はてなキーワード: 末永くとは
正確には半年前に別れを告げられていたのですが、吹っ切れずそのまま引きずって今に至り、
風の噂や付き合ってた頃の様子を思い返すと自分と付き合ってた頃から
新恋人に惹かれてたんでは?と思うのだけど、それも今となってはね、
どうしようもないし。つまるところ自分の魅力がなかったのだし。
こういう事書くと「恋人がいた時代があっただけ良いだろ元リア充め」とか思われそうだ。
でも、一度は自分を必要としてくれた人の心がある時から離れて行くのを実感するのって結構キツイです。
こんな思いするならもう恋愛とか真っ平ごめんだねって思うよ。
輪るピングドラムの最終話見て「愛を分け合うってイイナー」とか
グズグズしていても向こうは新たな恋人とよろしくやってる現実は変わらない。
でもここまで来てもまだ好きな気持ちはあるんだよね、困ったことに。
初めて人と付き合ったからなぁ。
恋人いる相手に接近する趣味は無いけど。かと言って相手が別れるのを
待つってのも人の不幸を待ってるみたいで何だろう。
何にしてもどうして振られたのかってのを考えなくちゃいけないよな。
末永くお幸せに、と思う反面黒い気持ちだってある。悶々としますね。
一部の男には、自分の事に構うのはカッコ悪いって価値観があるみたいで
かっこ悪いっていうと見た目なんか気にしないよ 見た目気にしないオレカッコイイ!
ってなるしで、先の先の事まで噛んで含めるように説明して説得しないとなかなかダイエットしてくれないよ。
私は、体がたるんできたら筋トレなり食事量の調節をして、体を締めるようにしている。太った体が嫌いだからだ。身長の低い女性がぽっちゃりしているのは微笑ましい。お肌もツヤツヤしている。しかし、身長の高い女が肉をつけるとしずちゃんになる。決して可愛くはない。微笑ましくもない。あるのは重量感だ。
体重は気にしないので体重計は無い。鏡で見て、顔が丸くなってきたら、お腹が出てきたら、少し生活を改める。
「デブ=自己節制できない」と思う。こんな考えをもつに至った経緯は覚えていないが、いつのまにかそう考えるようになっていた。世間はどうなんだろうか?アメリカなどは、そういう風潮があると聞いたことがある。
BMI25越えで見た目もぽっちゃりの夫に、健康に良くないから痩せてほしいと言い続けて1年。いっこうに痩せる気配が無い。子供もいないし、末永く二人で居たいという気持ちから言い続けていたが、健康面で攻めても聞かないから、容姿の点から攻めればいいかと考えた。「デブはみっともない」と言い放ったところ、激怒された。痩せる努力をしていないのに、見た目を非難したら怒った。訳が分からない。間違えたようだ。あー。
一晩経ったらはてなブックマークが増えてて、なんだか申し訳ない元増田です。
元増田の言及はとてもいい加減なので、この件の正しい事の顛末は 「ヒナニー事件」でニコニコ大百科を探せばいい。『なお、この発言に関して運営は、発言直後、ロウきゅーぶ!終了後、アニメクルーズ終了後の計3回謝罪している。』(現時点の当該記事より引用)といった対応から、今回の件は生放送内だけの事件として、あとは関係者が視聴者の見えないところで責任取ったり取らされたりお金の問題で決着つけたりしてるんだろうと思う。
ていうか未成年キャラ相手に性的な話云々については、たとえばニコニコチャンネルではR-15も放送してるんで、気にし始めるとキリがない。それに、品のないコメントで溢れかえるのはニコニコならではのことなので今更気にしなくともよい。最近では、何の脈絡もなく淫夢厨(ゲイビデオに端を発する一部独特な言い回しをよく使うユーザーを指す。ブロント語みたいなものと思えばよい)が沸く中で配信を完走したAチャンネルという例もある。今回問題になったワードは、新たなニコ厨発のネットスラングとして、ロリキャラが出るアニメに対して末永く使われることだろう。なんだよ結局権利者にコメント誘導されてんじゃねーかばーかばーか、というのはニコニコチャンネルの動画で言ってはいけないお約束なので大目に見てほしい。
面白がって例のワードを乱発する輩はたいてい他の動画でも同じ事をやっているため、キーワードでNGをかけるのではなくIDでかけるとよい、ということが上記ニコニコ大百科のスレ内でコメントされていた。これも一種の馬鹿発見器になっているのだろう。このような点を踏まえ、元増田の選択肢には、
5. 184コメントは非表示 を 強制的にデフォルト にする。
という選択肢を付加しておきたい。そういう機能がニコニコ動画にあるかどうかは知らない。無かったとしても権利者が申し入れれば機能追加は容易だろう。有料にせずともコメが荒れにくい、馬鹿を特定した上でNG可能、という点で、個人的にはいい方法だと思ってる。
神様のメモ帳→ロウきゅーぶ!と繋いで1時間小倉唯でまったりするのが最近のマイブームです、と一応日記のようなことを書いて終わり。
個人的に日の丸も君が代もそれ自体はどちらかというと好きな方だけど強要するのは反対派な俺参上。
日の丸や君が代を強要する人が少なからずいる以上、「自由の敵の象徴」だからじゃないかな。逆に考えて、強要したいって人は何故強要したいのかって考えてみるといい。それがまさしく自由を尊重したい人々にとっては反対したくなる理由だろう。俺も強要のコンテキストで日の丸が出てくると(日の丸自体は好きだけど)日の丸が穢されていることに反吐が出るよ。
ただまあ、あくまで個人的にはだけど、日の丸は元々「日出る国~」の故事にちなんだものでこれは別に全体主義とか軍国主義とか自由への敵対なんかとは関係なく単純に「極東にあってますます繁栄する国」くらいの意味でしかなく、意匠的なシンプルさとも相まって非常に良いものだと思ってる。君が代も、まあそりゃ戦前までは帝政の継続みたいな意味合いでやってたんだろうけど、今でも天皇は日本国憲法下の日本国の象徴であるわけだから「今の日本国」が末永く繁栄しますようにって意味でもちゃんと通るわけで、ものすごく良いとは思わない(正直メロディの方はいけてないと思う)が積極的に反対するほどとは思わない。
でも、強要したい人々は、そういうのとは違う意味合いで国旗国歌ととらえているだろうし、だから強硬に反対する人々も反対しているんだろう。ぶっちゃけ、強要する側も反対する側も国旗国歌は正直全体主義の象徴だよね。
小学生までの頃の話。食事中に突然、まったくランダムなタイミングで、かなり強い吐き気に襲われるのが大方の日常だった。家では食事の量を調整するチャンスが多いのでよかったが、それが難しい学校給食では、およそ一週間に一度の頻度で吐き気に堪えられなかった(そして胃の中はキレイになるのだ orz)。
それが満腹というものなんだ、と理解していた。だから人は「腹八分目」を目指すのだ、食事って大変だよなあ、などと思ったもんだ。
中学に上がるか上がらないかの頃だったっけな、吐き気にはわりと慣れた。風邪を引いてばかりで体の弱かった自分も、ようやく普通の元気な人と同じように、平気な顔で吐き気を我慢できるようになったぜ、と思った。
いつだったか定かじゃないけども、ある日突然、(おそらく)本当の満腹感を知った。満腹感のクオリアの言語化なんて真似はできないが、確かに吐き気とは違う充足感だった。
高校・大学を経て大人になった今では、吐き気と満腹は明らかに別物だと理解した。吐き気を伴わずに食事を完了するコツもある程度把握した。
ポイントはなるべく高速に飯をかっ込む事。ゆっくり食べていると、やはり突然吐き気がやってくるようだ。大人になってからの数多くの研究により、ようやくここまで突き止めた。
ただしこれでは料理の味があまりよく分からない。健康にもよろしくない。唾液の分泌が少ないと歯にも悪影響だ。今後、ゆっくり食事をしつつ満腹感を得る方法を研究する必要がある。
研究にはセブンイレブンの塩カルビ弁当が便利だ。量も値段も手頃だし、研究には再現性が重要だから、今さら他の弁当に乗り換えたくないのだ。
単純化が起きるのはなぜでしょう。
私がもともと、「長生きを望む人は希望があるから」と表現しているのは、長生き=目先の生存、というあなたの考えのもとで表現したのではなく、長生き=可能なかぎり末永く健康で生存したいという前向きな長寿、という私の考えをもとに表現しております。私の考えのもとでは、死に対する抑制は生存への渇望にはなりえず、長生きしたいという願望には到達しません。死に対して消極的であることと、生に対して積極的であることは、同じ時間を生存したという結果が同じでも、意味合いが違ってきます。ですから、私の表現において「長生きしたいひと=自分以上の恐怖を持つ人」には成り得ません。「長生きしたい」という人は「希望があるから」となります。
私は個人的に幸不幸はある程大小の比較が出来ると思っています。髪一本抜かれる痛みと腕一本もぎ取られる痛みは、それが幸せか不幸せかは人によりますが、違いがあるでしょう。違いがない全てフラットの人にはまず幸不幸の概念がないでしょう。
同じ人間において、髪一本抜かれる痛みと腕一本もぎ取られる痛みの差異はありますが、それは例になりません。同じ一人の人間の内では幸不幸、痛みの度合いは存在するでしょう。ある人にとって平気な痛み、泣くほどの痛み、死に至る痛み、それらは数値で比較することも出来るかもしれません。しかし、私が申し上げているのは、別の人間が、同じ死という結果に至る不幸を目の前にして、どちらの不幸が大きいか、などという比較は出来ない、という意味です。重要なのは、別の人間である、ということと、同じ結果であるということです。どちらの死にも同等の絶望があると考えます。他人同士の、死に至る絶望を数値化してどちらが大きい、どちらが小さいと比べることは、意味を成さないと私は考えます。死という結果は同じですから。
「ピースウィンズ」の大西さんが、前テレビで「災害ボランティアは長期的には有償ボランティアが上に立って、
無償ボランティアを取りまとめるようにするのが一番うまく回る」って言っていたよ。
http://anond.hatelabo.jp/20110420092551
あ、なーんだそれでわかった。
昨日も
何がプロだ お前は金もらって働いてもらうスタッフを使ったプロかもしれんが、ボランティアコーディネートはこっちがプロなんだよ
http://anond.hatelabo.jp/20110419222209
っていう人がいて気になってたんだけどさ(そして、質問したものの答えてもらえなかったんだけどさ)。
匿名ダイアリーの一部に激しく元増田を罵るリーダー経験者がいること、
その仕組みがもっとわかりやすくなる。
固定リーダー・有償リーダーのインセンティブは考えるまでもない。
彼等はボランティアに助けてもらう側ではなく、ボランティア参加者の側を向く。
タラタラした作業になっても参加者がレジャー気分で楽しめることを第一にするさ。
仕事じゃないから作業の成果をチェックする人間はどこにもおらず、
自身のリーダーとしてのパワーや報酬は動員人数によって担保されるから。
そして、ボランティアによって何かが解決されてボランティアが解散することより
同じボランティアが末永く「回り続ける」ことを目指すようになる。
そのリーダーとしての立場か報酬、もしくはその両方への執着が大になるほど
彼等が嫌がることは、
・自分や仲間以外の人間がイニシアチブに接近する(危険な潜在的ライバルである)
・ボランティア参加者の人数が減る(リーダーのパワー&報酬の原資が減る)
・作業内容をプロや専門家に見られる(自分より詳しい人間は要らないし、タラタラやってるのを見抜かれるのも困る)
っていうかぶっちゃけ
「善意に満ち溢れてる代わりに、シビアな経験はあまり無く、目と頭がボンヤリした、子供のような善人」ということになる。
「社会経験がそれなりにあり、作業効率や団体の構造をチェックする目がある、うるさめの大人」はウザくてたまらん。
人足としての一人分の価値に比して危険度が高すぎるので、要らん。ということになる。
結局プログラムなんて手数勝負なんだとつくづく思う。
逆説的な話だが、プログラムを書くときは「書かないで済ます」のが仕事なのだ。
「なんで書かなきゃいけねーんだよめんどくせーなー」
と思っていた方がうまく行く。
実際、書いたら書いた分だけずっと自分一人で面倒見るとかうざいし。
なので、同じことは2度と書かないように心血を注ぐ。
書き直すことで消えて無くなってしまうことが喜びになるのだ。
結局、なんも考えずやたらめったらコードを書くのと同じくらいの工期になったりするが、
後腐れは無いので楽だ。
更に言えば、あらゆる言語も、開発手法も、ミドルウェアも、ツールも、ライブラリも、フレームワークも、
詰まるところ可能な限り書かないで済ますためにあるのであって、
というか自分に限って言えば、自分が末永く楽できるかどうかだけで選んでいる。
一度でも横着することに味を占めると、誰でもそうなるはず。
自分はこれからも、短気で怠け者なプログラミング人生を送ろうと思う。
というか怠けられるのなら、人生の半分くらいはプログラミングだって構わない。
もはや怠けるのが好きなのかプログラム書くのが好きなのか分からなくなっているが、
どっちでもいいや。
増田です。
「挨拶に来い」との連絡を受けたとき、かなり驚いて勢いで書きました。
いろんな人の意見を聞けて、この状況を少しは客観的に見つめることができました。ありがとうございます。
考えは人それぞれ、当たり前ですが、やっぱりそう思いました。
私も仕事をしていて、財布は別々、子供もおらず、お互い自立した人間として結婚生活を送っているつもりでしたので、「夫を教育する」という考えは全くありませんでした。「夫を教育する」なんて、私としてはおこがましい気もしますが、どうなんでしょうかね。夫の両親や祖父母の世代なら、そういう考えもあるのかもしれません。
また、経済的に自立しているから、離婚は「選ぶことが可能な選択肢」としてあっただけで、”離婚=正義”とは考えていませんでした。もちろん、離婚して後悔する可能性も十分あるわけでしょうし。
夫の家族との間に違和感を感じることは今までにもちょこちょこあり、「他人だし仕方ない」と思っていましたが、今回の事件で私がとった行動はあまり理解されないだろうと改めて認識しました。
一応、結婚生活を続けるという結論を下したので、向こうのおうちと末永く続けるつもりで挨拶には行こうと思います。
嫌なシチュエーションもイメトレして心を鍛えてから、行く予定です。
ありがとうございました。
「彼に…プロポーズされたんだ」
都内の居酒屋のカウンター席。お酒を一口つけた後、Mはぼそりと言った。
僕は素直に「おめでとう、嬉しいことじゃない」と答えたが、彼女の口からは不安や戸惑が滝のように流れてくる。
「仕事を初めてまだ2,3年しか経ってないのに辞めることになるかもしれないのは…」とか
「彼のことは好きだけど、不満は沢山あるし、踏み切る勇気がない」とか
「せっかく若いのにぜんぜん遊べていない気がする」とか。
終いにはこんなことまで言い出した。
「私、浮気がしたい。」
Mとの出会いは大学1年生の春。
サークルが一緒だったという繋がりから
マンガ・音楽など趣味の話で盛り上がり、いつの間にかいつも一緒にいる仲になった。
授業中メールのやり取りもした。お互いのブログにコメントを残しまくった。
メッセンジャーで夜を徹して語り合った。
ある時サークルの練習帰りの時に彼女はボソリと言った。「彼氏ができたんだ」と。
Mは仲良くしている男友達に純粋に喜んでもらいたかったに違いない。
うれしそうに惚気ようとするMに向かって僕は無意識につぶやいていた。
「なんか…悔しいな」と。
そこからお互い気まずくなって会話することが減っていった。
Mは授業が忙しくなったりで練習の参加率も減っていく。
せっかく仲良かったのに…と残念がっていたそんな時、
サークル内でMに対しての陰口が始まった。
練習になかなか来ないMに対してメンバーが文句を言ってるうちに
それがだんだん性格をけなすようなものになっていってしまった。
極端ないじめというようなものではなかったが、気の弱いMの心を傷つけるには十分すぎるものだった。
僕は無我夢中でMの味方をした。
文句が終息するのには時間がかかったけれども、
このイベントがきっかけで僕らはまたこれまでのように仲良くなる。
あれから4年。
大学を卒業して当時の友達もどんどん会わなくなり、人間関係が少しずつ狭まっていく中
Mとは今でも数カ月に1度は2人で飲む様になっていた。
馬鹿な話をしたり、他人の恋路の噂話をしたり。
心の底に複雑な気持ちを抱えながらもそれを隠すように笑顔で励ます。
電車に乗って帰ろうとするMを気づいた時には僕は引き止めていた。
「少し2人で外歩こうよ」
さっきまで「明日早いから…」とさっさと帰ろうとしていたMだが
文句の一つもなく僕についてきた。
そっからは本当にたわいもない話をしながら歩いた。
歩きながらたまに触れ合う手の甲がくすぐったい。
夜のビル街を歩きながらもMは言った。
「私と浮気してくれる人なんていないのかな…」と。
この段階でなんとなく感じるものはもうあったが、僕は何も言わずただその愚痴を聞きながら笑うだけだった。
特に何かをするわけでもなく、蛍の光が館内に響く中を2人でのんびり歩く。
「これでいいんだ、これでいいんだ」と言い聞かせながら。
しかし今はとてつもなく後悔している。
「僕と浮気しよう」と言ってMの手を握ってやればよかった。
そのままどっか遠いところに連れ去ってしまってもよかった。
ずっと友達でいようと心に決めたはずなのに、今になって出てくるのは後悔の念ばかり。
本当にチキンなんだな…と心の底から実感した。
「君に幸ありますように」
少しだけ泣きそうになりながら僕も返信。
家に向かう終電の中、Mの大好きだと言っていたスピッツの「アパート」を聴きながら家に向かう。
ああ、恋をしていたのは僕の方だったんだなと思い返しながら。
数年来、増田やvip辺りで定期的に立つ話題に「オレ的リア充になるためのハウツー」というのがある。
大体書いてあるポイントというかコアの部分は同じで、要は「女性と対等な関係であるように見せかけつつ、必ず上位に立つ」ということだ。
具体的には、常に相手とのやり取りから趣味嗜好を推測し、相手にとって心地いい選択肢を提供し選ばせる。
単純に彼女を作るだけなら、もっと身も蓋も無い言い方をすれば、相手をベッドに誘い込みたいだけなら、
出会った時の会話から勝負デート(笑)までひたすらこれを続けるだけでいい。
でもこれ、一つ重大なことを書き落としている。
上に挙げた手練手管を使いこなすには、大前提として「相手の気持ちがわかる」という能力が必須だ。
これが備わっていないと、どんなに頑張ろうが「なんか必死でキモい奴」にしかならない。
ぶっちゃけ「こちらのアクションを相手がどう思ったか、相手の僅かな言動から推察する」能力が必要。
最低でも「相手が微妙に嫌がっていること」がわからないとダメ。
その上で「相手が微妙に喜んでいること」がわかればなお良い。
これは基本であり絶対抜きにできないことなのに、何を読んでもそんな記述は皆無なのが不思議でしょうがなかった。
まあ、「相手にとって心地いい選択肢を提供」というのが、それも込みなのかも知れないけど。
問題なのは、「相手の気持ちがわからない」男性が少なからずいるということだ。
しかもタチが悪いことに、こういう感情面の能力って、これまた数年来の話題である発達障害やアスペルガーと密接に関係する話でもある。
つまり、この能力を大人になってから獲得するのはほぼ不可能なんじゃないかと思うのだ。
少子化・晩婚化が問題になって久しい。
その解決法の一つとして、男女の出会いを奨励する流れができつつあるが、もし本気で取り組むなら、
こういうある意味「筋が悪い」男性が女性と共に歩んでいけるようなノウハウを、もっと開拓していかなければならないと思う。
別に「オートマティック察し合い」ばかりがコミュニケーションじゃない。いろんな形があっていい。
そもそも一番最初に書いたリア充的コミュニケーションと、末永く付き合うためのコミュニケーションは全く別物だし。
もちろん人間は感情の生き物なので、感情的な意思疎通が不自由なことは大きなハンデだけど、工夫の余地はいっぱいあると思いたい。
とにかく、今出会いがなくて悩んでいる人も、どうにかして幸せになって欲しい。
(今のところしたことはないが)不倫をするとしたら、処女なんて勘弁してほしいと思う。
だから、http://anond.hatelabo.jp/20100808042134を参考にしながら、
処女とつきあいたくない理由を書いてみた。
末永く付き合える可能性が高い
他の男と比較されることがない
言わせてもらうが、これは絶対に甘い。
自分は基本、「いろんなタイプの女性と遊びたい」派だったので、
人妻は倍率が低く、うまくやればこちらが相手を選べるというのも大きかったと思う。
そこで、人妻の話を聞いてみると、結婚前に遊んでなかったので旦那しか知らない、
だから、出会い系というのがすごく多かった。
統計を取ったわけではないが、
他の男を知らないで結婚すると、比較しようと思って浮気するものらしい。
ちゃんとほかの男を知った上で、
自分と付き合ってほしい。
そうすれば、自分の魅力を分かってくれると思うから。
それに、セックスとかデートとかなんて、男も女もそのうち飽きる。
もっと深いところでつながっていられる気がする。
女の子にとっても新鮮な体験として楽しんでもらえるので仲がうまくいきやすい
恋愛は人によって違うけれど、
マナーを知っていると知らないのでは全然違う。
これがすごく面倒。
待ち合わせをするとか愛していると言うとかそういうので、
いちいち気持ちがすれ違って、それを解決しないといけない。
まぁ、そういうのを「新鮮」と思う人もいるのだろうが、
自分にはこれは面倒だ。
処女にこだわる理由は分かる。
要するにそういうことだと思う。
とりあえず3人と本気で恋愛してみろと言うことにしている。
ちゃんと恋愛するためには、恋愛のマナーを知ることが大切だけれど、
それは本に書いてあることではなくて、
実際に恋愛してみないと分からないことだ。
これは好みにも寄るが通常好ましいこととされる
処女ってさ、あれ、
「セックスは男に捧げるもの」とか考えているわけだよ。
自分は痛くて嫌だけれど、
何がいいんだ。
お前らそんなにSか?
セックスって、相手に喜んでもらえてなんぼだろ。
そして、
「そんなに入れて欲しいなら入れあげようか」
とか言うものだよな。
うん、絶対そうだ。
処女が相手だとそれができない。
「痛いけど、~のことが好きだから、最後まで入れて」
入れやるかボケと言いたい。
本気で思う。
やっとのことで開発して、普通にセックスをできるようになったら、
どっかに離れていっちゃうかもしれないんだぞ。
雇用だって流動化が叫ばれている時代、
そんな非効率なことはしてられない。
そんなことパパにやってもらえよ。
汚れるとか、そういうのもあるけれど、
一番本質的なのは、これだな。
ということで、世の中の大多数を占める「処女とはセックスしたくない」派の意見を、
代弁してみたのでありました。
衛生的に問題がなかったとしても、「穢れ」という概念を普通の人は持っている
今まで捨てられなかった童貞を、貴女で捨てるチャンスを彼氏がえた場合、貴方以外に選択肢がない可能性が高い。
つまらないことだが、そんなことがケンカや揉め事、気持ちが萎える原因に十分なり得る
後先考えずにSEXできるような浮気性の男性ではないことが自明である
これは好みにも寄るが通常好ましいこととされる
男性にとっても新鮮な体験として楽しんでもらえるので仲がうまくいきやすい
続かない