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2017-10-11

マチアソビにて片渕監督講演会覚え書き

キャラクターに宿る存在感

この世界の片隅に」が目指したこ

片渕須直監督

藤津亮太アニメ評論家

いつもだと自分パソコン開くんですが。今日は藤津さんのパソコンで。

コメンタリー上映会2回目。まだ喋る内容がある。というかしゃべる時間が足りない。映画ポーズで止めたかった。

キャラクター作りについて。すずさんがそこにいるということを目標ひとつとしていた。これはマイマイ新子の頃から

絵空事では無く。肉付け。外側の世界を充実させることで、結果的パーソナリティを描けるのではないか

世界構成要素を本物で描く。我々の作るアニメーションファンタジーとなるのだが、日常空間から逸脱することでファンタジーを描くのだが、実際の世界を描くことでファンタジーリアリティが与えられる。

名犬ラッシーからラッシーイギリス舞台エリザベステイラー時代アメリカホームドラマの影響で作ろうとしてた。ロケハンにも行けなかったので、行ったことの無いヨークシャの炭鉱想像と調べたことの組み合わせで作っていった。

町に住んでいる人達準レギュラーにすることで、街自体を描く。そうやってストーリーにしていった。炭鉱の浮沈や犬を手放すことになったサブシーンを描いていく。考えながら走りながら作っていった。

町を本物らしく見せる鍵は町自体歴史があるという背景。町の川側から町を描くシーン。その世界を裏側から描写する。立体的に書き割りでは無い町。

アリーテ姫リアリティのあるファンタジー。国がどうやって運営されているかとかが描きこまれていた。城下職人暮らしを描くことで、アリーテの気持ち世界を描いた。

人の生活を示すことで、キャラクター存在感が出てくる。

大学入った頃に観た、高畑勲さんの作品の影響もある。ハイジの話し。ドイツの町に住むことになって、ハイジクララピクニックに行くが、楽しんでいたクララが突然限界がきて辛そうになる。二面性。リアル世界

当時はすごいめんとくさいなと思った。学生の頃はみえてない。世界みえてなかった。

人間を描くのはめんどくさいなと思った。名探偵ホームズはやりやすかった。宮崎駿さんが、人間の深みとか書くつもりの無い人だったから。

魔女の宅急便の時にそのあたりに踏み込んだ。普通の人がどう生きてるか。成長していくか。心の構造精神発達心理学など。伊丹十三さんとか岸田秀さんの唯幻論。人はどうできているか

1人の人の中には複数個性バランス。その場に応じて表面に出てくる割合が変わっていく。

アリーテ姫原作は単純なキャラ。悪役の魔法使いボックス原作主人公クレバーでは無いが、ボックスの悪役を掘り下げたことで、アリーテ姫は機転がきいた子になる。

自分を偽って生きているのが、自分たちの正体ではないか?虚飾の魔法使い。本当の人生を生きていない人の描きこみがアリーテ姫から始まった。

ブラックラグーンの作り込み。原作が途中から追いつかなかったので、ストーリーを聞いて描いていった。

この世界の片隅にの径子の台詞。径子は自分自分の道を選んだから。すずとりんはそうじゃない。ブラックラグーンOVA。周りのキャラにも、そうじゃない人生があったというエンディング悪漢たちの別の顔。

自分が選んだ道を歩いていけてる訳ではない。だからこそ、そういうありたかった人生に触れることでその人間を描く。

原作を超えたところを描きこんだブラックラグーン。立体的な背景。タイのような舞台タイ基本的外国支配を受けていないが、南の一部はインドネシア領フランス占領されたりしていた。

アリーテ姫自分人生を歩き始めたところから始まる。

そうじゃないところから始まったのが、ブラックラグーン

最初丸山さんは監督無しで3話ごとに交代でやる予定だった。さすがにそれはまずいだろうと基本設定決めるところをやってたら、丸山さんが監督を全く考えてなかったので気が付いたら監督していた。

ブラックラグーンはこれまでの片渕監督作品イメージと違うので、ペンネームでやるかという話しがあった。マイマイ新子と同時期。

うまくいかなかった人生を書いたブラックラグーンマイマイ新子の周りの大人たちは上手くいってない。原作には1000年前の設定は無かった。国府の話しは出た。

でも、1000年前の話しが出たら、そこをふくらませてそこに見えない世界を描くのがファンタジーであり、そこを描き込むのが本能みたいなもの

1000年前のことをきちんと調べることでファンタジーの描きこみができる。実際の280回くらいの発掘調査報告書を読んで、その中の図を集めて今の地図に重ねる。でも全然足りない。国衙調査でも足りない。でも道路などがわかる。1000年前と今の間にもいろんな世界がある。

1000年前の世界1000年前の話し。1000年前が真ん中。

ブラックラグーンタイ取材にいこうとしてたら、洪水でいけなかった。ベトナム香港などは行った。

マイマイ新子は3回くらいしか現地に行ってない。終わった後の探検隊10回。そちらの方が多い。

発掘調査報告書がメイン。古本屋から写真など。干拓地のきーこ。カネボウ工場社宅。そのカネボウ最後工場長から写真などをもらえた。

事前の知識を持ってロケハンに行かないと見てもわからない。塀のイメージなど発掘している現地でイメージが湧くためには知識が無いと出来ない。

事前に知っているからこそ、現地で発掘している人と話しがきちんと理解し合える。情報をもらえる。今でもあって昨日も泊まらせてもらった。

ハイジクララ矛盾マイマイ新子では子供たちは純粋だけど、周りは思ったように生きられてない。

マイマイ新子金魚が戻ってきたのが最後原作者体験らしい。死んだはずの金魚がまた出てくるという思いが子供世界。おじいちゃんの死の原作での書き込みを外して。

原作者は男女の性愛を描く人。それを入れなかった代わりに死の表現がにじみ出ている。死を描くための映画にしたくなかった。

普通に歳をとって死んだおじいちゃんの話しは重くしたくなかった。で、ヤクザの話しを膨らませた。

この世界の片隅にのすずさんは大人少女から大人への端境期という面が原作より強いと原作者から言われた。すずさんは18歳で自分意思とは関係無く嫁にいかされる。

すずさんは自分空っぽだと思っていたが、実は中にはたくさんあった。

マイマイ新子のきーこ。新子に対して現実的な子。自分には無い想像力を持った新子をうらやましいと思っている。きーこと新子は2人とも主人公

すずは自分の内側にあるものから変化する。空っぽな人はいないが、それを表に出せないタイプのすず。アニメーションやってる人も普通の人。

日本アニメドキュメンタリー性を持って進化してきたと思う。記録性。

年齢層が上がってきた。巨人の星読売巨人軍や二軍。実際にある世界を描くようになってきた。オバケのQ太郎とは違う。観る年齢層があがる。

長くつしたのピッピルパン企画書を見つけた。タバコや銃のブランド定義ピストルで済ませるのでは無くワルサーP38ルパン三世カリオストロでは赤いきつねコカコーラを描いてる。

日本アニメにそういうリアルを描く流れができた。母を訪ねて三千里は、周りの人間リアリティが入ってきて、中学生くらいがみられる作品

手塚治虫さんの漫画の描き方の本。アシスタントに車を描けといったらできなかった。手塚治虫さんの言う車は抽象的な車だったが、今は実際の車。

この世界の片隅にでは実名のある描きこみ。実現できなかったすずさん。抽象的な戦時中ではなく、現実カケラを組み合わせた。

出来るだけ背景を捉える。人物サイズを大きくしがちだが、もっと背景を描く。背景にあるもの存在感

効果音BGMについて。この世界の片隅にでは、出来るだけ実写の音響でということをお願いした。アニメ表現より実写の表現BGM無しでも良いかとも思ったが、BGM心理描写ができた。

2017-10-09

■マチアソビにて片渕監督講演会覚え書き



キャラクターに宿る存在感

この世界の片隅に」が目指したこ

片渕須直監督

藤津亮太アニメ評論家

いつもだと自分パソコン開くんですが。今日は藤津さんのパソコンで。

コメンタリー上映会2回目。まだ喋る内容がある。というかしゃべる時間が足りない。映画ポーズで止めたかった。

キャラクター作りについて。すずさんがそこにいるということを目標ひとつとしていた。これはマイマイ新子の頃から

絵空事では無く。肉付け。外側の世界を充実させることで、結果的パーソナリティを描けるのではないか

世界構成要素を本物で描く。我々の作るアニメーションファンタジーとなるのだが、日常空間から逸脱することでファンタジーを描くのだが、実際の世界を描くことでファンタジーリアリティが与えられる。

名犬ラッシーからラッシーイギリス舞台エリザベステイラー時代アメリカホームドラマの影響で作ろうとしてた。ロケハンにも行けなかったので、行ったことの無いヨークシャの炭鉱想像と調べたことの組み合わせで作っていった。

町に住んでいる人達準レギュラーにすることで、街自体を描く。そうやってストーリーにしていった。炭鉱の浮沈や犬を手放すことになったサブシーンを描いていく。考えながら走りながら作っていった。

町を本物らしく見せる鍵は町自体歴史があるという背景。町の川側から町を描くシーン。その世界を裏側から描写する。立体的に書き割りでは無い町。

アリーテ姫リアリティのあるファンタジー。国がどうやって運営されているかとかが描きこまれていた。城下職人暮らしを描くことで、アリーテの気持ち世界を描いた。

人の生活を示すことで、キャラクター存在感が出てくる。

大学入った頃に観た、高畑勲さんの作品の影響もある。ハイジの話し。ドイツの町に住むことになって、ハイジクララピクニックに行くが、楽しんでいたクララが突然限界がきて辛そうになる。二面性。リアル世界

当時はすごいめんとくさいなと思った。学生の頃はみえてない。世界みえてなかった。

人間を描くのはめんどくさいなと思った。名探偵ホームズはやりやすかった。宮崎駿さんが、人間の深みとか書くつもりの無い人だったから。

魔女の宅急便の時にそのあたりに踏み込んだ。普通の人がどう生きてるか。成長していくか。心の構造精神発達心理学など。伊丹十三さんとか岸田秀さんの唯幻論。人はどうできているか

1人の人の中には複数個性バランス。その場に応じて表面に出てくる割合が変わっていく。

アリーテ姫原作は単純なキャラ。悪役の魔法使いボックス原作主人公クレバーでは無いが、ボックスの悪役を掘り下げたことで、アリーテ姫は機転がきいた子になる。

自分を偽って生きているのが、自分たちの正体ではないか?虚飾の魔法使い。本当の人生を生きていない人の描きこみがアリーテ姫から始まった。

ブラックラグーンの作り込み。原作が途中から追いつかなかったので、ストーリーを聞いて描いていった。

この世界の片隅にの径子の台詞。径子は自分自分の道を選んだから。すずとりんはそうじゃない。ブラックラグーンOVA。周りのキャラにも、そうじゃない人生があったというエンディング悪漢たちの別の顔。

自分が選んだ道を歩いていけてる訳ではない。だからこそ、そういうありたかった人生に触れることでその人間を描く。

原作を超えたところを描きこんだブラックラグーン。立体的な背景。タイのような舞台タイ基本的外国支配を受けていないが、南の一部はインドネシア領フランス占領されたりしていた。

アリーテ姫自分人生を歩き始めたところから始まる。

そうじゃないところから始まったのが、ブラックラグーン

最初丸山さんは監督無しで3話ごとに交代でやる予定だった。さすがにそれはまずいだろうと基本設定決めるところをやってたら、丸山さんが監督を全く考えてなかったので気が付いたら監督していた。

ブラックラグーンはこれまでの片渕監督作品イメージと違うので、ペンネームでやるかという話しがあった。マイマイ新子と同時期。

うまくいかなかった人生を書いたブラックラグーンマイマイ新子の周りの大人たちは上手くいってない。原作には1000年前の設定は無かった。国府の話しは出た。

でも、1000年前の話しが出たら、そこをふくらませてそこに見えない世界を描くのがファンタジーであり、そこを描き込むのが本能みたいなもの

1000年前のことをきちんと調べることでファンタジーの描きこみができる。実際の280回くらいの発掘調査報告書を読んで、その中の図を集めて今の地図に重ねる。でも全然足りない。国衙調査でも足りない。でも道路などがわかる。1000年前と今の間にもいろんな世界がある。

1000年前の世界1000年前の話し。1000年前が真ん中。

ブラックラグーンタイ取材にいこうとしてたら、洪水でいけなかった。ベトナム香港などは行った。

マイマイ新子は3回くらいしか現地に行ってない。終わった後の探検隊10回。そちらの方が多い。

発掘調査報告書がメイン。古本屋から写真など。干拓地のきーこ。カネボウ工場社宅。そのカネボウ最後工場長から写真などをもらえた。

事前の知識を持ってロケハンに行かないと見てもわからない。塀のイメージなど発掘している現地でイメージが湧くためには知識が無いと出来ない。

事前に知っているからこそ、現地で発掘している人と話しがきちんと理解し合える。情報をもらえる。今でもあって昨日も泊まらせてもらった。

ハイジクララ矛盾マイマイ新子では子供たちは純粋だけど、周りは思ったように生きられてない。

マイマイ新子金魚が戻ってきたのが最後原作者体験らしい。死んだはずの金魚がまた出てくるという思いが子供世界。おじいちゃんの死の原作での書き込みを外して。

原作者は男女の性愛を描く人。それを入れなかった代わりに死の表現がにじみ出ている。死を描くための映画にしたくなかった。

普通に歳をとって死んだおじいちゃんの話しは重くしたくなかった。で、ヤクザの話しを膨らませた。

この世界の片隅にのすずさんは大人少女から大人への端境期という面が原作より強いと原作者から言われた。すずさんは18歳で自分意思とは関係無く嫁にいかされる。

すずさんは自分空っぽだと思っていたが、実は中にはたくさんあった。

マイマイ新子のきーこ。新子に対して現実的な子。自分には無い想像力を持った新子をうらやましいと思っている。きーこと新子は2人とも主人公

すずは自分の内側にあるものから変化する。空っぽな人はいないが、それを表に出せないタイプのすず。アニメーションやってる人も普通の人。

日本アニメドキュメンタリー性を持って進化してきたと思う。記録性。

年齢層が上がってきた。巨人の星読売巨人軍や二軍。実際にある世界を描くようになってきた。オバケのQ太郎とは違う。観る年齢層があがる。

長くつしたのピッピルパン企画書を見つけた。タバコや銃のブランド定義ピストルで済ませるのでは無くワルサーP38ルパン三世カリオストロでは赤いきつねコカコーラを描いてる。

日本アニメにそういうリアルを描く流れができた。母を訪ねて三千里は、周りの人間リアリティが入ってきて、中学生くらいがみられる作品

手塚治虫さんの漫画の描き方の本。アシスタントに車を描けといったらできなかった。手塚治虫さんの言う車は抽象的な車だったが、今は実際の車。

この世界の片隅にでは実名のある描きこみ。実現できなかったすずさん。抽象的な戦時中ではなく、現実カケラを組み合わせた。

出来るだけ背景を捉える。人物サイズを大きくしがちだが、もっと背景を描く。背景にあるもの存在感

効果音BGMについて。この世界の片隅にでは、出来るだけ実写の音響でということをお願いした。アニメ表現より実写の表現BGM無しでも良いかとも思ったが、BGM心理描写ができた。

2017-01-27

ジブリもいいけど伊丹十三を流してくれよ

なんでマルサの女とかタンポポとか放送しないの?

日本映画産業を衰退させてんのは誰なんだ。裾野が広がらないと、テッペンも上がらないっていうのに。

なにが日本の文化だ、クソが。どうせ、能が出てきた頃も、こんな感じで大衆迎合して失われた精神性があったんだろうし、その積み重ねが「日本人精神年齢は低い」ことに繋がっていくんだと思うよ。

音楽チャートは死んだし、映像アニメばかりになってしまったし、テレビ局タレントと一緒に企画を作らないし、先人の残滓のみでなんとか食いつないでるくせに一丁前のツラしやがって。

お前ら全員加水分解しろ

2016-09-02

昔はよく地上波伊丹十三映画放送してたよなあ

いまは全く放送しないのはなんでだろ

2015-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20150830232222

昔は、ダイエットという考え方がなかった時代があるので

スープを残さず飲む=満足する美味しさだった。

スープを残す=満足する美味しさではない。

という時代もあったんだよ。

それも、伊丹十三映画の影響かな

2015-06-17

同性代の男性エッセイストがいない

世代(年齢±5歳程度)に、日常のどうでもいい話を面白く書く男性エッセイストがいない。

「いない」というか、「知らない」。

から誰か教えてください。

女性はいるんだよ割と。

ジェーン・スー

岡田育

雨宮まみ

本業小説家だけど、津村記久子エッセイも力が抜けていて好きだ。

LGBT(このくくりでいいのかは知らんが)もいる。

能町みね子

少年アヤ

少し上の世代には、好きな男性エッセイストいる。

菊池成孔

大槻ケンヂ

東野圭吾

リリーフランキー

あたり。

日常テーマにしてはいないけれど、

町山智浩

高橋ヨシキ

柳下毅一郎

映画秘宝組も面白い

映画趣味はあまり合わないけど。

あと忘れちゃいけない。本当に大好きだったな。

がっぷ獅子丸。

さらに上の世代だと

椎名誠

原田宗徳

中島らも

伊丹十三

野坂昭如

村上春樹エッセイも好きだ。

小説よりも好きかもしれない。

映画でも音楽でも、特定ジャンルに特化した評論家男性にもいる。

けどおれは、日常のどうでもいい話が読みたい。

ちょっと真面目に考えて、出てきたのがオモコロヨッピーだった。

どんだけテキストサイト好きなんだおれは。

久しぶりにみたら、桃色核実験消えてるし。

はてなダイアリードリフトウッドいるじゃねえか。

大好きだったなクリアラバーソール

松風の人って今、何してるんですかね。

何の話だ。

男性エッセイストの話だった。

とにかく、いいひといたら教えてください(切実)

2013-08-23

https://twitter.com/tm2501/status/370558948291534848

あれ見て、これ見て(もしくは俺自身が見たいと思ってるもの)が溢れかえって、全部見切れない。いや、見るだけならできるかもしれないけど、フィードバックして、レビュー書いたり、実況したり、オタク知識を蓄積するためのある準備や蓄積ができない。ちなみに、最近取り掛かってるのは伊丹十三作品

無職の癖に忙しいアピール

2011-07-17

大企業新入社員は「スーパーの女」を観ろ

伊丹十三監督スーパーの女コンサルの見本としても優れているんでしょうけど、

働く基本として見とくといいよと言う話。

ポイントはただ一つ。人は感情で動く。

大企業新入社員であるあなた入社していきなり下請けの業者さんを使ったり、

大先輩の工員さんに指示したり、それまでの価値観では許されないことが目の前に広がっているはずです

ラッキーなことに大企業総合職として職に就くことができただけで、

ただ単純にそれだけのことで、いきなりそう言う立場になる。

こんなの間違っている!といきどおる人もきっといるかも知れません。

が、人にはcalling(神さまから与えられた、いわば天職)があると割り切るしかない。

会社利益を上げるために、最適な配置になっていると思いましょう。

あなたはその分、業者さんよりも工員さんよりも、大きなプレッシャーの中頑張らなければならないのです

もちろん、敬意を持って接することを忘れずに。

入社直後のあなた自身は無能です

しかし腐っても大企業あなた会社に蓄積されたノウハウ自分ものとして使うことができる。

いっぽう、スーパーの女こと宮本信子扮する井上花子は、主婦の立場としてスーパーに対してコンサルティングできる能力を元々持っています

から立場的にはすごく似ています。どちらもベテランからはド素人(に見える)。

そして、あなた上司からの命令にせよ、花子自身の考えにせよ、自分で手を動かすことは不可能。

結局はいかに業者さんや工員さんに気持ちよく働いてもらうかということになります

そのためにはどうするか?

  • 酒を飲み交わそう。
  • 愚痴を聞こう。
  • 頼み込もう。
  • 時に喧嘩しよう。
  • 理不尽なこともやってみせて肝っ玉を見せてやろう。
  • 最終的にはケツを持って怒られる覚悟を持とう。
  • 下っ端の言うことでも正しいと思えば認めよう。

花子コンサル的な発想力が鮮やかなのですが、人心掌握術にも長けています

上のように箇条書きにすると実に凡庸ですが、この人のためなら働くか・・という諦めの心を相手に持ってもらう。

その様が実に痛快に描かれていて、泥臭い労務管理仕事いいんじゃない?って思えるようになります

特に取引業者さんや職人さんとの人間関係に悩む新入社員には「スーパーの女」を見てほしい。

確かにコンサルとか格好いいけど、最終的には人が動かないと仕事にならないですから

人と心が通じ合って、成果が出せるというのは、働く人間にとって最高のことなのですから

人は感情で動く。

あと蛇足になりますが、この映画大事存在は、津川雅彦扮する五郎専務です

信頼できる経営者の下で自由に働けるというのは何にも代え難い財産です

この人は一見パッとしませんが、従業員の見えないところでちゃんと正しいことを主張するし、

いざというときには、対立する従業員の間に立って仲裁もする。

大企業人材の宝庫ですたまたま自分とは合わない上司に当たった人も数年経てばまた新しい上司に巡り会えるはず。

辞めるなんて言わずにちょっとだけ辛抱してみてください。

2010-11-25

ファッション

植草甚一だったか伊丹十三だったかが言ってた「体系にハンデのある日本人はカッコよく着ようなどと色気は出さずに、野暮でもいいからちゃんとした服をちゃんと着ろ」ってのがある意味真理だと思う。

2008-11-14

「いろいろ」って言ったときに立ち止まってみないほうがいいときもある

http://d.hatena.ne.jp/amachang/20081114/1226633132

いろいろあった

→いやなことがあった

→なぜ言語化できないのか

言語化すると、新しい視点が生まれるかも

いろいろできそう

→具体的には何

→そこに新しい発明

id:amachang の指す「いろいろ」が何かは現時点ではわからないのと、id:amachang

どんな人か私は知らないので、id:amachang を否定する気は更々無い事を前提条件

とします。

--------

いわゆる「こころの病」系の人は「言語化」しない方がいいこともある。

嫌なことがあったから、忘れようとしたり曖昧にしようとしたりしているのに

改めて直視し精査し言語化し新たな視点を見つけるのはかなり危険だからだ。

私の例では、企画書をかなり集中して書いて四六時中いろいろ考えてたら

最終的に「自殺」しか答えが出なくなってしまった。かなり危険だったので

びっくりして急いでPCの電源落として寝た。

布団の中でもずっとベランダから飛び降りたい衝動に駆られて危険だったので

深夜寝ている親を起こして話を聞いてもらった。

親は「伊丹十三とかはこういう感じで飛び降りちゃったのかねえ・・・」って

言ってた(伊丹十三の死については諸説ありますが親はそういうのは知らない

ので印象だけで発言)。

親は、自殺する人はみんな暗い気持ちで自殺すると思っていたようで、

かなりのテンションで「今すぐ飛び降りないと!」と言っている私にびっくり

したようだ。

id:amachang が書いた箇条書きに照らし合わせると、

いろいろあった

 →いやなことがあった

  →それを思い出した

 →なぜ言語化できないのか

  →言語化するために嫌なことと向き合った

 →言語化すると、新しい視点が生まれるかも

  →嫌なことを言語化し、新しい視点を発見

いろいろできそう

 →具体的には何

  →責任を取るために自殺

  →すべてを0に戻すために自殺

 

 →そこに新しい発明

  →思いついた!ベランダから飛び降りよう!

といった感じ。自殺という最悪の手法をとらないためにあえて

曖昧に「いろいろ嫌なことがあったけど、私は元気です」って感じに

していたのを直視したために結論や結果を出さないといけない方向へ

自分を持って行き、最終的には自殺にたどり着いてしまう。

よく言う「元気になった頃が危ない」ってやつだと思う。

id:amachang はおそらく新しいサービスとかについてを書いているのだと

思いますので、健康な方におかれましては本文章は完全スルーでOKです。

なぜこのようなことを増田に書いたかというと、私自身が、id:amachang

ような人に出会ったり、こういう文章を読んで「よし、私も頑張ろう!!」

って思ってものすごく根詰めてやってしまって最終的に鬱に逆戻り、という

状態によくなるので、自戒を込めてってことで。

2008-10-17

http://anond.hatelabo.jp/20081017232549

事実だとしたらなんという茶番劇

あの世伊丹十三を今すぐ娑婆に呼び戻して映画化してもらいたい。タイトルは「代執行の女」とかどうよ(笑)?宮本信子も去年から銀幕に復帰してるらしいし。

うーむ、オラワクワクしてきたぞ。ちょっくら週末を利用してドラゴンボールしてくるわ。

2008-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20080418213445

オムレツについては、伊丹十三の「日本世間噺大系」に、

フライパンの選択から何やら、ずいぶんうるさく書いてある。

とても俺にはつくれないと思ってるので、一般論みたいなもんだけれど、

火力が弱すぎるんじゃない?

フッ素加工のフライパンでも、アブラを入れて強火で一気に火を通していくように

しないと、水っぽくなるような気がする。

2008-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20080310034022

あれは伊丹十三の演出だろ。

マナー教室の人が「本場では……」なんて講釈してる背後で食べてるんだから。

映画スパゲッティといえば、「カリオストロの城」みたいな大盛りスパゲッティ食ってみたいぞ。

2007-12-06

目玉焼きの食べ方の話を思い出した

http://anond.hatelabo.jp/20071206132321

誰かがエッセイで書いてた話。美味しんぼの人か伊丹十三か?

目玉焼きの食べ方はいろいろあって、正式にはどうすべきかいつも迷う。グチャグチャに刻んでかき混ぜて食べる人、黄身に口をつけすいだしてから食べる人、白身だけ先に食べて黄身を一呑みにする人などなど。

最も洗練されている食べ方とは・・・こういう食べ方もああいう食べ方そういう食べ方もあるよねってコトを解説しながら食べてしまうこと。

・・・って話と似てるなぁ

2007-05-28

ただの感想

伊丹十三自殺を思い出して、60代は踏ん張りが利かない年齢なのかなと思った。やり直すには時間がないし、達観するにはまだ歳が足りないし。こじつけだけど。

こういう、国を実際に動かしている金も権力もある人がこんな簡単に「逃げ」を打つんだから、下々の国民が安易に自殺を選んでもおかしくないわな。

なんか狂った国になったなあ。私も自殺する日がくるんだろうか。

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