はてなキーワード: イントネーションとは
俺は大阪生まれの大阪育ちだけど(東住吉区湯里出身)、子供の頃からたまに「なんじゃそのイントネーション!キモッ!」と
ツッコミたくなるイントネーションの大阪弁を耳にする。いまだに慣れない。
ついさっきコンビニのレジ前で「ペイペイで」と言ってるおばちゃんが居たんだが、そのアクセントが2個目の「ペ」にあるのよ
つまり「ペイペ(↑)イで」と。普通最初のペでしょ。「ペ(↑)イペイ(↓)で」でしょ。
まぁでもレジの前でペイペイのバーコード見せながらだから他人にでも伝わる。これは大丈夫。キモいけど。
先日、近所のマンダイの駐輪場でおっちゃんがスマホで電話してたんだが、周囲に聞こえるくらいの声で「マンダイや」と何度も何度もくり返し言ってた。
おそらくだが
家族「え?どこって?」
という会話だと推測した。でね、そのおっちゃん「マンダイ(↑)や」とイにアクセントがあるのよ
マンダイの駐輪場にいるから俺は「マンダイや」と分かったけど、その場所がわからない電話越しだと「萬田嫌」に聞こえると思う
そら意味分からなくて何度も聞き返すわ、とツッコミ入れたくてしょうがなかった
俺の観測だとこの変なイントネーションの大阪弁を使う人は60歳以上に多い。若者ではまず無い
なので世代的なものだと思うんだが、地域的なものもあるんだろうか?(河内弁とか泉州弁とか)
Synthesizer Vに超強力な女性ボーカル、Maiがまもなく登場。もうAIと人間の違いは認知できないレベルに
https://www.dtmstation.com/archives/58686.html
上の記事で注目を浴びたボイスバンクMai。その実力を確かめるために、「良い」と感じた調整の曲(主にカバー曲)をここに書き連ねていこうと思う。
【Synthesizer V AI Mai】Merry-Go-Round【公式デモ曲】
比較用。人間のような息継ぎに声のイントネーションに滑舌に適度な音程のブレなど。初音ミクからここまで来るのにわりと時間がかかった。
逆張りはてブ民には「素人の音程だけ取れているカラオケ」「売れていない地下アイドル」などと大評判であった。
【Mai】メリュー【カバー】 https://youtu.be/BUGANNCM0BY
感想:忠実。声質とボイスバンクの方向性に合わせている。デモに近い感覚。だがそれよりは声を張っている。勢いをつけたいという意思を感じられる
Who? / Azari - Feat. Mai【SynthesizerV Cover】
感想:不安定で好き。ヨロヨロとおぼつかない足取りを声で表現している感覚がある。
見つけ次第適宜追加する。
以下のような質問したところ、
「先の大戦の責任をとった東条英機元首相は岩手の人だからかな?菅元首相のイントネーションに似ているような気がする。性格的(実務派で首相職務に適性がなかった)にも彼に似ていたらしいとあるのですが本当でしか?彼も東条氏くらいしっかり発声してほしかったですが誰も注意する人いなかった理由なんですか?。」
次のような返事が・・・
「東条元首相はお父さんは岩手だけど本人は東京生まれ育ちらしい。共通項についてはよくわからない」
これをうけて
英語って確か、大昔のゲルマン系の言語をベースにラテン系の単語も取り入れ、輸入先のブリテン島で大いに訛ってしまった言語なんでしょ?
結果、発音が他のヨーロッパ系の言語と思いっきり異なるという。
具体的にはAをエイ、Eをイー、Iをアイ、Oをオウ、Uをユーと読むとか、他のヨーロッパ系の言語と違いすぎるから!
筆者はクラシック音楽とポピュラー音楽の両方が趣味なので、音楽の話で「エー」と言われると一瞬AとEのどっちを指すのか戸惑う。
それにしても、なんでこんな訛り方をしたのか理解に苦しむ。
日本語が同音異義語だらけなのは中国語から輸入された単語から、日本人に発音しにくいイントネーションがことごとく廃れ同化した結果だと思うのでまだわかるが。
コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。
それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。
入院前に会った老人ホームで車椅子に腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。
この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。
私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院の規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。
受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。
しかもそれも一回。
小さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教を信仰している祖母はよくその教会に私を引き連れた。
教会にいくと祖母には祖母の仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。
同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。
私はその宗教を信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。
それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。
属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。
高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。
そんな宗教も祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。
あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。
おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。
おばあちゃんがお墓参りのときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。
おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。
祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。
なんか食べ物の話ばっかりだな。
8/25 追記
でも思い出すのはあの日差しの差し込むキッチンだから、まだまだ話すね。
フライパンみたいな形状のたこ焼き器でたこ焼きを作ってくれた。十五夜にはふたりで白玉団子をこねて、丸めて、みたらしをかけて食べた。
今日白玉団子を作ったらあの匂いがして、懐かしい気持ちでいっぱいになった。
また書きながら泣いちゃったよ。
追記終わり
皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)
今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的に祖母が食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由で筑前煮を作ったことがある。
「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」
これを50回位言われた。
当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。
ごめんね、お嫁には行けないかも。
内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。
妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分で新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。
言い訳はこの辺にしとく
あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。
輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。
火葬ボタンを喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。
思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつで眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。
ちょっとうまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。