったドアだ。完全に開くと、銀色の滑らかな肌をした彼らが入ってくる。不敬だけど鳥と蜥蜴を混ぜたような姿を彼らはしている。彼女がかるく息を呑むのが分った。
彼らは彼女の神で、僕の尊い存在で、彼の憎むべき敵で、おそらく茶色い頭の少年の恐れる何かなのだ。
甲高い声がひとつ聞こえ、彼らの一人が僕らに近寄ると、美しい光沢の刃を取り出した。剣というよりももっと別の何かに見えるもの。僕はゆっくりと彼らに祈った。彼らを目の前にしながら、彼らに祈った。僕の住む町の平穏を。彼らが僕の大切な人々を、冬の寒さや日照、狼や熊、病から守り、保護してくれることを。僕が彼らの糧となり、彼らが僕らを守ることを。
名誉の死でも死は怖い。その通りだ。僕は母さんと父さんに笑顔で別れを告げることができなかった。でも願うことならば、母さんと父さんの記憶には、笑顔の僕が残っていればいい。
ただ、そう願う。
振り上げられた刃が最も扉に近い位置にいた茶色い少年の首の後ろにつき立てられる。次は彼。そして僕。
剣ではない、これは、そうだ、母さんがいつも使っていた大降りの包丁に似ている。