はてなキーワード: HSPとは
HSPを公言してる人は知り合いにほとんどいないから何とも言えんのだが、そのほかの属性にしたってすぐなんか被害者ムーブ決めようとするんだけど、いやお前は違うからなどう考えてもいま言及してる人たちと境遇違うからただの甘えやろって人が多い
HSPからはちょっと外れるが昨今の女性問題でわめいてる女性の半分くらいもそういう印象がある
ぬくぬく裕福な家庭で育ってきて大学まで行かせてもらってずいぶん派手に遊んでたくせに大学卒業あたりで急に私たちがいい給料をもらえないのは差別だからだみたいな主張をし始める
お前が今挙げてる虐げられた女性の例は大学で遊びまわったりしてないし、そもそもお前と同じく遊んでた男は同じどころかフリーターやってるよよかったねって感じなんだけどマジでそういうの見えてなさそう
こういうのは極例だが世の中にそこそこいっぱいいて、怠惰な人間ほど自分が怠けていい属性を持つと限界まで怠けた挙句に最近は謎の権利まで主張してくるからな
リアル世界だとお前は境遇が違うだろっていう一言で終わるし縁を切れば終わりだが、web上だともしかしたら~~~かもしれない、~~~~かもしれない・・・みたいな限界まで好意的解釈する謎のチ●ポ騎士団がわらわら湧いてきたりしてまたそういう奴らが増長する
アホがアホであることを免罪符にして世話しなかったこっちを逆に責めて来たりまでする
泣きたいのはアホの相手しないといけないこっちだよ
無能のくせに自己主張すんなよっていうかメタ認知能力を持って身の程を知れって話だ
HSPに限った話ではない 100歩譲って身の程知らずに高みを目指してるのは勝手にすればって感じだけど他人を振り回した瞬間に批判の対象になるのは当たり前だ
HSP批判でモヤるところとしては、詰まるところ無能のくせに我儘に自己主張すんなよ!、という相対的強者目線からの抑圧ということに気付いた
繊細と我儘と無能は全部両立するんだけど、そういう人たちと共生してくにはどうしたらいいんだろ?
建設的な考えを聞いてみたい
周りに迷惑かけたくないので恋愛は諦め友達づきあいも最低限、仕事は家でできるちょっとしたお小遣い稼ぎ程度で、今はほぼひきこもりみたいな生活してる。もちろん実家。
昔はどうにかして普通の人になろうと仕事も恋愛もめちゃめちゃ頑張ってたけど、でも全部ハリボテというかカリソメというか、とにかく長続きしないし後からくる疲れやダメージが半端なくて、全部やめた。
ストレス減って結構いい感じだよ。無理して生活してた時期より気に入ってる。
将来への不安はもちろんあるけど、最悪生活保護か、行き着くところまで行ったら自分で人生を畳んでもいいし(さすがに両親より先には死なないけど)、もうどうにでもなーれって感じ。まじ安楽死制度ほしいわ。
蛙化の人や友人が蛙化の人のを読んだけどHSPと自称する人にまともな人がいたことがない
子供のクラスにも以前HSCと呼ばれる子が4月から転校してきて保護者から自己紹介があった
真逆のタイプの我が子には強めに、あなたが何とも感じないことに傷ついたりする子もいるんだよ
M田さんはとても心が優しく傷つきやすい子なんだって、だからあなたも優しくしてあげてね
と我が子に伝えたらわかった!と言って新学期が始まったのだけど
蓋を開けてみたらM田はただのワガママで繊細でも何でもなかった
自分の好きじゃないことはやりたくない、気に入らないと癇癪を起こし、自分の思い通りにする
他人に失礼なことをするのに相手に何か言われた大騒ぎしM田の親からクレームが入る
小学生が言われたら言い返す当たり前のことがM田にはしてはいけなかった
席替えもそうだ、平等にくじ引きをしようがM田がその席を気に入らなかったら配慮しなければいけない
ならいっそ最初にM田に好きな席を選んでもらい、残りのみんなでくじ引きをすればいいと思うのだけどHSCだからそれは許されない
学校側はおそらく知っていたのだろう
今思えばあの時の我が子のクラスはM田を抜いたらとてもいい子たちで構成されていたし担任も人気の先生だった
うちの子だって愚鈍だけど人に嫌なことをするタイプではなくポジティブで明るい優しい子だと思う
先生のことなら教育委員会などに持ち込めても子供のこと、更には自称特性持ちの弱者には保護者は非力なものだった
私達ができたことは来年以降M田と同じクラスにはしないで欲しいと訴えるということくらいでそれすら確約がない
HSCは障害があるわけではないから通級送りにも出来ない(こちらからしたら十分障害だと思うけど)
保護者が言うには好きでそうしてるわけじゃなくて性格だから仕方がないと言うものだった
本当にHSCって厄介だと感じた1年だったけどHSPの蛙化の記事を読んで当時を思い出して死ぬほどイライラした
セックス嫌いなのにセックスしたい男と交際したり、結婚したりして
後だしで「私のことを愛してるなら、セックスなしでもいいよね。私の特性を理解してね。私はセックスできないけどあなたのことが好き(私に優しくしてくれるし、メリットあるから手放せないよ~私のことを大切にしてくれるあなたが好きなの~)」
HSP女「HSPで傷つきやすいから自衛のために嘘をついたり、突然SNSをブロックしたりするけど、私だってつらいの!!
この私のめんどくさい特性を理解して、私に最大限気を遣って優しく接してくれる理解ある彼くんはいないかな~」
いやぁ、あまりにもうざすぎだし
追記2を読んで、わざとやってるとしか思えなくなってきたのですが。
あなたのせいで他の善良なHSPの人たちが偏見の目で見られること(その多くは女性ですが)、問題に思いませんかね?
カウンセリングに行って、ここに書いた文章コピーして見てもらったらいいと思います。ずっとHSPのせいにしていますが、関係ないです。
男性を怖いと思う気持ちは分かるのですが、あなたの場合は男性嫌悪が非常に強いですよね?もう文章にも行動にも表れまくってますよ……。
最後に。
女性嫌悪の男性が婚活の場にいたら嫌じゃありませんか?ここで女は〜とか言って馬鹿にしている人たちのことです。
あなたはその人たちと同じなんですよ。
H本人が良いやつだから人間関係続いてるんじゃなくて周りのやつが良いやつだから続けてもらってただけで、H自身が徐々に周りの人間切り続けて終わるだけだぞ
痛みを避けた結果破綻するまで気付かない
以前付き合いのあった人で、単純な言葉の裏に言ってない悪意を勝手に創作しては気分を害された、自分は大切にされていない!とこちらに謝罪を要求しまくってきた女さんがおったんやけど、これHSPやった?んやね。本人が苦しいからと言って他人に当たり散らして良いわけがないしそういう態度が人を遠ざけて負のループに入るんだよね。
切れるまで、切れたあともツイッターで一方的に悪口書かれまくったしひたすらしんどかったけど反面教師として言葉は素直に受け取るようになったよ。お世辞言うのはある程度こちらに好かれたいからだもんね。
繊細で気にしやすい人だと、ある程度の年齢で結婚してないとどう思われるかな……って強迫観念があるんじゃないかな?
女性の場合は20代〜30代前半で紹介頼むのと40代以降じゃ全然違うんだろうし、ちゃんとした人じゃなきゃ!愛されるって証明しなきゃ!って気持ちが強いのかな……と周りのHSPっぽい人見ながら思った
追記も読んだ。
「HSP」「蛙化現象」「回避性パーソナリティ障害」というラベルがあればすべて許されるわけではないんだよ。
ちゃんとした診断もされていないのに、そういう言葉や概念に飛びついて救われた気分になるのはよくないことだ(まともな精神科医や臨床心理士ならHSPの診断はしないと思うので、相談したカウンセラーはまともな人だったのか疑問)
何の解決にもならない。
「(HSPやパーソナリティ障害という)理由があるのに周りの人に理解してもらえない🥺」というのは、「自分の振る舞いは無条件に許されるべき」という自己愛のおしつけと認知の歪みがある。生きづらさの原因はそれだ。
「生活が苦しいので結婚したい」というところ自体も感心しないが(自己の利益のために他人(男性)を搾取する気満々なところが見てとれるので)
そもそも自分の都合が最優先で他人の気持ちや都合など何も気にしていないところが根本的な原因なのだから、解決する気持ちがあるなら、ちゃんとした精神科医や臨床心理士に見てもらいなさい。
回避とHSPの併発って言われると、それもう回避じゃなくてNPDの過敏型が正体じゃないの?
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回避傾向を持つ群
騒々しく見栄っ張りで、傲慢で人を利用するという明確な自己愛性パーソナリティ障害の人物像とは対照的に、過度に傷つきやすく、失敗を恐れ、恥をかかされることを心配するために人前に出ることを避ける過敏なタイプの自己愛性パーソナリティの人々がいる[48]。彼らは周囲の人が自分にどういった反応をするかに非常に敏感で、絶えず人に注意を向けている。批判的な反応にはとても過敏で、容易に侮辱されたと感じる。人に非難されたり、欠点を指摘されることを恐れ、社会的に引きこもることで葛藤を避け、自己の万能世界を築きあげようとする一群である。自分は拒絶され軽蔑されるだろうと確信しているために、スポットライトを浴びることを常に避ける。表面的には内気で抑制的に見えるが、その実、精神内界には誇大的な幻想を抱えており、自己愛的活動の大部分を空想の中で行い、それを人に知られないようにしている。彼らの内的世界の核心には、誇大的で顕示的な秘められた願望に根ざした、強い羞恥心がある。
一見すると慎み深く、ときに深く共感的に見えることもあるが、それは他者に純粋な関心があるように見せたいという彼らの願望を取り違えているだけである。彼らは自分の心的防衛の最終段階にある抑制的な行動しか目に入らず、自分のことを恥ずかしがり屋で自己主張ができない人間であり、当然受けるべきものも得られない性格だと考えていることがある。現実には持続的な人間関係を持つことが出来ず、共感性の欠如を示し、内に秘めた誇大的な自己像は慎重な面接を繰り返していくことで徐々に明らかになっていくのが、潜在型のナルシストの特徴である[48]。
アメリカ精神医学会は精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)において、自己愛性パーソナリティ障害の人物は批判や挫折に伴う傷つきに非常に敏感なため、社会的ひきこもりの人々にも見られることを報告している[49]。グレン・ギャバードは、潜在型の自己愛性パーソナリティ障害の人々は回避性パーソナリティ障害や社交恐怖と多くの点で関連していることを指摘している[50][51]。また牛島は、現代の操作的診断基準(DSM)においては顕在型の傲慢なタイプは自己愛性パーソナリティ障害と診断されるが、潜在型の過敏なタイプは回避性パーソナリティ障害(あるいはスキゾイドパーソナリティ障害)と診断されてしまうことが少なくないと述べている。これらは精神力動的には同じもので、単なる表裏の問題に過ぎず、背景にある自己愛性の問題を把握することが必要であることを指摘している[52]。また丸田は、典型的な症例は無関心型と過敏型の特徴のどちらかを示すが、臨床的にはほとんどが両者の混合型であり、ひとつの症状軸である「他者の反応に意を介さない vs 他者の反応に対して非常に敏感」を取り上げても、その反応は振り子の両極のように大きく揺れ動くのが特徴(健康な人は揺れが少ない)という点を指摘している[53]。現実の自己愛性パーソナリティ障害は、ギャバードの分類した無関心型の極から過敏型の極へと至る線上のいずれかにプロットされると考えられる。
自己愛性パーソナリティ障害は、対人関係における搾取的行動、共感性の欠如、激しい羨望・攻撃性・自己顕示欲という諸々の特徴を示す[57][58]。彼らの持つもう一つの側面は、その傷つきやすさである。意識的なレベルでは、それは無力感、空虚感、低い自尊心、羞恥心に由来するものである。それは彼らが求めたり、期待する支持が与えられない状況や、自己主張が不可能なために退避するような状況において、親しくなることを回避するという行動で表現されることがある[58]。自己愛の病理は軽症から重症まで連続的な広がりをもち、その自己表現形式も多様である。