しかもその理由が「主人公(読者主観)が嫌な奴と決め付けただけでほんとは嫌な人なんかいないんだよ」みたいな
主人公に嫌なことをしてくるキャラに本当に嫌な気分を持ったわけでしょ。
なのにそれを
「相手を決めつけて人を憎む心が良くないんだよ」
みたいな作者からのやっすいやっすい説教でまとめられると本気で憎悪が巻き起こるんですけど!
こっちはあんたの作った無理のある話にも敢えて冷めずに乗って、
あんたのフィクションに没入するために自分とは全然違う主人公の境遇に身を重ねたんだよ。
それをなんで作者のあんたに上から目線で説教されなきゃならんわけ???
ごっこ遊びを自分から持ち掛けておいて付き合った相手に「何真面目にやってるの?」って言うのとどう違うの?
それで、嫌なキャラの行動に繊細な伏線が張り巡らされてあって、
種明かしをしたら確かにどこにも悪意は無かったーみたいな
読者がアハ体験出来る仕組みになってるとかなら楽しいからまあいいよ。
でもそういうんではない。
確かに凄い悪意を持って実害与えてるし。
もしくは、綺麗になる過程が「改心」として扱われて
嫌なキャラの嫌な行動の理由とそこから考えを変える切欠になった事件や反省や辛酸が丹念に描かれるならまあいいよ。
ちょっと古いけど、悪役セキュリティサービスで登場して正義を目指す政治家で終わったプリズンブレイクのケラーマンみたいにね。
そういうのどっちもなくて、
「え?なにこれ?」って混乱する読者に対して
「人を決めつけて憎む心が良くないんですよ?ん?」って説教してくる作品はマジで氏ねと思う。
そっちの用意した主人公に心を重ねて鑑賞してたのにそこを非難てどういうこと。
もう当たり屋じゃんただの。
なるほど。自分の場合、自分がブクマしたい記事と、カテゴリ新着を整理するのは、方向性が違うので、必ずしも「カテゴリ整理をした=ブクマしたい」訳ではないんですよね。個人的には評価していない記事に対して1ブクマ与えるのもなんかなぁ……。と思いますし。
正直なところ、はてなブログ枠は新着には載りやすいですが、そのまま抜けてしまう事も多いので数時間後にはさっぱり流入が無いという状態です。ホッテントリに入っている場合は息が長くなったという程度にはなります。
アクセスログを分析している限りでは、新着・ホッテントリには非常にライト層が集まってますが、カテゴリー別になると「分かっている」ユーザーの割合が多くなるので、カテゴリーが何であっても気にしない方も多いように感じます。
はてなブックマークは、個人の要素とソーシャルな要素が複雑に混ざっているサービスですので、どのような基準をもってカテゴリー変更を行っても必ず対立した意見が出ます。画面の向こうには必ず相手が居るので仕方がありません。
自分のペースで良いのです。「この記事はカテゴリーを直した方がより良い」と感じる物だけでも変更する人だって居ます。
個人的には、その方がサービスとしても末永く生き続けて、記事を書いた人もブックマークをした人も前向きに発展できる、いい意味での互助になるかと思います。
増田もその娘も闇が深いな 嫌いじゃないよそういうの
のび太だった僕が、ジャイアンになっても、のび太を救っても、結局出木杉だった話
のび太だった人間からすればジャイアンだった僕は相当不幸になってなければ腑に落ちないだろうけど、僕は実際こんなものです。
のび太からすればジャイアンにされた事は一生ものだけど、ジャイアンは若気の至りとか胸糞悪い言葉を便利に使って片付けるよ。
のび太だったり、ジャイアンだった僕は結局、友達も恋人も居ない出木杉だけど後悔はしてないよ。
のび太の僕は、ひどい目に合えば、あえてへらへら笑って強がって、親に心配かけないようにって、健気な自分に陶酔してたよ。
そんなもの何の解決にもならなかったよ。
自分にはできない理由や言い訳、人の性にするのばかり上手なのび太もいるだろうけど
これは無職ニートやってたことある自分の経験則だけど、無職は社会人に比べてガッツリ趣味を追求できるかと思いきや決してそんなことはなくて、むしろ社会から隔絶された状態で時間だけあると逆になんもやる気にならなくなるし、社会で働いてそこそこ忙しいほうが逃避行動としての趣味も捗るんだよな。— みつば (@san_you_chu) 2016年4月24日
確かに思ってるよりは趣味の追求捗らないけど、学校行きながらや仕事しながらの時よりは完全に暇だった時の方が少なくとも倍以上はアニメ見る時間もゲームする時間も捗ってた。
1日で2クールアニメ全話一気に見るとか、ゲームを何十時間も通してやるとかできるからね。
さらに一人暮らしで趣味がインドアなものなら食料買い込めば風呂も入らず何日も誰の目も気にせず趣味に向かうことができるし疲れたらその時に寝ればいいだけ。
あと、その方が肉体や精神の疲労回復に当てる時間が要らない。ただ趣味に時間を費やしたことでの疲労をとればいいだけ。
仕事しながらだと仕事の疲労もとりながら趣味の疲労もとらなきゃならないから疲労回復に倍近い時間が必要になる。
引用したツイートでも書かれてるけど純粋に趣味に興味が向かっている奴と、逃避や疲弊した精神の休息のために趣味に向かう奴の差があるんじゃないかな。
つまり、忙しくないと趣味が捗らない奴ってその趣味への興味が純粋なものじゃないってだけのことじゃないかと思う。
もちろん平気で時間を全て趣味に費やせるだけの資金や地位、精神的な開き直りなどがないと…という問題はあるし、
趣味に使うための資金を稼ぐという意欲を持って仕事をしてそれを趣味に使って楽しむ…という相乗効果が狙える意味でその方がいい場合も大いにあるだろうけど。
写真、映画、評論系、歴史、軍事の知ったか系もすごい。いちじにわか茶人もいたな。
このレベルでよくも人前で吹聴できるもんだと呆れるが、無批判にありがたがる読者に囲まれて有頂天になってる。
まあなんだ、ドアを閉めわすれたカラオケボックスか公然猥褻趣味の露出狂だと思って放置するほかない。
理由は以下。
1芸術や茶などは将来よくなるかもしれない。若造を若いといってぶち壊して未来を暗くする必要はない。
2こんなのにかかわるヒマがあるなら自分の作品つくったほうがマシだから。
ネットの力で人を追い詰めることに全力だろ、はてなーの意識高い連中は。
自分が世界を回す、いや世界が俺を中心に回ってない、それは許せない、ってタチの連中じゃん。
誰が見ても変なカテゴリーに入っている以外は、トラブル防止のためコメントに「こういう理由だから変更した」と書くことがありますが、理由が常識の範囲内であれば納得できるのでは。他のユーザーが困るような変更を抑制するための注意文でもあります。
なるほど。自分の場合、自分がブクマしたい記事と、カテゴリ新着を整理するのは、方向性が違うので、必ずしも「カテゴリ整理をした=ブクマしたい」訳ではないんですよね。個人的には評価していない記事に対して1ブクマ与えるのもなんかなぁ……。と思いますし。
とはいえ、混乱を招くなら、新しいアカウントを作って、それでブコメ+カテゴリ変更するのが適切かもですね。
1週間やってみた感想としては、カテゴリ変更って結構難しい。「誰が見ても変なカテゴリー」「常識の範囲内」と言うけれど、実のところ、たぶんその常識とは十人十色なんだなと実感します。明らかに「テクノロジーじゃないだろ」と思って変更した先でも「いや、おもしろじゃないでしょ」と言われる可能性は大いにあると思います。そして、おそらく大抵の人は「自分の読みたくないエントリは、どういう流れであっても、読みたくない」という意識が根底にあるんじゃないかと想像します。たぶんですね、互助会やはてなブログで持ち上げられた内輪エントリーって、結局の所、外部の人は誰も読みたくない記事だと思うんですよ。身内で楽しんでる文化祭のドンチャカ騒ぎを見る感覚に近いです、お客さん置いてけぼり。200記事分変更したという事は、もちろん200記事以上読んでるって事なんですけれど、ハッキリ言って、本当に面白くない。とはいえ、少しでも適切と思われるカテゴリに変更したら、3ブクマ以上稼いでる以上、どこかのホッテントリには載るわけです。やっぱり変更先のカテゴリーファンから見て「読みたくない」と思う人はいるわけで、みんな微妙な気持ちになると思うんですよね。自動分類よりも幾ばくか、カテゴリとエントリの合致制が高まったとしても、読んだ人のモヤッとした感情は、どうやっても拭えないというか……。これはちょっと、行き場がないよなぁ。とも思います。
まあ、地道にやってく他ないと思います。私は別にはてなからお金貰ってるわけじゃないし、変更した所でもしかしたら誰かが怒るかもしれないけれど。私にとっては互助会を叩くよりもカテゴリ変更の方が解決の近道じゃないかな。って思うので、ちょっとの労力を払って、もう少し様子を見ながらやってみようと思います。
新学期、娘の通う幼稚園でクジを引き、父母会の役員になってしまった。
と、同時に区の私立幼稚園PTA連合会の理事も兼任することになってしまった。
最初の2週間くらいは「私に出来るのだろうか」と不安で不安で眠れない夜も
あったが、娘や娘のお友達が喜ぶために精一杯頑張ろうという気持ちにやっと
なってきた。それは、父母会の役員に関してだけだ。これは、幼稚園のバザーや
運動会や、幼稚園行事の運営であり、子供達に直接関係のある行事だからだ。
父母会の活動を頑張れば、子供達の笑顔を見る事ができる。考えてみれば、
しかし、先日、PTA理事会に初めて出席をして、疑問と不安と怒りが沸々と
込み上げてきた。PTA協会の上層部のおじさん(役職は忘れた)が、PTA協会の
会費では運営が難しくなってきたので、来年か再来年に会費を上げたい旨の
挨拶をしていた。が、実際、PTA役員達のやっていることは、話し合いの後に
必ず付いてくるランチ。このランチ、必要?豪華ランチが食べたいための無理やりの
集まりじゃないの、って思ってしまう。そんなランチ食べるお金があるなら
会費を上げたいなんて発言はやめてほしい。
あと、忘年会の催し。各地区毎にお母さん達が歌ったり踊ったりの催しを義務付け
されている。なぜ?忘年会自体必要ないし、なぜ、あの上層部のおじさん達の
前で踊ったり歌ったりしないといけないの?北朝鮮の喜び組と変わらないよ。
向こうはお金をもらって仕事でやってるから、まだマシかも。こっちは、9月ごろ
から毎週練習に出かけて、忘年会当日はおじさん達の為に踊らなきゃいけない
なんて、親が聞いたら泣くよ。数年前は、「26,000円ありがとう」なんてタスキを
肩から掛けさせられてお母さん達踊ってたそうな。26,000円は江戸川区の私立
幼稚園の補助金金額だ。税金等払うもの払っての補助じゃないの?それを、
わざわざタスキを掛けられて踊らされるなんて、なんという屈辱。ほとんどの
お母さん達が「この1年だけ我慢すれば、この1年だけ我慢すれば」という気持ちで
やっているはず。私も今年の年末には喜び組の一員にならなければいけない。
それを考えるだけで胃が痛い。泣きそうだ。