はてなキーワード: ボケとツッコミとは
とにかく2人で盛り上がったんだそうで
そしたら急に「東京の人はみんな電車の中で静かすぎてビビったわ」と言われた
なんでだろう
私は東京に来て3年は経っている筈なのだが何か違和感を感じた。
関西にいた時を思い出すと
確かに関西では電車の中でも笑っている人、楽しそうに会話をしている人が多い。
自分も学校帰りに友人と生々しい下ネタを話したりして爆笑してた(おばさんに凄い睨まれたけど・・)
つい最近、奈良に近鉄で行った時も若い社員さんが複数で噂話しながら盛り上がってた
喋ってる人が圧倒的に少ないし
みんな静粛としている
座っている人はスマートフォンかドア上のモニターばかり見ている
あとはみんな静粛にしてる。
椅子の座り方も混雑してなかったら
一席空けて座るのが恒例やし・・・みんなそうしてて
一番端の席が空いたら全速力でお尻持っていく人が大半で
笑ってしまう。
そういうのを見るとすごいなあーーって思うけど
会話にボケとツッコミがある
良くなかった点:
・話のつながり、何をしているのかが分かりにくい
・漫画の表現として古臭いところがちょいちょいある(ただしこれは好みの問題で、好きな人もいるとは思う)
良かった点:
・キャラのデザインは可愛いと思うし、可愛く描きたいポイントも伝わってきた
・サブキャラ(長髪の子)は常識的、一途などそれなりにキャラが立っており、好感が持てた
・画面や線がゴチャゴチャしておらず見易い
・思いついたネタを全部ぶっこむんじゃなく厳選して、代わりに繋ぎの間や状況描写をもう少し挟むと、何をしてるか分かり易く且つメリハリができるのでは
・ギャグの中のシュール対わかりやすさ比を、もう少し分かり易さ重視にしてみる
あと、シュールギャグで笑わすには絵面の面白さも大事だと思うので、そこを研究してみる
・メガネッ子のツッコミをもっと、ツッコミ単体でも面白いくらいまで練るべき
・見やすさが良い点なので全部のコマを埋める必要はないが、要所要所で背景を描き込むと、臨場感が出るのでは
シュールギャグとは言え、ボケとツッコミ、振り回され役など役割分担がある以上、それぞれのキャラ立てもあって然るべきと思う
ここまで書いといて何だが、ギャグは好き嫌いが人によって激しく別れるので、増田が良いと思った方向性を追求してみたらいいんでない
5年間ニートをしていた。
大学時代もニートのようなものだったから実質10年くらいニートだった。
父が定年退職し、介護が必要となった祖母を自宅に招き、僕は実家から居場所をなくした。
初めて家を出て自分の力で働いてお金を稼ぎ、その苦労を知った。
自分の部屋に引きこもっていた頃、僕は自分が世界で一番不幸な人間だと信じていた。
それは境遇や生い立ちにおいてもある程度はそうであったけれど、何よりも僕には幸福なことを幸福なこととして感じる回路が欠落しており
今後僕の人生において何が起ころうと、それは絶望や苦悩という尺度でしか僕には認識できないんだと、本気でそう思っていた。
毎日、アニメを見ながら2chに書き込み、漫画を読み耽りながらポテチの塩を指にべったりと付け
たまに思い出したように「若きウェルテルの悩み」や「車輪の下」を本棚から取り出してきては主人公に自分を重ねて自分は何と不幸なんだろうと嘆いた。
TVの画面を通して見る同年代の子らがなぜあんなにも楽しそうなのか、自分がそちらの世界に行けなかった不幸を呪った。
2chで時折起こる若者の炎上騒ぎを閲覧しながら、本当に罰を受けるべきなのは自分なのだと、そう思いながら騒ぎに便乗した。
日常系と呼ばれるアニメを見ながら、日常の意味について考え、キャラクターのボケとツッコミに笑った。
面白い事は面白いと感じ、笑える出来事があれば素直に笑ったが、それでも僕は本質的に自分が不幸な人間であり
不幸であるから不幸なのだという迷宮から抜け出せない限り、永遠に、おそらく自分が死ぬまでそれは続くのだと信じていた。
父が退職し、家を追い出された。
お金がなかった。
就職した。
クソ怒られた。
不幸とかどうでもよかった。
ニートをしていた頃
働いている人間(社畜共)はなぜあんなにもつまらない人生に我慢できるのか?
人生の意味や、幸福とは何かについて思い悩み、苦悩することはないのか?
正直、低能だと思っていた。
働いて分かった。
そんな時間ない。
つかそんなことどうでもいい。
金だ。
金がいる。
とにかく生きるのにも悩むのにも金がいる。
毎日アホみたいに使っていた電気も、用意されていたご飯も、好きなときに飲んでいた飲み物も全部タダではなかった。
いや、それくらい理解していた。
自分が恵まれた環境にいること、ニートがある種の特権階級であることも理解していた。
働くの辛すぎ。
生きるの辛すぎ。
時間無さ過ぎ。
働かず生きていけるニート、やりたい事で稼いでる奴ら、資産家、エリート共、羨ましすぎ。
初めて笑った。
クソワロタ。
関西人同士、お互いに一分の隙も許さないボケとツッコミの応酬が好きだった。
「いまこんなんやねんなー」「わかるわかるー」と言いながら深い事情は聞かずに、知らないうちに解決できてきた。
高校を卒業してから会うことは年に2〜3回とグンと減った。けれど会うことは続けてきた。今回会うのは今年3回目だった。
一緒にマシンガントークできることを楽しみにしていた私をよそに、彼女は延々と喋り続けた。
普段田舎に引っ込んでしまっている彼女のことなので、久々に友人に会えて嬉しいのかな?としばらくは温かい気持ちで聞いていた。
でも、なんか違う。
自分の過去の発言忘れてるし、聞いてもないことまで喋り続けるし、正直それお昼の電車で話す内容とちゃうで姉さん。。と何度も心の中で突っ込んだ。でも言えなかった。
都会育ちで誇り高い彼女には、田舎での生活がたぶんもう心の限界すれすれなんだと思う。
けれど「かもしれない」だけで「あんた病院行ったほうがいいよ」なんて言えないし、
旦那さんもいることだし私がどこまで関わっていいことなのかわからない。
共通の友人もみんな彼女には頻繁に会えないし、どうしたらいいんかな。
最悪他人のこととはいえ、ここ数日気が気でない。
ラジオを主戦場にしてる伊集院光が孤軍奮闘してる話。それを複雑な気持ちで応援し批判する。
良くも悪くも。
自分を批判する人の顔色を伺いながらトークするようになった。
密室感が感じられる。
信頼出来るうちわの3,4人だけの世界に没頭し夢中になってトークしてる伊集院光。
もともと大人数での立ち振舞は苦手で、大人数の番組でも他の人との絡みでは笑いを取りに行くタイプではない。基本的に自分一人で何とかするタイプ。
伊集院光のばらえてぃばんぐみというDVDを見たけど、ラジオでは笑える偏執 的なところが、伊集院光の企画、仕切り、売れてない後輩芸人たちとの絡みでは笑えない。
やっぱりラジオが一番向いてる人だと思う。本人がラジオだけでは不満だとしても。
これからはラジオ、音声だけのメディアには可能性が十分にあるはずなのでラジオに集中して欲しい。
最近のラジオのつまらなさは伊集院光が視聴者に叩きつける感じがないからだと思う。
しかし伊集院光の気持ちもわかる。(ただのリスナーであるわたしからそうぞうつくだけのはんいだが)
なぜ叩きつける感じがなくなったのか?
理由
昔の伊集院光が想定するリスナーというか、放送の反応が帰ってくるリスナーは基本的にメールかはがきという方法だけだったと思う。
分類すると
1 ライトなファン
2 熱心なファン
3 異常な熱を持ったアンチ
それくらいだったと思う。
2chまとめがネット市民の総意であるような錯覚が起きている2013年では、
4 かなりクールなリスナー (まとめサイト的な価値観のネット民)
2chだけの時代では、閲覧のしにくさからアングラ感があったがいまではまとめサイトによりポップになり
ネットの中でのまとめ的な価値観の声が大きくなってきたと思う。
日本の不況によってみんな余裕が無いことも大いに関係あると思う。
わたしも絶賛ニート・・・・・・・いや無職、失業中だ。 20代だが。
4の層に伊集院光は気を使っていることは明らかな気がする。
2013年1月21日の放送で、まとめサイトのネタにする芸能人の代表格である斎藤佑樹投手に対する言及をした伊集院光。
この放送をした伊集院光の気持ちは「ネット民の斜めから見た意地悪な視点がこれ以上一般化すると表現する側としてはやりにくくてしょうがない」ということだと思う。
また 1、ライトなファンも4の真似をする危険性がある。そうなったらやりにくくてしょうがないだろう。
そうなると味方は2だけだが、それでは閉じたコミュニティになってしまい、狭いラジオになってしまう。
だからその流れを少しでも止めるために斎藤佑樹投手に対するフォロー≠まとめサイト的な価値観に抵抗。をしているんだと思う。
この伊集院光のラジオの傾向は2012年から顕著だ。ネット民にネットまとめが定着しきったのもそれくらいだと思う。
しかしその方向性(4の層に伊集院光は気を使っていること)は間違っているとは言えないのが歯がゆい。
(ネットに疎く、炎上の怖さを知らない田村淳とは違う。ここはファン層の違いかも)
4の層に気を遣う伊集院光だが、それによる弊害としては
1 トークの暴走、爆発力の低下
が大きな要因だと思う。
1 本人
2 構成作家
3 ディレクター
この三人の空気感 アイコンタクトみたいなものによっていたんだと思う。
しかしいまの伊集院光は本人による自主規制が多すぎてトークが爆発しない。
トークを爆発させた果てにある4の層の反応を気にしてる。
結論? ないっす。おれが考えることじゃない。
眠れなかったんです。・・・・・・・・・・・・・後悔はしてない。
2 河野はつまらない。芸人には向いてない。 ヒットマンはボケとツッコミが逆だった。それに気づけない時点で。。。。
3 つまらん河野を鍛えているのは伊集院光の優しさだと思うが、リスナーは求めてない。あと後輩との絡みが下手。それは伊集院光の
異常に発達した細かさ(論理的には正しかったとしても)、人に対するこころの開かなさを後輩が知ってて、ビビってるのが見ててわかるから。
漫才だけじゃなくネットの議論の場にも役割みたいなのがあるよね
その場合だと、ボケとツッコミじゃなくて意見とツッコミってかんじかな
そんで僕が問題視してるのは、ツッコミ役を好む人達がいるってこと。つねにツッコミポジションを崩さない人たち
それがわかったんだよ
ネット右翼を今更あれこれいうことはないなと思ったから左翼に絞るけどさ
でもけっきょくこの突っ込みたがり体質で発信力の無さが
日本で左翼がしんでるというか支持されてないのもこのせいだろうと思うんだ
自分から発信する、意見するという立場に立つ人材。これが左翼には圧倒的に足りない。
勝ち馬に乗るじゃないけど、負け馬をうしろから突くあのいやらしさしか左翼から感じられない。ほんとこの点ネット右翼と似てる
自民党のやることを常に反対して与党になっても自民党自民党言い続けた。まさに万年ツッコミ体質と言った感じだ。
こう言うとおそらく
「いやどこ見てんだよいるだろ。〇〇さんとかいるだろ~」なんていう人が出てくるだろう。
うんそうだね。でもね圧倒的に数がいない。その意見がみんなに広がっていくための熱量。キャズムの谷を超えられないのよね。
この左翼とネトウヨのツッコミ側にたって、万年勝者みたいな態度をとってる感じ
どうにかならないだろうかと思った。
よく漫画やアニメなんかで、天使と悪魔が自分の頭の中で、あーだこーだと議論する構図があるけれど、あんなのが実際に起きる人いる?
自分、最近までは、んなこと起きもしなかったんだけれど、最近たまに起きるようになった。
たとえば、洗濯物干そうと洗濯機から洗ったばかりの洗濯物を落として、自分としてはがっくしなところに、頭の中で「ばっかでー」とかいう声が聞こえてくる。聞こえてくる声は一人らしい。
内容的には、本当にどうでもいいたわいも無い事で言ってくるだけで、客観的に見るとボケとツッコミin自分の頭みたいな感じ。結構たのしい。
島田洋七のがばいばあちゃんってどうなんだろ。
読んでないんだけど。おもしろいの?
もう色んな人が言ったことかもしれないけど、なんだか作られたベストセラーっていう気がしてならないんだ。
売れ始めた頃からずっと、なんとなくそう思ってた。
うなづかれトリオ、ビートたけしはスーパーメジャーになった。島田紳助もビッグネームになった。
で、洋七だけがちょっと取り残されている風潮があって、だからみんなで作り上げたベストセラーなんじゃないかと。
よくさ、大阪人はみんな笑いのレベルが高い、とか言う人いるじゃない。
子供の頃から新喜劇を見て、ボケとツッコミを叩き込まれ、学校でいくら頭が良くても足が速くても、おもしろくないと認められない。
だから大阪人は笑いのレベルが高いし、芸人も地方の人より大阪のほうが売れっ子になりやすい、とかね。
ビートたけしは東京だろ。あたりまえだけど。タモリは博多だし。
明石家さんまは奈良、島田紳助は京都、ダウンタウンは兵庫だよな。
書き方の作法とかよく分からんが、気になったらツッコミを入れて欲しい。ボケとツッコミ、これ大切ね。
気になったページはコレね。
日本が終わっている本当の理由
内容はざっと見る限りだと地方在住のニートさんが綴る回顧録と言ったところか。
学生時代に怪しい宗教に関わっていた模様。自分がひどい目にあったので政府何とかしてくれって言ってます。
だがしかし、内容を確認すると・・・
入るのになんだかんだとお金が20万くらい、かかりました
・・・との事。
世の中って広いね。ホント。いろんな人がいる。なのでよそ様がした行為に対してどうこう言うつもりはない。
が、そんな事言ってたらツッコミも何もないのでとりあえず言ってみる。
まぁ、あれだ近くに交番あるならとりあえず駆け込めと・・・。
入るのになんだかんだとお金が20万くらい、かかりました
何もかもが自己責任だというつもりはない。
昔大阪、今は東京に住んでいるけど(出身は東京でも関西でもない)
東京でいう「ボケとツッコミ」というコミュニケーション形式は、
お笑い芸人やバラエティ番組が大阪文化をもとにコモディティ化して定着させたものであって、
まさにそれ。
東京でいう「ボケとツッコミ」とは、要は東京発のバラエティ番組のカルチャーに則るべしということだから
ネイティブ大阪人にはかえって不自然に感じる(ように思える)。
テレビ的な「ボケとツッコミ」なんて、むしろ大阪では吉本興業の劇場以外では見かけない。
逆に、東京の「ボケとツッコミ」はそれ自体がお約束化している。
お笑い芸人の真似事という共通の話題がなければコミュニケーションできないというディスコミュニケーションは