なんでクールビズは流行ったのにプレミアムフライデーは流行らないんだろう
日本赤十字社と『宇崎ちゃんは遊びたい』のコラボポスターが炎上している
論争の中心がキャラクターのセクシーさに集中してるが、個人的な感想としてはセリフが良くないと思う
献血をするかしないかは個人の自由であり、「注射が怖いから」という理由で献血を行わないという意見も尊重されるべきである。件のポスターは献血協力者を増やすことを目的に作られたものだが「注射が怖いんスか~?」という煽りで協力者を呼び込むのは適切でないと感じる
もう少し踏み込むと、『宇崎ちゃん〜』に登場する「センパイ」は男性キャラクターであり、「センパイ」が注射を怖がることを想定し嘲笑するさまには「注射を怖がるのは男らしくない。男は男らしくあるべきで注射を怖がってはいけない」というメッセージが込められているように思える
私は男性だが注射が怖い。健康診断の前日は採血の恐怖で眠れなくなる。今回の騒動でこのポスターを見てちょっと傷ついた。例の弁護士みたいに無闇に掲載中止を呼びかけたりはしないが、例のポスターに気分を害された人間がいることは知っておいてもらいたい
子供の頃から「なんとなく感覚がふつうの人とズレてる」ことを感じてきて(抽象的な表現で申し訳ない)、でも多数派に迎合したほうがラクだと思ったので「この人は何を意図してこんなことを言ってるんだろう」「どんな思考をするんだろう」と考えて応対しつづけていった結果、誰とでもかなりスムーズに過ごせるようになった
けれどやはり考えることは疲れる。同棲を始めて半年、気を遣うところと気を遣わないところのバランスが未だにうまく掴めない
元気な時はいい。けれど疲れているときにどうしてもオフの時間に何人とも話したくない時間が出てしまう。誰にも何にも見られない一人きりの世界でぼーっとしたくなってしまう…
相手は配慮してくれてるし何も強制されないけれど、出張から帰ってきて私と話すと「一人よりこうやって話せるほうが楽しい」と言う。
人といるほうがずっと気を遣うのに。きっと相手はそうではないのだろう。もう全て剥がしてしまえば良いのでは、本当の自分を晒せないなんてパートナーではないと言われるかもしれないが、もうこの生き方は20年以上共にあって今更変えられない
私は「ふつう」じゃない癖に、「ふつう」になりたくてそれで一般的なレールに沿って恋愛したり同棲したり結婚しようとしてるんじゃないかとふと不安になる。自分がそのレールに乗っていることに満足したいだけなんじゃないかって
考えすぎなのもわかる。ああ そんなことウダウダ考えなくていいような「ふつう」に生まれたかった
「ふつう」ではない私には代わりに創造性がある 仕事はできると褒められるし人前でのプレゼンも得意だ 料理も好きそれがギリギリ自尊心になっている だけど1LDKに人といるだけでこんなに息苦しくてどうしようもなくなって家に帰りたくない時が来る
面倒くさい ピーキーだ みんな部屋に人がいて相手が今何考えてるかな 話したほうがいいんじゃないか でも面倒くさいな そか考えないよな 自分のことばっかりな自分に嫌気がさす あ〜〜引きこもりたい…
生まれてこの方「なんとなく考え方がふつうの人と違う」ことを感じ続けてきて、「この人はこんな風に考えるからこんな発言をするんだ」ということを分析して
〈追記〉
はなから完璧な文章を書く気などなかった(一般人の匿名ブログにそんな義務もないし)ので、このあたりは反論されるだろうなと思ったところがやっぱり突っ込まれており、興味深く読ませてもらっている。
ただ、ここまで「ひとりの人間として尊重する」ことが大切だって訴えているのに、「頭悪い」とか「病院行け」とか「バカ○○」とか言う人が出てくるのは何故なのか、考えても仕方がないのだが不思議に思ってしまう。
誰かの意見に反対するときは、その人を罵倒しなくてはいけないというルールでもあるのだろうか?
冷静に突っ込んでくれている人はありがとう。もっと勉強します。
〈/ここまで〉
それは、女性は誰かの目を楽しませるために存在するのではないから。
性的な目で見る、という言い方が曖昧なので分かりにくいんだけど、「誰かのことを見て性的な満足感を得ること」とする。
「おっぱいの大きな女がいたらどうしても目で追ってしまう。それは本能だ。どうしようもない。そういう生き物だから。それを禁止されたら、恋愛だって始まらないし、子どもも作れない、人間は滅びてしまうじゃないか」
と言う人がいるかもしれないが、それは違う。
・女性の体を見て楽しむことは”禁じられていない”。
この2つは矛盾しない。
男も女も、ホームレスも総理大臣も、誰にでも与えられている権利がある。
これを人権という。
人権は、人に、その人の身体を、その人のためだけのものとすることを認める。
だから不当に拘束されたり、傷つけられたりすることは、人権を損なうことであり、認められない。
その人権の中には、
や、
や、
などが含まれる。
「女性を性的な目で見る」行為は、女性のこのへんの権利を侵害している。
女性を、尊重されるべきひとりの人間として扱っていないことになる。
というわけで、
「おっぱいの大きい女をどうしても目で追ってしまう」→してはいけない。してしまったら、してはいけなかったな、これ以上見るのをやめよう、と思うべき。
「恋愛も始まらない」→女性を触ったりじろじろ見たりしてはいけないのは『許可なく』そうしたとき。女性は、そうされて構わないと思えばそれを許す。あなたがそれをしても人権侵害にならない。嫌だと思ったら断る。あなたがそれをすると人権侵害になる。
大切なのは『それを女性が良しとしているかどうか』。それを決める権利はすべて女性本人にあり、女性は誰にもおもねることなくそれを決められる。
「実在の女性を性的に見て楽しむこと」と「性的なイメージを見て楽しむこと」は違う。
「①日本赤十字が」「②公共の場、誰の目にも入りうる場所で」「③女性を性的に描いてきた歴史のあるアニメ漫画的イメージを使って」「④公共性の高い事業のプロモーションをした」から、問題になっている。
①誰が言うか
メッセージというのは、誰が言うかでその意味が変わってくる。隣の家のおばちゃんが言うのと、小泉進次郎氏が言うのとでは、その重みや社会への影響力が異なる。だから、何かが発言されるとき、それが誰のものかということは重要である。
②どこで言うか
同じ小泉進次郎氏の発言でも、どこで言うかで、意味や影響が異なる。小泉進次郎氏は、たとえば「石油でトイレ流したいな〜」とテレビの前で言うとヤバイが、クリステルだけにそっと打ち明けるぶんには問題ない。誰に届けようとしているか。発言された場所を見ればそれが分かる。
③何を使って言うか
メッセージを伝える手段はいろいろある。いろいろあるので、伝えたい内容を効果的に伝えるのはとても難しい。ときには、意図しないメッセージが伝わってしまうことがある。見る人が多く、発言者に社会的な責任が多くあるほど、その内容は慎重にならなくてはいけない。たくさんの人が見るほど、その解釈も多様になってくるからだ。
④何を言うか
一見、これがもっとも大切であり、①②③はそこまで重要ではないように思われるが、それは誤りだ。何かを伝えようとするとき、これらの事項は絶対にセット商品として扱われるべきだ。たとえば、何を言っているかだけを見て、その行為を判断することはできない。誰が言っているか、どこで言われているか、どのように言われているか、それらをひっくるめて考える必要がある。
「萌え絵」とは、エロゲーをルーツに持ち、人間の身体的な特徴をディフォルメし、大げさに描くことで、独特の雰囲気を持つイラスト、とここでは定義する。
そして、そのディフォルメの目的は明らかに、身体を魅力的に描くことであり、さらには、それを見る人の目を楽しませ、性的な興奮を呼び起こさせることである。
「萌え絵」は禁じられていない。
「萌え絵」を見て楽しむことも、禁じられていない。
「萌え絵」を買ったり所持することも、禁じられていない。
理由はいろいろあるが、ひとつは確実に、児童ポルノなどと異なり、「そうすることで、誰の人権も侵害されていないから」だ。
しかし、その、③「身体をディフォルメして魅力的に描いて」、「人の目を性的に楽しませる」という趣旨のイラストを使って、
①日本赤十字が
したら、どうだろうか?
その行為そのものは、禁じられてはいない。現に日赤はポスターを撤去してもないし、謝罪もない。そして、する”義務”もない。
しかし、この4つの要素があわさったとき、そこから発せられるメッセージは本当に、
ということだけだろうか?
もちろん発信者はそのつもりだったに違いない。
ここまで読んでくださったみなさんには、きっと分かってくださることと思うが、メッセージはときに、発信者の意図しない隠れたメッセージを伝えてしまう。
そして、そのメッセージによって、傷ついたり、安全を脅かされたりする人がいることを、発信者は常に意識する必要がある。
つまり、ここで伝わってしまう恐れのある、発信者の意図しない、隠れたメッセージとは、
「女性の体は、目で見て楽しむためのものである」というメッセージである。
そのメッセージが、誰の目にも触れる可能性のある、公共の場で、日本赤十字によって、発信されている。
これがアニメイトなら、アニメ好きだけが見るので、まだ良かった。
Twitterだけのキャンペーンなら、アニメクラスタの間だけで拡散されるので、まだ良かった。
やってるのが、雅子さまが名誉総裁を務めておられる日本赤十字ではなく、一般企業や個人なら、また意味が違ってきた。
揃うと、どうなるか。
そのメッセージがある空間、そしてそのメッセージが許される社会で、「すべての人には人権があり、その人の体は、その人だけのものである」という意識を、みんなに持ってもらうのが難しくなる。
自分の体を、許可なく性的な目で見られたくない人は、その社会では安心して生活できなくなる。
ポスターによって、直接傷つけられたり、悲しい思いをしたり、個人として尊重されないような事態は、発生しない。
しかし、そういう社会づくり、人権の守られない、安心して暮らせない社会づくりに、確実に貢献してしまっているのである。
目に見えて血を流す人がいないから、その表現には問題がないと考えるのは、あまりに短絡的だ。
数字として出ない、影響がわかりやすく見えないことだからこそ、慎重になる必要がある。
「宇崎ちゃんがセクシャルな意味合いを含む萌え絵で、献血ポスターにふさわしくないことは、甘んじて認めよう。では、同じまどかマギカでも、マミさんはダメで杏子なら良いのか?」
これは本当に難しい。胸がこのくらいくっきり描かれていたらアウト、とか、このくらい頬が染まって困り眉をしていたらアウト、などと線引きをすることはできない。
では、どうしたらいいんだろう?
議論をしたらいい。公共の場は、どうしたらみんなが安心して過ごせる場所になるか。萌え絵が好きなオタクは、どこに行けば誰の尊厳も傷つけず、自由に萌えを叫べるのか。ボランティアによってなされる献血の尊さや、明日にはあなたが献血に救われるかもしれないことを、まっすぐに伝える広告とはどのようなものか。
声をあげよう。間違っていてもいい。いっしょに考えよう。自分と違う意見の人を、クソなんとかとか、バカなんとかと貶めるのをやめて、同じ社会に暮らす自分と違った考え方のひとりの人間と認めよう。相手の顔が見えないインターネットでは難しいかもしれない。それでもインターネットだからこそ時と空間を超えたフラットな対話が可能なはずだ。
話し合おう。萌え絵が好きな人にも、ロリコンにもショタコンにも腐女子にも進次郎にも、あなたにも人権がある。人権の概念は、まだこの社会に浸透しているとは言えない。あなたにもきっとあるはずだ。こんなことをされたくないとか、自分を大切にしたいとか、悔しく思ったことが。そんな思いをしなくてもいい社会を、次の世代にプレゼントしよう。
あんま知らんなぁ
増田には悪いが、自分にはむしろ貴方を含むフェミニストの方が思考停止に陥っているように見える。
という現状を認識していながら、統計情報を使った検定で表現と苦痛の関係性を客観的に示すような
アプローチを選択せず、自分たちは辛い、苦痛を感じていると頭ごなしに繰り返しているのみ。
などと口先でいうばかりで効果量を実際に示そうとはしない。根拠を要求されても無視を決め込む者が大半。
女性のためのコンテンツであることは、性的に消費されることを許容していないことの理由付けには必ずしもならない。
このように理論的に全く的外れな内容を書いて反論した気になっている人間を、十分に思考しているとみなす人は少ないだろう。
こういった表現物に激しい目を向けるフェミニストには総じて自分たちの主張に客観的に判断可能な根拠を与えようとしたり、
結局、罪悪感を持たない詐欺師であればあるほどいい思いをするように出来てるんだね、今の世の中って。
子供の頃は、頑張ってる人、才能のある人、すごい人がちゃんと報われる世の中なんだと思ってた。
だから自分もそうなれるようにずっと頑張ってきたけどその思い込み自体が大きな間違いなんだって事を知っただけだった。
検索してようやく見つかるようなクローズドなものまで標的にしているから何も考えていないと思うよ。
「真空パック アダルトビデオ」で検索して吐き気。仮に作り物であったとしても、あれに性的に興奮するのは猟奇的。猟奇的な嗜好も内心に留まるなら自由だけどその嗜好が表出した表現物には恐怖を覚えるとしか。本当に真空パックにしているなら即刻全現場でやめるべき。死人が出かねない。— 弁護士 太田啓子 (@katepanda2) September 3, 2017
去年までは1本しかなかった、というのなら、数年での変わりようじゃなくて1年での短期的変化だし、次も急激に変化することも十分ありうるだろ。