ラジオを主戦場にしてる伊集院光が孤軍奮闘してる話。それを複雑な気持ちで応援し批判する。
良くも悪くも。
自分を批判する人の顔色を伺いながらトークするようになった。
密室感が感じられる。
信頼出来るうちわの3,4人だけの世界に没頭し夢中になってトークしてる伊集院光。
もともと大人数での立ち振舞は苦手で、大人数の番組でも他の人との絡みでは笑いを取りに行くタイプではない。基本的に自分一人で何とかするタイプ。
伊集院光のばらえてぃばんぐみというDVDを見たけど、ラジオでは笑える偏執 的なところが、伊集院光の企画、仕切り、売れてない後輩芸人たちとの絡みでは笑えない。
やっぱりラジオが一番向いてる人だと思う。本人がラジオだけでは不満だとしても。
これからはラジオ、音声だけのメディアには可能性が十分にあるはずなのでラジオに集中して欲しい。
最近のラジオのつまらなさは伊集院光が視聴者に叩きつける感じがないからだと思う。
しかし伊集院光の気持ちもわかる。(ただのリスナーであるわたしからそうぞうつくだけのはんいだが)
なぜ叩きつける感じがなくなったのか?
理由
昔の伊集院光が想定するリスナーというか、放送の反応が帰ってくるリスナーは基本的にメールかはがきという方法だけだったと思う。
分類すると
1 ライトなファン
2 熱心なファン
3 異常な熱を持ったアンチ
それくらいだったと思う。
2chまとめがネット市民の総意であるような錯覚が起きている2013年では、
4 かなりクールなリスナー (まとめサイト的な価値観のネット民)
2chだけの時代では、閲覧のしにくさからアングラ感があったがいまではまとめサイトによりポップになり
ネットの中でのまとめ的な価値観の声が大きくなってきたと思う。
日本の不況によってみんな余裕が無いことも大いに関係あると思う。
わたしも絶賛ニート・・・・・・・いや無職、失業中だ。 20代だが。
4の層に伊集院光は気を使っていることは明らかな気がする。
2013年1月21日の放送で、まとめサイトのネタにする芸能人の代表格である斎藤佑樹投手に対する言及をした伊集院光。
この放送をした伊集院光の気持ちは「ネット民の斜めから見た意地悪な視点がこれ以上一般化すると表現する側としてはやりにくくてしょうがない」ということだと思う。
また 1、ライトなファンも4の真似をする危険性がある。そうなったらやりにくくてしょうがないだろう。
そうなると味方は2だけだが、それでは閉じたコミュニティになってしまい、狭いラジオになってしまう。
だからその流れを少しでも止めるために斎藤佑樹投手に対するフォロー≠まとめサイト的な価値観に抵抗。をしているんだと思う。
この伊集院光のラジオの傾向は2012年から顕著だ。ネット民にネットまとめが定着しきったのもそれくらいだと思う。
しかしその方向性(4の層に伊集院光は気を使っていること)は間違っているとは言えないのが歯がゆい。
(ネットに疎く、炎上の怖さを知らない田村淳とは違う。ここはファン層の違いかも)
4の層に気を遣う伊集院光だが、それによる弊害としては
1 トークの暴走、爆発力の低下
が大きな要因だと思う。
1 本人
2 構成作家
3 ディレクター
この三人の空気感 アイコンタクトみたいなものによっていたんだと思う。
しかしいまの伊集院光は本人による自主規制が多すぎてトークが爆発しない。
トークを爆発させた果てにある4の層の反応を気にしてる。
結論? ないっす。おれが考えることじゃない。
眠れなかったんです。・・・・・・・・・・・・・後悔はしてない。
2 河野はつまらない。芸人には向いてない。 ヒットマンはボケとツッコミが逆だった。それに気づけない時点で。。。。
3 つまらん河野を鍛えているのは伊集院光の優しさだと思うが、リスナーは求めてない。あと後輩との絡みが下手。それは伊集院光の
異常に発達した細かさ(論理的には正しかったとしても)、人に対するこころの開かなさを後輩が知ってて、ビビってるのが見ててわかるから。