はてなキーワード: アメコミとは
日本の映画マニアの一部が、『エクスペンダブルズ』やタランティーノ、あるいはアメコミ映画などアメリカのハイコンテクスト映画が好きなのは、やっぱりその読みが非常に日本的(オタク的)だから。で、そういうひとたちに限って、日本のハイコンテクストのコンテンツを否定するというのは興味深い。
日本は「ガラパゴス」ではあるが、海外のいわゆる「クール・ジャパン」人気は、ネットによるコンテクストの学習、共有に支えられたものであり、それによって実質的には「ガラパゴス」ではない
そういう面もあるとは思う。少なくとも日本の人気コンテンツがハイコンテクストに支えられてるってのはまぁわかる。
ただ、韓国映画がローコンテクストな映画を作れるのはなんでじゃろ?ってのがさっぱりわからんわけでどっちかというとソッチの方が大事じゃない?
だって、本当にそれだけが理由なら、今からでも日本は全部ローコンテクストにすればいいってことじゃない?
そもそもなんで韓国ではローコンテクストでも見るやつが多いの?そこまで質が高いか? 私はどうもそうは思えないんだけれど。
あるいは別のコンテクストか事情かしらんけれどそういう物があるのは間違いないと思うの。
だって、海雲台という作品(面白くないわけではない。がそこそこであって超傑作とは御世辞にも言えなかった)に1000万人も観客が詰めかけたり、
韓国小説のベストセラー1位は国内だけで600万部も売れるんだぜ?日本だと1200万部売れるってことだけれどありえないでしょ?
韓流ドラマは詳しくないどころかいまやってる『勉強の神』(韓国版『ドラゴン桜』)がはじめてなんだけど、そんなに面白くないんだよね。まぁ話をしってるというのもあるんだけども、韓国の受験のディテールを掘り下げてないところが物足りない。ただ、韓国では高視聴率だったらしいね。
上記の発言をした人が、同じ記事内でしれっとこういうことかいてるし、
AKB48のビデオを初めてみて、軽く持って行かれそうになった。私には少女時代を最初にみたときの衝撃wと変わらず、物語性のいらないエンターテイメントだと感じた
こう言う意見もあるので、そもそもハイコンテクストかローコンテクストかはあんまり関係ないんじゃない?
日本はレベルが高いだけでは売れないから、売るときに物語も取り入れるようになってるというだけで、
韓国だってしばらくしたらローコンテクストじゃなくてハイコンテクストになるんじゃない?
ここで話をガラリと変えます。
KNTVとか見てるし毎年韓国に行ってるし、韓国の週刊誌とか定期行動している私の立場から言わせていただくと、
韓国って日本が比較にならないくらいハイコンテクストな文化だと思いますけれどね。
格差は異常に激しく、一部のエリートが国家を支え、下流の人間は暴力やネトゲやエンタメに頼ってる。
儒教的な価値観や軍隊による「しつけ」と「洗脳」があるばかりで、教育はあまり機能してない印象。
逆に言えば、軍隊のイニシエーションを受ける前は野放図な若者多いです。ぶっちゃけDQNみたいなやつ多い。
韓国のマンガ読んでみると分かるけど、主人公の性格とか日本人の感覚からしたらキチ○イみたいなやつ多いですよ。
あれ日本だとマンガだから許されるギャグだけど、向こうでは普通にああいう変な子が沢山います。
日本みたいに教育で去勢されていないからエネルギーは確かにすごいけれど、その発散の場が殆ど無い。
だからみんな国外に脱出したがる。それもないやいやつはネットとかエンタメ、歴史などにはけ口求めてるようです。
最近はサムスンやヒュンダイなどの世界企業のおかげで出戻り組が増えてますが。こうしたところで働けるのはエリートだけです。
これは私は知らないけれど、いじめとかむっちゃ多いんじゃないかしら。
そういう事情において、向こうの国の芸能人の影響力というのは日本のカス芸能人とは全く比較にならない。
すべての芸能人の些事までネットで大きく話題になり、そのせいで自殺者もはるかに多い。
この国の人はいちいち徹底してるというか感覚的にはとんがってる事が多い。
かの国ではゴシップ番組に限らず証券会社が堂々と芸能人のゴシップ記事をすっぱ抜いたりします。謎でしょ?
そんな韓国では多くの人が、芸能人について細部まで情報を共有している。ローコンテクストなんてとんでもない。
日本みたいに興味が分散してるんじゃなくて、全員に対してしっかり行き渡ってるという印象です。
まだ市場が細分化されてないんです。一部の人間にだけ猛烈に好かれるとか、そういうオタクっぽさが殆ど無いです。
だからこそ、質が高い物、品が良い物、綺麗な俳優が活躍するのだと思う。ただそれだけのことだと思う。
このあたり日本の古き良き時代でもあるし、将来の日本が進む道でもあると思ってます。
日本はヘキサゴンファミリーみたいに、品質より顧客との距離感みたいな方向に進んだ結果
わからない人にはつまらない、細分化されててよくわからないコンテンツが山ほど出来ましたがそろそろ限界じゃないでしょうか?
そっちの方向ではニコニコ動画のようなネットメディアが活躍していくと思います。
AKB48はある意味先祖帰りのような形でむしろ国民にアピールする質の高いものを目指してるんじゃないかと思います。
最初は御世辞にもパッと見可愛いくない、歌も踊りもそんなスゲーって感じじゃないで
なんでこんなのがヒットするんだろうと思ってましたが、だんだんレベルアップしてるのがわかりますし。
企業の成長と一緒でそのうち今のメンバーが総入れ替えになる頃には洗練されたコンテンツになるんじゃないでしょうか?
最後に。
いろいろ書いたけれど私はこういう乱暴と洗練が一緒くたになった韓国という国が好きです。
日本みたいに中流とか、普通とか平均みたいな考え方が当たり前ではなく、
逆に私みたいな凡人が向こうの人からしたら中庸的な態度に見えるらしく友達もできるしね。
そういう要素全部抜きにして日本はハイコンテクスト、韓国はローコンテクスト?意味がわかりません。
韓国はハイコンテクストに支えられた原始的コンテンツと文化的コンテンツの両極があるというのが私の感想であり、
今の日本と韓国、どちらが良いかはわかりませんが、少なくともテレビには韓国のようなコンテンツの作り方を目指して欲しいです。
本当に今のテレビはつまらないバラエティと「実用的だけれど小粒」なお役立ちコンテンツ、あと広告と区別がつかないような番組ばっかり。
テレビマンの方は学歴も高くて賢い人が多いのでしょうから、ある意味視聴者から少し距離をとって、視聴者を導くようなものをつくってほしい。
KIM625 マンガ, アニメ, 文化 アメリカにはなぜ大人向けコミックが無いのか、なぜ日本にはあるのか。 2010/09/08
はてな表現規制反対派の重鎮KIM625のこの問い、一見素朴なギモンに思えるが違うんだよね。
表現規制反対派の間では、出来合いの答えがある。
「コミックス・コードによる規制のため子供向けのものしか許されなかった」という答えがそれだ。
KIM625の問いはこの答えを念頭においたものだろう。だが、この表現規制批判派史観はどこまで正しいのか?
田中秀臣氏がブログで調べ続けているようにアメリカン・コミックスの不人気の主犯がコミックス・コードだという説は実証的に否定されつつあるという。
それ以前の問題がある。大人向けコミックがないというのは果たして事実なのか?
実際には、MADやアート・スピーゲルマン、映画にもなったロバート・クラム作品やアメリカン・スプレンダーのような先鋭的な大人向け作品の流れが、ほそぼそとながら、六十年代から続いていた。
アンダーグラウンド・コミックスと呼ばれるこれらの流れは、80年代頃からスピーゲルマンが自らの父の体験と緻密な調査を元にアウシュビッツの悲劇を描いた「マウス」などのヒットにより日のあたるところに現れ、スーパーヒーローなどの商業的コミックスに対向するものとして「オルタナティヴ・コミックス」と呼ばれるジャンルが成立する。
一方の商業的コミックスもだんだんと大人向け路線になり八十年代には映画化したウォッチメンなどの大人向け作品がヒット、90年代には大手コミックス社からスーパーヒーローにとらわれないやや文芸路線のmature reader向作品レーベルVertigoが現れるなどの流れが起きる。
この流れとオルタナティヴ・コミックスの二つの流れ、そしてスーパーヒーローなどの旧来型の流れは、未だ別々に流れているが、だんだんと中間的作品も現れ、現在ではかなり曖昧な区別しかなくなっている。
では、"旧来型"のアメコミが子供向けというのは事実なのだろうか?成熟した真っ当な大人向けと見なされていないのはたしかに事実だろう。
だが、それと実際の年齢層は別の問題だ。
なんと”アメコミ”の主要な読者はずっと昔から「男の子」ではなく「キモオタ」なのだ。
むしろコミックス業界は将来の投資のため子供にコミックスを手に取らせる方策を考えているくらいだ。
田中秀臣氏推薦の『戦争はいかにマンガを変えるか』から引用しよう。
この極度にマニア層に依存した構造の市場から、書店での一般読者の獲得から、書店での一般読者の獲得と映画展開などによるライセンスビジネスによって突破口を開いたのが現在のグラフィックノベルブームに沸くアメリカのコミックス界であるわけだが、以上からわかるようにそれ以前からすでにコミックブックは子供向けのものなどではなくなっていた。
(ながいので中略)
つまり当のアメリカ人にとってすら「コミックブック=子供向け」という神話の影響が強すぎるために、実際に子供に読まれているマンガが「マンガ」としては見えなくなってしまっているのである。(p38-39)
なお、此処でいうマンガと見なされていないが「実際に子供に読まれているマンガ」は日本マンガをさしているのではなく、ディズニーやニコロデオンなどのアニメや名作文学のコミカライズなどを指している。小田切氏の意見によると、ジャンプなどのマンガとアメリカの市場で競合しているのはスーパーヒーローなどではなくこちらだろうと述べている。
小田切氏に従うなら、「アメリカにはなぜ大人向けコミックが無いのか、なぜ日本にはあるのか。」ではなく「アメリカにはなぜ子供向けコミックが衰退したのか、なぜ日本にでは盛況なのか。」と問うべきだ。
なぜこうも転倒した問いになるか。
それは何でも規制反対に結び付けたいという心性があるんではあにか?
こう思うのは邪推だろうか?
lisagasu 日本の名作少女漫画は繊細すぎてウケない予感…トワイライトが売れてるなら、乙女ゲームのコミカライズとかのがいいんじゃ?なんにしても少年漫画以上の市場になるイメージがないんだけど 2010/09/08
24年組が受けてないというかそもそも今まで翻訳が出てなかった(出版予定)のは事実だが、従来のオルタナティヴコミックスのファン層には注目されてるようだ。
全く横だけど、アメコミとかだと、大元がELSE IFとかやってるから、
海外のコミックファンには、そういう感覚は受け入れやすい土壌があると思う。
そもそも大きなタイトルは総じて同人ばりにフリーダムに展開されてても普通。
恋愛に関しても、長くやってる&複数の人が描いてる&更にその時の流行で
くっついたり離れたり、いきなり新キャラ出てきて恋人になったり
読み手が「嫌」っつっても大元がそうしちゃうんだから、どうしようもない。
そうすると、「あれはあれ、それはそれ」って気持ちが生まれる。
ある意味そうした反則技を出されても、受け入れるしかない。
「あれ」も「これ」もないんだから。
それこそ「正史」って言われたら反論できない。
元増田のような原作至上主義者は「今までの設定、展開で、これはないわ…」って事はないんだろうか?
カップルの相手がどうこうとかさておき、待ったら予想の斜め上でした、ってなったらモヤモヤして、
「いや、普通はこういう展開だろ…」
って思わないんだろうか。
それが先走ってるか、原作待ちするかは、原作神!でない限り同じでありえる話だと思う。
ところで
これは全部が全部じゃないと思う。
全く同じ話をすげかえて繰り返している。
自分は原作というベースがあれば、その上でどういう解釈をしようが
面白ければいい(むしろ、展開無視といわれ様が、特異な解釈の方が面白い)クチなんだけど
ああいうのが楽しい人は本当に理解できん。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/8636
nornsaffectio Twitter, まとめ, still again ところで、Togetterでhidetomitanakaの文字に出くわすととても残念な気分になるのは僕だけだろうか? 2010/03/09
WinterMute 表現規制, Twitter nk12=海法紀光はアメコミ翻訳家なのだが。自称アメコミファン呼ばわりとはなー/畑違いの学者が陰謀論をかます現象に名前をつけたい 2010/03/09
yellowbell コミュニケーション twitterってほんと使う人の傲慢さをさりげなーく浮き彫りにするよなあ。こわいわー。 2010/03/09
multiplex00 漫画, 規制 個人的に興味深いジャンルだったので見てみたらなんだこりゃ。/個人攻撃しかできない奴にはライフェルドっぽくなる呪いを掛けるぞ 2010/03/09
mgkiller Communication, 漫画, リテラシー 自分がものを知っていると言う前提で視野狭窄に陥っているという構造が面白いね、本人は自覚無いみたいだから余計に。 2010/03/09
Lhankor_Mhy なんとなくブクマ, コミュニケーション なんだかよく分からないが、レッテル貼りスキルの典型を見た気分。 2010/03/09
tokoroten999 なんか15年前ぐらいの掲示板にタイムスリップしたかと思った/いきなり人格否定に行くのはなんかそういう流派を学校で教えたりしてるのか? 2010/03/09
sinx 何か典型的な悪役みたいだな。TL見たら捨て台詞まで吐いてるし。 2010/03/09
p260-2001fp Twitter, 出版, 表現規制 Twitterは140文字でしか表現出来ないが故にその人の本性が垣間見える 2010/03/09
triggerhappysundaymorning ソース出せって言われた直後からの田中某氏のファビョりっぷりが面白いw.この人有名なの? 2010/03/09
zeroset comics, society タイトルだけみて田中秀臣だろうなあ、と思ったらやっぱりそうだった 2010/03/09
daihx Webネタ マナーまなーmanner言ってる人が一番以下略//そういう時にwなんて語尾に付けたらバカにしてるようにしか見えないよなー 2010/03/09
mame_3 Twitter twitterの距離感というか、語尾にwをつけながら他人に礼儀を説く人の距離感が分からん。 2010/03/09
だが以下のリンク先を見ればわかるように、nk12は以前から田中秀臣氏に粘着している人物だということをわすれてはいけない。
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20100314#p1
田中秀臣氏がソースを出してないという指摘に関しては、ググレカスの一言で終了である。
田中秀臣氏自身のブログではっきりと書かれている。したがってnk12もそれを知っている可能性も高い。
ワーサムの主張を歪めて反論をしたアメコミ業界のディビッド・フィンらの画策。
そしてその歪めた反論に合わせる形で自分たちの都合がいいようにアメコミ業界がコミックスコードを導入し、ワーサムに責任を押し付けた。
James E.Reibmanの手によって明らかにされている。
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070719#p1
しかし実証性無視のアメコミおたくたちは、ワーサムと国家が悪いと自分たちをイノセントなものとして描く。
http://itok.asablo.jp/blog/2006/08/14/483548
流れの要約
アメコミおたく松山「その本はデタラメだ!勧善懲悪ワンパターンじゃない名作だってあるもん!アラン・ムーアとか!」
田中氏ら「でもごくごく一部でしょ?だいたいあってるよね!」
松山「アメコミは善役と悪役が固定してるストーリーなんて嘘だ!ウルヴァリンは元々『超人ハルク』の悪役だった!」
田中氏ら「ウルヴァリンは『超人ハルク』じゃなくて『X-MEN』で正義の味方になったんだよね?別の漫画でキャラが再利用されてもそれはストーリーの中で善悪が固定されてるってことにはかわないよね?何かひとつの漫画の中で善悪が入れ替わった例ってあるの?」
松山「…。「子供を戦争で敵を殺せるようするためにアメコミ会社が勧善懲悪コミックス・コードを導入した」ってのは陰謀論だ」
田中氏ら「仮説ってわかるかな。こう書いてあるよね。(引用する)」
松山氏逃亡
nk12ら「部分的に間違ったところがあるので、この本は全部間違い。それを認めない人間は反証可能を無視している」
nk12ら「間違った部分があるので反証されてる。コミックス・コードのせいでアメコミは壊滅した!だがアメコミ・コードを跳ね返そうとクリエイターががんばったので新たなものとして復活した!」
田中氏「その事実が何を反証してるかを考えるために理論を組み立ててみましょう。コミックス・コードがあった場合のない場合、それぞれの効用の可能な最適化を考えて見ましょう。ない場合のほうが最適化されますよね?〕
nk12ら「復活したんだから反証されてる。」
田中ら「だから反証可能性を検証するために理論をまずしっかり作ろうという話です。」
nk12ら「復活したんだから反証されてる。」
田中ら「だから理r」
田中氏ら「理論的な話ですし、コミックスコード下で需要が最適化されてないからアングラコミックスというものがはやったのです。コミックス・コードでアメコミ壊滅というのも事実ではありません。」
nk12氏ら「そんなの関係ない。コミックスコードの前の犯罪コミックスとアングラコミックスは別物!ナイバーグの本にもアメコミ壊滅と書いてあった」
専門家の小田切氏参入「田中氏の方が正しい。ナイバーグの本にアメコミ壊滅なんて書いてない。陰謀論仮説についても朝鮮戦争後のアメリカでそのようなことはありえた」
田中「ナイバーグの本は実は読んでました」
nk 12 ら逃走
田中氏がこういう態度を取るのも当然といえる
田中氏ご本人による補足
なんとなく独り言をつぶやいてみたくなって、なぜ「しんぼる」に僕は感動したかについて書いてみます。ちょっと長いから興味無い人はスルーで。
まあ言うとくと、一作目の「大日本人」も「しんぼる」も、いつも「ガキ使」や「HEY」で見ているような松っちゃんを期待すると肩透かしくらいます。特に「大日本人」はそれが顕著。
まず「大日本人」ですが、「え?これって笑うところなの?」みたいなシーンがいくつも続きます。
スタッフの笑い声みたいなものが一切ないために、つられ笑いもできません。メイキング見て初めて「なぜここで笑わなきゃならんのか」ということがわかる、もうわかるやつだけついてこいという、ものすごい閉鎖的で排他的な映画です。
「ごっつええかんじ」から「ビジュアルバム」へと続く、松本が自著で説いた「演者は客を選べる」という思想に基づいて、観客をふるいにかけているようなコント作品の集大成が「大日本人」。
これらの作品は「わけわからん」と言って切り捨ててしまっていいと思います。「大日本人」を観て爆笑しているような人間には近づかんよーに。
まず間違いなく「オレだけが松本の笑いを理解できるんだ!」病をこじらせてしまっている松本教信者です。中二病と言い換えてもいいかも。肥大した自意識をこういったもので武装してるんですな。
だから僕は「大日本人」を観て、「ああ、松っちゃんはこれから信者引き連れて信者のための映画を作っていくのかなあ・・・」なんて思ったりしました。
で、「しんぼる」ですが・・・
正直言って面白かったです。感動さえしました。
今までずっと閉鎖されたコミュニティに向けて自分の本当の笑いを発信してきたあの松本が、プライドを捨てて一歩を踏み出してくれたのだと思っています。
「突如挟まれるアメコミ調」 「天丼」 「大声や奇声を張り上げる」などといったギャグが「しんぼる」には大量につぎ込まれています。
これって、電波少年の企画で撮った「サスケ」というコントで特に外人ウケがよかったギャグなんですよ。つまり、「しんぼる」の下敷きは「サスケ」です。基本的にこれの延長線にあります。
でもこういうギャグって別に外人に限ったわけじゃないんですよね?我々日本人にとってもわかりやすく、笑いやすいギャグだと思うんです。
つまり、万人に向けての笑いだと。
「しんぼる」って、映画単体で観ると、まあ色々酷評されているように、よくできた映画とは言えないかもしれません。
しかし、僕みたいな元松本教信者からすると、ずっと閉鎖的だった松っちゃんが外に、万人に向けて発信してくれた!ってただただ感激しちゃうんですよねえ。
こういった面から観ると、「しんぼる」は非常に革新的な映画だと思います。「映画」というフォーマットに対してではなく、「松本人志」に対して、ですが。
先日、Gyaoにて「戦国BASARA」を見た。凄く良く出来たアニメで、シンプルにいろいろな物が詰め込まれている。なるほど、これは評判いいはずだなあ、と感心した。
普通のアニメで、これ程までにいろいろと詰め込もうとしたら、やたら説明臭くなったり嘘臭くなってしまう。しかし、不思議とそういう違和感は感じなかった。その理由をなんとはなしに考えていたが、これは「BASARA」という点が、大きなアドバンテージになってるのかな? と、ふと思った。
この映画は、「戦国BASARA」というゲームが元になっているそうだ。恥ずかしながらゲームはプレイした事はないが、「パロディ物である」という事だけは知っていた。そのため、いわゆる歴史物的な設定や、テーマを過剰に表すような極端な人物造型も、「BASARAだもんね」と許容してしまっていたような気がする。
このような極端な設定や人物は、物事を単純に考えるための「モデル」としてとても優れている。頭の中で図式が簡単に出来上がるのだ。そして、図式がシンプルであるので、投げかけているテーマ(ノリ)もシンプルに伝わってくる。非常に明快なのだ。
普通の歴史物でこのようなモデル化を行おうとすると、たちまち「安っぽい」「嘘臭い」「ありえない」というような面が先に立ってしまい、モデルを使って提示された人物像に、「ノってみよう」という気すらなくなってしまう。
その点、戦国BASARAは自然にノリが先に立って、「あーそーだよねー」なんて歴史物に関して考えを放棄してしまっていた。
もちろん、監督や役者の力量の問題も大きいだろう。BASARAの設定等は、嘘臭さを消すために(というか、歴史好きの偏執的な書き込みかもしれない)、細かく描写されている。また、その描写が後の伏線であったりと、いろいろと「理由付け」をしている。
しかし、そういった点を考えても尚、普通のアニメよりは、「BASARA」であることのアドバンテージが大きいのだと思う。
他人に何かを伝える際には、シンプルで相手に受け入れられるモデル作りをうまくする事が大切であり、モデル作りのためには、相手の持っている情報を利用する形で進められるのがベターなのかなあ、なんて事をぼんやり考えてました。
なんにせよ、面白かったです。
先日、DVDにて「ダークナイト」を見た。凄く良く出来た映画で、シンプルにいろいろな物が詰め込まれている。なるほど、これは評判いいはずだなあ、と感心した。
普通の映画で、これ程までにいろいろと詰め込もうとしたら、やたら説明臭くなったり嘘臭くなってしまう。しかし、不思議とそういう違和感は感じなかった。その理由をなんとはなしに考えていたが、これは「アメコミ映画」という点が、大きなアドバンテージになってるのかな? と、ふと思った。
この映画は、「バットマン」というアメコミが元になっているそうだ。恥ずかしながら見た事はないが、「アメコミである」という事だけは知っていた。そのため、いわゆるSF的な設定や、テーマを過剰に表すような極端な人物造型も、「アメコミだもんね」と許容してしまっていたような気がする。
このような極端な設定や人物は、物事を単純に考えるための「モデル」としてとても優れている。頭の中で図式が簡単に出来上がるのだ。そして、図式がシンプルであるので、投げかけているテーマ(問い)もシンプルに伝わってくる。非常に明快なのだ。
普通の映画でこのようなモデル化を行おうとすると、たちまち「安っぽい」「嘘臭い」「ありえない」というような面が先に立ってしまい、モデルを使って提示された問いを、「考えよう」という気すらなくなってしまう。
その点、ダークナイトは自然に問いが頭に入り、「あーそーだよねー」なんて自然に問いに関して考えを巡らせてしまっていた。
もちろん、監督や役者の力量の問題も大きいだろう。バットマンの設定等は、嘘臭さを消すために(というか、SF好きの偏執的な書き込みかもしれない)、細かく描写されている。また、その描写が後の伏線であったりと、いろいろと「理由付け」をしている。
しかし、そういった点を考えても尚、普通の映画よりは、「アメコミ映画」であることのアドバンテージが大きいのだと思う。
他人に何かを伝える際には、シンプルで相手に受け入れられるモデル作りをうまくする事が大切であり、モデル作りのためには、相手の持っている情報を利用する形で進められるのがベターなのかなあ、なんて事をぼんやり考えてました。
なんにせよ、面白かったです。
ボコられるのは仕方がないとして。
誰にも読まれないのはなんか手応えがないなあ、と思い、自称ネトウヨである俺のブログの記事を転載してみる。
メンヘルの寝言だと思って聞き流して下さい(と言っても、皆さん、容赦はされないと思いますが)。
~
戦後はともかく、戦前~戦争中の日本の戦車はとにかくしょぼかった(好きな人はごめんね)。
エンジンはディーゼルエンジン(ただし、技術的にはすさまじい)。装甲は紙のよう。
で、運転が無茶苦茶難しかった。戦車の運転手として、名人芸を問われた。
アメリカはどうか?
当然、ガソリンエンジン(しかもオートマ)。楽々前進。運転簡単。
司馬遼太郎は戦車乗りの一人として、米国の戦車と自国のそれを比べたとき、大変無念な思いをした訳ですよ。技術って普遍的なもので、優れた技術はそれを扱っている人間にはすぐに分かる。
で、この差はなんなんだろう?という話になる訳だけれども。
司馬遼太郎曰く、"文化"と"文明"の違い。今でこそ、日本のサービスは優れているけれども、戦前の日本は、"名人の文化"だった。「できないのは、お前がグズだからだ」という文化。タクシーの運ちゃんが「私は助手時代から一度も道を間違えたことがないのですよ」と威張れる文化(戦前の道路は、道は整備されていないし、道路標識もほとんど無かったので凄いことらしい)。
戦争中、すでにアメリカは、ベルトコンベアを採用したT型フォードの生産とかから始まる、機械の大量生産・大量消費の社会に入っていた。で、品質のバラツキをなくすため、品質管理をアホでもグズでも出来るように普遍的なマニュアル化、"文明化"した。日本の場合、品質は個々の情熱と自負心と技量に依存した"文化"だった。
日本は戦後、(サービスにおいて)、名人主義、"人はみな有能"という考えを捨てた。で、品質管理(QC)が、日本産業の基本的性格の一つになった。つまり、アメリカの"文明"を吸収して、日本"文化"にしてしまった。その結果、日本の航空会社のスチュワーデス(あえてこの語を使う)は(優しい)母親となって客を扱う、とは司馬遼太郎の弁。
まあ、大体、アメリカは移民の国であるから、モザイクのようにバラバラにまとまって住んでいる"文化"の違う住人達をまとめるには、普遍的な価値観の"文明"が必要だった面もあるかも知れない。
だから、アメリカは、"文明"的には優れているが、"文化"的には未熟、と言える。
だから、四つ足で一生懸命スタコラ歩く哀れなデザインのマシンを蹴り上げることが出来るのだ。Yes, We can !
参考映像→http://www.youtube.com/watch?v=W1czBcnX1Ww
まあ、俺辺りが簡単に説明できれば、誰も苦労はしないよなあwとは思いつつ、適当に私見を書こう。
結論から先に書くと、「禅的構造への落とし込み」だと思う。
じゃあ、"禅"とは何かというと、Wikipediaによれば、「ただひたすらに(坐禅を)実践せよ」とか「以心伝心」とか「言葉でなく体験」みたいな説明が出てくる。要するに、「空気読め」ということだと思う。多分、それが、日本人を日本人たらしめている。
「禅的構造への落とし込み」の例。
例えば、日本庭園の枯山水庭。とか言うと俺にもよく分からなくなるので、例えば、漫画とか。
昔の劇画でもアメコミでもバンドデシネでもいいのだが、基本的に良く描き込んである。でも、劇画は廃れ、現在の日本では、あまり描き込まれていない、もっとシンプルな記号化された漫画が主流だ。
これが何を意味するか?
まず、描き込むだけの時間がない、という面はある。つまり、「資源が少ない」のだ、我々は。島国は。で、例え結果的でも、描き込まれていないということは、紙に染みついたインクの量は少ないということである。ということは、それだけ、"何を紙に染みついた少ないインクにするか"考えなければならない。その結果、"何を書くか、どの線を選ぶかなどを作家が(生き残るために)魂を込めて選択しなければならない"(もちろん、適当に描いている人もいるかも知れないが、読者を脱力させるための線や展開などの構造を(無意識のうちに?)選んでいると思う)
で、アニメも描き込みの量が少ないわけだが、ストパンの監督は、エヴァンゲリオンの庵野秀明に「お前の描くパンツには魂がこもっている」と褒められたわけだ。
ゲームもそう。わびでもさびでも萌えでも良いのだが、日本の強みは現実の換骨奪胎と記号化であり、「逆に要素を少なくすることで、対象者に想像力を使わせる」のだ。禅的構造への落とし込みとは、「対象者に想像力を使わせるための魂のこもった取捨選択」だ。小さくまとめ上げる。美を追究する。そのために職人は技を磨き、我々は空気を読む。
で。
ハッカーの話になる。
「ソフトウェアは工業製品ではない」、Rubyのまつもと氏が講演 " @IT
http://www.atmarkit.co.jp/news/200904/10/matz.html
つまり、まつもと氏は、名人主義だ。
だが、そこが彼らの、我々の、日本人の限界性でもある。日本の技術者のかなりが未だに、紙のような装甲と、ディーゼルエンジンを装備し、精神を病むほどの"根性"で、自分を、現実を、だましだまし、日々を戦っている。
とは言え、泣き言や呪詛を並べても仕方がないのだろうが。
どうだろうか。歴史で繰り返される技術者の奢りであるかも知れないという疑念は?
正直、アメリカなら、やりかねないのではないか?
そのうち、ソフトウェア設計を合理化/普遍化/文明化/マニュアル化し、アホでも作れるようにしてしまうのではないか?
大抵のソフトウェアが適当に注文するだけで、9割方、自動生成されてしまうとか。しかも何回もやり直し可能。
俺はそれを恐れる(そして、楽しむ)。
現に、アメリカ発のインターネットというテクノロジーで、編集者は青息吐息ではないか。
多分、思いも寄らない方向から、必殺の一撃が来る、と考えた方が自然ではないか?
そいつは、非人道的に、無慈悲に、機械的に我々を殺しに来るのだ。我々は合理的結論で殺される。OK. 原爆はアメリカにとって合理性があったのであろう。殺される方はたまった物ではないが。それが村上春樹が恐れているものではないか。しかし、"技術革新は誰にも止められない"。
果たして、アホに生きる権利があることを許さない、名人主義のその狭量さが、限界性を作っているとしたら。そして、よりハッキリ言えば、技術バカ(ギーク)がやり手の営業マン(スーツ)に負けるように、好きでやっているアマチュアがプロフェッショナルの作った構造的罠に負けるように、負けるのが宿命づけられているとしたら(日本vs欧米のスポーツもか)。
もっとも、人間はどこかしらの部分で優越感を感じていないと生きていけない生き物であるから、腕のある人間はアホに優越感を感じて、差別して、見下して、生きているのだろう。底辺の人間が、例えば、外国人に優越感を感じて、差別して、見下して、生きているように(繰り返すが、それを自覚し、どう振る舞うかが重要なのであって、その感覚を無くせなどとは言っている訳ではない(というか、存在論の部分に関わってくるので無くせない)。どうプラスに活かすか。"かわいげがある"というのは、見下しているが、プラスの評価だ。だから、日本が"カワイイ"文化で世界に浸透してしまうというのは、結果的に正しい。日本人は連中に"文化"を教えねばならない(←ネトウヨの勝手な思い込み))。
それに、穀物を育てながら、畑を保守しながら、計画に戦略にロジスティクスにストラテジーに取り込まれて生きるのではなく、その時々において、メシの種(獲物)を見つけて狩りをする戦術や技術やタクティクスやアートや道(タオ)を追求するというのも一つの生き方であろう。男だね。侍だね。無形の型。戦略などないので強い者だけが生き残る。生き残ったから強い。まさに逆転の発想。なんということでしょう。匠の遊び心が光ります。お前ならどこへ行ってもやっていけるさ。じかい、ほくとのけんつ~!奥義、万物流転!誰だ、日本人は農耕民族だから、みたいなことを言ったやつは。責任者出てこい(とは単純には言えないのだろうけど。経済は生き物で、強弱の違いこそあれ、両面の才能は必要だろうから)。
・・・・・・少し落ち着きました。
さて、では、はてなは、どんな立場を取るのか。
名人主義のSNSへ向かうか。2ちゃんねらの底辺にいるようなアホの流入を前提にして、文明化するのか(一時期、そちらに傾きかけた・・・というか、あの時のはてな社長は血迷っていたのだろうか?)。今は、どちらでもない、なんだかよく分からない、迷走している状態だ。
それとも、近松門左衛門が虚構と現実のはざまに真に我々の心をうつものがある、と言ったように、迷走状態のはてなであるからこそ、我々の心をうつものがあるのだろうか?"不満を言う楽しみ"。"馬鹿な子ほどかわいい"。"灰色の魔女(違う)"。なんかね~、"相手の優越感をコントロールする"のがサービス業だとしたら、『あたしは、はてながどうしたっていいと思うし、何も言わないわ。はてなはよくやったと思うもの』ですよ(と、また話が明後日の方向へ)。
つまり日本の漫画がトップを走ってるなんていうのは思い上がりという話。売れてないんだから。
そして日本の漫画が世界のトップであると言うことを前提に日本の漫画技術は凄くてアメコミはダメ進歩無しと断罪する人もまたその基盤を失うわけです。
いやいやいや、世界の話してるのにアメリカ限定の話にしちゃってるお前が間違いだろ。
その元増田の主張自体が間違ってる。現にアメリカでは漫画がアメコミよりも売れてウハウハって訳じゃない。
http://anond.hatelabo.jp/20080809191226
Amazon.ukなんかのランキング見てもナルトなどの漫画よりもアメコミの方が売れているし。
アメコミの方向性が「世界的に受け入れられなかった」という現実 (中略) 好みの問題で漫画を見ない連中が世界中にたくさんいて(というかそういう連中しか基本的にいないだろ)、そいつらがアメコミの方向性を受け入れず、日本の漫画の方向性を「今現在受け入れている」という、その現実
具体的なデータもなしにこういうイメージだけで一方的な技術論を持ってきて漫画が凄くてアメコミが駄目だって言うのはあなたの主観に基づいた好みの話でしかないわけ。
ついでにこっちにも。http://anond.hatelabo.jp/20080809215252
アメコミが抱える問題は流通や出版形態からコンテュニティとそれがもたらす敷居の高さなど色々あるわけで、それを表現方法の違いに帰結させたあげく、漫画的表現と違うから遅れてるとか進歩してないといわれても困ります。
俺の主観で「遊戯王」と「Vフォーヴェンデッタ」比べたら断然「Vフォーヴェンデッタ」だけどな。
「ワンピース」「ドラゴンボール」はちょっと悩むけどな。大人の目で読める部分も結構あるから。
長台詞云々も作風の違いでしかない。テキストで読ませる漫画だって多くあるぞ。
ところで、君の評価では和月のるろ剣とかどうなるわけ? あれはアメコミからインスパイアされた表現も多いんだが。
あ、あと俺が前に書いた「日本漫画の信者はほぼ日本文化の信者」についてのレス無いけど、これすごい重要だと思うんだけどどうよ?
どう思うかレスしてほしいならしてやるよ。
信者って。それを日本人が自分から誇るそのセンスがキモくて死にそう。ヘンな国家主義の称揚に使われるくらいなら、日本漫画のアピールなんてしないほうがいいとさえ思うね。それが日本の古きよき奥ゆかしき謙譲の文化って奴じゃねえのー?
アメコミの抱える問題を「方向性」と位置づけて、進歩するのを諦める。これはアメコミ作家自体にも言える事だけどね。
そこまでしか発想が及ばないんだよ。俺は日本マンセーではないが、冷静に見てアメコミは完全に袋小路、それは事実だ。事実は認めなきゃ。
俺は、外国漫画の成功例だったらディズニーを押すけどね。元益田はアメコミの擁護せず、悪い部分は悪いと認めてディズニー押せばよかったんだよ。世界で一番広まってるアニメなんだから。
そこをせず、負け確定のアメコミを擁護するから、おかしな事になるんじゃないのか。
おいおいおいおい!
何の論議してたのか忘れたのかよ。
日本の漫画が世界のトップを走ってて、でもそのうち世界各国に抜かれるんじゃねーの?ってのが元増田の言い分じゃねーか。
それを「好みの問題」で片付けるな。アメコミの方向性が「世界的に受け入れられなかった」という現実はこの論議でモロ核心じゃねーか。好みの問題で漫画を見ない連中が世界中にたくさんいて(というかそういう連中しか基本的にいないだろ)、そいつらがアメコミの方向性を受け入れず、日本の漫画の方向性を「今現在受け入れている」という、その現実を見ないで、好みの問題で片付けるな。
これは、お前が持ち出した、論議の、核心だ。逃げるな。