はてなキーワード: FGoとは
大学の時にやってたのはFGOだったから結局そうやって虚無化してく趣味かどうかの違いだったんだな
無課金アカウント売って3万儲けたしグッズの半分くらいは売れたから交通費除けばトントンくらいかな?楽しかった
でも当時の彼女にすごい嫌な目を向けられたから女に対して心象悪いなぁと思って浮気中にきっぱり辞めた
よく考えるとモノとして手元に残るかどうかの違いだけだったんだね
ふと悟ってしまったのだけれど、FGOのゲーム性って「手持ちのリソースで以下に高速にフリクエ3ターン周回を可能にするか考えるパズルゲーム」なのでは?
メインストーリーのイベント戦闘は手を変え品を変え難しくしてるけども、石(実質お金)を使い放題という条件下では無敵貫通礼装か防御無視礼装を積んだ有利クラス攻撃宝具サーバントで攻撃し続けるだけで十分で、攻略というのは使っても令呪3画と石3つぐらい、できればゼロでなんとかする節約の方法を色々考えているに過ぎない
FGOっぽいゲームを後世に残したい、と考えてスタンドアロンなリスペクトゲームを作っておく場合、シナリオとグラフィックを全部なくしてトランプやタロットで代用し、押し寄せる敵(乱数のない行動をする)を手持ちのデッキとプレイ手順の自動再生で撃破する速度を競う一種のタワーディフェンスを作っておくのが一番近い体験になるんじゃないかと思う
ああ、やっぱりみんな思ってるのか
アメリカのフェミニストがゲームなどの創作物に向ける批判は色々なものがあるが、その1つに、出てくる女性が少なすぎる、みたいな主張がある。
有名な「ベクデル・テスト」なんかもその1つだろう。映画において女性が主体性を持って描かれているかどうかをチェックする際の基準として、「少なくとも2名、女性が出てくる」「互いに会話をする」「話題は男性以外のものである」というものを挙げている(もともとはレズビアン漫画家のジョークだったらしいが)。
しかしこんなものは日本のオタク界隈にいれば「???」となってしまう基準であろう。アニヲタの私が見た範囲において、最もこの「ベクデル・テスト」に適合しているアニメは『ストライクウィッチーズ』や『ガールズ&パンツァー』や『ハイスクール・フリート』や『ウマ娘』であり、最も適合していないのは『刀剣乱舞-花丸-』だった。だが、前者は男性向けで後者は女性向けというのは常識だ。
以前、姉と「(『FGO』や『グランブルーファンタジー』のような)主人公のキャラがある程度立っていて主人公の性別選択が自由なソシャゲをプレイするときはどちらにするか」という話をしたところ、見事に、私は女性を選ぶし姉は男性を選ぶ、という結論になったことがある。そりゃそうだ。私はぐだ子やジータのようなかわいい女の子の活躍を見たいし、姉はぐだ男やグランのようなかっこいい男の子の冒険に興味があるのだ。異性愛者としては当然だ。
しかしこの感覚が意外とアメリカ的なカルチャーの文脈では通用しないのかもしれない。彼らは物語の主人公に自分を投影できることを求めている。
日本でも、子供向けの作品にはそういう傾向がある。女性キャラばかりが登場する『プリキュア』は女児のためのものだし、男性キャラが主役を張る『仮面ライダー』は男児のためのものだ。しかしこれが大人になると逆転する。成人男性オタクは『艦隊これくしょん』のような女ばかりの世界に耽溺し、成人女性オタクは逆に『アイドルマスターSideM』のような男だらけの世界を求める。つまり成人すると、創作は自己を投影させて楽しむものではなく画面の向こうを眺めて楽しむためのものになる。
そこでは、別に自分と同じ属性の者がいなくたって何も困らない。むしろいたところで邪魔である。『ラブライブ!』シリーズを見ていて、見事に画面に男が映らないことに安心する。男なんて鏡を見ればいくらでも見ることができるのに、わざわざ萌えアニメの中でまで見たくない。そりゃかっこいい男キャラを楽しみに見るアニメもないではないが、美少女アニメを見るときにはそういうのは求めてないのだ。
けれどアメリカではどうも違って、自分と同じ属性の者が少ない、という文句が社会的に受け入れられているように思える。もちろん自己を投影して楽しむという楽しみ方も別に悪くはない。それは個々人の自由だ。ただ、その楽しみ方が普遍的であるとは思わないでほしいなぁ、と思う次第である。日本では、主体性を持った女性キャラが大勢出てくるアニメは主に男性によって消費され、女性が好むアニメは男性キャラばかりが出てくるものなのだから。
FGOとか艦これだと元ネタ関連の話で史実では云々言われても全然気にならないし自分も使ってしまうのだが、
何故かウマ娘で実在馬の話題が出てきた時に史実って言葉使われると結構びっくりする。
例として「史実のゴールドシップはさ~」みたいに言われるとし、史実!?とぎょっとするというか。
実際ゴールドシップは既に現役を引退しており走ったレースも全て過去のことではあるので、言葉自体の正確な意味はともかく、史実って言ってもオタク内ニュアンス的にはまあ間違ってないんだろうけど。なんだかんだでもう10年近く前だし。
ただ自分自身リアルタイムで見ていた記憶がまだ生々しかったり、今でも検索かければ当時の2chのログまとめどころかレース動画がレース当時のコメント込みで出てきちゃったりするので(当時の見解がそのまま残っているので見返すと結構面白い)、
歴史ってほど時間経ってないような……いやそもそも歴史になるってなんなんだろうな……とどうでもいいことながら思ってしまった。
かといって原作ってのも物語がある作品じゃなくてただの現実にあった事項の羅列である以上なんかしっくり来ない気もするし、実在うんぬんと表現するのも面倒ではあるので、
新しいイベントストーリーにイケメンキャラクターが登場し、一躍話題になった。
男性キャラクターの実装が最近少なかったこともあり、彼のプレイアブル実装を期待する声も多かった中、担当イラストレーターのお仕事報告のツイートにはっきりとNPCと書かれており、実装されない事が分かり炎上した。
FGOがリリースした当初、つまるところ2015年になるが、結構ド派手にリークが流出していて今後実装予定のサーヴァントの名前がつらつらと出てきていた。
その中には実装されたのが3年以上後になるサーヴァントも居たし、6年経った今もまだ実装されていないものまである。
細かな途中変更こそきっと多くあっただろうが、シナリオの大筋ぐらいは最初から最後まであらかじめ考えられていたのではないかと思わされるゲームだからだ。
FGOはフッ軽ではない。
ご要望に対して臨機応変に対応できない、または出来る範囲に限りがある。
今も気になったことはアンケートに書こう!と言う流れを見かけるが、あえて言おう。無意味である。
どうしてもFGOは要望には応えられない、または応えるのにかなりの時間とリソースを要するコンテンツであるからだ。
「Fateシリーズは最初はエロゲー」と言われるが、エロゲーだったのがもはや過去の話なった今もなお基本は男性向けコンテンツであり、主要な客は男性だ。
これは「だから女性票はないがしろにしてもいい」いう自分の意見ではなく、運営側がターゲットに指定している層がそれなのではないかという考察である。
せめてもの女性票を拾おうという意思が、ホワイトデーの展開や衣装変えの実装、イケメンNPCの登場に出ているのだと思うが、どうしてもそこに平等に扱ってほしい女性客とのギャップがある。
最初からそう出来てるからだ。女性に広く遊ばれるようになることが予想外だったからだ。
そして気付いた所でそれに合わせられるほどフッ軽ではない。
モレー女体化に文句を言う声もあるが、そこはもうこの作品根本的にアーサー王が女なので諦めて欲しい。
今回最大、かつ擁護しようのない批判点として、発表が担当イラストレーターからであったことだろう。情報発信の初出になるべきではなかった。
イラストレーターが批判のやり玉になったら批判した奴がバカでいい話なのだが、実際騒動に巻き込んでしまった。
運営自ら発信するか、タイミングをイベント終了後ユーザーがそれとなくNPCであることに気付いた頃にするべきだった。
少なくともイラストレーターに発信させようとしたということは、実装が無くてがっかりする事に対して先手を打とうという意識はあったのだと思う。
だが運営自ら発信するのではなく関係者にそれとなく発信させる方法を選んだのは、責任転嫁のようなものを感じずにはいられない。
また女性票に対応できていない事については擁護に書いたが、商売的に考えたらバランスの取り方はもう少し考えた方が良かった。
少なくともフットワークの動く限られた範囲の男性キャラクターに使えるリソースがあって、それを以蔵につぎ込んだのは恐らく悪手だった。
本件に限った話ではないがFGOは「まんべんなく」という言葉を知らない。1回ウケたら2回でも3回でも同じことをする。
リソースが10あったとして10個の箱に1つずつ入れるのではなく、4つ入った箱があったり1つも入っていない箱があったりとかなりの偏りを付ける。
しばらく順番を待っていると自分の欲しい物が得られる事もあるが、その期間が長くなり希望が絶たれるとそのユーザーは辞めてしまう。
オタクにとっての害はむしろ、このマフィア梶田っていう個人の悪性を『オタクの悪性』にすり替えて話題に挙げている増田の方では?
マフィア梶田がオタコンテンツと近い距離の人というのは知っているけど(FGO関係で名前を見たことがある)、今時ネットタレントでオタコンテンツに触れている人なんて珍しくもないし、セクハラまがいで燃えそうなことしてるYoutuber系の人もまた珍しくない。
ことさらオタクを強調するような伝えられ方さえしなければ『キモいおっさん』とか『クソなネットタレント』とかの枠組みで処理されていたと思うよ。
オタクの印象云々を考えたら「オタクの問題として内省しましょうね」ってするより「あのクソ野郎はオタク趣味かもしれませんが、今回の問題行動とオタクという属性は関係ありませんよ」ってアピールする方が上策でしょ。