子供の頃から「なんとなく感覚がふつうの人とズレてる」ことを感じてきて(抽象的な表現で申し訳ない)、でも多数派に迎合したほうがラクだと思ったので「この人は何を意図してこんなことを言ってるんだろう」「どんな思考をするんだろう」と考えて応対しつづけていった結果、誰とでもかなりスムーズに過ごせるようになった
けれどやはり考えることは疲れる。同棲を始めて半年、気を遣うところと気を遣わないところのバランスが未だにうまく掴めない
元気な時はいい。けれど疲れているときにどうしてもオフの時間に何人とも話したくない時間が出てしまう。誰にも何にも見られない一人きりの世界でぼーっとしたくなってしまう…
相手は配慮してくれてるし何も強制されないけれど、出張から帰ってきて私と話すと「一人よりこうやって話せるほうが楽しい」と言う。
人といるほうがずっと気を遣うのに。きっと相手はそうではないのだろう。もう全て剥がしてしまえば良いのでは、本当の自分を晒せないなんてパートナーではないと言われるかもしれないが、もうこの生き方は20年以上共にあって今更変えられない
私は「ふつう」じゃない癖に、「ふつう」になりたくてそれで一般的なレールに沿って恋愛したり同棲したり結婚しようとしてるんじゃないかとふと不安になる。自分がそのレールに乗っていることに満足したいだけなんじゃないかって
考えすぎなのもわかる。ああ そんなことウダウダ考えなくていいような「ふつう」に生まれたかった
「ふつう」ではない私には代わりに創造性がある 仕事はできると褒められるし人前でのプレゼンも得意だ 料理も好きそれがギリギリ自尊心になっている だけど1LDKに人といるだけでこんなに息苦しくてどうしようもなくなって家に帰りたくない時が来る
面倒くさい ピーキーだ みんな部屋に人がいて相手が今何考えてるかな 話したほうがいいんじゃないか でも面倒くさいな そか考えないよな 自分のことばっかりな自分に嫌気がさす あ〜〜引きこもりたい…
生まれてこの方「なんとなく考え方がふつうの人と違う」ことを感じ続けてきて、「この人はこんな風に考えるからこんな発言をするんだ」ということを分析して
その「普通」は成ろうとして近づいても辿り着かない蜃気楼だから無駄な努力はやめるんだな
自分はとうに諦めて離脱した たまにふとこれでいいのか?と思うけどm他人と狭い空間を密に共有する自分を想像してはゾッとして今が最高〜〜て思い直す 無理は禁物 形変えてもしま...