はてなキーワード: 女装とは
自分のジェンダーロールに馴染めないだけの発達障害者が個人輸入のホルモン剤とか雑なメンタルクリニックで診断書もらって性別移行してるのはたまに見かけるけど、たいてい予後がよくない
自己認識と社会からの認識のズレをASD特有のイチゼロ思考で全部性別のせいにしてるもんだから、性別移行してからも「ズレてるのは差別や社会の無理解のせい」ってことにして変な活動に走ったりする。
違う性別になったら移行先ジェンダーでは「生殖能力がない」「外見も悪い」という点で弱者になるのは当然なんだけど、そういう覚悟があんまりなく性別変えたら苦痛が解決すると思ってるから現実見て病む。汚いコミュ障のおっさんが女になっても汚いコミュ障の女装おじさん、うまくいって汚いコミュ障のおばさんになるだけなんだけど、女になればモテモテ美少女になれる、優しい女の子とキャッキャウフフできると思ってるんだから無理がある。粗雑で空気読めないだけの女が男になっても、ちんちくりんでポークビッツ付きの粗雑で空気読めないおっさんにしかなれず、アルファオスになるのは無理だし。
こういえばわかってもらえる?
女子トイレに女装して侵入する男がいるどころかトランス女性が問題を起こす事だってあるのに「トランス女性は女性、工事しなくても女子トイレに入っていい」なんていうのは
男性オタクが引き起こした問題が多い上、それは都合のいい空想を摂取しまくった結果ああなってんのに
「オタクから萌え萌えの美少女やレイプファンタジーをとりあげるな~!」っていうのと同じなの
別にトランス女性も男性オタクもおとなしくしてるんならいいけど
内心の自由とかゾーニングすらも効果無さそうに見えてきたからそれ自体を認めない方向に行ってるんだよ
一部のオタクが~
じゃねえよ
そういえばボカロと結婚したようなのが啓発ポスターを見てセクシズム発揮して炎上した時、トランスカルトに加担してるようなのが「彼のセクシズムは否定していいけど、彼のフィクトセクシャル性まで否定するのは差別だ」とツイートしてるのを見た
ドグラマグラエマネグラ アヨンモヘムアフェ(インド中部の伝統的儀式絵画) スリの目撃情報とはアザンヌのスリのこと!? アザンヌといえばやはりスリ!!!しかし女装するわけでもないアザンヌが何をしてどうなったのかは不明だ アザンヌの真の目的は一体なんでしょう!? アザンヌはこれで何が解ったのでしょう!??? スリ集団のアジトから逃走中アザンヌが逃げる瞬間です。警官のス
神が男女を作ったので、宗教の人的には、男 or 女 でないと困っちゃうんだよね
『神はAさんを男として作ったが、たまたま外性器異常があった』と考える方が宗教の人的に受け入れやすいのよ
例えば、この増田→https://anond.hatelabo.jp/20230406130433# も性別は二値しかないって言い切って譲らず、
肉体的に男女どちらでもない人たち(性分化疾患(DSD))は4,500~6,000人に1人の割合で出生するので言うほど稀じゃないと言っても通じない
外見にしたってそう。あるべき女性の姿・男性の姿はないので、男女のイメージの固定化をするなと言っても通じない
胸が薄い女性も、骨太の女性も、ドワーフみたいにならずとも生まれつきヒゲ(濃い産毛とか数本太い毛とかでない。マジでヒゲ)が生える女性もいる認識は持とうと言っても通じない
女性や男性はこうあるべきみたいな宗教は他国でやってほしいし、◯◯じゃない自分の体が嫌はメンタルクリニックに相談してほしい
とりあえず女性で髭が生えることをオープンにしている女性の例をひとりあげておきますね
ここまで深刻じゃなくても産毛じゃないレベルで毛が濃くなる人(剃り跡がぶつぶつしたり青くなる人)はいます
他国の宗教を無批判に輸入してジェンダーの役割やイメージの固定化を推進するのは辞めましょう
『私に対する恐怖の裏には、まだ答えられていない問いが隠れています。だから怖くなったり冷笑的になったりしてしまうのです。
私と同じ症状を持つ人は多くいます。顔からひげが生える女性は未知のことではありません』
ハーナームさんは12歳の時「多嚢胞性卵巣症候群」と診断されました。この症候群は世界で何百万もの人が持っています。
「多くの女性は顔にひげを生やしていますが"普通じゃない"ということで無視されています。私たちの身体にとっては自然のことなのにそれを笑われるのです」
ジェンダーに対するステレオタイプが、ハーナームさんを含むひげを生やす女性に対する扱いに大きな影響を及ぼしているとハーナームさんは考えます。
▼ギネス世界記録 公式チャンネル
ワイは、『個人のアイデンティティ形成は、個人の自己決定に基づいて形成されるべき』は支持するけど、
『自分が何を言ってるか理解出来ていない人』(相変わらずブクマカはヤベー→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230403064024)と、
『宗教に基づいた男女観を持っている。それに配慮しろ』ってちゃんと言えない人は、支持できない
ついでに宗教に基づいた男女観があるわけでもないのに、男女の固定の役割があり、身体を改造しないと固定の役割が出来ないって発想はマジで病気だと思う
『病気でもなんでもいいから、今すぐ男(もしくは女)の役割で生きたくて気が狂いそうなので、整形するね』は、大人なら個人の自由だから止めないけど、
他の増田も言ってたけど、男女どちらの性別であっても、どんな生き方もどちらの服装も自由に出来るを社会が保証すればいいだけ
「日本は伝統的にLGBTに寛容だった」というか、そもそも性欲とか性的アイデンティティについての理解や認識の構造が全然ちゃうかったんだよね。
今だと、男性に対して性欲を持つ(男性への性的指向を持つ)男性は、「ゲイ」としての性的アイデンティティを持ってて、基本的には同じゲイの人と交際するわけだよね。タチとかウケみたいな性交時の役割の概念はその下に来るし、今時だったら、自分はタチウケどっちというのが明確でない人(リバ)も多くいると思う。
昔は、男性同士の性関係は、男役側と女役側(たとえば陰間)、年長側と年少側(たとえば稚児・兵児ニ才)という非対称な関係になっていた。んで、このうち男役側とか年長側は、世間的には「ふつうの男」だった。相手にちんこを挿入する側は、相手の性別が女でも男でも、その性的能動性を根拠に、本人の男性性自体に疑いを持たれることはなかった。時代や地域によっては「女色・男色両方に通じてるのがいいんだ」みたいな言説すらあった。
一方で受動側、挿れられる側というのは、あくまで成長途中の一時的な状態であったり(たとえば「年少側」は、いずれそういう状態を卒業して年長側に移行する)、あるいは男性が女性化した「特殊な」状態であったりした。陰間のイメージは江戸中期から後期にかけて結構変わっていくんだけど(中期には「女性にない清廉な魅力がある中性的存在」みたいな扱いだったのが、後期にはより女装・女性化していく)、基本的にはずっと賤業として蔑視されていた(後期には梅毒問題もあって夜鷹の安い代替物みたいな感じになっていった)。あと、こちらも20代中盤には商売を上がるのが基本だった(つまり陰間にも「年少者に許された一時的な性的受動状態」としての性格があった)。
そういう意味で、実は日本には、明治時代にドイツ系の性科学(特に変態性欲研究)が入ってくるまで、「男色好み」や「陰間」はいても「同性愛者」はいなかった。①同性との性行為、②同性との性行為中の役割、③同性と性行為をする職業、はあっても、それを自らの性的なアイデンティティと考える発想自体がなかった。「同性愛者に寛容だった」というわけではなくて、「同性との性行為に寛容だった」「能動的役割の側の男性性は傷つかなかった」というのが実態。