はてなキーワード: 赤木とは
齋藤孝ではこうは行かない。彼は見た目の通りインテリ眼鏡って感じだが、
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111013/1318467309 (世の中ってのはこういうもんなんだ。私は私の好きなようにやるぜ)
のあとに
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111013/1318467309 (最後は根性よ!自分が正しいと思うことを貫いてたらきっとみんな分かってくれる)
という記事を書く、その流れの完璧さにもう萌えが止まらない。さやかとあんこがイチャイチャしているようにしか見えなくて困る。
わたしこういう人物像が大好物どまんなかなんだわ。
いや、憧れるじゃなくて、自分もそうなるのだ、ならなくてはいけないと決意する。
自分をそういう人たちと一体化させて、同じように行動し、同じように思考しようと普段から務めるわけだ。
まぁたいてい自分は強くなったけど誰も周りはついてこないってオチになるよね。
そうやって張り詰めた生き方をしている人が、ふと孤独を実感する瞬間でうおおって興奮する。
そんな時に、ちょびっと不安を覚えながらも、自分は間違ってなんかいないと涙を拭いながら、
夜中に一人でボールを磨いたり、魂の書を読み返したり、家族の位牌なんかと会話したりとかね。
さらに、実は一人じゃなかった、数少ないけれど、自分を理解してくれる人がいたってことがわかる瞬間が続くと・・・鼻血出そうになる。
さらにさらに、そういう子が、仲間と一緒に挫折を乗り越えて何かに到達するってなところまで来ると・・・
もうベタでもなんでもいいよ。これぞ物語だよ。すべてを許せる気分になるよね。
最も有名なシーンは「SLUM DANK」の赤木とメガネ君だと思う。
あの時のメガネ君が輝いて見えた、あるいは涙で霞んで見えたのは私だけじゃないはず。
いまこういう熱血シーンは少年漫画ではできなくなって全部少女が行うようになってる。
「少女ファイト」とか「ロウキューブ!」とか「ゼロの使い魔」とか、
「神のみぞ知る世界」の空手娘とか、作品名忘れたけど剣道部のポニーテールの主将さんとか。
最近で言うと「輪るピングドラム」のりんごちゃんとかもあのまま貫いてたらいい感じだね。
「真剣で私に恋しなさい!」の川神一子なんかもすごく良い感じ。
とにかく私はこういうのが好きなんだ。
そういや「百年の孤独」とか軒並みSFって、スケールや壮絶さが全然ちがうにせよ大枠ではこういう話だわね。
こういった、今は「女の子の特権」みたいな印象がある話を、女でない、若者ですらないオッサンが頑張ってる。
これを新たなムーブメントとしなくてどうするよ。
「働きマン」でもあったじゃん。50歳からの女子高生と恋愛する物語を企画して成功する話が。
お前ら「うさぎドロップ」みて、ニンマリしただろ? オッサンになっても人生終わりじゃないよ。むしろこれからだよ。
そう言ってくれてるように思える。応援しなくてどうするよ。
こういうのが大好きな私にとって、「もしドラ」という作品がいかに期待を裏切るクソ小説であったかは分かっていただけるかと思う。
多くの人がもしドラを「良質の百合」と表現した。私もそのとおりだと思う。途中までは完璧な展開があった。
来るべきラストシーンへの期待に胸をふくらませ、ドキドキしながらページをめくったわけだ。
そういう話じゃねーからコレ!
「ナルキッソス」やってんじゃねーんだよ。「いつから半分の月がのぼる空」になったんだよ。
そういう物語をやれる構成じゃなかっただろうが。なんでいきなり路線変更してるわけ?
おとなしくスラムダンクやってりゃよかったんだよ。「本当、女子高生は最高だぜ!」で何が不満だったわけ?
「小説の読み方の教科書」で「筋書きを予想しながら読むべきではない」ってドヤ顔で書いてたけどそういう問題じゃねーよ。
筋書きはぶっ壊せばいいってもんじゃないんだよ。読者の予想を裏切れば良いってもんじゃないんだよ。
それならそれで、納得出来るだけのものを書けなきゃいかんのにできてないやん。
夕紀の死を支えるだけの備えなんて物語のどこにもなかっただろうが。徹頭徹尾二人の物語だったろうが。
書かれていない行間からチームメイトとの絆を読み取れっ・・・てそりゃねーわ。
わけがわからないよ。これコミック版でどうにかなるのかよ本当に?
彼にはまだ「この結末」が書けなかったのだと考えた。
逆に考えるんだ。ハックルさんはまだメガネ君がいない未完成、つまり一番美味しい状態だと考えるんだ。
1何度も何度も論じられてきた古い問題に、遅れてきた人がコロンブスの卵を主張してどや顔で叫ぶ
2その見苦しい光景を見て、先行者が呆れ顔でまとめたり、いらぬ茶々を入れる。
3呆れられているのではなく俺の言ってることが素晴らしすぎて理解出来ないと勘違いしている1側の人が
これまたドヤ顔でお説教を始めるが途中で自分が周回遅れであることに気がついてトーンダウンする
4最後まで空気が読めないキチ○イが語尾に「にゃ」とか使う奴が出てきて会話がぐちゃぐちゃになる ←イマココ
5俺以外に語尾ににゃをつかうやつは許せんと地下猫先生がマジギレしながら参戦しサヨクとか赤木とかを巻き込んで今日も平和なtogetter村
話題については、じゃあ女をビッチ呼ばわりしても言葉狩りしないでくれと言いたい。
真面目な話、男ってのは一定の年代超えたら童貞以外は清純な女よりビッチな女のほうが好きになるんです。
ところが男がビッチ好きだって言うと初な女性とか枯れたおばちゃんが猛反発してきてうざいから仕方なくくそつまんない、幼稚な女についてしか語れないんだっての。
男が語る女像がイツマデタッテモ進化しないとか憤るバカ女どもは、まずお前らの幼稚さを何とかしろと言いたい。
男に何と言われようと、まず少なくとも女はビッチに対して寛容になれないようじゃ、基本的に気弱な男たちが成熟した女性像なんてことを語る日は永遠に来ないよ。
まどかマギカの脚本家はビッチ好きが一周して魔法少女萌になったという話は本当ですか? できれば15年後のあんことか見たいです。
いささか語弊はありますが、差別を問題にするのがリベラル、格差を問題をするのがソーシャルといえば分かりますか。
赤木さんはリベラルじゃ自分が救われないと気づいたので、実はソーシャルにシフトしたにもかかわらず、それを脱「サヨク」と自己認識してしまったのですよ。
そこに、反戦平和という特殊日本的サヨク思想が絡まるから話がますますややこしくなる。
ごりごりのソーシャル左翼にとっては、戦争は社会主義への最短コースですから本来大変歓迎なのです。
その意味でも、赤木さんが「希望は戦争」というのはソーシャルの王道なのですよ。
ところが、戦後日本的反戦平和いのちのリベサヨさんにとっては、「希望は戦争」というソーシャルな発言が一番けしからんという倒錯した反応になってしまうんですね。これも、話をこんがらからせる一つの要因です。
特務機関とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%8B%99%E6%A9%9F%E9%96%A2
主に軍隊または準軍事組織における特殊軍事組織をいい、諜報・宣撫工作・対反乱作戦などを占領地域、或いは作戦地域で行う組織である。(略)
15年間何もしないのに給料もらってたの?
自衛隊を考えれば、何もしないで給料をもらってくれるに越したことはない。
どういう理由でネルフ志望したんだろ?
博士にあこがれてでいんじゃね?
基本的に非戦闘員を主とした諜報機関だから、戦闘員がメインの突撃部隊には負ける。
迎撃設備関連も、もともと対生命の実を食べた使徒用であったり対人間用ではないので弱かったり、向うの方が上部機関だから情報漏れていたり。
という設定だった気がする。
自分を代弁できない者は、容易に、他者に代弁されてしまう、
したがって、主体として扱え、
ということなんだと思うんですが。
で、主体として扱わないやつに限って、援助交際している、と。
(若い女を内心見下しながら、性欲の対象にしている、とか)
なんだかみんな、「性的主体」っていう部分より、「13歳」とかいった部分に引っ張られすぎてるように見える。
コメントしてるみんな、文章、長すぎだよ。読むのめんどうだよ。
あと、
いちゃもんつけてた佐藤亜紀さんが言っていたのは、わたしの理解では、
「性的主体として扱う」って、それ、性のゲームに参加するプレーヤーとみなすってこと? 13歳を!? キモイ!!
って感じかなと思いました。
ひとつ言えるのは、
過去に自分が、実際に、「13歳」にセックスに関してアドバイスしたことがあるならともかく、
そうでなくて、勝手に、「もしそのような13歳がいて、自分がアドバイスしたとしたら……」(非実在青少年ってやつですかそうですか)
みたいなこと考えても、しょうがないと思う。あほらしい。
そんな「13歳」を想像したら、悲惨なイメージしか浮かばないのは、当然だと思う。
それは、「想像力」とは呼ばない。ただのバカだと思う。
あるいはオレがバカ。どっちかだ。さあ、えらべ。
これは自分でも極論だと思うし、どこかがおかしいのは確かだと思うのだが、どこがおかしいのかよくわからないし、人文系音痴の俺には適切な文献を探すことすらできなかったので、誰かが教えてくれることを期待してここに書く。
これを書くきっかけは赤木氏のブログ記事「アグネスは子供の権利をないがしろしている」( http://blog.livedoor.jp/shimanekoblog/archives/1410043.html )とそれにまつわるtwitter上での議論「13歳のセックスする権利」( http://togetter.com/li/28748 )、およびそのブクマを見て違和感を覚えたことだ。。見ればおわかりの通り赤木氏は、フェミ系とおぼしき人を中心に徹底的に叩かれており、同情的な意見はほぼ皆無に見える。確かに赤木氏の言っていることは極論であると私も思う。しかしそれを批判している人にもどうしても違和感を覚えざるを得ないのだ。
赤木氏を批判する側の言うとおり、13歳は性的主体として未熟すぎ、自己責任の原則を適用するのは無茶だと思う。つまり、13歳を性的主体として考えるべきではないのだろう。
しかしながら13歳という年齢は十分性欲もある年齢だ。とすれば、放置しておけばいきさつはどうあれ現実の行動に走ってしまう子供達はいる。それも、同年代同士の恋愛の帰結というような、13歳という年齢を考慮に入れなければ非難することが難しいような経緯のあげくということもあり得る。
これにはどう対処すべきなのだろうか。大人の視線で言えば、ともかく13歳が性行動をすべきではないということになろう。となれば、純潔道徳を推進するというのが論理的に正しい帰結のように思えてしまう。
しかしながら、「純潔」の「じ」の字でも口にしようものならこれまた、赤木氏以上の勢いで血祭りに挙げられることは間違いないのだ。
だとするといったい、この年代の子供をどう扱うべきなのだろうか。世間の良識がどのあたりにあるのか、本気でわかりかねている。
実際俺自身が中高生だった頃は、自分自身を純潔思想で染め上げていた。誤解しないで欲しいのだが、私は何らかの宗教の熱心な信者などでは全くない。単に「責任が取れないことはすべきではない、従って未成年は純潔たるべし」と思っていただけなのだ。そして奥手な男子校生としては、自分が「過激思想」を持っていると気づく余地もなかったし、それで現実とのギャップに何の問題も起こらなかった。
ショックを受けたのは大学入学以降で、周囲が何の疑問も持たずに「恋人がいれば肉体関係になるのが当然」という価値観で行動しているのが理解できなかった。完璧な避妊法なんてないのに、みんな誰もかれも、いざとなれば大学中退して子供を養う覚悟が据わっているともとても思えなかったからだ。もちろん、全員が俺のように考えないのが間違っているとまでは思わなかったが、俺のような考えが「極論」として一笑に付され、何の検討にも値しないかのように扱われたことはショックだった。今の感覚で言えば、うっかりシー・シェパードの本部に紛れ込んでしまったらこのような気分になるだろうか、それほど絶望的な孤立を感じた。
その後周囲と話していて、そのあたりの感覚は高校以前の段階で確定してしまっていることがわかった。つまり、世の常識は良くも悪しくも、「中高生の少なくとも一部は性的主体として認められるべし」なのだ。
そこで俺はますます混乱してしまった。当時、児童ポルノ論議が始まった頃だった。つまり世間様の言っていることは「中高生は性的主体」だが「中高生を性的客体にすることは児童虐待」なのだ。まるでわけがわからなかった。
現在は自分が社会人となっているので「純潔」云々を自分の問題として真剣に悩む必要はなくなったが、それでも未だにこの件はわけがわからない。
こんなことを考えるのは俺だけなのだろうか。だとしたら俺の何がおかしいのだろう。ショックを受けてから十年以上経ったが、未だにまるで見当もつかない。
どこかで見たアメリカンジョークをご紹介する。
深夜パトロール中の警官、路上駐車を見つけ、取り締まるべく近寄っていった。念のためと中を覗くと、そこにいたのは若い男女。これはお邪魔だったかと回れ右をしかけたが、ふと気づいた。この二人、見つめ合うでもなくただひたすら時計を見つめているのだ。
警官、思わず声を掛ける。「君たち、何をしているんだね」
男が答えた。「日付が変わって彼女が18歳になるのを待ってるんですよ」
これがジョークとして成立すること自体、現行法体系における児童ポルノ・児童性愛の定義に無理があることを表しているのではないか。現行法の定義で児童ポルノ・児童性愛として人の道にもとる悪と処断されてしまうものの中には、実際には問題がほとんどないものがあるからこそ、このようなジョークが成り立つわけなのだから。つまり、現行の児童ポルノ・児童性愛の定義は、「百人の罪人を見逃すとも、一人の冤罪を出さない」という現代法の精神と矛盾を来しているということなのだ。それがなぜか、自分が児童性愛者と名指されたくないためなのか、誰もが「王様の衣装が見えないやつは非国民」だと心から信じている振りをしているように思えてならない。
そもそも、児童ポルノ規制の議論をするのであればこのあたりをまず議論しておかなければ、ただの偽善家同士の争いにしかならないのではないか。中高生を性的主体として認めるのであれば、買売春の主体と認めないとしても、中高生を性の対象にすること自体はともかく罪悪ではないということになる(でなければそもそも中高生時代の俺自身を含む、ほとんどすべての人が憎むべき児童性愛者であったことになってしまう)。盗品を買うことが盗みをすること以上に罪悪になり得ないのと同様、「若気の至り」の記録を蒐集すること自体を人の道にもとる悪として断罪することは明らかに行き過ぎであり、単純所持を微罪以上のものとして処罰することには根拠がなくなるだろう。
実際憶測だが、児童ポルノの多くは「被害児童」の買春の結果として撮影されているのではないだろうか。その「被害児童」が本当に全面的な同情に値するのだろうか?少なくとも、当事者を性的主体として少しでも認めない、即ち純潔教育を否定するのであれば、本人が「児童ポルノ製造」に多少なりとも「主体的に」荷担していることは確実なのだ。その種の児童を売春した者、あるいはその記録を蒐集した者の罪は、どう考えても成人に対する強姦や強制猥褻といった典型的な性犯罪に比べてはるかに軽いものとしなければ理屈が通らないだろう。
つまるところ、純潔思想を肯定して、「18歳未満の児童には何人たりとも指一本触れてはならぬ」とする覚悟なく、児童ポルノのあらゆる「被害児童」を純粋無垢の「被害者」として押し切る思想はどこかでその種の「いいところ取り」をしているとしか言いようがないのだ。だからこそ、この議論は宗教論争のようになってしまって、いつまでも収拾がつかないのではないか。
とはいえ、だったらどうすればよいのかと問われても、このような事情でなかなか解決策が私にはわからないのだが。
ここから先は、単純に「説教」の類になるので、聞かなくてもいいですが、もし仮に気分を害したのが私ではなく、もっと立場のある人であればこうしてあなたにコンタクトをとる事なく、あなたを見切る可能性があります。特に、対立した意見を持つ人とのやり取りに際して対話が終わった後に、気軽にそのことについて他人にしゃべったりすることはやめた方がいいです。愚痴であいての信頼を損なう事は、あまり得策ではありませんから。もっとも私もよく愚痴ってしまうのですが。ともかく、今回の誤読については、私の責任ではあります。ただ、それと同時に「思った事をつぶやく」ことの「重さ」や「怖さ」を理解していただけると、あなたの今後に繋がると思います
(意訳)
私が怒ってるんじゃありませんよー。あくまで仮定の話だよー。一般論だよー。
わたしもついやっちゃうんだ。仲間だね。でも僕は君がブロックするまで、説教するのをやめない!
私はあなたのことを心配して言ってあげてるんだよ。だから上から目線でものを言ってもいいんだよー。
ところで、私のメッセージは@つきで送るけどあなたには話を聞かない自由があるよ。
いやならブロックすればいいじゃん。だから私に文句を言う権利はないよー。
TLをさかのぼってみると、この人は「主体の尊重」とかたいそうなことを主張していらっしゃる。尊重すべき主体に対して言うべきことがこれか?もしそうなんだとしたら、この人のいう主体ってのは何なのだ?少なくとも私の定義では、彼自身に、自分の発言の責任を受け止められる主体がないということになる。あるいはこの人の言う主体が、自由や権利はあっても責任はない特別の概念のようだ。主体がない人間が主体の尊重を主張する。これは笑いどころなのか?それとも超スピードより恐ろしい何かなのか?
そっすね!そこ誤解されたら赤木好きとして辛い所なので良かったですよ。
私の両親と妹はリア充だ。
学生時代はまだ良かった。
「私があんたくらいの時は、私の為なら何でもする男がいっぱい居たのに、あんたは彼氏の1人も作らないで、格好もかまわないで」
と説教されるくらいだった。
しかし結婚適齢期が近づいても彼氏1人作らずオタクをしていたら、親がとても不安そうになってきた。
私の好きな天って漫画を読んで
「お前もこの赤木ってキャラみたいに、何も持たずに生きて死んでいきたいって信念を持って生きてるんだね」
と真顔で言ってきた。
いや、そんな信念ない、私ワンピの影響で海賊関係の書籍片っ端から読んだり、アカギの影響で麻雀ルール覚えたりするけど、スラダン読んでバスケ部とか沈黙の艦隊読んで自衛隊みたいな、好きな漫画で人生変わるタイプのアクティブなオタク違う。
そもそも私が貯金大好き堅実派って知ってるでしょう、ってゆーか心にグサグサ来るから真顔で言わないで。
「お前最近くだらない少女漫画よく読むと思ったら、脳が恋愛モードに入ってたんだねー」
いや、関係ない、ハッピーエンドの少女漫画は軽くて気晴らしにいいし、書評サイトで評判良いの適当に読んでただけだ。
母なりに私を理解しようとしてたんだろうが、理解されないままだった。漫画関係ないから!!
ゲンダイ 強制送還中のガーナ人が死亡 東京はアフリカ人のパラダイス
http://news.livedoor.com/article/detail/4683381/
「日本の女性の1割は黒人好きなんです。彼女たちは“シスター系”と呼ばれ、不美人が多いけど黒人にはとことん尽くす。
ほとんどの黒人はシスター系に援助してもらっています。あるシスター系女性は“アフリカ人はペニスが硬くて大きいし、1回のセックスが長い。
しかも何回もできるから離れられない”と言ってました」(ジャーナリトの赤木太陽氏)
歌舞伎町ではすでにアフリカ人の連帯組織ができている。中国やロシアに次いでマフィア化するのは間違いない。
鷲巣麻雀は10年以上経ってもまだ終わらず、鷲巣様は毎回毎回勝てるチャンスを見逃してはアカギにギャフンと言わされてばかり。そもそも「天」のスピンオフとして始まったわけだからアカギの生存は確定的に明らか。読者の誰もが「はよ終わらせろ」モードに入っていった。ところがアカギは鷲巣に役満を振り込んでしまい死んでしまった!スピンオフで死んじゃった!
福本「…そう、これまで見てきたアカギは実は『天』の赤木しげるとは別人だったんだ。それもアリだと気付いたのはスピンオフのスピンオフ『ワシズ』を読んだ時だった。鷲巣の前日譚を描いているはずが『ワシズコプター』だの『不老不死の薬』だのカオスな内容になっていてどう見ても別人です本当にありがとうございました。ワシズと鷲巣はどうみても別人。ならば今描いているアカギが『天』の赤木と違っても問題は無い。この若者とふぐ刺しを真夜中に作らせる我侭ジジイとが同一人物である筈が無い。ククク…キキキ…ゲヒョヒョヒョ…」
と、妄想したが正味な話「アカギが鷲巣を倒して終わり」では済まないと思う。「銀と金」の神威編で筆を滑らせて森田を脱落させてしまい、話を続ける事が不可能になった前例もある。何かのサプライズはありそうな気がする
今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.
一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本は経済も社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.
経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店に平積みされていた.お金のことは銀行や専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.
また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年.
また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.
2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.
ゼロ年代を象徴する批評家,東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想,批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.
また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.
2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校の進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.
格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会の空気を表す本としてピックアップすることができる.
不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.
9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリ・ハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディア・コントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.
2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社が新書に力を入れ始める.
『仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者の共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代のサクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.
新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルのハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代のキーワードを体現した.
また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本のナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.
相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.
また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0,玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipediaが大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.
品格ブームを引きずって『女性の品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.
データが重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店に平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBにデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.
その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田らオプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.
また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター。希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.
どういう流れからか,『×型 自分の説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分をグーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本が書店に平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.
批評界では東にケンカを売る形で宇野『ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャの生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.
ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.
文字ばっかりでごめんなさい.
旧作のエピソードを引用しつつ全く違う話をしている、という感じ。例えが極めてアレですがファントム・メナスみたいだ。
とりあえずみやむー壮健でよかったというのと、式波エロいよ式波
あとイラストリアスさんはどうも何某ぽいですね、と思ったらこれみんなまとめて大化けするという寸法か?それはそれで凄い
んで思ったこと、98年当時俺は二十代前半ですからモロに影響されてしまい、その後の人生棒に振りかかったりで、今からすればバカだなあと思いますが正直申しまして二十代前半というのは比較的バカだよねと思う。俺ほどではないにせよ。それはまあしょうがないし、今は本題ではないのだが
それで今回見てみて、総じて新旧世代に対するダブルミーニング的な作りですが(偉業です)、これ旧世代に対する嫌がらせもしくはギャグなんでは、という場面もいくつか。つうかあの歌が始まったときは笑った。しかも二度までも。しかもなんだか赤木博士の長台詞始まってるし、うわこれひでー(苦笑)と思ったんだが
とはいえ、またぞろあすこでクラシックを持ってくるのも変だし、というか旧世紀版過ぎるし、尺延びちゃうよね、というのはわかる。旧版のあの痛い感じをさくっと後世に伝えようとしたのかわかりませんが、当時を知る者としては、お前らが鬱々としていたものは結局こんなもんだ、と言われているような気がしてむしろ救われた。ありがとう。そうなると、次は客席の大部分を埋めていた若者がどう思ったかが興味深いところ。
それで今後もだらだらと痛いのだろうかと考えると、小顔メガネの動向がわからない。
「タバコが迷惑なら、子育てだって迷惑だ!」に、いろいろと追記がありましたね。
第一のマズい点として「それは『そんなに嫌ならホーム端に行かなければいいだけのことだろう。』という部分である。」があげられてましたが、あの赤木氏の文章を認める人のこの部分のスルーっぷりは私も気になってました。
だって、もしこれが朝鮮人に対する差別的な文章だったとして「そんなにイヤなら見なければいいだけのことだろう」「ほんの1行のことでも排除しようというのはあまりに反対者に都合のいい言い分のように思える」って書いてあったらどう思いますか?
一行の差別的文章でも軽く一日へこめるというのは在日の方が書いてました。タバコの煙も、持病や体質によって一瞬のことをしばらく引きずることがあるようです。
結論にいいことを書いているのだから筆者の意を汲んで読んでやるべき的意見が多かったようですが、それでもだめなところはだめと指摘しないといけないと思うというか、認める人の方から「でもここやここがおかしくてだめだけどな」と言わないとバランスがとれないと思います。
http://news.livedoor.com/article/detail/4109939/
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51202883.html
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090417/1239925575
赤木さんの文章がどうにも気に入らなかったので。
いってることはこれと同じだと思うんですよ。
私はあの話とあの話を読んでしたり顔でせせら笑うやつが大っきらい。
哀れで無力な狐を見下して笑う底意地の悪い嫌な話よ。
狐は自分が死にかけていて無力でどうしようもないのがわかっていて、
「どうせあのブドウは酸っぱいに決まっている」って負け惜しみを
自分の心の最後の支えにしてるのに、
その哀れな狐の精いっぱいの無様な矜持を
満ち足りた者が、寄ってたかって笑うのよ。
努力の足りないものが自分でそれをごまかすのはみっともないってのが
あの話の教訓なんだろうけれど、
けがを負って足り、生まれつき障害を抱えて生まれた狐はどうしろというの?
もしそれで本当に狐がブドウに届いてしまったのなら
手の届かないところまで高く上げてしまうに決まってる。
いつも街中で通り過ぎる仲のよさそうな
友達同士とか親子連れとかカップルとかを見て私が何を思ってるか
・・・・あなたに、わかる?
そして、もちろんわかりません。
わからないんですよ、「普通」の人は。
そんなこといわれたってさ、そういう立場じゃないんだから。
自分たちにとってぶどうは手に取れるし、すっぱくないんだから。
むしろおいしく食べてるぶどうの味にケチをつけられて人が黙ってるわけがない。
それを理解できる人は、俗に言う成功者と呼ばれる人たちですよ。
一般人は感情とか条件反射でしか動かないってことは十分わかってるはずでしょうに。
何か伝えたいことがある時に、
人のことを信用してない割には、人に甘えてるように思われます。
あとどうでもいいですが、
http://news.livedoor.com/article/detail/4109939/
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090417/1239925575
自分はタバコは吸わないし、タバコの匂いは大嫌いです。「タバコ吸う奴なんてこの世からいなくなればいいのに」とかつては思っていました。
その一方で、自分は幼い娘を持つ親です。しかも、娘はいわゆる知的障害児です。
そんな子を持つ親として、赤木氏の記事に対しては極論だとは思わなかったし不快な気分にもなりませんでした。
実際、公共の場に幼い子供を連れていくと、少なからず「喫煙者を見る嫌煙家」のような目で見られるのですよ。いや、実際迷惑だしね。もう、ほんといたたまれなくなっちゃう。で、こんな肩身の狭い思いをきっとタバコを吸う人もしてるのだろうなって、最近考えるようになりました。
ブコメで「子育ては趣味なんかじゃない」って言ってくださっている方が多くいます。ありがたいことですが、私たち夫婦は別に社会のために子供を作ったわけじゃないし、社会のために子育てしてるわけじゃない。むしろ赤木氏が言う「個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為」という感覚に近いです。子育てを通じて家族の幸せを享受してる、そんな感じですよ、我が家は。
「子供は社会全体が受益者なのだから」と言う意見もありますが、これなんかはありがたいどころか、むしろつらいです(悪気があって言ってるわけじゃないことはわかっているので大変申し訳ないのですが)。うちの子はこのまま生きていくと、社会に対しての"収支決算"はまず間違いなく赤字でしょう。税金やら労働力やらで社会に貢献できるモノよりも、福祉やら何やらで享受するモノ方が大きくなるのは間違いありません。障害を持つ子の親になって初めてわかったのですが、障害者に対するコストは半端ないです。普通に生きていくだけで健常者の何倍ものヒト・モノ・カネが使われます。うちの子が生きていくことは、それだけ社会の力を削ぐことになるんです。ええ、きっと喫煙対策のコストの方がずっと低いでしょう。
「子供は社会全体が受益者」論や有村氏が引用した社会コストを論拠とした嫌煙運動などは、つらいんです。それを言われると、うちの子のように社会に益をもたらすことがなさそうな人は、生きてちゃだめなのかなって。でもね、この社会で生かさせてほしいんですよ。たとえそれが親のわがままと言われても。
うちの子は、今でこそ幼いから、いろいろな人たちにかわいがってもらっています。でも、大きくなるにつれ様々な場面で(知的障害者であるがゆえの)辛い目に会うことでしょう。残念ながらみんながお互いを許容しあうようには(少なくともうちの子が成人するまでには)なりそうもありません。理想論かもしれないけど、赤木氏の記事の最後の段落で語られているような考え方をみんなが持てるようになればいいのにと願ってやみません。
4月1日からJR東日本が、通勤電車へのベビーカーの持ち込みを禁止している。
これまで、車両端にあった優先座席が撤去され、指定となつているグリーン車でしかベビーカーを持ち込むことができなくなっている。
私自身は子供を持っていないので、なんら不便はないのだが、混雑する車内にベビーカーがあることによる不快を感じたこともない。
JR東日本のPRによれば、ベビーカーが他の客にぶつかったり、赤ちゃんの鳴き声がイライラする通勤客に迷惑をかけることを問題視しているらしいが、そんなに嫌なら通勤電車に乗らなければいいだけのことだろう。
勤務の都合上、通勤電車に乗らざるをえない場合もあるかもしれないが、そんな一瞬のことを排除しようとするのは、あまりに子育てを嫌う側にのみ都合のいい言い分のように思える。それに、子育てしながらの通勤が問題なのであれば、各車両に子供車両を設置すればいいのである。全面ベビーカー中止はいいが、電車全体でベビーカーを持ち込めないというのは問題である。私としては徹底の視点で、公共交通機関には子供専用車両の設置を義務づけるべきだと考えている。
と、そんなことを考えつつ、ベビーカーについて検索をしていたのだが、世の中の嫌子育て家の要求は、分子育て要求をとうの昔に通り越していたらしい。今や彼らの主張は「子供専用車両の設置自体が許せない」というところにまで、行き着いている。例えば、路上ベビーカー禁止区域を設定した市町村が、ベビーカーエリアを設置するということに対して、「その費用を誰が負担するのか」と言うのである。もちろん、それは税金に決まっているのだけれども、彼らは「子育てという個人の趣味を税金で負担するべきではない」のだという。
もし、そうした理屈が通じるのならば、私は赤木智弘の文章の全面抹殺を求めたい。なぜなら、赤木智弘を嫌いな私が、赤木智弘という個人の趣味を、税金によって整備された通信網を通して負担してやる理由はないからだ。
赤木智弘というのは、恵まれない個人が自らの幸福を追求するために赤木智弘というネタ要員を褒め称える行為であるのだから、当然負担も受益者負担であるべきだ。そう主張したい。
私には「個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為」と「個人が自らの幸福を追求するために赤木智弘を称える行為」に、大きな違いがあるとはまったく思えない。「赤木智弘を称える行為は、赤木智弘を称えないに迷惑をかけていない」と思うかもしれないが、赤木智弘の極論が絶対善であるという引きこもり通念によって、他の利用者がいかに不利益を受けているかを考えれば、子育てなんかよりもはるかに迷惑な存在なのである。
それでも私が、赤木智弘の文章の全面閉鎖などを求めないのは、たとえ迷惑であっても、それを互いに我慢していくことによって、始めてみんなが幸せな社会が実現すると考えているからである。それが誰もが自分にとって不愉快なことを声高に主張し始めてしまったら、社会は成り立たないだろう。
「赤木智弘がうるさいからlivedoorを撤去しろ!」などという主張が通ってしまうような社会を、私は許容したくはない。子育てもそれと同じである。人は誰しも、他人に何らかの迷惑をかけながら生きている。人権を主張することも大切だけれども、だからこそまずは他人の権利を認めることから始めてみてはどうだろうか?
http://news.livedoor.com/article/detail/4109939/
はてなブックマーク > livedoor ニュース - 【眼光紙背】タバコが迷惑なら...
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://news.livedoor.com/article/detail/4109939/
連載でだらだら読んでいるだけで、特に最近はうろ覚え回込みなので的外れかもしれませんが。普通に赤木vs鷲巣の麻雀勝負からシームレスに移行したのでいまひとつ転換が周知されていないですが、実はそういうことなのではないかと。天ラストの、赤木茂個人の人生総括と価値観の提示というエピソードを、そのまま鷲巣に変えて行われているのではないだろうか、という。
今の赤木で凄く不自然なのは、鷲巣の視点が異様に多いこと、またアカギがほとんどピンチにならないことです。前者はもちろん"アカギが勝つ物語"なら、アカギの思考=種明かしをそのままだしてしまうことは致命的なのである程度仕方ないですが、それにしても周りには驚き役もたくさんいるわけであるのに、あまりにも鷲巣視点のモノローグ等が多すぎる。そして後者は完全に今までの「アカギ」の物語作りから外れています。圧倒的不利をその才知で覆す、というのがアカギのであったはずであり、ここにきて大幅な枠の転換が起きているのです。
で、それはなぜかというと、今(ここ数年。六回戦開始ぐらいから?)の福本伸行先生が"書いている"こと、そして"書こうとしている"ことは、アカギの物語ではなく、鷲巣巌の人生の総括と価値観の提示、つまり鷲巣版「赤木通夜編」なのではないでしょうか。どちらも触媒として「死」が絡んでおり、同じ老境でありながら赤木と鷲巣では状況が真逆(死を選ぶ/強制される、死に向かう/拒否する、等)という中で、福本先生は再び傑出した個性が死にゆくとき何を想うのかを、書こうとしているのではないだろうかと――。特に鷲巣がそろそろ"死にそう"なこれからの展開は、なかなか興味深いです。
ちなみに細かいことをいくつかいうと、だからクソ長くなるんですよねー。思考に頁をとられてしまうのは福本先生自ら認めていることなのですが、必然的に、という感じで。あと「ここからは麻雀やらないで人生語りやるね!」と区切ってだした天の通夜編が不評だった?ことへの反省から、今度は麻雀勝負の流れの上で書こうとしたのかなあ、という邪推。それが成功するかはわかりませんが。
問題を掘り起こしたという意味では意義があるのでは。
万人が見て姿勢が鬱陶しいというのはもしかしたらあるかもしれない。
でも問題が顕在化したことを評価する人はいるんじゃないかと思う。
赤木君なんてその手法を使っているし。
実はあまり好きな手法ではないんだけど。